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婚約破棄されたはずですが!? 執着王子は花嫁を諦めない

月神サキ / 著
緑川明 / イラスト
ISBNコード 978-4-86669-492-4
定価 1,320円(税込)
発売日 2022/05/27

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内容紹介

あなたとの結婚は望んでいないのだけど!?
愛が重すぎる王子との婚約が解消! 自由の身を喜ぶ公爵令嬢だが——記憶喪失の彼は別人のような優しさで絡んできて!?
公爵令嬢エレナの婚約者は幼い頃に一目惚れされた美貌の王太子ジェリド。その彼が事故で記憶喪失になってしまい、エレナのことを完全に忘れてしまった。「……ってことは、もしかして婚約破棄されるチャンス!?」実はジェリドの重すぎる執着愛に辟易していたのだ。無事、婚約を解消され晴れて自由の身となり喜ぶエレナ。ところがその後も何かと彼はエレナに絡んでくる。しかも以前とは別人のように優しくエレナを気遣い、尊重する姿に心は揺れて!?
「どんな時でも私はお前を愛している。それだけは変わらない。お前だけは手放せないんだ」

立ち読み

 ジェリドが案内してくれたカフェは、偶然にも以前、私がひとりで入ったことのある店だった。
「ここのパンケーキが有名らしい」
 そう笑いながら言う彼に、知っているとはさすがに言えず、私は「そうなんだ。じゃあそうしようかな」とだけ返した。
 案内された席も、なんと前回と全く同じ。
 さすがに隣の席にカップルはいなかったが、焼き直しのような展開にびっくりした。
 前はひとりで来たカフェに今回はふたりで来ていることを不思議に思いながらも私は店員から手渡されたメニュー表を開いた。
「ジェリドって、甘いもの、得意だったっけ」
 記憶の彼はそれなりに食べていたなと思いながらなんとなく尋ねた。
 ジェリドが困ったように首を横に振る。
「実はあまり得意ではない。頭を使ったあとなんかは食べることもあるが、好きかと言われれば違うと答えるしかないな」
「え……そうなの? 知らなかった……」
 彼とは長い付き合いなのに、好みすら碌に知らなかった事実に?然とした。
 多分、あまり彼に興味を持っていなかった……というか彼の執着に辟易していて、そんな、見ていれば分かるだろうことにも気づけなかったのだ。
 己がいかに今まで彼に興味を持っていなかったか気づき、内心ショックを受けていると、ジェリドが言った。
「気にしなくていい。お前は——甘いものが好きそうだな。それで? どれを注文する?」
「え、ええと、私は……」
 少し迷いはしたが、結局私は、以前注文したのと同じものを頼んだ。
 生クリームと林檎のパンケーキ。メイプルシロップとウサギのアイス添え。
 ジェリドにお勧めされたというのもあるが、じっくり選ぶような気分ではなかったというのが一番の理由かもしれない。
 知っているものなら、考えずに頼める。そう思ったのだ。
 ジェリドはスクランブルエッグとベーコンのパンケーキを頼んでいた。
 前回は気づかなかったが、この店は甘いものが苦手な人でも食べられそうなものがいくつもあるのだ。
 ジェリドが甘いものは得意でないと聞いた直後だったので、少しホッとした。
 私のために好きではないものしかない店に入ってもらうのは申し訳ないと思ったのだ。
 飲み物も頼み、メニュー表を店員に返す。
 私たちの周囲に客はいない。とはいっても、店内はそれなりに混み合っていて、七割ほどの客入りといったところか。
 頼んだ品が来るまで時間があるので、雑談をして過ごす。
 内容は主に、先ほど草原で見たハーブの話だ。
 私が質問し、それにジェリドが返すという形ではあるが、彼の話は相変わらず興味深くて、引き込まれてしまう。
 こういうところも、前は知らなかった。
 彼が植物学者であることは知っていたし、たまにハーブについて説明してくれたことはあったけれど、そこまで興味を抱けなかったのだ。
 今は自分が研究をしているせいか、どの話も楽しく聞くことができる。
「——ありがとう。すごく勉強になったわ」
 ジェリドの話を聞き、深く頷く。彼と話をしているとあっという間に時間が過ぎるような気がした。これも、前にはなかったこと。
 前は、とにかく彼と過ごす時間が苦痛で耐えがたくて、早く屋敷に帰ってひとりになりたいと思っていた。
 ——やっぱり、前のジェリドとは全然違うんだ。
 彼と過ごせば過ごすほど、以前との違いを思い知らされる。
 そして、思うのだ。
 前の彼も、今みたいだったら良かったのに、と。
 今みたいな彼だったら、私はきっと喜んで婚約を受け入れていただろう。そんな風に思い、なんだそれ、と自嘲した。
 終わった過去のことを思い返したところで意味がないというのに、今みたいなジェリドだったら、なんて。
 自分が未練を抱いているようで変な気分だ。
 おかしなことを考える自分に戸惑っていると、ちょうど頼んだ商品が運ばれてきた。
「お待たせしました! 生クリームと林檎のパンケーキ、メイプルシロップとウサギのアイス添え。あと、スクランブルエッグとベーコンのパンケーキです」
「わあ……」
 前回も見たパンケーキは、二度目であっても声を上げてしまうほど存在感がある。そんな私を見たジェリドが楽しげに笑った。
「ものすごい存在感だな」
「本当に」
 同意しながらナイフとフォークを手に取る。
 二度目のパンケーキは、以前食べた時と同じく、甘くてとても美味しかった。
 あの時感じたような寂しさや、砂を?んだような気持ちにはならない。
 それは今私がひとりではなく、ジェリドとふたりでいるからなのだろう。
 誰かと一緒にいるということで、寂しさを感じないのだ。
 ——うん、多分、そう。
 だって、遠くの席にいるカップルが楽しそうにしているのを見ても、嫌な気持ちにならない。
 優しい気分で見て見ぬ振りができる。
「あ……」
 周囲を軽く見回し、そこでようやく気がついた。
 皆が、ジェリドに注目しているのだ。
 前回にはなかったこと。
 熱視線を向けているものもいれば、気づかれない程度の視線を送っているものもいる。
 多分だけど、眼鏡を掛けていても彼が誰なのか気づいたのだろう。
 彼の美貌は有名なので、気づかれても仕方ないし、分からなくてもあのイケメンは誰だということで注目を浴びているのかもしれない。
 皆がどちらの意味でジェリドを見ているのかは分からないが、私でも気づくくらい見られているのは確実だった。
「……」
 私が分かるのだ。
 人の気配に聡い彼が気づかないはずがない。
 実際よく見ると、彼はわざと視線に気づいていない振りをしているようだった。
 そう、ジェリドは自分を見てくる視線をないものとして扱っているのだ。
 こんなことは慣れたものだと言わんばかりの様子の彼を見て、ふと、以前の彼が私と町に出かけたがらなかったのは、こういうことも理由だったのかなと思ってしまった。
 ジェリドの独占欲が強いのは本当なので、私を誰にも見せたくなかったというのも事実だったのだろうとは思うが、同時に、自分に向ける人々の視線が煩わしかったのではないだろうか。
 彼が私を城の庭くらいにしか連れ出してくれなかったのは、自分を知っているものたちのところに行きたくなかったから。
 王子、王子と熱を持って見られるのはある程度仕方ない部分もあるが、それも過ぎれば鬱陶しいものだ。
 誰にも見られない場所で羽を伸ばしたいと願うのも当然だろう。
 ——それなら、そう言ってくれれば良かったのに。
 そんなこと、知らなかったし考えたこともなかった。
 だけどひとこと言ってくれれば、私だって彼にも事情があると思えた。
 外にも出してもらえない。
 閉じ込められている、なんて不満に思わなかったのに。
 知らなかったから、私はただ彼の独占欲で留め置かれている部分だけを見て……結果、不満とストレスを溜め込んでしまった。
「どうした、エレナ」
「え」
 いつの間にか食べる手が止まっていたようだ。
 ナイフとフォークを持ったまま動かなくなった私が気になったのか、ジェリドが声をかけてきた。それになんでもないと言いかけ……でも、聞いてみたい気持ちが勝った私は彼に尋ねた。
「……ねえ、ジェリド。もちろんあなたは気づいていると思うけど、色んな人に見られているじゃない? その……鬱陶しいとは思わないの? わざわざカフェに入らなくても私、お城かうちでお茶をしても良かったのに……」
 以前のことを聞いても仕方ないので、今現在のことを告げる。
 ジェリドは目を丸くしたが、ふわりと優しい笑みを浮かべた。
 以前は絶対に見ることのなかった微笑みを見ると、胸が苦しくなる。
 周囲から「きゃあ」と小さな声ではあったが歓声が上がり、その笑みを見たのが私だけではなかったことを知った。
 それを何故だろう。咄嗟に嫌だと思ってしまい……そんな風に思った自分の気持ちに戸惑った。
 ——え、私、どうして?
 こんなの、まるで彼が自分のものであるかのようではないか。
 自分の感情が分からなくて目を見開く。ジェリドが私を見つめ、柔和な口調で告げた。
「何、気にするな。確かに多少の煩わしさは感じるが、お前の喜びには替えられない。お前が今日、ここに来て楽しいと思ってくれたのなら、視線のひとつやふたつ、いくらでも我慢してみせるさ」
「……何、それ」
「私は、お前に笑って欲しいのだ」
「……」
 本気の顔で言われ、それ以上何も返せなかった。
 黙って、食事を続ける。
 頭の中が酷く混乱していた。
 ——何それ、私に笑って欲しいって……そんなこと……。
 前の彼は一度だってそんなことを言わなかった。
「……」
 パンケーキを口に運びながら考える。
 やはり今の彼は、以前とは全く別人のようだと思った。
 だって昔の彼は、いつだって自分の感情を優先していた。たくさん愛してはくれたけれど、私の都合なんて考えてくれたことがなかった。
 気持ちを押しつけられて苦しいばかりで、彼の全ての行動がマイナスに映った。
 それが今ではどうだ。
 私のことを思い、研究を手伝ってくれたり、草原にまで連れ出してくれたりする。
 自分の不快感よりも私を喜ばせることを優先して、カフェにだって連れてきてくれた。
 何もかも以前のジェリドなら、絶対にしなかった行動ばかりだ。
 ——ああ、本当に。
 パンケーキを食べるジェリドをチラリと見る。
 今の彼が婚約者だったら、私はどれだけ嬉しかっただろう。
 きっと毎日楽しかったし、彼のことだって素直に好きになれたのに。
 ——あ。
 馬鹿なことを考えてしまった己に気づき、小さく息を吐く。
 先ほどから堂々巡りだ。
 今の彼なら好きになれるのに、なんて意味のないことばかり考えている。
 ジェリドとは婚約を解消し、すっきりさわやか。
 清々したとすら思っていたはずなのに。
 その気持ちは?ではなかったのに、いつの間にか、『今の彼なら好きになれた』なんて思い始めている。
 これは良くない。良くない兆候だ。
 だけど自分の気持ちに?は吐けない。
 私は確かに『今のジェリドなら』と考えているのだ。
 少し優しくされただけで情けない。
 簡単にぐらつく己が格好悪い。
 そんなこと分かっているけれど、以前も彼の好意自体は嫌ではなかったのだ。
 ただ、一方的で重すぎる愛情が辛くて、受け止めきれなかっただけ。
 押しつけられる独りよがりな愛が首を真綿で絞められるように苦しくて、逃げ出してしまいたかった。
 それが今の彼は、真っ当な気持ちを私に注いでくれる。
 優しくし、気遣いを見せてくれる。
 馬鹿だと分かっていても気になるのは、仕方ないではないか。
 元々顔だって好みなのだ。
 好みの美形が、元々嫌いではなかった男が、以前とは違い、普通の受け止められる真っ当な気持ちを向けてくる。
 誰だって、気持ちがぐらつくと思うのだ。
 ——はあ。
 良くないと分かっている。
 分かっているのに、彼に気持ちが傾いていく己を止められない。
「エレナ?」
「ううん。なんでもないの」
 微妙な顔をした私に気づいたジェリドが再度声をかけてくる。それに今度こそなんでもないと答えた私は、パンケーキに集中することにした。

◇◇◇

「今日は楽しかった。良ければまた付き合ってくれると嬉しい」
「……私も楽しかった。今日はありがとう」
 ジェリドに屋敷まで送ってもらい、お礼を言う。
 時間は夕方に差しかかろうかというところ。
 カフェで休憩した私たちは、あれから特に何事もなく屋敷まで戻ってきていた。
 ジェリドは終始紳士的な態度で、今も「また明日」と手を振りながら、王家の馬車に乗り込んでいった。
 馬車が去って行くのをじっと見送る。
 その姿が見えなくなったのを確認し、ほうっと息を吐いた。
「……楽しかった、か」
 先ほどジェリドに告げた言葉を思い出す。
 彼に言った『楽しかった』は決して?ではなかった。それは紛れもなく私の本心で、確かに私は今日一日を楽しく過ごしたのだ。
「楽しかったんですか、良かったですね」
「わっ……!」
 いきなり真横から声をかけられ、ぴょんっと飛び上がった。
 いつの間に現れたのか、にこにこと笑っているのはレイスだ。
 彼は私の顔を覗き込むと、意味ありげな顔をした。
「な、何よ……」
「いえいえ、先ほど言った通りですよ。楽しかったそうで良かったなと思いまして。僕としては心配していたんですけどね? ほら、あまり乗り気ではなかったでしょう? 気づかれるのを承知で追っていった方が良いのかとか、わりとやきもきしながら待っていたんですけど……蓋を開けてみれば、?を染めて『楽しかった』と呟くお嬢様なんですから。ま、良かったですね! 殿下とお嬢様を推している僕としても嬉しいですよ」
「ちょ、ちょっと待ってよ。私、?を染めてなんて……」
 そんなことしていない。
 そう思ったが、レイスはニヤニヤとした顔を崩さなかった。
「え、そんなに?を赤くしておいて、何をおっしゃっているんです? 誰が見たって、デートが楽しかったんだなって丸わかりですよ。きっと殿下も気づいておられたでしょうね〜。いやあ、良かった、良かった。おふたりが上手くいって下さると、僕の将来も安泰なので本当に助かります。その調子でお願いしますね?」
「……どうしてあなたの将来が安泰になるのよ」
 意味が分からないと言いながら、確認するように己の?に触れた。
「あ」
 確かにレイスが言う通り、?は熱を持っていた。
 びっくりするほど熱い。
 自分が実に分かりやすく態度に出していたことに、愕然とした。
 ——え、あれ、これ、確実にジェリドに誤解されたんじゃない!?
 彼が私のことを憎からず思っているのは、もう確定事項だ。
 気のせい、勘違いなんて思わないし、実際その通りなのだろう。
 今日の彼の気遣いの数々を見れば、『どうしてそれを彼がしたか』なんて馬鹿でも分かるというもの。
 告白こそされなかったものの、その時はすぐ側まで来ているのだと感じ取っていた。
 そしてそれを前ほど嫌だと思っていない自分がいることにも気づいている。
 今の彼なら、なんて思うくらいなのだ。
 きっと私は、今のジェリドを憎からず想っているのだろう。
 だけど、だけどだ。
 もう一度婚約……というのはできれば避けたいし、なんなら付き合うというのも遠慮したい。
 今の彼は確かに普通の気持ちを私に向けてくれているけれど、何が切っ掛けで前の彼に戻るか分からない。
 私はそれがどうしても怖いのだ。
 だから嬉しいという気持ちがあることは認めても、受け入れられないと思うし、再度の婚約などもってのほかだ。
 約束の期間、一年まであと少し。
 それを過ぎれば、再度婚約させられる、なんてこともないだろう。だからなんとかそこまで逃げ切ってしまいたかった。
 そうだ。それこそが私の目指すところ。
 彼ともう一度、なんてあり得ないし、あってはいけないのだ。
 私はできるだけ厳しい顔を作り、レイスに言った。
「私とジェリドが……なんてことにはならないから、馬鹿なことを考えるのはいい加減止めてちょうだい」
「えー」
 ぶうぶうと文句を言われるが、期待されても困るし迷惑だ。
 私は自分の気持ちを振り切るように、屋敷の中へと戻っていった。


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