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恋を禁じた転生令嬢は、上官の王弟殿下の寵愛から逃げられません

佐木ささめ / 著
藤浪まり / イラスト
定価 1,320円(税込)
発売日 2026/03/27

内容紹介

転生したゾフィーは貴族の家に生まれたが誘拐され、孤児院で平民として育った。前世の知識と才覚で官吏になり、王弟エリアスの直属部下に抜擢される。彼の優秀さと優しさに惹かれながらも、身分差から恋心を封じていた。またエリアスも、妃にすれば彼女は社交界の悪意に晒されると、一途な想いを告げられずにいた。しかしゾフィーに領地への帰還命令が下され、王宮を去る決意を迫られる。エリアスは「私を頼れ」と手を差し伸べ、ゾフィーもエリアスも想いを隠すのをやめる。「私も君が好きだ。愛している」身分差を理由に恋を諦めてきた二人が、その夜ついに一線を越えて熱く切ない夜を過ごして――!?

立ち読み

第一章


 フェリンヴァイク王国には、王族が住まうメディルリンク宮殿の西側に王国議事堂がある。
 社交シーズンの終盤となる七月下旬、幾度も審議を重ね、先送りされ続けていた議案が否決された。賛成派は顔をゆがめて不快感を隠そうとしないが、反対派は満面の笑みで拍手する。
 王族席の後方に控えるゾフィー・ウルヒラ行政官も、拍手をしながら安堵(あんど)の息を吐いた。
 ――ようやく否決されたわ。長かった。
 王都は現在、人口の増加と流入によって過密状態が続き、街を囲む市壁(しへき)の外側に新たな街が広がりつつある。そのため第二の市壁――外壁(がいへき)を建設するかどうかの審議が行われていた。
 国王および行政府上層部は、莫大(ばくだい)な予算と年月がかかる外壁の建設に反対している。なにしろ外壁を建設した場合、完成まで二十年以上はかかるとの試算が出ているのだ。現王の治世(ちせい)で工事は終わらないだろう。
 しかも長い年月の間に戦争が起きれば、人夫(にんぷ)の減少で完成はさらに遠のき、戦費の増加で建設が中断する恐れもある。
 そして今は剣と弓で戦っていた騎士の時代が終わり、銃と火砲が主流になりつつある。進化した武器の前では防御壁の効果は著しく下がっているのだ。まだ王都の市壁を破壊できるほどの攻城砲は存在していないが、外壁を建設している間に完成する可能性は高い。
 ならば外壁は諦め、浮いた予算で新しい警邏(けいら)隊を創設し、広がりつつある街を守らせた方が安上がりだ。
 しかし国王の案は、賛成派――外壁の建設を望む貴族たちの根強い抵抗に遭(あ)っていた。
 外壁が建設されるなら国から莫大な資金が投入される。大規模工事を請け負える資本家は貴族と結びついていることがほとんどで、おいしい仕事を手に入れたい貴族たちは外壁の建設に賛成していた。
 それに外壁は防衛だけでなく、王権の威光を誇示する意味もあるため、工事に関わらない貴族からも賛成の意見は少なくなかった。
 そこで社交シーズン中、行政官らは反対派を増やすために社交場へ足しげく通い、説得や根回しに駆けずり回っていた。
 ゾフィーもその一人である。慣れない貴族服を着て、上官や同僚とともに何度も夜会へ出席する羽目になった。
 ――本当に大変だったわ。外壁が造られなくっても新都市の整備はあるんだから、そっちで利益を出せばいいでしょうに。
 まあ貴族は貪欲なので、外壁も新都市の整備も両方ともやりたいと望んでしまうのだろう。
「――お疲れさま、ウルヒラ行政官」
 議会終了後、王族席から退席する上官――御年(おんとし)二十七歳になるエリアス王弟殿下にねぎらわれて、ゾフィーはすぐさま背筋を伸ばす。
「殿下こそお疲れさまでございました。次は都市計画の立案ですね」
「これもまた難題だな」
 市壁の外に広がりつつある居住地を整備し、学校や兵舎、公園、墓地、各種研究所などの公共施設も建てなければならない。教会関係者からは、新しい聖堂を建設する請願書も届いている。予算の確保もしなくてはならず、考えることは山のようにあった。
「まあ、今日ぐらいは祝杯を挙げよう」
「いいですね。皆さんも喜びます」
 エリアスの執務室にいる部下はゾフィーを含めて九人いて、全員が酒好きだ。そして王族がご馳走(ちそう)してくれる酒は、ゾフィーの俸給(ほうきゅう)では手が出せない逸品であることが多い。
 楽しみだわ、と胸を弾ませたとき、議場(ぎじょう)から出てきた中年の紳士に気がついた。
 バルメック伯爵だ。ゾフィーは思わず足を止めて彼を見つめてしまう。
「――また伯爵を見ているね」
 エリアスに指摘されてハッとする。
「申し訳ありません。でも見ていたのは絵画ですよ」
 わざとらしく壁に飾られた静物画を指せば、エリアスはおかしそうに笑っている。
「そういうことにしておこうか」
 笑いながら執務室へ向かう上官の後を追いつつ、ゾフィーはちらっとバルメック伯爵の後ろ姿へ視線を向ける。
 ――あの人は父親なんです。
 そう心の中で呟(つぶや)いて、名残惜しげに視線を外した。

   ◇   ◇   ◇

 ゾフィー・ウルヒラは孤児だ。二歳の頃、北部の男爵領にある孤児院へ捨てられた。
 ゾフィーという名前も、保護してくれた孤児院の院長がつけてくれた名前になる。本名は分からず、洗礼名のウルヒラを姓として名乗っていた。
 天涯孤独(てんがいこどく)の平民であるが、実はゾフィーは貴族の生まれだ。そしてゾフィー自身もそのことを知っていた。
 二歳の誕生日を迎えた当日、恐ろしい形相をした女性に屋敷から攫(さら)われたのだ。口を塞(ふさ)がれて麻袋に詰められ、荷物のように乱暴に運ばれる恐怖で気を失い、夢の中で不思議な光景を見た。
 それはこの世界とは違う、もっと文明の進んだ国で暮らしている自分の姿だった。その世界の自分は乳がんのため三十一歳で亡くなっていた。
 滝のように流れ込んできた一人の人間の歴史は、幼児が受け止めるにはあまりにも重すぎて高熱を出してしまう。それから夢と現(うつつ)を行ったり来たりしているうちに、目が覚めたときには孤児院にいたというわけだ。
 不思議な記憶は生まれる前……恐らく前世というものなのだろう。二歳児の体にアラサーの意識が宿ってしまった。
 でもそのおかげで、屋敷から攫われる前後のことを明瞭(めいりょう)に覚えていた。お嬢さまと呼びながら世話をしてくれる乳母や侍女(じじょ)たちと、明るくて広い、孤児院とは比べるのもおこがましいほど豪奢(ごうしゃ)な部屋にいたことを。
 そして攫われる直前、愛(いと)しげに見つめてくる男女の顔もよく覚えている。
『ふふっ、いつ見てもかわいいわね。わたくしの天使』
『この子の瞳の色は本当に君とそっくりだな。綺麗な空色だ』
『ええ、でも髪の色は誰に似たのかしら? わたくしともあなたとも違うのよね』
『何代か前の祖先にいたはずだよ。プラチナブロンドは成長するにつれて色が変わるというから、未来は私たちに似た色になっているかもしれない』
『そうね。楽しみだわ』
 ……たぶん、この二人は両親なのだろう。あんな愛しくて仕方ないという表情とまなざしでゾフィーを見るのだから、きっと間違いない。
 ――あの人たちが、私のお父さんとお母さん。
 彼らは娘が攫われて悲しんだだろう。あれから二十一年がたっているから、もう死んだと諦めているかもしれない。
 でもゾフィーは生きているのだ。彼らにそのことを知ってほしい。けれどそう考えるたびに、ブラウンに変化した己の髪を見て肩を落とす。
 孤児院にいた頃は確かにプラチナブロンドだったのに、少しずつ髪色が濃くなり、今ではかつての面影(おもかげ)は残っていない。記憶の中の父親も、成長するにつれて色が変わると言っていたが、変わり過ぎではないだろうか。
 朝の身支度(みじたく)をするとき、ゾフィーは髪を結うために鏡を見ていつも夢想する。この髪がプラチナブロンドのままだったら、両親へ「私はあなたたちの娘です」と言えたかもしれないと。
 身元を証明するものが何一つないゾフィーにとって、外見は家族につながる唯一の希望だ。しかし記憶にある両親と自分は特に似ていないし、髪色がここまで変化したら彼らも娘だとは思えないだろう。
 ――前世のようにDNA鑑定があれば、私も一人ぼっちじゃなくなるかもしれないのに。
 そんな叶わない夢を、今朝もブラシで梳(と)かして床に落とす。そして地味な服――詰襟(つめえり)で装飾がほとんどない、メイドのお仕着せみたいな紺色のデイドレスに着替え、宿舎を出るとメディルリンク宮殿へ向かった。

 王国行政長官室。ここが王弟エリアスの執務室で、ゾフィーの職場になる。
 まだ誰も出仕してないだろうが、念のためノックをして入ろうとしたところ、ちょうどメイドの女性たちが室内の掃除を終えて退室してきた。
「おはようございます。皆さま方、いつもありがとうございます。よければこちらをお持ち帰りください」
 ゾフィーは笑顔で挨拶(あいさつ)しながら、蝋引き紙(ワックスペーパー)に包んだキャラメルを渡す。
「まあっ、ありがとうございます、ウルヒラ行政官」
「これはなんですか?」
「キャラメルという柔らかい飴(あめ)です。歯にくっつきやすいので、食べた後は歯を磨くか口をゆすいでくださいね」
 メイドたちはきゃあきゃあ言いながら次の清掃部屋へ移っていった。かわいらしい様子にゾフィーは口元をほころばせて執務室に入る。自席の椅子に座ろうとした直前、隣の休憩室からシャツとトラウザーズ姿の上官が出てきて目を瞠(みは)った。
「おはようございます、殿下。まさか泊まったのですか?」
 話しながら隣室へ続く扉へ目を向ければ、エリアスはあくびをしながらうなずいた。王族の振る舞いとは思えないが、眉目秀麗(びもくしゅうれい)な人なのでそんな仕草もさまになる。
「ゆうべ陛下に呼ばれて遅くまで飲んでいたんだ」
「客室で休めばよろしいのに」
 執務室に併設されている休憩室など、ベッドが置かれているだけの簡素な部屋だ。王弟殿下が使う場所ではない。
「まあ、色々あってね」
 自席に着いたエリアスが唇の端をつり上げて皮肉そうに笑う。この表情をしたときは内心で複雑な感情を抱えていることが多いため、ゾフィーもこれ以上は聞かなかった。
「それより君、メイドたちの声が聞こえてきたけど、また何かあげたの?」
「はい。お菓子です。殿下も召し上がりますか?」
「食べる」
 休憩時のおやつに残しておいたキャラメルを一つ、上官へ渡す。本来なら王族の口に入るものは毒見が必要だが、エリアスは部下を信用しているので省略だ。
 お茶を入れようと給湯室へ移動し、小型ガスコンロに水を入れたやかんを置く。……コンロを見るたびにゾフィーは違和感を抱き、毎回同じことを考えた。
 ――この世界って歴史でいうと、中世から近世に移る時期に似ているのよね。でもガスコンロなんてものもあるし、王都と地方都市には上下水道もある。しかも医学がやけに発展して、トンデモ医療は存在していない。その割には火薬の実用化はすごく遅くて、ちょっと前まで騎士が剣で戦っていた……ちぐはぐなのよね。
 まあ世界が違えば歴史や文明、科学の発展の具合も異なってくるのだろう。深く考えず、沸騰したお湯で紅茶をいれて執務室へ戻る。
 上官にお茶を出すと、彼は広げたワックスペーパーをひらひらと掲げた。
「おいしいね、これ。陛下に渡す分もある?」
「あります。どうぞ」
 残っていたキャラメルを、執務室の人数分だけ残して全部渡しておく。
「ちなみにこのレシピって誰かに渡した?」
「はい。とあるご令嬢に」
 ゾフィーは前世の知識としてある、お菓子や化粧品のレシピなどを貴族令嬢に無償で渡している。ボランティアではなく、ごますりを兼ねて恩を売っていた。
 ゾフィーは吹けば飛ぶような虫けら同然の平民だ。しかも小娘で天涯孤独。後見人はいるが地方の男爵なので、影響力はないに等しい。貴族が多く集まる王宮で働いていると、ゾフィーなど好きに扱(あつか)ってもいいと考える舐(な)めた貴族が少なくない。身を守るためには権力を持つ貴族の力が必要だ。
 ただ、女のゾフィーが男性貴族に媚(こび)を売ると危険なので、淑女(しゅくじょ)にターゲットを絞り、彼女たちが喜びそうなネタを提供している。女性が好むものはどの世界でも同じようで、美容や服飾、恋愛、甘いお菓子といったものだ。
 ――貴族女性の力って侮(あなど)れないのよね。
 この国は女性にも王位や爵位の継承権があり、その地位は諸外国より高い。夫婦単位での社交が基本とされる貴族社会において、女性貴族の影響力は男性貴族とニアリーイコールだ。ゾフィーを気に入る貴族女性が増えれば増えるほど、王宮で居丈高(いたけだか)に接してくる男性は少なくなる。
 しかしエリアスは、ゾフィーのそういった処世術(しょせいじゅつ)をお気に召さないから難しい。
「貴婦人に頼らなくても私が守ってあげるのに。何か問題が起きたら私に言いなさい」
 お茶を飲みながら不機嫌そうに呟く彼の表情が子どもっぽい。ゾフィーは小さく笑って曖昧(あいまい)にうなずいておく。確かに王弟殿下の庇護(ひご)はありがたいのだが……
 ――エリアス殿下が王女だったら良かったんだけど。
 二十七歳になる彼は、政治的な事情があって恋人も婚約者もいない。だが端整な顔立ちの蠱惑的(こわくてき)な美男子で、王族の中でも高い人気がある。特に艶(つや)のある金髪は神々(こうごう)しく、青い瞳は雄大な海のようで実に美しい。さらに言えば温厚な性格で人当たりも良く、貴人特有の傲慢(ごうまん)さは薄い。
 そろそろ婚約者を決めるのではないかと囁(ささや)かれているため、エリアス殿下と結婚したら幸せになれるだろうと、貴族女性たちから期待の目を向けられている。結婚適齢期の令嬢たちにとって、婚姻したい紳士ナンバーワンだ。
 そんな完璧イケメンから庇護されていたら、女性陣の敵意を集めまくってしまう。ゾフィーが貴族女性のご機嫌取りをするのは、王弟殿下とは上官と部下の関係でしかないですよ、と釈明(しゃくめい)する意味もあるのだ。
 たとえゾフィーが彼に恋していても、それが叶うことは永遠にないのだから。
 ――代わりはいくらでもいる最下層の平民と、神から権威を与えられた至高(しこう)の王族じゃあ愛人関係にもならないわよ。よくて性奴隷? いや、殿下は部下に手を出す方じゃないけど。
 本当に自分はエリアスの部下でしかない。けれど彼のそばにいる女性がゾフィーだけなのと、エリアスがゾフィーを側近の一人にしたため、令嬢とその親たちが警戒するのだ。
「――おはようございます、早いですね、殿下、ウルヒラ行政官」
 執務室の官吏(かんり)たちが登庁(とうちょう)してきた。ゾフィーは彼らにもキャラメルを渡して自席に着く。
 いつもと同じ忙しい一日が始まろうとしていた。

 王都市壁の外側に広がりつつある街を整備するため、新都市の設計、および開発を目的とした臨時組織――都市計画課を立ち上げることになった。
 これはゾフィーが提案したことで、前世でいうプロジェクトチームになる。各部局を横断して人材を招集したのは初めての試みだ。
 今までの大規模事業では専門の部局がそれぞれ計画し、伝達・調整を図(はか)る部署が関係各所を飛び回ってまとめていた。しかし電話もメールもない世界なので、伝達がうまくいかないとトラブルが起きて責任の押し付け合いになったり、調整役の官吏がストレスで倒れたり、と問題も多かった。
 そこでゾフィーは、プロジェクトチームを作ろうと考えたのだ。
 エリアスをプロジェクトマネージャーにして、土地を担当する部署から測量士を、上下水道を管理する部署から技術管理官を、と専門知識を持つ官吏を集めて臨時組織を立ち上げた。
 とはいえ初めての試みに、保守派の高位貴族は難色を示した。が、最終的な責任はエリアスが取ると聞いて手のひらを返していた。持つべきものは身分の高い理解ある上役(うわやく)である。
 プロジェクトチームの発案も、ゾフィーではなくエリアスの案ということにしてもらった。政治の中枢(ちゅうすう)で何か新しいことを始めると、とにかく一度はつぶしてやるという勢力が現れるものだが、王族の威光の前に蹴散(けち)らされた。
 ゾフィーもエリアスの側近として参加することになったので、キックオフミーティング――プロジェクト開始時に開く会議――までに体制図と組織図を作らねばならない。
 都市計画課に引っ張ってくる人材の招集状を、エリアスへ束にして提出する。彼はサインをしながら一枚の書類を差し出してきた。
「今、新人が研修で各部署を回っているだろ。都市計画課でも勉強させてくれとのことだ」
「かしこまりました」
 今年の新人たちの名前に目を向けたゾフィーは、ある人物のところで視線が止まる。
 ダヴィッド・ローレンツ・バルメック伯爵令息。弟の名前だ。
「どうかした?」
「あ、いえ……第二王子殿下が研修にいらっしゃるから、驚いて」
 研修申請の欄には、ニコラウス・レオ・フェリンヴァイクの名前もあった。国王アウグスト四世の次男で第二王子、エリアスの甥っ子だ。
 そういえば彼は王立貴族学院を卒業し、官吏登用試験の中でも最難関になる行政官登用試験に合格したと聞いたことがある。興味がないので聞き流していたが、王子でも研修から始めるのだと感心した。
 エリアスがすべての招集状にサインし終え、ゾフィーの手元に書類の束が戻ってくる。
「そうそう、新人のバルメック伯爵令息はニコラウスの側近候補なんだ。研修中はなるべく同じ仕事を割り当ててくれ」
 かしこまりました、と返事をして招集状を関係各所へ届けに行く。歩きながら、弟も社会に出てくる年齢なんだなあ、と親戚のおばちゃんみたいな気持ちを抱いた。

   ◇   ◇   ◇

 ゾフィーが弟――ダヴィッドを初めて見たのは、王立貴族学院の高等科三年に進級したときのことだ。その頃はまだ、バルメック伯爵令息が弟だと分かっていなかった。でも記憶にある父親と瓜二つだったので、すれ違ったとき思わず振り向いて二度見したほどだ。
 五歳年下のダヴィッドは当時十二歳の少年だったが、間違いなく父親との血のつながりを感じさせた。栗色の髪と新緑の瞳も同じで、ひどく懐かしかった。
 ――あの子は私の弟かもしれない。
 と思ったけれど、平民が貴族の令息に理由なく近づくことは無礼になる。さらに、「私はあなたの姉かもしれないのです」と主張したら、頭がおかしくなったと学院を退学させられるかもしれない。それぐらい貴族と平民の間には身分差があった。
 その平民であるゾフィーが、なぜ王立貴族学院に通っているかといえば、後見人に勧められたからだ。
 ゾフィーは二歳で親元から拉致(らち)されるという最大の不幸に見舞われたが、幸いにも捨てられた孤児院は環境が良かった。
 その地の領主――ベレント男爵が元行政官で教育に熱心な方だったから、領主邸の別館を図書館にして領民に開放し、読み書き計算も教えてくれた。身寄りのない孤児が生きていくためには教育が必要だと、その手助けをするのは領主の責任だと言っていた。本当に素晴らしい方だ。
 ゾフィーは前世の記憶を思い出したことで意識は大人である。しかも社会に出ていたアラサー。
 そのためこの世界の文字を覚えると図書館の本を読みつくし、周りの孤児たちから頭一つ抜きん出た存在になった。まあ、当たり前であるが。
 ベレント男爵は頭角を現したゾフィーを神童(しんどう)だと褒めたたえ、身元保証人になって平民学校へ通わせてくれた。そこは前世でいうと小学校から中学校一年生程度のことを学ぶ学校なので、これまた首席で卒業した。
 ベレント男爵は喜び、貴族が通う王立貴族学院への入学を勧めてきた。
『君はこんな小さな領地に留まる存在じゃない。国の中枢で官吏として実力を発揮するべきだ。それには貴族学院を卒業するのが近道になる。特待生になれば学費は免除だ。貴族の中で学ぶのは大変だろうけど、学院を卒業すれば官吏登用試験の受験資格が得られる。挑戦してみないかね?』
 正直なところゾフィーはかなり迷った。前世で特に優秀だったわけではないため、今は神童扱いでも“二十歳過ぎればただの人”になる可能性もある。
 とはいえ自分のような孤児にはありがたい話であるし、大恩(だいおん)あるベレント男爵の期待に応えたいとの想いもあって、とりあえず学院の編入試験を受けることにしてみた。
 王立貴族学院は、フェリンヴァイク王国の貴族なら通学と卒業が義務付けられている。
 十二歳から初等科に入り、十五歳で高等科に進学、十八歳で卒業だ。病気などの理由がない限り、学院を卒業していない貴族は社交界に出られない。
 ゾフィーはそのとき、おおよその年齢で十五歳だと考えられていたため、高等科の編入試験を受けてみた。……全科目満点で合格し、特待生になってしまった。簡単だったから……
 とにもかくにも、生き方も考え方も何もかも違う貴族の中で学ぶことになった。
 そして高等科三年生になり、初等科に入学したバルメック伯爵令息を見て、自分が攫われた後に生まれた弟ではないかと思った。
 後に、彼には行方不明になった姉がいると噂(うわさ)で聞いたときには、心臓が弾けそうなほど高揚した。やはり自分はバルメック伯爵家の生まれではないかと。
 弟に近づきたい、話したい、……家族のことを知りたい。
 ゾフィーの胸の奥を、泣きたいぐらいの渇望が渦巻いた。
 夏季休暇には、本当に身元を証明するものがないか孤児院に戻ったが、やはり何もなかった。
 ゾフィーは発見された当時、なんと何も身に着けておらず、薄汚れたボロボロの布に包まれて孤児院の庭に横たわっていたという。攫われたときは肌触りのいい子ども服を着ていたはずだが、金になると思って剥(は)ぎ取られたのだろう。
 そしてゾフィーは両親のどちらにも似ていない。母親と同じ色の瞳だが、この国に空色の瞳を持つ者は多い。そして美しいプラチナブロンドはブラウンの髪に変わってしまった。
 これでどうやって身元を証明すればいいのか。
 両親の顔を覚えていると主張しても、二歳のときの記憶なんて誰も信じないだろう。詐欺師として投獄されるだけだ。
 それで遠くから弟を見つめることしかできなかった。話しかけることもできなかった。なのにその弟が新人官吏として都市計画課に来るなんて、神のいたずらとしか思えなかった。

   ◇   ◇   ◇

 どこの部局も人材を貸し出すことを渋ったものの、王弟殿下のサインが入った招集状を前にうなずくことしかできない。ゾフィーは局長たちの嫌みや怨嗟(えんさ)の声を聞き流して招集状を配り、キックオフミーティング当日を迎えた。
 行政長官室からの招集はゾフィー以外に、行政官のランハート・バメイ・ドレヴァンツ侯爵令息がいる。彼は高位貴族だが身分による差別をしない実力主義で、ゾフィーにも親身になってくれる人だ。
 彼にはプロジェクトリーダーとして実務を主導してもらうことになった。ゾフィーはエリアスとランハートの補佐を担当する。
 ちなみにランハートはゾフィーより二つ年上の既婚者で、すでに一児の父親だ。
 三人でプロジェクトメンバーが集められた会議室に向かっていると、歩きながらランハートがゾフィーへ話しかけてきた。
「複数の部局から官吏を集めるなんて、よく思いつくね。縦割り組織より目的達成には有効だから、今後はこの体制が増えると思うよ。注目されてもいるし」
 そこでエリアスに顔を向けると、「殿下、チームを仕切るぐらいはウルヒラ行政官に任せてみたらどうですか?」と続けた。
 ゾフィーは前世の知識やそれに基(もと)づいて編み出した構想を、行政長官室のメンバーに発案してもらい、自分はフォローに回っている。平民の自分では話をまともに聞いてもらえないし、誰かのアイデアを盗んだのではと疑われることがあるからだ。平民が有能であることを受け入れたくない、一部の貴族から身を守るためでもある。
「ウルヒラ行政官、やってみるか?」
「いえ、私が前に出ると皆さんが混乱されます。それよりもお二方。この機会に名刺を作りませんか?」
 話を変えたくてゾフィーが明るい声を出せば、二人分の視線が向けられる。
「名刺とは?」
「手のひら程度の小さなカードに、フルネームと所属が記されたものです。名刺を交換すればどこの部局の方か明確になりますし、覚えやすいです。さすがに殿下は必要ないかもしれませんが」
 ランハートが、「それはいいね」とうなずいたところで会議室に着いた。ゾフィーが扉を開けてエリアスとランハートを先に通してから中に入る。
 広い部屋の中央に長方形の大きなテーブルが置かれており、招集された行政官たちや一般事務官たちが居心地悪そうに座っていた。彼らのほとんどは職位が低く、平(ひら)の官吏や平民も少なくないため、王族が参加する会議に呼ばれたことがなくて緊張している様子だ。
 これはゾフィーが、身分ではなく仕事ができるかどうかで選んだからになる。
 他部署の人事評価など普通は分からないものだが、ここで役に立ったのはメイドなどの下級使用人の噂話だ。とある部署の誰々(だれだれ)は上官の不当な評価で昇進できない、とか、業務をサボってばかりいる某貴族がクビにならないのは親が庇(かば)っているから、とか、下級使用人たちから情報収集しておいた。
 王宮のいたるところにいる彼らは、担当区域内の情報通である。ゾフィーが貴族女性だけでなく下級使用人にもお菓子などを渡しているのは、彼らがもたらす王宮内の情報が侮れないからだ。
 心の中で下級使用人たちに礼を述べていると、エリアスの入室に気づいた官吏たちが一斉に立ち上がる。その中に交じる、まだ若い二人の官吏にゾフィーは注目した。背の高い金髪碧眼(へきがん)の美しい青年がニコラウス第二王子だ。
 そして彼の隣にいるのがダヴィッドである。弟を見るのは貴族学院を卒業して以来だ。成長した彼は記憶にある父親と容姿がさらに似てきた。とても懐かしい……
 涙腺(るいせん)が刺激されて体内の水位が高まったため、根性で抑え込み何度もまばたきして水分を散らしておく。


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