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お願いだから俺を見て ~こじらせ御曹司の十年目の懇願愛~

あさぎ千夜春 / 著
天路ゆうつづ / イラスト
ISBNコード 978-4-86669-639-3
サイズ 文庫本
ページ数 320ページ
定価 880円(税込)
発売日 2024/01/25

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内容紹介

かつての同級生・堂島千秋とNYで偶然再会した彩羽。旧財閥系企業の御曹司で並外れた美貌の千秋に六年前、恋人にこっぴどく振られるところを見られ――「お前は不感症じゃないと思うけどね」たった一晩ですべてを塗り替えられてしまうほど。しかし千秋は、顔がいい男だけは選ぶまいと固く誓っていた彩羽とは縁遠い男。それ以来疎遠になってしまった彼に、あの時のことを謝りたい。そう思い会いに行くと…。「俺に溺れて、他の男なんかに見向きもするな」極上の男に積年の思いごと貫かれて――。

人物紹介

天沢彩羽(あまさわいろは)

堅実主義な28歳。傷心旅行中のNYで、かつての同級生・千秋と再会する。

堂島千秋(どうじまちあき)

旧財閥堂島グループの御曹司。大学時代の彩羽との一夜を忘れられなくて…。

立ち読み

プロローグ


「自分だけが特別だなんて、思ってるのね」
 長い三つ編みが目の前で揺れる。
「女なら誰でもいいみたいだけど、私からしたら、あんたみたいな男こそみんな同じよ」
 物おじしない瞳がまっすぐに俺を見据える。
「女だからこういうのが好きだって決めつけて……ダッサ」
 そう言って、心底軽蔑すると言わんばかりに立ち去った彼女は、最後まで一度もこちらを振り向かなかった。
(ダサい……この俺が?)
 お前なんかどうでもいいと言われたのは、生まれて初めてだった。
 思わず自分の胸を手のひらで押さえて、その違和感の存在を確かめる。
 手のひらの下、胸の奥で、わけのわからない感情がグルグルと渦巻き、のたうちまわっているようだ。
 少し考えてみて、己が動揺していることに気が付いた。どうやら彼女の言葉に、自分は落ち込んでいるらしい。
(そうか……俺にも人並みに傷つくような『心』があったんだな)
 周囲からはずっと、なにを考えているかわからないと言われていた。それはある意味正しかった。
(実際、なにも考えてなかったし)
 家族に反発して、吐き出せないした感情を荒れた生活で晴らそうとしていた。
 他人をおもんぱからず自分勝手に生きてきたというのに、誰もがそんな俺に好かれたがっていた。そしてそんな自分の一挙手一投足に一喜一憂する人間を、ひとり残らず見下していたのだ。それを見抜かれた気がして、一気に恐ろしくなった。
 あの時からずっと――彼女の存在は心に根を張っている。
 深く、のように突き刺さり、今でも、まるで生まれた時からずっとそこにあったかのような近しさで、心にみついているんだ――。

一話「傷心旅行というわけではないけれど」


『~! 次はこっちお願い!』
 左耳につけたイヤホンからの呼びかけに、
「はーい!」
 彩羽は元気よく返事をして、テーブルの上を布巾で拭いた後、いそいそと厨房へと向かった。
 ここは二月の極寒ニューヨーク。
 母方の叔母、が経営する高級『とみ』は、ワシントンスクエアから徒歩五分とかからない、ウェストヒューストンストリートの一角にある。座席はメインのテーブル席が六つ、L字型のカウンターには十人座ることができ、さらに個室が四部屋もあるのだが、人気店のため常に満員御礼だ。
(せめてパンツだったら、もっと早く往復できるのになぁ……)
 彩羽が身に着けているユニフォームは、現代向けにアレンジされた花柄と格子柄のセパレート着物だ。ポケットがついた真っ白なカフェエプロンを着けるのがお約束で、非常にかわいらしい装いなのだが、いかんせん機動力に欠けるところがある。
 たった十日程度のアルバイトなのだから、白いシャツに黒のパンツでいいのではと思ったが、弓子からは『こういうのはが大事なのよ』と却下されてしまった。
(まぁ、それもそうよね。いいお値段を取るわけだし)
 合理性より風情が勝ることはあるはずだ。彩羽自身、悲しいかな、自分のことを『情緒のないつまらない女』だと自覚しているので、そこは素直に受け入れている。
「戻りました~!」
 長い髪を後ろで編み込んだ彩羽が、戦場のように忙しい厨房に顔を出すと、
「あ、来た来た、彩羽。これ『萩の間』のお客様のお酒だからよろしく~!」
 和服姿の女将が美しいガラスの酒器をのせた盆を差し出す。
 夜会巻きに小紋の着物を身に着けた彼女が、割烹『とみ田』のオーナーだ。
 彩羽は十日ほど前から、叔母である弓子の家に居候をしており、その対価として店の手伝いをしている。経済学部卒業の彩羽の英語力は、あくまでも義務教育程度だ。な会話ができるほどではない。とはいえ基本的に日本のお客様の席を担当しているので、今のところそれほど苦労はなかった。
「『萩の間』了解です」
 彩羽はこくりとうなずいて、くるりをを返す。
「それが終わったらすぐに戻ってきてね!」
「はーいっ!」
 弓子のかすような声を聞いて、彩羽は急ぎ足で厨房を飛び出した。
 店内の席はほぼ満席で、ヘルシーな日本食を愛するニューヨーカーで埋まっている。器用に箸を使い、食事を楽しんでいるようだ。
 それにしても、このやりとりを今日はいったい何度繰り返しただろう。金曜の夜ということを差し引いても、忙しすぎる気がする。
(まぁ、気が紛れて助かるけど……。なにもかも、日本と全然違うし。なんだか夢を見ているみたいだし……)
 そんなことを思いつつ、盆を両手に持ったまま、彩羽は『萩の間』へと向かう。
「ここね……」
『萩の間』と小さく書かれたプレートをチェックして、
「Thank you for waiting.」
 部屋の中に呼びかけて、それから障子を引いた。
 座席は畳ではなくテーブルと椅子だが、掛け軸があったり生け花が飾られていたりと、和風にまとめられている。部屋の中には身なりのいいスーツ姿の男性が六人ほどいて、彩りのいい料理を前にして、盛り上がっていた。どうやら企業にお勤めのビジネスマンたちらしい。
 彩羽は手早く空いた食器を引きつつ、日本酒の入った酒器とグラスをテーブルの上にのせようとしたのだが、
「ねぇねぇ、お姉さん。ニューヨークは寒いねえ。よかったらおしてくれない?」
 いきなり手首をつかまれて、仰天してしまった。
 年の頃は六十手前くらいだろうか。男の暴挙に、一瞬で軽く殺意を覚える。
(ニューヨークが寒いのとお酌に、いったいなんの関係が……?)
 今でもこういうおじさんがいるのかと、ピキピキとこめかみのあたりがひくついたが、顔には出さずにっこりとむ。
「申し訳ありません、そういったサービスは……」
 そっと手を振り払おうとした瞬間、
「女性の手をつかむなんて、とても失礼なことですよ」
 テーブルを挟んだ向こうから伸びた大きな手が、彩羽をつかんだ男性の手を、あっという間に引きはがす。
 どうやら正面のテーブルに座っていた若い男性が、助けてくれたようだ。
 明らかに彼のほうが年下で注意しづらいだろうに、その動作にはまったくがなかった。
「あ……すみません……」
 制止を受けて、中年男性は慌てたように若い男性に頭を下げる。
(若い人のほうが立場が上なのかな)
 露骨な態度の変化に、謝る先が違うだろうとモヤモヤしたが、とりあえず彼の機転に助けられたのは間違いない。
「失礼します」
 彩羽はぺこりと頭を下げて、目線を下げたまま、そのままそそくさと萩の間を後にした。
(助かった……)
 アクシデントに心臓がドキドキしたが、まだ仕事の途中だ。こんなところで立ち止まっている暇はない。
 ふうっと息を吐き、急いで戻ろうと一歩踏み出したところで、
「待って、彩羽」
 と名前を呼ばれた。
「え?」
 振り返るとそこには、さきほど自分を助けてくれた男性が立っていて――。
 その姿をはっきりと確認した瞬間、彩羽は頭に雷が落ちたような衝撃を受けていた。
「え、ま、まさか……ど、くん?」
 堂島――。
 衝撃すぎて、目の前に立っている彼をうまく認識できない。
 まるでVRでも見ているかのようだ。声が震えて二の句が継げない。
(日本から遠く離れたニューヨークで、彼と再会するなんて、そんなこと、ある……?)
 だが、彩羽の唇からこぼれた言葉を聞いて、
「なんだ。俺のこと覚えてるじゃん。無視すんなよなぁ」
 堂島千秋は切れ長の目を細めて笑うと、背後でドアを閉め、長身の体をかがめるようにして、彩羽の顔をき込んできた。
 ふわりと、学生の頃使っていた香水とは違う、少しウッディな香りが鼻先を漂う。
 少しだけ波打った、のある黒髪が額からこぼれ落ちて、その奥から切れ長の奥二重の瞳がきらめいている。
 彼は人より黒目が大きくて、とても印象的な瞳を持っている。そのどこか物憂げに見える眼差しのせいで、昔は『魔性の男』とも呼ばれていた。
 そう、昔から――彩羽もずっと思っていた。
(ムカつく男だけど、きれいな目をしているって……)
「……彩羽?」
 千秋が軽く首をかしげる。
 当然のように名前を呼ばれて、心臓がきゅっと締め付けられる。動揺を知られたくなくて、彩羽はぎこちなく微笑んだ。
 頬にかかる髪を指で耳の後ろにかけながら、
「あ……ううん。びっくりして。無視したわけじゃないよ。本当に久しぶりだったから、気づかなかったの」
 当たり前のようなことを口にして、彩羽は視線をさまよわせた。
 千秋の顔を見て話せない。どんな顔をしたらいいか、わからなかった。
(私、普通に話せてる……?)
 昔、もし堂島千秋にばったり会うことがあったら、どんなふうに話したらいいだろうかと、何度も妄想した。だが社会人として働き始めて数年経ったくらいで、そんな夢のようなことを考えることはしなくなった。仕事が忙しくなったのもあるし、恋人ができたせいもある。
 恋人でもなく、友達というほど親しくもない男性のことを、いつまでも考えるのは間違っている。恋人がいるからには、その人のことだけを考えるのが誠実であると、彩羽は思っていたのだ。だからこの状況はまさに『青天の』で『寝耳に水』だ。
 頭は真っ白だし、さっさとこの場から立ち去ればいいのに、足に根が張ったように動けない。過去、あれほど考え抜いた言葉も、なにひとつ出てこなかった。
「そうか」
 そんな挙動不審ぎみな彩羽とは違い、千秋は余裕のある態度でクスッと笑って、目を細める。
 他人に強い印象を与える切れ長の目が、すうっと細くなるのを見て、ふと、笑い方は変わってないな、とそんなことを感じていた。
 今でも覚えている。千秋と最後に会ったのは、大学卒業を間近にした六年前だ。あの頃はまだ少しだけ幼さが頬のあたりに残っていたはずだが、今は大人の色気と硬質な男らしさが増しているように見える。
「あの……」
 どうしたものかと千秋の顔をじっと見上げると、
「悪い、お客さん待たせてるから。連絡して。何時でもいいから、待ってる」
 彼は濃紺の三ついの上着の中に手を入れ、名刺を取り出し彩羽に差し出した。
「あ……うん」
 勢いで、目の前に出された名刺を受け取ってしまった。
「じゃあまた」
 彼はひらりと手を上げて、『萩の間』へと戻っていく。
 たったそれだけの動作だが、優雅で美しい。まるでワルツのターンでも見せられた気がした。
 あれが本物の気品というものなのかもしれない。
(びっくりした……)
 貴公子然とした千秋の残像がまだそこにあるような気がして、彩羽は何度か瞬きを繰り返して動けないままだった。


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