書籍詳細
没落令嬢の身代わり初夜 ~処女を売ったら溺愛が待っていました~
| ISBNコード | 978-4-86669-858-8 |
|---|---|
| 定価 | 1,430円(税込) |
| 発売日 | 2026/05/28 |
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内容紹介
立ち読み
フローラを部屋に連れ戻すや否や、クレアの頬をかすめた花瓶が、背後の壁に当たってガチャンと砕ける。
「信じられない、邪魔するなんて!」
クレアは、怒り狂うフローラをどうにか宥めようとする。
「ですが逢い引きと誤解されて、陛下や殿下の耳に入ったら大変です」
「知ったことではないわ!」
ガシャン! カップが割れた。王宮内から出られないことの鬱憤も彼女の中に溜まっているのだろう。
手に触れるもの全て投げつけようとする。インク壺をキャッチできた自分を褒めてやりたい。
「落ち着いてください、その文鎮を投げてはなりません。ゆっくり置いて」
「だいたいあの騎士もなんなの? この社交界のチンチラとまで言われたわたくしになびかないなんて!」
チンチラ……それは誉め言葉なのだろうか。クレアは彼女の気を逸らそうと、ポンと手を叩いた。
「そうだわ、後継者を早く作ればよろしいのです。そうすれば、王宮から出てお買い物をしたりすることも可能になりますし」
火に油であった。気づいた時は文鎮が壁に突き刺さっていた。着弾点がクレアの頭蓋骨でなくて良かった。
「この社交界の百万本の薔薇に、あの気味の悪いマスクマンで満足しろというの!?」
「閨では外してくださいます、おそらく」
少なくとも初夜では被っていなかった。
「マスクの下は火傷しているって言っていたわ! グチャグチャなのも嫌なのよ!」
キスをした時の感じでは、グチャグチャではなかった気がするが……一瞬思い出して赤くなる。
いやでも、そもそも暗闇で致すわけだし、顔は関係ないのではないか?
なによりも王太子は、フローラの夫なのだ。子作りを拒絶するわけにはいかないではないか。
ところがそれから一週間経っても、王太子から閨への誘いは無かった。
あれほど嫌がっていたフローラだが、今度は逆にプライドを傷つけられたらしく、またもクレアに当たり散らしてきた。
「どうしてこのわたくしが、あんな冴えない王太子から蔑ろにされなければならないの!?」
スリッパが飛んでくる。毎日この不機嫌が続いたら、さすがに投げつける物が無くなりそうだ。
フローラは晩餐会からずっと妃としての勉強漬けで、その上食事は国王一家と取るか部屋に運ばせるかの二択、しかもどちらの席にも王太子はいない。
フローラは、着飾ってもつまらない、気を遣いたくないとグズり、ずっと部屋出しを希望していた。自分が選んだこととはいえ、孤独なのも相まって、我慢の限界のようだった。
(やはり早く後継者を儲けて、自由になってもらうしかないわね)
そこは王太子頼みであるため、クレアは侍従や侍女頭に取次ぎを依頼したが、体調不良であったり、仕事に忙殺されていたり、トレーニング中であったり、どれも要領を得ず、彼自身に一向に子作りする気がないように思える。
「あんたが下手くそだったからよ! 初夜は失敗!」
フローラに罵られ、クレアは返す言葉を失った。
ジェイクはああ言っていたが、やはり勝手が分からず、あの夜どこかで粗相したに違いない。
「契約不履行でお金は全額返してもらいますからね! あんなショボい領地、一瞬で潰してやるわ! あなたも弟も、いつ事故に遭うか分からないから覚悟なさい!」
「ま、待って! 待ってください」
クレアはオロオロしながら彼女を説得する。
「わたくしが、頼んできます」
バチンとクレアの頬が鳴った。ついに直接手が出た!
「頼む!? 頼むって何!? あのキモい王太子に、どうか主人を抱いてくださいって懇願するわけ? どんな貴公子も跪かせてきた、この社交界のダイオウイカのわたくしが!?」
一体彼女はどうしたいのか。叩かれた頬を押さえ、クレアは途方にくれる。
「こんな屈辱無いわよ! わたくしイケメンにチヤホヤされたいのに」
しかし、嫌でも男児を儲けるしか、彼女が外に出る方法はない。早急に会う算段を整えなければ。
「ス、スピーチの原稿を預けてありますので、添削を受け取る時に従者に伝えてもらいます。もし、何かしらの理由があって閨に呼べないなら、せめてフローラ様が自由に外へ遊びにいけるよう、頼んでみます!」
フローラは、それを聞いてようやく落ち着きを取り戻した。
「そうよね、まあ我慢してあのマスクマンと何発かヤらなきゃならないことくらいは、わたくしにだって分かってるわ」
ならば、なぜ叩くのか。気分屋のフローラに、げっそりと疲れてしまうクレアである。
「あの王太子のことだし、わたくしが美しすぎて怖気づいているのね。だって、このわたくしを見てムラムラしないわけがないもの」
「そ、そうですね」
クレアは社交界の癇癪玉を再び破裂させないためにも、もう王太子に直談判するしかないと考えた。それもこれも、王太子への取次ぎをしてもらえないせいである。もしかして使用人たちも王太子を恐れているのかもしれない。不敬となろうが、やるしかない。自分の身を守るため、そして早く解放されて弟に会うためである。
それにしても、王太子はいつもどこにいるのだろう。二階の自室にいるのだろうか。公務中ならば、恐ろしく広い本宮殿の方を探すしかないが……。
勇んで探し歩いていたクレアだが、あのマスク姿がふと浮かんでしまった。
(見た目より怖くないと、分かっているはずよクレア)
しかしいつの間にか速度に勢いがなくなり、ノロノロ歩きとなっていた。
(だめだわ、面識のない侍女ごときがいきなり押しかけるなんて)
そこで、いいことを思いついた。王太子の幼馴染である騎士のジェイクから、王太子に取り次いでもらおうと考えたのだ。
クレアは記憶を頼りに、以前訪ねた騎士の部屋に向かった。分厚いマホガニーの扉を前に深呼吸する。
ノックすると、厚い扉に遮られてくぐもった声が返ってきた。おそらく「入れ」と言ったのだろう。鍵はかかっていないようだ。
重い扉を全身を使って開けた途端、視界に飛び込んだ光景に、クレアはしり込みする。
筋トレする半裸の騎士、デスクに向かって一心不乱に図面を書いている眼鏡騎士、風呂上がりの濡れた髪でミルクを一気飲みしているくつろいだ騎士……。
以前来た時とは違った雰囲気に、一瞬部屋を間違えたのかと思った。
(昼間はこんなに人がいるのね)
牛乳で口の周りを白くした騎士が、こちらに気づいて青い目を瞬かせた。
「あれー、かわうぃ子ちゃん、何か用? 見かけない顔だねー。新入り? つっても俺まだ王宮の侍女を全部は食ってないから分かんないんだけどね! なんつって! 誰に用事? 俺にしとけよ、ベイビー、えーと、名前なんて言うの? 俺はね、ジェイ――」
「殿下!」
鋭い叫び声が部屋の中に響いた。
「妃殿下の侍女殿がいらっしゃいましたよ、殿下!」
別室から、マスクを被った男を引きずって出てきたジェイクが、牛乳の騎士を突き飛ばす。
急に被せられたのか、マスクは逆向きになっている。だが紛れもなく王太子のマスクだ。ちょっとシュールな光景だが、まさかここで、王太子本人と会えるとは思わなかった。暇なのだろうか……。
「あの、スピーチ用の原稿を受け取りに……」
「ああ、あれね!」
ジェイクは取り繕うような笑顔で頷くと、マスク姿の王太子に質問した。
「殿下、添削なさいましたよね? もう渡していいですか?」
「ふごっふごっふごっ」
「分かりました、俺が見ておきます。行こうクレア、ここは汗臭いから」
「で、ですが、わたくしは殿下にお願いがあって――」
「殿下への話は、まず俺を通してからなのだよ」
ジェイクにグイグイ背中を押され、クレアは後ろ髪を引かれつつ、出て行くしかなかった。やはり、侍女ごときと直接話させてはもらえないのだろう。仕方ない、後で伝えてもらうしか……。
ジェイクは中庭までクレアを連れて来ると、ベンチに誘った。
「座って」
クレアが言われた通りにすると、彼もその隣に腰かけ原稿を膝に載せる。近くに大きな体と体温を感じ、一瞬ドキッとした。
「正直、驚いた。内容はよく纏まっているし、字も綺麗だね」
クレアの唇が綻ぶ。本当はフローラに押しつけられて、クレアが書いたものである。
長くしなやかな指が文章の上をなぞった。
「特にここの一文は、訴えかけるものがあって、国民からの印象もいいと思う。妃殿下は文才があるね」
(男の人の手……大きい。指も長くて綺麗)
「フローラ様にお伝えします。きっと喜ばれますわ」
(嬉しい、わたくしが褒められたのだわ)
そこで、ハタと本来の目的を思い出した。違う、原稿なんてどうでもいいのだ。
「あの、殿下にお願いがあるのです。ぜひお口添えをしていただけないでしょうか?」
ジェイクは必死な様子のクレアを見て、眉を顰めた。
「でないと、わたくし――」
その時、彼の大きな手がクレアの頬に触れる。男性に免疫のないクレアの心臓が跳ね上がる。
「左側だけ腫れてる……これは、誰かに殴られたのかい?」
ジェイクの声は尖っていた。クレアは慌ててごまかした。
「いえ、頬に蚊が止まったので、自分で叩き落としただけです」
「本当に?」
嘘をつくのが苦手なクレアは、疑いの眼差しを向けられ目を泳がせる。
「ち、力の加減を間違えて」
ジェイクが立ち上がった。
「……とにかく冷やそう。本宮殿には製氷機があるから、氷を貰ってくる――あ……」
言いかけて彼は何かに気づき、中庭の一角に生えた観葉多肉植物に手を伸ばした。
「これ、打ち身に効くんだよ。鎮痛作用もある。国境付近に自生していて、衛生班が重宝している」
話しながら器用に薄皮を剥くと、ハンカチに包んで左の頬に当ててくれる。ひんやりとして気持ちいい。
「しばらく、じっとしていて」
「……ありがとうございます」
すぐ間近に座り目元を和ませている彼に、クレアの胸がきゅんとした。彼の声が好き。聞いているだけで……心地いい。
(……? わたくしったら、しっかりしなさいよ!)
王太子の次は騎士か。男性に免疫が無さすぎなのだ。惚れやすい自分に呆れてしまう。
「でも、あ、あなたのようにモテそうな方が、こういうことをしてはいけません」
「え?」
ジェイクはキョトンとして、即席の湿布で押さえたクレアの顔を見つめた。
「こういうことって、手当てをかい? 沁みる?」
改めて言われると、手当てごときで胸を高鳴らせている自分がアホみたいに思える。
「優しくすることです! あなたみたいに、す、素敵な人が、あちこちで婦女子を勘違いさせたら、大変じゃないですか! 罪ですわ!」
ちょっとしたことでポーッとなる、自分のようなモテない娘たちが可哀想だ。
ジェイクは面食らったように何度か瞬きをした後、青い瞳に柔らかな色を浮かべ薄い唇を綻ばせた。
「それはすまない」
からかうように、クレアの顔を覗き込んできたではないか。
「でも俺は、勘違いしてもらっても構わないが?」
(こちらが困るのです!)
クレアはあたふたしながら、彼の太い手首を両手で掴み、頬っぺから湿布を外そうとした。
「も、もう結構です。ありがとうございました」
ジェイクは物言いたげな顔をしていたが、結局湿布を外す。
とにかく今はそれどころではない。説得を失敗したら今度はフローラから文鎮で殴られる。クレアは咄嗟に彼の袖を掴んだ。
「ジェイク様にお願いが……。フローラ様を閨に呼んでいただきたいと、殿下にお伝え願えませんか?」
ジェイクはギクッと肩を揺らす。
「フローラ様は、初夜でご自分がヘマをしたのではないかと、大変な落ち込みようで……」
「ば、ばかな、あれは最高だった!」
「は?」
「あ、いや、殿下がそうおっしゃっていたのだ」
クレアは、自分の顔が火照るのが分かった。なんだか、ジェイクには殿下から初夜のことを聞いてほしくない。
そんなクレアを見て、ジェイクは息を呑んだ。
「君は、綺麗だ」
一瞬何を言われているか分からなかった。ジェイクも口を押さえて呆然としている。
「あ、いや、なんか自然に出てしまった。すまない」
今度はからかったわけではないのか、顔を赤らめ、大変な狼狽えようだ。
綺麗なんて言われたのは初めてで、その不意打ちに自分の脈拍が速くなっているのが分かった。
クレアは咳払いして話を戻した。
「王太子ご夫妻は、早く後継者を儲けるべきです」
ところが、なぜかジェイクは顔を曇らせる。少ししてから、ぽつりと呟いた。
「そうだね」
深い碧玉が悲しそうに揺れている。困惑するクレアの前で、彼は静かに確認した。
「君が、妃殿下を閨に呼んでほしいんだね?」
クレアはおずおず頷いた。再び沈黙が続いた後、ジェイクは小さく息をつく。
「……そう」
ジェイクはそっけなく呟き、クレアから目を逸らす。
「では、俺の方から殿下に言っておくよ」
湿布をクレアに渡すとベンチから立ち上がり、後は一瞥もくれずに去っていってしまった。
(え……なに?)
勘違いしたくない。だから、優しくしないでと確かに言ったが、急に冷たくなるとは思わなかった。
訳が分からないまま、クレアはその場にポツンと取り残された。
◇
レナードは苛立ちを抑えきれず、足音も高く騎士部屋に急いだ。
彼女にフローラとの閨など勧めてほしくなかった。
騎士のジェイクとして接していたくせに、いつの間にか王太子レナードとして傷ついている自分がいた。頭がぐちゃぐちゃになる。
もちろんクレアは、王太子が目の前にいると知らない。さらにレナード扮する騎士ジェイクにだって、特に気があるわけではない。侍女として当然のことをしているだけである。
それなのに、胸がモヤモヤしていた。
「俺は、バカか」
だいたい彼女とは、三度会っただけ、事務的に話しただけではないか。
どうして……ここまで惹かれるのかが分からない。これではまるで一目惚れだ。
一目惚れ――それは、レナードがもっとも理解できない現象の一つだった。相手のことを何も知らずに好きになるなんて馬鹿げている。
だが、妃と向き合わねばならなかった晩餐会で、なぜか向かいに座っていたクレアの方に気を取られたのは事実だ。
お付きの侍女と聞いて納得したが、控えめというより地味? 顔立ちは整っているのに――言葉は悪いが――随分と幸が薄そうな女性だと思った。
しかしアイスクリームを一口ずつ味わって食べている時の至福の表情に、目を奪われた。美味しいと感じていることが真っ直ぐ伝わってきて、そのまま彼女に釘づけになってしまったのだ。そんな無防備な表情を人に――男に――見せてはならない。思わず注意したくなったほどである。
アイスごときで恍惚となっている、薄幸そうな美女……では彼女に愛の言葉を囁き、その唇に深く口づけをしたら、どんな顔になるのだろう。つい不埒な想像をし、晩餐会のテーブルの下で下半身が強張ってしまった。
次にその侍女を見かけた時、今度は中庭の観葉植物を見てうっとりとしていた。花を見たくらいでそんな表情を浮かべるのか。
ならば、彼女の体を舌でまさぐって性感帯を刺激したら、どんな表情を浮かべ、どんな声を出すのだろう?
それでつい、声をかけずにいられなかった。まるで飢えた狼が巣穴に連れ込むように、騎士部屋に誘ってしまったではないか。
彼女が部屋に入ることを躊躇した時、不埒な内心を知られてしまったようでドキリとしたものだ。
熱いお茶が手に跳ねた時の心配そうな顔。白いハンカチを持つたおやかな手が、レナードの手を掴み……思わず覗き込んで口づけしてしまうところだった。
思い出せば思い出すほど……。
(なんなんだ!)
レナードは、いつの間にか前かがみになって歩いていた。
クレアが近くにいなくても、彼女を思うだけで勃起してしまうのはどういうわけだ。まるで変態じゃないか。レナードは隙あらば浮かんでくるクレアのことを、頭から追い払った。
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