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私のこと好きって本当ですか!? ~告白してきたはずの完璧鬼上司が昨夜の記憶だけなくしている件について~

木下杏 / 著
ちょめ仔 / イラスト
定価 1,320円(税込)
発売日 2026/01/23

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内容紹介

生活用品メーカーで働く優希は、酔い潰れた鬼上司、陣馬に「一回でいい、やらせて」と口説かれる。ずっと好きだったけど無理だから、一度だけ……というのだが、翌日彼はそのことを忘れていた。優希も厳しいが頼りになる優しい彼が好きだったが、彼女がいるという噂で諦めた過去があるため、その告白をきっかけに恋が再燃してしまう。陣馬にアプローチを試みるも、彼はあの夜の告白が嘘のように素っ気ない。意気消沈する優希だったが、体調不良の中、展示会の手伝いでふらふらになった優希の危機を陣馬が救ってくれて急接近。何もないながらもホテルのダブルベッドで一夜を過ごし、オフの時の彼の優しさにさらにときめいてしまって!?

立ち読み

「お前、これ売れると思う?」
 目尻がすっと切れ込んだ鋭さを感じさせる目がまっすぐに優希を捉える。
 立花(たちばな)優(ゆう)希(き)はその問いに、間髪をいれず頷(うなず)いた。
「もちろんです。自信があります」
 目の前に座る優希の上司の陣(じん)馬(ば)は、その整った顔に皮肉気な笑みを浮かべた。
 少しだけ首を傾けるとちらりと優希を見る。
「ふーん、自信ねえ」
 意味あり気にそう呟(つぶや)いた陣馬は、その次の瞬間、すっと笑みを引っ込めた。
「却下」
 陣馬はあっさりとそう言った。
 自身の企画書に自信があっただけに、優希はその取り付く島もない返答に驚いた。思わず表情に動揺が走る。
「ま、待ってください。それはどうしてでしょうか。もう一度説明させてください。この商品は」
「お前さあ、ちゃんとリサーチした? これと同じ商品が既に他社から出てる」
「えっ」
 思わぬ言葉に優希は言葉を失う。市場調査は常にしている。発案の時点で類似商品がないか、ちゃんと下調べをしたはずだった。
 しかし、どうやら調査が甘かったようだ。陣馬の言葉はリサーチが十分でなかったことを意味している。
「リサーチ不足。確かに似たような商品は各社あるけど全く同じ商品を出しても意味がないだろ。一通り調べてそれで満足するな。お前企画何年やってんだ」
「……申し訳ありません」
 そうばっさりと言われては返す言葉もない。優希は己の未熟さを悔いながら、謝罪の言葉を口にした。
「まあ、方向性は悪くないし目のつけどころもいい。けれど、これじゃありきたりだし、誰でも思いつく範疇(はんちゅう)のものだと俺は思うね。実際他社が出したものも売れていない。終売(しゅうばい)になってんだよ。だってこれ誰が使うんだ? ターゲットが明確じゃないだろ」
 陣馬は続いて、優希が考えた商品に対して、ばっさりといくつかのダメ出しをした。それはどれも的を射ていて、痛いところを突かれた優希は何も返せなかった。
「もう一度考え直します。お時間いただきありがとうございました」
 結局、それだけ言うと、優希は陣馬に頭を下げてすごすごと自分のデスクへと戻る。
 パソコンのスリープを解除してファイルを立ち上げた。
(やっちゃったなあ……なんでもっとちゃんと調べなかったんだろ)
 自信があっただけに落胆の気持ちは大きかったが、ボツになるのはよくあることだ。
 すべての企画が簡単に通るわけではない。
(色々指摘されちゃったけど、方向性は悪くないって言われたんだから、すべてだめってことじゃない)
 優希は自身に言い聞かせて気持ちを切り替えると、画面に集中を戻した。
 優希が働いているのは、大手生活用品メーカーの株式会社バイシールズ。バイシールズはキッチン、インテリア、家電、寝具、ヘルスケア、園芸、ペット等、生活に関わる商品の企画から製造、販売まで行っている会社である。
 優希が所属しているのはキッチン&インテリア事業部の商品企画チーム。そこで、市場分析、商品企画、販促提案などを行うのが主な仕事である。
 先ほど優希が話していた陣馬は、商品企画チームをまとめるマネージャーで、優希の上司でもある。
 商品企画にはチームが二つあり優希は一チームに所属している。直属の上司にはチームリーダーもいるが、陣馬とは優希が商品企画に配属されてすぐからの付き合いであるため、直接企画を見てもらうことも多い。
 優希は現在二十八歳。入社して一年ほど他部署を経験したあと、商品企画に配属された。その時、一チームのチームリーダーを務めていたのが陣馬であった。
 陣馬は当時から優秀で、企画に関わった商品は軒並み好調な売上を叩き出す、商品企画一のヒットメーカーだった。そんな陣馬に優希は商品企画のイロハを叩き込まれた。
 陣馬は優秀な分、仕事に厳しかった。ヒットメーカー製造機である彼はそれまで自身が培(つちか)ってきたノウハウがあり、それをとにかく徹底的に教え込まされた。
 そのノウハウはとてもためになり、優希が今、特大のヒットはないものの、そこそこ売れる商品を企画できるようになったのは、間違いなく陣馬のおかげである。その点においては、優希はとても陣馬に感謝していた。
 しかし、だからと言って陣馬はいい上司であるかと言えばそういうわけでもなく、特にその性格と部下への接し方においては、なかなか受け入れ難いところもあった。口が悪く、物言いが辛辣なのだ。間違えたりミスをしたりすると、罵倒が飛んでくることもあった。
 優希も新人の頃はそれがつらく感じる時期があり、精神的に追い詰められたこともあった。ひどい時は陣馬が夢にまで出てきてうなされたりもした。
 しかしそれも、四年も下で働いていれば慣れる。そもそも陣馬は多少口が悪いところがあるものの、本質的には決して悪い人間ではなく、よく知ればむしろ面倒見が良く懐も広い。
 辛辣な物言いも決して怒っているわけではなく、喋(しゃべ)り方でそう聞こえてしまう節(ふし)があるのと、部下を成長させるためにあえて厳しくしているのであろうことが段々わかってくるのだ。事実、陣馬の下についた者はみな仕事ができるようになり、中にはヒット商品を生み出す者もいる。
 そう人となりがわかれば、陣馬に抱いていた最初の恐れはいつの間にどこかにいってしまった。
 陣馬の下に配属された人間はみんな同じような道を辿(たど)るらしい。だから社内での評判は「仕事はできるけど怖い」であまり良いとは言えない割に、部内での人望はけっこう厚い。
 だから優希も陣馬が忙しいことはわかっていても、企画を見てもらいたくなってしまうのだ。そんな優希を陣馬は決して邪険にはしない。
 指摘は鋭く厳しいが、どんな企画を持っていっても頭ごなしに否定することはない。『ここは良い』と何かしら生かせる点を見つけて伝えてくれるのだ。
 事実、先ほどの企画も『方向性は悪くないし目のつけどころもいい』とまず言っていた。そういうところが、できる上司と評価されている所以(ゆえん)なのではないかと優希は思っている。
 そんなことを考えながらも気付くと優希は、次の企画のアイディアを考えることに没頭していたのだった。
 
    *

「え、例の人とうまくいっているの? デートしていまいちだったって言ってたじゃん」
「いまいちというか、脈ないかなって思ってたんだけど、そうでもなかった」
「えー、そうなんだ」
 その日、定時で仕事をあがった優希は同期の小林(こばやし)美(み)亜(あ)と、会社の最寄り駅近くのイタリアンレストランに来ていた。お互い早く仕事が終わったので、一緒に食事をしようということになったのだ。
 美亜は新入社員の時から気が合って、配属された部署は違ったがずっと仲良くしている友人だ。
 営業部に所属している美亜は忙しく、終わる時間がまちまちだが、時間が合えばよく食事に行ったり飲みに行ったりしている。ランチを共にすることも多い。会社の中で優希が最も気を許している存在だと言えた。
「なに、何か素っ気ないじゃん」
 言いながら美亜はビールが入っているグラスに口をつける。美亜ははっきり言って美人だ。ぱっちりとした二重まぶたのくりっとした瞳、ぷるんとした肉厚な唇は可愛いながらもどこかセクシーさがあり、訝しげに眉を顰(ひそ)める表情にも艶っぽい雰囲気があった。
「……だってうらやましいんだもん」
 そんな美亜をじとっとした目で見ながら、優希は不貞(ふて)腐(くさ)れたように唇を突き出した。
「恋愛の能力値高すぎ。何でそんな次から次へとうまくいくの? 嫉妬しかないわ」
「優希は理想が高すぎるんだよ」
 パスタを口に運びながら美亜が肩を竦(すく)める。優希はそれに対して、そんなことはないというように首を振った。
「別に選(え)り好みなんてしてないけど。そもそも言い寄られたりとかもしないし」
「そうかな。社内でもたまにご飯に誘われたりとかしてるじゃん。ほら、加藤(かとう)さんとか」
「え、加藤さんカウントしないでよ。仕事はできるかもしれないけど女好きのチャラ男じゃん。誰にでも声掛けてるから」
 優希は顔をしかめる。加藤は所属する営業部の中でもだいぶ軽い部類の男性だ。そんな男性しか引き合いに出てこないのかと自身の縁遠さにがっくりきていた。
「……前の彼氏と別れて四年ぐらい経(た)つんだっけ? 確かに空いたよね」
「別れてすぐは仕事が忙しくてそれどころじゃなかったし、まあそのうちなんて呑気(のんき)にしていたらあっという間。気付けばもう二十八じゃん? さすがに焦る」
 優希は憂鬱そうにため息をつく。別に恋愛を避けてきたわけではない。けれど、全く彼氏ができる気配がない。そうこうしている内に年齢を重ね、さすがにこのままではまずいのではないかと焦りを覚え始めていたからだった。
 今の会社に入社した時、優希には同じ大学出身の同い年の彼氏がいた。それまでは大学で気軽に会える関係だったのが、それぞれが就職し仕事に追われる身となり、会う機会はガクンと減ったものの、なんとか連絡を取り合い付き合い続けていた。
 その限界が来たのは商品企画に配属になって一年ほど経った頃。すれ違いが続いた末に別れた。
 最後の方はだいぶ会っていなくて、ほぼ自然消滅のような感じだった。お互い、仕事を優先しすぎて相手への関心が薄れた果ての結果であった。
 そんな感じだったので、彼氏と別れたことに優希はさほどショックを受けなかった。こうなるであろうことはそれ以前から漠然と予想していたからだった。
 だから別にそれ以後彼氏ができなかったのは、元彼氏に未練があったからとかそういうわけではない。
 ではどうしてかと言うと、一言で言えば縁がなかったということに尽きる。
 優希はそもそもそんなに恋愛に積極的なタイプではない。自分でもわかっているが可愛げのない性格で素直ではないところがあるせいか、男性からすると、ちょっと近寄りにくい雰囲気があるらしかった。
 しかもそれに拍車をかけるような見た目をしている。
 よくツンツンしているように見えると言われる。猫目というのか吊り目がちの瞳とツンとした鼻。そして薄い唇。気が強そうだと思われがちの容姿なのだ。
 それに加えて、気恥ずかしくなってしまって駆け引きめいたことができないので、恋愛に発展させるスキルが低いという致命的な欠点がある。
 男性が寄ってきやすいタイプではなくて自分からも行けないとなれば彼氏なんて簡単にはできないのだ。それでも学生のうちは一緒にいるうちに自然と仲が良くなっていって、友人から恋人になるパターンで彼氏ができた。しかし、社会人ともなると自然と仲良くなんてことはまずないので、どんどん縁遠くなってしまったというわけであった。
「確かにね。そんなに焦ってるんだったら選り好みしている場合でもないし、社内でも探したら? 意外といい人いるかもよ」
「え。社内? それはちょっと。うまくいかなかった時に色々と大変そうだし」
 美亜の言葉に優希は眉を顰める。過去に、社内で付き合っていた人たちが別れたり揉(も)めたりした時に気まずそうにしているのを見てきた優希は、社内恋愛にいいイメージを持っていなかった。
「でも、そうも言ってられなくなってきたんじゃない? だってアプリとか紹介とか大体うまくいかないじゃん。そっちで無理なら違う方向性を探さないと」
「まあ……そうなんだけど」
 痛いところを突かれて優希は思わず口ごもる。図星だった。
 四年間彼氏はできていないが、その間、全く男性と接点がなかったというわけではない。
 合コンみたいな飲み会に行ったり、美亜に勧められるままにマッチングアプリをしてみたりして、何とか男性と接触を持とうとしたことは、そこそこあった。
 彼氏がいない期間が長くなってくると、このままではまずいのではと謎の焦りが時折湧き上がることがあるのだ。そうした時に重い腰を上げたゆえの行動である。
 しかし、その結果と言えば、芳しくないもので。
 デートをするところまではいっても、そこから先に進展した人は誰もいなかったのだ。
 最初はそこそこ盛り上がる。しかし、いい人だなとは思っても、そこから「好き」まで気持ちが育っていかない。
 そうやっているうちに、相手との関係性に迷いが生じてしまう。それが態度にも出てしまうのか、相手のテンションも落ち、段々と疎遠になってしまうというのが、優希の陥りがちなパターンであった。
「優希は真面目だよね。ちょっとでもいいなと思ったらとりあえず付き合ってみればいいのにさ。付き合っているうちに、好きになるってパターンもあるでしょ。仕事ではけっこうガツガツしてるくせに、恋愛になると臆病っていうかさ」
「いやそんなこと言うけどさ、それで好きになれなかったらやっぱり別れようとか言えなくない? 気まずい。相手にも悪いし」
 優希は困ったように笑った。美亜の言うこともわかる。それぐらい積極的にいかないと、自分に合う相手にはなかなか巡り合えないのかもしれない。
 けれど、実際にできるかと言うと、自分にはどうにも実践できそうにはなかった。
 そんな優希の言葉を聞いて何か思うところがあったのか、美亜は優希をじっと見ながら、首を傾(かし)げて考えるような仕草を見せた。
 少しの沈黙のあと、美亜はおもむろに口を開いた。
「そもそも、相手がいても付き合いたいって気持ちになれないってのが問題だよね。優希は多少無理矢理にでも気になる人を作るっていうとこから始めた方がいいんじゃないの? 知り合った人が好きになれないなら、好きな人を作ってその人と付き合えるように頑張ったらいい。つまり、順番を逆にする」
 言いながら美亜は指で動かして「逆にする」というジェスチャーをしてみせた。そして、いいこと言ったとばかりににっと笑うと、クリームパスタをくるくるとフォークに巻き付けて口に運んだ。
「なるほど……?」
 もぐもぐと口を動かす美亜の後を追うように、自分のパスタを口に運んだ優希は、そのたらこパスタを味わいながら、わかったようなわからないような微妙な気持ちになって首を傾げる。
「気になる人かあ」
 そう言われてすぐに気になる人ができるとは思えなかったし、万が一できたとしてもその人と付き合えるか自信もなかった。しかし、確かにその方がいいのかもと、頷いてしまうような妙な説得力が美亜の言葉にはあった。
 優希は真剣に考えてみる。悲しいかな、現在優希は会社の人以外で親しくしている男性がいなかったので、それは自然と社内の男性に絞られた。
「……そんなすぐにできるかなあ」
「すぐじゃなくてもアンテナ張って過ごしてたら、意外な人がよく見えてくるかもよ? まあ手っ取り早く探すとしたら社内になると思うけど」
「だよね……なるほど。勉強になります」
 実際問題、社内恋愛というのもなかなかハードルがありそうだが。
 考えている様子の優希を見て、美亜がうんうんと頷く。
 その後も食事が終わるまで、そのアドバイスは続いたのだった。

    *

 とまあ、そんな話をしたのがいけなかったのか。
 美亜との会話後から、優希は少し考え込むことが増えてしまった。
 美亜のアドバイスはためになったものの、実際それを行動に移すのはなかなか難しい。
 別に適当な気持ちで聞いていたわけではないし、その時はそれなりに本気だったのだが。
 気になる人を作るといったってそんな簡単に見つけられたら苦労はしない。それに万が一いたとしても社内恋愛なんて器用にできる気がしない。
 はっきり言ってやっぱり自分は恋愛に向いていないと思う。頑張ったところで果たして結果はついてくるのだろうか。最初から見込みが薄いのであれば、頑張るのもあまり意味がないのかもしれない。
 過去の恋愛を思い出したせいなのか若干ネガティブになってしまい、少しどんよりした気持ちを抱えつつ、優希はミーティングルームの扉を開けた。
 中には、一チームのメンバーが既に二人座っていた。
 チーム長の古賀(こが)とチームの中で一番の若手の原田(はらだ)が一緒にパソコンを覗き込んで何か話している。
「お疲れ様です」
 二人に声を掛けながら優希は反対側に座った。ノートパソコンを開いてファイルを立ち上げる。
 これからチームのミーティングがあるのだ。パソコン画面の右下にある時間を見ると、ちょうど三時になったところだった。
「陣馬さん少し遅れるって。先始めるぞ。原田、前回からの進捗共有して」
「はい」
 水を向けられた原田が口を開く。売り上げが奮(ふる)わない商品や、レビューやアンケートなどで評価の悪い商品はリニューアルが検討されるが、どうリニューアルするかを考えるのも商品企画の仕事の一つである。
 今回のリニューアルプロジェクトでは企画を原田と優希で担当することになっていた。ある程度形になったところでチームリーダーの古賀とマネージャーの陣馬に報告する。今日はそのためのミーティングであった。
「一昨年の秋に販売開始した『人を堕落させるクッション』ですが、発売から一年ほどは予想を超える販売数をずっと維持していたものの、昨年他社より似た商品が相次いで発売されてからは販売数が減少の一途を辿っています」
 原田の言葉に耳を傾けながら画面に表示させている説明資料をスクロールする。原田はこの資料を元に説明していて、これは優希が原田と一緒に作ったものなので、内容は十分に頭に入っていた。
 原田の言葉に頷きながら、視線を画面の上で移動させていく。
「悪い、遅れた」
 と、そこに、がちゃりと扉を開けてさっとミーティングルームに入ってきた人物がいた。陣馬は優希の隣の椅子を引いてどかっと座ると、手に持っていたノートパソコンをテーブルに置きながら、原田に向かって顎をしゃくった。
「続けて」
「は、はい。えーっと、このようなことから、と、当該商品にはリニューアルが必要であると」
 促されて話を再開する原田の顔は先ほどよりも明らかに硬さがあった。口調もぎこちなく、途中途中でつっかえてしまっている。
 実は原田は商品企画にきてまだ一年ほどで、一チームの中では一番の新参者であった。年齢も若く、確か優希よりも二、三歳ほど年下だったと記憶している。
 要はまだ陣馬に慣れていないのだ。きっとまだ『怖い』存在なのだろう。いつ厳しい言葉が飛んでくるかビクビクしている節があり、対峙(たいじ)することに恐れと緊張感があるらしかった。
「で、リニューアルの方向性はこの三案?」
 噛み噛みの原田の説明を一通り聞き終わると、陣馬は共有された資料を表示させたパソコンの画面を眺めながら言った。
「そうです」
 これ以上、原田に話させるのも可哀想だと感じた優希は、原田の代わりに返事をした。
 陣馬の視線が優希に移動する。ばちっと目が合った瞬間、その鼓動がどきっと跳ねた。
 しかし優希はそんな自分の反応をまるでないものとして扱う。表情に力を入れてポーカーフェイスを貫くと、真剣な目で陣馬を見つめた。
「AとBの案はいいと思うけど、C案は? このコンセプトにしようと思った理由は?」
 陣馬がドライな口調でそう言った。
 今度は別の意味で優希の鼓動が跳ねる。ダメ出しされるとわかったからだった。
 一瞬にしてミーティングルームの室内がぴりっとした空気に変わる。優希は真面目な顔で口を開いた。
「この三案に至った理由を説明します」
 優希だって思い付きでリニューアル案を出しているわけではもちろんない。それぞれがデータをもとに分析をし、市場のトレンドなども加味して練った案である。
 優希は理路整然と説明をしたつもりだった。
 根拠と仮説は十分なはず。もちろんこのままでいけるはずはなく、これから色々な人が加わって検討とブラッシュアップを重ねて一つに絞られていくのだが、最初の素案としては合格点だと思っていた。
 しかし、そんな優希の自信を打ち砕くかのように、その説明を聞いても陣馬の表情に変化はみられなかった。
「根拠としたデータが弱いな。理由が後付けに聞こえる」
 ばっさりと言われて、原田の顔が引き攣(つ)るのが見えた。優希も強張(こわば)ってしまう。痛いところを突かれたという気分だった。
 実は、C案は原田が発案者なのだ。もちろん優希も意見を出したが、後輩の頑張りを否定したくない気持ちもあってあまり強くダメ出しはできなかった。
 自分の案だったらダメ出しされても食い下がることもあるが、そんな事情もあって優希は思わず口ごもってしまう。
「別に無理に三案出す必要はない。C案削って二案で進めろ」
 にべもなく言われた言葉に優希は思わず声を上げた。
「ちょっと待ってください。それは」
 原田は目に見えてショックを受けた顔をしている。一生懸命考えた案を却下された時の絶望の気持ちがよくわかる優希は黙っていられなかった。
「なに? 何か問題あるか?」
 しかし、ただでさえ目つきが鋭い陣馬にじろりとした目線を向けられて、ノープランで口を開いただけの優希はちょっと怯(ひる)んでしまった。
 何を言おうかと迷い、大慌てで頭を整理しながら言葉を探す。
「……今回のリニューアルではターゲット層を五十代まで広げることを検討しています。幅広い世代を狙っていくためにはC案も必要ではないかと。最終に選ばれなくても各世代の受容性をはかるために、あれば比較材料として使えます」
 何とか捻(ひね)り出した優希の言葉を聞いた陣馬は表情を変えないままで軽く頷いた。
「一理ある。まあそんなにC案も入れたいんだったら入れてもいいけど、もう少し練る必要があるな。このままでは厳しい」
 返ってきた言葉は手放しで喜べるようなものではなかったが、何とか譲歩を引き出した優希は少し安堵(あんど)しながら素早く口を開いた。
「はい、もちろんです。練り直します」
「よしじゃあ、どこをどう変えるか方向性だけでもいいから話してみろ」
(え)
 安心したのも束(つか)の間、不意打ちの思ってもみない要求に、優希は真顔のまま動きを止めた。

「立花さん、本当にすみませんでした。俺がいまいちな案を出したばっかりに」
「だから、いまいちではないって。もう何回その話するの」
 その日の夜、優希は居酒屋にいた。
 隣には本日のミーティングで陣馬に案を却下されかけて大ダメージを負った原田がいる。
 原田は飲みたい気分だったのだろう。グイグイ杯を空けていて、けっこう酔っているみたいだった。
 あのあと陣馬の問いに対して相当しどろもどろな返答になってしまい、色々と突っ込まれ注文をつけられ、ミーティングは終了した。そのあと原田と二人でC案の修正を行い、その時に反省会もして、この件は一旦区切りがついたはずだった。
 原田はショックだっただろうが企画案が却下されることはままあることなのだ。反省はもちろん必要だが引きずりすぎるのは良くない。ある程度で切り替えて前を向くのも大事なのだが、生真面目なところがある原田はなかなかショックから抜け出せないようだった。
 何度か話題を変えようとしたが結局この話に戻ってしまう。本日は商品企画の一チームと二チームの合同の飲み会で周囲には普段あまり話さない人もいるというのに、事あるごとに原田はその話を持ち出して愚痴を零(こぼ)すので優希はやや辟易(へきえき)していた。
(隣に座らなきゃよかったな……)
 原田も優希がいるからつい思い出してしまうというところもあるだろう。全く関係ない人の方がきっと気が紛れたはずだ。
 席選びを後悔しつつ、サワーの入ったグラスを傾ける。
「だって陣馬さんにすぱっと切られちゃったじゃないですか。陣馬さんってただ喋ってるだけでなんであんなに迫力があるんですかね。正直俺、陣馬さんが怖いんです。あの時も何も言えなくなっちゃったし」
 若干目が据わりつつある原田がそんなことを言い出したので優希はぎょっとした。
「ちょ、ちょっと。そんな話ここでするべきじゃないでしょ」
 慌てて潜(ひそ)めた声でたしなめる。それもそのはず、この飲み会には陣馬も出席しているのだ。
 優希はさり気なく周囲を見渡す。陣馬は離れた席に座っていて、隣に座る一チームリーダーの古賀と話しているのでさすがに聞こえてはいないだろうが、ここにいるのは全員陣馬の部下なのだから他の人に聞こえるのもまずい。
 さすがに告げ口はされないだろうが、飲み会で堂々と上司の愚痴を言うなんてなかなかのヤツだと印象や評価が下がる可能性はあった。
 幸い原田は完全に理性をなくすまでは酔っていなかったようで、優希の言葉にはっとした顔をした。
「……ですよね。すみません」
 一転して後悔の表情を浮かべる原田に、優希は場を取り繕うためわざと笑った。
「ちょっと飲みすぎちゃった? 今日ペース速いよね、やる気だなあ」
 大きめの声で明るくそう言う。
 すると、優希から見て原田の反対隣にいたチームメンバーが「そうなの?」と会話に入ってきた。
 優希はそれを見て取ると、あとは任せたとばかりに「トイレ行ってきます」とすかさず言って席を立った。
(……なんか無駄に疲れた)
 用を足して手を洗いながら目の前の鏡を見ると、そこに映る自分は何だかくたびれた顔をしていた。優希はふうと息を吐く。
 今日が飲み会だということを失念していたせいもあって服装はワイドパンツにTシャツ。何ともシンプルな格好だ。髪は後ろでひとまとめに結んだだけだし時間がなかったせいでメイクもあまりちゃんとしてない。
 よく考えたら今日は社内恋愛のお相手を探すにはまたとない機会だったのかもしれない。一チームにも二チームにも独身男性が何名かいる。その中には見た目が良くて社内人気が高い男性も。こういう場で積極的に話してみて、距離を縮めるのがよかったのかもなと優希はふと思った。
(……いや、ないな)
 しかし頭の中ですぐに否定する。社内恋愛するとしても同じ部署はないだろう。もしなにかあった時に気まずすぎる。
 こういう考えがだめなんだろうなと思いながら、優希はトイレを出て席に戻った。
 すると、先ほどまで優希が座っていた席に、二チームのあまり話したことのない男性が座っていた。同じテーブルにいる人に用事があるみたいで、対面に座るメンバーと一生懸命に何かを話している。
「あ、ごめんここ、座ってた?」
 近付く優希に気付いたその人が腰を浮かしかけた。
「あ、大丈夫ですよ。他のところに行きますから」
 それをやんわりと制すると、飲みかけの自分のグラスを取り、優希は空いている席を探した。
 原田とこれ以上隣同士でいない方がいいだろうと思っていた優希にとって、その男性の行動は渡りに船だったのだ。隅っこの最初から誰も座っていなさそうなぽつんと空いているところを見つけるとそこに座る。
「お疲れさまです」
 ちょうど近くにいた見知った顔に声を掛け、大して盛り上がったわけではないが、当たり障りのない世間話をして、その後は過ごした。
 そして開始から二時間半後。幹事の散会を告げる掛け声で飲み会はお開きとなった。いつも特に二次会などは開催されないので、お店で解散となる。
 商品企画の飲み会はいつもさっぱりした終わり方なのだ。飲み足りない人たちは連れ立って次の店へ行き、帰りたい人はさっさと帰る。優希は後者で、飲み会は多少気疲れすることもあって早く帰ってゆっくりしたかった。
 幹事にお金を払い、トイレに行って戻ると、人は既に三分の一ほどに減っていた。
 残った人々も続々と帰り支度をしているのを見て、慌ててバッグを取って優希も外に出る。
 出たところの道路に留まって話をしている同じチームのメンバーに「お疲れ様でした」と声を掛けて挨拶をし、そのまま駅に向かおうとして、優希はあることに気付いた。
(……折り畳み傘忘れてきたかも)
 今日は、朝から小雨が降っていたが昼頃にはやむとの予報だったので、折り畳み傘を持ってきていた。予報は当たって帰る頃にはやんでいたので、傘はバッグに入れたままだった。
 それを、お金を払うために財布を取り出すのに邪魔だったので、その辺に置いて、そのままにしてしまったことを唐突に思い出したのだ。
 もう挨拶を交わしたあとだったので、周囲にそれをいちいち言うのも面倒で、優希は自分に誰も視線を向けてないことを確認すると、こそっとお店に戻った。
 店員に忘れ物をしてしまったことを告げて、廊下を歩いて先ほどまでいた座敷に戻る。
 その店は、座敷タイプの個室がいくつかある造りをしていた。似たような扉が並んでいる中、記憶を辿ってその一つを開ける。
「あれ?」
 個室の中が見えて優希は思わず声を上げた。
「お疲れ様です。まだ帰ってなかったんですね」
 中には、二人の男性が残っていた。一人は座っていて一人は中腰。既に全員が退店して今は片付けの最中かなと思っていた優希は、これに少し驚いた。
 中腰の方は一チームのチーム長――つまり優希の直属の上司である古賀だ。そして、その隣に座る男性が誰かを確認した優希は、驚きの声を上げた。
「え、陣馬さん? どうしたんですか?」


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