書籍詳細
復讐の騎士はいとしい妻にひざまずく
定価 | 1,320円(税込) |
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発売日 | 2022/10/28 |
電子配信書店
内容紹介
立ち読み
プロローグ
黒いコートを纏った長身の男が、白百合の花束を片手に提げ、広大な墓地を黙々と歩んでいく。
男は、一番北の隅に建てられている慰霊碑の前で足を止めた。
通常ならば墓碑に刻まれているはずの犠牲者の名は、どこにもない。
墓地の中でも一際目立つ大きな御影石にさえ載せきれないほどの人が、死んだからだ。
身元が判明した者も、損傷の激しさゆえに判明しなかった者も、あの日貧民街で焼死した者は皆等しく、この慰霊碑の下に埋葬された。
男の家族も、ここに眠っている。
雀の涙ほどの給金を得る為、毎日遅くまで波止場で荷下ろしの仕事をしていた父は、あの日たまたま風邪を引き、隙間だらけの粗末な家で寝込んでいたらしい。
風邪さえ引かなければ、父だけでも生き残ってくれたはずだ。
そんな考えても仕方のない『もしも』を思い浮かべた回数は数えきれない。
母と妹の遺体は、父が寝ていたベッドのすぐ傍で見つかった。
年々細くなっていく父を案じていた二人のことだ。ただの風邪だと分かっても、付きっ切りで看病していたに違いない。
弟の遺体を見つけたのは、家から離れた井戸端だった。水汲みに出かけた先で炎に襲われたのだろう。熱さから逃れようとしたのか、井戸の中に上半身を突っ込んだまま事切れていた小さな身体は、男の網膜に焼きついている。
十年近く前のことなのに、まるで昨日のことのようだ。
男の周囲には、大勢の人がいた。家族や友人を探しにやってきた者たちは、皆半狂乱になっていた。
泣き叫ぶ彼らを、事後処理の為に派遣された兵士が押しのけていく。
兵士らは口元を布で覆い、集めた遺体を荷車に載せ始めた。
男の腕から弟を奪い去ったのも、そんな兵士の一人だ。
『すげえ数だな、おい』
『黙って集めろ。まとめて墓地へ運ぶらしい』
あちこちで飛び交っていた声は徐々に遠のいてゆき、やがて耳には何一つ入ってこなくなった。
空恐ろしいほど静まり返った世界で、ガラクタのように運ばれていく家族を呆然と見送ったあの日、男の時間は止まった。
全ての決着をつけるまで、再び時間が動き始めることはない。
「あと、もう少しだ」
低く呟き、片膝をついて花束を墓碑に供える。
【我が愛しき民よ、安らかに眠れ】
墓碑には、国王エドマンドの名と共にそんな台詞が刻まれている。
瀟洒な飾り文字で彫られた追悼文に、男は冷えた右手を押し当てた。
——愛しき民、だと? 本当にそう思っていたのなら、なぜ殺した。
——死んだところで痛くも痒くもない下賤の民だと、そう思っていたのだろう?
——これで汚いスラムも、憎き異民族と共に一掃できる。お前はそう思ったからこそ、火を放つよう命じたのだろう?
きつく握り込んだ拳に筋が浮く。
「……必ず報いは受けさせる。待っていてくれ」
男は墓碑に囁くように語りかけ、その場を静かに離れた。
?
一章 それはまるで夢のような
華やかなワルツの調べが、眩いシャンデリアに照らされた大広間いっぱいに広がる。
この場にいる者の視線を一身に集めているのは、ホールの中心で優雅なステップを踏んでいるアンジェリカ・ヘイウッド——フェアフィクス王国の宰相を務めるヘイウッド公爵の一人娘だ。
去年デビューしたばかりのアンジェリカだが、まだ十九歳だとはとても思えない艶やかさに、多くの青年が熱を帯びた視線を送っている。
社交界の女王と呼ぶにふさわしい彼女が出席したとあり、今夜の舞踏会は盛大な盛り上がりを見せていた。
ダンスに参加しない者たちは豪勢な食事を堪能したり、グラスを片手に談笑したりと思い思いに楽しい時間を過ごしている。
モニカ・シェルヴィは、そんな煌めいた社交の一幕を少し離れたところから眺めていた。
両親をとうに亡くした元子爵令嬢で、美しいアンジェリカに仕える二十四歳の侍女——周囲を魅了する要素はまるでないモニカに、声をかける者は誰もいない。
壁の花、とはよく言ったものだ。
誰にもダンスに誘われない女でも、きちんと化粧をし、それなりのドレスを纏っていれば「花」に見えないこともない。
(とはいえ、そろそろ壁を飾る仕事にも飽きてきたわね……)
モニカは誰にも気づかれないよう、こっそり嘆息した。
下手に着飾っているせいで、こうして立っていることしかできない。
『未婚令嬢はパーティーにおいて小食であるべき』という社交界のマナーのせいで、食事に専念することもできないのだから不便なものだ。
こんなことなら、いつものシンプルなドレス姿でアンジェリカの世話を焼いている方がよほどいい。
子爵令嬢だった頃ならまだしも、今のモニカには分不相応な装いだというのに、ヘイウッド公爵夫人であるメラニーは頑として引かなかった。
夫人は、モニカがアンジェリカと共にどこかへ出かける度、実の娘と同じだけの手間と費用をかけてモニカを着飾らせる。
『——亡きシェルヴィ子爵に申し訳の立たない真似はできないわ。素敵な出会いがあるかもしれないんですもの、うんとおめかしして行かなくちゃ』
メラニーは、正装したモニカを見て『とても綺麗よ』『その色、すごく似合ってるわ』と瞳を輝かせるのが常だった。
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