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政略結婚のその後は?〜敏腕秘書は囚われの君を諦めない〜

橘 柚葉 / 著
小路龍流 / イラスト
定価 1,320円(税込)
発売日 2019/12/27

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内容紹介

もっと恥ずかしいことしようか
「私に愛される覚悟をしてくださいね」政略結婚するも、離婚することになった紗英。心の傷が癒え、前向きな気持ちで合コンに臨むが、気後れしてしまう。恋は難しいと諦めていたところ、離婚の際お世話になったイケメン秘書の林が現れて!? 再会に戸惑うも、「私と恋愛してください」と突然の告白。いつの間にか両親の許可をとり、ぐいぐい迫ってきて!? 本気の愛情に蕩かされ、押し倒される紗英。
「もっと恥ずかしいことしようか」身を震わせ快感に溺れ、ナカを擦られ甘い声で啼かされてしまう。蜜音が響き全身に満ちる幸せを感じさせられて……。敏腕秘書×健気なOLの極甘新婚ラブ?

立ち読み

  プロローグ


 紗(さ)英(え)はただ、自身の前で跪(ひざまず)く男性を見下ろし続ける。
 生まれて初めて参加したのでよくは知らないのだが、合コンというものはドッキリが仕込まれたりするのだろうか。
 そんな訳があるはずないのに、現実逃避したくなるのは仕方がないことだと思う。
 見(み)目(め)麗(うるわ)しく洗練された素敵な大人の男性が自分の足元に跪き、恭(うやうや)しく紗英の手を取って上目遣いをしてこちらをまっすぐに見つめている。
 ドラマや映画……いや、おとぎ話の中から王子様が飛び出してきたようなシチュエーションに出くわしたら、誰だって頭の中が混乱を極めるだろう。
 夢見心地の紗英に対し、その男性は零(こぼ)れるような笑みを見せる。
「紗英さん、お迎えにあがりました」
「えっと……え、え?」
 男性は、紗英の手のひらに唇を落としてくる。
「なっ……!!」
 彼の唇が触れた箇所が、異様なほどに熱を持つ。
 その瞬間、ギャラリーたちが息を呑むのがわかった。もちろん、紗英自身もビックリして目を丸くさせてしまう。
 昔、雑誌で読んだことがあるが、キスは、する場所によって色々な意味があるらしい。
(手のひらへのキスは……懇(こん)願(がん)だった?)
 微かな記憶をたぐり寄せた紗英は、カッと一気に顔が火(ほ)照(て)ってしまった。
 キスの意味を知っていた上で、こうして紗英の手のひらにキスをしてきたのだろうか。
 色々考えると、恥ずかしくなってどうしようもなくなる。
 うるさかった店内や、盛り上がっていた合コンの場も紗英の目と耳には入ってこない。
 ただ、久しぶりに会った彼を見つめることしかできなかった。
 まっすぐに紗英を見つめ続ける彼の目は、愛しい人に愛を捧げているように熱情的に見える。
 紗英と視線が絡み合うと、彼は嬉しそうに目尻に皺を寄せ、そのキレイな唇は弧を描いた。
「私と恋愛してくれませんか?」
 呆気に取られていた合コン参加メンバーたちが叫び声を上げる。
 もちろん、紗英も叫びたかった。だが、あまりに驚きすぎて声が出せない。
 ようやく立ち上がった彼は、唖(あ)然(ぜん)としたままの紗英の手を握りしめたまま破顔する。
「行きましょう」
「……っ!!」
 彼は、声も出せずただ驚いている紗英の手を引いていく。
 とても強引で有無を言わせぬ態度を取られたので、紗英は拒否してもいいはずだ。だけど、それがなぜかできなかった。
 それは……きっとこんな運命がやってくることを、心の片隅で願っていたからかもしれない。
 紗英はただ、突然現れた彼に手を引かれたまま店を飛び出したのだった。



  1


「ほら、高(たか)遠(とお)さん。せっかく来たんだから、しっかり呑(の)んで食べていってね」
「は、はい。ありがとうございます」
 差し出されたお皿の上には、彩りよく料理が少しずつ載(の)せられていた。
 それを受け取ろうとする高遠紗英の手は、小刻みに震えている。それを見破ったのであろう新(にい)垣(がき)は、人の良さそうな笑みを浮かべた。
 彼は紗英の会社内での先輩にあたり、教育係でもあった人だ。
 新卒でもなく中途半端な時期に入社したのにもかかわらず、優しく指導してくれたありがたい先輩である。
 そんな新垣に何度もこういった場に誘われていた紗英だったが、何かと理由をつけて断っていた。
 男性との出会いに魅力を感じることができなかったし、何より恋愛をしようという気力さえなかったからだ。
 だが、私の人生を変えたあの出来事から一年。さすがにその場で足踏みしているだけなのは、もったいないのではないかと思って勇気を出して合コンにやってきたのだが……。
 やっぱり来なければよかったのかもしれない、と後悔しているところである。
 未だに合コンの雰囲気に馴染めない紗英の肩を新垣はポンと叩いてきた。
 慌てて顔を上げると、久しぶりに下ろしていたセミロングの黒髪が揺れる。顔にかかった髪を耳にかけていると、新垣は小さく笑い声を上げた。
「そんなに緊張しなくても大丈夫だよ」
「は、はい……」
 新垣から皿を受け取り、紗英は顔を引き攣らせて笑う。そんな紗英を見て、新垣は肩を竦めて困ったように眉を下げた。
 主催者を困らせてはいけないと思いつつも、どうしても緊張で顔が引き攣(つ)ってしまう。
「あ、ごめん。電話だ。ちょっと席を外すね」
 申し訳なさそうに言うと、新垣は携帯を手に店の奥、サニタリールームに続く通路へと行ってしまった。
 そんな新垣の後ろ姿を見送りつつ、紗英は溜息を零す。
(二十四歳にもなって、男性と話すのが苦手なんて言っていたら、かわいい子ぶっている! なんて言われてしまうかも)
 胸中でそんな叫び声を上げながら、紗英は「場違いだったかも」と今更ながらに自分の決断に後悔した。
 紗英は一番端の席で身体を小さくさせながら、この合コンに参加しようと決意した自分を呪う。
 合コンが開始してまだ十五分。この苦行は、いつまで続くのだろうか。
 地の果てまで響きそうなほど深く溜息をつきたいところだが、グッと我慢して先ほど新垣が取り分けてくれた皿に載るレタスをフォークで刺した。
 シャクシャクと音が立つほど新鮮で美味しいレタスを食べながら、自分の周りに視線を泳がせる。
 ここは、シティホテル内にあるダイニングバー。とても人気のある店のようで、紗英たち以外にもたくさんの人で賑わっている。
 合コン参加者たちは、各々が楽しそうに食べては呑み、そして談話をしていた。
 紗英の顔見知りは新垣のみで、あとの人は初対面だ。だからこそ、余計に緊張してしまう。
 さりげなく参加者をチェックしてみると、女性陣たちは皆が皆キレイに着飾っており、男性の品定めに必死の様子だ。それは、男性側にも言えることなのだろうけど。
 今の自分の姿をこっそりと見る。ネットで『合コン・服装』などと検索をかけて調べ、なるべくかわいらしいデザインのセットアップを着てきたのだが、浮いてはいないだろうかと不安になってくる。
 とはいえ、服装うんぬんだけが問題ではないことぐらい自分でもわかっていた。
 紗英は再び顔を上げて、周りをこっそりと見回す。
 腹の探り合い、ライバルとの競り合いを笑顔の裏で繰り広げるこの場は、なかなかにエキサイティングで尚(なお)且(か)つシビアな戦いの場のようだ。
 男性とあまり話したこともなければ、恋人がいた試しもない。そんな恋愛偏差値が低すぎる紗英には、一発勝負で挑む合コンは無理なのだろう。
 そう思うと、合コンで恋が芽生える人たちはすごい。数時間顔を合わせただけで、自分とフィーリングが合うと見極めてしまえるのだから。
 とても紗英にできる芸当ではない。そう考えると、ますます溜息を零したくなってしまう。
 ようやく心の傷が癒(い)えてきて、前向きな気持ちを持てるようになったのだが、ゆっくりと時間をかけて恋を育みたいと思っても出会いはなかなかない。
 恋が道端に転がっていればいいのだが、それを見つけるのにもテクニックと運が必要なのだとこの歳になればわかってくることだ。
 王子様は向こうから馬に乗ってやっては来ない。それどころか、自ら馬を調達して乗りこなさなければならないだろう。
 それを痛感している紗英は、すでに諦めモードだ。
 合コン、それはある種の戦いの場所である。軽い気持ちで挑むには、少々デンジャラスな会だと判明した。
 紗英には少しばかりか、難易度が高すぎたようだ。
 そんな諦めムードを漂わす紗英に誰も声をかけてくることはなく、ただ淡々と目の前の料理を食べることに専念した。
(あ、ガーリックシュリンプ美味しい! 今度、家でも作ってみようかなぁ)
 ある種の現実逃避をしつつ、私は熱々のそれを口に頬張る。
 口の中いっぱいに広がるガーリックとエビの旨味。気持ちは下降気味だったが、美味しい料理を食べて少しだけ浮上した紗英は自分の過去を振り返る。
 大学卒業からここまで、本当に色々なことがあった。この二年の間、紗英はかなり密度の濃い人生を歩んできたと思う。
 ちょうど一年前、梅雨(つゆ)の季節。紗英は離婚した。結婚相手の不貞が原因だ。
 とはいえ、あの結婚は特殊な上に、まがい物の結婚であった。
 離婚した今だから言えるのだが、ある意味、予想ができた展開だったのかもしれない。
 紗英が二十二歳、大学を卒業したのと同時に結婚した相手は、医療機器メーカー田沼(たぬま)メディカルの御曹司であった田沼晴人(はると)である。
 歳は、紗英より八つ年上で、当時三十歳だった。
 そんな彼との馴(な)れ初(そ)めがあればいいのだが、残念ながら全くない。所謂(いわゆる)、政略結婚というヤツだったのだ。
 ドラマや漫画、小説の世界だけでのことかと思っていた紗英にとっては、寝耳に水。まさに青天の霹靂だった。
 紗英の実家である高遠技研は、OA機器、自動車部品、医療機器部品などを作っている町工場だ。
 巧みな技術を持った職人が多く、他の会社では使えない特許なども多く取得している。
 小さいながらも健全な会社運営をしていたのだが、急に傾くことになってしまう。
 それは、大手取引先である田沼メディカルが契約を切ると前触れもなく突然言い出したことから始まる。
 突如として告げられた契約破棄に高遠技研は困惑し、会社全体に激震が走った。
 田沼メディカルからの仕事がなくなれば、工場を閉鎖しなければならなくなる。高遠技研にとって緊急事態であった。
『なんとしても、契約の継続を!』と田沼メディカルに懇願する高遠技研に突きつけられたのは、二つの条件だ。
 一つは、高遠技研で取得している〝とある特許技術〟の利用許可。もう一つは、田沼の息子と高遠技研社長の娘である紗英との結婚だった。
 田沼が指定してきた特許は、今までどの企業から懇願されても使用を許可していなかったもの。それを許可するのも苦々しい上に、娘である紗英との政略結婚まで強いられる。
 当初、高遠技研の社長、紗英の父は猛反発した。だが、田沼メディカルは条件が呑めないのなら、他の会社と取引をすると言って一歩も引かない。
 当時、田沼メディカルとの契約がなくなれば、町工場が維持できなくなるのは明らかだった。
 すぐさま新しい取引先を、と探したのだが、田沼側に根回しをされていたのか。高遠の話を聞いてくれる会社はどこもなかった。
 そんなことをしている間にも工場は傾いてしまう。それほど、高遠技研では田沼メディカルに卸すための部品を多数生産していて、利益に繋げていたということだ。
 その上、運の悪いことに田沼メディカルとの仕事のためにと、高い機材を借金までして購入したばかりだった。
 数年の赤字覚悟の上に購入した機材もパー。それどころか工場閉鎖にまで追い込まれてしまう。
 苦渋の末、紗英の父は『特許の使用許可だけなら』と田沼側に申し出たのだが、それだけではダメだと突っ返されてしまったのだ。
 田沼側からすれば、高遠と昵(じっ)懇(こん)になってその他のことでも融通を利(き)かせるつもりだったのだろう。
 わかっているからこそ、その理不尽な契約に高遠側も頷(うなず)けなかった。
 だが、手を拱(こまね)いている場合ではないほど事態は深刻であり、一刻の猶予もない状況。
 苦しんでいる父、そして不安の色が隠せない昔から勤めてくれている従業員たち。彼らを見ていたら、紗英は政略結婚なんて嫌だなどと言っていられなかった。
『私、田沼さんのこと。一目ぼれしちゃったの』と紗英は嘘をつき、政略結婚をすることになったのである。
 紗英の父は、最後の最後まで娘の選択を拒み続けたが、それを紗英が強引に進めた。
 紗英から見ても、明らかにこのままでは工場の維持はままならないことがわかっていたからだ。
 とはいえ、紗英としても政略結婚などしたくはなかった。だが、傾きかけた工場を救うためにはどうしても結婚する必要がある。
 この方法でしか工場が維持できないのなら、嫌でもするしかないだろう。
 そういう経緯があり、決まっていた就職先を蹴って、紗英は田沼家に嫁ぐことになったのだ。
 好きでもない相手に嫁ぐことを当初は悲しんでいたのだが、それでも同じ人生を歩むパートナーになる人。少しずつでも打ち解けていければいいと思っていた。
 だが、田沼と顔合わせで会ったときに言われたのは『一緒に生活をするつもりはない。親がうるさいから結婚するだけ。仮面夫婦にしかなるつもりはない』とキッパリと宣言をされてしまったのだ。
 あとでわかった話だが、田沼は相当女癖が悪く、仕事もろくにせずに遊び回っているような男性だった。
 だからこそ、世間体を気にして田沼の父親は息子を結婚させて、悪い噂を払拭しようとしたらしい。
 高遠技研は、技術力の高さには定評があり、業界では一目置かれる存在でもある。
 そこの総領娘と結婚となれば、息子にも箔がつくはず。そう彼の父親は考えたようだ。
 だが、そんな親心を無視するように、田沼は改心することも世間体を気にすることもなかった。
 当初の宣言通り、彼は妻という立場が必要なときにだけ紗英を呼び出し、それが終わるとそのまま顔も合わさず解散するということを繰り返す。
 一緒に住んだこともなければ、手を握られたこともない。
 触れられたこともなければ、他愛のない話などもしたことがない。性的なものなど皆無だ。
 紗英は、与えられたマンションで一人寂しく過ごす日々。それも、田沼の面子(メンツ)に関わるからということで社会人として働くことも許されず、ただただ〝田沼の妻〟を演じるためだけにジッと耐え忍ぶしかなかった。
 温かい家庭もなければ、幸せがある訳もない。
 結婚して籍を入れたが、実情は夫婦らしいことなどせず赤の他人状態。所謂、仮面夫婦だったのだ。
 世間体だけは保ちたい田沼家にうまく利用され、紗英は自分は一体何のために生きているのだろうと傷ついてもいた。
 しかし、そんな現状を両親に言うことはできない。
 恐らく紗英が嘘――田沼が好きになったという――をついたことはわかっていただろう。
 だが、社員たちのことを考えると政略結婚を止めることができなかったであろう両親に、紗英の立場を告げることはできなかった。
 両親が、ますます後ろめたさを感じてしまうことがわかっていたからだ。
 それに、もし紗英側から離婚を申し出れば、田沼メディカルは高遠技研を切り捨てるだろう。
 それでは、紗英が心を無にして政略結婚をした意味がなくなってしまう。
 誰にも苦悩を告げることができず、ただ耐え忍ぶ日々が続いた。
 だが、そんなふうにすったもんだがあった結婚だったが、一年で終了することになる。
 田沼の不貞に加え、田沼親子の不正も発覚。あれよあれよという間に、田沼メディカルは親会社が持っていた他子会社に吸収合併されて跡形もなくなってしまったのである。
 本当にあっという間の出来事であり、鮮やかな幕引きだった。
 田沼は代議士の娘と不貞を働いており、そのことが週刊誌に大々的に掲載されてしまったのだ。
 田沼としては引くにも引けず、紗英との政略結婚を解消する道しか残されていなかった。
 離婚が決まったとき、紗英が心底ホッとしたのは言うまでもない。
 父も紗英の本当の気持ちは、わかっていたはずだ。だが、社長という立場では社員を守らなければならない。
 会社の存続と娘の幸せに板挟みとなり、辛い思いをさせてしまっていたと思う。
 現に、離婚が決まったときは、紗英の前では一度も泣いたことがない父が涙を流して、再び高遠に迎え入れてくれたことは今も鮮明に覚えている。
 出戻った紗英が次にしたことは、就職活動だった。
 一度社会人の夢を諦めた訳だが、もう諦めなくてもいい。なにもかも自由にすることができる。それが、とても嬉しかった。
 このご時世、就職活動はうまくいかないことが多い。それも紗英に至っては、一年のブランクがあっての就職だ。その上、職務経歴は白紙な状態でもある。
 なかなか決まらないだろうと思いながら挑んだ就職活動だったが、なぜかトントン拍子に食品メーカーである今の会社に就職することができた。
 偶然にも田沼メディカルの親会社であった支倉(はせくら)ホールディングスの子会社で、なにやら縁を感じたものだ。
 苦しかった政略結婚の際の紗英を見ていた神様は、見捨てずにいてくれたのだと感謝した。
 離婚をして社会人の道を歩み出してから一年弱。社会人としても、なんとか独り立ちできるようになってきた。
 人生のリスタートを切った紗英にとって、これからの人生が大切だと思っている。
 恋をしたこともなければ、恋人だってできたためしもない。
 それなのに、いきなり結婚という高いハードルを跳んで玉砕してしまった紗英だが、もう一度人生をやり直したいと思っている。
 人生の再スタートを切るにあたり、今度こそ素敵な恋をしたい。そのためには、出会いが必要である。
 そんな気持ちで挑んだ合コンだったのだが……人には向き不向きがあるようだ。
 紗英は、どうにもこうにも合コンは向いていない。それがわかっただけでも、収穫としようか。
 落ち込んでいきそうな気持ちを、前向きな考えを持ち出して自らを鼓舞する。
 しかし、合コンの騒がしい雰囲気に呑まれてしまった紗英は、ただただ愛想笑いをし続けることしかできなかった。
 紗英は、時計を確認しながら溜息をつく。お開きには、もう少し時間がかかるだろうか。
 すでに合コンメンバーは、紗英の存在を忘れつつあるように思う。そのことに少しだけ寂しさを感じたが、ホッと安堵する気持ちの方が大きかった。
 お酒を飲めない紗英は、チビチビと先ほどからウーロン茶を飲み、そしてあまり手をつけられていない料理に舌鼓を打つだけだ。
 それでも、お腹がいっぱいになってしまえば何もすることはない。手持ち無(ぶ)沙(さ)汰(た)になった紗英は、再びどうしようかと考えこむ。
 体調が悪くなった、と言って抜け出してしまおうか。だが、そうするとせっかく誘ってくれた新垣に申し訳ない。
 いやいや、もう紗英の存在など誰も気にはしていないだろう。抜け出しても、特に支障はないはずだ。
 まだ、新垣は電話中のようで戻ってきていない。彼が戻ってきたら、適当な言い訳を言って帰ることにしよう。
 ツラツラとそんなことを考え、ウーロン茶のグラスに手を伸ばした。そのときだった。
 先ほどまで騒がしかった店内が、より一層騒がしくなる。それも、その声の大半は女性陣だ。
 どうしたのかと顔を上げると、同じテーブルにいる合コン参加者の女性陣たちの目も皆が皆一点に集中している。
 彼女らの視線の先に顔を向けようとする紗英の頭上で声がした。
「紗英さん、お久しぶりです」
 聞き覚えのある声だ。紗英の身体は、驚きのあまり硬直してしまう。
 この甘くて低い男性の声。大人の余裕と色気を感じる彼の声は、一年前まで頻繁に聞いていた。だが、もう彼とは会えないだろうと思っていたのに……。
 期待に満ちた思いが込みあげてきて焦ってしまうが、紗英はゆっくりと視線を上げていく。
「……林(はやし)、さん?」
「よかった。覚えていてくださったのですね」


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