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つれない警察官は本命を逃さない 浮気した彼氏と別れたら、噂のおまわりさんに溺愛されました

香川みやび / 著
小島ちな / イラスト
定価 1,320円(税込)
発売日 2025/08/29

内容紹介

俺のこと煽んなよ
保育士として働く小春は、結婚まで考えていた彼氏に二度目の浮気をされ交際を解消する。傷心の中、半ば無理やり合コンに連れていかれると、界隈で「レア」と言われている警察官の権藤が参加していた。女性陣の注目を一身に集めるも、権藤自身は興味がなさそう。だが合コンの後、小春をデートに誘ってきたのが話題の権藤で!? 付き合うわけでもなく、ただ二人で会う回数だけが増えていく。しかしお店選びもスマートで女性慣れしていそうな権藤が、何を思って誘ってくるのかわからないまま……。「せっかく人が冷静でいてやろうと思ってたのに。人の理性焼き切って楽しいか?」モテすぎ警察官の本気の溺愛が始まります!?

立ち読み

 街なかを歩いていると、一組の男女カップルが目に飛び込んできた。
 男のほうはライト級ボクサーのような細マッチョでずいぶんと鍛えられている。人受けのよさそうな甘い容姿、若さと自信に満ちあふれ、笑うと爽やか、白い歯は清潔感が感じられる。
 その隣には、派手な美人がいた。
 艶のあるダークブラウンのロングヘアは綺麗な外巻き。濃い化粧、露出は少ないもののタイトなワンピースを着ており、手に持つハイブランドのバッグも相まって、ギャルというより夜職っぽい雰囲気だ。
 二人を見ても特段変わった様子はなく、言わばそこら辺にいそうな普通のカップルである。腕も組んで仲睦まじい。普段なら見過ごしていただろう。
 その片方、男のほうが自分の彼氏でなければ、の話だが。
「翔(しょう)平(へい)、その人、誰?」
「こっ小春(こはる)!?」
 どのタイミングで話しかけようかと悩んだが、二人が人目を気にせずキスをした瞬間を狙った。だってこれ以上言い逃れできないチャンスなんてないだろうから。
 キスの直前にも女性の肩を抱いて引き寄せ、耳元で囁(ささや)き、慣れた手つきで腰などを触ったりと、怪しい動きの連発だった。そしてキスまで目撃したので、小春は彼氏に……翔平に話しかけたのだ。
「え、小春、なんでここに……、平日だから仕事なんじゃ……?」
「そんなことはどうだっていいの。で、その人は誰なの? ずいぶんと仲良さそうだね」
 小春は組まれた腕に目をやる。すると翔平は慌てて腕を振り払い外した。先ほどの余裕な笑みはどこへやら、目は右往左往忙しなく動き、挙動不審。その振る舞いがやましいことがあると、自ら証明している。
「いや、違うこれは……」
「ちょっと待って? あんたこそ誰よ?」
 言い訳しようとする翔平を押しのけて、女性は目の前にやってきて立ちはだかり、睨(にら)んでくる。おかげで対峙するような形になってしまった。
 まわりの通行人は突如として始まった女のバトル……痴話(ちわ)喧(げん)嘩(か)に興味を示しながらも、面倒ごとに巻き込まれたくないと言わんばかりで足早に、だが後ろ髪を引かれつつ通り過ぎていく。
「さっきまで、あなたの後ろにいる翔平の彼女だったんだけど……」
「こ、小春……!」
「今から別れるから、元カノになるのかな」
 そう言うと、翔平の顔はより真っ青になった。
「言ったよね、私。次に浮気したら別れるって」
「い、いやだ、別れたくない」
「もう無理だよ……疲れた」
 小春はカバンをまさぐって、あるものを取り出した。付き合って最初のころに、翔平から貰ったキーケース。ずっとファッション雑誌を眺めて「欲しいなぁ」と切望していたものを、サプライズで渡してくれたやつ。
「家の鍵入れにでも使えば?」
 たしかそうやって、ぶっきらぼうな口調で渡してきたっけ。嬉しさのあまり泣いたら「大げさだ」と言って、優しく抱きしめてくれた。なぜ今になって、幸せだった日々を思い出してしまうのだろう。スナップ写真のように一枚一枚、シーンが脳裏に浮かんでくる。まるで走馬灯だ。
 小春はそこから鍵を一つ抜き取り、翔平に渡した。そして彼に渡してあった自宅の合鍵を返してもらおうと、手のひらを上にして前に出す。
「私のも返して」
「い、いやだ……」
 翔平はいつも財布やキーケースをズボンの後ろポケットへ入れる癖があった。そのポケットを守るようにして手で押さえるのを見て、彼には返す意思がないことを知る。
 人の目がある、それに浮気相手までこの場にいる。ここで一悶着を起こしたくはない。小春は諦めたように頷(うなず)き「分かった」と、ただ一言だけを置いて、来た道を戻った。
 人をかき分け、歩きながらふと思う。「お楽しみのところ邪魔してゴメンね」最後にそんな嫌みでも言えばよかっただろうか。だけど後ろで女がギャアギャアと騒いでいるのを背中で聞いて、すぐに立ち去って正解だったと思う。痴話喧嘩なんかに巻き込まれたくはないのはこちらとて同じだ。これでいい、この選択は間違っていないと、迷いのない足つきで歩を速める。
「翔平ってお前、私に嘘の名前教えてたんかよ!? 誰だよヨータって!」
「いや、ちょ、ちょっと待って、……小春、小春!」
 名前を呼ばれたが、無視して歩く。ヨータなんて名前の人は知らないから。

 雪(ゆき)村(むら)小春(こはる)、二十八歳。
 付き合って八年目、彼氏が二度目の浮気をしたので別れました。



「小春センセ、おはよーごじゃいます!」
「ガクくん、おはようございます」
「小春先生、今日も一日よろしくお願いします」
「はい、行ってらっしゃい。お気をつけて」
「ママぁ、お仕事がんばりぇ~!」
「はーい行ってくるよ! ガクも先生の言うことちゃんと聞きなさいよ!」
「あーい」
 小春は保育士として働いている。今の小春の癒しといえば、朝に登園する園児たちの舌足らずな挨拶だ。次々と保護者に連れられ登園してくる園児たち。頭を下げたり手を振ったりと、小さな体を使って一生懸命挨拶してくるのが可愛くてたまらない。
 保育士という仕事はとてもハードで、体力勝負なところがある。園児たちは底なしの体力で元気いっぱいだし、追いかけて捕まえてはまた逃げられての繰り返し。子どもからすれば楽しい追いかけっこのつもりだろうが、保育士からすると持久走、常に体を動かしてヒーヒー言っている。危険なことがないよう周囲に目を光らせて気を張っていないといけないし、保護者ともつかず離れず、上手いこと距離感を持って付き合わなくてはならない。
 季節の変わり目関係なしに連鎖する胃腸炎、流行り風邪を園児からもらわないよう手洗いうがいは毎日毎時必須だし、そのせいで手荒れもひどくなる。寒くなるとインフルエンザのワクチン接種も必要不可欠で、自己体調管理にだって気を遣う。
 季節ごとにあるイベントの飾り付けや保育で必要になる教材など、持ち帰りになる仕事もあったりして、休日なのに全然休めなかったりする。保育士のイメージとして抱きやすい、のんびりのほほんといった仕事環境では全然ない。むしろその真逆、汗水垂らしての肉体労働に近いだろう。
 想像以上の忙しさ、それに見合わない給料の低さ、保護者との摩擦に疲れ果てる保育士は多かった。小春と同期で同職となった友人のうち、半分以上がこの職を辞し、別の仕事に転職しているほどだ。社会には待機児童の問題などあるが、復職してくる保育士は少なく、離職率の高い職種の一つと言えるだろう。
 保育士の労働環境を改善しようという動きは最近になってやっと活発になってきたが、それでも配置基準が低いことは改善されていない。たとえば三歳児ともなると、保育士一人に対し園児十五人を受け持つことが可能とする国の基準がある。もちろん市町村、もしくは園によって様々基準は異なるが、諸外国だとその園児の年齢だとすれば、園児五人につき一人の保育士の配置が一般的だという。
 普通に考えて、いくら保育士資格を持っていたとしても、大人一人で子ども十五人の世話をするには無理があるし限界がある。パート保育士等の補助があるとはいえ、日本の保育の問題点はまだまだ山積しているのが現状だった。
 職員たちの申し送りが終わると、同僚の小泉(こいずみ)まいこ……もとい、まいこ先生が話しかけてきた。まいこ先生は小春の二歳年上、とっても頼りになる先輩保育士だ。
「小春先生、疲れてる? クマすごいよ」
「そうですか?」
「うん。全然化粧で隠しきれてないもん」
 まいこ先生は自身の目元を指でなぞりつつ、「寝不足なの?」と尋ねてくる。
「もしかして彼氏さんとなんかあったんですか~?」
 同じく同僚の佐伯(さえき)美々(みみ)が会話に入ってきた。美々先生は小春の二個下の後輩で、パソコンが苦手なのか、たまに書類関係で誤字や打ち間違いなどのケアレスミスはするものの、園児からとても慕われている。
 そして美々先生は中々に鋭い勘を持っているようだ。事実、彼氏と別れたばかりなので小春はうっと胸に手を当てよろめくフリをする。
「まぁ、はい。恋人と別れまして」
「え、あの消防士の彼ピでしょ?」
「そうです」
「長いこと付き合ってなかったっけ?」
「八年ですね」
「えーっ、なのに別れちゃったんですか、もったいな~い。というか、なんで別れたんですか? まさか浮気されちゃったとか~?」
 またもや美々先生の図星に小春は胸を押さえた。
「えっ!」
 驚いた声を出したのはまいこ先生のほう。
「えー、マジか。あの消防士、小春先生にベタ惚れっぽかったのに……」
「でも消防士って、チャラいとか遊んでるとか言うじゃないですか。小春先生、もてあそばれちゃったんですか~?」
「いや、八年も付き合っておいて、もてあそぶとかないでしょ」
「そっかぁ……長い春ってやつなんですかね~」
 小春を置き去りに、二人の会話は盛り上がる。小春は正直に別れた理由を説明し始めた。
「浮気されたんです。二度目の」
「二度目! あ、前にも別れる別れないとか揉(も)めてたね。あんときが一度目か」
「はい」
「え~、でも八年で二回の浮気だったら、少ないほうじゃないですか~?」
「いや、多いとか少ないとかじゃなく、浮気したこと自体が問題なんでしょ」
「え~、まぁ……そうですけどぉ~」
 実際のとこどうなん? とばかりに、二人は視線を向けてくる。
「私が知ってる限り二回ってだけで、多分、他にも遊んでたと思います。私が気づかなかっただけで……」
「あ~、なんか分かるかも。小春先生、鈍感そうだもんねぇ~」
「グッ」
 美々先生の辛辣(しんらつ)な言葉がグサッと心臓に突き刺さってくる。
「前は許したってことですよね? 一度目は許したけど、二度目はダメでしたか~」
「私、もう二十八だしね。将来のこと考えると結婚したいし、何度も浮気する男ってのはちょっと……」
「たしかにぃ~。浮気ってある種のビョーキだから、性懲りもなくまたしそうですよね~。二度あることは三度あるって言うしぃ~」
「あ、小春先生、今私にケンカ売ったでしょ? 私もう三十なんだけど? 夫も彼氏もいませんけど? 絶賛彼氏募集中ですけど?」
「いや、そういうわけではなく……」
 怖い顔で詰め寄ってくるまいこ先生はまだ独身だ。というより、この場にいる全員が未婚であるのだが。
 以前にも、まいこ先生は「結婚するなら絶対公安・国防系!」と言っていた。公安・国防系とは警察・消防・自衛官・保安官などが挙げられるだろうか。なぜかと聞けば、「ほら私ってばガタイがイイじゃない? でもソッチ系だったら、隣に立っても私が華奢に見えるんじゃないかと思ってさ」と、よく分からない説明を受けたのを小春は思い出した。
「私を軽々持ち上げられる殿方を見つける旅」と言って、まいこ先生は日々合コンに参加しまくっているが、まだその殿方は見つかっていない模様。
「ま~結婚して別れるってなったら、そっちのほうが大変ですよね。離婚となると慰謝料や財産分与の取り決めをしないといけないし。浮気ってなっても、それを証明するための確実な証拠も集めないといけないし。興信所とか探偵つけるってなっても、かなりの金額がかかっちゃう。でもそこまでお金かけても慰謝料の相場って少ないし、むしろマイナスになっちゃうみたいです。不倫されて離婚する場合、サレた側の負担だけが大きいんですよね。お金の面でも、精神的な面でも。それならカレカノの段階で下半身ゆるゆるな浮気男なんて見切りつけたほうがいいかぁ~」
「……美々先生、よくそんなこと知ってるわね。まさか体験談なの?」
「私の友達が結婚してたんですけど、旦那さんの不倫で離婚したんです。そこから聞いた話ですよ。お互いの両親を巻き込んでの話し合い、めーっちゃ揉めたらしいです~」
「ひぇー! ドラマみたい! 修羅場じゃん!」
「うわぁ……」
「もう一人の友達は、当時の彼氏と結婚の約束までしてたけど、別の女と浮気したらしくて。婚約破棄になって慰謝料請求してました~」
「美々先生の友達、不幸すぎんっ!? てか、付き合ってる段階で慰謝料請求なんてできるの?」
「その子は結納までしてましたからねぇ~。弁護士も雇ってましたよ~」
「うわぁ……」
「でもやっぱり、慰謝料は微々たる金額だったらしいです。その子はそれ使ってハワイ旅行して、現地で新しい伴侶を見つけて今はものすごく幸せそうですけど~」
「パワフルなのか逆境に強いのか、判断しかねるわね……」
 そうこう話をしていると、この保育園の年長者である園長先生がやってきて、小春の隣に立って肩にポンと手を置いた。
「浮気した男ってのは結婚しても必ず浮気はするからね。結婚したからといって、遊び人が更生するとは思えないわ。そんな男は放っといて、早く別の男を捕まえなさい。それで、申し送りは終わった? さぁさぁ、皆さん仕事を始めましょうか」
 園長先生が手を叩くと、各自は仕事へと蟻(あり)の子のように散らばっていった。ちなみに、園長先生も現在は再婚して幸せそうであるが、一度目の結婚で元旦那に浮気をされ、壮絶なバトルの末に離婚した経験がある。そのためかなり説得力があった。まさに経験者は語る、である。
 傷心しているのに慰めるものはおらず、朝から言葉のボディブローを連続で喰らいながらも最終的に放置されるという職場はどうにかならんかと思うけど、同僚には恵まれているし、子どもたちは可愛いし、激務であるけれど今のところこの仕事を辞めるつもりは一切ない。
 小春は一つ息を吐いた。そうしてまた、彼氏がいなくなっただけの、同じような一日が始まっていった。

「小春先生! 合コン行こう!」
 いつも通り慌ただしく終業すると、まいこ先生が合コンに誘ってきた。
 こちらはクタクタで疲れ果てているのに、同じ仕事量をこなしているはずのまいこ先生のこの元気っぷり、体力はどうなっているのかと摩訶(まか)不思議だ。
「合コンですか……まいこ先生、元気ですね……」
「小春先生、いいじゃないですか。男の傷には新しい男、ですよ~!」
 美々先生は小春の背中を押した。つまりは合コンに行けってことだ。美々先生は小春より二歳年下のはずなのに、ときたま恋愛の玄人みたいな発言をする。美々先生の恋愛話は聞いたことがないけれど、いつも余裕そうだし、恋愛経験は豊富なのかもしれない。
「今日は警察官だよん」
「まいこ先生粘りますね~! まだ国防系諦めてないんですか~?」
「チッチッ、ちゃうちゃう。今日のは警察官だから公安系ね。そこはハッキリさせとかないと」
 まいこ先生の言葉に美々先生は呆れた様子。まいこ先生の合コン相手はここ最近ずっと国防系ばかりだった。たしかこの前は自衛官だったはず。というか、公安系と国防系の違いがあまりよく分からないから、どちらでもいい気はするが、まいこ先生の中でははっきりとした区別があるのだろう。
「今日は大当たりの日なのよ! ごんちゃんが来るの! ごんちゃんが!」
 まいこ先生は鼻息荒く叫んでいるが、小春も美々先生も、そのごんちゃんとやらが誰なのかさっぱりと分からない。顔を見合わせ、はて? と首を傾げる。
 フンフン鼻息荒いまいこ先生を横目に、美々先生は「小春先生、参加するべきですよ。浮気する消防士より、警察官のほうがまだ真面目そうですもん~」と小声で囁いて、励ますように肘で小突いてきた。
「美々先生も来る?」
「私は公安系よりオフィス系がいいです~。お疲れ様でしたぁ~」
 まいこ先生は意気揚々と美々先生も誘うが、即座に断られていた。そそくさと帰っていく美々先生。パタン、とドアの閉まる音がする。
 オフィス系ってのはどういうことだろう、スーツ派ってことだろうか。そんなことを考えながら取り残された小春。まいこ先生は「逃さないぞ」とばかりに小春の腕を掴んでいるので、体力は限界であろうと合コン参加は必須なようだ。

 場所は変わって飲み屋街。夜に映えるネオンの光は客を誘う。
「今日は四対四だからね! 気合入れてこう!」
 いつ化粧を直したのか、まいこ先生はバッチリメイクを決めていた。いつも仕事中はほぼスッピンに近いのに、今日はグロスまで塗っている。服装だっていつもの動きやすいジャージ&エプロンとは違う、女性らしい花柄のワンピース姿だ。その様子から、まいこ先生がかなりこの合コンに力を入れていることがよく分かる。しかし「気合だっ気合だっ」と叫んでいて、今から試合でもするのだろうか、屈伸運動やストレッチをし始めた。
 いきなり当日誘われた小春は着替えを持ってきておらず、朝の通勤時と同じく動きやすいラフなTシャツにテーパードパンツという出(い)で立ちだった。色気なんてありゃしない。化粧だって仕事をして汗をかいたせいでほとんど取れていて、眉毛なんかは半分消えかけている。目尻もマスカラが落ちて黒ずんでいて、これはマズイと慌ててパウダーファンデーションを叩いてリップを塗り直したが、全然持ち直せていない。小春はフルメイクするだけの化粧品を持ち歩いていなかった。まいこ先生に借りるのもなんだし、わざわざコンビニで買うのもお金の無駄に思えて、そのままの状態でやってきた。
 せめて足元が綺麗めなパンプスならよかったのに、履き慣れたスニーカーである。しかも薄汚く、くたびれていて哀愁漂う。
 開催場所の居酒屋に入れば、他の参加者、女性二人はもうすでに到着しており、小春以外がキッチリカッチリ隙間なく武装していた。戦闘準備完了と言わんばかりだ。
 ゆらゆら揺れるピアスにふんわりとした女性らしいファッション。セクシーではないけれど、明らかに男性を意識した、男性の目を引くようなファッションは同性の小春から見ても素敵である。ふわりとしたフローラルな香水もいい匂い。
 小春は周りを見渡すが、それらしき人はいない。仕事が押して遅れているようだ。席につくと、先に女同士で話が盛り上がる。
「ごんちゃんが来るなんて、めっちゃラッキーじゃない!?」
「ほんとそれ。こういうのにごんちゃんってば全然来ないのに、珍しいよね」
「小春先生、今日は本当にアタリの日だから、楽しもうね!」
 和気あいあい、まいこ先生の合コン仲間という彼女たちは初対面の小春にも優しくしてくれて、面白いトークに腹を抱えて笑ってしまう。敬語も砕けて会話に華を咲かせていると、ようやく男性陣が到着した。
「ごめん、遅れちゃって」
 頭を下げながら背の高い四人がぞろぞろと入ってくる。
「大丈夫ですよ~! お仕事お疲れ様です~!」
 先ほどの会話より一つオクターブを上げて、まいこ先生たちは彼らに労(ねぎら)いの言葉をかける。
 女性らしい高い声、小春はまいこ先生のそんな声初めて聞いた、と言わんばかりに隣を振り向くが、まいこ先生の目線は獲物を物色しているのか真っ直ぐ前を向いたままだ。
 それぞれが席につくと、乾杯して合コンは始まった。
 ちら、と覗き見るようにして目の前に座る男性陣に目を向けると、タイプは違うけれど全員がかなりの男前というのが見てわかる。加えて警察官ゆえ鍛えているのか、共通してガッチリ体型だった。
(たしかに、これはアタリなのかもしれない……)
 小春はカシスオレンジの入ったグラスを口につけながらそう思った。この四人が登場したとき、場の空気がガラリと変わった気がしたし、他のテーブルに座っている女性客からの視線も、この座卓へと一気に集中していたからだ。
 鮮やかで華やかな洋服に身を包んだ女性陣の中で浮く、洒落っ気のない自分はもしかしたら引き立て要員として呼ばれたのかもしれない……と思ったが、そんな小春には目もくれず、まいこ先生たちは男性陣に積極的に一生懸命話しかけていたので、そういうわけでもなさそうだ。まいこ先生がそんな意地悪な真似はしないか、と小春は少し反省する。
 まいこ先生たちの積極性は大したものだと感心したが、男性陣はそういったことに慣れきっているのか、上手く質問を躱(かわ)したり話を合わせたり、逆に聞き返しては話を盛り上げ、ドッと笑いを起こしている。居酒屋の店内の中でもここの卓が一番盛り上がっているようだった。
(うわぁ……この人たち、こういうことにめっちゃ慣れてるんだろうな。まいこ先生ですら、手のひらで転がされてるもん……)
 長年付き合ってきた彼氏がいたので合コンには不慣れな小春でも、この男性陣らは女性の扱いに長けていると感じ取れた。その様子を目で追っていると、テーブルの端っこに座っていた、自分と対角線にある席にいた男性とパチリと目が合う。
 その男性も端正な顔つきで、黒い短髪、少し長めの前髪。涼しい顔立ちのせいかミステリアスな雰囲気をまとっている。三白眼ぎみの二重、切れ長な目が印象的だ。
 その男性は小春に対しニコッと笑ったが、すぐ視線を外し、また話の輪へと戻っていった。
 一瞬だけ交わした視線、自分に対してなんの興味も抱いていないのだろうと小春自身もすぐに悟った。小春も、特に気にすることなくその男性から視線を外した。

「ど~でしたか? 昨日の合コン!」
 次の日、美々先生がワクワクした様子で尋ねてきた。
「どうもこうも、見ての通りだよ、美々先生」
 小春の隣では、まいこ先生が悪役令嬢よろしく悔しそうにハンカチをぎりぎりと噛んでいる。
「微妙だったんですか~?」
「いや、全然。イケメンばかりだったよ。私たちじゃ手に負えないような、ね」
「え~ウソ~! それなら私も見てみたかった~!」
 行けばよかったと、美々先生は残念がる。
 昨夜の合コンはスムーズにお開きになり、二次会もなし、個別で飲み直しもなし、誰もお持ち帰りされることなく、無事に解散した。お約束なのか礼儀としてなのか、全員でメッセージの連絡先を交換したがそれだけで、「じゃ、お疲れ様!」と男性陣は速やかに帰っていった。残された女性陣、小春を除く女性三名は気力を使い果たしたのかまるでゾンビみたく、去り行く男性陣に手を伸ばしていたが、彼らが振り向くことはなかった。次の日も各々仕事のため、二次会や反省会などをすることなく、その場で別れたという経緯である。
 まいこ先生も合コン中、全方位に粉をかけまくっていたが、誰一人にかかることなく終わった。しかしまいこ先生は諦めることなく、帰宅してから男性陣全員へ食事に誘うメッセージを送ったそうだが、簡潔にスタンプのみが返ってきたという。
 しかも偶然なのか男同士で口裏合わせをしたのかは不明であるが、全員が全員、ヒヨコが手を振りながらフェードアウトして消えていくスタンプだったそう。つまりは食事に行かないという意思表示、その悔しさから、まいこ先生はこうしてハンカチを噛んでいた。
「まいこ先生、元気出してください~!」
「そうですよ、まいこ先生。あんなの私たちじゃ相手にされませんよ。昨日のお店も素敵だったし、いいお店が見つかった、それだけでもよかったじゃないですか」
「へぇ! どんなお店でした? ごはんも美味しかったですか?」
「うん、居酒屋バルだったんだけど、料理もチーズもデザートも全部美味しかったよ。ステーキは肉厚でボリュームあるし、なのに柔らかくて食べやすかったの。ロブスターなんかは丸ごと出てきてさ……」
 こんなおっきかったのよ、と小春が手を広げてロブスターの大きさを示し、美々先生が「私も行ってみた~い! 今度一緒に行きましょ~!」とキャッキャッ騒いでいると、まいこ先生が「もう我慢ならん!」と怒り心頭で言葉を発する。
「小春先生悔しくないの!? なんだか女として認められなかった気分なんだけど! なんだあのスタンプ! 腹立つぅ!」
「悔しいもなにも、向こうからしたらハズレだったってことなんじゃないですか~?」
「グフッ!」
 美々先生が図星で返すものだから、まいこ先生は膝から崩れ落ちた。
「……あ、そういや今日、鍵屋さんが来るんだった……」
「鍵~? どうかしたんですか~?」
 ロッカーの鍵を締めつつ思い出すと、独り言のつもりが美々先生にも届いていたようで、聞き直される。
「いやあの、元カレが合鍵返してくれなくて。留守中勝手に家の中に入られても困るし、それなら鍵を交換しようかなって」
「え~、お金かかるのにぃ! だったらいっそのこと、引っ越したほうがよかったんじゃないですか~?」
「うーん、それが次の更新までまだあって……。高い手数料取られるのもなんだしで、だったら鍵だけでも先に取り替えようかなって」
「なんかもったいない話ですね~。っていうか、元カレもちゃんと鍵くらい返しなさいよね~」
 代わりに怒ってくれる美々先生に小春は苦笑いをする。本当に鍵だけは返してもらったほうがよかった。そう思うが、もう遅い。
 現実的なお金の話をしていると、始業の時間となった。

 基本的に、園児たちがすやすや眠るお昼寝タイムが保育士のお昼休みとなる。その休憩時間、ティロリン♪ と小春のスマホがメッセージの着信を告げたのは、あの合コンから一週間が経ってからだった。翔平からの連絡はすべてブロックしてあるし、ならば家族か友人からだろうか? 小春はスマホを手に取る。
 アプリを立ち上げてみると、見慣れないアイコンに「え?」と瞬き一つ。あの合コンの男性陣の一人からであると分かれば、小春はスマホを手にしたまま一瞬固まった。
『GON』という文字と共にチワワの写真を載せたアイコンに、どの人だったっけ……と、小春は四人の顔を思い返す。全員がイケメンだったのは覚えている。しかし、名前はうろ覚えだ。それにチワワの写真は可愛いけれども、なんのヒントにもならない。
 思い出せないまま、小春はメッセージを開いた。
『この前はありがとうございました。連絡が遅くなりすみません。今週末、よかったら食事に行きませんか?』
「……えっ!」
「どしたの?」
 驚いた声を出すと、隣にいたまいこ先生が手元にある自分のスマホに視線を置いたまま尋ねてくる。
「いえ、なんでもないです」
 小春は曖昧に笑ってはぐらかした。まいこ先生がお食事デートに誘ってダメだった人からメッセージが届いた、しかも食事に誘われたなんて知られたら、激昂(げっこう)してまいこ先生が襲いかかってきそうだからだ。
 まいこ先生は「ふぅん?」と一瞬顔を上げたが、またスマホゲームに夢中になったのでホッとして、小春は再びスマホのメッセージに目を落とす。
 どの人だったか本当に分からないし、なんて返信しようと悩んでしばらくぼんやりしていると、また追加のメッセージが送られてきた。
『ご迷惑でなければ、ピア・ド・ルパに予約をします』
「えっ!」
「だから小春先生どうしたんて」
 先ほどから一人騒がしい小春に、まいこ先生も気が散るよう。
 ピア・ド・ルパといえば、この辺りでは有名なレストランだ。本格的なフレンチが楽しめる、なのに手ごろな価格であるからと元々人気であったが、某ガイドブックに掲載されてからはより予約の取れないレストランとなった。しかも星付きだ。雑誌やテレビでも特集に取り上げられているのを見たことがあるし、一度は行ってみたいと思っていた。
「これは嬉しいかも」
 小春は好奇心と食欲に負け、了承の返事を返す。
 GONに時間と待ち合わせ場所を指定されてようやく現実に戻ってきた小春は、高級店というわけではないがきっとカジュアルな普段着ではアウトなお店、こういったシチュエーションにまったく慣れていないせいでついうっかり、まいこ先生に相談をしてしまう。案の定怒って暴走牛と化したまいこ先生に「こんにゃろう!」と襲いかかられ、美々先生に助け出されるまであと三分だった。

 ついにその日を迎えた小春は、薄い水色のトップスに大ぶりな花柄レースが印象的なネイビーのタイトスカートを下に合わせて、GONに指定された待ち合わせ場所で待っていた。
「キィィィ!」
 噛み付いてきそうなほど歯を食いしばりながらも、まいこ先生は仕事終わりにショッピングモールまで付いてきてくれたし、男ウケするというコーデを組んでくれた。しかし初っ端から肩が丸出しの真っ白オフショルダーのワンピースをすすめられて「それはちょっと年齢(とし)的に……」と断り、中々の時間を要したが。
 試着時、まいこ先生が尋ねてきた。
「ほんで小春先生は一体誰から誘われたのよ?」
「GONさんって人です」
「……小春先生、とんでもない超ドS級モンスター引き当てたわね……」
「え?」
 少し引いた様子のまいこ先生は最後までヒントをくれなかったし、ついにどの人なのか分からずじまい。「教えてくださいよ」とお願いしたけれど、「当日知ったほうが楽しみが増えるでしょ」と教えてくれなかった。
「小春先生、これはどう?」
「ミニ丈すぎませんか? パンツ見えちゃいますよコレ」
「そぅお? 減るもんでもないし、見せとけばいいじゃない」
「なんでですかっ」

 そんな買い物の様子を思い出しながら待ち合わせに来てしまったが、だんだんと緊張が高まってくる。まともに接したことのない相手と、どんな会話をすればいいのだろう。今まで、元カレ以外で男性と関わることが滅多になかったせいで、会話の心配ばかりしてしまう。共通の話題なんてあるわけないし、時事問題ってのもどうなのだろう。ネタとしては堅すぎるだろうか。なにか最近面白いことあったっけ……いや、特にない。小春はぼんやりと考える。うわの空でいると「すいません」と声をかけられた。
「はい?」
 小春の目の前にはチャラそうな茶髪の男が立っていた。
 あれ、合コンでこんな顔の人いたっけ? 見覚えがないと小春は首を傾げる。
「待ち合わせ?」
「えぇと……」
「今からご飯でもいきませんか」
「え?」
 声をかけてきたのがGONでなかったことに戸惑いつつも、小春の脳内にはこのあと行く予定のレストランのことが思い浮かんだ。ずっと行きたかったレストランへ今から向かうのに、それを蹴ってまで付いていくはずがない。断ると、「じゃあ連絡先だけでも教えてよ」と、男は自身のスマホでQRコードを見せてきた。急にそんなことをされて戸惑いが隠せない。
「え、いや、あのちょっと……」
「お待たせ」
 グイグイ距離を詰められて困っていると、頭上から声が降ってくる。見上げると、この前の合コンで対角に座っていた男だった。やっと見知った顔に味方が増えた気になって、小春は安堵のため息を吐く。


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