書籍詳細
沈黙の護衛騎士と盲目の聖女
ISBNコード | 978-4-86669-735-2 |
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定価 | 1,430円(税込) |
発売日 | 2024/12/27 |
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内容紹介
立ち読み
十日目。護衛騎士がいる最後の日の朝、ユリアナはひとつの結論にたどり着いた。
――このまま、レオナルド殿下をレームとして扱おう。
それが彼の意志なら尊重したい。それにもしかすると、父からの条件なのかもしれない。今日一日を過ぎれば、護衛騎士レームとしての役割を全うして彼は都に帰る。
それがきっと、正しいことに違いない。
そう思いながら支度を終えたところで、扉をノックする音が聞こえる。
「レーム?」
声をかけると、日課になったモーニング・ティーを載せたワゴンを押しながら入ってきた。彼はもはや護衛騎士というよりも、まるで執事のようにユリアナに仕えている。
昨日は彼の腕の中で泣きはらしてしまった。もう気持ちは落ち着いたけれど、恥ずかしさが先に立つ。
それに彼はただの護衛騎士ではない。最愛の第二王子だ。
ユリアナは緊張で喉を震わせながらも声をかけた。
「レーム、夕べはその……ありがとう。あなたが寝台まで運んでくれたの?」
するといつものように、チリンと鈴が鳴る。彼がどういった気持ちでいるのか、鈴の音だけではわからない。けれど、普段と同じように過ごす方がいいのだろう。
ユリアナは気持ちを切り替えた。
「ありがとう、世話になったわね。さ、今朝の紅茶はどうかしら」
戸惑いを隠すように、ユリアナは意図的に明るい声を出す。
するとレオナルドは、慣れた手つきでティーカップに紅茶を注ぐ。彼が初めて淹れてくれた時と比べると、格段に上手になっている。もう、茶器を扱う時に音を立てることもない。
テーブルの上に、いつものように紅茶が置かれる。
ティーカップに手を伸ばして口にすると、平気な振りをしながら傍らに立つレオナルドに問いかけた。
「明日、帰るの?」
チリン、と鈴が鳴る。彼が屋敷にいられるのは、今日で最後だ。
二口目の紅茶を飲みながら、ユリアナはレオナルドが自分に仕える姿を想像した。今の彼はレームとして、ユリアナの命じることを全て行ってくれる。それを思うと、ユリアナの中で普段抑え込んでいた気持ちが湧き上がってきた。
――今日で最後なら……。
一日だけでも、彼に思いっきり甘えて過ごしてみたい。やりたくてもできなかったことを、してみたい。幼い頃のように、彼と過ごしてみたかった。
「ねぇ、レーム。今日が最後だから……あなたに甘えてもいいかしら?」
これまでもかなり我儘を言っているのに、彼は動じることはない。まるでユリアナの全ての望みを叶えようとするように、チリンと鈴を一度だけ鳴らす。
ホッとしたユリアナは、明るい声を出した。
「だったら私、一度でいいから野外で演奏してみたいの。バイオリンが確か倉庫にあったけれど、レームは弾けるかしら?」
レオナルドであれば、問題なくバイオリンを弾けるだろう。久しぶりだとしても『鳥は空へ』なら演奏できるに違いない。
チリン、と鳴る鈴を聞いたユリアナは、さっと立ち上がると外套を取りに行く。
「時間がもったいないわ、早速庭に行きましょう!」
気持ちを外に向けたユリアナは、水を得た魚のように生き生きとした顔になった。
結局、執事や使用人などを庭に集め、演奏を聞いてもらう。フルートとバイオリンが一緒に演奏するのを聞くのは皆、初めてだ。
「お嬢様、寒くありませんか?」
「大丈夫よ、じいやは心配しすぎなのよ」
緑色の外套を着たユリアナは、まるで森の精のようないで立ちだった。
銀色のフルートを持ち、空気が流れていくように音を奏でると、伸びやかな音色が深い緑色をした木立の間を通り抜けていく。
バイオリンの弓の張り具合を調整したレームが、弦の音を出す。
大空の下で『鳥は空へ』を演奏する。
――あぁ、やっぱり彼はレオナルド殿下なのね。
いくら久しぶりに弾いたとしても、バイオリンの癖は変わっていない。
ビブラートの長さや、ピッチの速さ。スタッカートの入れ具合もかつてと変わりない。一番近くで彼のバイオリンを聞いてきたからこそ、彼の音がわかる。
ユリアナは改めてレームがレオナルドであることを確信した。
すると彼の奏でるリードで始まったデュオに、いつの間にか森にいる白い小鳥たちが近づいてチュンチュンと鳴き始めた。
深緑の葉をつけた木に白い鳥たちが留まってさえずり、そこだけまるで切り取られた絵のように幻想的な風景となっている。
――凄い、小鳥たちとのアンサンブルだわ……!
ユリアナはこれまでとは違う高揚感を味わった。伸びやかな音が森に響く。今は、今だけはあの時のように明るい音でフルートを吹くことができた。
「……お嬢様!」
演奏が終わると、執事の涙ぐんだ声が聞こえる。美しい、心の洗われるような演奏だったと、使用人たちが口々に言っている。
――これで、彼の心も少しは軽くなってくれるといいのだけど……。
自分は少しも彼を恨めしく思ったことはない。犠牲になったつもりもない。
だから、贖罪など必要ない。
もう、自分のことから自由になって、この鳥のように羽ばたいて欲しい。彼には、それが許されているのだから。
ユリアナは自分の心の中に、未だレオナルドを強く求める気持ちがあることを認めていた。それでも、彼には何も伝えないことを決めた。
気持ちを伝えると、彼を自分に縛りつけることになりかねない。彼にはもう、妻となる白銀の髪の女性がいるのだから、何も言わない。ただ、感謝の言葉を伝えるだけだ。
「レーム、一緒に演奏してくれてありがとう。今日のことは、忘れないわ」
小鳥たちに愛され冬の日差しを浴びたユリアナは、まるで森に住む妖精のように輝いている。雪に光が反射して、そこだけ輝きが集まっていた。
庭にいる誰もが、ユリアナの美しさを目に焼きつける。
目の光を失った聖女は、内なる光を失うことはなかった。彼女こそが真の聖女だと、誰もが思い賞賛の言葉を述べるのだった。
演奏会が終わると、ユリアナはいつものように庭を散歩し始めた。
この屋敷で、レオナルドと一緒に歩くことを想像して、左足のリハビリを頑張っていた。あの頃に願ったことがようやく叶う。彼が隣にいる最後の散歩だ。
それに護衛騎士がいなくなれば、次はいつ外を歩くことができるかわからない。なるべく足取りを覚え、一人でも散歩ができるようになりたかった。
「ええと、ここにひとつ段差があるのよね」
チリン、と鈴が鳴る。杖を使い辺りを注意深く探すけれど、雪に埋もれた段差はわかりにくい。
「ああ、レーム。だめよ、手を出さないで。一人で歩けるようになりたいの」
腕を引こうとする彼の手を払い、ユリアナは一歩前に踏み出した。すると、目の前にある段差をするっと踏み外してしまう。
「きゃあっ」
気がついた時には雪にうずもれる覚悟をした。倒れたとしても、きっとそれほど痛くないだろう。だが――。
「レーム?」
ユリアナの倒れた先には、頑丈な身体をしたレームが先に倒れ込んでいた。彼の腕に抱きかかえられるように、ユリアナは倒れている。
「レーム、レーム? 大丈夫? ごめんなさい、段差がわからなくて、私――」
声をかけるけれど、肝心の彼からの返事がない。どこか頭を打ってしまったのだろうか、でも抱える腕の力はそのままだから意識を失っているようにも思えない。
心配になったユリアナは彼の頰に手を添えると、ぺし、と叩いてみる。乾いた空気が彼の口から漏れている。
けれど、痛みで唸っている感じはしない。ユリアナは確認するために、彼の顔を手袋に包まれた細い手でなぞった。
「レーム?」
雪の中に倒れながら、レオナルドは笑いを堪えるように口元を押さえ始めた。
――笑ってる!
なんてことだろう、人がこんなにも心配しているのに。
彼が笑いを止めないためにユリアナは、再びぺちぺちと細い手で頰を叩いた。
「ちょっと! レームっ!」
すると今度は全身で笑い始めたのか、腹筋が小刻みに動いている。外套を着ているとはいえ、身体を密着させていることに気がついたユリアナは、バッと顔を赤らめた。
「もうっ、レームったら……」
くつくつと声を上げずに笑い続ける彼に引き込まれるように、ユリアナも自然に口元に弧を描いた。
雪の中に倒れ込んで、男性を下敷きにしている。侯爵令嬢としても、聖女としてもありえない体勢だ。
チリン、チリンとうるさいほどに鈴が鳴っている。レオナルドはユリアナを抱えるようにして笑うと、しばらく動くことはなかった。
――どうしよう……。
まさか、彼にこんな風に抱えられるなんて……。
もう、触れ合うこともないと思っていた彼を、昔のように軽快に笑っている彼を、下敷きにしている。ひとしきり笑いが収まっても、ユリアナは力を抜いて彼の上に横たわっていた。
――殿下が、ここにいる。
思わず顔を胸元に当てると、分厚い外套の下にある彼の鼓動が聞こえてくるようだ。ユリアナはそっと彼の胸の上に手を置いた。
昨夜は泣いてしまったけれど……今は、心地いい。
――こんなことできるのも、きっと最後……。
ユリアナは顎を上げてレオナルドを見上げる。すぐ近くに彼の顔があるのか、息遣いを感じた。今なら、言えるかもしれない。
「ねぇ、レーム。……雪に埋もれながらキスをすると、幸せになるって聞いたことがあるわ。あなたに……ちょっとだけ、してもいい?」
そんな話を聞いたことはないけど、何もなくて彼にキスをねだることは恥ずかしかった。でも、幼い頃から夢見ていた、王子様とのキス。一度でいいから、してみたい。
ユリアナは頰が赤くなっているのを感じていると、彼の硬い手が顎にかかる。
鈴の音が聞こえる前に、レオナルドの手で顔を持ち上げられ、厚い唇がユリアナの唇に触れた。
一瞬の触れ合いだった。
「あ……私、初めてなの。……こんな感じなのね」
手袋をつけたままの指を唇に押し当てる。レオナルドの唇は軽くしか触れなかった。羽のような感触だったのは、彼なりの気遣いなのかもしれない。
ユリアナはキュッと唇を引き結ぶ。
何も聞いていないが、もう心に想う女性がいるのかもしれない。白銀の髪をした女性を、既に恋人にしている可能性もある。
「ごめんなさい、もしかして恋人がいたのかしら、そしたら申し訳なかっ、あっ」
謝ろうとした瞬間に、顎にかかった手でもう一度顔を上げられた。
言い終わる前に唇をふさがれる。
今度は強く押し当てられ、さらに何度も角度を変えて口づけられた。
「……っ、ふっ……あ」
先ほどの羽のようなキスとは全く違い、彼の熱さえも移されるようなキス。
次第に深くなる口づけに息が上がる。彼は上唇を食んだかと思うと、すぐに下唇を吸った。
圧倒的な質感に驚きながらも、ユリアナは彼の初めてともいえる情熱の発露に胸が熱くなっていく。
「あっ……っ、んんっ、んっ」
ぬるりとした彼の舌先が口の中に入ってくる。
初めて知る感触に思わず顔を離そうとすると、いつの間にか身体に巻きついていた腕がユリアナの後頭部を押さえていた。
――逃げられない。
彼の緩い束縛に胸が高鳴る。
彼に求められている。
ユリアナは初めて与えられる男の熱によって甘い疼きを感じ、思わず口を開いてしまう。
するとレオナルドの舌先がぐっと入り込み、ユリアナの口内を蹂躙した。
くちゅ、くちゅっと聞いたことのない水音が響き、思わず舌を使って彼の舌を押しのけると、反対に口内に吸い上げられる。
「ん、んんっ、……んーっ」
逃げるようにして絡めていた舌を外して、ユリアナは大きく息を吸い込んだ。
「はっ、……はぁっ、はぁっ」
荒れた呼吸を整えているユリアナを、レオナルドはこれまでになく強く抱きしめる。
キスがこんなにも濃厚なものとは知らなかった。後ろ髪を整えるように撫でている彼の優しい手つきに、思わず愛されていると誤解しそうになる。
――どうして? どうしてこんな激しいキスを……!
レオナルドの息遣いを耳元で感じる。彼には将来の妻となる女性が他にいるのに、どうして自分に熱烈なキスをしたのだろう。
――少しでも、私のことを……好きだと、思ってくれている?
ユリアナがそうであるように、レオナルドにとっても自分は初恋の相手だ。婚約したいとまで伝えてくれた仲だった。
だから、自分と同じように、今日が二人で会える最後の日だと思っているのかも、しれない。
「レーム、……恋人とか、婚約者とかは……いないのね」
チリン、チリンと強く二回鳴る。今はいない、ということだろう。
――良かった。それなら、彼にお願いしてもいいだろうか……。
ユリアナは唇をギュッと閉じると、手をついて身体を起き上がらせた。雪を払いながら、どこか吹っ切れたような顔をしてレオナルドに話しかける。
「ねぇ、レーム。明日の朝、帰ってしまうのよね」
レオナルドはチリン、と一回だけ鈴を鳴らした。
「だったら今夜は、送別会をしましょう。とっておきのワインを出して飲みましょうよ!」
チリン、と鳴る音を聞いてユリアナはほっとする。
口づけの感触は未だ残っている。
熱い舌先を思い浮かべてしまい、ユリアナは頰に熱が集まるのを感じていた。
今夜はレオナルドが滞在する最後の夜だ。
ユリアナは屋敷にある中でも特に豊潤な香りの赤ワインを用意した。夕食時に時折嗜むため、高級なものを揃えている。夕食後に私室に移り寝衣に着替えると、既に月明かりが部屋に届く時刻となっていた。
ソファーに座ったタイミングで、レオナルドがワインの栓を開ける音が部屋に響く。
――今夜しか、ない。
ゴクリと唾を飲み込んで、ユリアナはワイングラスを手に持った。
「レーム、あなたの送別会だから、あなたも飲むのよ」
護衛騎士として仕えている彼に、動揺を悟らせたくない。居丈高に伝えたユリアナは、グラスを掲げて彼に告げる。
「十日間、ありがとう。あなたのこと、忘れないわ」
そして口をつけてゴクリと飲む。
カッと喉が焼けるように熱い。
これから彼に命じることを思うと、酔わないではいられない。ユリアナは昼間、レオナルドにきつく抱きしめられながら口づけの先を想像した。
――どうかしてる、けど……彼なら。
未婚で、婚約者もいない。彼であれば……自分の純潔を奪い、この呪いのような力から解放してくれないだろうか。
「もう少し、飲みたいの」
グラスを彼のいる方に差し出すと、レオナルドは再びワインを注いでくれた。
「あなたも飲んでる?」
問いかければ、チリンと鈴が鳴る。
グラスに入ったワインに空気を含ませるように揺らすと、ユリアナは一気に飲み干した。
大人になったレオナルドと、二人でお酒を飲むことを楽しみにしていた時もあった。最後の夜に、それを叶えることができたのは皮肉にも感じる。
ユリアナもレオナルドも黙ったまま、ワイングラスを空にしていく。嗜む程度にしか飲んだことのないアルコールが、ユリアナを大胆にさせていった。
レオナルドは将来、自分ではない人を妻とするから、今夜が最初で最後の機会になる。だからこそ言わなくては。彼に今夜、抱いて欲しいと伝えなければ。
覚悟を決めていたけれど、いざ、その時になると勇気が出ない。グラスを持つ手が、心なしか小刻みに震えている。
ユリアナはグラスの中に、何も残っていないことを確認すると、カツン、とテーブルに置いた。
頼めるのは今夜しかない。
ユリアナはドクドクと脈打ち始めた胸に手を当てる。こんなことを頼むなんて恥ずかしい、けれど今夜を逃せばもう機会はない。
あれほど濃厚なキスをしてくれるなら、求めてくれるなら。その先をねだることを、許して欲しい。
「ねぇ、レーム。……もう私、この力はいらないの」
ワインを飲んで酔いの回ったユリアナは、とうとう本音を小さな声で漏らした。
聖女であることに怯える暮らしは、もう終わりにしたい。ユリアナは立ち上がると上着を脱ぎ始めた。
「この力を散らすこと。あなたなら……あなたにしか、頼めないの」
ガタンッと音を立てレオナルドが立ち上がった。
強い視線を感じる。
何を、どう彼に伝えればいいのかわからない。ユリアナは男性を誘う言葉など知らず、でも彼に罪悪感を持たせたくなかった。
だから、そのためには自分が命じ、レオナルドは単に命令に従ったことにすればいい。
ユリアナは大きく息を吸い込むと、かつてないほどに冷たい声を出した。
「レーム、あなたの主人として命じます。私を、今夜抱いてください。そして、明日になったらそのことを全て忘れて」
固い意志を、まっすぐな想いを込めた言葉だった。
その行為の結果を知りながら、それでもユリアナは捨てたかった。
それだけではない、長年の恋に区切りをつけたかった。いや、どんな理由があったとしても……彼に抱いて欲しかった。初めてを捧げたかった。
しばらくの沈黙の後、鈴が一度だけチリンと鳴った。そしてまた沈黙が訪れる。
――鈴の音は、一度。
二度ではないことに、ホッとして胸を撫で下ろす。
「……ありがとう」
互いの気持ちが変わらないうちに、震える手で寝衣の紐を解き、ユリアナは全てを脱いでいく。
窓から月の明かりが差し込み、白い肌はほのかに輝いている。ぱさりと衣を床に落とし、両端を紐で留めていた下着を脱いだ。
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