書籍詳細
魔法省生活保安課オメガはサブスクアルファに課金したい
| 定価 | 1,320円(税込) |
|---|---|
| 発売日 | 2025/11/14 |
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内容紹介
僕なしでは生きられない体にしたい
「エッチな身体をしているんですね」魔法省生活安全課で働く恋愛経験皆無のオメガのニアは、国から強制的にアルファをあてがわれる法律“魔防法”の期日を前に、疑似恋愛してでも恋を知る方がいいと、定額料金で恋人が手に入る、サブスクアルファを登録する。やってきた癒し系イケメンのリルに一目惚れしてのめり込むニア。客として優しく癒してくれていると分かっていても、リルへの想いを募らせていく。心配した同僚から合コンに強制参加させられるけど……。同じ頃リルは、とある違法薬物の調査中で!? 獣人オメガバースの執着系イケメンα×どこか抜けている妄想厨インテリ美人Ωのサブスクラブ!!
人物紹介
ニア
妄想癖のある警察官。サブスクで派遣されたリルくんから、ただの客としてしか見てもらえないと思っていたけれど!?
リル
とある任務の敏腕エージェント。ニアを一目見て運命のツガイだと確信する。
立ち読み
一、イチャイチャしつつ、性交渉です
アルファの溺愛は愛の妙薬よりも甘く、溶かしてやまない。
そんな科白(セリフ)が、このイカれた世界にはある。
魔法使いがうじゃうじゃと存在し、アルファがオメガを求めてやまない、人と魔獣が入り混じったこの狂った娑婆に。
玄関扉のブザーがけたたましく鳴り響いて、ぼくはソファから起き上がった。
掃除と片付けは完璧。
トイレはピカピカ。廊下には塵(ちり)ひとつなく、床板なんて滑りそうなくらい拭き上げた。寝室の遮光カーテンはぴたりと閉じたし、昼だというのにダウンライトの調光を暗くし、ベッドを頼りなげに照らしている。
もちろん、サイドボードの下にはティッシュにコンドーム、それに漏らしたときのためにバスタオルも畳んで隠して用意してある。
ここまでは準備万端というところか。
ちなみにこれは職務上の訓練でもおとり捜査でもない。こんなことは誰にも知られたくないし、知られたら最悪すぎる。
……もし、指名した相手が魔法省警察局本部の同僚だったらどうしよう。噂(うわさ)は一瞬で広まって、安定した生活を手放すことになってしまうんじゃないだろうか。
いや、そんなことあるわけない。
ぼくは首を軽く振って、手にした魔道具のスマフォに目を落とす。
画面には「ララバイ☆サブスクアルファ~魔防法の前にお試しアルファの恋人(仮)~」が艶(あで)やかな文字でチカチカと輝いていた。
落ち着くんだ、ニア。
初めてのサブスクアルファだ。
オメガのぼくが利用して何が悪い。利用する権利はある。
ぼくは眉根をキュッとよせてスマフォの画面から視線を外した。
この世に男と女の性別の他に第二のバースが存在するのがそもそもの要因。
アルファ、ベータ、オメガというややこしい三つの性。それは同じ世界で生きていながら、判然とした性差で社会階級とほぼ直結する。
数少ないアルファは容姿、能力などすべてにおいて秀でている。完璧を兼ね備えた彼らは貴族身分のアルファ性同士で結婚して子孫を残すことが多い。
そしてベータ性。中間層を占め、労働人口のほぼ八割の彼らも同じベータ性同士で結婚して子どもを授かり生涯を終える。
最後に一番数が少ないといわれるオメガ。ぼくらは下位層に位置し、男女ともに子宮を有するため男でも妊娠できる珍しい性でもある。
そもそもアルファとオメガはツガイという動物本能的にも一生を添い遂げる不思議な関係性を持つ。オメガの子どもはアルファの優秀な遺伝子をそっくりそのまま残すことができるため、有能な跡継ぎがほしい彼らにとってオメガ性は重宝される。
けれども、現実的にはオメガが幸せな結婚をして、幸福な人生を全うすることは不可能に近い。
オメガにとってのセックスは交尾という行為であって愛というには遠いもの。
アルファとオメガが心から想いあって結婚したとしても、親戚一同に猛反対され、二人は窮地に立たされ、悲劇的な最後を迎えるはずだ。
ましてや、オメガがツガイを見つけられなかった場合、魔防法という法の下、強制的にアルファをあてがわれ、好きでもない相手の子を腹に宿す運命にある。
アルファとの子どもを産んだとて、その先には妾(めかけ)になるか、ゴミ同然に捨てられ、売春宿で小銭を稼いで、果ては借金漬けにされて性風俗に沈められ、一生を終えるのがオチだ。
悲しいかな、これが現実であり、ぼくたちオメガ性の人生だ。
つまり、オメガのぼくがツガイを得て幸せな結婚をする確率というのはほぼないというわけで……。
「はっ……。ダメダメ。なんで昼から暗いことを考えちゃうんだ。いまから楽しいことをするのに、ネガティブなことを考えてどうする。落ち着くんだ、自分」
ぶんぶんと首を横に振って、頭にこびりついたネガティブな考えを振り払った。スマフォに視線を戻し、相手のプロフィールをもう一度胸の中で思い返す。
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名前:リル
性別:男(第二の性・アルファ)
年齢:二十代前半
身長:一九〇センチ以上
体重:平均値
性格:穏やかきゅるるん、癒し系
種族:犬科(レトリバー)
性病検査:提出済み
※注意
・チェンジは二回まで
・半年契約
・お試し期間三ヶ月
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ここでおさらいをしようじゃないか。
サブスクと名はつくが、いまぼくが見ている「ララバイ☆サブスクアルファ~魔防法の前にお試しアルファの恋人(仮)~」はいわば風俗(デリヘルともいう)のアプリサービスだ。
対象はオメガと限られていたが、昨今の経済事情でベータの客も取り込んでいるらしく、多種多様の客層を抱える大型店舗でもサブスクリプションサービスを導入している。
この国では第二のバースに加えて、獣人の他にも妖精やオークなど様々な種の住人が共存し合っている。そのため、キャストも選び放題なのがいい。
美人なエルフもいれば背の小さい子が好みならばドワーフも所属している。もちろん人間もいて獣人もいる。
ちなみに獣人はピラミッド型のカースト的なもので分化され、タイプも様々だ。
獣人カーストは獣的本能によって区別され、重種、中間種、軽種の三つに分けられるためキャスト選びも慎重に慎重を期する必要がある。
重種は独特の雰囲気(ナワバリ)を纏(まと)い、極上な香りと知性と品格、そして完璧な容貌を備える。ライオンやクロコダイルといった、探索能力や捕獲能力が肉食性動物の中でも極めて優秀で知能も高いアルファでほとんどを占められている。
中種は重種でない肉食性動物と草食性動物だ。おもにサル、小型の犬や猫、他は牛や馬など過去に家畜の祖先を持った、なよっとした優男がほとんどだ。
軽種は繁殖力の高いウサギやネズミが多く、とにかく妊娠しやすい。軽種は発情期のサイクルが早いのが特徴的で、かわいい系のふわふわ癒し系が多い。
ちなみにぼくが分類されるチンチラはネズミほど繁殖力が高くなく、ネズミと同じ齧(げっ)歯(し)類でも中種に分類される。たまにビックリする出来事に遭遇したり、風邪をひいたりすると理性が効かずに獣化してしまうことがあるけど、それは重種以外のどの種族も同じだ。
ちなみに獣人の大半が中種または軽種で占められるため、中種のぼくが重種と出会うことなんてなく、会えずに一生を終えてしまうなんてよくある話だ。
それだから、上流階級でしかお目にかかれない好みの重種のアルファと出会うなんて、初恋の人と結婚する確率と同じぐらい低い。
理性的で魅力的かつ柔和な笑顔が似合う重種に出会えるなんてありえないし、結婚詐欺に引っかかるようなもの。
このアプリサービスが本物かどうかなんて、真偽を確かめることができるわけもなく、ただただ説明書きを信じるしかない。
考えただけでも体が緊張して汗ばむ。
……ええい。勇気を出すんだ、ニア。
相手がめちゃくちゃ変態野郎で、自己愛性虚言癖野郎のクズでむりやり襲われそうになったら、すぐに胸ポケットにある魔法省の警察手帳をつきつけて相手を畏縮させればいい、はず。
イケメンで超好みのタイプだったらそれはそれで……。
「おかしいな。間違えたのかな。あのう……」
いけない、いけない。早く扉を開けて顔を出さないと……。
なんたってアルファだ。これから定期的に会うんだから……。
緊張が最高潮に達し、こめかみに脈打っている自分の血管の音が聞こえた。一枚の扉を隔てて相手がいるとわかると、ドアノブにかけた手が震える。
「あの、アプリから連絡いただいているララバイ☆サブスクアルファのものです。こちら、ニアさんのお宅でしょうか?」
玄関扉のむこうで、若々しく明朗な声が響く。
溌(はつ)剌(らつ)とした、瑞(みず)々(みず)しい若さを感じ、思わず背筋を伸ばしてしまった。
「そうです……。ニアです。中種のチンチラです」
「よかった。あなたのナワバリが強固だからアパートを間違えたかと思った……」
しまった。魔法省の独身寮から引っ越ししてからずっと玄関扉に魔法陣シールを貼ったままだった。
「ど、どどど……」
どうぞ中へ入ってくださいが言えない。
それでもドアノブを回し、細く開いた隙間からいい匂いがした。
チェーン越しにふわんと甘いバニラの香りが鼻をくすぐり、貴公子然とした青年が頼りなげに長い睫毛(まつげ)を伏せてこちらを見つめていた。
この瞬間をたとえるならば、ビビビッときたというところか。それとも矢が刺さったというところか。
まさに運命。天使。よく目にする指名手配犯や凶悪犯じゃなくてよかった。もし指名手配犯なら即座に逮捕している。
「あの……?」
あまりに整った顔を直視しすぎたのか、扉のむこうでお相手が固まっている。
「あ、あ、あ。すみません……。ごめんなさい……」
「いえ、こちらこそ遅れてすみません。違うアパートだったらどうしようと思っていたのであなたがいてくれて安心しました」
ふうとついた安堵のため息も涼やかで、湖畔の静(せい)謐(ひつ)な空気が漂ってきそう。
ぼくはドアチェーンを外して、大きく扉を開いた。いい匂いが風のように入ってきて、思わず目を閉じそうになった。
彼はひらりと器用な動作で玄関に足を踏み入れ、後ろ手に扉を閉じてくれた。
「こんにちは。お邪魔してもいいですか?」
困ったように上目遣いでぼくを覗き込む。ドクッと胸の鼓動が激しく乱れた。
顔面偏差値は特上の国賓級。プロフィールの写真よりも美青年に見える。
すらりとした長身にオフホワイトのシルクニット。肩から首にかけて伸びる太い鎖骨が目をひいて、そのきめ細かな肌に釘付けになってしまいそうになった。
キレイめテーパードパンツは長い脚を強調しつつも、すっきりとした上品な印象を視覚に与え、清潔感と育ちのよさを感じさせる。
そして視線を上げると完璧な容貌が待ち受けていた。癖っ毛の黒髪は母性本能をくすぐり、目鼻立ちはすっきりとしていて瞳は青みを帯びた黒だ。その瞳の奥には吸い込まれてしまいそうな澄んだ光を宿している。
彼に点数なんてつけられない。顔面は完璧、体格は最高。すべてにおいてこれはもう満点以上だ。
胸がドキドキして、不整脈で死にそう。
「あの……、どうかしましたか? まさかチェンジとか? すぐに代わりのものを……」
「まままままさか……」
一目惚れというべきか。恋に落ちたというべきか。
まさにそんな状況です。なんて口に出したら、こちらが変態客として判定されてチェンジされてしまう。彼の表情は眩(まばゆ)いほどの神々しい光に包まれて見え、ぼくは視線を玄関のタイルに落として冷静さを取り戻す。
「よかった。初日から嫌われたかと思った。このスリッパを使ってもいいですか?」
「はははははははい。どうぞ。あ、中へもどうぞ……」
「お邪魔します……わっ……」
そのときだった。彼が来客用スリッパを履こうと玄関の上がり框(かまち)を踏んで、バランスを崩した。前のめりに転びそうになり、とっさに彼を支えようと腕を伸ばし、ぼくは全身に力を込めて彼を受け止めようとした。
が、彼は素早く一歩後ろに下がり、逆に前のめりになったぼくを抱きしめた。
「わわわわわっ……んんッ」
彼の服が頬に当たってバニラの甘い香りが顔いっぱいに触れる。
突っ込んできたぼくの背中に手を回し、ぎゅっと抱きしめるみたいに引きよせて恋人みたいに密着してしまう。
とくとくと規則正しい鼓動が耳に響き、落ち着いて対応してくれているのがわかった。
「よかった。どっちも転んでないし怪我もしてない」
「ごごごごごご、ごめんなさい……」
「ちょっと緊張して転びそうになっちゃったんです。おっちょこちょいじゃないんだけど、恥ずかしいな………」
照れた顔にイタズラが見つかった少年みたいな笑みを含んでいる。かわいい。
なんだ、この好青年の純粋培養されたアルファは。
絶滅危惧種なのだろうか。
「い、いえ……。こちらこそお役に立てずに申し訳ないです……」
「いいえ。謝るのは僕のほうです。あなたは僕を助けてくれようとしたんだよね。ありがとうございます」
微笑むだけで、ぼくの意識は吹っ飛びそうになった。
いつのまにか両手の指が隙間を埋めるように絡められていた。これじゃあ、恋人みたいじゃないか。
「そうだ。まだ自己紹介してませんでしたね」
ぼくを胸から剥がし、絡んだ指がぱっと離された。彼は一歩後ろに立つと丁寧に一礼し、こちらに真剣な眼差しをむけた。
同僚以外と会話することのないぼくにとって久方ぶりのコミュニケーションとなる。
「あ、あの……」
「はじめまして。サブスクアルファのフェアリーズ・リリ・リルーです。リルと呼んでください。よろしくお願いします」
なんてトキメキが止まらない源氏名だ。まるで妖精か精霊みたいな名前じゃないか。
ぼくは背中に羽根がついてないか確かめる余裕もないほど緊張していて、彼が口にする名前にトキメキを感じてしまっていた。
「は、はひ」
しまった。声が裏返った。
この瞬間で、ぼくの第一印象は地に落ちた。ここは冷静になったほうがいいかもしれない。
「フェアリーズリリリリィッル!」
さらに彼の源氏名に噛んでしまいそうになり、あわてふためいてまた舌を噛んでもう一回落ちた。
「ふふふ。お客さんも緊張しているんですね。僕も同じです。今日はアロマオイルマッサージのまったりイチャイチャコースなので、初回特典という形でたっぷりとサービスしますね」
彼は突っ立っているぼくの手を優しく握ると、口元まで引き上げて手の甲にキスをしたので、その長い指に目をむけた。
押しつけられた唇のぬくもりと貴公子然とした動作にうっとりしてしまう。
……これが噂のサブスクアルファか。
「……よ、よろしくお願いします」
「あの、家の中に入ってもいいですか? お試し期間はキスとおさわりだけで、本番はありませんが楽しんでいただけるようにがんばります」
なんて穏やかで心地よい声なんだろう。この人は心から信じてもいい人に違いない。
「ど、どどうぞ……よろしくお願いいたします」
礼儀正しくされると、こちらも客ながら丁寧に返さざるを得なくなる。ぼくは震える手で寝室へ案内しようと中へ招いた。
彼は頭を下げて、ぼくの案内に続いて後についてきた。
少しだけ振り返って、彼の表情を盗み見ようとして、目が合う。
「今日が初出勤なんです。よろしくお願いします」
「ど、どどどどどうぞ……。ここここちらへ……」
にこりとこぼす眩(まぶ)しい笑顔に、くらりと眩暈(めまい)が襲いそうになった。
玄関から直進し、寝室のドアを開いて招き入れる。
汗ばむような緊張感に包まれながらも、ぼくは彼の匂いをできるだけ気にしないようにした。吸いよせられそうなアルファのフェロモン。初回で発情なんてしようものなら、すぐに通報されてしまう。
……あ。しまった。
人を招き入れられる程度に片付けた寝室はカーテンを閉め切っていたせいか、いまからやる気満々です、みたいな爛(ただ)れた雰囲気に満ちていた。
カーテンを開けて雰囲気を変えようとしたが、時すでに遅し。彼は微笑みながら部屋に視線を巡らせて、肩にかけた大きな革の鞄(かばん)を床に下ろした。
「色々用意させていただきますね」
くすりと笑って、彼がぼくを意味ありげに見つめた。その笑顔は直視しただけで、ぼくの心臓を破裂させそうなくらいキュートだった。
と、尊い……。今日がぼくの命日になるかも。
「あ、あのッ……!」
「はい?」
ここからどうしたらいいのかわからない。いきなり全裸になって、意気揚々にプレイを開始するのも倫理的にどうかと思う。
もじもじと視線を足元にやって、ぼくは開いた口を閉じた。彼はなにかを察したのか、ポンと手のひらに拳をぶつけて言った。
「ああ、そうですね。そうだった。施術前にサインをもらわないと」
「サイン?」
「同意書です。万が一の場合に備えて、店から同意のサインをいただくように言われているんです。この書類にお名前を書いていただいてもよろしいですか?」
そう言って、彼は鞄から分厚い書類を取り出し、ノック式のペンと一緒に渡した。すべてに目を通すとプレイ時間を延長しなければいけないほどの分厚さだ。
「書類の内容はどの店にも共通するものです。契約書には魔法がかけられていますので、偽名は却下されます」
彼の瞳の奥がきらりと光り、真剣な眼差しはぼくに安心感を与えた。手が自然と動いて、グリップに黒い縞の入ったペンを取り、自分の名前を書く。
名前を書き終えると、シュッとした音とともに白い光を放ち、宙に浮かんで煙となって消えた。
「では、これで契約成立ですね。罰則規定は一般的なものですので、時間のあるときにこの書類を確認してください。ええと、お好みの香りとかありますか。リラックスできるように好みに合わせて調合しますよ」
モスグリーンの瓶を目の前にかかげるように見せて、彼は茶目っ気溢れる顔で言った。
「と、とくにないです。フェアリーズリリリリィッル……あッ……リル……リリリ……」
「ふふふ。呼び名はリルでかまいませんよ」
青みを帯びた瞳がまたきらりと光り、ぼくの鼓動がさらに増す。
「す、すみません。ではリルくんと呼んでもいいですか?」
「ええ。僕はニアさんと呼びますね。かなり緊張されているようですし、緊張をほぐす感じで調合してみましょう。それと、下着を脱いでこちらに着替えてください。今日はアロママッサージなので、服はすべて脱いでいただきます」
リルくんがそう言って、はい、と手渡してきたものは使い捨てのペーパーショーツだった。
男だから下の部分しかないけど、トランクスではなく、結構きわどいティーバックだった。紙素材なので濡れたらくしゃくしゃになっちゃうんじゃないかと心配になる。
面部分の少ない頼りない下着を見つめていると、脱ぐのをためらっていると勘違いしたのかリルくんが心配そうに声をかけてきた。
「ふふふ。脱ぐのはここでもかまいませんが、別室で着替えてきてもいいですよ。こちらのバスローブも羽織ってください。僕は準備をしながらここで待ってます」
ふわふわのバスローブを下着の上にのせられ、なぜかカァと顔が熱くなった。
さすがに初対面の人の前で脱ぐのは恥ずかしいし、お仕事の準備の邪魔をしてはいけない。
「わ、わかりました。ちょっとむこうで着替えてきます……」
ぼくは寝室を出て、そっと脱衣場に足をむけた。すべて脱いで洗濯カゴに服を入れ、ごわつく下着に足を通す。
腰まで引き上げると、はみ出して見えそうでぼくは股間が見えないように手で覆い隠して脱衣場の中を少しだけ歩いた。
ショーツはすぐにくしゃくしゃによれてしまい、面積がすでに半分以上損失してしまって細く腰に絡みついて、お尻に食い込んでしまう。
下着としての役目はかろうじて発揮しているものの、隠すというより、エッチな漫画の修正みたいだ。大事なものはなんとか収められているけど、ちょっとした刺激で破けてしまいそうにも見える。
「なんか、全部見えちゃう感じで落ち着かない……。前みたいに筋肉は引き締まってないし、お腹だってふっくらしてきたような……。どうしよう、最近は運動なんてしてないし……。もうちょっと身体を鍛えておけばよかったかな」
鏡面ガラスに映る自分は居心地の悪いケージにいるネズミみたいに見えた。長年の事務仕事のせいで、肌はすっかり白くなってしまい、胸の突起がいやらしくツンと尖っている。
ええい、ここでキャンセルなどできない。前へ踏み出すしかない。
ぼくはバスローブを羽織って、柔らかな生地を合わせて身体を隠し、気持ちを奮い立たせてリルくんの元へ戻った。
ちなみにそのまま寝室に直行するのはやる気満々だと思われるので、キッチンに立ちよった。冷蔵庫からスポーツドリンクのボトルを一本だけ手に取って部屋へと足を踏み入れる。
「おかえりなさい。待ってましたよ」
ドアノブを開くなり、リルくんの眩しい笑顔が目に飛び込んできて、ドキドキと胸が高鳴った。彼はセーターを脱いで、白い半袖のシャツ姿になっていた。ぼくとは正反対の引き締まった腕に目がいってしまい、急いで視線を腕から部屋に戻す。
「ちょっとだけ雰囲気を変えてみました。どうです?」
「い、いいと思います……」
最高です。心の底からそう思う。
仕事して、ごはんを食べたら寝るだけのこの部屋で、こんなにも多幸感に包まれたことはない。
サイドテーブルにはローションボトルや仕事道具らしきものがいくつか並んで、照明の明るさはさらに暗く絞られ、居心地のよさを演出していた。
かけてくれた音楽は穏やかな旋律がせせらぎのように流れ、ミントハーブのような香りが部屋いっぱいに広がっている。
自分の寝室のはずが、まるでオシャレな部屋に迷い込んでしまったみたいだ。
「あ、あのっ……、その……」
緊張しすぎてしまって、声はうわずってしまうし、なんて言葉をかければいいんだろう。
でも、相手はプロでぼくはお客だ。しかも初回ときた。挨拶と名前しか交わしてない。ぼくもがんばりますので、ぜひよろしくお願いしますとかだろうか……。
「どうしました?」
「ぼ、ぼくも初めてなのでお手柔らかにお願いします」
「ふふふ。お互い初めて同士ですね。こちらこそ新人ながらよろしくお願いします。ちょっとした説明ですがプレイのための専用の枕に替えて、シーツの上も特殊なマットを敷かせていただきました。それと、アロマを焚いているのですが。苦手だったら言ってください」
「は、はい……」
「すぐにあなたの緊張を解きほぐしてあげますよ」
彼は少しだけ屈(かが)んで、耳たぶにかすめるようなキスをした。
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