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宰相閣下の溺愛に雇われ妻は気づかない

マチバリ / 著
上原た壱 / イラスト
定価 1,320円(税込)
発売日 2022/10/28

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内容紹介

やっと君を名実共に俺の妻にできた
ある事件で王女付きの近衛騎士を辞め、領地で母親に結婚を急かされていた貧乏令嬢・アニエスに求婚してきたのは、「氷の宰相」ドミニクだった!? 騎士時代、冷徹な手腕で知られる彼とは犬猿の仲だったのに…? 窮地に立たされた王女を救うため「俺の妻として雇われてくれ」とドミニクから言われ、正義感から結婚を決意するアニエス。雇用契約上の結婚だと怪しまれないように愛し合う夫婦のフリをすると決めるけれど、「今度は絶対に君を逃がさない」と初夜から甘く淫らなドミニクの愛撫に翻弄されて…。結婚した途端、策士な宰相の執着愛が止まりません!? 第二回ジュリアンパブリッシング恋愛小説大賞銀賞受賞作品。

立ち読み

 プロローグ

 大聖堂のステンドグラスから差し込む光は七色に彩られており、まるで別世界のように世界を輝かせている。
 参列者はいない静かな結婚式だというのに、この場を包む空気はやけに温かくて落ちつかない。
 糸の一本まで真っ白なドレスに身を包んだアニエスは、大聖堂の中央に敷かれた赤い絨(じゅう)毯(たん)の上をゆっくりと歩いていた。
 目の前に立つ初老の司祭は穏やかな顔で新たに夫婦となる男女を見つめている。
 繊細に織られたベール越しに見える慈愛に満ちた司祭の視線に、アニエスは申し訳なくなり目を伏せる。
(神様、申し訳ありません)
 今さらだと思いながらも、神の御(み)前(まえ)に立ったことにより秘めていた罪悪感に押しつぶされそうだった。
 助けを求めるように、アニエスは隣に立つ人物へと視線を向ける。
 だがその人はアニエスには目もくれず、まっすぐに前を見ていた。
「ドミニク・ヘンケルス。あなたはこのアニエス・フレーリッヒを生涯の妻とし、いかなる時も愛し慈(いつく)しむことを誓いますか」
「はい、誓います」
 司祭の言葉にドミニクは淀(よど)みなく答え静かに頷(うなず)く。
 まっすぐに神の像を見上げるアイスグレーの瞳には一遍の迷いも滲(にじ)んでいないように感じられ、ドミニクの決意がどれほどまでに強いのかをアニエスは思い知らされた気分になった。
(ええい。もう決めたことよアニエス。ここまで来たんだからもう後戻りはできないわ)
 ドミニクの決意にあてられ、アニエスは怯(ひる)みかけていた気持ちを必死に奮い立たせる。
「アニエス・フレーリッヒ。あなたはドミニク・ヘンケルスを生涯の夫とし、いかなる時も愛し支えると誓いますか」
「……はい、誓います!」
 花嫁の宣誓にしてはいささか元気の良すぎる返事に司祭は一瞬だけ目を見開くが、小さな咳(せき)払(ばら)いひとつで表情をすぐに改める。
「それでは誓いのくちづけを」
(くちづけ……!?)
 叫びたいのを必死にこらえ、アニエスはゆっくりと体の向きを変えた。
 すでにアニエスと向き合う体勢になっていたドミニクが、手袋をはめた手でそっと薄いベールを持ち上げた。真正面から見つめたその顔は、息を呑むほどに美しい。
 いつもは無(む)造(ぞう)作(さ)に下ろされている髪が整えられており、彼の顔立ちを際だたせていた。
 アニエスの良く知る宰(さい)相(しょう)としての姿ではなく、花(はな)婿(むこ)に相応(ふさわ)しいきっちりとした正装をしたドミニクは、まるで精(せい)悍(かん)な雰囲気に包まれていて、アニエスは思わず彼に見(み)惚(と)れてしまう。
「アニエス」
 名前を呼ぶ声の柔らかさに、何(な)故(ぜ)か泣きたくなった。
 潤んだ瞳を隠すために瞼(まぶた)をきつく閉じて顎(あご)を上げれば、それを待っていたかのように柔らかく温かい感触が唇に重なる。
 優しく触れるだけの、誓いのキス。
 アニエスはこれが自分にとって初めてのキスであることに気がつき、妙な感動を覚えた。
 相手がドミニクであることも、夫婦となる誓いのキスであることも、何もかも夢でも見ているかのように現実感がない。
 離れていくドミニクの体温に、名残惜しいなどと考えてしまっていることを誤魔化すように呼吸を整え、ゆっくりと目を開ける。
 真正面から見つめあったドミニクは、驚くほどに優しい顔でアニエスを見ていた。
 本当に愛を誓った結婚であるかのように錯(さっ)覚(かく)してしまうその表情に、心臓が痛いほどに高鳴っていく。
「この二人を夫婦として認める」
 司祭の静かな言葉をアニエスはどこか遠くに聞いていた。
?

一章 突然の求婚

 大陸の南に位置するレストラダム国は、元はカロット帝国と呼ばれる巨大な国の一領地でしかなかった。
 強大な軍事力を誇っていたカロット帝国の政治は極端な血統主義の貴族たちによる偏ったもので、国民たちは圧政に長く苦しみ続けていた。厳しい法律や重税。横暴で残虐な帝国貴族の気まぐれで命を落とした国民は少なくない。
 我慢の限界に達した国民や一部の貴族が内乱を起こし、帝国があっけなく崩壊したのは数十年前。
 当時レストラダムを治めていた領主は中央で政権を握っていた名だたる帝国貴族とは結びつきのない穏(おん)健(けん)派だったことが幸いし、内乱の際に国民たちからその刃(やいば)を向けられることはなく、参戦することもなかった。
 首都からあまりに離れていたこともあり、帝国の厳しい取り締まりの影響が薄かったのも大きかったのだろう。
 内乱の後、帝国の基盤を引き継ぎ生まれた新国家に与(くみ)する道もあったが、レストラダムは独立することを選んだ。領民たちの総意から穏やかで人望のあった領主が国王となり、レストラダムは国としての産(うぶ)声(ごえ)を上げたのだった。
 他国では帝国への拭いきれない遺恨から帝国貴族の残党狩りなどという血なまぐさい話もあったが、レストラダムはそういった話題とは縁遠いまま平和な時代を享受していた。


「アニエス、アニエスはどこ!?」
 穏やかな昼下がり。
 フレーリッヒ家の小さな屋敷で領主代行のスレアが慌てた声を上げ、歩き回っている。
 榛(はしばみ)色の髪には白いものが混じっていて目元にはうっすらと皺(しわ)が浮かんでいるものの、愛らしい顔立ちのスレアはともすれば少女のようにも見える可憐な雰囲気をまとっていた。
「どうしたの、お母様。そんなに慌てて」
 どこか間延びした声で返事をしながら、アニエスは軽い足取りで階段を下りてくる。
 探していた相手が返事をしてくれたことに一瞬表情を緩めたスレアだったが、顔を上げてその姿を認めるとすぐに眉を思い切り吊り上げた。
「アニエス! 貴女はまたそんな恰(かっ)好(こう)をして!」
 男性用の白いシャツと乗馬用のズボンという軽装に加え、化粧はおろか栗色の長い髪を無造作に結んだだけで髪飾りのひとつもつけてはいないという貴族令嬢らしからぬ姿をしたアニエスに、スレアは深いため息を零(こぼ)した。
 当のアニエスはそんな母親の態度に慣れたもので、軽く肩をすくめるだけだ。
「今から教会に行って子どもたちと遊ぶつもりだったの。この方が動きやすいんだからいいじゃない」
 一見すれば野(や)暮(ぼ)ったく見えそうなものだが母親似の明るい緑の瞳が印象的な愛らしい顔立ちにその服装はよく似合っていたし、背筋をまっすぐに伸ばした機敏な動きのおかげで逆に洗練されているようにも見えてしまう。
 悪びれる様子のない娘の態度に、スレアは複雑そうな表情を浮かべ肩を落とした。
「動きやすいじゃありません! 子どもたちと関わるのはよいことだけど、一緒に遊ぶだなんて……貴女はもう騎士ではないのよ。いい加減、淑(しゅく)女(じょ)としての振る舞いを身につけてちょうだい」
 泣きそうに声を震わせるスレアに、アニエスはまた始まったと小さく首を振った。
 アニエスは二十四年前にフレーリッヒ男(だん)爵(しゃく)家の令嬢として生を受けた、れっきとした貴族令嬢だ。
 国境付近にある小さな領地を治めるフレーリッヒ家は、穏やかでつつましい暮らしを貫いているおかげで領民たちの信頼も厚い。
 使用人を雇う余裕はないため、両親は朝から晩まで貴族とは思えないほど真面目に働いており、長女であるアニエスはそんな両親に代わり二人の弟の面倒をよく見ていた。
 そのせいか貴族令嬢らしさの薄い少女時代を過ごしていた。
 弟たちと一緒に木に登り川で泳ぎ、領民たちの農作業も喜んで手伝う活発で明るい存在として、周囲から愛されていた。
 母親だけは娘の将来を案じて「もっとおしとやかにしなさい」とよく注意していたが、アニエスは自分を曲げることなくのびのびと成長する日々。
 王都に住まう貴族のような華やかさはなかったが、家族や領民たちと身を寄せあう暮らしは幸せそのものだった。
 だが、アニエスが十三歳になったある春、その幸せは突然壊れてしまう。
 領民と共に雨上がりの畑の様子を見に行った領主である父が突然胸を押さえて倒れ、そのまま身(み)罷(まか)ってしまったのだ。
 勤勉な父がなんとかやりくりしていた領地運営はあっという間に火の車。
 支援を求めようにも、レストラダムの国庫とてそこまで裕福ではない。ほんのささやかな見舞金が届いただけでも幸運だった。
 本来ならば没落してもおかしくなかったフレーリッヒ家だったが、状況を哀れんだ当時の宰相が動いてくれ、領主の妻であったスレアが領主代行を務める許可が下りた。
 加えて、嫡男が跡を継ぐまでは国に納める税金の減額も許されたこともあり、フレーリッヒ家は没落の道を免れることになる。
 その恩義に報いるため、それからフレーリッヒ家の一同は貴族らしからぬ生活を選び、なんとか領民たちを飢えさせないようにと必死だった。
 アニエスは貴族令嬢として着飾ることも学ぶこともできなかったが、それを苦とも思わなかった。
 大切な家族や領民たちが笑顔でいることが一番だと理解していたから。
 だが父の死から三年が経ち、跡継ぎのウェルフが十四歳を迎えた春。翌年に入学を控えた貴族学校への進学費用を賄(まかな)えない可能性に気がついたフレーリッヒ家の一同は文字通り頭を抱えた。
 王都にある貴族学校は各家の跡継ぎとなる子息や令嬢が通う学校だ。十五歳から十六歳のうちに入学し、貴族としてのイロハや領地経営を学ぶ場所。領主になるためには入学が必須というわけではなかったが、領主としての知識や技術だけではなく貴族との交流を身につけていないことは貴族社会では致命的だ。
 もしウェルフが入学できなければ、フレーリッヒ家は本当に没落してしまうかもしれないという危機的状況だった。
「我が家にもっと余裕があれば、お前を騎士などにせずにすんだのに……」
「お母様。その話はもういいのよ。ウェルフだって無事に貴族学校を卒業できたんだし」
「……でも、お前が行き遅れてしまったじゃない」
 今にも泣きそうに瞳を潤ませ俯(うつむ)くスレアの顔には後悔の色が滲んでおり、アニエスはどうやって宥(なだ)めるべきかと必死に言葉を選ぶ。
「私のことは気にしないでいいと言ったじゃない。そもそも、騎士にならなくたって新しいドレスひとつ仕立てられない貧乏令嬢を妻に欲しがる貴族なんていなかったわ。どのみち、行き遅れる運命だったのよ。むしろ騎士になれてよかったと本当に思っているわ」
 満面の笑みを浮かべるアニエスに、スレアは深いため息を零したのだった。
 当時十六歳だったアニエスが選んだ道は、単身で王都の騎士学校に入り騎士になるというものだった。
 レストラダムは歴史の浅い小国であるが故に、まだまだ人材が不足していた。
 そのため、かつては家に仕(つか)えることが最善とされていた女性たちもこぞって働きに出て、政治や軍事に関わっている。
 スレアが領主代行を認められたのも、その背景が大きく影響していた。
 何より、今の国王には王女がひとりしかいない。
 いずれは女王が治めることになるこの国では女性も立派な担い手の一員として認知されており、騎士とて男女の壁なく雇用が行われていた。
 王都にある王立騎士学校に入ることができれば、寄宿舎で生活の面倒を見てもらえるうえに訓練生として給金までもらえる。それを可能な限り仕送りすれば家族の生活も楽になるし、弟の貴族学校入学の準備だってできる。
 当然家族は反対したが、アニエスはそれを押し切り鞄ひとつ抱えて王都に向かった。
 そして難関と噂される王立騎士学校の試験に合格しただけではなく、なんと首席で卒業してしまったのだ。
 さらにその実力と勤勉さ、何よりまっすぐな性格が認められ、十九歳の若さで近(この)衛(え)騎士に就任し王女の専属にまで上り詰めた才(さい)媛(えん)、だった。
「何度も言うけれど、貴女はもう騎士ではないのよ。もうそんな恰好はやめて、ドレスを着てちょうだい。化粧だって覚えて髪だってもっときれいに結うべきよ。もっと女性としての楽しみを覚えてほしいの」
「……今さらよ。貧乏貴族のうえに行き遅れ、それも近衛をクビになった元騎士なんて女と結婚したがるような男なんていないわよ。まだまだ我が家も落ちつかないのに、私だけそんな楽しんだりできないわよ」
 そう。今のアニエスは騎士ではない。
 数ヶ月前に近衛騎士の職を辞した身だ。
 今は王都を離れ、実家であるフレーリッヒ家の領地に戻ってきていた。
 弟のウェルフは貴族学校を昨年無事に卒業し、領主としての仕事を覚え始めているし、下の弟も貴族学校に入学したばかり。
 アニエスがこれまで蓄えた財産も少なからずあるので、以前より楽な生活はできていたが、まだまだ安定しているとは言い難い状況だ。
 それにアニエスには今さら若い娘のように着飾ったり、社交の場で結婚相手を探すつもりは全くなかった。
 どうせならば領民たちの暮らしを支えるため、王都の生活で身につけた知識を生かし領地の子どもたちの教師として生きていこうと考えていたくらいだ。
「そんなわけにはいかないわ。貴女には苦労をした分、ちゃんと幸せになってほしいの!」
「お母様……?」
 どこか決意と喜色に満ちたスレアの表情に、アニエスは嫌な予感がして思わず身を引く。
 だがそれよりも先にスレアはアニエスの両腕を掴んで捕らえてしまった。
「喜びなさい! 縁談の話が来たの! それも王都に住まいのある伯(はく)爵(しゃく)家からよ」
「えええ!!」
 目をまん丸にしてアニエスが叫ぶが、スレアは頬を紅潮させて今にも躍り出しそうなほどに喜んでいる。
 スレアにしてみれば、可愛い娘が年頃だというのに男社会の中で騎士として働いてきたことが不(ふ)憫(びん)でならないのだろう。
 騎士学校に入学できた時も、首席で卒業した時も、近衛騎士に就任した時も、スレアはアニエスに「早く領地に帰って結婚しなさい」と手紙を送ってきていたのだ。
「私に縁談って……しかも伯爵家ですって? どこの物好きよ!」
「こら! せっかく貴女を望んでくれている人に対してそんな物言いをしないの。きっと王都で働く貴女を見(み)初(そ)めたのね、ヘンケルス伯爵様は」
「……え……お母様、今なんて言ったの? 聞き間違えではなければヘンケルス伯爵と」
「そうよ。貴女に縁談の申し込みをしてきたのはヘンケルス伯爵家のご当主、ドミニク様よ」
 スレアは手に持っていた手紙をアニエスにもよく見えるように広げる。
 それは国が発行する正式な求婚状で、間違いなく本物であることが近衛騎士をしていたアニエスにはすぐにわかった。
 そしてそこに書かれている求婚者が、いったい誰であるかも。
「嘘でしょう!?」
 それは近衛騎士時代に嫌というほど顔を合わせた上司であり、ある意味では天敵であった男性の名前。
 同姓同名であればと一瞬願ったが、嫌味なほどに整った署名の筆跡や、刻印された家紋を見間違えるわけがない。
「あの宰相閣(かっ)下(か)が私に求婚ですって!?」


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