書籍詳細

不吉の予言と約束の乙女
定価 | 1,320円(税込) |
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発売日 | 2025/06/27 |
内容紹介
立ち読み
プロローグ
かつてこの国を牛耳った暴君がいた。
前(さき)の国王を弑(しい)し、傭(よう)兵(へい)を重用して軍事力を備えた暴君の暴政は誰にも止められず、心ある者たちは、国を憂いながらも大陸へと逃れた。
それから十数年後、身分を偽り流浪の日々を送っていた前国王の子アンブローズは、反乱の兵を挙げる。
彼がかき集めた軍は、国王軍との絶望的な兵力差に薙(な)ぎ倒され、アンブローズ自身も矢傷に斃(たお)れた。誰もが勝利を諦めかけた、そのとき――戦場に現れた“妖精の乙女”は、死した王子に口づけた。
乙女の祝福を受けて、アンブローズは息を吹き返し、彼の率いる反乱軍は、連戦連勝を重ね、ついに王座を奪還する。
王位に就いたアンブローズは、乙女に王妃となるよう請うたが、固辞した彼女は国王の元を去った。
『いつか、この国が再び危機に瀕(ひん)したとき、わたくしは必ず陛下の元に戻って参ります。たとえこの身が尽きても、この魂が消え果てても、誓いはこの血に宿りますように』
――やがて訪れる国難の予言と、永遠の加護の約束を残して。
以来、王国が揺らぐたび、歴代国王は“妖精の乙女”の再来を願ったが、彼女が現れることはついになかった。
そして――。
「頼む。“妖精の乙女”の子孫たるヴィヴィアン・ウィストよ。俺と子を作ってくれないか?」
「嫌ですけど!? 口説き方ってものがあるでしょうが!」
そういう次第で、救国の国王と乙女の約束から二百余年が経(た)った今、ヴィヴィアンの握り拳は、現国王の頬にめり込むことになったのである。
第一章 その出会いは突然に
朝、目が覚めたら、最初に汲(く)み置きの水で顔を洗って、肩にかかる長さの黒髪を頭の後ろでぎゅっと束ねる。その次に、家中の窓を開け放ち、竈(かまど)に薪(まき)をくべて朝食の用意をする。それが、今のヴィヴィの日課だった。
祖母が生きていた頃は、冷たい水を嫌がる彼女のために、朝から湯を用意しようと真っ先に竈の支度をしたのだけれど、一人暮らしにそんな気遣いは必要ない。そもそも、贅(ぜい)沢(たく)に慣れた祖母が今も生きていたなら、ヴィヴィがこんな田舎に引っ越すことはなかっただろう。
そう、田舎。窓から見える景色は、なだらかな丘も牧羊に使われている原っぱも見渡す限り緑色に茂っていて、どこに出しても恥ずかしくないド田舎である。
人間よりも羊の数の方が多いような、隣家まで歩いて四半刻はかかるような田舎のことを、生(きっ)粋(すい)の都会育ちのヴィヴィはたいそう気に入っていた。
「ふふーん。さあ、できたっと。煮込み料理は出来立てより、一日経ってからの方が美味しいもんね」
鼻歌混じりに、夜に作ったシチューを温め直すと、食欲をそそる乳の匂いが辺りを漂う。
昨日は、隣人のお裾分けで、新鮮な羊乳を手に入れた。苦手な人付き合いを頑張らなくとも、親切のおこぼれにあずかれるのは、ヴィヴィが『ここに住んでよかった』と思う理由の一つではある。
だが、最大の理由は、他にある。――『ここには人が少ないから』だ。
「今日は、二軒隣に打ち身の軟(なん)膏(こう)を届けてから、スミスさんのところに鍋を取りに行って……それから行商で何か精がつくものも買いたいな。ジョンおじいちゃんは前にウナギが好きだと言っていたけど、この時期だと扱ってないかも」
ジョンおじいちゃんが死ぬ前に食べさせてあげたかったな、と呟(つぶや)く物騒な声を聞き咎(とが)める者はもちろんいない。これだからやっぱり一人暮らしは気楽でいいな、とヴィヴィは何度思ったかも知らないことを、また思った。
ヴィヴィアン・ウィストは妖精の子孫らしい。それも、亡国の王子の命を救い王座へと導く大活躍をした大物妖精の子孫だというから恐れ入る。
祖母から初めてその話を聞いた時、まだ幼かったヴィヴィもさすがに疑った。最終的に信じたのは、信じざるを得なかったからだ。
ヴィヴィの瞳には、生まれながらに人の“死”が映った。
病に冒された者を見れば、誰にも看(み)取(と)られず孤独に死ぬ様が、働き盛りの職人を見れば馬車に跳ね飛ばされる様が、外を元気に走り回る子どもを見れば川にぷかりと浮かぶ様が映った。
――そして、それらの光景は必ず現実のものとなった。
『ご先祖さまの“妖精の乙女”は、未来を全て見通すことができたそうなの。あたくしも勘がいいとはよく言われたけれど、嫌な予感がする、ってくらいぼんやりとしか分からなかったわ。ヴィヴィは未来をはっきり見られるんだもの、あたくしよりもずっと強い力を“妖精の乙女”から受け継いだのね!』
自身も若い頃は腕利きの占い師として鳴らした祖母は、ヴィヴィの異能を知って誇らしげに言ったけれど、ヴィヴィは怖くてたまらなかった。
“妖精の乙女”のように、未来を全部予見することができるならいい。あるいは、見た未来を自分の行動次第で変えられるなら、この力も役に立つかもしれない。
でも、ヴィヴィの瞳は、人の死を見るだけなのだ。
死に様以外の何も見えないし、予見した死を避けることもできない。
例えば、ヴィヴィの父母が馬車の中で血まみれになって折り伏す様を予見してからは、両親の外出のたびに半狂乱になって止めようとしたのに、二人はよりにもよってヴィヴィが眠った後に出かけた夜会の帰りの事故で死んだ。
――運命はどうしたって変えられないということだろう。
人混みの中にいれば、必ずいくつかは凄惨な死に様を目にしてしまうから、ヴィヴィは外出を恐れるようになった。屋敷に閉じこもる孫娘を見てはため息を吐(つ)いていた祖母にも、やがて青白い死に顔が被(かぶ)って見えるようになり、その半年後にヴィヴィは天涯孤独の身の上になった。
祖母の埋葬が済んだ直後に、王都の屋敷を処分して、逃げるように街を去ったヴィヴィのことを、王都での隣人たちは今頃『薄情な孫だった』と噂(うわさ)しているかもしれない。
それでもヴィヴィは全然構わなかった。
簡単に態度を変える生者よりも、変えられない死の光景の方がずっと恐ろしいし、ヴィヴィが街を逃げ出したことは事実でしかないのだから。
「ヴィヴィちゃん、いつもすまないねぇ。だけど、こんな、ただの打ち身に薬なんて用意してくれんでいいのに。こんなもん、寝ときゃ治る」
「わたしが好きでしてるだけだから、気にしないで」
立てた予定通りに二軒隣の家を訪ねたヴィヴィが、家主のジョン老人に軟膏を渡すと、彼は礼を口にしながらも少し訝(いぶか)しんだ様子だった。
彼の言うとおり、打ち身など時間を置けば治るものだし、薬をつけたからって青あざがすぐに消えるわけでもない。わざわざ治療をする必要があるのかと訝しむのも無理ない。
文字通り、寝ておけば治るのだ。彼に寝ている時間があれば、の話だが。
(ジョンおじいちゃんは、畑仕事の最中に倒れてそのまま寝ついて死ぬ。一週間くらい前からその光景が見えるようになった。倒れたジョンおじいちゃんの腕にはちょうど今と同じようなあざがある。……もし、今回、治療してあざを消せないのなら、おじいちゃんは、このあざが消えないうちに……あと数日で死ぬ)
だからこの軟膏は最後の悪あがきだ。ヴィヴィがこの村に引っ越してきてから、何かと親身になってくれたジョンには、まだ死んでほしくない。この思いがヴィヴィの自己満足に過ぎないことは、分かっているけれど。
(でも……おじいちゃんの死は天寿かもしれない)
ジョンの死に様は、老衰か病死かいずれにしても穏当な死で、最期は身内に看取られていた。十分幸せな死に様に、部外者のヴィヴィが文句をつけるのも、間違っているような気がする。
「……ちょうど、行商も来ているみたいだし、なにか精のつくものも買ってくるからね」
「そりゃ、ありがたいが……どうしてワシにそこまで?」
「別に。わたしがしたいだけだから」
それでも、この目で見た死の運命を変えることもできないなら、どうして“妖精”の血は、ヴィヴィに死の未来を見せるのだろう。
せめて見た通りの未来に辿(たど)り着くまでの時間くらい足掻(あが)かせてくれと、ヴィヴィは目を逸(そ)らすようにジョンの家を後にした。
死期の迫ったジョンのために、と勇み足で行商人を訪ねて荷馬車を覗(のぞ)いたヴィヴィは、がっくりと肩を落とした。
「ウナギは、やっぱり無いですよね。何か精のつく食べ物は……干し肉か干し魚、それか大蒜(にんにく)はありませんか?」
「悪いね。食べ物はあまり持ってこなかったんだ」
「そうですか……」
「次回は多めに仕入れておくよ」
それでは遅いのだ。ジョンの命が、次回の行商まで保(も)つとは思えない。
事情を知らない行商人に本心を言えるはずもなく、ヴィヴィは「ありがとうございます」と頭を下げながら、唇を噛(か)みしめていた。
ジョンにせめてもの恩返しをしたかったのに、自分はどうにも上手くいかないらしい。
身に纏(まと)った灰色の外套(マント)の裾を引きずるようにして、とぼとぼと歩き出した背中に声がかけられたのは、その時だった。
「そこの御婦人、どうやら急ぎのようだが、急な宴会でも開くのか? それとも身内に病人がいるのか?」
「えっと……後者です」
初めて聞く声だった。行商人とは既に顔馴(な)染(じ)みになっていたが、彼には連れがいたらしい。
涼やかな声に尋ねられるとなんとなく答えねばならないような気になって、ヴィヴィは迷いながら声を発した。ジョンとは近くに住む者同士というだけの関係だし、今の彼はピンピンしているけれど、広い意味で言えば『身内の病人』のようなものだろう。
「おじいちゃんに精のつくものを食べさせたくて。うちでは家畜も飼っていませんし、生肉は手に入らないから、ここで買おうと思って」
「狩猟をしたらどうだ」
「狩りはやったことがないんです。それに確か、森での狩りは、領主様の許可が無いとできないんですよね? だから、わたしにはできないし」
「そこは俺が領主に掛け合ってやるが……貴様、村八分にでもされているのか?」
「むらはちぶっ!?」
驚いたヴィヴィは声を裏返らせた。
何気ない世間話をしていたつもりだったのに、どうしてそんな話になるのか。
せっかく自分に親切にしてくれた村人たちが誤解されては堪(たま)らないと、慌てて言葉を継ぐ。
「どうしてそんなっ!? ここの皆さんは良い方ばかりですよ!?」
「いや、貴様があまりにも他人を頼ることを避けるから」
「う……っ!」
確かに普通は、家にいる病人にどうしても美味しいものを食べさせたいと思ったなら、他の者の手を借りるのだろう。頼み込んでよその家の家畜を譲ってもらうでも、自分の代わりに狩りに出てもらうでも、いくらでも手段はあるはずだし、大切な人のためを思えば、それくらいは手を尽くすべきなのかもしれない。
でも、今はピンピンしているジョンがもうすぐ死ぬなんて、冗談にしても不謹慎すぎて、軽々しく他人に言えることではない。他人にそれを言えないなら、ヴィヴィがジョンのために食べ物を調達する理由も説明できなくなるわけで。
それでも、もしも、ヴィヴィに他人を言いくるめる口の上手さがあったなら、話は違ったかもしれないけれど――ずっと引きこもっていたヴィヴィの対人能力は塵(ちり)に等しい。
劣等感を刺激されたヴィヴィは、目深に被った灰色のフード越しに男のことを睨(にら)みあげた。
「わたしの心配しすぎだろうから、わざわざ他の人に頼むのも悪いなって思っただけです!」
「事情も言わず、人に頼めばすぐに無料で手に入るような日用品を手に入れようとして、勝手に家の金を使われる方が、ご家族も困るだろう」
「ご心配なく! これはわたしが稼いだお金ですから! 家族なんていませんし!」
「貴様が……? そんなに小さいのに」
「なっ!? わたしは立派な大人ですけど!?」
頭の辺りに疑いの視線が突き刺さるのを感じた。
ヴィヴィが家の金を勝手に持ち出して、無駄遣いしようとしていると完全に決めつけている。なんて不(ぶ)躾(しつけ)な男だろう!
睨み合い、険悪な雰囲気を漂わせる二人の間に、行商人が慌てて割って入った。
「ヴィヴィさんは薬(くす)師(し)なんだよ。なんでも、前は王都に住んでたんだってさ。都会の人間関係が嫌になって田舎に引っ込んだらしいけど、手に職があるとこういう時に強いよねえ」
「ちょっと!? いちいち言わなくていいです!」
もう二度と会う機会もないだろう男に、個人的なことを知られたくない。
それも『都会の人間関係が嫌になって田舎に引っ込んだ』なんて、いかにも『上手く人付き合いができません』と宣言するようなものではないか。いや、それは間違いではないけれど、ヴィヴィが嫌になったのは“人の死を見ること”の方なのに!
勝手に誤解された上に『ほら、やっぱり人付き合いが苦手だから他人を頼らないんだろう』と勝手に勝ち誇られるなんて、最悪すぎる。
だが、手ひどい侮辱を予感して俯(うつむ)いたヴィヴィの頭上に降ってきたのは、予想外の声だった。
「……『ヴィヴィ』だと? 貴様がヴィヴィアン・ウィストなのか?」
「はい? どうしてあなたがわたしの名前を知って――」
「探したぞ」
思わず顔を上げたヴィヴィの瞳は、目の前の青灰色(ブルーグレイ)とかち合った。
間近で見た男はやけに綺麗な顔をしている。歳(とし)の頃は二十代後半だろうか、きらきらと輝く金髪に縁取られた端正な顔立ちに、喜色満面の笑みを浮かべている。
そう、彼は嬉しそうなのだ、どういうわけか。
「我が名はユージーン・ペル・メルディヌス。このメルディヌス王国の王だ。迎えに来たぞ、我が“妖精の乙女”よ」
さあ、俺と一緒に来てくれるな?
右手首を強く掴(つか)んで引き寄せられて、驚いたヴィヴィは思わず――ユージーンに肘打ちを食らわせていた。
四年前の国王崩御の際、国王の唯一の子であったユージーンは弱冠二十二歳で王位に就いた。
即位当初は若すぎる国王への不安や反発の声も多く聞かれたが、若き君主は次第に頭角を現した。
妾(しょう)腹(ふく)の生まれで外戚を持たない彼は、親政を敷き、空いた自身の王妃の座を餌にして、有力貴族たちをも翻弄したのだ。
周囲が彼の英明さに気づいた頃には、新国王は権力を一手に掌握してしまっていた。
利権を持つ者の反対によって進まなかった街道や上下水道の整備、都市の商業ギルドの解体を始めとする経済振興策の数々――そのおかげでユージーン王の民からの人気は鰻(うなぎ)登りだ。
「その名君がデリカシーのない誘拐犯だったなんて……」
ヴィヴィは深々とため息を吐いた。
ヴィヴィが想像していた『英明な君主』なら、哀れな一国民に対し慈悲を施すことはあっても『人付き合いが苦手な引きこもりめ』と暴言を吐きながら連行しない。そのはずだったのに、実物がこれだなんて。
恨めしく思ってじっとりと睨みつけると、ユージーンは、無駄に整った顔にきょとんとした表情を浮かべた。
「人聞きが悪い。国王が行えば『誘拐』も正当な『召喚』や『拘(こう)引(いん)』になるというのに」
「呼び方じゃなくて事実を否定してくれませんか!?」
「ちなみに貴様の肘打ちは『公務執行妨害』だ」
「ぐぬ……っ」
護身のために彼に肘打ちを食らわせたこと自体は悔いていないが、それを口実に『貴様の家で手当てをしろ』と求められると分かっていたら、我慢していた。もう少しだけ冷静になればよかったと後悔がふつふつと湧いてくる。
ヴィヴィは、収まらないむかっ腹を抑えつけながら、どうしても聞いておかねばならない問いをくり出した。
「それで、お忙しい国王陛下は、はるばるこんなド田舎まで何の御用でいらっしゃったんです?」
「先ほども言っただろう。“妖精の乙女”を迎えに来た」
「一度聞いて分からなかったから、あえて尋ねているんです。“妖精の乙女”ってアレですよね、アンブローズ国王を手助けしたっていう、二百年も前の伝説の」
「俺は不毛な腹の探り合いは嫌いだ」
「……なら単刀直入に申し上げますが、人違い、いや、妖精違いじゃないですか? わたしは生まれてこの方ずっと人間でして、妖精だったことは一瞬たりともないですけど」
「だが、貴様は“妖精の乙女”の血を引いている」
ユージーンは端的に事実を指摘した。
妖精の乙女の血を引くヴィヴィに会うためだけに、王都から遠く離れたこの僻(へき)地(ち)までやってきたのだと、彼は言う。
「貴様のことは徹底的に調べさせてもらった。名前はヴィヴィアン・ウィスト、年齢は十八歳。二年前に唯一の親族の祖母を亡くした後、王都からこの地に移った。出不精で親しくしている者はいない、当然、今までに恋人がいたこともない」
「っ、悪かったですね!」
「いや? 好都合だ、王命で別れさせるのは寝覚めが悪いからな」
「別れさせる……? どうしてそこまで?」
考えてみても、ヴィヴィにはさっぱり理由が分からなかった。
伝説の妖精の血を引く人間を見てみたいという好奇心を抱くところまでならまだ理解できるが、その手間を考えたらげんなりして諦めるのが普通じゃないのか。
「そもそもわたしたちが妖精の乙女の子孫というのも、わたしの祖母が言っていただけです。先祖に人間以外が交じっていたのは事実でしょうが、それが本当に“妖精の乙女”だったかは……わたしには、伝説にあるようなことはできませんし」
もしかしてユージーン王は“妖精”の加護を欲して会いに来たのだろうか。死者さえ生き返らせたと伝わる“妖精の乙女”とは違って、ヴィヴィは人の死を見ることしかできないのに。
考えると、胸の辺りがずしりと重くなったように感じた。
「そんなことは問題ではない」
「え?」
ところが、ユージーンは、ヴィヴィの悩みをぴしゃりと一言で切り捨てた。
「貴様の祖母、カサンドラ・ウィストは若い頃『自分は妖精の乙女の子孫だ』と声高に謳(うた)っていた。彼女の占いがよく当たると評判だったのもあって、彼女の売り文句を真実だと今もなお信じ込んでいる者も多い」
「まあ、祖母は、ブイブイ言わせていたみたいですけど……その武勇伝は、陛下には関係ないことでしょう?」
「関係は大ありだ。貴様も知るとおり、俺の評判は上々だし、即位以来の業績を見れば、俺は『名君』と呼ばれて当然だと思う」
「ええまあ、わたしもついさっきまでは、そう思ってました」
改革に辣(らつ)腕(わん)を振るい目立った成果を出す若き国王、しかも外見も飛び抜けた美丈夫となれば、讃(たた)えられない方がおかしい。ヴィヴィだって、自分が騒動の当事者にならなければ『王様は名君らしい』という世間の評判を鵜(う)呑(の)みにしていただろう。
だが、そのことと、カサンドラが若かりし頃に掲げていた看板との間に、何の関係があるというのか。ヴィヴィは話の続きに耳を澄ました。
「ところが、だ。いまだに俺の血筋について、とやかく言う者どもがいてな。主に父方の叔父たちだが」
「ダンフォード公爵閣下のことですか」
「出不精の田舎者の耳まで噂が伝わっているとは嘆かわしい」
「なっ!?」
「その通りだ。俺は妾(めかけ)の子だから、即位した時も風当たりが強かった。こうして結果を出しても『アンブローズ王の血の薄い国王は妖精の加護を失って国を滅ぼす』という声は止まない。はっ! 伝説を信じてもいないくせによくも言う。結局は『庶子よりも王家の血が濃い自分に王位を譲れ』と言いたいだけのくせに」
ユージーンは奸(かん)臣(しん)を嘲って、口の端に歪(いびつ)な笑みを浮かべた。王位を狙う叔父たちの差し出口によほど手を焼いているのだろう。
「それほど王位が欲しいなら実力で奪ってみろ、と思わなくもないが、戦に巻き込まれる民が気の毒だ。こうなったら手っ取り早く“妖精の乙女”を手に入れることにした」
「それが……わたし?」
「ああ」
変えようがない血筋のせいでユージーンは軽んじられ続けている。その逆境をひっくり返すために彼はヴィヴィを――“妖精の乙女”の血を引くと噂される女を傍(そば)に置くというのか。
「俺は貴様の正体が人間だろうが妖精だろうが、貴様に人知を超えた力があろうが無かろうが、興味はない。妖精に頼むことなど、何もないからな。勝利だの幸福だのは自分で手に入れる。俺が貴様に望むのは『国王には“妖精”の加護がある』という世論誘導(プロパガンダ)に協力することだけだ。頼む、俺には貴様しかいないんだ」
「そんなとってつけたような口説き文句でときめくとでも!? ……くそ、顔がいい!」
ユージーンはヴィヴィの両手を捕らえて引き寄せると、端麗な顔を近づけて、耳にそっと囁(ささや)きかけてきた。
「ダメか?」
「そっ、そんな理由で求められて頷(うなず)く女がいるわけ……っ」
「そうか。まあ、貴様の気持ちはさておくとして、国家機密を知った女を野放しにはできないし、国王命令に逆らうことも許さない。貴様がこれから俺の前で口にしていいのは『御意(はい)』だけだ」
「なんたる横暴!?」
「事情はだいたい分かったな。ほら行くぞ」
「冗談じゃないっ! いくら王様だからって、こんなの――」
国王と公爵の政争のど真ん中に連れ込まれるなんて承服できるはずがない。
そんなところに出ていけば、凄惨な“死に様”をいくつ予見することになるとも知れない。ヴィヴィは、小市民として細く長く穏やかに生きていきたいのに!
抵抗してユージーンに向き直り、彼の瞳を真正面から睨みつけたヴィヴィは、瞬時に凍りついた。
「……どうしてっ、あなたが?」
そこに、絶対に見えるはずがなくて、見たくもないものを、見たからだ。
日も暮れた暗い花畑の真ん中で、眩(まばゆ)い金髪の美丈夫が――今、ヴィヴィの目の前にいる男が、黒髪の小柄な少女を守るように覆い被さった光景を。
彼の背中には大ぶりな刃物が突き立てられていて、自身を抱え込む男の負傷に気づいたのだろうか、背後を振り返って紅い瞳を瞠(みは)った少女の顔の方にも、嫌というほど見覚えがあった。その少女の顔は、毎日水鏡で目にしているヴィヴィの顔と同じ。
――ユージーンは、ヴィヴィを庇(かば)って死ぬ。
それが、ヴィヴィが予見した、彼の死に様だった。
(どうして……この人は、わたしを庇って死ぬことになるの?)
ユージーンは国王だ。ヴィヴィのような、取るに足らない小娘を、自分の身を挺(てい)して庇うはずがない。まして、ユージーンは最初からヴィヴィを利用する気満々で会いに来たような男だ。当然ヴィヴィの生死よりも自分の地位や生命を優先するに決まっている。
それなのに、どうして、よりにもよってこんな光景が見えるのだろう。
どうせなら、恨みを買った政敵からぼこぼこに痛めつけられた様子でも見せてくれたなら、「ほら、やっぱり。たくさん恨まれていたんだろうな。身勝手な目的に、ヴィヴィを無理やり協力させようとしたから罰が当たったのだ」と嘯(うそぶ)くこともできたのに。
――これまでに数えきれないほどの死を見てきたヴィヴィも、自分が直接的な原因となる死を見るのは初めてだった。
「なんだ? 突然震えてどうした?」
がたがたと身を震わせて涙を零(こぼ)すヴィヴィの顔を、ユージーンは気遣わしげに覗き込んで、宥(なだ)めるように抱きしめてきた。
「怖いのか? 無理もない。俺だってこれでも貴様に悪いとは思っている。貴様の身を危険に晒(さら)すことにはなるが、俺の力を尽くして守ると誓う。俺たちは一(いち)蓮(れん)托(たく)生(しょう)だからな。貴様が役目を果たした暁には、貴様が望む褒美を何でも取らせよう」
「……」
「まだダメか。そうだ、貴様が気にしていた老(ろう)爺(や)にもウナギを届けさせよう。ここの領主とは旧知の仲でな、急げば一両日で届くだろう。それでいいか?」
「……」
「それと、他に……頼む、そろそろ泣き止んでくれないか。いくら泣いても、連れて行くのは変わらない。あまり泣かれると、俺も心が痛む」
「っ、……ます」
「何だ?」
「あなたと行きますっ!」
「よかった。協力に感謝する」
あからさまに安(あん)堵(ど)した顔で身を離したユージーンが差し伸べてきた手を、ヴィヴィは取った。この手を取ってしまえば、引き返せなくなることは分かっていたけれど。
彼がどうして、どんな経緯で、ヴィヴィを庇うというのか。もしも、ヴィヴィが彼の死因の一端を担っているとしたら――。
(わたしを庇ったことが死因なら、今回ばかりは、わたしの行動次第で彼の死の運命を変えられるかもしれない!)
今度こそ絶対に運命を変えてみせると、心の中で密かに決意を固めながら。
「馬車が狭くて申し訳ないな。王宮から大所帯で出かけるわけにもいかなかった」
ユージーンが待たせていたのは、それこそ行商人が使うような簡素な二頭立ての馬車だった。確かに、これに国王が乗り込んで旅をしてきたと思うと、似つかわしくはない。
ヴィヴィが座席に納まるとすぐに、馬車はするりと動き始めた。どうやら、見た目に反して、乗り心地は良くなるように手がかけられているらしい。
「庶民にとっては十分快適すぎますけどね。わたしがここに来たときは、乗り合い馬車を何本も乗り継ぎましたし」
「……若い女が、乗り合い馬車で移動しただと? 不用心すぎる!」
「ああ、それはみんなに言われました」
会ったばかりの男からも一喝され、窘(たしな)められて、ヴィヴィは肩をすくめた。
王都で長らく引きこもっていたヴィヴィは知らなかったが、不特定多数の者が同乗する乗り合い馬車での移動では、客同士の揉(も)めごとに巻き込まれたり、たちの悪い御者に当たれば人(ひと)気(け)のないところまで連れて行かれて金品を強奪されたりすることもあるらしい。
まして、若い女の一人旅となると、危険はさらに増す。
「結果論ですが、危ない目には遭いませんでしたし、そんなに怒らないでくださいよ」
ヴィヴィだって、今となっては当時の自分の行動がどれほど危うかったかは理解しているし、反省だってしている。
(でも……あの時は、上手くやれるはずだと思ったんだもの。旅なんてしたことないのにね)
言い訳にもならない言い訳を、胸中で燻(くすぶ)らせた。相手の側に理のあるお説教は、自分の非が明らかに分かっているからこそ、かえって素直に聞きにくい。
「怒ったわけじゃない。心配したんだ」
「……そりゃ、どうも。すみません」
真正面から伝えられると、なおのこと、どんな反応をすればいいか、分からなくなる。
「ともかくっ、そういうことで! 乗り合い馬車に比べれば、スリに遭う心配もなく、自分の荷物を安心して持ち込めるってだけで、天国ですよ」
話を強制的に打ち切って、朝の残りのシチューが入った陶製の容器を胸の前で抱きしめると、ユージーンの視線がそこにじっと注がれた。
「なんだ、それは」
「今日のわたしの昼食です。昼で食べきれなければ、夕食にもなる予定ですけどね」
「そんな心配をしなくても、移動中の食事くらい、俺が用意する」
「奢(おご)っていただけるならそれはありがたいですけど、これからしばらく家を留守にするなら、食べきっちゃわないと腐ってしまうでしょう? そんなもったいないこと、できません!」
「もったいないのはともかく、朝、昼、晩と同じものを食べるつもりか?」
「実は、昨日の夜から同じものを食べてます。一人暮らしだと料理が余っちゃうので」
「……貸せ」
「わっ、ちょっとっ! わぷっ!?」
容器を奪い取られ、取り返そうと立ち上がったのが悪かったのだろうか。揺れる車内で体勢を崩したヴィヴィは、ユージーンの胸に飛び込んでいた。頭からつんのめって強打した鼻の頭をさすりつつ、顔を上げる。
「もうっ! 返してください! わたしのごはんですよ!」
「次に停(と)まったところで食うぞ」
「はぁ!? こっちにも、胃の容量の都合がありまして! 今、全部食べるのは無理です!」
朝食だって未だに消化しきれていないのだ。他人の身体の調子について知りもしないくせに、勝手に決めないでほしい。睨みつけると、ユージーンは仕方のない生き物を見るかのように、呆(あき)れ混じりの笑みを浮かべた。
「それくらい、俺にも分かっている。……相変わらず、小さいんだな」
何だ、その言いざまは。ヴィヴィを子ども扱いしているのか、それとも、器が小さいという聞こえよがしの悪口だろうか。疑問と不信感が晴れたのは、次に馬車から出たときだった。
「綺麗……!」
そこは、峠の先にある日当たりのよい野原で、遠くの山々まで見渡すことができた。近くに古びた塔のような建物の残骸があるのは、かつて展望施設として使われた名残だろうか。
「ここは昔、アンブローズ王が、陣を敷いたことのある場所だ。あれは、物(もの)見(み)櫓(やぐら)だった」
「へえ、道理で見晴らしがいいわけですね……って、ここ、元は戦場なんですか!?」
馬車から降りて、深呼吸をして新鮮な空気を吸い込み、清々(すがすが)しい気分を味わっていたというのに、そのタイミングで『ここは沢山の人が亡くなった場所だ』と知らせてくるなんて、悪意がある嫌がらせとしか思えない。
顔をしかめたヴィヴィを見て、ユージーンはおかしそうに喉を鳴らした。
「それを言い出したら、この国で戦場になったことのない土地の方が珍しいぞ。あの時代は、国中で戦争をしていたからな。それに、ここには本陣が置かれていた。本陣の奥深くまで敵に攻め入られて、人が死ぬことはなかった。……アンブローズは、文字通り、高みの見物を決め込んでいたわけだ」
人が死んだ曰(いわ)くつきの土地というわけではないし、周囲の景色も美しい。昼食を一緒にとるにはうってつけの場所だと誘われて、ヴィヴィは、大事に運んできた容器の封を開けた。
「……えっ、なんで、陛下も一緒に食べる気なんですか? わたしのごはんなんですけど?」
「一人だと食べきれないと言っていただろう? 手伝ってやる。感謝しろ」
「ありがた迷惑もここに極まれりというか、盗賊の理屈ですよ、それ……」
ただの田舎料理が国王陛下の舌に適(かな)うとはとても思えない。恐縮する気持ちもないではないが、ここにいるのは、国王とはとても思えない、厚かましく食い意地の張った盗賊もどきだということもまた確かだ。ヴィヴィはそう考えることにした。
「はい、どうぞ」
「ありがとう。……ああ、久しぶりに食べる味だ」
「以前にも食べたことがあるんですか?」
ヴィヴィの手料理を頬張った彼が、茶(ちゃ)化(か)すでも腐(くさ)すでもなく、しみじみと言うから、意外に思った。
「昔はな。また、食べられるとは思わなかった」
「ふうん……陛下は、田舎に旅行なさることもあるんですね。視察というやつですか?」
仮にも名君と讃えられている国王だから、きっと深い考えがあって田舎を旅したときにでも、田舎料理を食べたのだろうと思ったのに。ユージーンはどういうわけか、寂しそうな顔をした。
「……まあ、そんなようなものだ」
この続きは「不吉の予言と約束の乙女」でお楽しみください♪