書籍詳細

不眠騎士様、私の胸の中で(エッチな)悦い夢を
定価 | 1,320円(税込) |
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発売日 | 2025/09/26 |
内容紹介
立ち読み
プロローグ
既(すで)に多くの者が眠りについている時分。
外はどこまでも暗く静かで、夜明けはまだ遠い。
ここは自宅の奥の奥。
少し古いがしっかりした大きめなベッドが一つ置かれた寝室。
暗い部屋にはオレンジ色のランプの灯が大きな影を不規則に、そして妖(あや)しげに揺らしている。
鼻を撫(な)でる眠りを誘う心地よい香り。だが今はこの淫(いん)靡(び)とも言える空気を助長しているかのように感じられる。
広いとは言えない部屋に似つかわしくない巨(きょ)躯(く)を持つ褐色の男性がベッドに腰掛け、広げられた彼の脚間に立つ私を愛おしいと伝えるかのような表情で見上げている。
その鮮やかなライムグリーンの瞳の下にあったクマはもうどこにも見当たらない。
それを嬉しくも思うけれど、その色が薄くなっていく分、私は彼に翻(ほん)弄(ろう)されたのだと心の中で彼を詰(なじ)る。
だけど、翻弄されることを望んだのは自分だ。
この行為を提案したのも、続けると決めたのもすべて自分だ。
彼は何も悪くない。
だけど彼を心の中だけでも詰ってしまうことをどうか許してほしい。
「店主、今日も俺を抱きしめてくれないか……?」
この褐色の手から齎(もたら)される感覚を思い出し、無意識に下腹部が疼(うず)いた。
そのことを悟られないように、ひどくゆっくりとした動作で彼の顔を胸で包み込むようにそっと抱きしめた。
一 果報は寝て待て
「え、今日の運勢めっちゃ良いじゃん」
すでに朝と呼ぶには遅い時間。
朝食代わりのコーヒーを飲みながら定期購読している占い雑誌を読んでいるとき、思わず呟(つぶや)いた。
パジャマのままなのは言わずもがな。それに加えて、青みがかったアイスシルバーの長い髪は寝ぐせでグシャグシャのまま。こんな姿で過ごしても気にしないでいられるのが、一人暮らしの特権だ。
読んでいるのは『マダムシャロン』という占い師が出している雑誌だ。自分のイニシャルと生年月日、あと簡単な質問を事前に答えると、その月の一日から末日までの運勢が一日につき見開き一ページで書かれたものが送られてくる。その内容が結構おもしろいし、値段も手頃なためなんとなしに買い続けている。
「なになに……今日、あなたは人から頼られます。それを受けるか拒否するかはあなた次第ですが受けることをお勧めします。ですがそれによって苦悩が待ち受けていることでしょう。ガンバッテ☆ ラッキーアイテムはラベンダー……って、なんだこりゃ。なんで苦悩が待ち受けてるのに運勢良いのよ」
この雑誌、こういうところある。
だけどそれがなんかやみつきになってしまうのだから、自分も大概だ。それにこの雑誌はたまにドキリとするぐらい当たることがある。
だが今日は誰とも会う約束はない。今日の占いは外れだろう。
「仕事するか」
誰に聞かせるわけでもない独り言を漏らし、占い雑誌をソファの上に無造作に置き、残り少ないコーヒーを一気に呷(あお)った。
「アンナー! いるんだろー? 超絶イケメンのお兄様が来たぞー!」
自宅の一階にある工房で集中して作業に励んでいると、聞き馴染みすぎてもはや聞きたくない声が必要以上に響いてきた。無視をするとさらにうるさいということがわかっているため、渋々作業を中断し、声がする裏口のドアを開けた。
「なんなの兄さん……。今仕事中なんだけど……」
「おぉ! 妹よ! もう昼もとっくに過ぎたってのにバッチリ寝ぐせがついてるな!」
「声でか、うるさ。別に誰とも会わないからいいでしょ………って、え?」
髪は寝起きのボサボサのままなうえ、色気も何もない作業着で出迎えたのは兄のディランだ。
赤みがかったシルバーの髪と私と同じ藍色の瞳を持つ兄は、濃紺に金縁の騎士服を少し着崩した格好で立っていた。
だが私の視線はそんな兄にではなく、その横で激しく存在感を放っている偉丈夫に止まった。
――――エロい。
異国の血が入っているのだろう。黒髪に健康的な褐色の肌で、蛍光色のようなライムグリーンの瞳が印象的だ。背が高い兄よりもさらに背が高いのに威圧的に感じないのは、顔が小さいからだろう。そのおかげで彼のスタイルの良さが際立っている。
兄と同じ濃紺の騎士服を全く着崩すことなく着ていて、体の頑健さを感じると共に男性的な色気が漏れ出ている。
困った。とんでもなく好みだ。
すぐに自分のだらしない格好に羞(しゅう)恥(ち)を覚えた。
「人と一緒にいるなら先に言ってよ! 私こんな格好で……」
「大丈夫だ! アンナは俺に似て顔だけはいいからな! 鼻たれ坊主のときから可愛かったぞ!」
「鼻たれ坊主だったときなんてないわよ! って、そうじゃなくて」
「レナードも俺の妹は可愛いと思うだろ」
レナードと呼ばれた彼は戸惑いながら「あ、あぁ……」と短く答えた。その歯切れの悪さに妙に傷つく。
よく見ると、いやよく見ずとも、彼の目の下には褐色の肌よりもさらに黒いクマがくっきりと見えた。
「レナード、どうだ?」
「あ、あぁ。問題ない」
「そっか! なら安心だな!」
兄の自分勝手具合は今に始まったことではないため、とりあえず二人のやりとりを静観することにした。下手に詰め寄るとかえって説明が遅くなるのだ。
「アンナならなんとかしてくれると思うから、俺の妹にドーンと任せろよ!」
「いや、まずは妹御に説明してやらねばならないだろう」
「ハッハッハッ! 妹御、なんて堅っ苦しい言い方する奴なんてお前くらいだぞ! まあまあ上がれよ。遠慮すんな。俺の家じゃねえけどな。アンナ、邪魔するぞ」
「いや、もう邪魔してるでしょ」
ズカズカと上がりこみ奥へと消えていく兄を胡(う)乱(ろん)な目で睨(にら)んだ後、レナードと呼ばれた褐色の騎士様に目を向けた。
「こんな格好で出迎えてすみません。兄に無理矢理連れてこられたんですか? 見たところお疲れのようですし、ご無理なさらずお帰りいただいて大丈夫ですよ?」
「いや、実は俺があなたに用があってディランに連れてきてもらったんだ。こちらこそ急に訪問して申し訳ない。ディランは問題ないと言っていたんだが……」
「兄が問題ないと言ったことは大(たい)抵(てい)問題ありなので」
「確かにそうだな」
彼は少し笑みを作って答えた。兄の破(は)天(てん)荒(こう)な性格を十分理解してくれているらしい。
「とりあえず中へどうぞ。今兄が入って行った突き当たりの扉を開けたら店なので、そこで適当にかけていてください」
「わかった。面倒をかけてしまってすまない」
とりあえずこれ以上この寝ぐせ頭ですっぴんの作業着姿を初対面の、しかも好みの男性に見せるなど、普段あまり反応しない乙女心が許さない。
二階の居住スペースへと駆け上がり、ラフだがオシャレなワンピースに着替え、もちろん寝ぐせを直し軽く化粧もした。
二人が待つ店舗スペースへ急いで行くと、一階にある簡易キッチンで用意したのであろうお茶が湯気を立てていて、二人は先に口をつけていた。
「やけに遅いと思ったら化粧までしてきたのか」
「う、うるさいなぁ。お客さんの前であんな格好でい続けるわけにいかないでしょ!」
「とか言って、レナードがかっこいいからオシャレしたんだろ? こんなイケメンと友達の兄ちゃんはすげぇだろ! なんでだと思う? それは俺がもっとイケメンだからだ!」
「あーはいはい」
なんとも悔しいことに兄の言うことは概(おおむ)ね正しい。褐色の騎士様がイケメンだからオシャレしたことも、中身はともかく兄がかっこいいと評判なのも本当のことだ。
だが絶対に褐色の騎士様のほうが遥かにかっこいいと思う。
「妹君、自己紹介が遅れてすまない。俺の名はレナード・ゴールディング。ディランとは士官学校の同期で、見ての通り騎士をしている」
レナード様が立ち上がり、恭(うやうや)しく礼をした。
「同期だけどレナードは俺の上司なんだ」
「上司……ということは兄が何か粗相を? あ、それで私のところへ来たということですか? 申し訳ございません! 兄は見ての通り色々と考えが足りないし空気も読めない直情型の人間でして。騎士のお仕事は真っ当にできていると思っていたのですが……。どうぞ如(い)何(か)様(よう)にでもしてください! 本人も顔がいいと自分で宣(のたま)っておりますので男(だん)娼(しょう)にでも……」
「いや違うんだ、妹君!」
兄がしでかしたことが何かはわからないが身内として平身低頭で謝ろうとしたら、焦った様子のレナード様がそれを遮(さえぎ)った。
「容(た)易(やす)く兄を売るような真似はやめたほうがいい。ディランが本当に男娼になったら悲しむのはあなただろう?」
「そうですね。兄の奥さんは私の友達なので、友達の悲しむ姿は見たくありません」
「ロザリーはそんなことで悲しむような女性じゃないさ! だが俺も男娼は困る。騎士のほうが稼げるし、第一俺はロザリーにしか反応しないんだ!」
「……」
兄と友達のそういうことを聞きたくないとか、いろいろ言いたいことはあるがその言葉をすべて飲み込んだ。兄にはいろんな意味で何を言っても無駄だということは、嫌というほどわかっている。
こんな兄だが、今言ったように騎士というのはかなりの高位職だ。
一介の騎士でも一般的な仕事の生涯年収を数年で稼げるし、役職を得た際の収入ははかり知れない。こんな兄がそんな職を続けられていることが本当に不思議でならない。紺地に金縁の騎士服がその職に就いているというなによりの証拠だ。
そして今言ったように兄の奥さんは私の友達だ。
こんな破天荒な兄をもらってくれた、とても奇特で希少で素晴らしい存在の彼女を困らせるわけにはいかない。だから兄にはずっと騎士として職務を全(まっと)うしてほしい。
「えっと、じゃあ今日は一体何の用でしょう? さっき私に用って言ってましたけど。兄さんも来るなら事前に言ってよね。そうしたらお茶菓子くらい用意したのに」
なによりあんなボサボサな格好を見せずにすんだのに。
「茶菓子なんてこれからいくらでも二人で食えばいい。レナードと今日から同居してもらうし」
「「はぁっ!?」」
私とレナード様の声が見事に被った。だがそれも当然だ。兄には今まで散々振り回されてきたし、それを受け入れたり受け流したりしてきたが、今回ばかりは口を挟まざるをえない。
「何を言ってるの兄さん! 意味がわからないんだけど!」
「あっはは! アンナはバカだなぁ。いいか? 同居っつーのは一緒に住むってことだよ」
「バカはそっちよ! 言葉の意味がわからないんじゃなくて、どうしてそんなことを言い出したかが意味わかんないの!」
「ディラン、俺はただ不眠について相談するためにここまで来ただけだぞ」
「不眠?」
聞き捨てならない言葉に、兄への憤慨が鳴りを潜(ひそ)めた。
とはいえ、そうだろうなとは思っていた。だってレナード様の目の下のクマは本当にひどい。どう見ても一日二日程度の不眠だとは考えられない。
私の意識が兄ではなく自分に向いたのが居心地悪いかのように、美麗な顔を困惑させながらレナード様が私の視線から逃げた。だがすぐに細く息を吐いてからポツリと話し始めた。
「実は二ヶ月前からひどい不眠症に悩まされているんだ。医者にも診(み)てもらって薬も飲んだがまったくダメで、それでディランに相談をしたんだ」
「何故兄に? こんなポンコツに相談しても何も得るものありませんよ?」
「妹が急に辛(しん)辣(らつ)!」
それまで悠長にお茶を飲んでいた兄がふざけた様子で会話に入ってきた。
別に兄への暴言は急でもなんでもない。だがいちいち兄に構っていたら話が進まないので無視をした。レナード様も考えは同様らしく、兄の存在を無視して私にまた言葉を向けた。
「ディランは日頃から奥方と妹君のことを声高に自慢していてな。あなたが睡眠屋を営んでいると知っていたから、話を聞いてみたかったんだ」
「睡眠屋ぁ?」
存在を無視していた兄に今度は憎らし気な目線を送ったが、とうの本人は「睡眠屋だろ?」という顔をしている。これ見よがしに大きなため息を吐いてから居住まいを正し、レナード様に顔を向けた。
「兄が誤解を招く言い方をして申し訳ありません。ここは睡眠屋ではなく『枕屋』です。お客様のご要望に合わせたオーダーメイドの枕を作るお店です」
――――枕屋『みどりの羊』
それが私が一人で営んでいるお店の名前だ。
枕の新規オーダーと、使い続けて草臥(くたび)れた枕のメンテナンスが主な仕事だ。それ以外に快眠グッズとしてお茶やお香、ナイトウェアも作っていて、それらを提携している雑貨屋へ卸(おろ)している。
だからここは一応『店』と言っているが、基本的には開店しておらず『工房』に近い。新規オーダーの予約はグッズを卸している雑貨屋から受けていて、メンテナンスは定期的に行うため受け渡しの際に次回の予約を取っている。
仕事は忙しいということはなく、かといって暇でもない。自宅兼工房で私一人で暮らしていくには十分な稼ぎはあるし、時間に縛られないこの仕事をとても気に入っている。
「私の作る枕は、より安眠できるようお手伝いするようなものです。だから不眠を解消してあげることはできません。それなのにこのバカ兄は昔から何度訂正しても睡眠屋、睡眠屋って……」
もちろん仕事上不眠に悩む人と接することはある。だがどうしたって枕や安眠グッズだけでは限界があるのだ。
「そういうことだったのか。俺も詳細を聞いていないままこうして押しかけてしまった。すまない」
レナード様が謝る必要などないのになんだか申し訳ない。でも私にできることは微々たるものだということを、すんなりと理解してもらえたことに安(あん)堵(ど)した。
だが元凶である人物が悪気も反省もなく口を挟んできた。
「でもアンナ、こいつが不眠症なのはほんとだよ。見ろよこのクマ。かわいそうだと思わね?」
「そりゃあ、もちろんそう思うけど」
「そんでさ、レナードは不眠症のせいで今休職中なんだよ。療養ってことでな」
「え!」
「こいつ元々仕事ばっかで、全然休まないぐらいのワーカホリックだったんだけど、不眠症になってからミスも連発するようになってな。そんで無理矢理休職させたんだよ。でも全然不眠症治んないつって俺に泣きついてきたから、俺が一肌脱いでやろうと思ってな。どう? この頼られる兄の存在」
「じゃあなんで今日わざわざ騎士服を着ているんですか?」
兄の最後の言葉を無視してレナード様に聞いた。
「妹に会いに行くとだけディランに告げられて、いくら兄の紹介といえど得体の知れない男が突如訪ねてくるのだから、少しでもこちらの身分証明になればと思ったんだ。……だが考えてみたら仰(ぎょう)々(ぎょう)しかったな、そのせいで驚かせてしまって申し訳ない」
何度も思うがレナード様が謝る必要などない。なんなら気遣いがすぎてこちらが恐縮してしまう。あと先程驚いていたのは、レナード様が騎士様だったからでなく、好みの容姿をしていたからだ。
兄はハチャメチャな人間だが、人を見る目だけは確かだ。だから兄がレナード様を私に会わせた時点で、この人が信用に足る人間だと示している。
だけど一緒に住むとなったら話は別だ。
「とりあえず、俺はここで失礼する。枕のオーダーは気になるから、後日詳細を聞いてオーダーしたいのだが」
「あ、カウンセリングだけなら別に今からでも……」
「何帰ろうとしてんだ、レナード。お前はここに住むつってんだろ」
いやに兄がしつこい。
頑(がん)是(ぜ)ない子供のようで、こうなったら絶対に自分の考えを曲げない人だ。
「だから、私には不眠症を治すなんてことできないんだってば」
「いいや、アンナならレナードを治せる」
「何を根拠にそんなことを……」
「勘だよ。男の、な」
うざい。と辟(へき)易(えき)しながらこれ見よがしに大きなため息を吐いた。
「わかった……。レナード様、とりあえず今日は兄の言う通り泊まっていってください」
「いや、しかし……」
「ご存知かと思うのですが、このバカは一度言ったことを引っ込めるなんて大人な対応はできないんです」
納得しているかのように、レナード様が頷いた。
「だが、いいのか……?」
「私は大丈夫です。レナード様も今日のところは兄に従ってあげてください。たぶん受け入れないと後からうるさく言ってきますよ。それが本当の本当にうるさいんです」
「……確かに」
どうやらレナード様も心当たりがあるらしい。兄の言うこと全部を聞いてあげるわけではないが、今回のこの頑固さは言う通りにしないと、自分の周りを反復横跳びし続けるぐらいのうるささとなるだろう。
それは断固として避けたい。
「二人は俺のことよくわかってんじゃん! 俺、愛されてるな!」
「はいはい、愛してるからレナード様の着替えなりなんなりは兄さんが買ってね。もちろんうちの品物から」
「なんで!?」
「男物のパジャマなんて、品物以外うちにないもん。レナード様に買わせるわけないでしょ。言い出しっぺが買え」
「アンナが男を作らないからだろ!」
「値段ふっかけるよ」
「あの、妹君。俺が一度自宅に帰って準備すればいいのでは……」
今にも始まりそうな兄妹喧(げん)嘩(か)にレナード様がおずおずと言葉を挟んできたが、それを丁重に制す。
「いえ。レナード様がどうしても必要なものがあり、取ってきたいと言うのなら別ですが、そうでないなら諸々はこの愚兄に買わせてください。この、愚かな、兄に」
「アンナはほんとお兄ちゃんっ子だなぁ! だが俺は別にシスコンじゃねぇからごめんな! ハッハッハッ!」
「……」
なにがどうして私がお兄ちゃんっ子になって、そしてフラれたみたいになってんだとツッコむ気すら失せた。
結局無理に兄に色々買わせることに成功し、レナード様が泊まるにはまったく問題はなくなった。妹に色々ふっかけられながらも、自分が買った部屋着兼パジャマを身に纏(まと)うレナード様を見て満足気な顔をした兄は「じゃあ俺帰る。愛する嫁が待ってるからな」と言ってすたこらと去って行った。
残された私達は当然まだ気まずい。
ひとまず二階の居住スペースに移動して、レナード様の症状を詳しく聞くことにした。
いつも家の中は汚いのだが、昨日マダムシャロンの雑誌で部屋を片付けろと書かれていたため、人を通せる程度には整頓していたのが幸いした。
落ち着かない様子のレナード様をダイニングで待たせ、淹(い)れたばかりのお茶を差し出した。
「これ、私が作ってるリラックスハーブティーなんです。お口に合えばいいのですが」
「ありがとう。いい香りだな。ラベンダーか?」
「当たり! 人気商品なんです」
レナード様の向かいに腰掛けて私もカップを傾けた。
思えばこの居住スペースに人を上げたのは、兄のディランとその妻であり私の親友のロザリーだけだ。今日初めて会った人を家に上げるなど、インドア派で彼氏の一人もいたことがない私にとってかなりの非日常だ。
そういえば、今日のラッキーアイテムはラベンダーだった。意図せず人気商品であるラベンダーティーを出してしまったが、なんだか導かれたような不思議な気持ちだ。
それに占い雑誌には『今日は人から頼られる』とも書いてあったが、まさにこのことだろう。部屋の片付けのことといい、やっぱりあの雑誌はなかなかすごい。
密かにマダムシャロンに感心しながら、チラリとレナード様をカップ越しに見つめた。
やはりどの方位から見てもかっこいい。クマのひどさが逆にアンニュイさを感じさせていて、最近読んだちょっとエッチな恋愛小説に出てきたヤンデレヒーローっぽいのもいい。さっきまではキッチリとした騎士服を着ていたのに、今はラフな部屋着を着ていて可愛らしい。それにやっぱりなんかエロい。
レナード様は先程までのソワソワした様子ではなく、一息ついたような表情で家の中を見渡した。
「なんだか落ち着く家だな」
「そうですか?」
「あぁ。気持ちが安らぐよ」
やわらかく細まる目が嘘もお世辞も言っていないことを伝えている。その優しい目が気まずさも緊張も解いていくように感じた。
そんな寛いでいる様子のところに水を差すようで申し訳ないが、本題に入ることにした。
「あの、不眠症になった理由に心当たりがあればお伺(うかが)いしても? もちろん他言は絶対にしません」
私の問いに、気まずそうに俯(うつむ)いた。
不眠症の原因はほとんどがストレスだ。
もちろん何かの病で不眠となる可能性もありえるが、すでに医師によって検査がされているというのであれば、見た通り体は健康なのだろう。だがクマ以外見た目が健康に見えるといっても、精神が健康とは限らない。
多くの場合は仕事や対人関係に悩み、そのストレスで起こる症状だ。もし仕事の悩みだとしたら、近しい間柄である兄には言えない悩みなのかもしれない。
いずれにせよ、私があれこれ推察してもわからないことだ。
こういうナイーブな話題は遠回しに聞くべきなのだろうが、あいにく私にそういった芸当はできないため直球で聞いた。
「それがまったくわからないんだ……」
不甲斐なさを悔やむような表情でレナード様が漏らした。
「まったく?」
「まったく」
「わからない?」
「わからない」
「いやいや、不眠症になるほどの何かがあったのでしょう? 詳細は言わなくてもいいですから、正直にどうぞ」
「ほんとにわからないんだ。わからないからこそ気持ち悪い……」
隠しているとは思っていないが、茶化すように聞いてしまったことを反省するほどにレナード様が苛(いら)立(だ)ったように答えた。
少し話しただけでレナード様が真面目で責任感も強いことがわかるし、兄の上司ということは役職も得ている方だ。そんな方が休職せざるをえないほどの不眠症で、しかもそれが原因不明というのは、かなり深刻な事態なのではないだろうか。
そう思って今一度気を引き締めた。
「何か持病はおありですか?」
「いや、ない」
「睡眠薬以外で何かお薬の常用は?」
「ない。睡眠薬も何種類か飲んだが、効果がなかったから今は飲んでいない」
「一日の睡眠時間は大体どのくらいですか?」
「長くて一時間くらい。短いときは十分すら無理だ」
「それだけ?」
「あぁ。ある日突然不眠症になってしまって、本当に参っているんだ」
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