書籍詳細

転生先はヒーローにヤリ捨てられる……はずだった没落モブ令嬢でした。1
ISBNコード | 978-4-86669-755-0 |
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定価 | 1,430円(税込) |
発売日 | 2025/03/27 |
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内容紹介
立ち読み
ソランジュは濡れた金髪をきゅっと絞ると、湯船から上がり体を拭いた。
こうしてたっぷりの温かい湯に浸かるのも、石鹼や香油を使うのも初めてだ。いつもは水を含ませた布で拭くしか許されなかった。
さすがに小汚いままで男には差し出せないからと、今日に限って入浴と洗面用具の使用を許されたのだ。こんな形で湯の心地よさを知りたくなかったと唇を噛み締める。
同時にいくら身を清めたところで、男が自分のように下働きしか能のない醜い女に、果たしてその気が起きるのかと首を傾げた。
ソランジュは奥方から使用人のくせに巻き毛で金髪なんて生意気だと叱責されている。
異母兄のジュリアンからは痩せっぽちのくせに、胸だけでかいなんて嫌らしい体つきだと蔑まれた。
異母姉のアドリエンヌからは目は大きすぎるのに、鼻や唇は小さいと詰られている。日中には外に出て働いているにもかかわらず、まったく日焼けしないのはおかしいとも。
奥方と異母兄姉たちが揃って文句を言いたくなるほど、目も当てられない容姿なのだろう。
「そうよ、私はこんなに醜いのに……」
金貨を積み上げてまで抱きたい女だとは思えない。落胆され、すぐに下がれと言い渡されるのではないか。
あの男を満足させられなかったとなれば、伯爵から役立たずだと叱責され、奥方からは折檻されるに違いない。幼い頃から仕事で失敗すると一晩中手や背を鞭で打たれるのだ。
いずれにしろ地獄なのだとわかれば諦めもつく。
ソランジュは伯爵から与えられた、胸の谷間も露わな寝間着に手を通した。
まさか見ず知らずの男に抱かれる日が来るとは。
我が身を見下ろしぽつりと呟く。
「……恋をしてみたかったな」
以前、アドリエンヌに飽きた本の処分を頼まれた際、どうせ捨てるならとうち一冊を引き取ったことがある。
それは心清らかな娘と気高い騎士が愛し合う小説だった。ありきたりな物語だったが、ソランジュにとっては唯一の心の慰めだった。
だが、今はあんな小説を知らなければよかったのにと悲しくなる。
誰かを愛し愛され、生涯をともにする――それはもはや永遠に手の届かない夢になっていたからだ。
「……寒い」
ぶるりと震える我が身を抱き締める。
もうしばらく体を温めたかったが、男との約束の時間が迫っている。寒さと恐れで小刻みに震える足取りで男の泊まる客間を目指した。
一瞬躊躇したのち恐る恐る扉を叩くと、感情のこもらない低い声で命じられる。
「入れ」
室内の灯りはランプだけだった。今夜は満月だと聞いているので、晴れていれば月明かりが差し込み、そんなものは必要なかっただろう。
ところが、夕方から降り始めた雨が、今は横殴りの強風が吹き荒んで嵐になっている。窓がガタガタと揺れて悪魔でも出そうな不吉な夜だ。
ソランジュは目を凝らし、ベッドに腰掛けた男を見つめた。傭兵なだけあって肩幅が広く二の腕は筋肉が盛り上がっている。ガウンの合わせ目から見え隠れする胸板は目を見張るほど厚かった。
「だ、旦那様よりお客様のお相手を申しつかりました。ソランジュと申します」
「……」
薄闇の中で男の黒い目が光る。
背筋がゾクリとした。
狼に睨まれたのかと思うほど男の眼光は鋭く、喰い殺されるのではないかと怯えたからだ。
「来い」
「……っ」
ソランジュは命じられるまま足を踏み出した。
恐ろしいのに男の声に逆らえない。有無を言わさぬ威圧感だった。
男はソランジュが目の前に立つと、腕を伸ばして細い手首を掴んだ。
「あっ……」
ソランジュの細い体は呆気なくバランスを崩した。そのままベッドに押し倒されてしまう。
男の荒々しく熱い息が頬にかかる。次の瞬間、窓の外から悪魔の唸り声にも似た音がしたかと思うと、カッと辺りが一瞬眩い閃光に照らし出された。
雷が落ちたのだと認識する間もなく、屋敷が衝撃で揺れる。
男は先ほどの閃光でソランジュの顔が認識できたらしい。
黒い目がわずかに見開かれ、薄い唇の端が上がった。
「これは……喰らい甲斐があるな」
一方、ソランジュは雷が苦手だったが、今は怖がるどころではなかった。目を丸くして自分を組み伏せる男を凝視する。思わず口をパクパクさせてしまった。
「あっ……あっ……あっ……」
「喘ぐにはまだ早いぞ」
生暖かい何かに口を塞がれてしまう。
「ん……んんんっ!」
ソランジュは唇を強引に奪われながら、心の中で「嘘!」と絶叫していた。
――この顔って、この顔って、この顔って間違いない。『黒狼戦記』のヒーローのアルフレッド王だ!
『黒狼戦記』は全五巻のハイファンタジー小説だ。中世ヨーロッパ風の剣と魔術の異世界を舞台としている。
この『黒狼戦記』は元々『白鹿の女王』というシリーズ作品のスピンオフで、『白鹿の女王』終了後、人気キャラだった敵国のアルフレッド王を主役としていた。
一応、ライトノベルのレーベルから出版されていたものの、小国の王女の成長を描いた『白鹿の女王』とは対照的に、戦記ものということもあって展開はダークかつシリアス。とにかく戦乱のエピソードが多かった。
なぜならアルフレッドは、『白鹿の女王』の主人公の――というよりは、アルフレッド以外のありとあらゆる登場人物にとっての敵役だったからだ。
アルフレッドは軍事大国エイエール王国の若き国王で、弱冠二十七歳で王国軍を率い、大陸西方のありとあらゆる国家を蹂躙していた。
総指揮官として優れているだけではない。漆黒の鎧を身に纏い、黒馬に跨り、みずから前線に立ち血に染まった剣を振るったのだ。敵国の名将を次々と討ち取るその姿はまさに一騎当千。
戦好きで恐れを知らず、勝利と利益のためならば、まともな人間なら目を背ける非道な手段を取るのも厭わない。おのれに向けられた復讐の刃をも跳ね返し、血に濡れた王道をどこまでも行く、徹底したダークヒーローだった。
ところが、混じり気のない漆黒の短髪と双眸、端整な美貌。何よりみずからの意思を貫く揺るぎない精神、そして壮絶な出生と生き様が多くの女性ファンを惹き付けた。
ソランジュの前世である、ブラック企業に入社し、二年目になる女もそうだった。
気弱な性格から毎日上司にネチネチといじめられ、サービス残業を押し付けられて疲れ切っていただけに、アルフレッドのような強い男に憧れたのだ。
毎夜就寝前に電子書籍を開いては、「私もアルフレッド様みたいだったらなあ。ちゃんと嫌なことは嫌って言えて、意地悪なんて跳ね返せたら……」などと溜め息を吐いていた。
そう、もっと強ければ過労で体調を崩し、インフルエンザを悪化させ、アパートの部屋で一人孤独死することもなかっただろう。
ちなみに、アルフレッドには長年のある習慣がある。戦を終えた後、あるいは満月の夜には必ず娼婦を買うのだ。
女性なら眉を顰めそうな習慣だが、その理由が徐々に明かされていくにつれ、読者はそうか、だからだったのかと認識を改めていくことになる。
なお、『黒狼戦記』第一巻第一章もそうしたシーンから始まっていた。戦争に勝利したアルフレッドは、人知れず軍隊を離れ、愛馬とともに当てもなく辺りを彷徨う。
折しもその夜は満月だった。
血が騒ぐのを覚えたアルフレッドは、通りすがりのしけた屋敷に一夜の宿を借りた。もちろん、名と身分は偽っている。そこで女を買って抱くことになるのだが――。
『今夜の女はまだあどけなさがあるので、女ではなく娘と言った方がいいのかもしれない』
いずれにせよ、娼婦でありさえすれば誰でもなんでもよかったと続いていた。
――そこまで思い出したところで、ソランジュはまさかと呟いた。
今夜の女と書かれていたのが自分のことなのか。
たった一行しか登場しない、名すらないモブ女に転生したとはと愕然とする。しかも、現在事の真っ最中だ。
「ん……ぅ……んんっ」
唇を強引に割り開かれたかと思うと、口内にぬるりと生暖かい何かが入り込む。歯茎をなぞられた感触で、それをアルフレッドの舌だと察した途端、肌がざわりと粟立った。
逃れようとして自分の舌を引くが一瞬遅く、アルフレッドの舌先が素早くソランジュのそれを捉え、無理矢理絡め取ってしまう。口内でぐちゅりと濡れた音が響いた。
「……っ」
呼吸ができずに息苦しい。
黄金色の目の端に涙が滲む。
前世では仕事ばかりで恋愛どころではなかった。今生でももちろん経験などあるはずがない。
時折異母兄のジュリアンに付き纏われ、胸や尻を触られることはあったが、痴漢やセクハラの被害は経験に入らないだろう。
それだけに荒々しい口付けに対応できず、ただ翻弄されるばかりだった。
ソランジュの苦しげな表情に気付いたのだろうか。不意にアルフレッドが唇を離す。
「……娼婦の割には慣れていないな」
黒い瞳が自分だけを見つめている。
ソランジュがその眼差しに射貫かれる間に、剣を握り続けた硬い指先が寝間着の胸元に掛けられた。
はっと息を呑む間に布地が縦に引き裂かれる。華奢な体にしては豊かな白い乳房がふるりとまろび出た。
「あっ……」
「初心な女のふりは好きではないが、まあいい」
「……っ」
ソランジュのわずかに開いた唇は、再び強引な口付けに遮られてしまった。
「ん……んっ!」
混乱して思わず身を捩るが、覆い被さる肉体は鋼のように強くしなやかで、女のか弱い抵抗程度ではびくともしない。
剥き出しになった乳房が胸板に押し潰され、乳首が柔らかな肉にめり込む感覚に全身がビクリと震える。
そのまま何事もなければ、わけもわからぬうちに抱かれていただろう。
ところが、次の瞬間再び一際大きな雷が落ち、屋敷が床下からぐらりと揺れた。その拍子に窓辺に置かれていたランプが落ちて横倒しになる。
あわや漏れ出た炎が絨毯に燃え移り、広がりそうになったところで、アルフレッドがギラリと目を光らせつつ体を起こした。
「……無粋な雷だな」
窓辺に立ち足でぐいと踏み潰す。炎はジジ……と呆気なく消えた。
時を同じくして嵐がたちまち弱まる。アルフレッドは天まで威圧できるのだろうか。
強風で雲が払われたらしく、一条の儚い月光が窓から差し込んでくる。その光がガウンに包まれた筋肉質の肉体をそっと照らし出した。
ソランジュはベッドに肘をつき、その広い背を呆然と見つめながら、ようやくこれは小説の出来事ではなく、我が身に起こっていることなのだと実感した。
あるいは、先ほど走馬灯のように脳裏に過った光景は、前世の記憶などではなく、過酷な現実に耐え切れず、ついに狂った末に見た幻覚なのかもしれない。
それでもよかった。
恐らくこれからはずっと伯爵に娼婦の真似事をさせられる。終わりの見えない地獄のような日々が待っている。
ならば初めてを捧げる人は、たとえ金で買われるのだとしても、憧れていたアルフレッドがよかった。
――きっとこれは神様のご慈悲なんだわ。
なんの力もない、ちっぽけな自分に与えられた唯一の幸運だ。
なら、この一夜で身も心もアルフレッドの色に染まりたかった。
アルフレッドはしばし窓の外の月を見上げていたが、やがて荒く熱い息を吐きながらソランジュを振り返った。
「女、お前は不運だったな。……今夜は満月だ」
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