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最凶の人型魔導書に偏愛されているのですが。

柏てん / 著
深山キリ / イラスト
ISBNコード 978-486669-189-3
定価 1,320円(税込)
発売日 2019/02/27
ジャンル フェアリーキスピュア

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内容紹介

《凶悪な闇の魔導書が執事姿の超絶美形に変身!? ドS時々Mな悪魔に振り回されて——》
奥村一花が古本屋で324円(税込)で買った、なんちゃって魔導書。何とそいつのせいで異世界に飛ばされてしまった! その上、世にも美しい執事姿に変化した魔導書に無理やり主認定されて……。実はこの男、神が人に与えし七冊の魔導書のうちの一つ。その悪魔的な力で人をいたぶり、時に主に世界の覇権を与え、時に主自身を食らう存在——のはずが、事あるごとにベタベタ絡んでくる! こんなドS時々Mな悪魔に気に入られて、一体どうすればいいの!?

立ち読み

プロローグ

 奥村一花、独身。彼氏なし。
 ゆとりにもさとりにもなりきれない二十五歳。
 最近の悩みは相次ぐ友人の結婚でご祝儀貧乏なこと。
 趣味は古書店巡りと図書館通い。ネット小説(注:ロム専)は嗜む程度。
 そんなどこにでもいる女。それが私、奥村一花。

 それなのに――どうしてこうなった。



第一章 古本屋で買った本がまさかの

 分厚い本を開きながら、私は泣きたくなった。
『あるじ様、早く詠唱してください』
「詠唱? それってどうやるの!?」
『〝エンチャント〟と叫ぶのです!』
「お、思った以上にイタイ!」
 場所は全く覚えのない、植物が生い茂る森の中。
 服装は古本屋帰りの飾り気ないカーディガンと、白のブラウス。それにスカートに見せかけて股が割れてる千四百九十円(税別)のワイドパンツだ。
 あとはフリマで買ったフォークロア調のショルダーバッグに、古書店で入手した本日の戦利品数冊が入った折り畳みのエコバッグ。
 そして手にしている本こそ、本日の戦利品の目玉。
 分厚くて意味不明な図形がいっぱい描いてある、なんちゃって魔導書。お値段三百二十四円(税込)。
 聞けば店主にもよく分からない来歴不明の本だそうで、何語で書かれているかすら不明らしい。
 しばらくは図書館に通って、それの解読ごっこで週末を潰そうとしていたのに――これはどういうことだろう。
 自宅に帰るため近道のトンネルを抜けたら、なぜかそこは森の中でした。
 んな馬鹿な。あと五分も歩けば私のアパートに着くはずだったのに。
 ついでに所々破け、黄ばんでいたはずの本が、今は手のひらの上で薄く光を放っている。
 何よりこの本、喋る!
『痛いですと!? どこかお怪我なさったのですか? ぜひその血をわたくしめに……!』
「な、何言ってるの!?」
『今この瞬間にもあるじ様の血が地表に滴り落ちているかと思うと、わたくし身震いが止まりません』
「なんかもういろんな意味でイタイこの本」
 そう、先ほどから私に意味不明な指示をしてくるのは、目も口も耳もないはずの本なのだった。
 風もないのに勝手に開いた本は、私の手のひらの上で軽く浮いている。
 もう意味不明すぎて泣きたい。泣いてもどうにもならないことは分かっているけど。
 突然だが私はピンチだった。
 なにせ目の前には、これまた意味不明の生き物が。
 犬に似ているが、私の知っているそれより圧倒的に凶暴そうだ。
 牙をむき出しにして涎を垂らし、その目は白目がなく黄色に光っている。一瞬狂犬病かなと疑うが、絶対にそうじゃない。
 世界中にどんなびっくり犬がいようが、絶対こんな犬はいないはずと断言できる。
「グルルゥ。コイツ魔導書持ちか!」
「詠唱の前にやっちまえ!」
 何しろこいつら喋るのだから。
 本が喋って犬が喋って。これで日本だというのなら、それはもう私が夢の世界へ旅立ったとしか思えない。
 むしろ夢ならいいのに。
 飛びかかってこようとするそいつらを見上げながら、涙目でそんなことを考える。
『あるじ様!』
「もう! どうとでもなれ、エンチャント!」
 叫んだ私を、強烈な羞恥心と中二感が襲った。
 違った。襲ったのはとてつもない光だった。
 白く目映い光が目を刺す。三原色のちょうど真ん中。全ての波長を含んだ光。
 思わず目をつぶる。
 まぶたの裏の血管が見えそうなほど眩しい。
 そして目映さの中で、悲鳴が聞こえた。
「ヒィ! こいつはまさか!」
「キャインキャイン!」
 酷く怯えた犬のような鳴き声。
 おそらくはさっきの喋る犬たちの声だ。
 そしてズゴ――ッという、ストローでジュースをすすった時の何倍も凄いような音が響き渡る。
 うん? 喩えが悪いって?
 だってそうとしか喩えようがないのだからしょうがない。
 しばらく待って、光が落ち着いてきたのを見計らって目を開けた。
 するとそこは確かに先ほどまでいた森で、けれど犬がいた空間だけがなぜか丸く抉れていた。
 木や草までもが一切合財なくなり、地肌どころかその下の地層まで見えている。突然森の中に、丸いくぼみが出現したのだ。
 そういえば、手元にあったはずの本までなくなっている。
「しまった。久しぶりすぎて加減が分からなかった」
 呆気にとられる私の横で、頭を搔いているのは見たこともない男性だった。
 長めの黒い髪に、同色でやけにクラシックな燕尾服。ベストと上着の内ポケットを繫いでいるのは、金の細いアルバートチェーンだ。
 私より頭二つ分は大きい長身。白く小作りな顔は作りものめいている。黒髪だが、明らかに日本人ではない。だって彫り深いし。何より目が赤い。
 私は一瞬、あまりにも整った男の容姿に見とれてしまった。
 テレビの中ですら、こんなに美しい男の人は見たことがない。
 これで流暢な日本語を喋られると、面食らってどうしても違和感が拭えないのだった。
「あの、どなたですか?」
 勇気を出して尋ねてみると、男は私を見下ろして破顔し、丁寧にお辞儀した。
「これはこれは、あるじ様。今日よりよろしくお願いいたします」
 意味が分からない。突然現れた超絶美形にこんなことを言われるなんて。
 ネット小説の読み過ぎだろうか。はたまたやっぱり夢なのか。確かめるために、私は自分の頬を力いっぱい抓ってみた。
 ――痛い。
 心の底から夢であってほしいと願うのに、どうやらこれは現実であるらしい。
 見回せば見たことのない植物が生い茂る森の中で、私は途方に暮れた。


   


「それで、結局あなたどちら様なんですか?」
 とりあえず接触を試みる。
 見るからに怪しい相手だが、他に尋ねる相手がいないのだから仕方ない。
「これはこれは、申し遅れました。わたくしは、オプスキュリテ・グリモワールと申します。以後お見知りおきを」
「はあ……」
 これ以上ないほど丁寧に自己紹介される。だが、その名はまったく聞き覚えのないものだった。
 一瞬なんと返事をしたものかと悩むが、すぐに今はそれどころではないことに気づく。重要なのは、彼が何者なのかということより、ここがどこなのかということだ。
「それで、ここはどこなんですか? 私は自分の家の近所を歩いていたはずなんですけど……」
 恐る恐る尋ねると、オプスキュリテと名乗る男はにっこり笑って言った。
「はい。ここは地球とは異なる地。パラレルワールドと言えば分かりやすいでしょうか?」
「はあ……?」
 またしても、理解の難しい言葉が返ってくる。
 日本語は通じるようだが、話が全く嚙み合わず、私は不安になった。
「懐かしき我が故郷を、あるじ様と歩けるなんて夢のようです。ご安心くださいませ。あるじ様に迫る危険は、どんな些細なものであろうとこのオプスキュリテが退けてご覧に入れます」
 そう言って、やけに親しげに肩など抱いてくる。
 私はその手から逃れ、考えに耽った。
 一体この男は何者で、ここはどこなのだろうか。
 何より、どうすれば家に帰ることができるのか。
 どうしたものかと男を見上げると、彼は私の不安など意に介さず、にこにこと楽しそうにこちらを見下ろしていた。
 そうされているとまるで馬鹿にされているようで、だんだんいらいらしてきた。
 そもそも、今日は休みだからいいが明日からは仕事がある。会社からしてみれば一介の事務員程度いくら休んでも大したことはないのかもしれないが、私の分の仕事を肩代わりしなければならない同僚たちには間違いなく迷惑がかかるだろう。
 一人暮らしだが実家には両親も健在で、無断欠勤が続けばそちらにも迷惑がかかる。
 そんな落ち着かない気持ちでいるというのに、この男ときたら―――。
「あの、何がそんなに楽しいんですか? こっちはすごく困ってるんです! 突然こんな意味の分からない場所に放り出されて……自分の家に帰りたい!」
 言ってからすぐに、これでは八つ当たりだという自己嫌悪が襲ってきた。
 確かに言動のおかしな相手だが、だからといってぞんざいな対応をしていいということにはならない。
 謝ろうかと相手の様子をうかがうと、彼は全く気分を害した様子もなく、口元に笑みを貼り付けたままで言った。
「大変申し訳ございませんあるじ様。それは出来かねます」
「え?」
「ですから、お帰しになることは出来かねます、と。あるじ様にはこれより、私の持ち主としてこの世界に君臨していただかなければ」
「なっ、からかうのもいい加減にしてください! 大体、そのあるじ様ってなんなんですか? からかうのもいい加減にして。私はあなたのあるじでもなんでもない!」
 ついに堪忍袋の緒が切れた。
 こんな意味の分からない状況で、意味の分からないことばかり一方的に言われていては頭にもくる。普段はそれほど声を荒らげたりするタイプではないのだが、この圧倒的な不条理の前には私の忍耐など風に揺れる紙切れも同じだった。
 しかし、男はちらりとも動揺した様子を見せない。
「それはかさねてご無礼を。ではなんとお呼びすればよろしいでしょうか?」
 男は明らかに日本人ではない外見なのに、とても流暢な日本語を喋る。
 余裕のある態度を崩さない相手と向かい合っていると、まるでこちらが駄々をこねる子供のような気分になってくる。
 おかしい。どう考えても私の方が真っ当なことを言っているはずなのに。
「一花です。奥村一花。それであなたは――」
 改めて尋ねようとして、言葉を遮られた。
「そうですか、イチカ様。素敵なお名前ですね。それではお手をこちらに」
「何言って……っ」
 そう言って、男は私の右の手のひらをすばやく握った。
 十分に警戒していたつもりだったが、不思議と男の手の動きを捉えることすらできなかった。
「主人の証を頂戴しますよ。また先ほどのように襲われるようなことがあっては大変ですから」
「証って……そもそも私は、あなたの主人になったわけじゃ……」
「証さえ頂ければ、たとえどのような危険が迫ろうと詠唱なしでお助けすることが可能なのです。もちろん、その都度イチカ様に唱えていただいても一向にかまいませんけどね」
 ということは、また何かあるたびにさっきの『エンチャント』とやらを唱えなければならないということだろうか。
 それはできれば遠慮したい。なぜなら恥ずかしいからだ。
「ねえ、証って一体何なの?」
 とにかく話だけでも聞いてみようと思いそう尋ねると、彼はにこりと笑ってすばやく右手を振り上げ、それを左手で握った私の手のひらに振り下ろした。
「え?」
 あまりの早業に、何が起こったのか分からなかった。
 ただ次の瞬間、私の手のひらからはピュッと赤い血が噴き出していた。
「っあ」
 驚きで言葉をなくす。
 後になって、じんじんと血を失う感覚がやってきた。
 恐怖で息が荒くなる。
「ああまたやり過ぎてしまった。早くカンを取り戻さなければ」
 なんでもないことのように言う男に狂気を感じ、私は彼から距離をとろうとした。
 それはそうだろう。自分を傷つけた相手の側に、好んで留まりたい人間などいるだろうか。
 しかし、摑まれた手はどんなに力をこめてもびくともしない。
 男はそのまま、流れるような動作で膝を折った。
 燕尾服を身に着けているというのに、構わず土に片膝をつく。
 そして血の滴る私の手のひらに、そっと顔を寄せた。
「離して!」
 今度は何をされるのかと、私は怖くてたまらなかった。
「しばしお待ちを。すぐに済みますので」
 そう言って、男は私の手のひらに口付けた。
 正しくは、そこから流れる赤い血に。
 私はかたかたと震えながら、その光景をじっと見ていた。
 次に顔を上げた時、男の口と頰はべったりと赤く染まっていた。
 にこりと、男は幸せそうに笑った。
「これで契約は完了です。改めてよろしくお願いいたします。イチカ様」
 気味が悪い! 気味が悪い! 気味が悪い!
 喉の奥で悲鳴を押し殺しながら、私はどうにか言った。
「気が済んだなら、離して……」
「畏まりました。少し深く切りすぎてしまったようですので、洗って手当てをいたしましょう。すぐに近くの村を探してきますので――」
 パシン!
 男の言葉が途切れる。
 当然だ。
 私がそのお綺麗な顔を、思い切りぶってやったのだから。
 夢中だったので、傷ついた方の手で叩いてしまった。手のひらがいっそう痺れ、男の顔は更に真っ赤になった。
 彼は驚いたように目を丸くしている。
 先ほどまでの余裕の顔が崩れて、いい気味だ。
「わたしは、せつめいを、のぞんでいるの」
 一言ずつ区切り、男に私の意志を知らしめる。
「手当ては後回しでいいから、ちゃんと説明して。ここはどこで、あなたは誰で、一体どうすれば家に帰れるのか。分かった?」
「イチカ様……」
 彼はなぜか恍惚とした表情で私を見上げていた。もしかしてMなのだろうか。
「分かったら返事!」
「はい!」
「話しづらいから立って! それと、今度から何かする時は必ず事前に許可を取って。いい? 何をする時でもよ!」
 多分私は、突然すぎる事態に混乱していた。
 だから、そんな強気な態度でいられたのだと思う。
 むしろそうしていなければ、今にも膝から崩れ落ちてしまいそうだった。
 だから決して、普段の私は特別気が強いとか、そんなことは全然ないのだ。
 けれど、男はそうは思わなかったらしい。
「畏まりました。イチカ様」
 彼は、とても綺麗な笑みを浮かべて丁寧に礼をして見せた。

◇◇◇◇◇
「私は、こことは全く別の世界にいて、気づいたら森にいたんです。そこで人の言葉を喋る犬に襲われかけたところで、持っていた本が突然喋り始めて――」
 できるだけ分かりやすく丁寧に話そうとしたが、実際に口にしてみると出来損ないのおとぎ話みたいになった。
「なるほど、魔導書が自らを使うよう指示したのか」
 ギリアムが不思議そうに言った。
 その質問にむしろびっくりだ。
「今思えば、そうなのだと思います。本が『エンチャント』と叫べというので、言う通りにしたら……」
 向かい合う男たちの顔が、ぎょっとしたのが分かった。
 なぜだろうかと疑問に思う前に、私はその理由を思い知る。
 なぜなら私の言葉を遮るように、手に持っていたはずの本が人の姿で目の前に現れたからだ。
 濡れたような黒髪に、人々の目を惹きつけてやまない作りものめいた美貌。その美しい立ち姿。
 まるで物語の主役が舞台に現れたかのように、男たちは息を呑んだ。
 だが私は知っている。
 主役なんてとんでもない。この男は主役を誘惑し地獄に突き落とす悪魔のような存在だ。
「お初にお目にかかる。わたくしはイチカ様と契りし魔導書。原始のオプスキュリテである」
 そう言って、オプスは赤い目を細めて不穏に微笑んだのだった。


   


 オプスが出現した瞬間、男たちの中で二人がまず呻きながら崩れ落ちた。何が起こったのか分からず、慌てて周囲を見回す。
 すると他の人たちも、何かを耐えるようゆっくりと膝を折って前かがみになった。
 あっという間に、部屋の中は男たちの呻きで埋め尽くされる。痛いのか苦しいのか、それとも恐怖しているのか、耳を傾けても男たちの呻きは一向に意味をなさない。
 私はとりあえず倒れた人の中で一番近くにいた人に駆け寄ろうとした。
 だが、足がまるでその場に縫い付けられたように動かない。そして初めて、私は自分が震えていることに気が付いた。
 男たちの中ではギリアムだけが唯一、まるで強風に耐えるように身を庇いながら何とか剣を抜こうとしていた。
 ガンボも何が起こっているのか分からないようで、不気味そうに男たちの様子を見回していた。
「原始のオプスキュリテ、だと?」
 最初に口を開いたのは、やはりギリアムだった。
「いかにも。神が与えし始まりの魔導書が一冊。我こそが混沌。我こそが原初の闇」
 オプスが笑みを深くした。
 私までぞくりと背筋が冷たくなるような、そんな絶対零度の微笑み。
 その時、男たちの三人目が崩れ落ちた。恐怖に震える悲鳴があがる。どうやらオプスは見えない力で、男たちに何らかのプレッシャーをかけているらしい。
「人間風情が、我が主に無礼を働くなどあってはならない。貴様らはまずそれを己の身に叩き込みなさい」
 オプスが手を翳すと、男たちはギリアム以外全員が倒れてしまった。
 ギリアムは剣を杖代わりに何とか膝を折るに留まっていたが、それでも彼の顔には深い苦痛の色が見えた。
「ほう……まだ立っていられるとは、今度は加減をしすぎましたかね」
 オプスがどこか愉快そうに呟く。
 それは、先ほどまで私と言い争っていた彼とは別人のようだった。
 ぶるりと震える肩を抱き、萎縮しそうになる己を叱咤する。
 ギリアムの切れ長の目が、事態の収束を命じるように私を見ていた。
 これをどうにかできるのは、私しかいないのだ。
「や、め、な、さいよこのバカが!」
 本当は足が震えていたけれど、それを無理やり押さえ込んでオプスの頭を叩いた。
 それほど力は入らなかったけれど、それを境にギリアムの体から緊張が消えた。
 その後ろで倒れていた人たちも、オプスを警戒しながらゆっくりと立ち上がってくる。
「イチカ様。わたくしを叩くなんてひどいです。魔導書虐待です」
 ヨヨヨとオプスが泣きまねをした。
 どうもこの魔導書は、日本の古本屋にいたせいか俗っぽい気がする。
 彼の言動は、ファンタジー世界の住人として徹底的にずれているのだ。
 けれど今、そんなことはどうでもいい。
「うるさい! あんたこそ、気軽に力を使うのやめなさい。穏便に話し合いをするってのが、人間には大切なの。あんたみたいに力で押さえつけてばかりいたら、独裁者と一緒。誰とも信頼関係なんて結べないでしょ」
「イチカ様にはそんなもの必要ありませんよ。わたくしとの絶対的な主従関係がございます。その力があれば世界の覇権を握ることすら夢ではありません」
 疲れた顔の男たちが再びざわついた。
 私は頭を抱えたくなった。
 オプスの言葉は、ギリアムたちの警戒を深めるだけだ。できるだけ穏便に事を進めたいと思うのに、さっきからそれと真逆の方向にばかり進んでいくのだから全く嫌になる。
「ふざけないで。そんなこと望んでいない。ただ元の世界に――家に帰りたいだけなの!」
 何度言ったら分かるんだと、思いきり叫んだ。そして静まり返った室内で一人、はあはあと肩で息をする。
 普段はこんな大声を張り上げるキャラじゃないのに。
 すると、オプスはくるりと私の方に体を向けた。その赤い目と目が合った瞬間、凍り付いたように体が動かなくなる。
 しゃべろうとしたが、それもできなかった。まるで人形のように、身じろぎ一つできない。
 視線の先には、オプスの真っ赤な目。
 赤い宝玉は白い肌の上でとろけ出しそうな色をしていた。そして恐ろしいほどの美貌。
 けれどもっとも強調すべきは、その不気味さと、何を考えているのか分からない彼の底知れない存在感かもしれない。
 目が釘付けになって、逸らすこともできない。
「あ……っ」
 喉の奥から、かすかな悲鳴のようなものが漏れた。
 呼吸すらできず、息苦しさがどんどん加速していく。
 死ぬかもしれないという恐怖と、やけに大きく聞こえる自らの鼓動。
 ――やっぱり、この男は悪魔だったんだ。
 私は思い知った。
 先ほどまでのおどけた様子や、私に献身的に仕えようとする態度は全て噓で、それこそ悪魔の気まぐれで。
 本当はいつでも殺せるし、きっと簡単に意のままに操れる。
 そう認識すると同時に、猛烈な怒りが、喉の奥底から湧き上がってきた。
 魔導書が何だ。単なる古ぼけた本のくせに。
 どうして人をこんな目に遭わせる権利があるというのだ。
 思えばこの世界に連れてこられたことすらひどく理不尽なことだというのに、人ですらない奇妙な魔導書という存在に、どうして私の人生を好き勝手されねばならないのか。
 ――ふざけるな!
 出ない声で、精一杯叫んだ。
 こんな風に、本能から何から全てを傾けて一つの思いをぶつけるのは初めてだった。
 すると、ずっと人を食ったような笑みを浮かべていたオプスの顔に、初めて別の感情が灯る。
 彼が訝しがるように眉を上げると、途端に体から力が抜け、私はその場に崩れ落ちた。
 クリノリンでお腹を打ってしまい、思わず呻いてしまった。
 そして気が付いた。息ができ、喋れるということに。
 久しぶりに供給された空気が、いきなり気道に流れ込んできた。耐えきれず、私は激しく咳き込む。
 ドスドスと、ガンボが駆け寄ってくる音がした。
「大丈夫か!? イチカ」
 その声はとても必死に聞こえて、昨日出会ったばかりなのにどうしてそんなに優しいのだと、私は遠くの出来事のようにかすかに思った。
「一体これは……どうしてポーターにこんなことをするんだ!」
 怒鳴りつけたのはギリアムだ。彼の怒りは、私ではなくオプスに向かっていた。
 そして肝心のオプスはと言えば、両腕で己を抱きしめ震えている。くつくつと笑いながら。
 不気味なことこの上ない。
 長い前髪が横に流れて、彼の恍惚とした表情が露わになった。あまりにも場違いな彼の反応に、誰しもが衝撃を受け室内は静まりかえった。
 ぞくりと、今までに感じたことのない恐怖が背筋を走り抜ける。
 この男は危険だと、本能ではっきりと感じた。
 そしてこの危険な男をどうにかできるのは、おそらくこの場で私しかいないのだろう。
 私を主人と呼ぶ魔導書。
 分からないことだらけだが、もし主人だというのならその務めを果たさねば。
 誰か他の人間に――危害を加えてしまう前に!
 そう強く決意した瞬間、手のひらの傷がじわりと熱を持った。
 熱い。まるで自分の体の一部ではないみたいだ。
 たまらず巻かれた包帯を押さえる。
「ううー!」
 怒りのあまり獣じみた声をあげる私に、背中をさするガンボが動揺するのが分かった。
 けれどそんなことは構わず、オプスを睨みつける。
「ほう」
 先ほどまで笑っていたオプスは、私の変化を敏感に感じ取ったのか、驚きとも感嘆ともとれるため息をついた。
 とろりと溶け出しそうな目が、心底嬉しげに細められる。
 彼のおふざけがどれほど危険か思い知らされたばかりの私は、その表情に怒りとも恐怖ともつかない感情を抱いた。
 本当に、こんな悪魔を矯正することなどできるのだろうか。平凡な日本人にすぎない私に。
 決意を揺るがす不安が、染みのように広がる。すると手のひらの痛みが弱まり、オプスの表情は一転して退屈そうなそれに変わった。
「どうやら貴女様には、わたくしのポーターとしての適性があったらしい。魔力もない異世界人など、御するのは容易いと思ったのですが」
 ひどい言われようだ。やはり今までの彼の好意的な態度は、見せかけのものだったのだろう。
 彼は試したのだ。追い詰められた私が一体どうするのか。苦痛をもって私の本性をさらけ出そうとした。
 だが、そんなオプスにも何か思い違いがあったようで、思わずざまあみろと心の中で毒づく。
 すると相手はまるでそれが聞こえたかのように、声高らかに言った。
「ですが、あまりに非力。そしてあまりにも脆弱。それでは私を縛ることなどできませんよ。出来損ないのポーター様」
 白い顔に皮肉げな笑みが浮かぶ。
 そしてオプスはさっきまでの慇懃無礼な態度から一転して、歌うように私を嘲る。
 きっと、こちらの方が本当のオプスなのだろう。何もかもを面白がり、そして気に入らなければすぐに壊してしまう。
 ポーターだろうが関係ない。
 飽きたらいつでも殺せるとすら思っていそうだ。
 私がまだここに生きていることが、不思議にすら思えた。
 彼は手すら触れずに、不思議な力で相手の息の根を止めることができる。対象ごと土を抉り、跡形もなく消し去ってしまうことさえ可能だ。
 何という厄介な存在だろう。
「なにを……言って……」
 足の震えが隠せなくなった。
 体中から力が抜けていく。
 そして突然、信じられないほどに手のひらが熱を持った。
 先ほどまでの熱など生ぬるい。まるで燃えさかる焼きごてを手のひらに押しつけられたようだ。
「ああー!」
「イチカ!」
 ガンボの声が遠くに聞こえた。
 そして私は、とうとう耐え切れずに意識を手放した。


   


 新たな主は随分と迂闊だった。
 平和な世界で暮らしていたせいか、警戒心というものが足りない。力もないのに、呪われた森をどんどん進んでいく。どうしようもなく無防備で、そして無知だ。
 彼女の怒った顔を見ていると、気分が高揚して仕方ない。
 元の世界に戻れないと知った時、私に頼らなければ言葉すら理解できないと知った時、この娘は一体どんな顔をするのだろう。
 主に対して殊更丁寧な態度を取るのは、メインディッシュの前の私なりの下準備だ。他の始まりの魔導書たちはそれをおかしいというが、私はそうは思わない。
 プレミエール・グリモワールに傅かれて有頂天になった主が、堕落の末に見せる絶望の表情が私は大好きなのだ。
 ポーターの末期の声が、許しを乞う悲惨な顔こそが、私の好物なのである。
 今までそうやって、何人の持ち主を堕落させ葬り去ってきたことか。
 始まりの魔導書を従えようなどと、本気で考える方が愚かなのだ。

◇◇◇◇◇

「エンチャント!」
 詠唱でオプスを呼び出すと、彼はいつも通り優雅な物腰で現れ、お手本のような綺麗な一礼をしてみせた。
「お呼びですか? イチカ様」
「お呼びですか? じゃないわよ! どうしてああなるって分かってて、今日のことをコレットに話したりしたの? 捜査に協力しないのは別にいいけど、わざわざ邪魔に入ることないじゃない」
 私の糾弾に、何を思ったのかオプスは大笑いを始めた。それはまさに〝大笑い〟と形容するしかないほどの笑いで、お腹を押さえて笑い続ける彼が逆に心配になったくらいだ。
 呆気に取られてしばらく呆然としていると、疲れてきたのかオプスの笑い声が途切れてきた。
 なので気を取り直し、私はもう一度彼に不可思議な行動の真意を尋ねた。
「いっ・た・い・ど・う・し・て! そんなことをしたのか聞いてるの!」
 ようやく笑いが収まったのか、オプスは零れるような笑みを浮かべた。
「退屈だったもので」
「退屈? 退屈だったらあんたは何でもするの? 私が困ってるのがそんなに楽しいの?」
 相手にしちゃだめだと分かっているのに、オプスへの怒りが爆発して溢れた。
 見た目だけは極上の男。だけどその性質は厄介極まりなく、所かまわず私のことを振り回す。嫌なところしかないなら嫌いになるだけでいいのに、たまに助けてくれたりするから本当に厄介だ。
 オプスの笑顔を見ているとイラつくので、私は自分の手のひらに埋め込まれたプルーヴを見下ろした。
 ギリアムを助けた時についた、横一直線の傷が残ったままになっている赤い宝玉。
 時折、この美しい宝石を抉り出してしまいたくなる。
 もちろん、そんな恐ろしいことはできないのだけれど。
 今回のことは、そんな怒るようなことではないのかもしれない。オプスがしたのはコレットを怒らせただけのこと。面倒ではあるが、今まで彼がしたことに比べれば可愛いものだ。
「怒りましたか? イチカ様。怒りました?」
 だが、こうやって纏わりつかれるのは本当に頭にくる。その顔に浮かんでいる笑みと言ったら、いたずらを誇る悪ガキよりもたちが悪い。
 こっちは激動の一日で疲れ切っているというのに、理性的に相手をする余裕が持てない。
「怒ればいいの!? 私が怒れば満足!? あんた……一体何で私に纏わりついてるの。怒らせたいだけなら他の人だっていいじゃない。どこへでも行って、誰でも怒らせてればいいじゃない!」
 言ってしまった。
 今までずっと、我慢していた言葉を。
 パーティーで誰とも言葉が通じなくなった時、本当に恐かった。頼れる人は一人もいなくなって、これから自分はどうなるのかという不安に襲われた。
 オプスがいなくなったら私は、この世界で本当に一人ぼっちだ。家族も友達も誰もいないところで、いったいどうやって生きていけばいいのだろう。
 とてつもない不安に呑み込まれそうになる。床が抜けてどこまでも落ちていくような恐怖。
 そんな恐怖に震える私を抱きしめたのは、この穴に突き落とした張本人だった。
「イチカ様……」
「何よ……」
 長い腕に囲われて、逃げられなくなる。
「お許しください。我々はそういう〝モノ〟なのです」
「何それ? じゃあ〝モノ〟だったら何をしてもいいって言うの? 違う。〝アナタ〟が悪いの。ふざけて、弄んで、それを楽しんでる。魔導書にとって人間は玩具なの? こんな時ばかり心のない〝モノ〟のふりをするなんてずるい。あなたたち魔導書は――少なくともオプスは、喜びや嫉妬を持つ人間と変わらない生き物だよ」
 すると、私をゆるく囲っていた腕はぎゅっと範囲を狭め、私を抱きしめた。
 肩口に押し付けられた顔には、何の温度もない。
 それが不思議で、けれど私の体は確実に熱くなった。
「何? 離してっ」
「聞いてくださいイチカ」
 オプスは珍しく、切羽詰まったような声で言った。
「わたくしたち魔導書は、そういう〝モノ〟なのだと創造主たる神より教えられました。我々は人間を試し、そして助ける道具なのだと」
「そんな――」
 そんなのは理由にならないと、言い返そうとした言葉は遮られた。
 オプスの温度のない唇で。
「……ッ」
 慌てて押し返そうとしても、できなかった。
 オプスの作る囲いはまるで鉄のようにびくともしない。
 恥ずかしながら、人生で初めてのキスだ。
 だから、どう息をすればいいのかすら分からなかった。酸欠で頭がくらくらし始めた頃に、ようやく解放される。
「はぁ、はぁ、何でこんな……」

この続きは「最凶の人型魔導書に偏愛されているのですが。」でお楽しみください♪