書籍詳細
運命の恋じゃなくてもいいから
| 定価 | 1,320円(税込) |
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| 発売日 | 2026/04/24 |
内容紹介
立ち読み
――――女の子の夢は、一瞬で終わることだってある。
「最近、ずっとあのイケメン先生が来てる、嬉しい!」
「うん、うん! まだ結婚してないみたいだし、本腰入れちゃおうかな? どっちが選ばれても恨みっこなし!」
うふふ、あはは、と話すのは非正規雇用の新卒の二人だ。
正規雇用の公務員である図書館職員、三上(みかみ)瑠璃(るり)は二人の話を聞きながら、ただ黙々と自分の仕事をしていた。
彼女らの視線は自習室の一部を使い、大人相手に書道を教えている男性の先生に釘付けだ。
二人は大学卒業後、一年間の契約で人手の足りない都運営のこの図書館で働いている。
通常の図書館業務をきちんとやっているけれど、可愛い顔をした若い二人は、ひとたび話し出すと、止まらない。仕事にも慣れたこのごろでは、上手なさぼり方も覚えたらしい。
しかし、まぁいいか、と瑠璃は心の中で呟く。親しい職員がいたら、そんな話をしたくなる気持ちもわからなくはない。
彼女たちとはすごく年が離れているわけではないけれど、その感性が若干羨ましく思う。
そろそろ入職して八ヶ月目で、来年度も一応雇用継続が決まっていた。それというのも、産休後退職した人がいたり、別の職員も異動が決まったりしたためだ。
キャピキャピという擬態語が似合っている彼女たちは、書道の先生が来る日を心待ちにしている。
仕事はまぁしてくれるけれど、なんだかなぁ、と思うこのごろだ。
お目当ての彼は週に一度ある、大人のための書道教室の講師である。都のカルチャースクールではあるが、本格的なもので人気がある。欠員待ちがあるほどだ。
もともとは、彼の恩師である書道界では有名な、笠原(かさはら)優三(ゆうぞう)先生の教室だった。だが、最近は忙しいらしく、自分が来られないときは、別の書道家に頼むということになった。
今日はその若い彼が担当で、習いに来ている人はもちろん、図書館職員の女性も沸き立っている。なんなら、図書館の利用者も浮足立ち、男性もチラチラ見るという現象が起こっている。
最近書道を始めたという女性の一人は、彼の熱心なファンであり、いつも頬を染めている有様だ。
当初は一ヶ月に一度だったのが、二度になり。いずれ笠原優三が戻ってきて全てを受け持つことが決まっているが、現在は月に二度、代打をしている状態だ。
その彼は土谷(つちや)水晶(すいしょう)という雅号を持つ書道家である。
彼は以前一度だけという約束で、テレビで芸能人の書を指導したことがあった。そこで彼は、書かれた字からその人の性格と特徴を的確に指摘したのだ。
たまたまその番組を視聴していた瑠璃は、感心したことを覚えている。
その後先生だったらどう書きますか、と尋ねられて筆を取ったのだが、まず手本に忠実な規範となる文字を書き上げたあと、それとは全く異なるまるで筆に魂が宿ったような大胆な筆を走らせ、すごいと驚きに目を見張った。後日知ったのだが、その日のSNSでも大きな話題となったらしい。
また彼の容姿も相乗効果となり、土谷水晶は書道家として全国的に有名になった。
およそ書道をやっている人なんて、運動などしていなそうなのに、筋肉がついたしっかりとした身体をしている。また、姿勢が良く背も高い。
顔立ちはまるで美形俳優。
鼻も高く、眉も目も意志が強そうだが、品のある雰囲気だ。
唇は薄めで整っており、笑ったら魅力的だろうが、あまり表情を崩さない。だからかえって、クールだと女子に評判が高い。
「柴田(しばた)さんと梨本(なしもと)さん……どっちが選ばれても、ね……すごいな、若い力」
思わずボソッと言ってしまった。とても瑠璃には思いもつかない言葉と感情だった。それくらいの気概があったら、自分の人生はもっと違っていただろう。
「土谷水晶は雅号で、本当は土谷晶(ひかる)っていうらしいよ? 水晶の晶でヒカルって読むんだって! 光る君かよ、って感じじゃない?」
「えー! 名前似合うー!」
キャッキャッ、ウフフ、と浮かれている様を、なんだか遠い目で見てしまう。
しかし、楽しそうだからそれはそれでいい。仕事に楽しみを見つけるのは良いことだ。
「三上さん、土谷先生の本当の名前、知ってました?」
不意に話を振られて、瑠璃はとりあえず笑顔を浮かべた。
「うん、まぁ……笠原先生から聞いてたから。テレビでも一度見たことがあるし」
「そおなんですか? やだ、知ってたら下の名前早く教えてほしかったです」
そおなんですか、という言い方がたった五歳しか違わないのになんだか若い。
ちなみに彼女は柴田さん。結構可愛くて、丸い唇がキュートだと思う。
この図書館は他と比べて珍しく、既定のパンツスタイルの制服を支給されている。彼女たちのお喋りを聞きながら、瑠璃がエプロンの肩紐を軽く直していると、思ってもみないことを質問された。
「三上さんはどう思います? ああいう人が彼氏だったら最高だと思いませんか?」
この子は梨本さん。美人系で、目元がスッとしていて綺麗だ。ピンクのアイシャドウがよく似合っているし、アイライナーが引きやすそう。
「そうね……でも、わたし、一年前……結婚破談になったし……そういうのはまだ考えられないかな……」
瑠璃が笑うと、あ、という顔をして二人は口を噤んだ。
彼女らが入職する前に、瑠璃は結婚式場まで予約をしていた相手と破談になった。瑠璃自身に非があってそうなったのではないが、今では図書館の職員、全員が知っている事実だ。
普通なら彼女らが知るはずはないのだが、ある意味スキャンダラスなことだ。いまだに誰かがちょっとした拍子に、ポロッと喋ることもあるのは知っている。
自分としては結果的に破談になってよかったと思っているし、当時を顧みると結婚を決めた直後からずっと、婚約者の心は瑠璃になかったように思い出される。
結婚式の招待状もすでに出していたのだが、破談になったので急遽、瑠璃側だけ結婚式中止の旨を伝えることとなった。
しかし、新郎側は、招待した友達はそのままに、花嫁だけを挿げ替えた。
相手が妊娠しているとなっては、瑠璃は何も言えず、引き下がるしかなかったのだ。
「すみません、私たちだけはしゃいで……」
柴田と梨本はシュンとした。
契約更新が決まったからなのか、だいぶ気のゆるみが出ているようだ。私語に答えてしまった瑠璃も瑠璃だが、問いかけられたので、仕方がない。
彼女らは全く仕事をしていないわけじゃないのだから。
「いいの。私って、結婚がしたかっただけのようにも……今は思えるしね」
やや強気ではあるが、結婚がしたかっただけ、と答えれば少し気が楽だ。
気にしないで業務に戻って、と瑠璃が言うと、二人は黙礼をして去って行った。
恋人となって一年たち、プロポーズをされたときは本当に嬉しかった。
付き合っている当時の彼は優しく、いろいろ考えてデートしてくれたり、ちょっとしたサプライズをくれたりしたのはとても嬉しかった。だから、笑い合い、お互いを尊重して穏やかな家庭を作っていけると思っていた。
結婚に踏み切ったのは、両親が世間体を気にするタイプだったからでもある。
だから瑠璃もまた、年頃になれば結婚して幸せであるべきだと、考えていた。
もちろん破談となった彼は好きだったし、結婚生活は好きな相手と、ただ落ち着きのある生活が続いていくのだろうと思っていた。
彼もまた同じような気持ちで結婚を決めたのだと信じていた。でも本心では、それじゃ我慢できなかったみたいだった。
ただ好きというだけではなく、もっと燃えるような恋をしたくて、いつでも恋人気分でいたかったらしい。
けれど瑠璃は節度ある関係を保ちたかったし、できない要求はきちんと話して断ることもあった。彼は不満を言うことはなかったし、こうして話し合いながら二人の人生が続いていくのを、疑いもしなかった。
そうしているうちに、彼の心からの欲求を満たす相手が現れたというわけだ。
瑠璃は彼にとっては平穏すぎた。彼の方は瑠璃で妥協してしまったのがいけなかったと言った。
破談になったということで、一応折半で出していた結婚費用は戻してもらったし、結婚が決まってからの浮気なので慰謝料ももらった。
でも、本当はきちんと二人で話し合い、問題があれば二人で解決したかった。
ただそれだけ、平凡な幸せがいい。
今でも、そう思っている。
「燃える恋、ね……普通がいいのにな。いい人だったけど……いくらなんでもはっきりと、私との結婚は妥協だったなんて言葉はないよね……不満があるならきちんと話してほしかった」
この続きは「運命の恋じゃなくてもいいから」でお楽しみください♪