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溺愛に目覚めたパイロットは、ただ君だけを愛する

橘柚葉 / 著
ODEKO / イラスト
定価 1,320円(税込)
発売日 2023/03/31

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内容紹介

副パイロットとGSの再会ラブ!!
空港で制服の時は仕事もしっかり出来るのに、ひとたび仕事を離れるとドジばかりの萱原聡子は、副操縦士の碇慎太郎に片想い中。ドジなところばかり見られて呆れられたと落ち込みながら、ずっと恋する気持ちを秘めていたが、退職の日、求められるまま身体を重ねてしまう。辞めることを伝えられないまま姿を消すが、一年後、偶然再会して……!?「俺の女だってこと、自覚しろよ」慎太郎の厚い胸板に抱かれると、素直になれない聡子の気持ちはゆっくりと蕩かされていって——。イケメン副パイロットと恋に奥手な地上勤務職員のすれ違いラブ!

立ち読み





「お姉ちゃん。飛行機ってすごいね。あんなに高く飛べるんだもん」
 目を輝かせて聡(さと)子(こ)を見つめる六歳の少女サキは、とても澄んだ目をしている。
「私も飛行機のお仕事したいなぁ」
 頬を紅潮させて今降りてきたばかりの飛行機を見つめる彼女は、まさに昔の自分のようだ。
 ――私も、この子みたいに思ったものね。
 生まれて初めて空港に来て飛行機に乗ったとき、見るモノすべてが輝いて見えたのを今も覚えている。
 パイロットやC(キャビン)A(アテンダント)はもちろんだが、あんなに大きな飛行機を滑走路まで誘導するグランドハンドリングスタッフも格好よかった。
 一番憧れたのは、現在の自分の職業となっているG(グランド)S(スタッフ)だ。
 生まれて初めて乗る飛行機の搭乗を待っていると、緊張していた幼き聡子に一人の女性GSが声をかけてくれた。
『大丈夫、怖くないよ。貴女が乗る飛行機のパイロットはすごく運転上手だから』
『本当?』
『ええ。ああ、そうだ。これあげる』
 そう言うとシールを取り出し、『すてきなそらのたびを』と漢字を習っていない幼い子どもでもわかるようにメッセージを書いて手渡してくれた。
 そのシールを持っていると、先程までドキドキしっぱなしだった心臓が落ち着いていく。
 魔法をかけてもらったようで、とっても嬉しかった。
 彼女のような大人になりたい。空港に携わる仕事に就きたい。そう思った最初のきっかけだった。
 飛行機に乗るすべての人を笑顔にしたい。
 萱(かや)原(はら)聡子二十八歳。その夢を叶えるため、JNS――ジャパンナショナルスカイのグランドスタッフになって、早六年。
 今日も精力的に仕事をしているところだ。

 ガラス窓にへばりついて今しがた着いたばかりの飛行機を見て目を輝かせているサキの傍らで、聡子も一緒に外を見つめる。
 ここは羽(はね)田(だ)空港、国内線到着ゲート。新(しん)千歳(ちとせ)発羽田着最終便が先程到着したばかりだ。
 サキはJNSのサービスの一環として行われている〝キッズファースト〟を利用して、羽田空港までやってきた。
 キッズファーストというのは、六歳から十一歳の子どもが付き添いなしで国内線を利用する場合にのみ適用されるサービスだ。
 サキは新千歳空港から一人で飛行機に乗り、先程羽田空港に到着したばかり。
 もちろん、出発ゲートからここまで各持ち場のスタッフが彼女に付き添ってきた。
 聡子の仕事は、CAに付き添われて飛行機から降りた彼女を到着ゲートまで案内し、そこで待っている保護者に引き合わせることなのだが……。
「お父さん、遅いなぁ」
 心配そうに顔を曇らせるサキを安心させたくて、視線が合うようにしゃがみ込む。
 そして、彼女の不安を取り除くようにほほ笑んだ。
「大丈夫だよ。さっき連絡があってね。お父さん、急いでこちらに向かっているって」
「そうなの?」
「うん。だから心配しなくても大丈夫。そこに座って待っていようか」
 ホッと安(あん)堵(ど)した様子のサキは、飛行機が見える特等席で再び外の様子を見始めた。
 聡子は周りを見回し、彼女の父親の姿を探す。
 これだけ大きな空港だから、間違って違うゲートに行ってしまう人は多い。
 少女の父親もターミナルを間違えてしまったようで、今急いでこちらのターミナルに向かっているようだ。
 その連絡は、向こうのターミナルスタッフから先程きたばかり。父親がここに到着するには二十分近く時間がかかってしまいそうだ。
 サキに聞かれるまま飛行機の話をして、すでに十数分。
 通路を見回していると、キョロキョロと必死になって何かを探している男性を見つけた。
 彼が手にしているのは、引き合わせの際に提出してもらうチケットだ。彼が少女の父親かもしれない。
 手を上げ、その男性に声をかける。
「三(み)輪(わ)様でしょうか?」
 声に気がついた男性は、聡子のすぐ側で座っているサキを見て安堵の表情を浮かべた。
「サキ!」
 男性は少女の名前を呼びながら、こちらに向かって来る。
 彼の声を聞いたサキは振り返って、その男性に手を振る。
「お父さん、遅い!」
「ごめん、サキ」
 新千歳空港のGSからの申し送りで、東(とう)京(きょう)に単身赴任中の父親に会いに行くと聞いていた。
 久しぶりの再会なのだろう。二人とも、とっても嬉しそうだ。
 父親はサキを抱きしめながら、聡子に頭を下げてくる。
「ご迷惑をおかけしました」
「いえいえ。無事サキちゃんとお父様を会わせることができてよかったです」
 チケットを受け取ったあと、提示してもらった身分証明書で身元を確認する。
 用紙に署名をしてもらい、これにて今回の〝キッズファースト〟の任務は終了だ。
 無事親子の再会を手助けできて、ホッとする。
「お姉ちゃん、バイバイ!」
「バイバイ、サキちゃん」
 二人を見送っていると、ちょうど機内からゲートを通ってこちらに向かってくる人影が見えた。
 先程サキが乗って来た飛行機は、彼が操縦していたのだ。
 聡子は機長である館(たて)山(やま)に会釈をした。
「館山さん、お疲れ様です」
「お疲れ様、萱原さん。相変わらず、お客さんに大人気だね」
 館山は、ニコニコと恵比寿様のように目尻を下げてほほ笑む。そして、少しだけ戯(おど)けた様子で揶揄(からか)ってくる。
「上はご老人から下は赤ちゃんまで。萱原さんにかかれば、どんな厄介な客でも遇(あしら)えるって有名だもんな」
「いえ、私はまだ修行が足りませんよ」
 顔の前で手を振って否定すると、館山は「何を言っているんだ」と驚きの声を上げる。
「そんな謙遜しなくてもいいのに。なぁ、碇(いかり)くん」
 いつの間にやって来ていたのか。館山の隣には、副操縦士である碇慎(しん)太(た)郎(ろう)が立っていた。
「ええ。俺も助けてもらったこと、たくさんありますから」
 彼が控えめな笑顔を浮かべて同調すると、館山はうんうんと深く頷く。
「出発ゲートに萱原さんがいるときは、安心するんだよ。抜かりなく見てくれるからね。こちらの見落としにも気がついてくれるし。助かっているんだよ」
「そ、そんな……」
 過大評価ではないかと謙遜していると、館山は肩を竦(すく)めて苦笑いを浮かべる。
「本当、萱原さんは控えめなんだから。もっと胸を張っていなさいよ」
「ありがとうございます」
 眉を下げながらお礼を言うと、「じゃあね」と館山は立ち去る。
 慎太郎も後に続くかと思っていたのだが、すれ違う直前、なぜか彼は足を止めた。そして、聡子に少しだけ近寄って囁いていく。
「さすがは、萱原さん。子どもの扱いもお手の物だ」
「え!?」
 驚いて振り返ると、彼は「お疲れ様」と背を向けたまま手を上げて、館山の後を追いかけていく。
 これからオフィスで先程までのフライトの報告をするのだろう。
 彼の長い脚は、すぐに館山に追いついた。
 慎太郎の後ろ姿を思わず見続けてしまう。モデルのようなその佇まいには、どうしたって視線が釘付けになる。
 顔が赤くなってしまったが、それをごまかすように頬を膨らませた。
「何よ、あれ。小馬鹿にされている!?」
 いつもは聡子を「萱原」と呼び捨てにしている彼。だが、わざとさん付けにしたところが嫌みっぽく感じてしまう。
 むくれていると、「萱原さん」と後輩GSに声をかけられた。どうやらすべての業務が終了したようだ。
 今日、聡子はフロアリーダーを務めているので、最後のミーティングを取り仕切らなければならない。
 人材育成のため、後輩たちになるべく重要な仕事を任せているが、滞りなく済んだようで安堵した。
 すでに客はいない到着ゲートでミーティングを終えれば、今日の業務は終了だ。
 今日も一日頑張った、と心の中で自分を労(いたわ)りながらオフィスへ向かう通路を歩いていると、後輩たちに引き留められた。
「萱原さん、いいなぁ」
「え?」
「さっき、碇さんに話しかけられていましたよね?」
「あ……ああ。でも、話しかけてきたのは館山機長よ?」
 当たり障りなく返事をしたのだが、彼女たちは目を輝かせて食いついてくる。
「萱原さんと碇さんて仲良しですよね」
「仲良し……?」
 怪(け)訝(げん)に思いながら呟いたのだが、聡子の声など誰も聞いていない。
 キャッキャッと彼女たちは勝手に話に花を咲かせていく。
「萱原さんはクールビューティーで仕事はデキるし、碇さんはイケメンでもうすぐ機長になれるんじゃないかって噂されるほどだし。お似合いの二人ですよ」
「この前なんて、萱原さんの対応でもいちゃもんつけてきたお客がいたじゃない?」
「ああ、いたわね」
「困っている萱原さんを碇さんってばスマートに助けちゃうんだもん。素敵だったなぁ」
 うっとりとした顔で頷く彼女たち。だが、すぐに我に返ったように聡子に忠告してくる。
「あちこちで先輩たちが碇さんを狙っていますけど、そんな女(め)豹(ひょう)たちに負けないでくださいね!」
「えっと? んん?」
 圧が強い。あまりの勢いに仰(の)け反(ぞ)っていると、彼女たちは「お疲れ様でした」と元気に戻っていく。
 ――嵐が去って……いった。
 呆気に取られながらも、彼女たちの最後の言葉が耳に残っている。
「……狙っている、か」
 呟きながら、小さく息を吐く。
 碇慎太郎、三十二歳。JNSの副操縦士だ。もうすぐ機長になれるのではないかと噂されるほどの実力の持ち主である。
 スラリとした体躯に甘いマスク。副操縦士の制服を着た姿は、思わず見惚れてしまうほどに格好がいい。
 仕事中の彼は、とてもクールだ。淡々と仕事をしているイメージがあるのだが、それがまた女心をくすぐるようで……。
 常に女性たちは彼の彼女の座を狙っている。
 ――そして、実はそんな女はここにも一人います。
 聡子も慎太郎に恋心を抱いている一人だ。
 彼をずっと素敵だな、格好いいなとは思っていた。それはGSとして働き始めた頃からだ。
 顔見知りになり、彼に仕事のフォローをしてもらうことが何度か続けば、やっぱり気になってしまう。
 そんな憧れに似た気持ちを抱きつつも、ただの同僚でしかない。
 残念ながら積極的にアプローチできないからだ。
 不規則な勤務時間で忙しさが半端なかったというのも理由の一つではあるが、元々恋愛音痴なので自分から動くというのができない。
 先程の彼女たちは脈ありみたいに言ってくれていたが、聡子自身はそんなふうにはとても思えない。
 JNSで働いている期間が長いため、顔を合わせる機会が多いだけ。ただ、それだけの関係だ。
 彼女たちが期待しているようなことは、残念ながら一切ない。
 いつまで彼に片思いをしていればいいのだろう。考え出すとため息しか出ないので、とりあえず今は考えるのを止めた方がよさそうだ。
 オフィスに戻って事務処理をしたあと、着替えを済ませて従業員出入り口までの通路を歩く。
 今日の国内線最終便、これといったアクシデントはなくスムーズに業務を終えられた。
 ホッとするものの、制服を脱いだ途端に襲ってくるこの疲労感には何年経っても慣れない。
 一日中立ちっぱなし歩きっぱなしの足は、すっかり浮腫(むく)んでパンパンだ。仕事用のパンプスから幅広のモカシンに履き替えると、少し楽になった。
 解放感を感じながら通路を歩いていると、人影が見える。
 帰宅準備を整えた慎太郎が自販機の前でココアを飲んでいた。
 彼の周囲には常に女性が纏(まと)わりついているのだが、今は一人きりのようだ。
 ドキッと胸が高鳴ったが、先程のやりとりを思い出して唇を歪める。
 ――残念ながら、脈なしですよ。後輩のみんな。
 やさぐれた気持ちになり、ため息をつきたくなるのをグッと堪えた。
 ただ、揶揄われているだけ。それだけだ。あのやりとりに意味はない。
 通りすがりに、慎太郎へ向かって軽く会釈をした。
「お疲れ様です」
 それだけ言って通り過ぎようとする。だが、なぜだか何もないところで躓(つまず)いて倒れそうになってしまう。
「キャッ!」
 身体を支えられず、前のめりになる。このまま倒れ込んでしまいそうだ。
 痛みを覚悟していたのだが、痛みは襲ってこない。
 驚いて振り返ると、慌てた様子の慎太郎が至近距離に見えてドキッとする。
「あっぶねぇ……! 大丈夫か?」
 慎太郎は片方の手にココアのカップを持ちながらも、聡子のお腹辺りに腕を回して抱きかかえてくれていた。
 心臓が破裂してしまうのではないかと思うほど、ドキドキする。
 彼が身に纏っているコロンの香りと熱が伝わってきて、身体中が一気に熱くなってしまった。
「萱原?」
 硬直したままの聡子に、慎太郎は心配そうに声をかけてくる。その低く甘い声を聞き、ようやく我に返った。
「ス、スミマセン! 大丈夫です」
 慌てて彼と距離を取ったのだが、今度はバッグの中身をぶちまけてしまった。
 目を覆いたくなるほどのドジの数々に、ため息をつきたくなる。
 自分のあまりの残念さに自己嫌悪に陥りながらしゃがみ込むと、視界に慎太郎が入ってきた。
「全然大丈夫じゃないし」
 呆れながら、慎太郎も一緒に拾ってくれる。
 彼はハンカチを拾い上げ、聡子に差し出してきた。お礼を言って受け取ると、なぜか彼は小さく噴き出す。
「本当、ギャップありすぎ」
「え?」
 瞬きを繰り返していると、彼は聡子に手を差し出す。
「ほら、掴まれ」
「えっと……?」
 彼の顔と手を交互に見比べて視線を揺らす。
 彼は聡子を立ち上がらせてくれるつもりなのだろう。だけど、彼の手を取るのは恥ずかしさのために躊(ちゅう)躇(ちょ)する。
 なかなか手を乗せない聡子に痺れを切らしたのか。彼は強引に手首を掴んで、引き上げてくれた。
「ありがとう、ございます」
 小声でお礼を言うと、彼はフフッと意地悪く笑う。
「仕事中は完全無敵なGSなのに、制服脱いだ途端にどうしてドジばかりするんだろうな」
「それは言わないでください……」
 これについては何も言えない。イヤというほど自覚があるからだ。
 その上、彼には今まで数々のドジっぷりを目撃されてしまっている。今更言い繕っても無駄だ。
 思い起こせば、二年前。あれは早番シフトの出勤途中だった。
 通常は四勤二休が基本のシフト制なのだが、ハイシーズン時で五勤二休だったとき。
 疲労困(こん)憊(ぱい)で迎えた五日目。
 あと少し踏ん張れば明日からは休みというタイミングで、聡子はやらかしてしまったのだ。
 六時から仕事だったので、その日は四時起きで支度をして会社が運営するバスに乗り込んだ。
 実家が、会社の借り上げアパートのすぐそばだからこそ、なせる業でもある。
 四日間の疲れがかなり溜まっていた聡子は、半ば眠りながらバスに揺られて空港に向かったのだが……。
 空港につき、ようやく覚醒してきた身体で更衣室に行こうとして、そこで慎太郎にバッタリ会った。
 朝から彼に会えるなんて。眠気なんて一気に覚めるほど、胸が高鳴ってしまう。
 挨拶をしようとした聡子に、彼は突然言い出した。
「萱原。お前、かなり疲れているだろう?」
「え?」
「何連勤中?」
「えっと……五勤目ですけど」
 労ってくれたのだろう。なんて優しい人だろうか。
 心が震えるほど感激している聡子だが、慎太郎の表情はどこか微妙なものだった。
「なるほど。かなり疲れているってことだな。だから、それか……」
「え? 意味がよくわからないんですけど」
 彼が何を言いたいのか理解できない。
 戸惑いながら首を傾げていると、まだわからないの? といった様子で慎太郎は聡子の足元を指さした。
「まさか、そういうファッションって訳じゃないよな」
 言葉の意図がわからないまま、眉間に皺(しわ)を寄せる。
 彼の視線を追って、足元を確認して声を上げてしまう。
「え? な、なんで!?」
 オフィスカジュアルのマリンスタイルに合う紺色のパンプスを、玄関に用意していたはず。
 それなのに、現在聡子が履いているのはサボサンダルである。
 これがスタイリッシュだったり、デザイン性のあるサボだったら言い訳ができた。
 だけど、これはどこからどう見ても母親のサボだ。
 それもかわいらしいパンダの絵柄つきである。明らかに間違えて履いてきたのがバレバレだ。
「えっと、これは……そのぉ」
 ばつが悪いなんてものではない。慌てふためいてそのサボを彼の視界から隠そうとしたが、なんと言っても足元だ。手で隠しきれるモノではない。
 何かうまい言い訳をしなければ。羞(しゅう)恥(ち)心に襲われながら、ゆっくりと視線を上げる。
 すると、慎太郎はなぜか穏やかな笑みを浮かべていたのだ。
 笑い飛ばされると思っていたので、彼の反応に驚いてしまう。
 唖然としていると、彼は「なんか安心した」と頬を緩めた。
「いつも取り澄ましている萱原の人間らしいところが見られてよかった」


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