書籍詳細
かつて負け側妃だった私に、見知らぬ赤面騎士が泣いて縋ってくる
| ISBNコード | 978-4-86669-881-6 |
|---|---|
| 定価 | 1,485円(税込) |
| 発売日 | 2026/09/29 |
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内容紹介
立ち読み
そして、ヴァンという騎士がヤドリギ亭に滞在することになって数日――。
(……いる、わよね)
この奇妙な感覚をなんと呼べばいいのか。
セラは大通りを歩きながら、ふと首を傾げる。
ある日の午後のことだ。
ランチの時間帯が過ぎ、少し落ち着いた頃合いに買い出しに出た。目当ては、宿の客室で使うリネンの入れ替えだ。
長く使っているうちにシーツの擦り切れが目立ってきたので、まとまった量を仕立て直したい。そうヘーゼルに相談して、時間をもらったのである。
タニスの街にも、セラはすっかり馴染んでいた。
近所の小間物屋のおばさんも、肉屋のおじさんも、ここを拠点にしている冒険者だって揃ってセラを名前で呼んでくれる。昼間に大通りを歩くだけなら、特に恐れることはない。
もちろん、グレイがあれだけ口を酸っぱくして言うのだ。気をつけるに越したことはない。だけど、本当に困ったときには、顔見知りの冒険者の誰かしらが手を貸してくれる。
荒くれ者が多いのは事実だけれど、情に厚い人もたくさん住んでいる。
それにこの街では、長く居着いている冒険者が、治安維持にも一役買ってくれていた。その分、彼らが街の施設を利用するときには色々割り引きもある。皆がそうして、情と情で支えあっているのだ。
いつの間にか、セラはこの街のことが好きになっていた。
――いた、のだけれど。
(……うん。やっぱり、いるわよね)
角を曲がるとき、ちらりと視界の端を、見慣れた黒いコートが横切った気がした。
市場通りの大樽の陰、青果店の木箱の後ろ、さらには酒屋横の小径。――こちらが意識さえすれば、なんとなくその姿を捉えられる。
(ヴァンさん、よね)
あの人が本気を出したら、こんな気配を残すことなどないのだろう。
最初に宿のドアベルを鳴らさず入ってきたときから、セラは薄ら気付いていた。あの人は、隠れようと思えば、息ひとつ漏らさず影に同化できる類いの人だ、と。
なのに、こうしてセラに気付かれている。
ということはつまり――。
(隠れているのに、見つけてほしがっている、みたいな……?)
なんだか、ものすごく矛盾している。
ものすごく矛盾しているのに、その不器用さになぜかちょっと笑ってしまいそうになった。
(声、かけるべきなのかしら)
でも、声をかけたらかけたで、いつもあのしどろもどろの返事だ。迷惑をかける気がして、言葉を呑み込む。
(ヴァンさん……)
ヴァンがヤドリギ亭に宿泊をはじめて、今日で五日。彼のことは、いまだによくわからない。
悪い人ではない、と思う。
彼の所作にも視線にも、優しさはきちんと滲んでいる。
でも、絶対にワケアリなこともわかっていた。
色んなワケアリがやって来るこの街の中でも、ヴァンの異質さは群を抜いている。
こうしてたまにセラに付きまとっている以外は、部屋に引き籠もってずっと忙しそうになにかをやっているし、ちょこちょこ帽子を目深に被った男性が、ヴァンになにかを話しに来ることもある。
清掃のために宿の二階へ行ったら、部屋の中からブツブツ話し声が聞こえてくることもあった。
それに気になるのは宿屋の主人であるカイエンの態度だ。
寡黙で強面ながら、冒険者たちには情の厚い表情を見せるカイエンが、ヴァンにだけは少し違った表情をするのだ。
命を懸ける仕事に出る冒険者たちに、まるで父か師匠のように心構えを説く――それがセラが見てきたカイエンの姿だ。
皆が彼に一目置いていて、色々と相談にやって来る。
なんでも、五年ほど前にこの街にやって来たカイエンは、すでに片足が義足であったにもかかわらず、この街を占拠していた厄介な荒くれ者をたったひとりでのした伝説があるのだ。
それ以後、ヤドリギ亭にはカイエンを慕う者たちがよく集まるようになったとか。今やそれが、荒くれ者の多いこの街で、自衛団のような役割を担うようになっているというわけだ。
あとは、駆け出しの冒険者たちも多い。ひとり立ちできるようになるまで、カイエンに冒険者としての基礎を叩き込んでほしいと頼ってくるのだ。そういう人たちを見捨てられずに世話していたからこそ、経営が火の車でもあったわけだが……。
とにかく、そんなカイエンだ。厳しさこそあるけれど、どんな客に対しても根っこの包容力は変わらない。そう、セラは思っていた。
なのに、ヴァンにだけはなぜか違う。
ヴァンがやって来た初日だってそう。
食堂に案内したとき、あの何事にも動じないカイエンがはっと驚いたような顔をしていた。
その後もヴァンと向き合うたびに、カイエンの背筋がほんの少し伸びる。
声色が硬くなるというか、視線だって合わないようにわずかに下がるというか。まるで、騎士が上官に対するような佇まいをすることがある。
同じくヴァンも、カイエンと向き合う際はあのオドオドした態度をなくす。――いや、あのオドオドは、そもそもセラの前でしか出ないような気もするけど。
(ううん、考えすぎね)
ヴァンの気配を感じつつ、さらに大通りを前に進んだそのときだ。
ドンッ! と、通りの向こうで、大きな音が響いた。
「待て! 強盗だっ……!」
ハッと声のした方に目を向けると、冒険者向けの装身具を扱う店のドアが、内側から蹴破られたのが見えた。
その奥からガタイのいい男がひとり、大きな布袋を抱えて飛び出してくる。
粗末な革鎧に汚れたブーツ。頬から首にかけて走る刃傷に無精髭。ひと目で、堅気でないとわかる風体だ。
「どけぇ……!」
「きゃっ!」
「なんだ!? うわあっ!?」
男は通行人に剣を振り回しながら、転げるようにこちらへ駆けてくる。
悲鳴が、波のように左右へ広がった。
(え――)
あまりに急な出来事に、セラの足は地面に縫いつけられたように動かない。
けれども男は確実にこちらに向かって逃げてくる。その剣の先にセラがいることはわかっているけれど、頭が真っ白で動くことなどできなかった。
(駄目……!)
本能のまま、身を固くし、ギュッと目を閉じる。
その瞬間、ふっ、と、誰かに肩を引かれた。
瞼を閉じ、暗い視界の向こうで、土を蹴る音がした気がする。
「ぎゃっ!」
それから聞こえる男の悲鳴。
なにが起こったのかわからなくて、恐る恐る目を開ける。すると、すぐ近くに見知った顔があって心臓が跳ねた。
黒い前髪が揺れ、その奥にアイスブルーの瞳が光っている。
「大事ないか」
耳に深く残る、低い声。
しっかりと腰を引き寄せられ、もう片方の腕で守るように肩に手を回されている。
ヴァンだ。ただ、いつもの挙動不審な彼はいない。彼は集中を切らすことなく荒くれ者を真っ直ぐに射貫いたままだ。
圧倒的な殺気。セラだけでなく、道行く人々も感じたようで、無意識のうちに半歩下がっている。
「貴様」
低く、抑えた声がひとつ、落ちる。
「我が眼前で、掌中の至宝たる彼女に剣を向けるか。――その不遜、生かしておくに価せん」
鋭い魔力を含んだ声音に、強盗ではなくこちらの方が震えてしまいそうだ。
……なんだかとんでもない修飾語を添えられていたような気もするが、騎士の間ではこういう言葉遣いが当たり前なのだろうか。深く考えてはいけない気がする。
「ひ、ひいっ……!」
倒れた男が、慌てて落とした剣を引き寄せようと手を伸ばす。しかしその指先を、ヴァンの放った見えないなにかが、ぴしりと薙ぎ払った。
さらに刃のような魔力が、強盗の頬を、肩を、腿を、立て続けに切り裂く。
男は悲鳴を上げ、とうとう布袋までもが地面に転がった。中から銀細工や魔石がからからと音を立て転げ落ちていく。
「貴様のごとき矮小な賊がどうなろうと、俺の知るところではないからな」
ヴァンがセラを護るように前に出て、ゆっくりと腰の剣の柄に手をかけた。
漆黒の鞘から細身の刃が音もなく抜かれる。
同時に、魔力を通す特別な刃が、ヴァンの放つ魔力に呼応して冷たい光を放った。
「あれ……」
「うわ、マジかよ」
周囲の者が声を上げた。
だって、彼の持った剣。その刃に使われている、あの不思議な色彩を帯びた金属は――。
(オリハルコン……?)
いや、セラだって見るのははじめてだ。
しかし、虹色の特殊光彩を帯びたその色彩は物語でもよく語られている、伝説級とも言われる珍しい素材だ。
そのような剣を所持しているなど、彼がどれほどの実力をもっているか、ありありと理解できてしまう。
「ひ、ひいいっ……!」
強盗の男は後ずさろうとしているも、手足が言うことを聞かないようだ。
そんな男に、ヴァンは絶対零度の目を向けたまま、ゆっくりと腕を持ち上げる。
そして刃が真っ直ぐ男の胸元へと――。
「待って!」
マズいと思った。
咄嗟にヴァンの腕にしがみつく。
「駄目よ! やめて!」
「!」
瞬間、ヴァンの肩が大きく跳ねた。
「ちょ、お嬢さん!」
「危ないよ!?」
ヴァンは完全にキレている。
周囲の人たちが焦って声を上げるも、もう遅い。半ば無意識に止めてしまっていたのだから。
一緒に切られる覚悟で、セラは目を伏せた。
息を止め、硬直したままヴァンの動きを待つも。
「っ! っ、ぅ、あ……ああ」
返ってきたのは、いつもの彼と同じ声だった。
恐る恐る顔を上げると、そこには耳まで真っ赤にしたヴァンが口元を押さえている。
「あ、あなたが、それでいいのなら。その、だ、誰も、その、怪我もしていないようだし……」
いや、強盗の男はめちゃくちゃ怪我をしていますけど。というツッコミは誰からも上がらない。
「た……た、頼ってくれて、嬉しい……」
ぼそりと付け足された呟きに、セラは目を丸くする。
頬を赤らめたヴァンは剣を鞘に収め、セラの腰へ手を伸ばそうとして――。
ふわりと。その手は、宙を掻いただけで終わった。
「…………」
「…………」
街の人たちが、なんとも言えない顔をしてヴァンを見ている。
セラだけがきょとんとし、小首を傾げたままだ。
「くっ! さっきはできたのに! なぜ……!」
かと思えば、ヴァンはパッとセラから離れ、頭を抱えるようにしてその場にしゃがみ込んだ。
ぷっという噴き出しが周囲から漏れる。
「そういうことお?」
「セラちゃん、さすがだねえ」
「グレイに引き続き、厄介な男引き寄せる体質だよな」
同情されているような台詞も聞こえるが、なぜか揃いもそろってニヤニヤしている。
なんのことかわからず困惑していると、ようやくヴァンの方も持ち直したらしい。
「――いかん。まずはこの男だな」
ごほん、と咳払いをして立ち上がる。
かと思えば、ピンと背筋を伸ばし、周囲に声をかけた。
「誰か衛兵を。この賊を捕らえさせよ!」
凜として、よく通る声だ。
あきらかに命令慣れしている様子が、先ほどの態度と違いすぎてぎょっとする。
「俺はこの方を宿まで送り届けるという大義がある。――誰も、勝手な情けで縄を緩めるなよ」
私利私欲にまみれた命令を、よくここまで堂々とするな。なんだこの人――と思いつつも、圧倒された周囲の人間はこくこくと頷くばかり。
近くにいた人々が、詰め所に向かって駆けていく。
その様子を見届けてから、ヴァンがセラに向き直った。
「――というわけだ」
彼の声色がまた少し柔らかくなる。
「これ以上、危険があってはいけない。せめて宿までの道行きを、俺に守らせてくれないか」
いつになくキリリとした様子で訴えかけられて、セラは息を呑む。
心臓が高鳴っているのは、おそらく気のせいではないだろう。
「で、でも。わたし、買い出しの用事がまだ残っていて」
そもそも、まだ宿から歩いてきたばかりで、なんの目的も果たしていない。
「! ――そ、そうであったな」
みるみるヴァンが萎んでいくのがわかった。
「そうだった」と思い出した風だが、それはつまり、最初からこちらの様子をしっかり見ていたと白状したのと同じことに気がついているだろうか。
(心配して、見守ってくれてたってこと……よね?)
今日だけじゃない。
今までもそうだったのかも、と思えば合点のいくことも多い。
(でも、どうして……?)
彼はこの街に魔物退治の訓練に来たと言っていた。
確かに、定期的に食用の魔物を大量に狩ってきてくれているのだが、その割にはセラに張り付いている時間も、部屋に引き籠もる時間も長い気がする。
いったい、彼の目的はなんなのだろうか。
騎士という立場である彼に張り付かれているという未知の恐怖と、彼自身の芯の部分に流れる柔らかさのようなもの、その両方をどう受けとめていいのかわからず、ただただ困惑した。
「だ、だったら、どうだろう。……お、俺を、護衛として、街を歩くのは」
「え?」
ヴァンからの提案に、セラは息を呑んだ。
つまり、陰から見守るのではなく、堂々と横に歩いてくれると。
(その方が、嬉しい)
陰から見守ってくれるよりも。
不思議なくらい自然に、彼と歩く光景を思い浮かべることができて、セラは目を見開く。
「いや、ご、護衛という呼び方が大仰に感じるのであれば、ええと、た、単純に、その、ど、同行者でも……男として。つ、つまり、デ…………」
デ。
その続きの言葉が脳内に閃き、たちまちセラの表情が明るくなった。
「デートですね!」
「っ……!?」
絶句して目を丸くするヴァンに、セラはぱんと手を鳴らした。
デート。懐かしい響きだ。
父親がたまの息抜きにとウインクして「デートに行くか」と誘ってくれたときは、いつもとびっきり楽しい思い出をくれたからだ。
普段は弟や妹の世話ばかり焼いていたけれど、父親がデートだと誘ってくれる日は、一日父親を独占できた。なんだかとても特別な存在になれた気がして、今でもずっと楽しい記憶として残っている。
だから、セラにとってデートとは、とびっきりの親愛の響きを含む言葉だった。
「デ! デ……そ、そうだ。デ、デート、だ」
「嬉しいです。ヴァンさんが一緒に回ってくれたら、わたしも安心ですから」
「そうか。あなたは、俺との、デ……、…………」
「デートですね!」
「そ、そう。……デート、だ」
言葉を呑み込むようにして、ヴァンは口元を片手で覆った。
その顔色はもう完全に熟したリンゴのようになっている。ただ、口元を押さえたまま、彼はボソボソとなにかを呟いている。
「それすなわち、ふたつの魂が、夕陽の地平にて運命の盟約を交わしたるに等しき……かの献身の契りの、その第一歩……ひいては、未来永劫にわたるふたりの……」
聞こえるような聞こえないような声で呟かれている呪文の半分も、セラには意味がわからない。
もしかして、騎士特有の特別な言い回しなのだろうか。
「……ヴァンさん?」
首を傾げると、ヴァンはハッと我に返って、ぴたりと口を閉ざした。
「あ……いや、その……だな」
「頼りにしています。――行きましょうか?」
そう言って、小さい子と向き合う気分で無意識に手を差し出すと、ヴァンの瞳が大きく揺れた。
「! ――っ、あ、ああ」
そうして、おずおずと彼の手が重なる。
体温が低いのか、少しひんやりとしている。しかし、その冷たさが妙に温かく感じた。
心の奥が、ことりと音を立てて揺れた気がする。
でも、セラはそれに気付かない振りをして、彼と並んで大通りを歩き出したのだった。
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