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病んでるおじさま騎士団長の女性不信を治したら、ヤンデレにレベルアップさせてしまいました。

茶川すみ / 著
鳩屋ユカリ / イラスト
定価 1,320円(税込)
発売日 2024/03/29

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内容紹介

俺は……君以外は、何もいらない
両親に虐げられていたセイラは、口減らしのために奴隷にされたところを騎士団長グレンに助けられる。過去の出来事が原因で女性が苦手なグレンを助けたい副団長の計らいで、セイラはグレンの住み込み家政婦になることに。さらに、グレンの女性不信を治すお手伝いをすることになって!? 女性と同じ空間にいることも難しいグレンに、セイラは目標を決めて触れ合っていくことを提案する。徐々に身体接触を増やしていく二人だったが、ある時急にグレンの手つきが艶めかしいものになって……。「じっくりと体を堕としてやる」彼の暗い執愛に純潔を散らされて——。ヤンデレ騎士団長と初めて愛を知った乙女の共依存執着愛。

立ち読み

プロローグ


「歳は十七だろう? 金貨十五でどうだ?」
 目の前のやりとりを聞きながら、はぁ、と静かにため息をついた。私はこれでも、自分なりに結構頑張って生きてきたつもりだったのだけれど。どうして、こうなっちゃったのかしら。
「こいつぁ初モンだ。十五程度じゃあ、とてもじゃねぇが売れねぇなぁ」
 人生って、苦労の連続よね。まぁ、私はまだ十七年しか生きていないから、知ったような口をきくなって言われてしまったら、それまでなのだけれど。
 私の目の前には、五日前に両親から私のことを金貨十枚で買った、頭をつるつると光らせた小柄なおじさまがいる。私はこの人のことをよく知らないけれど、お母様が「奴(ど)隷(れい)商人」と呼んでいたのは聞いたことがある。前歯が出っ張っていて黒目がちなその顔は、なんとなく性格の悪いネズミみたいにも見える気がする。
 私の生まれた村には、奴隷なんていう存在はいなかった。だから、それが実際はどういう存在なのか、正直なところよく分からない。お母様は、「普通の人よりも劣る存在で価値なんてない」とゲラゲラ笑いながら言っていたけれど。
 でも、劣るっていっても、同じ命だということには変わりはないじゃない。まるで、家畜を選別するみたいな言い方だわ。とっても嫌な感じがする。
「初モンっていっても、この汚ねぇ髪の色だろ? 十五だ。それ以上は出せねぇな」
 そして、そんな頭つるりんおじさまの目の前には、でっぷりと太った大柄なおじさまがいる。でも、こちらも頭がつるりんとしているから、残念だけどつるりんおじさまという言い方はもう使えなくなってしまったわ。結構、いい感じだと思ったのだけれど。
 このでっぷりおじさまは、ここで檻(おり)の中に閉じ込められていた私を買いたい、と言ってきた人。話を聞いていると、なんでも私のことを「性奴隷」として買いたいそう。私はそれがどんなものなのかよく知らないけれど、きっと言葉どおり淫(みだ)らなことをされるのよね……。あぁ、あのおじさまに体を好きなようにされるのだなんて、本当に、本当に嫌だわ。
 きっと私は、薬漬けにされて首輪をつけられて、素っ裸で犬のように過ごすことになるのだわ。その時のことを想像すると……あまりの気持ち悪さに、身震いがしてくる。
 いつになるか分からないし、方法もまだ分からない。でも、私は絶対に逃げ出してみせるわ。そんな生活で一生を終えるのだなんて、絶対、絶っ対に、ごめんだもの。
 それにしても、と私は顔を下に向けて、右の胸元に垂れている自分の長い髪の毛を見た。そこには、濃淡がまだらになった見慣れた灰色の髪の毛が、くねくねとくせっ毛を発揮しながらもひと束になって垂れている。それからその下のほうには、太い縄で繋(つな)がれた私の両手首も見える。
 私の髪について、お母様には「色がまだらで小汚い」と言われ続けていたし、お父様には「ドブネズミみたいに気色悪い色だ」と言われていたけれど、私はこの髪の色を結構気に入っているの。だって、実家で飼っているポニーのコドルと色がそっくりなのだもの。コドルのお世話をしながら「私たちおそろいね」ってよく言っていたわ。
 それにしても、どうしてこの色をみんな嫌うのかしら。確かに、私以外見たことがない珍しい髪の色だけれど、そこまでおかしいとは思わないのに。
「あの」
「……あ?」
「私の髪の色は、そんなに汚いのですか? 見ようによっては、ほら、大理石にも見えません?」
 私のその声は、狭くて薄暗いこの部屋に結構大きく響いてしまって、言い放ったあとに少し身を固くした。二人のつるりんおじさまが、驚いたように一斉にこちらを見てくる。
 すると、今の私の主人であるつるりん――じゃない、ネズミおじさまが、顔を赤くさせてこちらに早歩きで近寄ってきた。その、肩をいからせたあからさまに怒っている様子を見て、あぁ、今は話したらいけなかったのね、となんとなく悟った。
「てめぇっ! 奴隷の分際で何を勝手に――」
「……っ」
 ネズミおじさまが、私の目の前でぶん、と大きく右手を振り上げた。さっき、檻の中に閉じ込められる際に抵抗した時にも一度頬を張られていて、その痛みが一瞬にして脳裏をよぎる。反射的に、ぎゅっと目を瞑(つむ)って奥歯を噛み締めた。
 お母様にはよく頬を張られたし、お父様にはよく頭を叩かれた。だから、痛いのは慣れているわ。こういう時は、奥歯を噛み締めないとだめなの。だって、踏ん張りがきかないから。
 ――けれど。想像していた痛みは、いつまでたっても私の頬にはやってこない。その代わりに私の肩が横のほうに引き寄せられて、後ろから誰かに――抱き締められた。
 ……抱き締められた?
「俺らの侵入に気づかないとは、よほど難しい交渉でもしていたようだな」
 それは低くて、なんだかずっしりと腰に響くような、色気のある不思議な声だった。おそるおそる目を開いて、声がした頭の上のほうにゆっくりと顔を向ける。
 そうしたらそこには――私の真後ろには、とんでもなく、とんっでもなく格好いいおじさまが、いつの間にか私を守るようにして立っていた。でも、おじさまっていってもつるりんおじさまたちとは全く違う。多分、三十代後半くらいの、まだまだおじさまと呼ぶには少し失礼かもしれない年齢の方。ちくちくと生えた無精髭が、野性的で素敵。髪も瞳も真っ黒で、背が高くて、目の下に濃いくまができている顔はちょっと疲れた感じがするけれど、それがなんだか退廃的で――。
 ……どうしよう。あまりにも格好良すぎて、目が、離せない。
「なっ!?︎ き、騎士だとっ!?」
 格好いいおじさま――イケおじさまは、右腕で私を自分の胸に抱き寄せながら、目をひん剥(む)いているネズミおじさまの右手首を左手でがっしりと掴んでいた。そしてその周りには、いつの間にかたくさんの騎士服を着た男の人たちが、つるりんおじさま二人に剣を突きつけて取り囲んでいる。こんなにたくさんの人たちが同じ部屋に入ってきていたのに、どうしてなのか全く物音がしなかったわ……。
「奴隷商法、第七条」
 低い、唸るような声が私の上からぼそりとこぼれ落ちた。それを聞いたネズミおじさまが、びくりと肩を跳ねさせる。
「奴隷商人なら当然知っているはずだ。言ってみろ」
「……」
「……ふん。言えるはずがないだろうな。お前は、法律を知っていながら違反しているのだから。『奴隷の売買にあたっては、本人の意思に反して監禁、拘束等の制限をしてはならない。また、身体的及び精神的な危害を与えてはならない』」
「……クソッ」
 そんな法律があったの?
 私のほうがびっくりとしてしまって、思わずイケおじさまの顔を見上げてしまった。彼は、剣の切っ先のように視線をギン、と尖らせて、ネズミおじさまのほうを鋭く見据えている。
「奴隷商人、アドモフ・ゴルゲアス。お前を奴隷商法違反で捕縛する。それから、そこのお前。法律違反の奴隷を買い取るのも犯罪だが、お前もそれは知っているな?」
「え、いや、その……」
「お前も捕縛する。大人しく縄にかかれ」
 そうして、あっという間につるおじ二人は騎士の方たちの手によって拘束されて連れていかれた。奴隷商法という法律を詳しくは知らないけれど、話を聞く限り、奴隷というものはなんだか私が思っているものと少し違うみたい。
 私の後ろにいるイケおじさまは、そのあとすぐに私の手首の縄を切ってくれた。無意識のうちに、両手首についた縄の痕(あと)をくるくるとさする。
「怪(け)我(が)はないか」
「……は、はい」
 その時、私はようやくイケおじさまの姿を正面から見ることができた。
 黒を基調とした、複雑な模様の金の刺繍が施された騎士服に、その服の上からでも分かる、もこもこと膨(ふく)らみ鍛(きた)えられた筋肉が目を引く。そしてその詰襟の服が、禁欲的なのになんだかとっても色っぽい。それから背が、思っていたよりもずっと高かった。私より、頭二つ分くらいは大きいのではないのかしら。そのあまりの格好良さに、溢(あふ)れ出る大人の色気に、こんな状況だというのに私の心臓はドキドキと激しく高鳴ってしまう。
 でも、見惚れる前に。まずは、助けてくれたことに対してお礼を言わないと。
「あの、素敵な騎士様。この度は助けてくださってありがとうございます。私、ダラルバ村のセイラと申します。是非、貴方様のお名前をお伺いしたく思います」
「……俺は騎士として当然の仕事をしたまでだ。名乗るほどでもない」
 イケおじさまは、迫る私から逃げるように若(じゃっ)干(かん)体を仰け反らせた。それに気づいて、はっと体を後ろに引く。きっとこれは、女の子とこんなに近づいてはいけない、という彼の配慮なのだわ。謙虚なところも、とっても素敵。
 でも、彼に名前を名乗ってもらわなくては困るの。だって、名前を知らなければ今後お礼をすることもできないから。
「そこをなんとか」
「……いや」
「どうか、お願いいたします」
「……」
「恩人の名前も知らないのだなんて、私はこれから恥ずかしくて前を向いて歩けません」
 イケおじさまは、若干だけれど疲れたような表情をしている。少し、ガツガツとし過ぎたかしら。でも、お礼や謝罪はこのくらいでないといけない気がするの。
「…………黒(くろ)豹(ひょう)の騎士団団長、グレン・アルヴァータ」
「えっ……!?」
 その名前を聞いて、思わず私は自分の耳を疑った。何しろそれは、ものすごく有名な、あまりにも有名過ぎる名前だったから。きっと今、私の目玉はぐりりとひん剥かれている。それはもう、そのまま飛び出してしまいそうなほどに。
「漆黒の聖騎士様……?」
「……そう呼ばれていた時も、あったな」
 ――グレン・アルヴァータ。
 それは、五年前にこの国の危機――北方の蛮族の襲撃からこの国を救った、この国で唯一「聖騎士」の称号を持つ英雄の名前。
 そして、それから。二年前、平民出身でありながら王女様に見初められて結婚し、子供をもうけて幸せになったかと思いきや。その子供が実はほかの男の子供だったとして、離縁してしまった男の名前でもあった。

第一章 騎士団の方々に助けてもらいました


 騎士団の方たちに連れられて、私は澱(よど)んだ空気の奴隷商館の中からようやく出ることができた。建物が接している薄汚れた裏通りを抜けると、赤茶色の煉(れん)瓦(が)で統一された大きな建物がずらっと立ち並んでいて、その光景に圧倒される。
 故郷の小さな村・ダラルバから五日前に幌(ほろ)馬車に乗せられて、昨日の夜この場所に着いたわけだけれど、実はここがどこなのかは私もよく知らなかった。今までダラルバ以外だと、村の近くにあった少しだけ大きな村くらいにしか行ったことがなかったから。
 私のほかにも、何人かの人たちが違法奴隷として檻に閉じ込められていたみたい。みんな騎士団の方たちによって解放されて、観光者の集団みたいにずらずらと歩いてどこかへと向かっていく。
 ちなみに、私を売り買いしようとしていたつるおじ二人は、手首を拘束されて紐で繋がれて、一緒くたになって連行されていた。……ふふ。なんだかちょっとだけおかしくなっちゃった。だって、今はまるでこの二人のほうが奴隷みたいなのだもの。
 周りにいる騎士の方たちは、みんなグレン様と同じ黒を基調とした騎士服を着ている。これが何を指すのかは、さすがに私でも知っているわ。この国、アーデルベン王国に存在する二つの騎士団のうち、主に貴族ではない生まれの方たちで構成される騎士団、名前を「黒豹」。その仕事は、町の治安維持や盗賊退治、果ては迷子の捜索まで多岐に渡るのだとか。
 私を助けてくれたイケおじさま――グレン様は、今はその行列の先陣を切って歩いている。その代わりに、私の傍にはグレン様の直属の部下で副団長だという、若くてとっても格好いい男の人――ルシス様がついてくれていた。
 ルシス様は、長い濃紺の髪を後ろで一つに纏(まと)めた、とってもお綺麗な方だった。その目はぱっちりと大きくて、髪と同じ濃紺の瞳はしっとりとした輝きを放っている。女性だといわれても全く違和感がないほどに、そのお顔は美しい。まるで、貴族の館に飾られている、高級なお人形さんみたいに。
「えっと……セイラちゃん、だったよね。ごめんね、被害者なのに歩かせることになっちゃって。ウチ、貴族が中心の白(はく)鷹(たか)と比べると予算少なくてさぁ。近いところだと歩かなくちゃいけなくて……」
 でも、ルシス様はその麗しい見た目に反して、とっても気さくな方だった。なんだかんだで緊張していた心が、やんわりとほどけていく気がする。そうしてほっこりとした気分で、私はルシス様に笑顔を返した。
「大丈夫です。私、お散歩したり歩いたりするのが大好きなんです。どうかお気になさらず」
「ありがとう。んー……それにしても君、見た目は子猫ちゃんみたいなのに、中身は結構パワフルな感じなんだね」
 子猫ちゃんだなんていわれたのは初めてだけれど、パワフルという言葉には自分でもなんだか納得したわ。実家にいた時は、料理洗濯掃除に畑仕事、馬小屋の管理や果ては大工仕事まで、一人で頑張っていたのだもの。
「はいっ。私、体力には自信があります! 昔から家のことをたくさんやってたので、鍛えられましたから!」
「ふふっ、頼もしいや。黒豹の拠点はすぐそこだから、もう少し頑張ってね」
「はい!」
 そうして連れられるまま少し歩くと、赤茶色の街並みからぽっと浮くような、黒い煉瓦でできたいかつい建物が見えてきた。多分、あれが黒豹の拠点。そう思っていたら、やっぱりグレン様はそこの中に足を踏み入れていく。
 拠点の中に入ると、私たち違法奴隷として捕まっていた者たちは、広い待合室のようなところに通された。そしてすぐに、私だけ隣の別部屋に行くように指示される。どうやら、私から順番に聞き取りをしていくみたいだった。
 別部屋の中には、簡易的なテーブルと、イスが二つ置かれていた。そしてそのイスの一つにはグレン様が既に腰かけていて、ちょっとだけだらしなくイスの背にもたれかかりながら、何枚かの羊皮紙に目を通している。
 その部屋の中はなぜだか少しだけ白く曇っていて、私の知らない香りで溢れていた。ハーブのように爽やかでいながらも、なんとなく艶があって、色っぽい匂い。それは、どうやらグレン様の口元から出ているようだった。そしてそこでようやく、私はグレン様が葉巻を嗜(たしな)んでいたことに気がついた。
 葉巻を咥(くわ)えながら伏し目がちに羊皮紙に目を通すその姿は、少しだけ妖しい感じの大人の色気に溢れていて――。どうしよう。なんだか、ものすごく緊張してしまうわ。
 するとふと、疲れが溜まっていそうなグレン様の目が、じろりとこちらを向いた。彼は私に気がつくと、葉巻を灰皿にぐりぐりと押し付けて火を消し、立ち上がってもう片方のイスを引いてくれる。
 この部屋の窓は今、大きく開け放たれているから、白煙を吐き出す元がなくなると、白い靄(もや)はすぐに霧散していった。
「……かけてくれ。少し、話を聞きたい」
「はい、かしこまりました」
 まるで、貴族のレディみたい。こんなに格好いいグレン様にイスを引いてもらえるなんて、ありがた過ぎてドキドキしちゃうわ。心臓の音、聞こえていないといいのだけれど。
「手間取らせて悪いな。君も大変な状況だというのに」
「滅相もございません。助けていただいたので、皆様には感謝しかございません。私にご協力できることがあれば、いくらでも」
 グレン様は私の対面のイスに再び腰かけると、テーブルに置いてある羊皮紙に目を落とした。……睫(まつ)毛(げ)が、ものすごくふさふさでくまの上にさらに影ができてる。とっても、色っぽい。
「……まずは、君の情報から。名前は、ダラルバ村のセイラ、だったな。歳はいくつだ?」
「十七です」
 グレン様は羽根ペンを片手に、羊皮紙にささっとなにやらを書き込んでいく。
「いつからあそこに?」
「昨日の夜です。五日前にダラルバで両親に売られて、幌馬車でここまで」
「あの男……君を買った男以外に、誰か協力者のような者はいたか?」
「いいえ。見ていません。多分、いないと思います」
「君はあの時、手を縛られていたな。あれは、君も同意したことか?」
「いいえ。嫌だと言いましたが、無理矢理縛られました」
「ほかに、何か危害を加えられたか?」
「檻に閉じ込められました。それから、その前に抵抗した時には頬を一度張られました」
「……どちらの頬だ」
「左です」
「血は出たか」
「えっと……少しだけ」
 そこまで聞いて、眉(み)間(けん)に深く皺を寄せたグレン様は、一つ静かなため息をついた。
「……両親にいくらで売られたかは、聞いているか?」
「はい。金貨十枚だと聞いております」
「君の家族構成は?」
「両親に、妹が四人、弟が二人です」
「両親の名前は?」
「母がテレサ、父がドルジです」
「……売られた理由は、聞いたか?」
「はい。家にお金がないから、だそうです」
「……君は、今まで外に働きに出て金銭をもらっていたか?」
「はい。母の遠縁の貴族の方のお屋敷で家事をしたり、あとそれから、魚獲りをして売ったりですとか。幼い頃から、私にできることはなんでも」
「両親の仕事は?」
「母は針子、父は農夫です」
「……協力感謝する。最後に、一つ聞く」
 私の話を聞きながらも、絶えず羊皮紙に羽根ペンを走らせていたグレン様は、ふとその顔を上げて私の瞳を真っ直ぐに見つめてきた。
「両親のもとに、戻りたいか?」
 その質問に対する答えは、反射的に口を衝(つ)いて出る。
「嫌です」
「……そうか」
 グレン様は顔を顰(しか)めたまま、けれどどこか満足そうな声音で相(あい)槌(づち)を打った。
「君への質問は以上だ。次に、これからの話をする。まず、違法に奴隷として売られた者に対しては、国から身分保証がされる。君は、君を売った者……ダラルバの両親のもとから離れ、ただのセイラとして生きていくことができる」
 その言葉を聞いて、胸がほっと軽くなった。助けてもらったのはとてもありがたいことなのだけれど、これから先のことがどうしても不安だったから。
「それは……とてもありがたいです」
「君の住居及び職業の斡(あっ)旋(せん)は、我ら黒豹が行う。だがそれらが決まるまでは、ウチが管轄している共用宿泊所で過ごしてもらうことになる。ここまではいいか?」
「はい。あ、ですが、少し質問をしてもいいでしょうか」
「あぁ、構わない」
「ここは、どこなのですか?」
「ここは、カイルーズの街。王家直轄地であるセヴルスト領の、南の端だ。地理は分かるか?」
 カイルーズの街。それはこの国の中で、王都アルカディオスの次に大きいといわれる都市の名前だった。
 私、いつの間にかそんなに大きな街まで来ていたのね。いつかは行ってみたいと思ってはいたけれど、まさかこんな形で来ることになるとは思ってもみなかったわ。
「はい。では、ダラルバの北、アルカディオスの東、というわけですね」
「そうだ」
「あと、もう一つ質問をしてもいいですか?」
「あぁ」
「奴隷とは、どういった存在なのですか? 私、法律とかよく分からなくて……」
 すると、おもむろにグレン様はテーブルに両肘をついた。両手を組んでそこに顎(あご)を乗せて、考え込むように瞳を少し伏せさせる。そんな、ふとした何気ない仕草にも知的な色気が溢れていて、まるで熱が出たかのように頬が熱くなる。
「……一年前までは、奴隷とは人権を奪われた、人でありながら物と同じ扱いをされる存在だった。だが今は法律が改正され、いうなれば身分を売り買いされる労働者だ」
「労働者……」
「あぁ。今の法律でいうと、合法的な奴隷商人とは、つまり労働者をその身分ごと他者に斡旋する者のことをいう。……かつての名残で、現在も『奴隷』という言葉を使っているが、これは早くに変えたほうがいい、と俺は考えている」
「……なるほど」
 やっぱり、私の――というよりも、お母様の理解とは結構かけ離れていたみたいだわ。でも、法律が改正されたのが一年前ということだから、古い考え方のままの人も多いのかもしれない。
「……まぁ、ひとまず。君の身柄は、我々が保証する。何も心配しなくていい、ということだ。……あとで詳しい話をするから、しばらく待合室で……待って、いてくれ……」
 そうしてグレン様は、少しだけ急いだ感じでイスから腰を上げた。でも私はそこで、あれ? と内心首を捻(ひね)る。なんだか、グレン様の顔色が――青白い。気分が、悪そう……?
「かしこまりました。ありがとうございます。……あっ! すみません、最後に」
「……なんだ」
「あの……私の両親は、何か罪に問われますか?」
 立ち上がりかけたグレン様は、くっと眉間に皺を寄せると、ゆっくりと再びイスに腰かけた。
「……違法奴隷と知りながら売った者も、もちろん罪に問われる。しかし、決定的な証拠……例えば、売買契約書等で売った者の扱いについて明記されていなければ『違法な扱いなのだと知らなかった』と通されてしまい、泥沼になる可能性が高い。……君が望むのなら、ウチとしても徹底的に洗うが……どうする?」
 そこで私は、目を閉じて今までの十七年間を振り返った。つらいこともたくさんあったけれど、でもその中には、歳の離れた弟や妹たちとの……幸せな思い出も、いっぱいある。
 金貨が十枚もあれば、痩せたあの村でも、可愛いあの子たちはかなり幸せに暮らせるはず。だから私は、こっそりと嘘をつく。
「……きっと、お母様たちは私の扱いについて、何も知らなかったのだと思います。だから……両親たちのことは、何もしなくて大丈夫です」
「……そうか」
「はい。……お気遣いをいただき、ありがとうございました」
 そう言って私がイスから立ち上がろうとすると、先に素早く立ち上がったグレン様が長い足を動かして、扉まで行ってさっと開けてくれた。そんなところもとってもスマートで、格好いい。
 でも、彼に改めてお礼を言いながら、ふと思った。こんなにも格好いい男性と結婚していながら、ほかの人と不倫した彼の元奥様って、本当に酷い人なのね、って。

   ***

 違法奴隷として捕まっていたほかの人たちは、私と同じように一度聞き取りをされて待合室に戻ってきたあと、私より先に別部屋に再び呼び出されていた。広い待合室には、ポツンと私だけしかいない状態が長く続いている。
 そして、ぼんやりとしながら待っていた私がようやく呼び出された時には、グレン様と話してからさらに数時間ほどがたってしまっていた。窓の外はもう日が落ちていて、静かな濃紺に染まっている。
 そんな中、かわいそうになるほど眉を八の字に下げたルシス様が、顔の前でぱんっと両手を合わせて私に向かって深く頭を下げた。今の空と同じ色をした頭頂部のうなじが、イスに腰かけている私にもよく見える。
「……宿泊所が、いっぱい?」
「ほんっとうに、ごめん! 最近、たくさんの孤児たちを引き取ったばかりで、宿泊所がパンッパンで。……ここだけの話だけど、子供たちを虐待してた酷い孤児院があってさ。そこの院長たちを捕らえたはいいんだけど、孤児たちの行き場がなくて」
「まぁ。大変だったのですね……」
「うん。しかもさ。さっき助けた人たちもセイラちゃんより歳下だったり体が不自由だったり、君より優先すべき事情があって。……あ、だから彼らは先に呼んだんだけどね。でも、それで君の枠がなくなっちゃって……」
 顎に手を当てながら、なるほど、と納得する。けれど、それなら私はどこに寝泊まりすればいいのかしら。正直、暖かければ野宿でも全く構わないのだけれど、でも今は結構肌寒い季節だから、野宿なんてしたら命の危険もあるわけで……。
「……あの、事情は分かりました。では、この建物の廊下でも構いませんので、申し訳ございませんが雨風をしのげ――」
「いやいやいやいやいやっ! そんなところじゃなくてっ! ちゃんとした君の寝床は僕たちが絶対に確保するから! ……で、それでなんだけどね。一つ提案があって……」
 そこでルシス様は一旦言葉を切って、この部屋の扉のほうを窺(うかが)うようにちらりと見た。そして、私のほうにその麗しい顔をずい、と近づけてくる。
「本来の住居と仕事が斡旋できるまで、かなり質のいい住居を提供するし、対価も払う。だからその代わりに……団長のお世話を、してくれないかな?」
「……へっ?」
 団長――グレン様の、お世話。その突飛な言葉を理解するのに、少しだけ時間がかかってしまった。
「簡単にいうと、侍女みたいな? あー、いや、家政婦っていったほうがいいのかな。まぁ、そんな感じ」
「えっ、でも……」
「団長さ、あの見た目のまんま生活力がゼロ! なんだよ。僕、副団長としてすっごく心配でさぁ。その点、君は都合がいいんだ」
 グレン様の雰囲気は、確かに少し退廃的というか、ぐってりとした感じはある気がする。でも、生活力がゼロという感じは受けなかったのだけれど……。感性って、人それぞれね。
「えっと……なぜ、都合がいいのですか?」
「まず前提としてね、違法奴隷として行くところがない君を保護するのは黒豹(ウチ)の仕事であり、共用宿泊所がいっぱいなのは、トップである団長の責任。だから団長が責任を持って君の住居を提供するべき」
「えっいえ、そんな――」
「まぁまぁいいから! そんでもって、君は家事が得意みたいだから不精な団長の家政婦として適任。それから何より……君は心根が綺麗だから、信用できる」
「ひぇっ……!?」
 ルシス様の澄んだ濃紺の瞳にじっと見つめられて、そんな褒め言葉を言われてしまったものだから、つい口からは変な声が出てしまった。顔が、とっても熱い。まるで、一気に熱が出てしまったみたい。
 心根が綺麗、だなんて。そんなふうに人から褒められたことなんて、今までで一度もなかった。なんだか慣れなくて……お尻の辺りが、むずむずする感じがする。
 ふと気がついたら、膝の上に乗せている私の両手は、緊張を緩和させるように、無意識のうちに開いたり閉じたりを繰り返していた。
「あ、えっと、そんな、こと……」
「僕さ、人を見る目には自信があるんだよ。……君が、君のことを売るような酷い両親のもとに十七年間もいた理由、なんとなく分かるよ」
「……」
 とくん、と心臓が嫌な音を立てた。思わず斜め下に目線を逸(そ)らしてしまったけれど、目の前からは、じっと見つめてきているルシス様の視線を感じる。
「弟や妹たちのため、だよね」
「……」
 誰にも言っていない心の奥底を言い当てられてしまった私は、ゆっくりと瞳を伏せて愛する弟や妹たちを脳裏に思い浮かべた。
 私には、六人もの弟や妹たちがいる。彼らと私は歳が離れていて、一番近い子でも今はまだ八歳。お母様とお父様は年長の私のことはあまり可愛がってくれなかったけれど、ほかの子たちに関しては、多分普通の家庭と同じように可愛がってくれていたと思う。
 そんなお母様やお父様のことは、正直なところ……あまり好きとは、いえないわ。けれど、素直で可愛らしい下の子たちのことはとても大切に思っているし、今でも本当に幸せを願っている。だからこそ、私は先ほどグレン様にも嘘をついたのだから。
 でも私は、彼らの幸せのために自分が犠(ぎ)牲(せい)になっている、とはあまり思いたくなかった。だってそれは、私の今までの苦労を弟や妹たちのせいにしてしまうことと、同じ意味になってしまう気がするから。
 私は、私がやりたいと思ったことをしているだけ。心の表側では、そう思っていたかった。
「弟や妹たちは、関係ありません。私は、自分の思うままに生活をしてきただけです」
「……うん、そうだね。勝手に君の心を推測しちゃってごめんね。……でもね。そんな君だからこそ僕は、大事なウチの団長を任せたいと思ったんだよ」
「……」
「受け入れてくれないかな?」
 信用してくれていることはとってもありがたいのだけれど、ルシス様は、なんだか私を買い被り過ぎているような気がする。私は、そんな綺麗な人間でも高尚な人間でもないのに。
 でもこうして頼まれている以上、私には断るという選択肢はない。だって……恩人の役に立ちたいから。立たなければ、いけないから。
「……分かりました。私で良いのでしたら、ありがたくお受けいたします。でも、質のいい住居というのは……」
「住み込み」
「え?」
「団長の家に、住み込み。いいかな?」
 もちろん、私には文句なんてない。けれど問題は、グレン様がどう思うか、なのではないのかしら。
「グ……アルヴァータ様が、それで良いのでしたら……」
「あぁじゃあ大丈夫ありがとう助かるよ!」
 ルシス様は早口でそう言い切ると、「じゃあ団長を呼んでくるから待っててね!」と言って風のように部屋から出ていってしまった。なんだかルシス様って、嵐のような人ね。
 しんとした一人きりの部屋の中で、イスに深く腰かけてお腹の奥から息を吐き出す。奴隷として売られて、その結果まさか国の英雄の家で住み込み家政婦をすることになるのだなんて。人生って本当に何が起こるのか分からないものなのね。
 それにしても、今日はいろいろあって本当に疲れたわ。
 私は机の上に突っ伏すと、腕の上に頬を預けて、唐突に重くなってきた瞼(まぶた)をそっと伏せた。寝はしないわ。少し、目を閉じるだけ……。

 ふと、カチャリ、と静かに扉が開く音が聞こえて意識が浮上した。自分の腕枕の中で閉じていた瞼を開いて、顔を上げて扉のほうを見ると、大柄な人物――グレン様がこちらに向かって歩いてきている。
「時間をかけてしまってすまない。疲れているだろうに」
 まだ少しだけぼんやりとした意識のままちらりと窓のほうを見ると、外はもうどっぷりと日が暮れて、濃紺から漆黒に色が変わっていた。
 あぁ、私、知らず知らずのうちに寝てしまっていたのね。先ほどルシス様とお話ししてから、結構時間がたっているのかもしれない。
「いいえ、大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
 でも、私は助けてもらった立場なのだから、もう少し頑張らないと。
 私の答えに、グレン様はなぜか一瞬だけ眉をぴくりと痙(けい)攣(れん)させた。そして、私の対面のイスにゆっくりと腰かける。グレン様のお顔は、先ほどまでとどこか違っていた。上手く表現できないのだけれど、なんとなく……困っている、ような? 気のせいかしら。
「……ルシスから、話があったと思うのだが……」
「はい。アルヴァータ様のお家を綺麗にするお役目をいただけて、大変感謝しております」
 グレン様はその表情のまま片手で後頭部をぽりぽりとかくと、テーブルに両手をつき、額がつきそうなほどに頭を下げた。
「……よろしく頼む」
「こちらこそ、精一杯頑張りますので、よろしくお願いしますっ! お家のことはお任せくださいね」


この続きは「病んでるおじさま騎士団長の女性不信を治したら、ヤンデレにレベルアップさせてしまいました。」でお楽しみください♪