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当て馬令嬢は恩返しがしたい! 〜カタブツ殿下は仮初めの婚約者を甘やかす〜

小山内慧夢 / 著
逆月酒乱 / イラスト
定価 1,320円(税込)
発売日 2021/02/26

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内容紹介

君を閉じ込めてずっと愛でていたい
「破棄されるために第二王子様と婚約致します!」アドバルフェ王国では『婚約破棄もの』の読み物が大流行。第二王子デギオンの婚約者に誰一人名乗りを上げない状況で、宰相に育ててもらった多大な恩を返すべく、仮初めの婚約者に自ら立候補した元令嬢のセイラ。デギオンが真の婚約者と結ばれるまで務めをまっとうするはずだったが…。「君をどこまでも甘やかして、私なしではいられなくしてやりたい」言葉足らずなデギオンの思いは、ウブなセイラに届いているのか…!? 尊大な殿下と純朴な乙女、二人の愛が新しい流行の幕開けとなる、癒しの恋物語。

立ち読み

当て馬令嬢、爆誕

「バーリマン伯爵、昨夜は賭(と)博(ばく)場でかなり派手に遊んだそうですな」
「はい?」
 二日酔いの頭をなんとか支えていたバーリマン伯爵が顔を上げると、エクヴァル公爵が手を後ろで組んで太鼓腹を更に張り出すようにして笑っていた。特に親しくもない、挨拶してもチラリと視線だけ寄越して鼻息で返事をするような高慢な、いや、高貴な公爵がなぜ今日に限って話しかけてくるのかと不審に思いながらもバーリマン伯爵は口を開いた。
「なんのことでしょう? 賭博場……?」
 付き合いで数度賭博場に足を踏み入れたことはあるが自ら賭け事に興じた覚えはなかった。
「隠さなくてももう皆が知っていますよ。それこそ城の洗濯係でも、ね」
 バーリマン伯爵は眉を顰(ひそ)めた。確かに昨夜は人に勧められるままに酒を飲み、したたかに酔って屋敷の門前で力尽きているところを庭師に発見されるという醜(しゅう)態(たい)を晒(さら)した。しかし酔っていたとはいえ、賭け事で身(しん)代(だい)を失いかけた身内を持ち、その恐ろしさを身をもって知っている自分が賭け事などするはずがない。
「誰かと間違えておられるのでは?」
 曖昧に笑ってその場をやり過ごしたが、笑い事で済む話ではなかった。賭博場の支配人が屋敷に支払いを求めてやってきたのだ。ご丁寧に持参された借用書には、歪んでいたがバーリマン伯爵直筆のサインが入っていた。その借用書によるとバーリマンがこしらえたという借財は正気の沙汰とは思えないほどの金額で、それを目にした夫人は血の気を失って倒れてしまった。とてもすぐに用立てることはできない金額にバーリマン伯爵は身に覚えがないことを説明したが、言い逃れだと断じられた。
 昨夜バーリマン伯爵が着ていた上着から賭博場で使われている賭け札が数枚発見され、賭博場のボーイ他多数がその夜のバーリマン伯爵の姿を目撃していたのだ。酔っていたとはいえ自らの行動を認めないわけにはいかなくなったバーリマン伯爵は、自分の後始末もつけられない無能貴族と言われた。時期が悪いことに体調を著しく崩したこともあり、やがて伯爵は爵位を手放して表舞台から消えた。

 ***

 アドバルフェ王国宰相・ヘイグステッドは悩んでいた。予算のことでも国王の機嫌のことでも妻の際限ない趣味のことでもないそれは、個人的にはどうでもいいことだったが宰相である以上そうもいかない。普通ならば別の意味で頭を悩ませるはずのその問題は、ヘイグステッドにはまったく理解できないことだった。
「なぜ、婚約相手が決まらないのだ」
 口に出すと余計にうんざりしてしまい、思わず大きく息を吐いた。アドバルフェ王国には二人の王子がいる。最近やっと王太子が結婚し、ようやく肩の荷が下りたと思った矢先、今度は留学している第二王子の婚約相手を選定するように国王から下知があったのだ。ヘイグステッドが考える王家の結婚相手選定の悩みといえば、我も我もと殺到する希望者の中からより条件のよい候補者を選ぶ悩みだ。しかし今はそうではなかった。
「時代が変わった、……おかしな方向に変わってしまった」
 眉(み)間(けん)を揉んで頭痛をやり過ごそうとしたが上手くいかなかった。脳裏に「婚約破棄」、という言葉がちらつく。
 それは東の某国から始まった。爛(らん)熟(じゅく)した文化が特徴的なその国で『婚約破棄もの』という読み物が爆発的な人気を得たのだ。王族が以前から決まっていた婚約を破棄して別の相手と結婚して幸せになる内容だという。
 その流行に触発されたのか、王族や貴族の若者の間で真実の愛などを声高に叫び、本当に婚約破棄してしまう例が急増した。血筋や財産の有無を重んじる親同士が決めた政略結婚に疑問を持ちながらも、慣例だからと今まで口に出せずに抑圧されてきた若者の不満が一気に爆発したのかもしれない。しかもそれがなんとなく上手く回ってしまったから始末が悪い。あっという間に流行は近隣諸国にも伝播し、巷(ちまた)では『一度婚約破棄したほうが幸せになれる』などというおかしな流言がまことしやかに囁(ささや)かれるようになってしまった。今では親が決めた婚約者とそのまま結婚するほうがおかしい、と言われるほどである。
 別に真実の愛を見つけたのならそれでいい、ヘイグステッドとてどうぞお幸せにと拍手を送るのは吝(やぶさ)かではない。しかしなぜそれが『最初の婚約者は破棄されるからなりたくない』という結論になるのか。理解しがたい。
 おかげで第二王子の婚約者に、と名乗りを上げるものは皆無である。こちらから打診しても、親は乗り気なのに肝心の娘が泣いて嫌がるのだという。第二王子に嫁ぐのがいやなわけではない、『最初の』婚約者になったら破棄される、とありもしない強迫観念に囚われているのだ。こちらがいくら破棄はしない、と言葉を重ねても同意は得られない。それほどまでに某国の婚約破棄の流行は劇的だったのだ。
「まったく……なんという世の中だ」
 そういうわけでヘイグステッドは今日も婚約者探しに尽力せねばならないのだった。

 ***

 セイラの朝は早い。鳥たちとともに起き出して身支度を整える。細い身体にお仕着せをまとうと、愛用の箒を持って庭の掃除を始める。庭師から落ち葉はいい肥料になるから、と言われているので普通のゴミと落ち葉は分けて袋に詰める。ときどき落ちている小枝はかまどの焚き付けにいいからとこれまた別の袋に詰める。袋が八割方埋まってくる頃には厨房からパンを焼くいい香りがしてくる。それを合図に撤収すると念入りに手を洗い、今度は食堂の配膳の手伝いに回る。それが終わると自室に戻り着替えて朝食を頂くのだ。
「おじさま、おはようございます」
 ドレスを抓(つま)んで挨拶をすると新聞を読んでいた屋敷の主、ヘイグステッドが視線を向けてくる。ヘイグステッドは眉間にしわを寄せて新聞を丁寧にたたんだ。
「おはよう、セイラ……何度も言うようだが」
「労働のあとのご飯はおいしいですよね。今日もお腹いっぱい食べますね!」
「…………」
 先制されて口を噤(つぐ)んだヘイグステッドは不本意そうに眉間のしわを深くした。それを見てセイラは申し訳なさそうに眉を下げる。ヘイグステッドはセイラに労働をして欲しくないのだ。以前から何度も言われているので、セイラだって承知している。しかしそれではセイラの気が収まらないのだ。
 セイラの父は以前爵位を持っていたが不祥事を起こし失脚した。仕事も領地も住む家さえもなくしたセイラ一家を救ってくれたのがヘイグステッドである。ただセイラの父の幼馴染みだというだけで、一家のみならず行く当てのない使用人まで引き取ってくれたヘイグステッドには感謝してもし足りない。その恩を返そうとセイラは持ち前の人なつっこさを発揮し、見よう見まねで屋敷の中の仕事を覚え、ヘイグステッドに内緒でお仕着せまで入手してなにかの役に立とうと奮闘している。しかしヘイグステッドは働き手が欲しくて引き取ったのではない、といい顔をしない。君は伯爵令嬢なのだから、とことあるごとに小言を口にして、セイラに令嬢らしい振る舞いを望んでいる。
(令嬢と言っても、元令嬢なんだけどなあ)
 多感な時期にいろんな出来事に直面したセイラは、年相応というよりもどこか達観したような思考を持っていた。特に受けた恩は必ず返さねばならない、という強い信念は、ヘイグステッドに言われても曲げる気はなかった。
 食事が終わり再びお仕着せに着替えたセイラは庭の隅の庭師小屋に向かう。手入れの際に剪定(せんてい)した、使わない花をもらいに行くのだ。屋敷に花を飾ることで少しでも楽しんでもらえたら、と考えて自発的にやっていることだが、屋敷の皆からは好評を博している。これに関しては掃除と違いヘイグステッドも黙認している。花を愛(め)でることはヘイグステッドの中では『令嬢らしい振る舞い』に分類されるらしい。更にその花をモチーフにした刺繍などをすると眉間のしわがほんの少し和らぐのが確認されている。今日は八重咲きのバラが手に入ったので早速花瓶に生けようと踵(きびす)を返すと、声が掛けられた。
「失礼、ここはヘイグステッド宰相の屋敷で間違いないか」
 振り向くと生け垣の向こうから背の高い男性がこちらを見ていた。ボサボサの黒髪に無精髭、大きな荷物を背負っている。しかし長い前髪の間から微かに見える瞳は探るように金色に輝いていた。
「そうですけど……どちら様ですか?」
 いつでも走って逃げられるように身構えたセイラの様子を見て男はふ、と笑った。
「いや、昔世話になったので懐かしくて……ああ、庭のバラがもう咲いたか」
 男はセイラが手にしていたバラに目を留めると口元を綻ばせた。長い髪のせいで人相はわからないがほんの少しの変化でぐっと親しみやすさが増した気がしてセイラは警戒を解く。
「バラ園をご存じなのですね」
「ああ、幼い頃エリオットたちとよく遊んだものだ……それは奥方が一番好んでいる品種だろう。花びらが優雅だからよく覚えている」
 言葉の端々に懐かしさを滲ませた男にセイラはすっかり気を許した。
「まあ、エリオット様たちのご友人でしたか」
 宰相には三人の息子がいる。それぞれに独立しているがよく帰ってきてはセイラやメイドたちにおいしいと評判のお菓子を土産として持ってきてくれる、気配りの細やかな紳士だ。
「残念ながら今お屋敷にエリオット様たちはいらっしゃいませんが、よろしければ中でお休みになられます? お荷物も重そうですし」
「いや、それには及ばない。邪魔をして悪かったな」
 男は荷物を背負い直すと手を上げて立ち去ろうとする。
「あ、お待ちください!」
 引き留めてからセイラは自分のしたことに驚いた。特に用事もないのに呼び止めてしまったのだ。男はなんだ? というようにこちらを見ているし、今更なんでもありません、さようならというのもおかしな気がする。考えあぐねた末、セイラは手にしていたバラを一輪差し出した。
「どうぞお持ちください」
「……」
 垣根越しに差し出されたバラとセイラをしばらく見ていた男は前髪の奥の瞳を細くした。
「では、今日の記念に」
 そう言ってバラを受け取り、胸ポケットに挿すと男は今度こそ背を向けて歩き出した。遠ざかっていく背中を見送ったセイラは自分のおかしな行動に首を捻(ひね)った。

 その夜、共に王城で働く息子のエリオットを伴って帰宅したヘイグステッドは、夕食も取らず書斎でなにやら話し込んでいた。仕方なく夫人と二人で夕食を済ませたセイラだったが、遅い時間になっても書斎から出てこない二人を心配して、夫人と相談して厨房に頼んで軽食を作ってもらうことにした。重厚な扉をノックをしてからカートを押して入るとエリオットが先に気付いた。
「ああ、セイラ。ちょうど喉が渇いたところだったんだ。お腹もペコペコでね」
「それはよかったです。お忙しいようですね」
 テーブルに軽食とお茶をセットするとヘイグステッドが重苦しく息を吐きながら眉間を揉んだ。余程難しい案件なのだろう。セイラは邪魔にならないようにすぐに退室しようとしたが、予想に反してヘイグステッドに呼び止められた。
「セイラは婚約破棄についてどう思う」
「あまり喜ばしくないことだと思います……でも最近、街中でも流行っていますよね」
 一連の流れは王侯貴族のみならず、今では婚約をそこまで重視しないはずの平民にまで知れ渡り浸透していた。その事実にまたヘイグステッドがため息をつく。
「そのせいで第二王子の婚約者が決まらなくてな。いくら破棄しないと言っても令嬢が承知せんのだ」
 おかげでその他の業務が滞(とどこお)って敵(かな)わん、と珍しく愚痴めいたことを口にするヘイグステッドに、セイラはパン! と胸の前で勢いよく手のひらを合わせる。
「まあ! ならばわたしがお手伝い致します!」
「なんだと?」
 ヘイグステッドとエリオットが同時にセイラを見ると当の本人は拳を握って頬を紅潮させていた。その瞳はキラキラと輝き、まるで飼い主が木の枝を放るのを待っている犬のようだった。
「手伝うという意味を、わかって言っているのか?」
 エリオットが珍しく大きな声を出してセイラに詰め寄る。セイラはそれを真正面から受け止め、澄んだ瞳で見返す。
「ええ、わかっています。破棄されるために第二王子様と婚約をすればよろしいのでしょう?」
 最初に婚約してしまえば破棄されて幸せになれない。それを恐れて誰も名乗りを上げないというならば、誰かが破棄されるのを覚悟で婚約するしかない。『二番目』であれば誰もいやとは言わないのだから。
 しかし破棄されたほうはたまったものではない。このご時世でもやはり『破棄された女』は『選ばれなかったほう』として認識されるのだ。それが本人のせいではないとしても生きにくくなるのは目に見えている。ヘイグステッドもエリオットも簡単すぎる解決方法がわかっていながら踏み切れなかったのは、その損害や痛手が計り知れないからだった。
「簡単に言うな……セイラは破棄された女だと言われてもいいのか」
 エリオットは苦い顔を隠しもしない。セイラはそれに臆するどころか逆に頬を緩めた。普段温厚でいかにも長男らしい気配りをするエリオットがセイラの身を案じてくれている。幼い頃一緒に暮らしていたためか、未だに妹のように思ってくれているのがわかって嬉しいのだ。
「ええ。どうせ嫁に行く予定もございません。ならば、おじさまのお役に立ちたいのです」
 まだなにか言い募ろうとするエリオットを制して、それに、と言葉を続ける。
「一時でも王子様の婚約者になれるなんて面白そうじゃありませんか!」
「……遊びではないのだぞ」
 セイラの脳天気な発言にエリオットが深いため息をつく。二人のやりとりを静観していたヘイグステッドはふむ、と口の中でいくつかの言葉を転がすと腕を組んで考え、おもむろに口を開いた。
「ならばわたしの養女になるか、セイラ」
「父上! なにを言うのです?」
 それは事実上、セイラの発言に乗るという意思表示だった。非難の声を上げた息子を睨(にら)んで黙らせるとヘイグステッドは眉間に人生で一番深いしわを刻んだ。

 自室に戻ったセイラは扉に寄りかかって胸に手を当てた。まだドキドキと鼓動がうるさい。落ち着かせるためにふう、と逃した息が熱かった。
「おじさまはきっとわたしのあざとい考えなどお見通しね」
 ヘイグステッドの役に立ちたいのは本当だった。しかしセイラにはもうひとつ口に出さない思惑があった。


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