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君の声で色づく世界でキスをしよう 不能な次期侯爵は田舎令嬢しか愛せない

鈴木レモン / 著
チドリアシ / イラスト
ISBNコード 978-4-86669-810-6
定価 1,430円(税込)
発売日 2025/10/29

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内容紹介

「君の声を聞いているだけでこうなってしまう」
次期侯爵様のアレを全力応援していたら、溺愛子作り生活が始まりました!?
笑いあり涙ありの衝撃作、WEBから大ボリューム加筆して書籍化!
田舎の令嬢レイニーは、応援すると相手がいつもより少し力を出せるようになるという、微妙すぎる能力の持ち主。使いどころもなく平和に過ごしていたが、ある日名門侯爵家から能力を借りたいとの打診が! 大金と引き換えに依頼されたのは、次期当主ユリウスのED治療。美貌の騎士と有名な彼の、デリケートすぎる問題に取り組むことになってしまったレイニー。最初こそ戸惑っていたけれど、頑張るユリウスを見ているうち、声援だけでは我慢できなくなり!?
「君がいいんだ。君だけがいい。ずっと、一生、君だけが……」

立ち読み

 なんだかいつもより緊張した心地で彼の部屋を訪れる。
「待たせてすまない」
「全然待っていないですよ。あ、怪我されているんですか?」
 立っていた彼の右腕は、柔らかなシャツが肘の辺りまでめくられ、包帯が覗いている。胸がキュッと不安で締められた感覚になった。
「いや、かすり傷程度だ。服が汚れるから」
 ユリウスは問題ないことを示すように右腕を軽く回し、ひとり掛けのソファに腰を下ろした。痛そうには見えず、その動きも滑らかだったので安心する。いや、怪我は怪我だ。
「討伐、どうでしたか?」
「大した相手ではなかったが、隊員の数が少なく若手も多かったので、少し手こずった。だが、全員大きな怪我もなく無事だった」
「何よりですね」
 ハアと息を吐き、もう一度じっくり目の前の姿を眺める。
「ユリウス様は大丈夫でしたか?」
 外見上問題なさそうに見えても、本当に大丈夫だとは限らない。特に彼は抱え込む性質だから。
 隠されても気づけるように、見張るようにしてその姿を確認していると、口元がかすかにゆるんだように見え、銀の睫毛が伏せられた。
「大丈夫だ。戦闘中、君の声が聞こえた気がした」
「え?」
「幻聴だが、君に応援してもらえて力が出た」
「それはお役に立ててよかったです!」
 俯きながらも、ユリウスがあまりに柔らかい表情をしているのでドギマギしてしまった。
 しかし、幻聴が聞こえたとは。毎日のように応援していたからだろうか。幻聴でも能力が発揮されるんだな、とそんなわけがないのに感心してしまう。
 だけど、嬉しい。自分のいないところで思い出してもらい、力づけられたなんて、応援冥利に尽きるではないか。
「私もその場にいて応援したかったです」
 絶対に声が嗄れるまで応援したことだろう。そんな光景を想像していると、彼がこちらを見た。また目が合う。真っ直ぐ突き刺さる赤にドキドキする。あの目は本当に心臓に悪い。
 それからも束の間、討伐の話が続いた。レイニーが尋ねると、短い説明ではあるが、なんでも答えてくれる。その間も、彼は何か言いたげにこちらをジッと見つめることが多かった。聞きたいことが一段落つくと、沈黙が落ちる。
 なんだか落ち着かず、レイニーはいつもの雰囲気を取り戻したくて、焦ったように話題を変えることにした。
「あ、あの、まだ時間は早いですけど、今からアレ、します?」
 動揺しているのか、そのまま口は勝手に動き続けてしまう。
「聞いたことあるんですが、男性って戦ったりしたあとってそういう気分になるんですよね? 右手は怪我していますし、私がしますから!」
 口を動かしながら、何を言っているんだ、と冷や汗が浮かんだ。これでは治療のためというより、ただの昂り消化だ。いやでも、討伐を頑張ってきてくれたわけだし、自分も何かしてあげたいと思ったのだ。
 ここまで来たら女は度胸。突き進むしかないと心に決めたレイニーは立ち上がり、ユリウスに近寄って手を引っ張った。目を見開いた彼は、促すまま素直についてきてくれる。
 そして、先ほどまで自身が座っていた長めのソファに一緒に腰を下ろす。手伝うようになってからは、手でしやすいようにこうして隣り合うようになっていた。レイニーが床に膝立ちになることを、彼が気にしたからだ。
「治ったら、もっと素敵な女性にしてもらえますよきっと! ユリウス様、本当にかっこいいんですから」
 まだ動揺は続き、いらないことをペラペラ喋ってしまう。思ってもいないことを口にしてしまった。本当は他の素敵な女性なんかに任せたくなくて、自分がしたいと思っているのに。
 ユリウスが動かないので、手を伸ばしてズボンに触れようとすると、その手を優しく掴まれて止められた。
「……君がいい」
 聞きとれないほど小さな声に、「え?」と顔を上げると、普段より強張った顔をしたユリウスが、真剣な表情を向けていた。端整な顔立ちの中で、赤い目が縋るようにこちらを貫いている。
「君がいい。君しか嫌だ」
 ゆっくりと体に両腕が回ってきて、おずおずとした動きながらも抱き締められた。すっぽり自分がその腕の中に収まることに、こうすると体格の違いが明確に分かるな、なんてことを頭の片隅で考えてしまう。
「君がいいんだ。君だけがいい。ずっと、一生、君だけが……」
 囁くような声が耳をくすぐる。躊躇いがちだった抱擁が、言葉を紡ぐたびに強くなっていく。回された両腕に少しずつ力が入り、最終的にはギュウと抱き締められた。縋りつかれているようで痛いほどだ。
「君が好きだ」
 肩に彼の顔が埋まっている。全身をユリウスに包まれ、最初は呆然としたレイニーだったが、その体温が沁み渡る頃には喜びがフツフツと腹の底から湧いてきた。
 なんだか叫び出したい気分だ。嬉しくて満たされて幸せで、飛び跳ね回りたかった。
 ユリウスが初めてレイニーを求めてくれた気がした。今までもそんなことはあったのかもしれないが、こんな、全身で乞うように求められたのは初めてだった。
 胸が熱くなって、じわりと目頭も熱くなる。そう、自分はきっと、彼に求められることを渇望していた。後ろ向きの考えで遠慮ばかりするユリウスに手を伸ばされてみたかったし、彼が望むことをしてあげたかった。
 今、彼はレイニーを欲しがっている。ならば、いくらでも、可能な限り与えるだけだ。彼が心から満たされるまで。
 自身も腕をその背中に回す。こうするととても広いことに気づいた。男の人だな、と当たり前のことを感じる。ギュッと負けじと腕に力を込めて抱きつくと、包み込んでくれている体がヒクリと動いた。
「私もです」
 レイニーはこの気持ちが伝わるように、と音を紡ぐ。魔力が乗せられているという自分の声が、この人に深く届くようにと願った。
「私も、ユリウス様だけがいいです。大好きですよ」
 身分差や、自分に侯爵夫人が務まるのかどうかはこの際置いておくことにする。ここで応えなければ女がすたる。ユリウスに応えることが、レイニーにとっていちばん大事なことだった。
 一拍置いたあと、今まで以上に強く抱き締められた。ぶっちゃけ痛いが我慢する。なんだかこの痛みもくすぐったかった。彼が女性慣れをしていないという証のようで。女性を抱き締める力の強さを掴めていないのだろう。
 その状態でユリウスは沈黙していた。レイニーは抱き返すことに疲れ始め、少し力を抜いてその背中を撫でた。

 どれほどの時間が経っただろうか。締めつけていた腕の力がゆるみ、僅かに彼が身を離した。体にじんわりと血が流れ込み、少々痺れている感覚がある。それが彼の想いの強さのようでフフと笑いが漏れてしまった。
 視線を上げると、間近で目が合う。ユリウスは見たことのない顔をしていた。少し潤んだように見える目の中で赤が揺らいでいる。ぼんやりとしているような幼気さがあった。うっすらと目尻や頬が紅潮し、どこか無垢な少年のようだ。
 レイニーはそんなユリウスを直視し、頭がクラクラした。色気がすごい。妖艶さというより、清純な人間が堕ちてしまった感じというか、罪悪感を覚えてしまう色気である。
 彼の手が動き、膝の上に戻っていたレイニーの手をとった。今度はその手がギュッと握り締められる。
「……君と結婚したい」
 直球でプロポーズされ、ゴクリと喉が鳴ってしまったが、なんとか頷いた。
「はい、私でよければ、お願いします」
 そう答えたのに信じられないのか、顔と握った手に何度もチラチラと視線を行き来させるので苦笑した。
「本当ですよ。私もユリウス様と結婚したいです」
 キッパリ言うと、彼の綺麗な形をした唇がキュッと閉じた。赤い目がキラリと光ったように見え、無垢さが残っていた顔が真剣な表情に引き締まった。覚悟を決めた顔に見える。
「誰に反対されても君と結婚する。何に代えても君を守ると誓う」
「はい、私も頑張りますから」
 しかし、そんなにも二人の結婚は難易度が高いのだろうか。反対するとしたらガーランド一族だとは思うが、筆頭のベルモンドは最初に「ふさわしくないが、他に相手がいないなら許す」というようなことを言っている。
 今のところ、他の女性と子供を作れる雰囲気はない。まあ、レイニーと最後までできるかというのもまだ確かめていないわけだが。
 試してみます? と言ってみようかな、と悩んでいると、手をとったままユリウスが立ち上がった。つられてレイニーも立つ。
「祖父に伝えようと思う。君と結婚すると」
 真剣な顔のままそう言われ驚いた。思い立ったが吉日、ということだろうか。あまりの急展開に一瞬怖じ気づいたが、了承するように手を強く握り返す。
「はい!」
 その方がいいような気がした。ユリウスの性格的にも時間を置くといろいろと悪いことを考えてしまいそうだし、レイニーもできることは早めにしたい性格だ。いつ報告しようか毎日ハラハラするよりも、この勢いで突撃した方が気は楽かもしれない。
 今日のベルモンドは屋敷にいると聞いているし、まだ夕食前だ。今なら時間もとれるだろう。
 二人は手をとり合ったまま、部屋を出た。誰かに見られると恥ずかしいが、緊張しているのか彼が手を離さなかったので、水を差すのも悪い気がしてそのままにする。
 侯爵は屋敷にいるときはほぼ執務室に常駐している。迷いなく歩く彼についていき、とうとう厳つい扉の前に到着してしまった。
「おじい様、よろしいでしょうか」
 さすがに手を離したユリウスが、扉を静かに叩いた。低い声の応えがあったので、中に入る。執務机にはベルモンドが座っており、隣に書類の束を持ったジョセフが立っていた。
 こちらと主の方をサッと見比べたジョセフは何も言わず、頭だけ下げて速やかに退室した。できる人だ、とその背中を見送る。
「おじい様、お話があります」
 三人だけになった部屋で、ユリウスが口火を切った。ジロリと燃えるような赤い目が突き刺さるが、レイニーは背をピンと伸ばし、想いが通じ合ったばかりの彼に、とりあえずすべてを任せることにした。
「私はレイニー・ヴァーノ子爵令嬢と結婚します」
 ユリウスが強い口調で言い切った。おお、と内心で拍手を送る。もちろん、顔は真面目な表情を保ったままだ。
「彼女にも承諾をいただきました。当主のおじい様にも許可をいただきたい」
「体は治ったのか」
「……まだ完全ではありませんが、私は彼女以外と結婚したくはないのです」
 少し声が迷う。二人はそういう意味ではいまだ結ばれていないので、完全に治ったとは言い切れないからだろう。多分なんとかなるとレイニーは楽観視しているが。
「子ができたら結婚を許そう」
 ベルモンドが淡々と言ったので、え? と頭の中に疑問符が湧いた。子供ができたら結婚。なんだか順番がおかしい。
「そのご令嬢としかお前が関係を作れないといっても、子ができなければ意味がない。どうせ子ができないのなら、もっと当家にふさわしい女と縁を結ぶべきだ。だが、後継問題が最優先だからな。子ができるなら、結婚は認める」
 淡々と詳細を語られ、なるほど……とレイニーはショックを受けたりする前に納得していた。確かに侯爵の考えも分からないことはない。自身より優秀な貴族女性は山ほどいる。貴族は――特に昔ながらの貴族は政略結婚が常識だ。ベルモンドからすると、家に益が何もない恋愛結婚など鼻で笑いたいのだろう。
 ユリウスが好意を寄せてくれるからという理由以外で、ヴァーノ子爵家のレイニーがガーランドに益を示せるとしたら、やはり子供しかない。そしてそれは、侯爵にとってもあまりにも強大な益となる。
 でも、子供ができてから結婚となると、外聞的に大丈夫かな? とそちらの心配をしていると、一歩前にいたユリウスの背中が強張り、手が強く握り締められたのが見えた。
「それは、彼女に子供ができない限り、許さないということですか」
「だからそう言っている。婚約は結べ。だが、子ができそうになければ解消してもらう」
「おじい様!」
 ユリウスは鋭い怒りの声を出した。後ろから見ていても、彼がひどく怒りを覚えているのが分かった。ハラハラしながら展開を見守る。
「そんな――彼女にそんなひどい仕打ちなどできません! 婚約して、子を作るようなことを私として、それで子ができなかったら解消など、非人道にも過ぎるではないですか!」
「だったらなんだ。ご令嬢のことは諦めるか? 子を孕みさえすれば、すぐに結婚しろ。準備や周囲への言い訳など私がなんとでもする。少々の月齢の狂いは誤魔化せる。結婚してすぐ妊娠したことにすればいい」
 その辺りは考えてくれるんだな、とホッとした。侯爵家次期当主の結婚がそんなバタバタでいいのかという気もするが、ベルモンドがなんとかしてくれるのだろう。権力に関してはなんの疑いもない。
 本当は自分も怒らないといけないところなのかもしれないが、レイニーはその条件でいいかな、と思った。結婚しても子供ができなかった場合、ガーランド一族の中ではかなり肩身の狭い思いをすることになるだろう。そう考えると、むしろ憂いなく結婚できる気がする。
 たとえ妊娠したとしても、無事に子が生まれるかどうかは神頼みになるが、妊娠の事実だけで、ベルモンドは納得してくれるようだ。
 その条件を内心で受け入れたレイニーとは違い、ユリウスは許せないようだった。自分のために怒ってくれているのが分かるので面映ゆく思うが、あまり大喧嘩しないで欲しいという気持ちもある。既に義父と夫の間で板挟みになる新妻の気分だ。
「そんなにも直系の子がすべてですか? 後継など、養子をとればいいだけではないですか! そんな家は山ほどあります!」
 それはそうである。レイニーもその意見には頷く。しかし、ベルモンドは頷けなかったようだ。今まではどちらかというと静かに対応していたが、一気に顔に血が上ったのが分かった。ああ、祖父と孫の戦いが再び始まってしまう、と遠い目になる。
「他の家はどうでもいい! 我がガーランドは八百年、直系の人間で当主を繋げてきた! 私はそれを守る義務がある! 養子など最終手段だ! 子さえできれば結婚は許すと言っているだろうが! 黙って今すぐ作ってこい!」
 ビリビリと空気を震わす怒声に身を竦め、レイニーは神妙な表情は保ったまま、噴き出しかけた。そんな、お手軽料理みたいに言われても。
 自身もかなりこの家に慣れたようで、直接ぶつけられない怒声ぐらいなら聞き流せるようになっている。
「八百年がなんだというのですか! 歴史はいずれ途切れるものです! そんなものより、今生きている人間の方が大事でしょう!」
 まあ、それもそうだ。伝統を守るために今の人間が不幸になる――ユリウスが望まない結婚をし、生涯心を閉じて生きるのは見たくない。
「伝統より自分たちの方が大事だと!? 自惚れるな!」
 そこで、特大の雷が落ちた。ベルモンドは目を爛々とさせ、これ以上ないほど険しい顔で孫を睨んでいる。無意識にレイニーの足が一歩横に外れ、その視界から逃れようとしてしまった。
「若造はいつもそれだ! 変わることがいいことだと思い上がっている! 八百年だぞ、八百年! 八百年、ガーランドの者たちが守ってきた! その中にはお前みたいな奴もいただろう! それでも守ってきたんだ! そんな簡単に投げ出せるものか! そんな簡単に……っ」
 立ち上がって怒鳴るベルモンドの、執務机に置かれた手が震えている。
「私は己のやれることをやる。ガーランドにとって最善の策をとるだけだ。お前やご令嬢の気持ちなど考えておれん。それが気に入らないなら、私が死ぬまで待つことだ」
 侯爵は机の上で両拳を握り、押し殺した声で一言一句噛み。そうしていると本当に彫像みたいだ。
 場は痛いほどの沈黙に包まれていたが、レイニーは勇気を出した。
「あ、えっと、はい! 子供頑張って作りますね! そうしたら結婚してもいいんですよね?」
 少々引き攣りながらも満面の笑みを張りつけ、ユリウスの腕を掴む。俯いて机を睨んでいたベルモンドは緩慢に顔を上げ、どこか呆けたように「そうだ……」と応じた。
「作ります、いっぱい作りますね! 楽しみにしていてください! 早速今から作ってきます!」
 掴んだ腕を引っ張ると抵抗しなかったので、そのまま一緒に退室することにした。
「では、失礼しました!」
 扉を閉める直前、力が抜けたように侯爵が椅子にドンと座るのが見えた。

 *

 廊下に出たレイニーは掴んだ腕を離してするりと撫で下ろし、そのまま手を繋いだ。そして見上げる。赤い目が色を暗くしている。
「……すまない」
「子供ができたら許すって言ってくれたじゃないですか」
「……祖父が……君にあまりにも失礼な言動を……すまない……」
 思い詰めた表情に、レイニーは小さく苦笑いを浮かべた。彼には言わないけれど、ベルモンドの気持ちも理解できるのだ。
 もちろんユリウスの気持ちも分かるし、こちらへの思いやりもとても嬉しいが、どちらかといえば侯爵寄りかもしれない。伝統を守るか、変革かと問われたら、レイニーは前者を選ぶだろう。今まで積み重ねられた先人たちの努力を、自身の手で無にすることを恐れてしまう。
 それを断ち切るには大きな勇気がいる。自身にその勇気はない。誰かが苦しみ抜いて守ってきたかもしれない伝統だ。少なくとも、自分のためには決断できなかった。でも、愛する人が幸せになるためなら断ち切る勇気も出るかもしれない。そう考えると愛とは偉大だ。
 しかし、その前にレイニーだって全力を尽くしたい。
 侯爵の言った言葉がすべてだと思う。簡単には、そうはできないのだ。だから、やれることはしてみよう。
 ユリウスの腕をクイクイと引っ張って、いたずらっぽく笑ってみせた。
「ベルモンド様に言ったこと、本気ですよ」
 思い詰めた表情をやっと少しゆるめた彼に向かって背伸びをし、ソッと耳元で囁く。
「今すぐ、作りませんか」
 今度こそ、ユリウスの表情がほどけた。首筋が赤くなっている。「いや、だが」と目を泳がせる姿に笑いが湧き上がり、甘えるようにまた腕を引っ張った。
「討伐から帰ってくる前からそう思っていたんですから。触れ合いたいって」
 もう恥ずかしげなく口にして、歩き出した。繋いだ手のひらがじんわりと熱くなり、汗を感じるほどだった。どちらの体温のせいかは分からない。執務室に向かうときは緊張で冷たかったように思うので、現金な体が面白かった。
 彼の部屋に戻る。その間、会話はなかったが、汗ばむ手だけで十分伝わるものがあった。
 室内に入ると隣を見上げる。レイニーはいつもここまでしか足を踏み入れたことがない。奥にあるのは寝室のはずだ。宣言どおりの行為をするなら寝室がいい。
「……後悔しないか?」
「しないですよ。ユリウス様より、私の方が望んでいますから」
「……それはありえない」
 真顔で断言されて、そうなの? と嬉しくなる。彼の方がそんなにもレイニーを望んでくれているのだろうか。
 覚悟を決めたのか、今度はユリウスに連れられて奥へと歩き出した。

 湯浴みをしていて本当によかった、と自身の判断を褒め称えながら、自室にあるものよりも大きいベッドにエスコートされる。
 今までの治療と違って新しい段階に入ったので、手順が分からない。何から始めたらいいのだろう、と内心まごつきながらも、後戻りができないように、えいやっと身につけていた室内ドレスに手をかけた。一緒にベッドに上がったユリウスは狼狽えていたが、黙々と肌を露わにさせていく。躊躇いつつ、下着も取り去った。上半身がむき出しになる。
 小さな息が聞こえ、視線を上げると、彼がこちらを凝視していた。その赤い目は普段より熱がこもっているように見える。彼の目を奪えたことに、体がカッと熱くなった。生足は「ないよりマシ」と言われたが、どうやら体はもう少し価値を感じてもらえたようだ。
 熱い視線を浴びながら、ソロソロとすべてを晒け出していく。ドレスから体を抜き、最後の下着にも手をかける。チラッと様子を窺うと、彼の目尻は赤くなり、喉がゴクリと動いた。
 そして一糸まとわぬ姿になると、羞恥を押し殺し、正面から体を向けた。
「……欲しがってくれているんですよね?」
 ゆっくりと長い腕が伸びてくる。彼が腰を浮かせ、素肌のレイニーに覆いかぶさるようにして抱き締めてきた。そうしてベッドに横たわる。頬を大きな手で包まれたので、促されるまま顔を上げると、熱で潤んだ目が縋るように見つめていた。
「……君が欲しい」
「私も欲しいです……ください」


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