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秘密の専属奴隷に(立場逆転で)溺愛されています

石田累 / 著
小島きいち / イラスト
定価 1,320円(税込)
発売日 2024/05/31

電子配信書店

  • piccoma

内容紹介

私の専属奴隷は、勤務先の御曹司!?
他人に踏みにじられてばかりの自分を変えたくて、ドSとしてSMのマッチングアプリに登録してしまった清花。ところがM男としてパートナーになったのは勤務先のイケメン御曹司崇島! お互いの秘密と利害を守るために、婚約者のフリをすることに。必死にSのフリをする清花だが――「はしたない女王様には、お仕置きが必要だな」と、いつも彼は甘いキスで蕩けさせ、みだらな言葉であおって激しく抱き潰してくるのだ。崇島は全てにおいて清花を優先して至れり尽くせりで溺愛してくる。しかし、清花には彼に明かせない秘密があって……。

立ち読み

「……ほ、本当にいいんですか」
 思わず、口走っていた。
 黒いビロードで覆われた箱の中には、人生で初めて目にする奇妙な代物が収まっている。
 黒革の手錠だ。
 左右の手枷部分が柔らかなレザーでできており、それが二十センチくらいの黒い鎖で繋がれている。
 見た目からして高級そうで、清(さや)花(か)がおずおずと持ち上げると、ずしりとした重みが感じられた。
「……お、玩具(おもちゃ)、ですよね」
「大人の、がつくけどね」
 箱を挟んで正面に座る男が、ちょっとおかしそうな声で言う。
「着けてみる?」
「はいっ?」
 ぎょっと顔を上げると、男は涼しげな目で微かに笑った。
「君があまり緊張しているから、言ってみただけだよ」
 そりゃ緊張するでしょ――と、清花は喉をこくりと上下させた。
 今日、これから、こんなものを使って、知り合って間もない二人が初めてのセックスをしようというのだから。
「……本当に大丈夫?」
 じわじわと高まる清花の焦りを察したように、男の声のトーンが変わった。からかうような声から、本当に心配そうな声に。
「気が乗らないなら、別の日にしてもいいんだよ」
「大丈夫です、いけます、このままやりましょう」
 食い気味に返したのは、決してそういうことがしたくてうずうずしていたからではない。
 ここ数日来ずっと続いていた緊張と不安から、一秒でも早く解放されたかったからだ。
 男は、しばらく黙って清花を見つめていたが、やがて「そうだね」と言って席を立った。
「その前に、何か飲む?」
「い、いえ……」
 清花が首を横に振ると、男は黙ってキッチンに入り、冷蔵庫からペットボトルの水を取り出した。
 背が高いから、立って歩いているだけで息をのむような迫力がある。
 広い肩、まっすぐに伸びた背中と引き締まったウエストライン。初めて会った時から思っていたが、服の上からでも日本人離れしたスタイルのよさがはっきりと見て取れる。
 戻ってきた男は、再びソファに腰を下ろした。清花は手錠を手にしたまま、呆けたように座っている。
「おいで、そんなに離れていると、何もできないよ」
 苦笑した男の左頬に、切れ込みみたいな小さな片笑くぼができた。
「は、はい……」
 清花はふらふらと立ち上がった。
 目下になった彼の、整いすぎた綺麗な顔。
 カラーから覗く男らしい喉仏に、少しだけ胸が熱くなる。厚みを帯びた唇が、やたらと官能的に見えるのは、これからすることを意識しすぎているせいだろうか。
「じゃあ」
 翳(かげ)りを帯びた目で清花を見つめると、男は自らの手を揃えて、清花の方に差し出した。
「それを、僕の手に嵌めてくれ」
 身体の中で心臓が跳ね回っているようだった。
 ――違うんです。
 という言葉が、喉元まで溢れそうになっている。
 私、SMプレイなんかしたことがないし、本当はめちゃくちゃ怖いんです。
 まだ間に合う。全てを告白して逃げるなら今しかない。
 こんな異常な真似をしてしまったら、今まで自分が大切にしてきたもの全部がなくなってしまう。夢とか愛とか清らかな心とか――そんな美しくて綺麗なものが全部。
 でも、そうやって守ってきた自分の人生が、それほどいいものだっただろうか?
 ――変えなくちゃ……。
 清花は強く喉を上下させ、覚悟を決めて、男の手首に手を添えた。
 私の人生、変えなくちゃ。
 そう――これが初めの第一歩なんだ。 



 第一章 女王様と奴隷



 十二日前――東(とう)京(きょう)・丸(まる)の内(うち)

「えっ、パンヘイ工場ですか?」
 思わず高い声が出た。
 就業時間が始まったばかりの社内。取締役室と会議室しかない十階のフロアは水を打ったように静まり返っている。
 東京丸の内に本社を持つ工業機器メーカー『TKSサンライズ』。
 その十階にある会議室では、総務部長と同部人事課長、営業部長と同部営業課長の四人が、一列に並べた長机に横並びに座り、心細げに座る一人の女性を睨みつけていた。
「当たり前だ、そのくらいのことをしたんだよ、君は!」
「一千万円の未回収債権が今期決算書に上がることになったんだ。それがな、株価にどれだけ影響を与えると思っている!」
 怒声飛び交う中、藤(ふじ)代(しろ)清花はどこに視線を定めていいか分からずに、おどおどとうつむいた。
 待って待って、そんなの聞いてないという心の声が、追い詰められた子(こ)鼠(ねずみ)みたいに胸の中を駆け巡っている。
「言っておくが、これは温情人事だからな」
 四人の中で、一番声を荒らげていた営業部長の影(かげ)浦(うら)が、ひどく剣呑な口調で言った。
「うちの顧問弁護士の永(なが)瀬(せ)先生によると、懲戒解雇はもちろん、刑事告訴も可能な事案だそうだ。でもな、君がまだ若いのを慮(おもんぱか)って、小(こ)藪(やぶ)社長が厳罰は求めないと決めてくださったんだ」
 悄然と頷きながら、その永瀬先生が小藪社長に口添えしてくれたのかもしれない――と、清花は思っていた。
 事情があって社内では伏せているが、顧問弁護士の永瀬は、清花の伯父なのである。
 最後に、四人の中では比較的物静かだった総務部長が口を開いた。
「正式な異動内示は一週間後だ。異議申し立てがあれば三日以内に所属係長に申し出るように。親の介護か結婚の予定か……事情があれば、むろん考慮されることもある」
「……はい」
 そこで懲罰会議はお開きとなり、一人残された清花はぼんやりと立ち上がった。
「いや、でもパンヘイ工場って……」
 思わずそんなぼやきが漏れた。
 パンヘイ工場とは、東南アジアにある工場で、TKSサンライズの下請け企業である。
 そこへの出向は、TKSサンライズでは「島流し」と呼ばれ、一度流されたらよほどのことがない限り、生涯出向先の社員で終わる。
 それは、今年二十六歳の女子社員に対し実質的な退職勧告と言ってよかった。
 しでかしたミスの大きさを考えれば、確かにクビにされないだけマシかもしれない。が、そもそもこのミスは、清花が起こしたものではないのだ――。
 ぼんやりと会議室を出ると、通路の奥の方から扉の開く音がした。
「では、失礼します」
 ふと顔を上げたのは、その低い硬質な声をどこかで聞いたような気がしたからだ。
 照明を落とした通路の先に目を凝らすと、扉に向かって一礼する男の姿が見えた。
 黒いスーツ。どこか高潔さが感じられる佇まい。長身で手足が長い、とてもスタイルのいい男だ。顔は分からないが、全く見覚えのないシルエットである。
 男が踵(きびす)を返す気配がしたので、清花は大急ぎで扉の陰に身を隠した。幸い、男が向き直ったのは反対側で、靴音が静かに遠ざかる。
 その先にあるのは役員専用エレベーターだ。そして男が一礼した部屋は社長室。
 ――もしかして、あの人が新しい専務……?
 ふとそう思ったのは、ここ数日、そのことが社内でちょっとした噂になっていたからだ。
 前任の専務が健康上の理由で退任してはや二ヶ月。何故かそのポストはずっと空席のままだった。
 専務といえば会社のナンバー2。今の小藪社長も元専務だったから、要は次期社長が確実視されているポストである。
 平社員の清花には白昼夢のような光景は、時間にすれば数秒で終わった。
 というより、誰が専務になったとしても、会社を去る清花には全く関係のない話だ。
 我に返った清花は、五階にあるオフィスに戻るべく、急いでエレベーターホールに向かって駆けていった。

 TKSサンライズは、大正時代に創業された工業機器メーカーである。
 元は農耕機を専門に扱う会社だったが、高度成長期に工業機械も手がけるようになり、今から二十年前に開発された工業用大型粉砕機『タイフーン』がヒットしたことで株式上場を果たした。
 一時期、開発競争に負けて低迷したが、改良型タイフーンで挽回し、現在では、国内外に七つの支社と三つの工場を持つ優良中堅企業となっている。
 今から約四年前、新卒で同社に採用された清花は、最初の三年を本社営業事業課で過ごし、今年の春から同じ本社の広報企画課で働いている。
 広報企画課は、イベント開催やマスコミ対応など華やかな仕事が多く、女子社員の中では屈指の人気を誇る部署だ。そこへの異動は普通に考えれば栄転で、清花がその対象に選ばれたことは、少なからず社内の話題になった。
 というのも、社交的な美人が多い広報企画課に、見た目も地味で大人しい清花は、あまり合っていないように思えたからだ。
 案の定というか、一番目立たないホームページ管理を任された清花は、日々イレギュラーに降ってくる雑務に振り回されながらも、なんとか仕事をこなしてきた。
 それが年の瀬も押し迫った十一月になって、とんでもない事態が巻き起こったのである。
 営業事業課時代に清花が作成した契約書が原因で、売掛金が回収できないことが発覚したのだ。
 売掛金とは、販売の対価として将来的に金銭を受け取る権利のことで、一言で言えばツケ払いである。
 TKSサンライズの決算期は十二月。当然同月までの支払い期日で契約しなければならないところ、誤って年度末の三月を期日にしていたのだ。
 その額およそ一千万円。このままだと、一千万円がまるまる今期の未回収金として計上されることになる。
 営業部では誰が責任を取るかで大騒ぎになり、結果、清花一人が責任を問われることになったのだった。

 ◇

 ――……どうしよう、やっぱり相談してみようかな。
 会議後、オフィスに戻った清花は、迷いながらスマホの画面をSNSに切り替えた。
 そのトップには、半月前に別れた恋人の名前が挙がっている。
 月(つき)島(しま)将(しょう)吾(ご)。この、のっぴきならない窮地に清花を追い込んだ張本人だ。
 せいぜい部署異動か減給で済むと自信たっぷりに言われたのに、蓋を開けたら島流し。この顛末を伝えたら、少しは手立てを考えてくれるだろうか。
「藤代さん!」
 きつい声にびくっとして顔を上げると、上席の係長が怖い目で手を挙げていた。
 伊(い)丹(たみ)直(なお)子(こ)、三十五歳。細面の美人だが、性格はやたらときつく、清花には天敵のような上司である。
「あなたね、ちゃんと永瀬さんと、仕事の情報を共有しているの?」
 その「永瀬さん」は、伊丹の隣に立っていた。
 永瀬磨(ま)衣(い)。清花の同僚で、同い年の二十六歳。伯父永瀬の実娘である。
「さっきエキスポ事務局から電話があって苦情を言われたわ。搬入時間の変更を伝え忘れていたんですって?」
「いいんです。私がちゃんと聞いていなかったのかもしれないですし」
 清花が口を開く前に、すかさず磨衣が前に出た。
 形のいい瓜(うり)実(ざね)顔に凜とした明るい目。緩くウェーブをかけたロングヘア。身長一六三センチの磨衣は、一五三センチの清花を、さも気の毒そうに見下ろした。
「藤代さん、きっと余裕がなくて、私に伝えそびれたんだと思います。さっきまで懲罰会議に出られてましたし……」
 そして愛嬌たっぷりの笑顔で、
「なので、私ができるだけフォローします。今回のことも、どうか怒らないであげてください」
 その変更なら先週磨衣に直接伝えて、昨日中に事務局に連絡するよう申し送りをしている。なんならメールでも念押ししたほどだ。が、もちろん清花に口を挟む勇気はない。
「連絡すらまともにできないの? 本当にコミュ力がない人ね。そういうところが広報には向かないって言ってるのよ」
 伊丹の無神経な高い声は、オフィスの殆(ほとん)ど全員の耳に届いている。
「で? 懲罰会議はどうなったの? 異動? 出向? 辞令はいつ出るの?」
「……い、一週間後です。多分出向だと……、でも」
 事情によっては――と言いかけたところへ、
「あ、そう。じゃ、今持ってる仕事は全部永瀬さんに引き継いで。エキスポも、今後は全部永瀬さんにやってもらうから」
 針のむしろのような空気の中、清花は衆人の視線にさらされながら自席に戻った。
 売掛金未回収事件はすでに社内中の噂になっているから、清花がなんらかの処分――最悪解雇されるであろうことは、課の全員が承知している。
 その上で、皆がどこかよそよそしいのは、この課内で清花が冷遇されているせいだろう。
 元凶は女子のリーダー格とも言える伊丹で、何が気に入らないのか、着任以来ずっときつく当たられている。「あなたみたいな暗い子は広報に向いてない」が、その伊丹の口癖だ。
 とはいえ、容姿だけを取ってみれば清花は人より端麗な方だ。
 小顔で色白、白(しら)鷺(さぎ)のように華奢な身体と肩にかかるまっすぐな黒髪。目は黒い宝石のようで、鼻も口も日本人形みたいに繊細だ。
 ただ、夜咲いて朝には萎む花のような、ある種の陰気さと儚さが清花にはあり、それが他人の加虐心をくすぐるのかもしれない。
 本人の生来の内気さや人のよさもそれにいっそう拍車をかけて、これまでの人生のどのステージでも他人にいいように扱われてきた。
 そんな清花の性格は、親友の森(もり)下(した)あやに言わせれば「真性のドM」なのだそうだ。
 自席に戻った清花は、ため息をついて『エキスポインダストリー』とラベルのついたパイプ式ファイルを取り出した。
 ――これだけは、最後まで自分でやりたかったな……。
 エキスポインダストリーとは、来月中旬に開催される工業機械展示会のことだ。
 有(あり)明(あけ)の東京ビッグドリームを舞台に、世界中から参加した企業の製品が展示される。
 今回、TKSサンライズは初参加。出品するタイフーンは国内企業が主な取引先であるため、正直、社内ではあまり注目されていない。
 とはいえ、これは清花自らが企画した大切な仕事だ。渋る伊丹を説得し、古巣の営業部も巻き込んで、ようやく出展を許可してもらった。
 ノウハウも前例もないから、ひとつひとつ資料を集め、営業部やエンジニア部とも繰り返し協議して、当日の人員の手配や段取りを決めた。
 それが、ようやく開催まであと少しというところになって……。
「そのファイル、私に渡してもらえる?」
 隣の席から磨衣の声がした。振り返ると、にこっと笑った磨衣が手を伸ばしている。
「もう清ちゃんには必要ないでしょ、私が担当になるんだから」


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