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理想と違っていいかしら?

火崎勇 / 著
小路龍流 / イラスト
定価 1,320円(税込)
発売日 2021/11/26

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内容紹介

私を魅了した女性、君が欲しい。
一条玲子は両親亡き後、大切に育ててくれた祖母までも亡くし、会社も辞めて何もかも空っぽになったように、ぼんやりと日々を過ごしていた。玲子が墓参りで涙を流しているとハンカチを差し出してくれた美麗な男性。彼は玲子が再出発するためのハウスキーパーの顧客で、貿易会社社長の伊達永久だった。俺様で強引だけど、時折見せる優しい笑みと、甘い言葉に、玲子の心は満たされていく。しかし永久が好きなのは『ここで働く玲子』の姿で、本当の自分ではないと思いしらされて……。思考を奪うほどに、身体を蕩けさせられる。俺様強引社長×猫かぶりクール美女のオトナの駆け引きラブロマンス!

立ち読み

 糸が切れた。
 気を張っていたわけではない。
 何かに操られていたわけでもない。
 鳴らすほどのものもなかった。
 でも、確かにその時、『糸が切れた』と思った。
 祖母の葬儀が終わって、家に戻った時に。
 一(いち)条(じょう)の家は、ごく一般的な家庭だった。
 父はサラリーマン、母は専業主婦。一人娘の私と三人で郊外のマンションに暮らしていた。
 夫婦仲はよく、二人とも子煩悩。
 少し違うところがあるといえば、父の実家が都心にあることと、母の実家は既に両親が亡くなり伯父夫婦が継いでいて、母と伯母のおりあいが悪いから没交渉になっていることぐらい。
 けれどそれでさえ、特に変わったことではない。
 平々凡々、ありふれた生活。
 それが崩れたのは、父が倒れた時だった。
 朝、母が起こしに行ったら、普段は静かに寝ている父がイビキをかいていて、起こしても起きなかったのだ。
 母はすぐに救急車を呼び、私にお祖母ちゃんに連絡しなさいと言い置いて一緒に救急車に乗って病院へ向かった。
 もしその救急車がちゃんと病院へ到着していたら、また私はいつもの生活に戻れたかもしれない。
 けれど救急車は病院に到着することはなかった。
 事故を起こしたから。
 大型のダンプカーと正面衝突し、救急隊員も、両親も、その事故で亡くなったのだ。
 私は、中学一年だった。
 母方の伯父には既に三人の子供がいて、伯母が私を引き取ることを拒んだので、私は父方の祖母に引き取られることになった。
 祖母の家も決して裕福というわけではなかったが、小さくても都心に一軒家を構える程度には暮らしにゆとりがあったし、両親の遺産や保険金があった。
 何より、歳がいってから生まれたたった一人の息子を失った祖母は、残された孫の私を可愛がってくれたので、普通ではなくなったがその後も幸せな日々を送っていた。
「玲(れい)子(こ)がしっかり育ってくれれば、お祖母ちゃんはそれだけで満足よ」
 そう言って笑う皺(しわ)だらけの顔。
 小さな身体でよく動き、友人も多く、アクティヴだった。
「私はハイカラな方でね、普通じゃないのがかっこいいと思ってたんだよ。だから玲子も普通でなきゃいけないなんて考えずに、好きに生きなさい」
 と言ってふかしていたタバコの匂い。
 祖母が好きだった。
 私と祖母は親子のように、友人のように、同志のように、生活を楽しんで生きていた。
 両親がいないということで受ける多少の迫害も気にならないくらいに幸せだった。
 祖母のために家事を覚え、勉強も頑張り、大学を卒業してからは一生懸命働いた。
 自分を愛して育ててくれたお祖母ちゃんの自慢の孫娘になりたい。友達と旅行に行かせてあげたい。美味しいものを食べさせてあげたい。
 まごうことなきお祖母ちゃん子だった。
 そんな祖母が、病に倒れてわずか一カ月で亡くなってしまった。
 してあげられることは何でもした。
 それでもどうにもできなくて、祖母はいなくなってしまった。
 失って初めて、私は自分が祖母のために生きていたんだなぁ、と思った。
 人は、『何かのため』に生きているのだと思う。
 遊ぶため、お金を手に入れるため、好きなことをするため、誰かに何かをしてあげるため。
 その誰かが、親だったり、恋人だったり、友人だったり、自分自身だったり、人それぞれなのだろうが、私は、それが祖母だったわけだ。
 その祖母が亡くなってしまった。
 お葬式というのは、残された人々が忙しさで悲しみを紛れさせるためにあるのだ、なんてことも言われているが。確かに葬儀が終わるまでは色々とやることがいっぱいで気を張っていられた。
 けれど、葬儀が終わって、古い家に戻ってきた時、空っぽの家の中に自分しかいないのだと思った瞬間、糸が切れた。
 悲しいというより、空っぽ。
 もう何のために頑張ったらいいのか、わからなくなってしまっていた……。



 胸まで伸ばした真っ黒で真っすぐな長い髪にハイブランドのブラックスーツ。久々のハイヒールでバッチリ決めた装い。
 久し振りのお化粧も、バッチリした。
 ここのところ、ノーメイクでゴロゴロしていたけど、やはりキッチリと装備を固めると背筋が伸びる。
 気合を入れて美しく装ったのは彼氏と会うため……、ではなく、お祖母ちゃんの月命日のお墓参りのためだ。
 お祖母ちゃんのお墓のあるお寺の住職はお祖母ちゃんの幼なじみで、お祖母ちゃんは昔から私を連れて行っては『自慢の孫』と誇らしげに語っていた。
 なので、幾ら張り合いがないからって昨日までのイモジャースタイルで来ることはできなかったのだ。
 たとえ「お参りに来ました」と一声かけるだけであっても。
「おや、玲子ちゃん。相変わらず綺麗だね」
 私の声に奥から出て来た、恰幅のよい住職はいつもの言葉を口にした。ま、社交辞令のようなものだ。
「まあ住職さんたら。その後はお祖母ちゃんの若い頃に似てる、とおっしゃるんでしょう?」
「そうだねぇ。だがあんたの方がずっと背が高い」
「ハイヒールですわ。お線香、点けていただけます?」
「はい、はい。私はこれからちょっと檀家回りだから、ゆっくり十(と)和(わ)ちゃんと話していきなさい。あ、お供えは……」
「カラスが来るから持って帰ります」
「わかってるねぇ」
「もうずっと通ってますから」
 だって、お墓には私の両親も入っているのだ。
 住職は私からお線香の束を受け取って、専用の火鉢みたいな電熱器で火を点けてから返してくれた。
「はい、どうぞ」
 お線香を受け取ると、墓地の入り口へ向かう。そこに並べて置かれた水桶とタワシを手に取って水道で桶に水を入れる。
 一先ずそれを足元へ置くと、私はバッグの中から買ってきたタバコを取り出した。
 私が吸うのではない。
 タバコが好きだったお祖母ちゃんのために、お線香と一緒に供えてあげようと思ったのだ。
 私は顔も知らない、亡くなったお祖父ちゃんがヘビースモーカーだったらしく、偲んで吸ってるうちにお祖母ちゃんもヘビースモーカーになったのだと聞いた。
『タバコを飲む女がカッコイイ時代だったんだよ。こう、フィルターに口紅が残るのが色っぽくてね』
 と言っていたけれど、今だったら男性陣は喫煙者の女性を敬遠するだろう。
 世を挙げての嫌煙ブームだから。
 タバコのパッケージを開けて一本取り出し、軽く咥(くわ)える。
 お祖母ちゃんが使っていた百円ライターで火を点ける。……が点かない。
 お祖母ちゃんはすぐに煙を出していたのに。
 火を点けながら息を吸うのかしら?
 もう一度ライターで火を点けて一気に息を吸い込むと、口の中に煙とニコチンの味がぶわっと広がった。
「コホッ……!」
 慌てて吐き出そうとした煙が鼻に抜けて、思わず涙が零れる。
「エホッ……」
 咳き込んでる間に、せっかく点いた火がスーッと消えてしまった。
「咳き込むぐらいならタバコは止めた方がいいんじゃないか?」
 突然、聞こえる男の人の声。
 振り向くと、素敵な低音ボイスに似合った背の高いイケメンがこちらを見ている。
 高級そうなスーツをビシッと着こなしてるから、いかがわしい人ではなさそうね。
「吸ってませんわ」
 答えると、ムッとした顔をされる。
「吸っているだろう?」
 これは俺様タイプの性格ね。俺の言ったことが間違ってると? って顔だもの。
「吸い付けたかったんです。お線香みたいに」
「線香は手に持っているようだが?」
 見ず知らずの人、よね?
 だったら、もし私が喫煙してたとしても、放っておけばいいのに。
「亡くなった祖母がタバコが好きだったので供えてあげようと思ったんです。でも上手くいかなくて」
 そう答えると、彼は近づいてきて「貸しなさい」と私の手からタバコとライターを取り上げて、吸い付けた。
 ふわり、とタバコの先から煙が上がる。
 彼はもう一口吸って火を定着させると、それを私に返して寄越した。
「これでいいか?」
「ありがとうございます……」
 うーん、見ず知らずの他人が口に咥えたものを持つのはちょっと気が引けるわ。ま、イケメンだからよしとするか。
 親切でしてくれたんだろうし、汚いなんて思っちゃダメよね。
「使いなさい」
 私がじっとタバコを見ていると、彼はハンカチを取り出して私の手に握らせた。
「あの……」
「いいから、使うといい。泣き顔も美しいが、それ以上泣くと化粧が崩れる。家族を失うことは悲しいだろうが、きっといいこともあるさ」
 微笑んだ顔もカッコイイ。
 名乗らずにそのまま去って行くのも、ドラマのワンシーンみたい。
 なるほど、彼は私が泣いていると思って声をかけてきたのね。
 でも……。
「悲しくて泣いてたわけじゃないのよね」
 渡されたハンカチを見ながら、私は苦笑した。
 ただタバコにむせてただけなのに。
 でも彼はきっと泣いてる女性にカッコイイところを見せられたと御満悦だろうから、敢えて訂正はしないけど。
 スーツはツルシではなく仕立てものらしいし、履いてた靴は一流品。このお寺にあんな金持ちが来るんだ。
 そういえば、お寺の山門の横の駐車場に、場違いな高級車が一台停まってたわね。
 住職が新しい車を買ったのかと思ったけど、きっとあれは彼のだわ。
 私は改めて手桶とタワシとタバコと線香を持って、奥のお墓に向かった。
「あら、嘘……」
 区画の隅の藤棚の横にある一条家のお墓に、墓前にはそぐわないバラの花が活けてあるではないか。
「まさか……、今の人? お祖母ちゃんの知り合いだったの?」
 頭の中でお祖母ちゃんの交遊録を思い返してみるけれど、あんなイケメンに会った覚えはなかった。
 お友達のお孫さんかしら?
 まさか、他の家のお墓と間違えて?
 ないとはいえなさそうね、お墓にバラの花を持ってくるような人だもの。
「ま、いいわ」
 バラは美しいし、天からの授かり物と思うことにしましょう。


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