書籍詳細
私の目は正常なので、どうか結婚してください!!
定価 | 1,320円(税込) |
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発売日 | 2023/09/29 |
電子配信書店
内容紹介
立ち読み
プロローグ
星一つない今夜の闇を溶かしたような、風に揺れる黒髪。
こちらを見て僅(わず)かに見開かれた美しく赤い瞳。
一瞬、息をするのを忘れてしまうくらいの、艶(あで)やかに目を引く端正な美貌。
目の前のその人を見た瞬間、今まで生きてきた十六年間の人生が、一瞬にして全て塗り替えられてゆくのを感じた。
背後から聞こえる賑(にぎ)やかな王宮の喧(けん)騒(そう)が遠のいて、その人の周りだけがまるできらきらと目(ま)映(ばゆ)く輝いているような錯覚を覚える。
ああ、もしかしたら、私が今まで見てきたものは全部偽物だったのかもしれない。
なんて、そんなことをぼんやりと考えてしまうくらい、世界が一瞬で色付いていくような。
——そんな感覚だった。
?
「お父様、今日という今日はお時間をいただきたいのですが!」
「…………ノエル、私は今日は仕事が立て込んでいてだな」
「その台詞、ここ一か月毎日聞き続けてるんですけど」
「お前がここ一か月毎日同じことを言い続けるからだろう」
ノックと同時に扉を開けて書斎に飛び込んできた娘を、お父様はちらりとも見ることもなくペンを走らせている。
最初こそ、私のあまりにも淑女らしからぬ言動を咎(とが)めていたものの、ここ数日はもはやルーティーンと化した私の行動にそうそう見ないふりを決め込んでいるらしい。
「どうしてお話を聞いてくださらないのですか! こうしている間にも、私の幸せは刻一刻と遠のいているかもしれないのに!」
「安心しなさい、それはお前の勘違いだ」
「お父様!」
話を聞くどころか、かなり雑に私をあしらったお父様の目の前にツカツカと歩み寄る。
「何が、どうして、どんな理由で勘違いだとおっしゃるのか、説明してくださいませ」
今日こそは絶対に引き下がらないぞという固い決心を胸に、私は音を立ててお父様の机に手を置いた。
するとお父様は呆(あき)れたようにため息をつき、ぎしりと背もたれに寄り掛かる。
「お前が一か月前の舞踏会から、ずっと馬鹿げたことを喚(わめ)いているからに決まっているだろう」
「娘が好きな人と結婚したいと言うことの、一体どこが馬鹿げているんですか!」
「はぁ…………」
話にならないと言わんばかりに、お父様は眉間に手を当ててため息をついた。全く失礼なことだ。ここは素直に娘に好きな人ができたことを喜んでくれればいいのに。
「……では娘よ、一つ聞かせてもらおうか」
「どうぞ!」
「どうして、彼なんだ?」
この国は王様が国民を支配する、所(いわ)謂(ゆる)王族国家。
王族の下には貴族が、貴族の下には平民が位置するという完全なる身分制度社会において、私は侯爵令嬢、ノエル・アーネットとして転生した。
貴族令嬢の平均結婚年齢は大体十七〜十九歳。つまり、現在十六歳の私はまもなく婚約適齢期に突入するわけだ。というかもう片足を突っ込んでいる。
こんなことを言うと色んな人に怒られそうだけど、ぶっちゃけ貴族令嬢は若いうちが勝負。
若ければ若いほど条件のいい相手と結婚できる確率はもちろん高い。
それは私も例外ではなく、十六になった途端、社交場や舞踏会といった場所に連れていかれる機会が段違いに増えた。
まあ貴族令嬢ならばいずれは結婚するのが当たり前だし、私もいつかは結婚するんだろうなあなんて呑(のん)気(き)に考えていたのだが…………。
現在十六歳。私は猛烈に困っていた。
——理由はただ一つ。
この世界における美醜の価値観が、とんでもなくズレているからである。
美しいか醜いかを判断する要所は一つだけ。
『色素の薄さ』なのである。
どういうことなのかと首を捻(ひね)りたくなる気持ちはよく分かるが、これは冗談でもなんでもなく、髪の色、瞳の色が薄く淡い色であればあるほど、美しいと称賛されるのだ。
その理由は私にも全く分からない、というか聞いたところで理解できるかも怪しいし。
とまあそんな世界において、果たして私の容姿はというと。
光を反射してキラキラと輝くプラチナブロンドに、透き通るような薄紫色の瞳。
「こんなに美しい御(お)方(かた)は見たことがありません」
「まるで『天使』が舞い降りたようですわ」
「ああ、なんてお綺(き)麗(れい)なお嬢様なんでしょう!」
生まれてからというもの、飽きもせず何度も何度もこう言われて育ってきた。
顔の造形やスタイルというものは一切意味を持たず、髪と瞳の色が全てなのである。
つまり私は、この世界では絶世の美女!!……自分で言うのもなんだけど。
そんなわけで侯爵令嬢として生まれたのが幸か不幸か、私には小さなころから縁談が山のように持ち込まれたらしい。
けれど私には今まで、特に決まった相手はおらず。
この国が恋愛結婚を推奨しているという、近隣諸国では割と珍しい国であることも原因の一つだけれど、もっと根本的な問題は他にある。
——そしてその問題は、社交シーズンが始まった今、とんでもなく大きな壁として私の目の前に立ちふさがっているのだ。
貴族間での結婚相手探しを目的としたこの社交シーズンでは、ほとんど毎夜王族主催の夜会が開かれる。当然未婚の貴族令嬢である私もほぼ義務として出席してはいるんだけれど、問題はそこ。
どんな舞踏会やパーティーに行っても、普通の貴族令嬢たちが素敵だと騒ぐ人に、全然全く、本当に全くときめかないことなのである……。
「ノエル、見て! セルヴェーム伯爵様よ!」
「あの月光のような白い髪……!」
「透き通るように輝く金色の瞳……!」
「「なんてお美しいんでしょう!!」」
おじいさんかと見間違うような真っ白な髪の人、遠目に見たら壁と同化するんじゃ……? と思うレベルに色素が薄い人、もはやシャンデリアの光に負けてないか?? とすら思ってしまう人までいて、私はそうそうに友達との価値観の差を噛(か)みしめることになった。
「ノエルはどの方とファーストダンスを踊るの?」
「あー……実はまだ決めてなくて……」
「まあ、私たちもう十六歳なのよ!?」
「早く決めておかないと、すぐに来年になっちゃうわ!」
周りの友達の「えーっ」という声に居心地の悪さを感じながらもちらりと隣を見ると、同じく侯爵令嬢であるアリス・ロットナーがその可愛(かわい)い若草色の瞳を細めて、にこにこと微(ほほ)笑(え)んでいる。
「でもノエルちゃんならいつでも大丈夫だよ。焦る必要ないって」
アリスの柔らかい声音に、みんなも「まあそれもそうね」と笑いながら肩をすくめる。
「ノエルの髪と瞳の色って、たまに女の私でもドキッとしちゃうもん」
「社交界ではすごい噂(うわさ)よ、あなたのお相手は、一体誰になるんだって」
「…………」
そう言われましても……。
私には本当に髪の色とか瞳の色とか、どうだっていいんだよなぁ。
「ごめんなさい、少し人酔いしたみたいだから夜風に当たってくるわね」
まだまだ続きそうな友達からの追及の視線をやんわりと躱(かわ)して、そそくさとその場を後にする。
…………私、もしかしたらこのまま一生結婚できないのかも……。
ぼんやりとそう考えながらふらふらとバルコニーに向かって歩いていくと、どうやら先約がいるようだった。
あれ、と思った時にはもう遅く、ひときわ強い夜風が吹いて王宮の分厚いカーテンがぶわりと舞い上がる。
思わずぎゅっと目を閉じて風が通り過ぎるのを待ち、もう一度目を開けた時。
——その人はそこにいた。
星一つない夜空に深く深く溶け込むような漆黒の髪。
風が揺らす長い髪の下から覗(のぞ)く、強い輝きを放つ深紅の瞳。
気(け)怠(だる)げに放り出された長い脚と崩されたシャツから覗く骨ばった喉仏が、
——かっ、
「……ん?」
——かっ
「なんだお前、迷子か?」
——かっこいい!!!
切れ長の力強い目元を覆う長い睫(まつ)毛(げ)に、すっと通った鼻筋、薄く形のよい唇から目が離せない。
やばい、鼻血出そう。
待って待って、こんなイケメンがこの世にいたんだ!?
絵画? どこの絵画から出てきたの!? 現実に存在してる? ここ現世??
「…………はあ」
一向に動かない(動けない)私を数秒見つめた後、何を思ったのか目の前のイケメンは眉間にしわを寄せて忌(いま)々(いま)しそうにため息をついた。
やばい、鼻血出そう。
「ちっ、これだから王宮は嫌なんだよ……」
ガシガシとぶっきらぼうに髪を掻(か)き上げると、イケメンは「おい」と不機嫌そうに私から距離を取った。ゆっくりと長い脚が地面に降ろされて、コツリと靴音が鳴る。
やっばい、鼻血出る。
「お前みたいなガキを脅かすつもりはねえが、後から来といてその態度はないと思うぜ……ま、慣れてるからいいけどよ」
もうこんなとこに一人で来るなよ、と言ってひらひら手を振りながら歩いていくイケメンを、しばらくぼうっと見つめた後、まるで電流が流れたように咄(とっ)嗟(さ)に私の体が前に出た。
「あのっ」
思わず駆け寄ってその人の服の袖を引っ張る。
そしてこちらを振り向いた、真っ赤な瞳と視線が絡み合い息を呑(の)んだ。
今まで生きてきた十六年間の人生が、一瞬にして全て塗り替えられてゆくような。
ああ、もしかしたら、私が今まで見てきたものは全部偽物だったのかもしれない。
なんて、そんなことをぼんやりと考えてしまうくらい、世界が一瞬で色付いていくような。
——そんな感覚だった。
「とまあそんな運命的な出会いを経て、今に至るわけです」
「はあ…………」
眉間に指を押し当て深いため息をついたお父様は、ぎしりと深く背もたれに寄り掛かった。
「娘よ、その話はもう三十回は聞いた……」
「あら、お父様が同じお話を三十回もお尋ねになるからでしょう?」
「はあぁ…………」
「お父様、一生のお願いです。どうかランフェルト公爵様にお手紙を出させてください。この間にも、どこぞの令嬢が縁談を持ち込んでいるかもしれないじゃないですかぁ……!」
半泣きの私を呆れたように見た後、お父様はしばらく考え込んで最後にもう一つため息をついた。
「……分かった。本気なんだな」
「お父様!!!」
ああ、神様仏様お父様! あなたが理解のある父親で本当によかった!! 大好き!
お父様は気が進まないといった様子で引き出しから便箋を取り出すと、ペンを手に持ち、私と同じ薄紫の瞳を向けた。
「最後に聞くが、お前が結婚したいと言う方は、本当にあのランフェルト公爵で合っているんだな?」
「ええ、間違いありませんわ」
にっこりと笑った私を見て、お父様はまたしても苦い表情を浮かべた。
◇
私が恋したあの人は、ミハル・ランフェルト公爵という人だった。
勢いで引き留めたあの後、怪(け)訝(げん)そうにこちらを警戒した様子のイケメンに私はつっかえつっかえ言葉を絞り出した。おそらく顔が真っ赤であったろうことは忘れたい。
「お名前を、お聞きしてもよろしいですか」
「…………は? 名前?」
「あっ、失礼いたしました。私はノエル・アーネットと申します」
あああ、混乱のあまり自分が名乗るより先に相手に名前を聞いてしまった……!
礼儀のない小娘だと思われたらどうしようと恐る恐る顔を上げると、イケメンはさらに怪しむように私を見ている。
「お前、正気か?」
「えっ?」
「……ミハル・ランフェルトだ」
な、名前までかっこいい……だと!?
イケメンはどこをとってもイケメンなんだなあ……なんて馬鹿みたいに考えている私をよそに、イケメンはその形のいい眉をきゅっと寄せて、私を見ている。
そんな、そんな美の権(ごん)化(げ)みたいな人に見つめられるとっ、本当に鼻血出るから! 今ハンカチ置いてきちゃったから!
「あのっ」
「……なんだ」
「好きです」
「………………は?」
たっぷり十秒は沈黙が流れた後、私ははっと我に返った。
な、なんてことをしているんだ!! このハイパースーパーイケメンに、会ってまだ数分の小娘が話す言葉が「好きです」って!!
ほらああ、イケメンも完全に固まってるじゃん!!
「すすすすみません! 間違えました! あ、いや、間違えてはないんですけど順序を間違えました! ごめんなさい!」
使い物にならない頭を精一杯働かせて、慌ててイケメンの袖から手を離す。
「えっとあの、ほんと会ってすぐに何言ってんだこいつって感じだと思うんですけど決して怪しい者ではなくて!」
もうだめだ、何言っても怪しい奴(やつ)だとしか思われない。
今の私は、このまま衛兵に突き出されても文句は言えないレベルの不審者であることは間違いないのだ。
「すみませんごめんなさい出直してきます!」
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