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私を殺す予定の腹黒義弟に陥落させられそうです

日車メレ / 著
松山たいぺい / イラスト
ISBNコード 978-4-86669-750-5
定価 1,430円(税込)
発売日 2025/02/27

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内容紹介

「俺から離れようとするなんて、君には罰が必要なんだ」
悲惨な未来を回避したい残念武闘派令嬢は、完璧義弟の執着から抜け出せるのか!?
突然予知夢の力が覚醒した将軍家の令嬢アンジェリカ。最悪なことに、同い年の義弟ウォーレンに利用されたあげく斬り捨てられるという、悲惨すぎる夢を見てしまう。命には代えられないと、アンジェリカはウォーレンから離れるべく武闘派なりに画策。しかし彼の執着心に火をつけてしまい!?「俺を翻弄して……こんな悪女になるなんて」優しく品行方正なウォーレンの、初めて目にする劣情。しかも彼の甘い仕返しを受けると、なぜか身体が変になって……?
「もう二度と俺を疑わないでくれ。俺の愛がどれくらい深いか、君にはわかるはずだ」

立ち読み

 パーシヴァルが指定したのは、都の一等地にあるカフェの一室だ。時間は午後のティータイムとしては少し遅めの四時だった。
 二階部分にある個室を貸し切っているらしい。給仕の者に案内されて部屋の中に入ると、地味な装いのパーシヴァルがいた。
(やはり、変装に眼鏡は欠かせないのね。フフッ、気が合うじゃない)
 パーシヴァルは灰色のジャケットに眼鏡。アンジェリカも落ち着いたブルーグレーのデイドレスに眼鏡――図らずもお揃いになってしまう。
 ちなみにアンジェリカは念のためドレスの内側に小型のナイフや鈍器を縫いつけて持参していた。
「やあ、アンジェリカ殿。ようこそ」
「本日はお招きありがとうございます。王太子殿下と個人的にお茶の時間を過ごす機会をいただけるなんて、光栄ですわ」
 アンジェリカは心の中で臨戦態勢をとりながらも笑顔で挨拶をする。
「……そう、それは嬉しいね。とりあえず座って」
 パーシヴァルも前回同様、温和な印象を崩さない。
(確か……いきなり本題に入るのはスマートではないのよね。ここは主導権を握るためにも私のペースで会話を進めなきゃ)
 本当は、なんの用があって呼び出したのかを問いただしたくて仕方がないのだが、それだと余裕のなさが露見してしまう。
 普段のウォーレンやジェーンの言動を見習い、オスニエルがやりそうなことはしない。
 それが戦術というものだった。
「そういえば、私……小さな頃王妃様にお目にかかったことがあるんです。王宮で迷子になっていたら助けてくださって」
 共通の話題が思いつかず、咄嗟に出てきたのがデリア妃との思い出だ。
 たった一回会って、お菓子をもらった程度の関係だが、ほかに思いつかなかった。
「僕の母に会った!?」
 パーシヴァルの反応は、貴族の娘が王妃と面識があることに対する驚きとしては少々大げさに感じられる。
「はい。……どうかなさいましたか?」
「……いや、身体が弱い人で、限られた貴族としか交流していなかったと聞いていたものだから、驚いたんだ」
「きっと、迷子になった私が王族の方々専用のお庭に入ってしまったせいですね」
「なるほど。……母とはどんな話をしたんだい?」
「それが、お菓子を少々いただいたら眠たくなってしまい、あまりお話はできませんでした。……ですが、立ち入り禁止の場所に入ってしまったのにお咎めもございませんでしたし、なくしたピアスをわざわざ届けてくださったのです。大切なものでしたから感謝しております」
 正確にはピアスはなくしたのではなく、昼寝をしているアンジェリカの寝相が悪く耳たぶがちぎれてしまわないか心配したデリア妃が、両耳からはずして預かっていたということらしい。
 けれど返却時に丁寧な手紙とたくさんのお菓子が添えられていて、アンジェリカの中でのデリア妃は今でも「素敵な人」のままだ。
 よく考えれば時の王妃の生家を陥れたゴダード公爵の娘だから、アンジェリカの認識と実態が同じだったかはわからない。
 それでも幼い頃に抱いた印象は簡単には覆るものではないのだ。
 デリア妃とパーシヴァルは雰囲気がよく似ていた。
 母親が素敵な人だったから彼も善人であるなんてことはないのだが、将来敵になるとわかっていても本気で憎めないのはそのせいだ。
「ところでアンジェリカ殿。今日はどうして応じてくれたんだろうか?」
 彼の態度の不自然さが少々気になったが、本題に入ってしまったため、アンジェリカは身を引き締める。
「殿下がどんなご用件で私を誘ってくださったのか、ほんの少しだけ興味があったからです」
 ほんの少しだけというのはもちろん強がりだ。
(そう、こちらの望みや目的は多くを語らず……相手の言葉を引き出すの!)
 ウォーレンやチェルシーが一緒でなくても、アンジェリカは基本的な交渉がきちんとできる女だ。
 そのことに胸を張る。
「そうなんだ……なるほど。もちろん、ハイアット将軍家の麗しきアンジェリカ殿と親交を深めたいからに決まっているじゃないか」
「まあ、王太子殿下に興味を持っていただけるなんて予想外でしたわ」
 絶対に嘘だとわかっているが、とりあえず話を合わせておく。これもきっと、話術の一つだ。
「そういえば先日、ハイアット将軍家に賊が侵入したと聞いた。あなたや青薔薇の君が怪我をしていないだろうかと、少し心配したよ」
 手紙でもそうだったが、パーシヴァルはまた「青薔薇の君」という名称を使った。
(青薔薇の君が誰なのか……すっとぼけたほうがいいのかしら? それともわかっている前提で会話をしたほうがいいのかしら?)
 今日はウォーレンについての話があると予想したからこそ、アンジェリカはここにやってきた。
 にもかかわらずそれをわかっていないかのように振る舞うのは、心証が悪い気もする。一方最初から「青薔薇の君」の存在を当然のものとして扱うのも、足もとを見られる気がして不安だ。
(……どうしよう。なんだか面倒くさくなってきたわ!)
 少しでもウォーレンやハイアット将軍家の役に立つのならばと考えて、頭脳戦を制しようと頑張ってきたアンジェリカだが、やっぱり無理だったと悟る。
 パーシヴァルの腹の中が見えずに気持ち悪いし、思ったことを口にできない自分にもムカムカとした感情が込み上げてきた。
 アンジェリカの忍耐力は早くも限界を迎えそうだった。
「ご心配には及びません。……ハイアット将軍家の者が負けるはずはありませんから」
「すごい自信だね。それで、いったいどんな勢力に狙われたのか、見当はついているのかな?」
 少しおどけた態度にアンジェリカはついイラッとしてしまう。
 青薔薇のことを知っていたくらいなのだから、パーシヴァルは襲撃の理由を確実に把握している。
 あえて聞いてくるのだから、かなり性格が悪い。
「……そういうことは、父や義弟が報告書を上げているのではないでしょうか? 軍人ではない私にはわかりかねます」
 当然見当はついているが、オスニエルたちが正しく報告できるはずがない。そんなことをしたら大貴族に言いがかりをつけたとして、制裁の理由を与えてしまうだけだ。
「……君たちは襲撃の黒幕が僕の祖父だとわかっていて、けれど報告書には『不明』とか『調査中』と書くしかないんだろう?」
 パーシヴァルがついに決定的なひと言を口にした。
 どうせアンジェリカには本心を隠す演技力などない。それなら言いたいことを素直に述べたほうがいいだろう。
「知らないふりをなさっているのは、王太子殿下のほうです。私はそれに合わせようと思いましたの」
「それは失礼した」
「王太子殿下はどなたのお味方ですか?」
 静かに、できるだけ冷静にと心がけながらアンジェリカは問いかけた。
「誰の味方ならばいいと思う?」
「もちろんこちら側です」
 パーシヴァルが公爵の味方でなければいい。――そう考えるのは都合のいい望みだ。
 一方で、敵だと決めつけるにはパーシヴァルの行動が不自然な気もしていた。
「……君たちに味方をして、僕にはどんな利点があるというんだい?」
「そもそもハイアット将軍家には戦う理由がありません。十八年間沈黙を貫いてきたことで、戦意がなかったことは十分に証明できるのではないでしょうか?」
 内戦になれば必ず兵や民が犠牲になる。その人物は誰かの子であり、誰かの親かもしれないし誰かの恋人かもしれない。
 仇を討つために、他人の不幸を生み出すことへのためらいを、夢の中のウォーレンからは感じた。
「つまり、僕の地位を脅かさない……という意味だろうか?」
「本人の考えは、わかりません。王太子殿下がお望みならば……義弟との仲を取り持つ役目を私がいたします」
「それは無理だよ、アンジェリカ殿」
 パーシヴァルがフッと笑う。アンジェリカを小馬鹿にしたのだ。
 さすがにカチンときた。
「だったらなぜ、私を呼びつけて……対話をなさろうと思ったのですか?」
「対話のために呼び出しただなんて、いつ僕が言ったの? ……そうだな、例えばだけど……アンジェリカ殿を人質にするつもりだったとしたらどうする?」
 パーシヴァルの手が伸びてきて、アンジェリカの手首を掴む。
 細身でまだ完全な大人とは言えない彼だが、意外にも手の力は強かった。
(この方……もしかして強いの?)
 親しい男性――ウォーレンやオスニエル、門弟たちに比べてかなり細身だから、アンジェリカとしては物騒な事態になったときにパーシヴァルに負けるなんていう想定をしていなかった。
 けれど腕を掴んでいる指先は硬く、真面目に剣の鍛錬を欠かさない者のそれだった。
「無理ですよ。……だってここには戦士がいないもの」
 半分強がりではあるものの、余裕の表情を浮かべる。
 アンジェリカも剣をたしなむ者だ。男性であっても十五歳の、完璧な大人とは言い難い者に負けるはずはない。そう思いたかったのだが……。
 パーシヴァルが立ち上がり、アンジェリカの腕を軽い力で捻った。
 アンジェリカは無理に逆らわず、彼の動きに合わせながら立ち上がる。その勢いで逃れようと試みた。
(しまったっ!)
 いつの間にか、パーシヴァルがテーブルの向こう側から移動していた。
 あまりに自然な動作だったため、背後を取られて初めて本気の焦りを感じはじめる。
 まだ少年の部分があるからなのか、それともデリア妃に似た温和そうな見た目のせいなのか、アンジェリカはずっとパーシヴァルに対しては油断し続けている。
「あなた一人なら、僕だけでもどうとでもなるよ。……まさかとは思うが、強者はハイアット将軍家の者だけだと勘違いしていないよね?」
 そんな思い上がりはしていないと言いたかったが、言葉に詰まった。
 おそらく、無意識にハイアットこそが最強であり、自分もハイアットの一員だという慢心があった。
 戦闘系の異能を持っていない者には負けないという自負もある。
 どうにかスカートの中に仕込んでいる武器に手を伸ばそうとして、アンジェリカはもがく。
「なるほど、そういうことか……」
 ボソボソと小さな声で、パーシヴァルがつぶやく。掴まれている手首が妙に熱かった。
「なにが、そういう――?」
 そのとき、ひかえめな音を立てて扉が開いた。
(ここにきて増援……!?)
 万事休す、と諦めかける。パーシヴァルは一人でこの場に来ていたわけではなかったのだ。
 けれど、開いた扉の先にいたのは……。
「残念ですが、ここに来たのはアンジェリカ一人だけではないんですよ。……王太子殿下」
 普段と違い冷たい表情で殺気をまとうウォーレンが、ゆっくりと部屋の中に入ってきた。
 いつもどおり軍服で出かけていったはずなのに、なぜか地味なジャケットを着ている。
 ウォーレンが助けに来てくれたのだとわかるが、アンジェリカが安堵したのは一瞬だった。すぐにこれまでに感じていたのとは別の意味で、自分の窮地を悟る。
 彼の周囲を漂う空気が重く、そして真冬のように冷たくなっている気がした。
(まずいまずいまずい……! お仕置きされちゃう)
 ウォーレンの視線は、アンジェリカを拘束しているパーシヴァルの手の付近に集中していた。イライラしているのが伝わってくる。本人に隠すつもりがないせいだ。
 ゾクゾクと寒気がしているのに額のあたりから冷や汗が噴き出す。拘束されたままのアンジェリカにはそれを拭う術がない。
「きちんと挨拶をするのは初めてかな? ……ウォーレン・ハイアット殿」
 背後にいるパーシヴァルの声に動揺はなかった。
「初めまして、王太子殿下。……とりあえず、俺の家族にちょっかいをかけるのはやめていただけますか?」
 ウォーレンも軽く笑ってみせるが、どす黒い殺気をまとったままだから友好的な様子は一切感じられない。
 彼の言葉を受けて、パーシヴァルが拘束を解く。
 アンジェリカはすぐさま距離を取り、扉のほうへと逃れる。けれど、今のウォーレンもアンジェリカにとっての危険人物だから、微妙にあいだを空けて身構えていた。
「避けられているみたいだけど?」
 パーシヴァルがクスクスと笑う。ただならぬ気配のウォーレンと対峙しても動じないのは王族だからだろうか。異能持ちではない一般人のアンジェリカには到底真似できない。
「くだらない挑発はおやめになったほうがいいですよ。……俺は、基本的に売られた喧嘩は買う主義なので……」
「へぇ……。ところで二階には人払いをしてあったのに、どうやって入ってきたんだろうか? アンジェリカ殿には一人で来るようにとお願いしたんだけど……守っていただけなかったようで」
 アンジェリカはブンブンと首を横に振った。ウォーレンには秘密にしていたのに、彼が勝手に察しただけであり、これは望んだ展開ではない。
「姉はわかりやすい性格なんですよ。そんな部分が愛おしいんですけど。……彼女も一応貴族の令嬢ですから、一人での外出なんて許すわけがないでしょう」
「姉君に対して随分と過保護だと思うけど?」
「ただの姉ではないもので」
 ウォーレンが長い腕を伸ばして、アンジェリカを無理やり引き寄せた。
(ひぃぃ……)
 怪我をするほどではないけれど、腕の力が強く、地味に痛い。怒られるだけでは済まされない予感がしているため、余計に冷や汗が止まらなかった。
「アンジェリカ……帰ろう」
「……い、いや……ちょっと待って……」
 アンジェリカの目的は、パーシヴァルの真意を探ることだった。
 先ほどは人質にすると言っていたが、よく考えると本気とは思えないのだ。
 二階は個室ですべて借り上げていたとしても、ここは普通のカフェである。あのまま捕らえられたあとに、どうやってアンジェリカを監禁場所に連れていくのかが謎だった。
 ほいほい呼び出しに応じてしまうアンジェリカを捕らえる方法なんて、いくらでもあるはずなのだ。冷静になると、パーシヴァルの言動はなにもかもが中途半端だった。
「……一つ言っておくが、俺や俺の大切なものに手出しするのなら……容赦しない。次はないと思え」
 ウォーレンはすでに身分を一切無視していた。
 年長者であり、自分のほうが上の立場であることを教えているみたいだ。
「怖いな、あなたは……。次に会うときまで、どうか健在で」
 パーシヴァルからはウォーレンを恐れている様子は感じられなかった。
 ただ、どこか寂しい目をしている。
 これまでデリア妃に似ているから、パーシヴァルを心から嫌いにはなれない気がしていたのだが、それだけではない。
 その寂しげな瞳は、予知夢の中でウォーレンが肉親と敵対するときに見せたものと同じだったのだ。
 母親が違って、髪の色や目の色も違うのに、わずかに似ている。
 もっと話すべきことがあったのではという後悔に苛まれながら、アンジェリカはウォーレンに手を引かれ、カフェの廊下を歩く。
(……どうして誰も引き留めないの?)
 入室するまではいなかったはずだが、密会の会場だった扉の付近に一人、階段付近に二人、合計三人の男が立っている。おそらくパーシヴァルの護衛だろう。
 けれど彼らはまるで立ったまま眠っているみたいに視線すらこちらに向けてこない。
(こんな護衛で大丈夫なの……?)
 今後敵となる相手のことなど気にしてはいけないのだが、招待されていないウォーレンの侵入を許し、帰るときも引き留めないなんてことはあるのだろうか。
 無能すぎて不安になってしまう。
 そのまま誰にも注目されずに二人はカフェを出た。
 少し歩いて大通りから路地に入ったところにアンジェリカが乗ってきた伯爵家の馬車が停まっている。
 わかりにくい御者との待ち合わせの場所にすんなり進んだのだから、ウォーレンはアンジェリカが屋敷を出発した段階で、すでに尾行していたのだろう。
 逃走防止のためなのか、隣同士で馬車に乗る。
「なんでわかったのよ……」
 アンジェリカは無意味な変装だった眼鏡をはずしながらウォーレンに問いかけた。
 今日は友人とカフェに行く予定だと告げていて、不審に思われる点は見つからない。
「君が友人とカフェに行く場合、その店の名物がなにかを必ずチェックしているし、俺やチェルシーに、当日の装いについて助言を求めるはずなんだ。そういうのが一切なかった」
 アンジェリカはお菓子が好きだし、剣を振るうときは男装だが、ドレスで着飾るのも好きだ。
 同世代の友人とカフェに行くのなら『中身が残念な令嬢第一位』として、せめて外見だけは誰よりも美しくありたいと思っている。
 だから、よく服装や髪型について二人に相談していた。
 今回は真面目な交渉になると思っていたので心に余裕がなく、そのあたりがすっかり抜け落ちていたみたいだ。
「そんなことで……バレるなんて……」
「アンジェリカ。どうして一人で行ったんだ? 危険すぎる」
「……だ、大丈夫よ。私、二十四歳まで死なないもの」
「死ぬ……死なないって。そんな問題じゃないだろう! たとえ君の“予知”の力が本物だったとしても、些細な行動の変化で覆る……。それはもう母上の件で証明済みだ」
「だ……だって……私は未来のウォーレンが……」
 いい方向へ未来を変えられたのなら、少しの油断で悪い方向にも変わる。
 それくらいアンジェリカにもわかっている。今日だって、いい方向に未来を変えたくて、パーシヴァルに会ってきたのだ。
「あぁそうか。……まだ俺から離れようとするんだな?」
 馬車に乗り込んでから普通に会話をしていたために忘れかけていたが、ウォーレンの機嫌は今、とんでもなく悪い。カフェに乗り込んできてから少しも変わっていないことを今更ながら思い知る。
 いつものちょっとした喧嘩とは違う。
 ただ怒っているだけではなく、失望されてしまった気がした。
「そうじゃなくてっ」
 未来のウォーレンが裏切るからと言いたかったわけではない。
 アンジェリカは、夢の中に出てくるウォーレンが幸せそうに見えないから、このまま進んだ先にある未来に疑念を抱いている。
 パーシヴァルと接触した理由は、ウォーレンにとっての異母弟である彼こそが、愁いの原因になると考えたからだった。
「アンジェリカ。黙って……。未来の俺が君を裏切るなんて話は聞きたくない」
 いつもと同じ声のはずなのに、その言葉は耳の奥にやたらと響いた。
(え? ……なに? 声が出ない……)
 急に声の出し方を忘れてしまった気分だ。
 アンジェリカは喉のあたりを押さえながら、どうにか発声しようと試みる。けれど、普段は簡単にできることが、なぜか難しく、ただ息が吐き出されるだけだった。
 必死になって呼吸を繰り返すアンジェリカを眺めながら、ウォーレンが悪い笑みを浮かべる。
「君は知らないみたいだけど、じつは“剣王”の異能は、戦闘系の異能ではないんだ」
「……っ?」
「畏怖によって相手を思いどおりに操る……という説明ならわかるだろうか? 暗示みたいなもの。実際に経験している今なら理解できるはずだ」
 それなら、先ほどのパーシヴァルの護衛が動かなかった説明がつく。
「……! ……っ!」
 十分に理解したので、もう解除してほしかった。
 声を奪ったのが“剣王”の力だというのなら、解除できるのもウォーレンだ。
 アンジェリカは必死に訴えかけるが、ウォーレンは無視をして話を続けた。
「この異能、自分にも使えるんだ。速く動けと心の中で命じれば俊敏になるし、肉体の強化もできる。思いどおりに動けたら、もっと強くなれるのに……って考えた経験くらいあるだろう? 俺にはそれができる。……あくまで強化されるだけだから、努力は必要なんだけど」
 異能は時々、他者から見えやすい表面的な現象で名付けられてしまい、実態と乖離している場合がある。
 おそらくこれまでの王族があえて語らなかったせいだが、王家の“剣王”もその傾向にあったのだ。
 真剣に話を聞ける状況であれば、アンジェリカもきっと感心していただろう。
 けれど、声を取り戻さなければならない状況で、しかもウォーレンが殺気を撒き散らしているものだからまったく集中できない。
 以降、ウォーレンがなにも言ってくれなくなり、馬車での移動の最中はこれまでになく居心地の悪い時間になった。
 屋敷に着くとまたウォーレンに手を引かれて歩く。
 エントランスホールには帰宅の気配を察した両親とチェルシーがいて、わざわざ出迎えをしてくれた。
「……!」
 アンジェリカはとりあえず父に助けを求めようとした。
 けれど、オスニエルは可愛らしく首を傾げるだけだった。必死さはまるで伝わっていない。
「……ん? 一緒だったのか。……ウォーレン、過保護はよくないぞ」
 友人とカフェに行ったはずのアンジェリカが、なぜかウォーレンと帰ってきた。それについてオスニエルは、ウォーレンがわざわざ迎えに行ったという状況だと勘違いしたらしい。
「……ただいま帰りました。父上、母上、チェルシー。すみませんがアンジェリカと大事な話があるので、明日の朝まで二人っきりにしていただけますか? ……俺たちのことは気にしないでください」
 普段ならば「朝まで二人きり」という言葉をオスニエルが許すはずはないのだが……。
「ああ……わかった……」
 オスニエルに続いてジェーンとチェルシーも頷く。
 アンジェリカとウォーレンが将来結婚することに賛成している両親ならともかく、快く思っていないはずのチェルシーまで同意するなんて、明らかにおかしい。
(ウォーレン……お父様たちに異能を……?)
 これまでオスニエルたちが不自然な行動をしていた記憶はないし、アンジェリカ自身も操られたと感じたのは今日が初めてだった。
(違う……私は二回目なんだ……。前にも身体に力が入らなくなって……)
 それでもたった二回だ。
 しかも前回はすぐに解ける程度の軽いものだった。
 これほどの異能があるのなら、今までだってウォーレンはアンジェリカを意のままに操れたはず。
 手段を選ばなくなるくらい、ウォーレンを怒らせてしまったのだ。
 アンジェリカは戸惑い、そして恐怖を感じた。
 やがて強引に連れていかれたのは、ウォーレンの私室だった。
 互いの部屋をよく行き来する関係ではあるのだが、今この部屋に足を踏み入れたら身が危ういのはわかる。
 けれど抵抗なんてできないまま、部屋の扉がパタリと閉まった。
(ダメ……!)
 ウォーレンはいつかの仕置きの続きをしてしまうのだろう。
 顔つきだけで、本気さがわかった。
「さっき、二十四歳までは死なないって言っていたけど……」
 一方的に話をしながら、ウォーレンがアンジェリカを押し倒す。
 柔らかいベッドの上に背中を預けた直後、ウォーレンが覆い被さってきた。
 黒い髪をいじりながら、じっとにらみつけてくる。
「こうやって、男に組み敷かれて……それが俺以外の人間だったとしても、君は『死ぬわけじゃないから、大丈夫』って笑っていられるのか? どれだけ危険を冒したのか理解してる? ……アンジェリカは、俺のものだ」
 怒りと焦燥感――負の感情が伝わってくる。
 けれどそうなってしまったのは、きっとアンジェリカを心配していたからこそだ。
(私だって……ウォーレンを想って……だから、行かなきゃって……それなのに)
 人に説明できるほどの根拠があるわけではないのだが、パーシヴァルを敵と見なすとウォーレンの心に暗い影を落とす気がしてならない。
 そのことをわかってほしいのに、彼はどんどんと先に進んでしまう。
 太ももを撫でながら、ウォーレンが首筋に唇を落とす。
 怒っているのに、手つきだけは優しい。
 アンジェリカの身体はたったそれだけのことで早くもとろけてしまいそうになる。
(……私、ウォーレンに触れられたら……)
 先日、彼と淫らな行為をしたときから、アンジェリカは自分の身体に不安を覚えていた。
 ウォーレンにされることすべてが気持ちよくて、すぐに達し、欲望に呑み込まれてしまう。厳しい剣術の鍛錬を欠かさず、心身ともに鍛えてきたはずなのに情けない身体だ。
(始まる前に、拒絶しないと……っ!)
 足をバタバタと動かして、腕にもめいっぱい力を込めた。
 けれど急にウォーレンが傷ついた顔をするものだから、アンジェリカの動きは止まってしまった。
「声を封じていてよかった。君から否定の言葉を聞くのはうんざりだから。……言葉でも態度でも伝えてきたのに、予知夢なんて不確かなものを優先するのはひどすぎるよ」
 ウォーレンは、今日のアンジェリカが予知夢を根拠に動いたと勘違いしていたのだ。
(違う、のに……そうじゃないのに……。悲しませてしまう)
 確かに予知夢があったからこそ、アンジェリカはパーシヴァルに会いに行った。
 その認識に間違いはないのだが、ウォーレンから離れようとしたわけではない。
 けれど、パーシヴァルと会う約束やその目的を相談せず、結果としてウォーレンを悲しませたのはアンジェリカだった。
 今は前向きな未来を目指しているという気持ちを伝えたいのに、これではできなくなってしまう。
「もう、諦めて。……絶対に離すものか」


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