書籍詳細

好きな人との幸せなエンディングは姉に壊されました 私のことはお構いなく、姉とどうぞお幸せに
ISBNコード | 978-4-86669-805-2 |
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定価 | 1,430円(税込) |
発売日 | 2025/09/30 |
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内容紹介
立ち読み
「何かあんた、今日はやけに機嫌がいいな」
「ふふふ、分かる? 気になっちゃう?」
ペリューシアが、聞いてほしくて仕方ないという感情丸出しの表情で尋ねれば、ネロはその気持ちを理解した上で突っぱねる。
「全然気にならないし教えてほしくもないな」
「んもう。少しくらい興味を持ってくれたっていいじゃない」
旧校舎の開放廊下に賑やかな男女の声が響き渡る。ペリューシアとネロはベンチに並んで座り、今日も仲良く小競り合いをしていた。
先ほどセドリックにクッキーを頼まれてからというもの、嬉しさのあまり必死に堪えていなければ頬がだらしなく緩んでしまいそうになる。しまいそうになる……というより、正しくはすでに緩んでいる、だ。
頬に手を添えながら、恋する乙女らしくうっとりと目を細める。
「セドリック様にね、クッキーを作ってほしいと頼まれたの。もう二度とお話しすることもできないだろうと思っていたから、こうしてお役に立てることが嬉しくって」
「…………」
すると彼は一瞬、微妙な顔をする。しかしすぐに、いつもの軽い調子で言う。
「ふうん。そいつはよかったな。でもなんでクッキーなんだ?」
「それは……分からないわ。以前はよく作って差し上げていたけれど」
「入れ替わる前、ねぇ……」
ネロは顎に手を当て、思案する仕草を見せた。
「ああそうだ、材料を買いに行かないと。ネロ、今週末は予定ある?」
「ないけど」
「良かったら買い物に付き合ってくれない? 引っ越したばかりだし、沢山買いたいものがあるの」
「それ、俺を荷物持ちにしようとしてるだろ。面倒臭い」
「いいじゃないお願いよ。ひとりじゃ寂しいの。ね、お願い……!」
身体を乗っ取られた現在のペリューシアには、買い物に付き合ってくれる侍女も友人もいない。今までずっと、外出の際には付き人を連れていた。家を追い出された今、頼りになるのはネロだけだ。
ペリューシアがネロの両肩を掴んで揺すぶると、彼は煩わしげに言った。
「しつこい! ああもう分かったから! 揺らすな」
「本当に!? ありがとう、楽しみにしてるわ」
そのとき、彼の唇の端にソースがついているのが目に留まった。
(ふふ、ネロったら子どもみたい)
今日のお昼のメニューは、時間をかけて煮込んだ牛肉、パン、サラダだ。ペリューシアの膝には、すっかり空になったお弁当箱が載っている。彼の唇についているのは、肉料理のソースだろう。
「ネロ、付いてるわよ」
「!」
「世話が焼けるわね」
おもむろに手を伸ばして、親指の腹で汚れを拭い取ってやると、彼は赤い目を大きく見開き、ばっと勢いよく身を引いた。
「や、やめろ! ガキ扱いすんな」
瞳だけではなく、頬や耳まで赤く染まっているのを見て、ペリューシアはくふくふと気の抜けた笑い方をする。生意気な彼の年相応な一面が、微笑ましく思えたのだ。
「ふふ。顔、赤いわよ。かわいい」
「……うるせー」
ネロはフードを引いてより深く被り、ふいと顔を背けた。
ペリューシアは、お弁当以外に持ってきていた歴史の授業の教科書を開いた。すると、しばらくそっぽを向いて顔の熱を冷ましたネロが、こちらの手元を覗く。
「歴史の本か?」
「次の授業の予習よ。王室の歴史について学ぶの」
「王室、ね……。そこの文章、間違ってるぜ」
「え……?」
ネロは教科書の一行をつんと指差す。
「『偉大なリングレスト王家の王族たちによって、国家は平和的に運営され、ウィルム王国には繁栄と安定がもたらされた』……これのどこが間違っているというの?」
ネロは足を組み、頬杖をついて冷笑混じりに言う。
「何が平和的に、だ。王家は自分たちの王権を維持するために、敵になりうる存在を次々に排除し、ほとばしる血を浴びてきた。今だってそうだ。隠蔽工作、収賄、殺人……王家の繁栄の裏にはおびただしい犯罪の闇が隠れて……」
赤い瞳に、憎しみのような鋭い何かが宿ったそのとき、ネロは我に返ったように小さく息を吐く。
「まぁ、若いお嬢さんたちが読む教科書にそんなことは、書けないだろうけどな」
「…………」
彼が古代魔道具の回収をしているのは、国王の命令だと言っていた。王室の暗い部分も間近で見てきたような口ぶりだが、普通の人は王族に近づくことすらできないはず。
「あなたは王室と一体……どんな関係なの? 何か王家にひどいことをされたの?」
ペリューシアは心配げに眉を寄せる。
すると彼は、どこか憂いを帯びた表情で呟いた。
「俺は王室の犬だ。危険な古代魔道具の回収をやらせるのも、俺がただの使い捨ての消耗品に過ぎないからだ。もっと言えば、トカゲの尻尾みたいなもんさ。替えならいくらでもいる」
「ネロ……」
「王室の人間だけじゃない。今まで出会ってきた奴らは全員、俺のことを気味悪がって、虫けらみたいに扱ってきた」
ネロは赤い瞳を人に見せないように、いつもフードを深く被っている。学園の敷地内で他の生徒に目を見られれば、ひそひそと悪口を言われた。
『おいあれ、赤い目だ』
『魔の象徴よ。気味が悪いわ』
ネロは奇異の目を向けられることに慣れているのか、何を言われても平然としていた。むしろ、ペリューシアの方が、その度に胸を痛めていた。
(どうして目の色が違うだけで、心無いことを言われなくてはならないのかしら。ネロは普通のどこにでもいる男の子なのに)
しかし、この旧校舎に人は滅多に来ないため、人目を気にせず素顔を晒すことができる。ネロと過ごすとき、ペリューシアは彼が差別されていることへの胸の痛みはそっとしまい込み、気丈に振る舞うようにしている。
「この目を見たら奴らは言うんだ。『お前は生まれてくるべきじゃなかった』ってね」
自嘲気味に呟き、長いまつ毛が伸びた瞼にそっと触れる彼。それまで大人しく彼の話に耳を傾けていたペリューシアは、勢いよく立ち上がって、声を上げた。
「そんなことない!」
旧校舎の開放廊下に声が響き渡り、膝に載っていたバスケットが、ころんと地面に転がった。
「ネロが生まれてくるべきじゃなかったなんて……そんなこと絶対に思わないわ……!」
普段は穏やかなペリューシアが、すごい剣幕で訴えるので、ネロは呆気に取られる。
「あんた、何をムキになって――」
「わたくしはあなたのことが好きよ。こうしてお友達になれて、一緒にご飯が食べられて、すごく毎日楽しいの。それに……」
それに、彼が現れてくれなければ、ペリューシアはひとりぼっちのままだっただろう。彼がいなければ、入れ替わりの理由に気づくこともできず、途方に暮れていたはず。
誰にも辛さを打ち明けられずに孤独に過ごしていたころの記憶が蘇り、鼻の奥が痛くなってくる。
「ネロだけが……お姉様の身体の中にいるわたくしに気づいてくれた。あなたはわたくしにとってすごく大切な存在なの。だから、自分を卑下しないで……」
「……」
「これだけは言えるわ。わたくしは――あなたの味方よ」
悲しげな表情を浮かべるペリューシアを見て、彼は困ったように眉尻を下げる。
「……俺はあんたの友達になった覚えはないけど」
「あら……違う? 一緒にご飯を食べたら、もうお友達よ」
「あんたの頭ん中はお花畑だな」
「まぁ。お花だなんて、綺麗で素敵じゃない」
どこまでも脳天気なペリューシアでは張り合いがないと思ったのか、彼は観念して肩を竦めた。
「さっきのは訂正する。俺のことを気味悪がったり差別したりしない変わった奴も時々いるらしい」
「ええ」
ペリューシアは柔らかく微笑み、力強く頷いた。彼は地面に転がったバスケットを拾い上げ、付いたほこりを手で払いながら、寂しそうに目を細めて言う。
「…………俺は、セドリックとかいう男が羨ましいよ」
「え……?」
「なんでもない。そうだ、入れ替え天秤の回収は、偽物のあんたの誕生日パーティーの日に決行する」
ラウリーン公爵邸に行ってみたネロは、魔力の気配を確かに感知したのだという。恐らくそれは入れ替え天秤のものだろう。
ロレッタも馬鹿ではないため、常に警戒しながら魔道具を保管しているはず。……ということで、大勢の客人が招かれる誕生日パーティーに紛れて回収をするという計画だった。そのパーティーの主役はペリューシアのふりをしたロレッタであり、少なからず隙が生まれるだろうと見込んでいた。
◇◇◇
週末、ペリューシアとネロは約束通り、街へ買い物に出かけた。ペリューシアが待ち合わせ場所に指定していた噴水広場に着くと、すでにネロが到着していた。彼はいつものローブを着て、フードで顔を隠している。
「ネーロ! お待たせ」
「遅い。三分の遅刻だ」
「厳しい……」
会って早々、叱られてしまった。しかし、買い物に付き合ってほしいと頼んだときにはあんなに嫌がっていたのに、ちゃんと来てくれるとは意外と律儀だ。誘っておきながら待たせてしまったいたたまれなさに、少し顔を赤くしつつも笑いかける。
「本当に来てくれるなんて、意外と律儀なのね」
そう言葉にすると、ネロはつんとした表情で答える。
「……別に。来ないとあんたがうるさそうだったから」
「またまた。本当は楽しみにしていたんじゃない?」
「違う。あんまり鬱陶しいこと言うと帰るぞ。ほら、行くぜ。買い物なんてさっさと済ましてもらうからな」
「はーい」
ちょっとした小競り合いをしたあと、ふたりは街道を歩き始めた。街道には大勢の人々が行き交っている。道の脇には様々な店が軒を連ねていて、ところどころに並ぶ屋台から、食べ物の匂いがしてきた。
(わあ……美味しそうな匂い。お肉を焼いてるんだわ。どこの屋台かしら)
すんすんと鼻を鳴らして匂いを嗅ぎながら、屋台の場所を探る。
「ねぇネロ、この匂いってどこから――きゃっ」
前を歩いていたネロに尋ねようとした瞬間、通行人にぶつかって身体にどんっという衝撃が走り、よろめく。しかし、ペリューシアが倒れる前に、ネロがペリューシアの腰を抱き留めた。彼は片手でいともたやすくペリューシアの体重を支え、顔を覗き込みながら言う。
「ったく、危ないだろ。ちゃんと前見て歩け」
「ごめん……なさい」
ネロの赤い双眸に射貫かれた瞬間、注意されているのに、なぜか心臓が弾けた。
(やっぱり、いつ見ても綺麗)
彼自身は、差別の対象である赤い目を嫌っているようだが、どうしたら好きになってくれるだろうか。ガーネットのように煌めく瞳は素敵で、ペリューシアを魅了するのに、この色のせいで彼が苦悩しなければならないのが、とてももどかしく思えた。
一瞬彼の瞳に見入ったあと、瞳だけではなく顔全体が赤く色づいていることに気づいた。それに少し、呼吸が荒いような。
違和感を抱いた直後、ネロはそっとペリューシアの身体を起こし、また歩き出した。今度はペリューシアが人にぶつからないように、自分の身体を盾にして守ってくれた。その優しさに、心に温かいものが広がっていく。
「すごくいい匂いがするわ。ネロ、お腹空かない? 何か屋台で食べて行きましょうよ」
「着いたばっかなのに、もう腹が空いたのか? 朝食を食べてないのか?」
「もちろん食べてきたわ」
「ふ。食いしん坊だな」
「育ち盛りと言ってちょうだい。甘い系にしようかしら。それとも、しょっぱい系か……」
色々な食べ物の店が並んでいるので、つい目移りしてしまう。
甘いものとしょっぱいもの、どちらにしようかと散々悩んだ末、結局どちらも買うことにした。最初に選んだのは、牛肉のパイ包み。紙のお皿に載せられていて、フォークで切って食べた。甘めのパイ生地はサクサクしていて、中の肉は少し筋があるが、しっかりとした食べ応えがある。ソースにはきのこと玉ねぎ、にんにく、香辛料が使われており、その複雑な味わいが舌によく馴染んだ。
続いて買ったのはワッフル。ふたつのワッフルの間に、生クリームとブルーベリー、いちごが挟んである。生地は程よい甘さで、しっとりしており、食べていると幸せな気分になった。
「ネロもひと口いかが?」
紙に包まれたワッフルを差し出すと、ネロは少し驚いた表情を浮かべながら、そのままかぶりついた。
「ん……美味い」
「ふふ、でしょう?」
ペリューシアがふわりと笑みを浮かべると、彼はじっとこちらを見つめてから、気恥ずかしげに目を逸らした。するとそのとき、道端に泣いている男の子の姿を発見した。近くに親の姿はなく、少年はきょろきょろと辺りを見渡しては、涙を零している。年齢は五歳か六歳くらいだろうか。
(もしかして、迷子かしら……)
「これ、少し預かっていてくださる?」
「おいあんた、どこ行く気――」
困っている子どもを放っておくわけにもいかず、ペリューシアは食べかけのワッフルをネロに預け、彼の元に駆け寄った。視線を合わせるようにしゃがみ、声をかける。
「何かお困り事?」
「……ママとはぐれた」
「まぁまぁ、それは大変だったわね」
予想していた通り、やはりこの子は迷子らしい。話を聞くと、彼の名前はルイで、母親と買い物に来ていたところだったらしい。ペリューシアは、あとからやって来たネロにも状況を話す。
「どうにかお母さんを探してあげられないかしら」
「全く、お人好しだな。……少し歩いたところにガードハウスがあるから、ひとまずそこに連れて行こう」
ガードハウスには、街の治安維持を行う警備員や兵士が滞在している。彼らは仕事のひとつとして、迷子の子どもを保護し、できるだけ早く家族の元に帰れるようサポートをしている。
「そうね」
ペリューシアとネロが話し合っていると、突然、ぐぅ、と下の方から音がした。
「ぐぅ?」
音がした方に視線を落とすと、ルイがお腹を両手で押さえながら気まずそうな顔をしていて。ペリューシアにお腹が鳴る音を聞かれた彼は、ペリューシアと目が合った瞬間にかあっと顔を紅潮させて俯いた。
「お腹、空いてるのね」
「……うん。それ、なんの匂い?」
ルイはネロが持っている包みが気になるようだ。ペリューシアは「ワッフルよ」と答えてから言った。
「これは食べかけだから、よかったら新しいのを買ってあげるわ」
「いいの!?」
その瞬間、少し前まで泣きべそをかいていた少年の表情が、ぱあっと明るくなった。母親とはぐれて不安がっていただろうから、笑顔になってくれて嬉しい。しかし少年の笑顔は、ネロのフードの中の瞳を見たことで曇ってしまう。
「赤い、目……っ」
ルイはペリューシアの服を小さな手できゅっと掴み、目を潤ませながら言った。
「ママが言ってたよ。赤い目の人は、怖い人だって。だから見かけても、絶対に近づいちゃだめだって」
「…………」
ネロは怖くなんてない。確かに態度は生意気だけれど、こうして今日もペリューシアの買い物に付き合ってくれていて、優しい人だ。赤い目をしているだけで、子どもからも警戒されるネロが不憫に思えた。
ルイはペリューシアにぴったりとくっついて、ネロから隠れようとする。その様子を見たネロは、フードを深く被り直しながら、静かに言った。
「俺は離れとくから」
「――待って」
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