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推しのゲームに転生したら、当て馬の絶倫皇帝がめちゃくちゃ迫ってくるのですが

すずね凜 / 著
鈴ノ助 / イラスト
定価 1,320円(税込)
発売日 2025/02/28

内容紹介

あなたを妻にすると決めた
「今夜、あなたを俺のものにする」乙女系ゲームの“皇帝ダンテ”が最推しの愛梨は残業中に過労で倒れ、気が付くとゲームのヒロイン・アイリに転生していた。ゲーム通りの麗しいダンテの美貌に、さらに恋心を募らせるアイリ。ゲームの展開通りだけど、なんだかとっても甘やかされて!? アイリはゲームでの皇帝ダンテのバッドエンドを回避し、ダンテを窮地から救うという使命のため、この異世界に転生してきたに違いないと奮起する。「やっと手に入れた。手放す気などない」ダンテへの想いの強さのためか、純潔を散らされ、何度も激しく求められて!? イケメン絶倫皇帝と異世界転生した社畜状態OLのとろ甘な溺愛!

立ち読み

 序章


「ヤマザキ工具」は排水、汚水処理などの機器、灌(かん)漑(がい)用の水中ポンプ等を扱っている小企業である。オフィスは都心から程近い駅前の、貸しビルの三階にあった。
 時間は夜の八時を過ぎていたが、オフィスにはまだ煌々(こうこう)と灯りが灯っている。オフィスの隅のデスクで、木(き)原(はら)愛(あい)梨(り)は一人残業をさせられていた。
「いっつ……あったま痛い」
 愛梨はズキズキ痛むこめかみを左手で押さえ、右手だけでパソコンの入力を続けた。今日中にあと二十件の請求書を作成し、各下請会社に送信しなければならないのだ。
「愛梨、まだ終わらんのか? 俺はもう帰るから、会社の戸締まりを頼むぞ」
 叔父の山(やま)崎(ざき)圭(けい)吾(ご)がコートを羽織りながら、背後からぞんざいに声をかけた。
「はい、叔父さ――社長。お疲れ様です」
 愛梨は疲れた声で答えた。叔父は返事もせず、さっさとオフィスを出て行ってしまう。
「ふう……」
 愛梨は席を外すと、スマホを手にして奥の給湯室に向かった。コーヒーメーカーに残っていた煮詰まったコーヒーを自分のカップに注いだ。毎日のようにサービス残業を強いられ、心身共にくたくただ。だが、恩義のある叔父の意向には逆らえない。
 地方の野菜農家の生まれの愛梨は、中学生の時に両親を交通事故で失い、東京に住む叔父家族に引き取られた。叔父の家はわりと裕福だったが、愛梨は厄介者扱いをされた。庭の物置で寝泊まりをさせられ、着る物はすべて従姉妹(いとこ)のお下がり、食事は家族が済ませた後に洗い物のついでに残り物を食べるという惨めな生活だった。どうにか高校まで出してもらったが、その後は叔父の会社に入って安月給でこき使われる日々だ。やりくりして安いアパートを借りて独立したが、カツカツの生活で、仕事をして寝るだけの毎日。おしゃれをしたり遊びに行く余裕もない。恋人もいない。まだ二十歳になったばかりなのに、夢も希望もなかった。
「元気、もらおうっと」
 愛梨はスマホの画面を開く。
 華やかなオープニングテーマと共に、「キングオブラヴァーズ」の画面が立ち上がった。
 愛梨はセーブしてあるデータを選び、ゲームを開始する。
「ふふ、こんばんは、ダンテ皇帝陛下」
「キングオブラヴァーズ」は女性向けのモバイル乙女系ゲームである。
 中世ヨーロッパがモデルの架空の異世界スーベル大陸を舞台に、プレイヤーがヒロインのアイリーン公爵令嬢となり、ヒーローのフィリップ王太子と共に幾多の試練を乗り越えて、愛を成就させる育成体験型恋愛ゲームだ。
 アイリーン公爵令嬢とフィリップ王太子の間には、幾多の恋の試練が待ち受ける。
 初めは親友だった隣国の皇帝が、フィリップ王太子を裏切りアイリーン公爵令嬢に横恋慕し、彼女を誘惑し、自国に攫(さら)ってしまう。フィリップ王太子は隣国に乗り込み、皇帝に決闘を申し込み、見事にこれに勝ち、アイリーン公爵令嬢を取り戻す。恋の逆恨みで怒りに任せた隣国の皇帝は、二人の恋路を邪魔しようと、盛んに策略を仕掛けてくる。が、フィリップ王太子は勇気と知恵で、ことごとくこれを打ち砕く。やがてフィリップは、隣国に攻め込み、敵の皇帝を討ち取る。その後、ラスボスである軍事大国の王との戦いにも勝利する。大陸の平和を成し遂げたフィリップ王太子とアイリーン公爵令嬢は結婚し、幸せな人生を送るのである。
 このゲームのヒーローはバロウズ王国のフィリップ王太子だ。
 だが愛梨の推しは、フィリップ王太子ではない。アイリーンとフィリップ王太子の共通の友人であり、恋敵でもあるダンテという脇役の隣国の皇帝陛下だ。
 初めは、親友だったのだが、やがて闇堕ちしてアイリーンを誘惑したり攫おうとしたりする役回りだ。最後にはフィリップ王太子に攻め込まれて、あえなく命を落としてしまうのだ。
 だが、強引な性格と顔と声がもろ愛梨の好みだった。推しの皇帝陛下が闇堕ちするのにも、理由がある。自国が干ばつ続きで財政難になり国を救うために、フィリップ王太子の王国を狙う敵対国と手を組んでしまうためだ。友を裏切り、悔恨の念を抱えつつ敵対していくダンテに涙を禁じ得ない。だから、ダンテが死ぬところまでセーブし、繰り返しゲームをリピートし、その先のストーリを進めていないのである。
 今や愛梨の生き甲斐は、ゲームの中でダンテと会うことだけであった。食費を切り詰め、ダンテ関係のグッズを買い求めた。仕事のデスクには、なけなしの金で買ったダンテのアクリルスタンドやぬいぐるみなどが飾られている。
 愛梨は一番好きなシーンを選んでプレイを始めた。
 王城の薔(ば)薇(ら)園で、ダンテがヒロインを誘惑しようとする場面だ。
『俺のものになれ』
 コントラバスの色っぽい声でささやかれると、愛梨の全身が甘く痺(しび)れた。
「ああダンテ様、素敵……」
 ため息を大きくついた時、手からつるっとスマホが床に落ちてしまった。
「あっ」
 打ちどころが悪かったのか、スマホの画面に蜘蛛巣(くものす)のようなヒビが走った。
「いけない」
 慌ててしゃがんで拾い上げ、身を起こした瞬間である。画面がぐにゃりと曲がり端整なダンテの顔が歪(ゆが)んで見えた。耳の奥でキーンと耳鳴りがし、心臓が引き絞られるような痛みが走った。
「うっ――」
 息が詰まる。膝ががくんと折れ、床に倒れ込んだ。頭の中に、スマホのひび割れのような閃(せん)光(こう)が煌(きら)めいた。そのまま意識がみるみる薄れていく。
(なにこれ――嘘、私、死んじゃうの? 嘘、いや、誰か……!)
 必死でスマホを握りしめた。
『俺のものになれ』
 最後に聞いたのは、愛しのダンテの声であった。


 第一章 推しのゲームのヒロインになりました


 スーベル大陸は、四つの大国によって治められている。南にバロウズ王国、南西にカルデラ帝国、西にパラツィオ王国、北にローレン共和国が位置していた。
 バロウズ王国は温暖な気候と肥(ひ)沃(よく)な土地に恵まれ、国情はおおむね平和である。
 アイリーン・フランシーヌ・ブラッドリーはバロウズ王国でも由緒ある公爵家の末娘で、芳(ほう)紀(き)十八歳。蜜色の金髪とぱっちりしたエメラルド色の目に透き通るような白い肌の持ち主の、たおやかな乙女であった。
「アイリーン、アイリーン?」
 誰かが呼ぶ声が次第に明瞭に聞こえてくる。
「つう……死にたくない……ダンテ様……」
 頭が割れるように痛い。重い瞼(まぶた)をゆっくりと持ち上げると、金髪に青い目のハンサムな青年と黒髪で背の高い美丈夫が顔を覗(のぞ)き込んでいた。
「ここは……?」
 大きなソファの上に横たわっていた。まだ頭がぼうっとしている。
「ああ、目が覚めたか、アイリーン? ここは城の控え室だよ。ダンスの最中に急に倒れ込んだので、心配したぞ」
 金髪の青年がほっとしたように言う。
「咄(とっ)嗟(さ)にダンテが君を抱き止めてくれて、大事には至らなかったよ」
「俺はフィリップと違い、反射神経がいいからな。俺に感謝しろよ、アイリ」
 黒髪で黒い目の美丈夫がむすっとした口調で言う。背筋を撫で上げるようなコントラバスの響きのいい声である。
(えっ?)
 声を聞いた途端、意識が明確になった。ガバッと起き上がる。
 部屋の中は、細かい浮き彫り模様を施した真っ白い壁に、天井には眩(まばゆ)いシャンデリア、螺(ら)鈿(でん)をはめ込んだ黒(こく)檀(たん)の調度品、床には手の込んだ織物の絨(じゅう)毯(たん)。まるで高級ホテルのようだ。男たちは長めの髪、ジュストコールにクラヴァット、トラウザーズという時代的な服装。そして、自分はと言えばウエストを思い切り絞り、袖や襟元にふんだんにレースが施され、ペチコートを重ねて膨らませたスカートに金糸の刺(し)繍(しゅう)が一面にされたドレス姿であった。肩に垂れかかった髪の毛は艶やかな亜麻色であった。
 思わず、目の前の金髪の青年のクラヴァットを掴(つか)んで声を上げた。
「あ、あなた、フィリップ王太子?」
 それから、傍に腕組みをして立っている黒髪の美丈夫を指さして叫んでいた。
「あなたは、ダ、ダンテ陛下?」
 男たちは顔を見合わせた。フィリップが苦笑する。
「そうだよ。どうしたの君、やっぱり頭を打ったりしたのかな?」
 するとダンテが長身を折り曲げ、大きな手でそっと頭に触れた。
「どこにもコブや怪我などないぞ。俺は壊れ物を扱うように、アイリを抱き止めたんだからな」
「っ……」
 ダンテの手の温かさに心臓がばくんと跳ね上がった。
(うそ――最推しが私に触れている……)
 顔が真っ赤になり、みるみる体温が上がっていく。
 ダンテが形のいい眉をかすかに顰(ひそ)めた。
「熱が出てきたようだぞ。もう少し大人しく寝ていろ」
 彼は両手でやんわりとソファに寝かせ直し、自分の上着を脱ぐとふわりと上にかけてくれた。上着はダンテの体温でほんわりと温かく、シトラス系の香水の匂いがした。まるでダンテに抱かれているようで、さらに脈動が速まる。
 ダンテとフィリップは部屋の隅で、ぼそぼそと会話している。
「主役がこんなでは、婚約祝賀舞踏会はやり直しかな」
「アイリは今朝から気分が悪そうだった。婚約者の君が気をつけてやらないでどうするんだ?」
 とりあえず目を閉じ、今の状況を整理しようとした。
(私はブラッドリー公爵家の末娘、アイリーン・フランシーヌ。そして、バロウズ王国のフィリップ王太子の許嫁(いいなずけ)――今日は二人の婚約発表の舞踏会の日だった。フィリップの親友のダンテも招かれていた。私はフィリップとダンスの最中に、突然ものすごい頭痛に襲われて、失神してしまったのだわ――そして……)
 頭の中に、見たこともないような高い建物や馬車ではない動く乗り物や奇妙な服装をした大勢の人間の画像が浮かび上がる。そして、若い黒髪の女性の記憶がどっと脳裏に押し寄せてきた。
(彼女は木原愛梨――『キングオブラヴァーズ』というゲームの中のダンテ皇帝陛下をこの上なく慕っていた……そして、突然死に襲われた)
 アイリーンはハッと目を見開く。
(私はもしかして、前世で死んだ愛梨という女性の記憶を取り込んでしまったの? まさかこの世界は、そのゲームとやらの仮想世界だというの?)
 アイリーンとしての記憶に新たに愛梨の記憶が急激に刻み込まれ、頭の中がごちゃごちゃになってしまう。記憶が混乱し、思考がうまく働かない。
 そっと目を開け、男たちの方を見(み)遣(や)った。ダンテはこちらに背中を向けている。長身で姿勢が良くて、後ろ姿だけでもうっとりと見(み)惚(と)れてしまう。こんな感情は以前からあったろうか。今は愛梨の記憶の方が優っているせいかもしれない。
 だが本来の「キングオブラヴァーズ」のストーリーなら、自分は生まれながらの許嫁であるフィリップの方が本命で、ダンテはフィリップの恋敵になる。脇役のダンテが二人に横(よこ)槍(やり)を入れて自分の国に攫ったり、それをフィリップが救いに現れたりする王道の展開のはずだ。
 しかし、今のアイリーンは愛梨の想いの影響のためか、フィリップに対して少しもときめかなかった。それどころか、ダンテにばかり気持ちが引き寄せられてしまう。目が覚めダンテの声を聞いた瞬間から、もう彼に恋していたのだ。
(どうしたらいいの? この感情をどうしたらいいの?)
 このまま、フィリップと結ばれてハッピーエンドになるのだろうか? 前世では「キングオブラヴァーズ」を最後までクリアしていないので、その後の展開はわからないままなのだ。
 そこへ、扉をノックして三人の女性が入ってきた。赤毛に栗(くり)色の髪に黒髪の、全員煌びやかに着飾ったグラマラスで美人揃(ぞろ)いだ。
「殿下、アイリーン様がお倒れになったんですって?」
 赤毛の女性が甲高い声で言う。
 フィリップは彼女たちににこやかに答えた。
「アンナマリー、ベル、キャサリン、心配かけたね。アイリーンは貧血を起こしただけのようだよ」
 三人の女性たちが一様にホッとした表情になった。
 アンナマリーと呼ばれた赤毛の女性がゆったりとした足取りで、ソファに近づいてきた。彼女は跪(ひざまず)いて、アイリーンに話しかける。
「心配しましたわ。アイリーン様は殿下の正妃になられる身。いわば私たちの上に立つお方ですもの。お大事になさってくださいましね」
「え――あなた方は?」
 ぽかんとすると、アンナマリーが挨拶した。
「初めまして、アイリーン様。私が殿下の第一側室、ベルが第二側室、キャサリンが第三側室でございます。本日の舞踏会の後で、ご挨拶させていただく予定でしたの」
「ええっ?」
 さっとフィリップの方に顔を振り向けると、彼は当然とばかりにニコニコしている。
「君は一番家柄がいいからね、もちろん正妃だよ」
 その表情にはまったく悪気はない。視線をダンテに移すと、彼の方は我関せずというように顔を逸(そ)らせた。
(ゲームにはこんなルートはなかったはず……。隠しルートだろうか。どちらにしても、あのゲームの世界の裏事情は、ほんとうはこんなことだったんだ。バロウズ王家では一夫多妻制が当たり前だったんだわ……)
 ますますフィリップとの結婚に失望してしまう。しかし、これがバロウズ王家のしきたりでは、なすすべもない。
 だが、とにかくフィリップと距離を置いて、今後の自分の身の振り方を考えたかった。
 アイリーンはのろのろと起き上がった。
「フィリップ、皆さん、せっかくの舞踏会を台無しにしてごめんなさいね。私、いったんブラッドリー家に戻って休みます」
「そうしたほうがいい。君のお付きの侍女を呼ぼう。おい、ブラッドリー公爵令嬢の侍女をここへ」
 フィリップが、部屋の隅に待機していた自分の侍従に命じる。するとダンテがすかさず口を挟んだ。
「では、俺がアイリを馬車のところまで送って行こう。君はこの城の殿下だから、まずは舞踏会の賓客たちに事情を話してくるといい」
「あ、そうだね。ダンテ、君はいつも頭の回転がよくて羨ましいよ。じゃ、アイリーン、後で連絡をよこすから、ゆっくり休むんだよ。皆、行こうか」
 フィリップは手を振り、あっさりと三人の側室を従えて控え室を出て行った。
「立てるか、アイリ? 手を貸そう」
 ダンテは大股でアイリーンに歩み寄ってきた。彼は上着を手に取るとそれを肩にかけ、右手を差し出した。目の前に立たれると、ほんとうに背が高い。ゆうに百九十センチはありそうだ。
「あ、はい」
 まさか、最推しと手を握れるなんて。心臓のドキドキが速まる。手が震えてしまった。
 ダンテがやんわりと手を握り、立ち上がらせてくれた。そして、自分の右肘を曲げた。
「さあ俺の腕に寄りかかっていいから」
「え、は、はい」
 敵役のはずなのに、めちゃくちゃ紳士ではないか。そっと彼の右腕に手を添えると、服の上からでも引き締まった筋肉がありありと感じられ、身体がかあっと熱くなる。
 ブラッドリー家の侍女が入ってきて、慌ててアイリーンに手を貸そうとすると、ダンテが素早く言う。
「おまえは先に、玄関口に馬車を横付けさせてくるがいい」
「承知しました」
 侍女はすっ飛んで出て行った。
「では行こう、ゆっくりとな」
 低い声でささやかれ、背筋が震える。こくんとうなずいて彼に従って廊下に出た。ダンテはアイリーンの歩調に合わせて、ゆっくりと進んでくれる。
 ドキドキして呼吸が乱れる。馬車に乗るまでに、少しでもダンテと話したい。
「あ、あの……陛下は私のことを、アイリって呼ぶのはなぜですか?」
 ダンテはじろりと睨(にら)んだ。
「なんだ、忘れたのか」
「あの、いえ、倒れたせいかしら、なんだか頭がぼんやりして、記憶が飛んでしまって――」
「俺は訳あって子どもの頃は、このバロウズ王家に身を寄せていたんだ。俺とフィリップとあなたは幼(おさな)馴(な)染(じみ)だ。俺は子どもの時からせっかちでな。あなたの名前も短い方が言いやすいので、愛称で呼んでいいか、と聞いたろう?」
「あ、そ、そうでしたね」
 今のアイリーンは愛梨の記憶でほぼ占められてしまい、過去がかなり曖昧になってしまっていた。
 ダンテは少し自慢そうに言う。
「誰もあなたをそう呼ばないだろう? 俺だけの呼び方だ、アイリ」
 その呼び方は前世の愛梨と同じ響きで、胸が甘く掻(か)き毟(むし)られた。そして、胸につかえていることをつい吐き出していた。
「私はフィリップ殿下とこのまま結婚しても、よいのでしょうか?」
 ダンテが怪(け)訝(げん)そうに答える。
「どういう意味だ?」
「その……フィリップ殿下には、もう三人も側室がおられるではないですか。私が結婚する意味があるのかしら、と……」
 ダンテが声をひそめた。
「ここだけの話だが、あいつには愛人があと二人いる」
「えっ……」
 さらに衝撃を受けて、思わず足が止まる。
 ダンテが取りなすように言う。
「バロウズ王家は、政略結婚で国力を伸ばしてきたからな。複数側室を娶(めと)ることなど、当たり前の風習だろう? まあ、フィリップは基本的に悪い人間ではないし、その正妃になれるのは、バロウズ王国では最高の栄誉だと思うぞ」
「っ――」
 艶めいたコントラバスの声で冷静にそんなことを言われ、彼に突き放されたような気がした。そして、前世の愛梨の想いが一気に噴き出してしまった。
 声が震える。
「違うの……」
「え?」
 よく聞こえなかったか、ダンテが長身を折り曲げて顔を寄せてくる。アイリーンは、キッと顔を上げ、彼の黒曜石色の目をまっすぐに見た。そこに泣き顔の自分が映っていた。青い目にいっぱいに涙が溜まっていた。
「私は私だけを選び、私だけを愛する人と結ばれたい。大勢の恋人の中の一人じゃなくて、運命のたった一人の恋人になりたいの!」
「――」
 アイリーンの悲痛な声に、ダンテは目を瞠(みは)り言葉を失う。
 ほろほろと涙がアイリーンの頬を伝った。
 みるみるダンテの目の色が凶暴なものに変わった。彼はやにわにアイリーンの手を掴むと、柱の陰に引き込んだ。
「あ――」
 ダンテはアイリーンの背を柱に押し付け、ドンっと顔の左右に両手をついて囲うようにした。そして、ぐっと顔を寄せてくる。彼は響きのよいコントラバスでささやく。
「では、俺ではだめか?」
「え?」
 鼻先が触れそうな距離に美麗な顔があり、アイリーンは壊れそうなほど心臓が高鳴った。
「俺はずっと、あなたしか見ていない」
「陛下……?」
 ダンテの声がいっそう艶を帯びる。
「あなたに初めて会った時から、ずっと好きだった。あなただけが、好きだった。だがあなたは、生まれながらにフィリップの許嫁だった。だから、俺はこの気持ちを十年も押し殺してきたんだ」
「っ……!?」
 突然の告白に、目の前がクラクラし息が止まりそうになる。
「俺の唯一の女は、あなただけだ。もちろん、俺には妻も側室もいない」
 言いながら、ダンテの芳(かんば)しい息遣いが頬を擽(くすぐ)った。
「俺のものになれ」
(このセリフは知っているわ。前世で繰り返し聞いた、艶っぽい声――)
 と、次の瞬間、彼の形のいい唇がアイリーンの唇をやんわりと塞いだ。
「ん……っ」
 動揺して身動きもできない。愛梨にもアイリーンにとっても、初めての異性からの口づけだったのだ。これまで許嫁のフィリップは手を握る程度の接触しかしてこなかった。それは彼の紳士的な態度のせいかと思い込んでいたが、今となっては複数の女性がいるせいだったのだろう。
 どうしていいかわからず目を見開いたまま、ダンテの啄(ついば)むような口づけを受けていた。
 ダンテはふぅっと顔を離し、野生的な美貌をかすかに上気させた。
 そして、右手でアイリーンの細い顎を掴んで仰向かせる。
「目を閉じろ」
 低い声でささやかれ、思わず瞼を閉じてしまう。再び唇が重なった。
「んぅ……」
 ダンテが顔の角度を変えて撫でるように唇を滑らせると、甘やかな感触に背筋がぞくぞくと震えた。緊張して知らず知らずきつく唇を引き結んでいたのだが、ふいにぬるりとしたものに触れられて、
「ふぁっ」
 と声を漏らしてしまった。わずかに開いた唇をそっと押し開き、ダンテの舌が口(こう)腔(こう)へ侵入してきた。彼の舌は分厚くて熱く、しかし繊細に動いてアイリーンの歯茎から歯列、口蓋まで舐(な)め回してきた。こんな口づけがあるなんて、初めて知った。
「んぅっ、ん、ふ、ぁ……」
 少し怖くなって頭を振って逃げようとしたが、素早くダンテの左手が後頭部を抱え込み、固定してしまう。そのまま舌を搦(から)め捕(と)られ、苦しいくらいに吸い上げられた。
「んんーっ……」
 刹那、背筋から脳芯に雷のような甘い痺れが走った。
 こんな感覚は知らない。全身から力が抜け、うなじのあたりからかあっと熱が沸き起こり、じわじわと下肢まで侵食していく。舌同士がぬるぬると擦(こす)れ合う淫らな感触に、びくびくと腰が跳ねた。
「んぅ、く……はぁ……ぁ」
 呼吸をするのも忘れ、悩ましい鼻声が漏れてしまう。なにかいけないことに溺れてしまいそうな予感がして舌を引こうとすると、ダンテの舌は執(しつ)拗(よう)に追いかけてきて絡み付いてくる。
「や……ぁ、はふぁ……んんぅ……」
 くちゅくちゅと唾液が捏(こ)ね回される淫(いん)靡(び)な音が耳奥に響き、ダンテの舌がひらめくたびに頭の中がぼんやりしてくる。もはや自分の足では立っていられない。へなへなとその場に頽(くずお)れそうになると、ダンテはさっと背中をかかえて抱き起こす。そして、痛みを覚えるほど強く抱きしめ、さらに深い口づけを仕掛けてきた。
 舌が擦れ合う感覚が、こんなにも甘く心地よいものなんて思いもしなかった。もう抗(あらが)う気力もなく、ただただダンテに口腔を貪られてしまう。
「……はふぅ、は、や、ぁん」
 嚥(えん)下(か)しきれない唾液が口の端から溢(あふ)れてくる。ダンテはそれをじゅるりと音を立てて啜(すす)り上げると、アイリーンの舌を強弱をつけて吸い上げては、唇で扱(しご)くような刺激まで与えてきた。青の間に、後頭部を抱えた大きな手指が、頭の地肌や耳の後ろを撫でたり擽ったりしてくる。その動きにも淫らに感じ入ってしまう。
「はぁ、あ、はぁあん……はぁ……ぁ」
 情熱的で濃厚な口づけに翻弄され、アイリーンはダンテのなすがままになっていた。
 気が遠くなるほど長い時間、口腔を蹂(じゅう)躙(りん)し尽くされた。
 唾液の銀色の糸を引いて、ようようダンテが唇を解放した時には、アイリーンはぐったりと彼の腕の中に身をもたせかけることしかできなかった。
「はぁっ……は、はぁ……」
 息も絶え絶えになり、潤んだ瞳でダンテを見上げる。すると彼は熱を帯びた黒曜石色の瞳で、まっすぐ見返してきて決然と言った。
「今からあなたを、攫う」
「……陛下……?」
 まだ官能の陶酔に頭がうまく働かない。ダンテの言葉の意味を理解する間もなく、軽々と横抱きにされた。
「あっ」


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