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あなたが姉と結ばれる日まで 忌み子の王女は初恋の英雄と絶対に愛されない結婚をする

日車メレ / 著
shoyu / イラスト
定価 1,430円(税込)
発売日 2026/11/27

内容紹介

双子の第二子であるがゆえに「忌み子」として疎まれ、冷遇されている第二王女のカリスタ。そんな彼女に突然縁談が舞い込む。王国の英雄オーウェンが負傷により第一王女である姉との婚約が破談になり、代わりにカリスタが降嫁されることとなったのだ。オーウェンは彼女の元護衛で初恋の人。複雑な心境のなか、姉から「怪我が治れば復縁も許されるかもしれない」と囁かれ、二人が想い合っていると信じているカリスタは、オーウェンのため仮初の妻として回復まで支えると決意する。しかし「正しく妻として扱う」と宣言したオーウェンに、夜ごと甘くとろかされて……。一途な騎士×薄幸王女の悲劇からはじまるすれ違い溺愛婚!

立ち読み

 一章 忌み子の王女と英雄


 ウィンスレイル王国第二王女カリスタは、王宮内のはずれにある、簡素な館で暮らしていた。
 王女でありながら一人離れた場所に住む理由は、カリスタが忌み子だからだ。
 この国では、双子の片割れが不吉とされている。
 大昔の国王が、双子の弟に殺されたという逸話があり、そのせいでカリスタも生まれ落ちたときから家族にすら疎まれる存在となったのだ。
(二番目に生まれた子が、すぐに殺されていた時代もあったそうだから、私はまだましなほう……)
 王女としての煌びやかな生活とは無縁だけれど、三度の食事と清潔な服や住まいが与えられている。
 それだけで満足するべきだった。
 日常的に許されているのは、刺繍などの手習いと最低限の勉学、そして王宮裏手の庭園への散歩くらいだ。
 その散歩にも、館の外で待機している近衛兵の同行が必要だ。
 決まった時間に短時間で済まさないと嫌がられるため、かなり気を使っている。
 だからカリスタは毎日暇を持て余していた。
 今日もバスケットに入れられて運ばれてきた冷めた朝食をいただいたあと、刺繍をして過ごす。
 十九年間、こんな日々の繰り返しだ。
 するとかすかに、外から声が聞こえた。
「王太子殿下!? なぜ……このようなところへ?」
 近衛兵の声だろうか。
 すぐに扉が開く音がした。
 カリスタは立ち上がり、エントランスへと向かう。
 ここは、狭いリビング兼ダイニングと寝室、そして浴室やキッチンなどの最低限の設備しかない小さな館だ。
 そのため、扉を開けたらすぐに訪問者の姿が目に入る。
「お兄様……」
 近衛兵の言葉どおり、そこにはカリスタの双子の兄である王太子コンスタントが立っていた。
 彼の背後には数名の近衛兵と女官が控えている。
 狭いエントランスホールには到底入りきれず、お付きの者の半分は扉の外だった。
「久しいな、カリスタ」
 輝く銀髪にアイスブルーの瞳をした同じ年の兄は、顔を合わせればカリスタに冷たいまなざしを向ける。
 髪と目の色は一緒だけれど、それ以外に似ているところはあまりない。
「はい、お久しゅうございます。……わざわざのお越しを、心より歓迎いたします」
 カリスタはドレスのスカート部分をわずかにつまみ、淑女らしい礼をした。
 それで兄の表情が和らぐ――なんてことはなかった。
「どうぞ……中へ」
 王太子を立たせたままにはしておけない。
 カリスタは慌てて、リビングルームに案内した。
 テーブルには手芸道具が置かれたままで、生活感がだだ漏れだった。それらを急ぎ片づけ、クッションを手ではたいて整える。
「こちらへお座りください」
 コンスタントの表情がどんどんと険しくなっていく。
 きっと、まともなもてなしができないことに腹を立てたのだろう。
 年に一度会うか会わないかという、希薄な関係の兄は、カリスタの前では大抵不機嫌だ。
「今、お茶のご用意をいたします」
「必要ない。話があるから座るように」
「かしこまりました」
 カリスタはもてなしを諦め、大人しく兄の向かいに腰を下ろした。
「本日午後、御前会議が開かれる。……そなたも参加するように。支度を手伝う女官と、その場に相応しいドレスは、こちらで手配しておいた」
「御前会議、ですか!? なぜ、でしょうか?」
 カリスタは思わず目をぱちくりとさせてしまった。
 これまで、二歳上の姉ジョセフィンが、カリスタを哀れんで茶会などの社交の場に招いてくれることはあった。
 けれど、あくまで非公式の行事ばかりだ。
 御前会議といえば、政治的な事柄を決定する場である。
 忌み子のカリスタがそんな場所に呼ばれるなんて、明らかに不自然だ。
 カリスタはただ困惑するしかなかった。
「……そなたは、先日ヘレフォード侯爵が負傷した事件を知っているか? 以前、そなたの護衛をしていた者だ」
 ヘレフォード侯爵オーウェン・コーニーリアス・アスカム。
 現在将軍職に就いている、この国の英雄で、第一王女ジョセフィンの婚約者だ。
 彼の名を聞いた瞬間、胸の奥がずきりと痛んだ。
 カリスタにとっては、決して忘れることができない人だ。
「はい……。侯爵様のお加減はいかがでしょうか?」
 二週間ほど前のこと。ジョセフィンが視察で郊外まで出向いた折に、襲撃を受けた。
 その際、同行していた彼女の婚約者であるオーウェンが怪我をしたのだ。
(ずっと、心配していたけれど……私には、詳細を誰かにたずねる機会すらないから……)
 襲撃について知ったのは、事件の翌朝だった。
 朝食を運んでくる女官から「ジョセフィン第一王女殿下がショックで寝込んでいるときに、ヘラヘラと笑っているなんて」と嫌みを言われ、わずかな情報を得られたのだ。
 この事件でカリスタが知っているのは、犯人が一方的にジョセフィンに対する好意を募らせ、凶行に及んだこと。
 そしてオーウェンが怪我をして、重傷であることだけだった。
「このたび、姉上と侯爵の婚約が白紙となる。……侯爵が、怪我を理由に辞退したのだ」
(お姉様と、オーウェンの婚約が……なくなるの……? どうして!? 二人は、相思相愛の理想的な恋人同士なのに……?)
 頭が混乱して、カリスタはどう受け止めたらいいのかわからなかった。
 少なくともオーウェンは今、会話ができる状態にあるみたいだ。
 それを知ってほっとした気持ちもある。
 けれど、第一王女の降嫁先に選ばれていたのに、それを辞退するというのはよほどのことだから不安も募る。
「オーウェン……いいえ、ヘレフォード侯爵は、視察中にお姉様を庇ってお怪我をなさったと聞きました。……それなのに、回復をお待ちにならないのですか? そんなにお悪いのですか?」
「命に別状はないが、後遺症が残る可能性が高いそうだ。……完璧な王女の降嫁先としては、相応しくないのだろう」
 切り捨てるようなコンスタントの言い様に、カリスタは怒りを覚えた。
 オーウェンはかつて、カリスタ付きの近衛兵として務めてくれた人だ。だからこそ、人となりはよく知っている。
 彼は王家のために戦場へ赴き、この国――ウィンスレイル王国を勝利に導いた英雄だ。
 そして今回も、王女を守ったというのに、これではまるで彼を見放すみたいだった。
 けれどカリスタには、王家の仕打ちを批判できるだけの力がなかった。
 なにも言えず唇を噛みしめていると、コンスタントがまた冷めた瞳を向けてきた。
「そういえばそなたは、侯爵に懸想をしていたな……?」
 淡々とした口調で指摘された瞬間、カリスタの頬は羞恥心で一気に赤くなった。
「そ……そんなことは……断じてありません!」
 必死に取り繕うが、兄の指摘は事実だった。
 忌み子であるカリスタを邪険にせず、王女として敬ってくれたのはオーウェンただ一人だ。
 未熟な十代の小娘が、優しく見目麗しい護衛の近衛兵に恋心を抱くのは、当然だったのかもしれない。
 愚かなカリスタは、確かにオーウェンに恋をしていた。
 そして、愛されているのは自分ではなかったと知ってかなり傷つきもした。
 カリスタの中では過去のことになっていたつもりだったけれど、他者から指摘されて平気でいられるほど風化していない記憶だ。
「嘘が下手だ。……よいか、カリスタ。本日はその件について話し合いが行われる。泣く泣く別れるしかなかった二人の前で、決して喜ぶなよ」
「お兄様……私はそんなことをする人間ではありません」
 カリスタは忌み子と言われているからこそ、心まで醜くはなりたくないと思っている。
 だから、いくら実らなかった恋の相手だとしても、オーウェンの不幸を喜ぶはずはない。
「ならばいい。……それから、そなたは私を兄とは呼ぶな」
 それだけ言って、コンスタントは立ち上がり、廊下へと繋がる扉のほうへ歩きだした。
「……はい、王太子殿下」
 結局、なぜ御前会議にカリスタが出席しなければならないのかについては、一切の説明がないまま、コンスタントは立ち去った。
 部屋には三人の女官が残っている。
 無表情な彼女たちに促され、カリスタはひとまず御前会議に相応しいドレスへの着替えをするのだった。

   ◇ ◇ ◇

 カリスタは王族の中で最初に議場に到着し、皆を待つこととなった。
 王族のための席に一人ぽつんと座っているため、当然注目を浴びる。
「喪服のようなドレスだ」
「王妃陛下を殺した忌み子だから、お似合いだろう?」
 そんな声が聞こえてくる。
 王妃は産後の肥立ちが悪く亡くなってしまったのだが、それもカリスタのせいにされていた。
 王族を公の場で侮辱したら不敬罪に問われるが、カリスタだけは例外で、むしろ推奨されている気さえした。
(このドレス……本当に、この場に相応しいものだったの?)
 コンスタントが用意してくれた灰色のドレスは、かたちや生地は昼間の公式行事の着用に適した品だったけれど、とにかく地味だ。
 着飾りたいわけではないのだが、悪目立ちも望んでいない。
 カリスタは羞恥心で終始俯いていた。
 貴族たちの席が、徐々に埋まっていく。
 御前会議に出席できるのは、基本的に伯爵位以上の爵位を持ち、なおかつ国の中枢でなんらかの役職を得ている者だ。
 空席が少なくなったところで、貴族たちがざわめきはじめた。
 ヘレフォード侯爵オーウェン・コーニーリアス・アスカムが後方の入口から登場し、杖をつきながら前方へゆっくりと歩いてきたのだ。
(オーウェン……まっすぐに歩けないほど、足が悪いの……?)
 彼は黒髪にダークグレーの瞳をした見目麗しい青年だった。
 長身で身体を鍛えてはいるが、威圧感はない。
 昔は、華やかな見た目のせいで女性たちから誤解されてしまうことに悩む真面目な人だった。今も変わっていないのだろうか……。
 オーウェンは現在、二十四歳だ。負傷による療養中ではあるものの、一師団を率いる将軍である。
 そのため今日も軍服をまとっているのだが、左腕に包帯が巻かれているせいで、そちらは袖に腕を通せていない。
 右手に杖を持ち、どうにか歩けているという具合だった。
 自分に関する議題でなければ、到底出席できる状態ではなかっただろう。
「伯爵家の三男には分不相応だったな」
「調子に乗っていたから罰が当たったんだろう」
「王女殿下に気に入られて侯爵になった、男妾のような男だ!」
 隠す気もない、辛辣な中傷が聞こえはじめる。
 彼は元々、伯爵家の三男として生まれた。
 軍人として近衛部隊に所属し、一時期はカリスタの館を守る役割に就いていたことがある。
 三年前――東に位置するバルテナ国が国境を侵し戦が始まった直後、彼は前線へと志願し、大きな功績を挙げて、たった二年でこの国を勝利に導いた。
 オーウェンの献身を国王が認め、褒賞として侯爵位と所領が与えられることになった。
 さらに、完璧な王女として評判の第一王女ジョセフィンの降嫁も決まったのだ。
 降嫁はジョセフィンの強い希望だったという。
 オーウェンに侯爵という高い位が与えられた背景には、王女の降嫁先としてつり合いが取れるようにという意図があった。
 そのため、過分な褒賞だとして、不満を漏らす者も多い。
 カリスタが彼について考えているあいだに、先ほどとは別の貴族たちの噂話が聞こえてくる。
「さる筋から聞いたのだが……ヘレフォード侯爵は、第一王女の警護に不備があると主張して、見直しを要求していたそうじゃないか? それで古巣の近衛部隊に嫌われたとか」
「近衛の管轄だからという理由で、視察中の侯爵には、帯剣が許されなかったそうだ。……なんとも不運だ」
「自ら犠牲となって、近衛兵の実力不足を証明してしまうとは」
 一部、オーウェンに同情的な言葉もあった。
(剣を持っていなかった……?)
 それが事実ならば、オーウェンは本来の力を発揮できずに、己を犠牲にするほかなかったのかもしれない。
 だとしたらどれだけ悔しい思いをしたのだろうか。
 オーウェンにも貴族たちの声は聞こえているはずだ。けれど、一切表情を変えずに、姿勢よく座ったままだった。
 目が合った気がしたが、気まずくなり、カリスタのほうからすぐに逸らした。
 そうこうしているうちに第一王女ジョセフィン、王太子コンスタント、最後に国王が議場に入り、それぞれが席に着く。
 国王の登場により、会場が一気に静まり返った。
 カリスタは一度立ち上がり、王族に向かって無言で一礼をする。
 国王は愛する妃を失った原因として、カリスタをどこまでも憎んでいた。
 一応親子ではあるけれど、数えるほどしか顔を合わせていない。
 そして会うたびに「忌み子」「親殺し」だと罵られた経験しかないから、カリスタにとっては恐怖の対象だった。
 目すら合わせられず、小さく震え、どうにか失礼のないように振る舞うだけで精一杯だ。
 再び席に着いてからは、とにかく空気のように存在感を消すことだけを考えていた。
「なんだか久しぶりね、カリスタ」
 隣に座るジョセフィンが声をかけてくる。
 薄茶色の髪にエメラルドに例えられるグリーンの瞳をした、大変美しい王女だ。
 今日も華やかな赤いドレスに身を包み「完璧な王女」という評判に相応しい姿を見せているけれど、どこか悲しそうだ。
 やはり、オーウェンとの婚約解消に心を痛めているのだろう。
「はい……お姉様。ご無沙汰しておりました。私のような者には到底、お姉様のお心を推し量ることなどできませんが、一日も早いご回復を願っております」
「ありがとう……」
 やがて御前会議が始まった。
 最初の議題は、戦に勝利したことにより得られた隣国からの賠償金の使い道など、お金の話だった。
「……補修が必要な国境地帯の砦や城壁へ、もう少し予算を回していただきたく存じます」
 前列に座っている軍服をまとう壮年の男性から、そのような意見が上がる。
「軍務大臣、なにをおっしゃるのだ? 軍事費は年度の初めに決まったのだから、その範囲で運用してもらわないと困る」
 同じ列に座っている男性が反論する。
 前列に座る者たちが大臣だとするならば、もう一人の男性は財務大臣だろうか。
「しかし、その予算を決定する年度初めの会議では、補修費用は賠償金から出す予定という理由で軍事費を大幅に削減したはず! 議事録を照会しても?」
「さて、金額まで確約した覚えはございませんが……」
「なんだと……!?」
 要するに、年の初めの会議では、戦で疲弊した軍の再編費用は、敵国から支払われる賠償金でまかなうとされていた。
 交渉の末にようやく賠償金を得られたのに、軍に回ってくる予算が少なすぎるというのが軍務大臣の不満だった。
 その後も、軍務、財務の両大臣の舌戦がしばらく続く。
 すると国王が軍務大臣を制した。
「まあまあ軍務大臣。落ち着きなさい。……あちらは疲弊し、そのうえ賠償金も払わなければならないのだから数年は大人しくしているだろう。そのあいだに、ウィンスレイル王国の繁栄を象徴するなにかを造り上げることこそ、最大の抑止力となる。そうは思わぬか?」
 国王の言葉に、財務大臣が拍手を送る。
 どうやら国王は、王宮内に新しい建物と自身の像を造る計画を進めようとしているらしい。
 軍務大臣は約束が違うと言って不満そうではあるが、国王の意向には逆らえず、この話は終わった。
 次は貴族からの陳情、そして秋以降の麦の収穫についてなどの議題に移る。
 国を動かすための教育を施されていないカリスタにとっては、どの議題も知らない世界の話みたいだった。
 それでもカリスタは、国王が「大臣に一任する」という言葉を多用している部分が気になってしまう。
 無知なカリスタからしても、無責任に思えたのだ。
 時々、コンスタントが意見を出して、軌道を修正する場面があった。
(王太子殿下は……私と同じ年なのに、とても優秀なのね……)
 コンスタントはときに国王を諫め、建設的な意見を述べている。
 そのたびに、貴族たちが胸を撫で下ろしているのが伝わってきた。
 自分がもし先に生まれていたら、または双子として生まれなければ――立派な教師に囲まれて、もっと学ぶ機会を得られたのではないか。
 カリスタはつい、そんな妄想をしてしまう。
 胸の中が、醜い嫉妬に支配されていく。
(いけない……っ!)
 カリスタは心を落ち着かせて、悪い考えを追い出した。
「さて、最後に……余から一つ、残念な報告をせねばならん」
 最後の議題は、第一王女の降嫁先の件だと、誰もがわかっていた。
「ヘレフォード侯爵から、ジョセフィンとの婚約を解消したいという話があった。……余もジョセフィンも、国のために尽くしてくれた者に報いたい気持ちはあったが、苦渋の決断で、侯爵の決意を尊重することにした」
 国王の言葉を聞いたジョセフィンは、瞳から涙をあふれさせた。
「丸一日昏睡状態に陥るほどの怪我を負った侯爵を……わたくしはずっと支える覚悟をしていたというのに……!」
 ジョセフィンの頬に涙が伝う。
 これから別れなければならない二人が見つめ合う。
 悲しそうなジョセフィンに対し、オーウェンからはなんの感情も読み取れない。
 心をひた隠しにしているのだろうか。
 やがてオーウェンが静かに口を開いた。
「……発言をお許しいただけますか? 陛下」
「よかろう」
 オーウェンは、よろめきながらも杖を支えに立ち上がった。
「降嫁したあとも、ジョセフィン王女殿下がこの国で最も高貴な女性であることにはなんら変わりはありません。そのお立場ゆえに、夫となる者には公式行事に同伴し、尊き王女殿下を守る義務が生じると、私は考えます」
「それは……当然だ。余もそう思う」
 王妃は故人であり、王太子妃はまだいない。
 少なくとも王太子コンスタントが妻帯者となるまでは、ジョセフィンがこの国で最も高貴な女性のままであり続けるのだ。
「残念ながら、後遺症によりその役目がまっとうできない可能性がある今、辞退するのが筋です。どうか、力不足の私をお許しください……」
 そう言って、オーウェンは深く頭を下げた。
「あぁ、ヘレフォード侯爵!! ……あなたの決意は変わらないのですね?」
 涙を拭い、まっすぐにオーウェンを見つめるジョセフィン。
 その姿に胸を打たれた何人かがもらい泣きをしてしまう。
 しんみりとした雰囲気の議場で、次に言葉を発したのは国王だった。
「だが、一つ問題がある。……戦の褒賞として王女の降嫁を約束してしまったし、怪我の原因も王女を庇ってのこと。余としては、報いる方法を考えてはいるのだが……どうしたものか……」
 大げさに首を傾げる。
 すると、意見したのはコンスタントだった。
「父上、王女を降嫁させる約束ならば、第二王女を嫁がせればよいのでは? 褒賞を定めた書類には、王女の名は記されておりません。……そうだろう、ヘレフォード侯爵?」
 カリスタは一瞬、兄の言葉が理解できなかった。
(第二……王女……? つまり、私……!?)
 王女として扱われていなくても、ジョセフィン以外に王女の称号を持つ者はカリスタしかいない。
 尊いジョセフィンの代わりに、忌み子のカリスタを嫁がせるなんて、明らかに「報いる方法」ではなかった。
「王太子殿下からのご提案、大変ありがたく思います……」
 オーウェンは相変わらず、一切の不満を顔に出さない。
 おそらく彼も、事前にこうなることを知っていたのだ。
 きっと屈辱による怒りをひた隠しにし、国王と王太子に従おうとしている。
(あぁ……私……こんなことのために呼ばれたの……? オーウェンを貶める道具になってしまったんだわ……)
 それくらいしか使い道がない、名ばかりの王女だと思い知る。
「うむ。これで丸く収まりそうだな。……そこの第二王女も、よいな?」
 カリスタは国王から問われても返事ができなかった。
 王家は、武人としての力を失ったオーウェンを、あっさり切り捨てたのだ。
 議場に集まる貴族たちはきっとこれが茶番だったことに、もう気づいている。
 初恋の相手と婚約できても、それが姉を想っている人だったら、まったく嬉しくない。
 それどころか彼にとってカリスタは、王家に見捨てられた象徴となってしまう。
「返事もまともにできないとは……! 情けない」
 負傷により以前と同じような活躍が見込めないとしても、オーウェンは国の英雄だ。
 情けない娘だと思うのなら、そんな者を彼にあてがうのはやめてほしい。
 そう思っても結局、カリスタは抗議する力を持っていなかった。
 そのまま御前会議は終わってしまう。
「……カリスタ……顔が真っ青よ? ……あぁ、でも……わたくしのことを愛している殿方と結婚しなければならないなんて……具合が悪くなっても仕方がないわね。……本当に、ごめんなさい……」
 唯一、ジョセフィンだけは気遣ってくれたが、喉が詰まり、言葉が出てこない。
「ヘレフォード侯爵、こちらへ」
 貴族たちが席を立ちはじめた中、コンスタントの声が響く。
「はい、殿下……」
 オーウェンが立ち上がり、不安定な足取りで近づいてくる。
「カリスタを送ってやれ」
「かしこまりました……カリスタ王女殿下、どうかこちらへ」
 また議場がざわついた。
 左手には包帯が巻かれ、右手には杖――手を差し出すことすらできない男が、真っ青な顔の王女を送るという。
 周囲には、どれほど滑稽に映るのだろうか。
 けれど、カリスタに拒否権はない。
 ここで断れば、オーウェンを「第二王女にすら拒絶された哀れな男」にしてしまう。
 彼の立場をこれ以上悪くすることだけは、どうしても避けたかった。
 だから立ち上がり、己を鼓舞して歩きだす。
 貴族たちから向けられる視線が嫌で嫌で仕方がない。
 動揺のせいで、さらに血の気が引いていく感覚はあるけれど、倒れるわけにもいかなかった。
 カリスタはゆっくりと歩を進めるオーウェンに合わせ、そのまま議場をあとにした。
 建物の中を通り、庭園に出たところで、人の気配がなくなる。
「少し、疲れてしまいました。……休みましょう」
 ベンチを見つけたカリスタは、そう言ってから先に座った。
 オーウェンもすぐに隣に腰を下ろす。
 こんなふうに二人で同じ景色を眺めるのは、約一年ぶりだ。
「あの……ヘレフォード侯爵……」
「この瞬間から、私はあなたの婚約者です。すぐにでも婚儀を挙げるのですから、以前のように名前でお呼びください、姫様」
 それは久々に聞いた懐かしい呼び名だった。
 オーウェンは近衛兵だった時代から、なぜかカリスタのことを「姫様」と呼ぶ。
 昔はそう呼ばれるのが好きだった。
 今はただ、チクリと胸が痛むだけだ。
「……オーウェン……もう、足は治らないのですか?」
「主治医はなんらかの後遺症は残るだろうと言っておりました。このような者が夫で、姫様もさぞご不満でしょう」
「足が不自由だから不満……というわけではありません。……私……私はっ!」
 カリスタの不満は自分自身と王家に対して向けられたものだ。
 国を勝利に導き、つい先日我が身を省みず尊き第一王女を守った彼を、王家は切り捨ててしまった。
 さらに、存在そのものを否定されている忌み子まで、彼に押しつけた。
 そのことがひたすらに申し訳ない。
「では、私がお気に召さないからそのようなお顔をされているのですか? ……嫌われるようなことをした自覚はあるので、甘んじて受け入れますが、決定は覆りませんからそのおつもりで」
「そういう話ではありません! オーウェンは、こうなるとわかっていて……先ほどの茶番に付き合ったのですか? ……人を貶めるための、悪意しかない場でした! 英雄で、王族の恩人なのに……どうして……?」
 カリスタは思わず大声を出してしまった。
 彼には受け入れる以外の選択肢がなかったとわかっているのに、あまりにも平然としているから、つい憤ってしまう。
 せめて、カリスタの前では不本意だったと本音を語ってくれたらいいのに。
「そのように約束しておりましたので」
 今日、本来ならば御前会議に出席するはずのないカリスタを呼び出し、重要なところで意見して流れを作っていたのはコンスタントだ。
 だから、オーウェンが約束した相手とは、コンスタントなのだろう。
「王太子殿下は……私に無関心な方だと思っておりました。そして、とても賢く立派な次期国王だと……そう思っていたのに……」
「王太子殿下にもお考えがあるのでしょう。……姫様もそのうちに、殿下の真意をおたずねになってみてはいかがでしょうか?」
 たとえ今が二人きりだとしても、オーウェンは徹底して王族への不満を口にしない。
 カリスタも、不敬罪に問いたいわけではないから、この話を続けるべきではなかった。
(こんなことになったせいで……昔は普通にしていた他愛もないおしゃべりが……できなくなってしまったわ……)
 カリスタにはまだ彼と結婚するという実感が湧かない。
 このままでは、抵抗できずに流されて、夫婦となってしまう。
 それは、互いにとっての不幸となるに決まっていた。
 とりあえずカリスタには状況を整理し、これからを考える時間が必要だった。
 だからベンチから立ち上がる。
「……ここまでで結構です。オーウェンは戻ってください」
「きちんとお住まいまで見送るのが私の役目です。怪我のことは問題ありません。……医師からも回復のための運動を推奨されておりますから」
 そう言って、彼も立ち上がってしまう。
 あまり歩かせないほうがいいと考えて、ここで別れようとしていたカリスタだが「医師の推奨」という言葉で先回りされてしまったので、なにも言えなかった。
 気まずい雰囲気のまま、再び住まいへ向かって歩きだす。
 つい一年前まで、オーウェンと一緒にいるときは、言葉などなくても楽しめたのに、すっかり変わってしまった。
 彼の身体を慮って普段よりもゆっくり歩いているせいで、館までの時間が本当に長い。
 それでもどうにかエントランスまでたどり着く。
 館の前には護衛兼監視役として近衛兵が一人立っているのだが、とくに出迎えの挨拶などはしてくれない。
 だからカリスタは自ら扉を開ける。
「わざわざ送ってくださって、ありがとうございました」
 その言葉で、オーウェンに対してここまででいいことを伝えたつもりだった。
 けれど、彼は無言のままカリスタに続き、壁に杖を立てかけてから、扉を閉めてしまう。
「オーウェン? 本当に、ここまでで……」
 帰ってほしいと言いかけたけれど、オーウェンに見つめられて言葉に詰まる。
 いつの間にか腕が掴まれていた。


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