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交際0日初恋婚

石田累 / 著
芦原モカ / イラスト
定価 1,320円(税込)
発売日 2023/06/30

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内容紹介

初恋の人と結婚したようです!?
きつい現場仕事に回されてしまった凛子は、慣れない仕事に苦労の連続。そんな凛子をいつも守ってくれるのは、端正で爽やかな笑みを浮かべる2歳年下の謎めいた男、健太郎だった。ある日、飲みの席で周囲の男たちにからかわれた挙げ句、酔った勢いで凛子と健太郎の婚姻届が提出されてしまう! その翌日には、飼い猫と一緒に健太郎と同居する事態に。新婚生活が始まった途端、彼は甘すぎる態度で距離を詰めてきて——「俺にこうされるの、好き?」情熱的なキスに体は疼き、欲望を孕んだ瞳で求められ剛直を最奥に受けてみだらな快楽を刻まれる。しかし実は彼は大きな秘密を抱えていて……!?

立ち読み


 第一章 結婚相手は苦手な男と猫一匹



 悪魔の顔ってどんなものだろう。

 子供の頃、よくこんな夢を見た。
 真っ暗な場所を、誰かと手をつないで走っている。
 走っても走っても、その暗闇には終わりがない。ただ背後から、まがまがしい足音がずっと追い掛けてくる。
 それは悪魔だ。
 振り返ったことがないから、それがどんな顔をしているのかは分からない。
 でも、悪魔だ。どうしてだか分からないが、悪魔に追い掛けられている。
 と、突然目の前に夜空が現れる。宝石のような星。燦(さん)然(ぜん)と輝く満月。さあっと吹いてくる風。怖いのに気持ちだけが研ぎ澄まされて、この世でできないことなど何ひとつないような、ひどく不思議な高揚感に満たされる。
 足元には何もないけど、きっと上手に飛び越えられる。
「大丈夫」
 私は、手をつないでいる誰かに声をかける。
「大丈夫、絶対に私が助けてあげるから」
 そこで世界はいつも終わる。
 後は——そこから後は——
「……子、凛子(りんこ)、返事をしなさい!」
 
 はっと間宮(まみや)凛子は目を見張った。
 あれ、ここどこ? 私、今、何やってた?
『凛子っ、あんた起きてるの? 寝てるの? 何やってんの?』
 明け方の青い闇。矢継ぎ早に聞こえる声。耳から……いや、手にしているスマホから。
 数度瞬(まばた)きした凛子は、がばっと跳ね起きてスマホを耳に当て直した。
「お母さん?」
『ようやく起きたの? 眠ったまま電話に出るなんてすごい特技ね』
 スマホのスピーカーから、呆(あき)れたような母親の声がする。
 多分それは本当のことだ。着信音の鳴るスマホを半分寝たまま取り上げて、その状態でタップして耳に当てた。学生の頃から「真面目すぎ」とよく言われるが、こういうところがそうなのだろう。
「こ、こんな早くにどうしたの?」
 今も凛子は、母と話す時の癖で、慌ててベッドの上で正座している。
『明日のことよ。あんたの恋人と、ほら、一緒に食事に行く約束』
 そうか——今日はもう金曜日。約束の食事会は明日だったか。
『悪いけど、あんたに恋人ができたなんて、どうしても信じられなくて。新幹線の切符を買う前に、再確認しておこうと思ってね』
「ほ、本当だから安心して。それに今度は、お母さんの気に入る人だと思う」
『どうなんでしょうね』
 鼻で笑うような声は、たとえどんな男でも私は認めませんよと言っているようだ。
「都内で会社をやってるの。名前は佐々木(ささき)さん。年収は一千万で、すごく真面目な人」
『へぇ』
「多分、私より真面目な人。明日会った時に話すけど、私と価値観がぴったりなの」
『そりゃ随分変わった男ね。あんた、騙(だま)されてるんじゃないの?』
 母の言葉はにべもない。多分、今度も反対されると凛子は思った。
 この人はどこまでいっても、自分の決めた男と娘を結婚させたいのだ。
『そんなことより、送った見合い写真はちゃんと見たの?』
「……うん、見た」
『悪いことは言わないから、私の決めた人にしときなさい。あんたが一人で決めたことで、今まで上手くいったこと、ひとつでもあった?』
「……仕事は上手くいってるよ」
 嘘(うそ)をつく時のいつもの癖で、言い始めに一秒の間が空いている。
『どうせ失敗して痛い目に遭うわよ。これまでだって、ずっとそうだったじゃないの』
 うつむいた凛子は、右膝の辺りを手で撫(な)でた。
 十歳の時に大怪我(けが)をした足には、ひどく醜い傷痕がまだ生々しく残っている。
 そのせいで、中学校まで足に補助具を着けていたし、ずっと母に送り迎えをしてもらっていた。車の中で延々と繰り返された言葉は、今でも耳に残っている。
 本当に情けない。なんて馬鹿な子なんだろう。だから私は反対したのよ。
 とどめの一言は、全部、あんたのせいだから。
 それらは今でも母の口癖で、聞いただけで自分の何かが萎縮する。
 久しぶりに見た『悪魔』の夢と、怪我の因果関係は不明だが、怪我をした時の恐怖や不安が、そんな夢を見させるんだということはなんとなく分かっている。
「と、とにかく会えば分かるから、明日、東京駅まで迎えに行くね」
 それでようやく通話を切ると、今度はスマホがけたたましく鳴り響いた。
 六時にセットしたアラームだ。一息ついていた凛子は、心臓が止まるほど驚いている。 金曜なのに目覚めは最悪。——その上、もっと最悪な一日が今日も始まる。

 ◇

「おはよっ、凛子ちゃん。今日もいい尻してるね」
 ぞぞっと鳥肌が立つのを感じながら、凛子は素早く身をかわした。
 行き場を失った男の手が、すかっと虚(むな)しく空を切る。最低のセクハラ。未(いま)だ一度も触られていないのは、もはや奇跡と言っていい。
 工事用フェンスの中。組み上げられた鉄骨の上からは重機と工具の音が響いている。
 ここは、東京郊外にある分譲マンションの建設現場だ。凛子が、二ヶ月前から出向を命じられている場所である。
「いい加減にしてください。それはセクハラだし、犯罪行為だって言いましたよね」
「可愛(かわい)くねぇなぁ。こんなの朝の挨拶じゃん。仕事に必要なスキンシップ」
 凛子は胸に抱いたクリップボードを抱え直し、引きつった笑顔で後ずさった。
「可愛くなくて結構です。それに仕事は、そんなスキンシップがなくても」
 そこまで言った凛子はひっと息を引いた。今度は横に立つ別の中年男が、両手を前に突き出して、胸を揉(も)むようなジェスチャーをしたからだ。
 ぎゃははっと堰(せき)を切ったような笑いが、重機とフェンスに囲まれた現場に巻き起こった。
「冗談だよ、冗談。俺たちが一度でも凛子ちゃんに触ったことあったかぁ?」
「言うな言うな、凛子ちゃんは男に免疫がないんだ。クソ真面目なお嬢ちゃんだからな」
 我慢、我慢、ここは我慢だと、凛子は自分に言い聞かせる。
 相手は十も二十も年上の親父ばかり。自分とは生きてきた世界が違いすぎる人たちだ。


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