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訳ありモブ侍女は退職希望なのに次期大公様に目をつけられてしまいました

風見くのえ / 著
中條由良 / イラスト
ISBNコード 978-4-86669-673-7
定価 1,430円(税込)
発売日 2024/05/29

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内容紹介

王太子妃付きの侍女マリーベルは、実は前国王の隠し子。それだけでなく、彼女は現在、王太子が持つとされている『神の恩寵』の真の所持者という大きすぎる秘密を持っていた。バレる前に退職したいと思っていたのに、ある日『神の恩寵』の力が発動した場面を、よりにもよって王太子の右腕である小大公アルフォンに目撃されて絶体絶命!……かと思いきや、なんと彼はマリーベルの秘密を守るために協力してくれるという。そのために偽の恋人同士を演じることになった2人の芝居に、まんまとだまされた自称・転生者の王太子妃からの盛大な応援も入って、事態は思わぬ方向に!?

立ち読み

「――――せっかくの長旅だ。この機会に君の子ども時代のこととか話してくれないか?」
 馬車の中、アルフォンはそんなことを言ってきた。たしかに大公領までは片道五日くらいかかるという。時間はたっぷりあるので、話しながら行くのもいいだろう。
「わかりました。でも、私ばかりではなくアルさまのお話もうかがいたいです」
「私のことも知りたいと思ってくれるのか? ……わかった。喜んで話そう」
 アルフォンはますます上機嫌になった。
 その後、マリーベルは孤児院時代の思い出を語る。とはいえ、孤児の生活には特別なものなどなにもない。集団生活なので、その点は一般家庭の子どもとは違うのだろうが、起きて寝て食べて遊んで、お手伝いや勉強をするなど、行動自体に面白いものはないと思う。
 しかし、アルフォンは興味深そうに聞いてくれた。
「食事は全員でするのか?」
「みんな揃ってというのは、あまりありませんでしたね。お手伝いで出かけていたり、単純に食べる時間や速さが違って一緒のテーブルにつかなかったり――――ただ、食事時はいつも賑やかでうるさいくらいでした」
「そうか。それは楽しそうだな」
「楽しい……そうかもしれませんね」
 当時はただうるさいだけだったが、今になって思えば楽しかったのかもしれない。少なくとも親がいなくて寂しいとか悲しいとか、考える暇もなかった。
「アルさまのお食事はどうでしたか? さぞ美味しいご馳走ばかりだったんでしょう?」
 マリーベルが聞けば、アルフォンは考え込む様子を見せた。
「そうだな。単純に食事の質だけをいえば、高価な食材で美味しい料理を食べていたのだろうが……家での食事をそれほど楽しいと思えたことはなかったな」
 アルフォンは、静かに目を閉じる。馬車の窓から入ってきた風が、彼の銀髪をサラリと揺らした。
「大公家の食事は、基本バラバラだ。父は仕事で家をあけることが多かったし、母も社交で夜が遅く、反動で朝は起きられないから朝食そのものを食べなかった。幼い頃は、キャロラインと一緒に食べることも多かったんだが、それも私が学園に入った頃から回数が減り……なにより、食事時に大声をだして騒ぐのは、貴族としてマナー違反だと教えられてきた」
 そう言われればそうだった。王城の使用人食堂で食事をしているマリーベルだが、貴族出身の使用人が騒いでいるところなど、一度も見たことがない。ワイワイ言っているのは、大抵が平民出身の下働きで、貴族はそれをうるさそうに見ているだけ。
「そっか。そうですよね」
「ああ。だから我が家の食事風景は寂しいばかりだ。……でも、時折外でとる食事は、料理自体の質は下がっても、楽しかった」
 アルフォンは、一転表情を明るくする。
「外でとる食事ですか?」
「ああ。領内のお忍び視察や、登山、あと狩りや釣りに出かけたときの食事だ。こう見えて私は、野外活動が好きなんだ」
 マリーベルは、目を丸くした。無表情で生真面目一辺倒に見えたアルフォンから、お忍び視察などという言葉が出るとは思わなかった。
 アルフォンは、いたずらっ子みたいな顔をする。
「視察で歩きながら食べる屋台の串焼きは絶品だし、体力限界で辿り着いた山頂で飲む麦酒は、心身の疲れを吹き飛ばしてくれた。狩りや釣りで捕ったばかりの獲物をその場で捌いて、新鮮なうちでなければ食べられない料理を食すのは、捕獲者の特権だ」
 フフンと鼻を鳴らさんばかりに得意そうなアルフォン。たしかに、それは楽しそうだ。中でもひとつの言葉にマリーベルは強く興味を引かれた。
「釣りって魚を捕ることですよね? それってひょっとしてですか?」
 思わず身を乗りだしてしまう。アルフォンは驚いたようだった。
「あ、ああ。川や湖が多いが海でも釣りをしたことはある。大公領には海に接している町もあるからな。あとうちの領ではないが、隣のリセロ伯爵領の港町は一見の価値がある。……ひょっとして、海に行きたいのか?」
 段々と体を近づけてくるマリーベルの様子を見て、アルフォンが聞いてきた。
 マリーベルは、大きく頷く。
「はい! 私は海を見たことがなくて憧れていたんです! ……海は、見渡す限り全部水だと聞いたのですが、本当ですか? そんなにたくさん水があって、どうしてこぼれないんでしょう? 雨が降ったら溢れてしまうんじゃないですか?」
 王都に海はなかったが、孤児の中に海辺の町で生まれた子どもがいた。その子が話す海の話に幼いマリーベルは興味を引かれていたのだ。
 アルフォンは、少し考えた。
「……ならば、行ってみるか?」
「え?」
「海だ。少し回り道になるが、リセロ伯爵領の港町ならそう遠くない」
「本当ですか?」
 マリーベルは、びっくりして叫んだ。憧れの海に行けるだなんて、思ってもみなかった。
 アルフォンは、フワリと笑う。
「ああ。行きたいなら行こう。海だけでなく、他にも行きたいところがあれば連れて行くし、やりたいことがあれば、なんでもやらせてやる」
 当たり前のように言われて、マリーベルは口をポカンと開けた。
 アルフォンは、そんな彼女を見て「可愛いな」と呟くと、笑みを深くする。
「まずは海。次は足慣らしにピクニックにでも行くか。今の時期、我が家の西の丘にはクローバーや千日紅が咲き乱れている」
 マリーベルの頭の中に、広がる緑の丘陵とそこかしこに咲く白や赤の小さな花々、その中を散策する自分とアルフォンの姿が、あっという間に浮かびあがる。――――ものすごく楽しそうだ。
 うっとりとなったマリーベルを、アルフォンは満足そうに見ていた。
 クローバーの花言葉は『私を想って』で、千日紅の花言葉は『変わらぬ愛』だ。四つ葉のクローバーに至っては『私のものになって』という意味さえある。アルフォンが、ピクニックの場所にそんな花々が咲くところを選んだのには意図がありそうだが、マリーベルは気づいていない。
「……それって、とってもいいですね」
「ああ、さすがに登山や狩りは初心者には難しいだろうが、釣りくらいなら行けるだろう。湖でも川でも好きな場所に連れて行く。もう一度海でもいいぞ」
 マリーベルは、ますます表情を蕩けさせる。
「絶対に行きます!」
 意気込むマリーベルを、アルフォンは満足そうに見る。その後も馬車の中は、楽しそうな計画の話で溢れ、笑い声が絶えなかった。

 ――――その後の旅も順調だった。揺れの少ない馬車は快適だし、泊まる宿はどこも一流。休憩は景色のよい名所が厳選され、食事も各地の名物を供される。
(あんまり待遇がよすぎて落ち着かないくらいだわ。まあ、そんな私の気持ちを考えてアルさまは、他の貴族の邸には寄らないようにしてくれているみたいだけど)
 小大公が自分の領地を通るとなれば、現地の貴族は挙って歓迎し邸に招待したがるものだ。現に何通も招待状をもらっているが、それをアルフォンはすべて断っている。
 面倒くさいからと言っていたが、見知らぬ貴族と出会うマリーベルの負担を考えてくれてのことだというのは、いやでも察せられた。
(優しいのよね。馬車でも私が疲れたなと思うと、タイミングよく休憩を入れてくれるし)
 言わずともわかってくれる相手と一緒の旅は心地よい。
 それに、相変わらず無表情も多いのだが、最近のアルフォンはマリーベルといるとき限定で、いろんな表情を見せてくれるようになっていた。特に優しい笑顔が、マリーベルのお気に入りだ。
(あと、優しいだけじゃなくって、いたずらっ子みたいな子どもっぽい笑顔もステキよね。……あ、でも最近よく見る、あの甘ったるい色気たっぷりの微笑みは……うん。なんていうか、ドキドキしちゃって苦手だわ)
 ふと気がつくと、アルフォンは時々そんな微笑みを浮かべてマリーベルを見ていることがある。それに気がついたマリーベルの心臓は、勝手にドキドキ高鳴って、頬もカーッと熱くなってしまう。ちょっと心臓に悪いので止めてほしかった。
 まあ、総じて言えば、マリーベルは、アルフォンと一緒のこの旅行にとても満足している。
 馬車の中でそんなことを考えていれば、目の端にキラキラと輝く青が映った。
「あ! ひょっとしたら、あれが海ですか?」
 思わず窓から身を乗りだしてしまう。
 すると、向かい合って座っていたアルフォンが、スッとマリーベルの隣に来て彼女の腰に手を回した。落ちないように支えてくれたのは、聞くまでもない。
「あんまり顔をだすと危険だぞ。……そう、あれが海だ」
 マリーベルの胸がドキンと跳ねる。ちょっと近すぎるのではないだろうか?
 しかし、それに文句を言う間もなく、視界の青が大きく広がった。
「うわぁっ!」
 思わず声が出てしまう。キラキラキラと輝く海の青の向こうは、どこまでも重なる空の青。そこに白い鳥が飛んでいた。
 マリーベルの視界いっぱいに、生まれてはじめて見る海の景色が広がっていく。
 王都を出て四日目。アルフォンは、まだ海を見たことがないというマリーベルのために、行程を少し変更して海辺の街に寄ってくれたのだ。
「スゴい! ずっと、ずっと、ずっと海です! どうしてあんなに水がたくさんあるんでしょう?」
 目の前の光景に、マリーベルは圧倒される。
 耳元でアルフォンがクスリと笑った。
「さあ? 私もどうして海にこれほどの水があるのかわからないな。それに、知っているか? あの水は普通の水と違って塩辛いそうだ」
「本当ですか?」
 マリーベルは、クルリとアルフォンの方へ振り向く。
「わっ!」
 すると、思いも寄らなかったほど、近くにアルフォンの顔があって驚いた。
 そんなマリーベルを見たアルフォンは、微かな笑みを浮かべる。
「ああ、本当だ」
 息がかかるほどの距離で声がして、マリーベルの頬がカッと熱くなった。どうしたらいいかわからず、うつむいてしまう。
 困っていれば、アルフォンが少し離れてくれた。ホッと安心したのだが、今度は、開いた距離がちょっと寂しい。
(もうもう、私ったらどうしちゃったのよ?)
 悩んでいれば、アルフォンが落ち着いた口調で話しかけてきた。
「今日の昼食は、海の近くのレストランに予約してある。海の深い場所で採取した飲める海水があるというから頼んでおいた。あと、店からすぐに海に出られるそうだ」
「本当ですか?」
 マリーベルは、ガバッと顔をあげる。それを見たアルフォンが苦笑した。
「ああ。ただし海水は本当に塩辛いからな。飲むのはほんの少しだけにするといい」
「……ということは、アルさまは飲んだことがあるんですね? すっごく羨ましいです! もう、待ちきれません。早くレストランに着かないかしら?」
 再びマリーベルは、窓から身を乗りだす。
 海の香を乗せた潮風が、彼女を誘うように吹いていた。

 レストランに到着後飲んだ海の水は、本当に塩辛かった。それには驚いたが、だされた料理はどれも絶品揃い。美味しい海の幸に感動する。
 マリーベルとアルフォンは、食後、砂に足を取られながら波打ち際に向かった。
 そして、果てしなく広がる海にマリーベルは魅入られてしまう。
(……どうしよう、海に入ってみたい)
 寄せては引く白い波も、どこまでも続くきらめく海も、すべてがマリーベルの胸を打つ。先ほど手先を海に浸してみたのだが、それだけでは到底足りないと思ってしまった。
 立ち尽くしていれば、隣でパシャンと水音がする。見れば、アルフォンが裸足になって海に入っているではないか!
「アルさま――――」
「君もどうだ?」
 貴族のマナーでは、他人に裸足を見せる行為はとても恥ずべきものだとされている。小大公のアルフォンが、人前で裸足になるなんてあり得ないことだ。
 驚愕したマリーベルは、慌てて周囲を見回す。すると、いつの間にか傍には誰もいなくなっていた。アルフォンの足下に、大きなバスケットがひとつあるだけだ。
「大丈夫だ。人払いをしたからここにいるのは私と君だけだ。タオルも着替えも用意してある。一緒に海を楽しもう」
 ――――本当に用意周到で優しい人だった。
 こんなにマリーベルを甘やかしてどうするつもりなのだろう?
「ありがとうございます。ご厚意に甘えますね」
 今日のマリーベルの衣装は、胸元と袖口に白いレースがあしらわれた紫色のワンピース。幅広のコルセットベルトでウエストを細く締めスカートの裾はたっぷりのフリルで広がっている。足には白いハイソックスと編みあげのローブーツを履いていた。――――すべてアルフォンからのプレゼントなのは言うまでもない。
 マリーベルは、右足のブーツを脱いでから靴下を脱いだ。恐る恐る裸足の足を砂浜につける。波打ち際で濡れた砂が、ギュッと沈んで絡みつく感触は独特だった。
 言うに言われぬ感動を覚えながら、今度は同じように左足をつけてみる。両足で砂の上に立ってから、ゆっくり歩きだせば、波が押し寄せ足に纏わりついて引いていく。足の下では砂が波に合わせて動いていた。
 そのどれもがはじめての経験で、心が躍る。
「フフ、フフフ、フフ――――」
 自然に笑いがこぼれた。一歩、二歩と進んで……パシャパシャと波を弾いて歩きだせば、いつの間にかその音が重なって聞こえる。
 隣をアルフォンが歩いていた。彼も笑顔で、それを見たマリーベルの胸がドキッと高鳴る。
 目を見合わせたふたりは、どちらからともなく手を繋ぎ、波打ち際を一緒に歩きだした。
 波が、ざざーっと打ち寄せ引いていく。海上を白い鳥が飛び、沖合で大きな波飛沫が輝いた。大型の魚が跳ねたのかもしれない。
 風が、ふたりの銀髪を靡かせる。
 ずっとこのまま歩いていたいなと、マリーベルは思った。


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