書籍詳細

初恋の皇子様に嫁ぎましたが、彼は私を大嫌いなようです2 なんせ私は王国一の悪女ですから
ISBNコード | 978-4-86669-775-8 |
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定価 | 1,430円(税込) |
発売日 | 2025/07/29 |
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内容紹介
立ち読み
早速クラリッサはレベッカにロジーナを呼び出してもらった。人の少ない場所に呼び出す。
レベッカに呼ばれて行った場所にクラリッサがいたことに驚いたロジーナは、一歩足を引いた。
「こ、公爵夫人? 突然何ですの?」
ロジーナが抗議の声を上げる。クラリッサとロジーナはエルトル夫人のサロンでも揉めており、クラリッサを避けたい気持ちは分からなくもなかった。
クラリッサは気にせず、ロジーナの手を引く。
「な、何ですの!?」
「とにかくこちらへ」
イグナーツは人の気配に敏感だ。
クラリッサはロジーナの唇の前で人差し指を立て、早足で廊下を移動した。レベッカが用意してくれた邸の三階にある休憩室に入り、扉に鍵を掛ける。
ベランダへの扉を開けて、そこからの景色を確認した。
「……ここなら良さそうね」
真剣な顔で言うクラリッサに動揺したのか、ロジーナは眉を下げて困惑の表情を浮かべた。
「ねえ、何だっていうのですか? 私はただ、この茶会を楽しんでいただけで――」
「そうですわね。でも貴女は、マナー違反をしているわ」
「マナー?」
理解していない様子のロジーナに、クラリッサは丁寧に説明しようと口を開く。
「このクレオーメ帝国において、女性主体の茶会に招いても良いとされる男性は、夫と専属使用人だけのはず。とくに情夫は連れてきてはいけないのですよ」
「そんな決まりは……っ」
ロジーナが僅かに肩を揺らした。
「明文化はされていませんわ。でも、貴女は知っていたでしょう」
「でもそれは、過去に愚かな男がいたからでしょう? イグナーツ様は――」
婚約者ですらないただの恋人関係ならば、秘匿することだってある。
それがクレオーメ帝国の常識だ。
かつて恋人を利用して茶会に参加し、女性達に迷惑行為を繰り返した男性がいたためにできたマナーだ。本で読んだときには冗談かと思ったが、どうやら事実らしい。
そのマナーが浸透しすぎた結果、既婚の夫も余程の用事がなければ茶会には参加しなくなったという。
「違うと言えるのですか?」
どう考えても、イグナーツは茶会の客に相応しくない。
はっきりと言うクラリッサに、ロジーナは抵抗する。
「どういう意味……っ!」
「窓の外をご覧なさい。静かにね」
クラリッサの冷たい声に、ロジーナは素直に視線を窓に向けた。
窓の外は庭園の端、茶会中でも人目に付かないような場所だ。そこに、鮮やかなピンク色のドレスが見えた。
「あれは……」
「レベッカ様ですわ。一緒にいるのは、貴女が連れてきた恋人さんね」
レベッカとイグナーツが二人きりで、人の気配がない庭園にいる。その事実に、ロジーナはとても動揺しているようだ。
「ロジーナ様、どうしてこの邸に、イグナーツ様が来たがったのか、分かっていて?」
「わ、私のドレスを見たいからって」
「違いますわ。レベッカ様のバシュ公爵家は、この国……クレオーメ帝国の、軍事機密を扱っているのです。他国の貴族でしたら、喉から手が出るほど知りたい情報ですわね」
その事実を、全く考えなかったわけではないだろう。
分が悪いのか、ロジーナは威嚇するようにクラリッサを睨み付けた。
「そんなの、クラリッサ様の考えすぎではありませんか? だってイグナーツ様はアベリア王国の……そう、貴女の国の貴族ですわよね。友好国ではありませんか」
ロジーナの言い訳に、クラリッサはつい零れてしまいそうになる溜息を堪えた。
アベリア王国とクレオーメ帝国は友好国で、クラリッサは医療協力のために嫁いできた。
しかしアベリア王国の内情は、少し調べれば分かることである。アベリア王国の貴族だからといってむやみに信頼してはいけないということも。
ましてロジーナは伯爵令嬢なのだから、家庭教師から学んでいて当然のこと。
忘れてしまったのか、元々学ぶ意欲があまりなかったのかは分からないが、この状況で令嬢を放置する危険性を、ザイツ伯爵は理解していないのだろうか。
「もう少しお勉強をなさった方がよろしいわ」
庭園では、レベッカがイグナーツに迫られている。
大きな木に背を預けたレベッカにひやひやするが、周囲には護衛と使用人を忍ばせておくと言っていたから大丈夫だろう。
先程レベッカが立てた計画では、もう少しこのままのはずだ。
「本当は、ロジーナ様も気付いていらっしゃるのではなくて? 甘い台詞を囁かれながら、利用されているのではと思ったことは一度もなかったのかしら。……あの二人、ただ会話を楽しんでいるようには見えなかったでしょう」
クラリッサは強い言葉を続ける。
ロジーナは黙って聞いている。
ちらりと窓の外に目を向けると、レベッカがイグナーツの胸を押して、二人の間に距離ができたところだった。
これ以上見せることはないと、クラリッサは窓を閉める。
「レベッカ様は誘いには乗っていないようよ。良かったですわね、愛しい恋人を取られなくて」
クラリッサが悪ぶって言う。
悪役になることは慣れている。
ただロジーナがイグナーツに騙されたままでいないように、そしてクレオーメ帝国の機密情報が万が一にもベラドンナ王国に渡らないように。
クラリッサが考えているのはそれだけだ。
唇を噛んだロジーナが、俯いていた顔を上げた。
「騙された私を馬鹿にしているの!?」
頬を紅潮させ、潤んだ瞳でクラリッサを見つめるその表情に、胸が小さく痛む。
仕方がないのだ。
クラリッサが悪役で良い。
でも、これだけは伝えなければ。
「していませんわ。ただ、貴女はもっと現実を見た方が良いとお伝えしているだけ。……お父様にご迷惑をおかけする前に、ね」
「――……っ、失礼いたしますわ!」
ロジーナが怒りを隠しきれない様子で、淑女らしくなく大股に部屋を出て行こうとする。
クラリッサも扉の鍵を開けようと歩き出した。
その左足に、偶然だろう――勢いよく動くロジーナの足が当たる。
「あ――」
バランスを崩した靴が揺れ、クラリッサの身体が倒れていく。転ばないようにと右足に力を入れるが、うまく堪えきれずに目を閉じた。
ロジーナが驚いた様子で、クラリッサに手を伸ばした。
「危な……っ」
ロジーナの手がクラリッサに伸びる。
腕を掴んでくれようとしたらしいその手が、何も掴めずに残った。
斜めに倒れてしまった身体は、休憩室に敷き詰められていた絨毯のお陰であまり痛みはしなかった。
転んでしまったクラリッサに、ロジーナがおずおずと声をかけてくる。
「だ、大丈夫ですか?」
クラリッサは近くのテーブルに手をついて立ち上がった。
ロジーナだって、クラリッサを転ばせようとしたわけではない。不慮の事故だ。
だからこそ格好が付かなくて、クラリッサは苦笑いをすることしかできない。
「……ありがとうございます、ロジーナ様」
ロジーナも責められなかったことに安堵したのか、肩の力を抜いた。クラリッサが立ち上がったから、問題ないと考えたのだろう。
「お気を付けになってくださいませ。……今度こそ、失礼いたしますわね」
ロジーナが、棘の抜けた顔で部屋を出て行った。
転んだのは誤算だったが、ロジーナにとっては心を落ち着けるきっかけになったかもしれない。
残されたクラリッサは溜息を吐いて、ゆっくりと側のソファに腰かける。表情を崩さないように気を付けていたのに、一人になった途端に眉間に皺が寄った。
ドレスの裾を軽く持ち上げて、右足を確認する。
赤くなってきている足首に手で触れると、既に熱を持ち始めていた。
「ああ……失敗したわ」
折れてはいないだろう。
ただの捻挫だ。
レベッカやロジーナと絡んで怪我をするのは、これで二回目だ。今回はわざとではないが。
「目的は果たしたし、今日はもう帰りましょう……ああ、レベッカ様にお礼を言わなくては」
レベッカがイグナーツをはっきりと拒絶してくれて助かった。そうでなければ、クラリッサは一人で全て解決しなければならなかった。
改めて礼状と贈り物を贈らなければ。
右足首がさっきより熱い。
これ以上腫れる前に、邸に帰らなければ。
クラリッサは痛みを耐えて立ち上がり、できる限りの早足で休憩室を出た。
邸に着いたのはそれから三十分ほど経った頃だった。
転んだばかりのときよりも痛みが増してきている。表情を崩さずに歩くのでいっぱいいっぱいだ。
かなり思いきり捻ってしまったのだろう。
クラリッサは玄関のすぐ前で停めてもらった馬車から降りて、中に入った。
「おかえりなさいませ、奥様」
玄関ホールにいたエルマーが、クラリッサに声をかけてくる。
「ただいま。カーラはいるかしら」
「はい。奥様の帰宅をお知らせいたします」
エルマーに任せれば大丈夫だろう。
足首に縛っている靴の紐が食い込んできていた。
クラリッサは部屋に戻って早く靴を脱いでしまいたい一心で頷いて、二階への階段を上り始めた。
そのとき、玄関扉が開く音がした。
不快感のない一定の足音はラウレンツのものだ。帰ってきたのなら挨拶をしてから部屋に戻ろうと思い、クラリッサは階段の中腹で痛む足を止める。
しかしそこにいたのは、ラウレンツだけではなかった。
「――ラウレンツさまぁ。フリーダ、貴方のこともっと知りたいなぁー」
甘ったるい声がする。
鼻にかかったような声はわざとなのだろう。ラウレンツの腕に纏わり付くようにしたフリーダが、銀色の細身のドレスを着て赤い唇で笑っていた。
皇族でもあるラウレンツにこんなにも近しい距離で接しているのは、無知を装っているからか、それとも本当に無知だからか。
いずれにせよ、ラウレンツに勝手に触れているのが気に入らないし、クラリッサが侮られているようで腹が立つ。
この公爵邸は、クラリッサにとって数少ない自分だけの場所だ。
それなのに、どうしてアベリア王国から来たフリーダがここにいるのか。
クラリッサが伸び伸びと呼吸ができる、大切な場所なのに。
「もう帰ってくれないか。今日もイグナーツ殿は視察に行っているのだろう?」
「お兄様も今日は社交ですぅ」
「貴女のこれは社交ではないと思いますが」
「えー。でもフリーダ、公爵様のことすっごく素敵だなって思うからぁ」
ラウレンツは拒否の言葉を発しているのに、フリーダは少しも気にしていない。相手が国賓である以上、立場上はっきりと振り切ることもできないのだろう。
「貴女は、公爵邸の建築が見たいと言って来たのでしょう。外観だけと言うから陛下が許可を出されたのに、中まで入るとは聞いていませんよ」
「そんなこと、どうでもいいじゃないですかー」
クラリッサは唇を噛んで、踵を返した。
これ以上ラウレンツが他の女性と話しているところを見たくない。
足が痛い。
捻挫が酷くなったのだろうか。
それとも、痛いのは他の場所だろうか。
「……ラウレンツは拒否しているのに、変なの」
クラリッサは呟いて、痛む足で急いで自室へ向かった。
扉を開けて、見慣れた自分の部屋に着いた瞬間、力が抜ける。まっすぐに立っていられなくて、ソファにしなだれかかるようにして座った。
カーラが様子のおかしいクラリッサを見て駆け寄ってくる。
「どうされたのですか!?」
「ちょっと捻挫しちゃったみたいなの。私の薬草箱を出してちょうだい」
カーラはクラリッサの足にちらりと目を向けて、心配そうな、それでいてどこか呆れたような顔をする。
「あとは冷たい水と清潔な布……でしょうか」
「ええ、そうよ。よく覚えていたわね」
「こちらに来てから二度目ですから。すぐにご用意いたします」
今はもう、薬草箱を隠しておくようなことはしていない。そうしたところで、こんなにも薬草を触っていては言い訳にもならない。
なにより、ここには隠さなければならない人は一人もいないのだ。
「あ、カーラ。下にフリーダ様がいるから、気付かれないようにね」
「フリーダって、先日お話しされていたベラドンナの……なんでこの家に。ちっ、迷惑ですね」
カーラの声が途中から低くなった。
クラリッサはどうかしたのかと、首を傾げる。
「カーラ?」
呼びかけると、カーラはすぐに見慣れた微笑みを浮かべた。
「ああ、いえ。かしこまりました。すぐにお持ちしましょう」
カーラが急いで部屋を出て行った。
正直かなり痛いから、早く持ってきてくれるというのはありがたい。
クラリッサは息を吐いてソファに背中を預け、スカートの裾を捲った。今見られて困る人はいないから、怪我の状況を確認しておいた方が良いだろうと思ったのだ。
肘置きに背を預け、靴を脱いだ右足をソファの座面に上げる。
見るからに赤く腫れた足首に、クラリッサは顔を顰めた。
「よりによって今……っ」
ベラドンナ王国の諜報員である可能性が高いイグナーツとフリーダが来ているときに、こんな怪我をしてしまうなんて。後悔してもどうしようもない。
「少しでも早く治さないと」
呟いたとき、部屋の扉を軽く叩く音がした。
カーラが戻ってきたのだろうと、クラリッサはそのままの姿勢で入室の許可を出す。
「急にすまない。さっき様子がおかしかったから、もしかして怪我でもと……って、その足はどうしたの!?」
「きゃあっ」
クラリッサは咄嗟に捲っていたドレスの裾を落として、ソファの上で露出していた足を隠す。
「は、入るなら一言……」
「廊下でカーラに会って、水とタオルを持っているのを見たんだ。クラリッサ、怪我をしたんだね。一体どうして」
ラウレンツがソファの横に片膝をついて、クラリッサの顔を心配そうに覗き込んでくる。その青い瞳があまりにまっすぐにクラリッサを見つめていて、どきりと鼓動が跳ねた。
「少し失敗をしただけよ。大したことはないわ」
クラリッサが言うと、ラウレンツがドレスの上からおもむろにクラリッサの右足首を掴む。
「痛っ」
咄嗟に声を上げてしまったクラリッサは、その後のラウレンツの言葉を拒否できない。
「ちょっと見せて」
裾を持ち上げれば、赤く腫れた足首が当然のように露わになる。靴の紐が食い込んでいたほどで、その跡もしっかりと残っていた。
誰が見ても痛そうだ。
「『少し』ではないようだけど。どうして隠すの。私では頼りない?」
「そういうわけじゃないの! ただ――」
「ただ?」
問い詰めてくるのは珍しいが、その冷たい響きに混じる怒りがとてもかっこいい。――って、今はそれどころではない。
まさかフリーダと仲良くしていたから嫉妬したなどというくだらない理由を口にするわけにはいかない。
「ラウレンツに、心配をかけたくなくて」
これが一番大きい気持ちだった。
怪我をしたと聞いたら、ラウレンツは驚くだろう。
ただの茶会のはずがこんな怪我をするなんて、クラリッサも予想外だった。
「……隠したら、気付かないと思った?」
ラウレンツに聞かれて、クラリッサは素直に頷いた。
「前は、気付かれなかったから」
以前夜会で捻挫をしたとき、クラリッサの怪我にラウレンツは少しも気付かなかった。今も同じように誤魔化せると思った。
ラウレンツが悔しげに唇を噛む。
クラリッサはその表情の意味が分からなくて、首を傾げた。
「どうしたの?」
「過去の私に腹が立ってね」
ラウレンツが言う過去とは、クラリッサの怪我に気付かず放置したことだろう。
「いいえ。私は自分で治療できますから」
クラリッサは薬草学についてラウレンツよりも詳しい。自分の腕にも、自信があった。
だから動きが不自由になることを除けば、特に困ることもないのだが。
「……でも、痛いものは痛いだろう。医者を呼ぶから見てもらって」
「そんな! こんな怪我のためにわざわざ――」
「こんな怪我!? すごく腫れてるのに何を言ってるの」
「大したことないわ。ただの捻挫だもの」
心配されていることが擽ったい。
照れ隠しで強気に言うと、ラウレンツが溜息を吐いた。
「クラリッサの気持ちは分かった。……でも、私が心配だから医者は呼ぶよ。私のために、診察は受けてくれ」
そう言われてしまえば、クラリッサもこれ以上強情ではいられない。
おずおずと頷いて、僅かに俯く。
「分かったわ」
大切にされている。初めて出会った頃のラウレンツと、今目の前にいる彼が重なっていく。
確かにこれは、クラリッサが初めて恋に落ちた日のラウレンツだ。
ラウレンツが医者を呼ぶためにと部屋を出て行く。
残されたクラリッサは、頼んだ物を抱えてきたカーラを見て苦笑した。
「カーラ、布と水をちょうだい」
医師を呼ぶのなら、下手に治療をするよりも大人しく冷やしておいた方が良いだろう。
クラリッサはそう判断して、冷たい水に浸した布をそっと患部に触れさせた。熱くなった足首にひやりとした感触がして心地好い。
ラウレンツが気にしてくれたことが嬉しい。
優しいラウレンツを見ると、クラリッサは敵わない。
そんなことが、嬉しくて悔しい。
カーラが心が落ち着く香りのハーブティを淹れてくれる。
「こちら、クロエ様にいただきました茶葉でございます。よろしければお医者様がいらっしゃるまで、少しお休みになってください」
「ありがとう。クロエにもお礼状を出さないとね」
カップを傾けると、甘い花のような香りが広がった。
味は甘くないのに、香りとの違いがなんだか面白い。
クラリッサはそのまま、ハーブティを飲みながら医師の到着を待った。
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