書籍詳細 一覧へ戻る

9784866693507

落ちこぼれ子竜の縁談2 閣下に溺愛されるのは想定外ですが!?

くるひなた / 著
泉美テイヌ / イラスト
ISBNコード 978-486669-350-7
本体価格 本体1,200円+税
発売日 2020/11/27
ジャンル フェアリーキスピュア

お取り扱い店

  • Amazon

内容紹介

《結婚式直前の蜜月に、邪魔者続出!?》
驚いた弾みでちんちくりんの役立たず子竜に変身してしまう貴族令嬢パティは、次期辺境伯の軍司令官閣下と婚約し、現在幸せ真っただ中……のはずが、突然閣下の三つ子の姉が辺境伯領に来襲!? パティを歓迎してはいるものの、テンション高めのトラブルメーカーぶりに閣下もパティもてんやわんや。閣下の甥っ子・エドとも同じ竜の先祖返り&ちびっこ同士で仲良くなるけれど、彼が密かに隠し持つ〝宝〟が大きな事件を引き起こしかけていて――?

立ち読み

新国王陛下の戴冠式を八日後に控え、アレニウス王国では日に日にお祝いムードが高まっている。
 それは、王都から遠く離れたシャルベリ辺境伯領も例外ではなく、参列を予定していた旦那様と奥様が王都へ向かう準備を整える中、中央郵便局では先行して記念切手が発売された。
 貯水湖に面した大通りに立ち並ぶ商店も、それぞれ独自に記念商品を企画して、この国を挙げての祝賀ムードに便乗する気満々だ。
 シャルベリ辺境伯家御用達の老舗『メイデン焼き菓子店』でも、パティシエのラルフさんが記念ケーキを考案し、目下試作に勤しんでいるところである。
 そんな彼がいる厨房を背に、私は目一杯の笑顔を作って、ケーキが詰まった化粧箱をカウンター越しに差し出した。
「ありがとうございました。今後とも当店をご贔屓いただけますようお願いいたします」
 この日、私は午後からメイデン焼き菓子店のカウンターに立っていた。
 というのも、午前中の巡回でメイデン焼き菓子店に立ち寄ったという閣下から、メイデン家の一人息子のクリフ君が熱を出し、ラルフさんの妻であり店主でもあるバニラさんが店に出られなくなっていることを聞いたからだ。
 クリフ君はそろそろ生後四ヶ月になる。この頃の赤ちゃんは、母親からもらった免疫が切れ始める頃合いのため、風邪を引きやすいらしい。
 厨房と接客で右往左往しているであろうラルフさんを思うと居ても立ってもいられず、僭越ながら私が店番を買って出たというわけだ。
 その申し出にメイデン夫妻はたいそう喜んでくれたし、私は私で少しばかり接客業に憧れがあったので、可愛いフリルのエプロンを着けてカウンターに立つことにわくわくしていた。
 賃金の代わりとして提案された、記念ケーキの試食権もありがたい。
 午後四時を回り、お茶請けを求める買い物客が落ち着いた頃を見計らってラルフさんが出してくれたのは、鮮烈な赤が印象的なケーキだった。
 タルトみたいにクッキー生地を底に敷き、その上にババロア、スポンジ、レアチーズと重ねていって、一番上にはサワーチェリーのシロップ漬けをたっぷりと載せている。
 切り分けてみれば、サワーチェリーの鮮やかな赤が下のレアチーズに染みていて、綺麗なグラデーションを作っていた。
 サワーチェリーの華やかな味と香り、シロップの甘さ、チーズのまったりとした風味などが口の中いっぱいに広がる。絶妙に組み上げられた味のバランスに感嘆のため息を吐きつつ、私はふと気になったことを口にした。
「サワーチェリーって、酸っぱいチェリーの総称ですよね? 普通のチェリーをシロップ漬けにするのとは味が違うんですか?」
「うん、生食用のチェリーはそのまま食べると甘いけれど、ジャムやシロップ漬けにするとチュリー自体の味がぼやけてしまうんだ。その点、サワーチェリーは断然風味が豊かになって美味しくなる。何事も適材適所だね」
 うちの夫婦みたいに、と言って小さく笑うラルフさんは、パティシエとしては一流だが人見知りで接客には向かない。一方、バニラさんは料理はからっきしだが社交的で金勘定が得意。
 メイデン夫妻はまさしく、適材適所な役割分担をして上手くバランスがとれていた。
 私は、なるほどと頷きつつケーキを頰張る。
 そんな時、ふいにカララン……と店の扉に取り付けられたアイアンベルが鳴った。
「いらっしゃいませ!」
 私は慌てて口の中のものを呑み込んで、接客用の笑みを作ってカウンターから顔を出す。
 どやどやと店内に入ってきたのは、三人の女性だった。
「あらー、随分可愛い店員さんがいるじゃない! 美味しそうな髪の色ねえ」
「ちょっとぉー、ラルフくーん。人を雇うなんてにくいわねー。儲かってるの?」
「ねえねえ、バニラちゃんは店に出てないの? 赤ちゃん見せてよー」
 年の頃は、私の姉よりは幾分上。閣下と同じ、もしくはもう少し上くらいかもしれない。
 メイデン夫妻の名を親しげに呼ぶことから、この店の常連客かと思ったが、三人とも遠出をする、あるいはしてきたような改まった装いをしているところを見ると、近所の奥様方ではないのだろうか。
 彼女達はそれぞれ好き勝手にしゃべりつつカウンターの前までやってきたかと思ったら、今度はケーキが並んだガラス張りのショーケースを覗き込んであーだこーだと賑やかだ。
 その勢いにたじたじとしてしまった私だが、ガラス越しに並んだ顔を見て目を丸くする。
 というのも、三つとも目鼻立ちがそっくりだったからだ。
「……み、三つ子さん?」
「「「ええ、そうよ」」」
 思わず口から零れ出た私の言葉を、三人が同時に同音で同様の笑みを浮かべて肯定する。
 揃いも揃って、黒髪と空色の瞳をした美人だった。
 さすがに身に着けているものは同じではないが、どれも見るからに上質である。
 それが三人も並んでいるのだからかなりの迫力で、私は完全に圧倒されてしまっていた。
 一方の女性達三人は、カウンターの向こうで石像みたいに固まった私のことなど気にせず、ケーキ選びに忙しい。
「あら、先代の時と同じケーキもたくさんあるじゃない。懐かしいわね。どれにしようかしら」
「昔はよくここのケーキを食べたわよね。私、リンゴのシブーストにするわ」
「父様と母様には、ベイクドチーズケーキとラズベリーのムース。あの子は、チョコレートケーキでいいかしら?」
 雰囲気的に里帰りの途中で立ち寄った、という感じだろうか。
 あーだこーだとかしましいのは変わりないが、家族への土産を選んでいるのだと思うと幾分微笑ましく見える。
 リンゴのシブースト、ベイクドチーズケーキ、ラズベリーのムース、チョコレートケーキ、梨のタルト、イチゴのシャルロットケーキ、紅茶のシフォンケーキ……
 慌てて化粧箱を用意した私は、彼女達が指し示すケーキを順番に詰めていった。
 そうして、そろそろ箱が満杯になるという頃、ふと三つ子の一人が背後を振り返って口を開いた。
「――エド。あなたはどれにするの?」
 私はここで初めて、三つ子の女性達以外にもお客さんがいたことに気付く。
 扉の前に所在なげに佇んでいたのは、栗色の髪をした小さな男の子だった。
 白いシャツに紺色の膝丈ズボン、茶色のベストを着け、小型犬くらいなら入りそうな大きさのリュックを背負っている。
 声をかけた女性の子供だろうか。彼女に手招きされてようやく、とことことショーケースの前までやってきたかと思ったら、私に向かってガラス越しに会釈をしてくれた。
「こんにちは」
「こ、こんにちは。いらっしゃいませ」
 礼儀正しく、とても賢そうな男の子だった。
 ただ、伏し目がちな上に前髪が長く、どんな瞳の色をしているのかも分からない。
 線が細く、頰も真っ白で表情に覇気がないのがどうにも心配になった。
「エド、欲しいのみんな言ってごらん。叔母さん達が全部買ってあげるから」
「そーそー。なかなか会えないんだから、いっぱいおねだりしなさいね」
「ちょっと、レイラ、イザベラ。甘やかさないでちょうだい」
 三つ子の女性達が、またもやぎゃーぎゃーと騒ぎ出す。
 そんな母や叔母達を尻目に、ショーケースの中をまじまじと眺めた男の子ことエド君は、ぴっと小さな指でチョコレートケーキを指差した。
 結局、合計八個のケーキを買って、三つ子の女性達とエド君はメイデン焼き菓子店を後にする。
 入ってきた時と同様にどやどやと賑やかに出ていく一行は、まるで嵐のようだった。
「あ、ありがとうございました! 今後とも当店をご贔屓いただけますようお願いいたします!」
 カラランカララン……音を立てて閉まった扉に向かって、私は慌ててお決まりの挨拶を投げ掛ける。
 すると、三つ子に名前を呼ばれても一切反応を返さなかったラルフさんが、おそるおそるといった態でようやく厨房から顔を出した。
 三つ子は帰った? と青い顔をして問われ、私は首を傾げつつも頷く。
「たくさん買っていかれましたよ。さっきの方々、ラルフさんやバニラさんとはお知り合いですか?」
「知り合いは知り合いだけど……ああ、そうか。パティさんはあの人達と面識がなかったんだね」
 ラルフさんはどこか遠い目をしてそう呟くと、驚くような台詞を続けた。
「彼女達は、シャルベリ辺境伯の三つ子のお嬢様方――つまり、閣下の姉君達だよ」
「えっ……」
 ちょうどその時、再び彼女達の声が扉越しに聞こえてくる。
 メイデン焼き菓子店の隣にはリンドマン洗濯店があり、そこでは閣下の弟――つまり、三つ子の女性達の下の弟であるロイ様が住み込みで働いていた。
「あらぁ、ロイだわ」
「エプロン姿が様になっているじゃない」
「ちょっとー、下りてきて顔見せなさいよー」
 屋上で作業をしている彼を見つけたのだろう。下からやんやと騒がしい。
 とたん、「姉さん達、うるさい。こっちは忙しいんだ」という、ロイ様の心底迷惑そうな声が聞こえた。

 現シャルベリ辺境伯には、閣下より二歳年上の三つ子の娘達がいるとは聞いていた。
 次女のレイラ様は、代々大司祭を輩出している名門クラーク家の長男に嫁いだ。
 八日後に行われる戴冠式で、新国王陛下の頭に冠を載せる大役を務める現大司祭は、彼女の夫の父親である。
 また、三女イザベラ様は、軍人一家ウィルソン侯爵家の次男に嫁いでいる。
 夫は、王国軍大将ライツ殿下直属の部下として、新国王陛下からの信頼も厚き中尉の地位にあった。
 レイラ様とイザベラ様はともに王都に住んでいるため、普段も頻繁に行き来があるらしい。
 一方、長女カミラ様はというと、アレニウス王国東部の大地主、オルコット家の当主夫人に収まっている。
 オルコット家が所有する森林地帯は良質の琥珀を産出することで有名で、それを売って築いた財産を元手に、近年は金融業を営んでいるそうだ。
 そして、エドと呼ばれていた小さな男の子の名は、エドワード・オルコット。
 現在五歳になる、カミラ様が産んだオルコット家の跡取り息子だった。
「まあまあ、エドワード! 会いたかったわ! おばあちゃんに、よーくお顔を見せてちょうだい!!」
「はい……」
 閣下と私が住む辺境伯邸にてエド君を迎えたシャルベリ辺境伯夫人――奥様は、車椅子の上で飛び跳ねそうなくらい、それはもう大喜びだった。
 というのも、彼はもとより三人娘の里帰りは、そもそも前もって知らされたものではなかったからだ。
 いきなり帰ってきて何ごとだ、と言いつつもどこか嬉しそうなシャルベリ辺境伯――旦那様に、レイラ様が左隣にあった黒い軍服の背中をバンッと叩いて口を開いた。
「――うっ」
「何ごとだって言いたいのは私達の方よぅ! だって、母様から手紙が来たと思ったら、シャルロが婚約したっていうんですものっ!」
 続いてイザベラ様も、右隣にあった黒い軍服の背中をバンッと叩いて畳み掛ける。
「うぐっ……」
「そうそう! ぜーんぜん浮いた噂を聞かないから、この子一生独身の仕事人間になるんじゃないかって思ってたのにっ!」
 ねー!? と顔を見合わせる彼女達に左右から挟まれて、黒い軍服こと閣下はうんざりとした顔をした。バンバンと無遠慮に叩かれたその背中は、心無しか猫背になっている。
 私と閣下が正式に婚約を交わしたのは一昨日の朝のこと。
 奥様はその旨を三人の娘達に宛てた手紙にしたため、同日の午後一番の集配に託したのだ。私と閣下が王都に戻る姉夫婦を汽車の駅まで見送ったのも、この日の夕刻である。
 そうして、奥様の手紙が王都のクラーク家とウィルソン家、東部のオルコット家にそれぞれ届いたのは、昨日の午前のことだった。
 閣下の婚約に驚いたお姉様達は、里帰りを即決。その日の最終汽車に飛び乗ったというのだから、彼女達の行動力には脱帽する。
 しかも示し合わせたわけでもないのに、シャルベリ辺境伯領とトンネルで繫がった隣町の汽車の駅で合流してしまうのだから、三つ子のシンパシー恐るべし。
 レイラ様とイザベラ様に至ってはもはや奇跡だ。予約もせずに飛び乗った汽車で、偶然席が隣同士だったらしい。
「それにしても、可愛い子ねぇ。私より、うちの息子の方と年が近いっていうのはちょっと複雑だけど! ところで、メテオリット家って確か、大聖堂の隣にお屋敷があったわよね?」
「そうそう、リアム殿下の奥様が当主を務めている家よね? 私、お姉様にご挨拶したことがあるかもしれないわ!」 
 バンバンと、しきりに閣下の背中を叩きながら、レイラ様とイザベラ様がはしゃぐ。
 私は自分への好意的な言葉に安堵する一方、閣下が乱暴に扱われる光景にハラハラしてしまう。
 それでなくても、三人のお姉様達――すなわち閣下が女性不信を発症する元凶達の登場に、私はおおいに戸惑っていた。
 そんな中、ふいに長女カミラ様が口を開く。
 シャルベリ辺境伯邸にて改めて私との対面を果たしてから、他の二人とは対照的に無言だった彼女。その第一声は、思いも寄らぬものだった。

「――シャルロがついに身を固める決意をしたというから、いったいどんな素敵な人なのかと思ったら……やあね、まだ子供じゃない」

 えっ、という声が、私の口から零れ出しそうになった。
 カミラ様はそんな私を上から下までじろじろと眺めてから、残念そうなため息を吐いて続ける。
「それに、菓子屋の店員に身を窶してヘラヘラと愛想を振りまくなんて……次期シャルベリ辺境伯夫人としての自覚が足りないんじゃないかしら?」
 その言葉にショックを受けた私の心臓が、ドクンと大きく騒ぎ出す。
 だって、メイデン焼き菓子店を訪れて、随分可愛い店員さんがいるじゃない、と最初に笑顔を向けてくれたのが、カミラ様だったからだ。
 それを知っているレイラ様とイザベラ様は、真ん中に挟んだ閣下の左右の腕にそれぞれ抱き着いて顔を見合わせている。
 旦那様と奥様も、いきなり私への駄目出しを始めたカミラ様に困惑している様子だった。
 にもかかわらず、カミラ様はさらに続ける。
「それより、私の夫の親戚にいい子がいるの。ずっとシャルロにお似合いだと思っていたのよね。才色兼備な上、財産だって持っているのよ。今からでも遅くないわ。この子との婚約は解消して……」
 ひゅっと息を呑んで言葉を失う私とは対照的に、さすがにこれには一同どよめき立った。
「「ちょっ、ちょっと、カミラ!? 何言ってるの!?」」
「カミラ、口を慎みなさい」
「カミラ? どうしちゃったの!?」
 レイラ様とイザベラ様は完全なる二重奏を奏で、旦那様は厳しく、奥様は悲鳴のような声でカミラ様の名を呼ぶ。
 それでも、まだ何ごとか続けようとした彼女に、私がぶるりと身体を震わせた時だった。

「――断る」

 凜とした声がその場に響く。閣下の声だ。

◇◇◇◇◇

「パティ、おいで。大丈夫だから」
「こわくないよ、パティちゃん」
 閣下とエド君が、そう言って手招きをする。
 けれども、私は足が地面に縫い付けられたようになって、ブルブルと震えるばかりだった。
 オルコット家に戻るカミラ様を見送ったその日、閣下はモリス少佐を口説き落として半休をとった。一人残されて浮かない顔をしているエド君を、気晴らしに外へ連れ出すためである。
 私もそれに同行することになったまではよかったのだが、問題はその方法だった。
「む、無理……無理です――馬に跨がるなんてっ……!!」
 エド君は、お馴染み首長竜のぬいぐるみアーシャが入ったリュックを背負っている。
 そんな甥っ子を膝の間に抱えるようにして、閣下が愛馬ヘルムの背中に跨がっていた。
 黒鹿毛で額に星と呼ばれる白斑があるヘルムは、鎧で武装した重騎兵を乗せるために品種改良を重ねた、とりわけ身体が大きくて力持ちな軍馬だ。
 長い睫毛の下から、閣下のそれとよく似た色合いの瞳にひたりと見据えられ、私はひっと悲鳴を上げて後退った。
 馬というのは非常に警戒心の強い動物である。そのせいか、竜の姿に変化するメテオリット家の先祖返りは、だいたい彼らと相性がよくなかった。
 馬車に乗るのは問題ないのだ。ただ、その背に直接跨がるとなると話は違ってくる。
 どうしても軍馬に乗る必要のあった姉マチルダなんて、自分を主人と認めさせるために、三日三晩厩舎に籠って死闘を繰り広げたという話だ。
「パティ、ヘルムに乗るのは初めてじゃないだろう? 大丈夫だよ」
「前は、子竜の姿で閣下の外套の中にいたから平気だったんですっ!」
「ヘルムはパティちゃんをのせるの、ぜんぜんイヤじゃないよって言ってるよ?」
「エド君、馬の言葉が分かるの!?」
 確かに、私を見るヘルムの眼差しは穏やかで敵意は感じない。
 けれども、劣等感に苛まれて生きてきたちんちくりんの落ちこぼれ子竜は、馬に負けず劣らず警戒心が強いのだ。ついでに言うと、つい先日暴走馬車に危うく踏み潰されそうになったことも、結構なトラウマになっていた。
 とにかく、馬の背に跨がるのだけはご勘弁願いたい。
 閣下とエド君には申し訳ないが、私は今日のお出掛けを遠慮させてもらおうと、じりじりと後退っていた時だった。
「はいはいはい、時間は有限ですからね。さくっと行ってらっしゃいませ」
「ふえっ!?」
 突然、背後から馴染みのある声――モリス少佐の声がしたと思ったら、ひょいっと両脇の下を抱えられ、ヘルムの尻に乗せられてしまう。
 絶句して固まった私の代わりに、猛然と抗議の声を上げたのは閣下だった。
「おい、モリス! 誰がパティをだっこしていいと言った!」
「そんなの今更ですよ、閣下。パトリシア嬢をだっこしたことくらい、前にもありますもんねー。と言っても子竜の姿をしていて、その時はまだパトリシア嬢だとは知らなかったんですけど」
「な、何だとっ……!? いつのことだ、それっ……」
「閣下が執務室で、クロエ・マルベリーを騙ったミリア・ドゥリトルに既成事実をでっち上げられそうになっていた時のことですね」
 とたん、閣下は苦虫を嚙み潰したような顔になる。
 少佐が、子竜と私が同じ存在だと知ったのは閣下と同時――私がシャルベリ辺境伯領に迫る危機を知らせに、子竜の姿で王都から飛んで戻った際のことだ。摩訶不思議なメテオリット家の事情に驚きつつも、私に対しては以前と変わらず接してくれている。
 そんな少佐にミリアとの嫌な出来事を思い出させられた閣下は、文句を言おうとしたのか口を開きかけるも……
「それいけ、ヘルム号ー」
「わああっ!?」
 ペシン、と少佐に尻を叩かれたヘルムが急発進。
 その反動で危うく後ろに倒れそうになった私は、目の前にあった閣下の背中にしがみつく。
 その背中越しに、感極まったような閣下の声と、無邪気なエド君の声が聞こえた。
「パティに抱き着いてもらえるなんて――これ、何のご褒美!?」
「よかったね、シャルロおじさん」

 カツカツと、蹄鉄が石畳を叩く音が響く。
 ヘルムの歩みに合わせて、閣下の腰に提がったサーベルがカシャカシャと硬質な音を立てた。
 この日は、軍の施設に近い裏門を出発し、大通りを南の水門の方角へと下っていく。
 相変わらず町のあちらこちらには、王都からの逃亡者に目を光らせる辺境伯軍の軍人の姿が見受けられた。
 年配の者は微笑ましげに、逆に若い軍人は緊張に顔を強張らせて、それぞれ馬上の軍司令官閣下に敬礼をする。
 その度に、小さな右手を上げて敬礼を返すエド君に、軍人も町の人々も一様に顔を綻ばせた。
 やがて、頭上を覆っていた雲の間から日が差し、青空が覗く。
 それを見上げた閣下は頰を緩め、膝の間に抱いていたエド君の栗色の髪を撫でた。
「どうやら、少しは気晴らしになっているみたいだな……エド、初めて馬に乗った感想は?」
「すごくたかい。なんだか、つよくなったみたいな気がする」
 シャルベリ辺境伯領の竜神は天気を司るという。その力によって、かつては領主が捧げた生贄と引き換えに、日照りに悩まされていたシャルベリ辺境伯領に雨を降らせたのだ。
 シャルベリ辺境伯領の竜神の先祖返りは、私達メテオリットの竜の先祖返りのように竜の姿に転じることがない代わりに、そんな天気を司る力の一端を持って生まれるという。
 ただし、それを自由自在に操れるわけではなく、感情の起伏によって勝手に天気が左右されてしまうのだ。望むと望まざるとにかかわらず、である。
 これは、心拍数が急上昇するとたちまち子竜の姿に転じてしまう私に負けず劣らず悩ましいことだろう。
 この日のシャルベリ辺境伯領の空も、エド君の気持ちが反映されて朝から曇り空だった。
 しかしながら閣下の言う通り、馬での散歩は少なからず彼の気晴らしになったようで、雲の間から太陽が顔を出し、竜神の神殿が浮かぶ貯水湖の水面をキラキラと輝かせた。
 ちょうど通り掛かったリンドマン洗濯店――エド君と同じ虹色の瞳のロイ様が生活している店の屋上では、いっぱいに干された洗濯物が揺れている。
 ロイ様は、自分がシャルベリ辺境伯領の竜神の力を受け継いでいることをちゃんと把握しているらしい。
 洗濯屋は、雨が降っては仕事にならないだろう。ロイ様自身が感情を制御する術を心得ているのか、それとも夫婦同然の関係だというリンドマン洗濯店の女主人の存在が彼に雨を降らせないようにしているのか、あるいはその両方なのか。
 遅かれ早かれエド君も、自分が受け継いでいるシャルベリ辺境伯領の竜神の力やそれが得られた経緯を知っておく必要があるだろう。
 この外出を機に、閣下は次期シャルベリ辺境伯――つまり、間もなく竜神の眷属の長となる人間として、一族に伝わる秘密を彼に話すことにしたようだ。
「シャルベリ家は昔、幾度も娘を雨乞いの生贄として捧げたんだ。そうして最後の生贄の導きにより、一族は竜神の鱗を得てその眷属となった。エドみたいな虹色の瞳の子が生まれるようになったのは、それからだよ」
「いけにえって……竜のかみさまは、人をたべちゃったの!?」
 シャルベリ辺境伯領の竜神の有り様は、エド君にはなかなか衝撃だったようだ。
 太古の昔に滅んで、今は可愛らしいぬいぐるみになっているオルコットの竜と比べれば、確かに随分と血腥い伝説だろう。
 エド君の虹色の瞳が物問いたげに、貯水湖の真ん中にある竜神の神殿に向けられる。
 その時だった。
「――うん? エド、リュックに何か生き物でも入れているのかい?」
「ううん。アーシャしか、はいってないよ?」
 エド君が背負っていたリュックが、突然もぞもぞと動き出したのだ。
 閣下の背中越しにそれを聞いた私が、彼の脇から顔を出したのと、リュックの口が開いて何かが顔を出したのは同時だった。
「――えっ、アーシャ!?」
 現れたのは、エド君が父親からもらって宝物にしているという首長竜のぬいぐるみだった。
 とはいえ、ただのぬいぐるみが勝手に動き出すわけがない。
『ごきげんよう、パトリシア、エドワード。ついでに、贄の子』
「……こんにちは、小竜神様。ついでに、とは随分ですね」
 パカパカと動くぬいぐるみの口から発せられたのは、竜神の石像の化身である小竜神の声だった。いつの間にか、またアーシャに憑依していたようだ。
 贄の子呼ばわりされた閣下が肩を竦めたのに対し、エド君はリュックの中から首長竜のぬいぐるみを取り出して腕に抱くと、恐る恐るといった風に問う。
「アーシャ……どうして、人をたべたの?」
 あまりにも唐突で、そして率直な質問だった。
 とたんに、小竜神の瞳が――というか、アーシャの円らなボタンの瞳が、じっとエド君を見上げる。一瞬落ちた沈黙に、私は緊張を覚えてごくりと唾を呑み込んだ。
 やがて、パカパカとぬいぐるみの口が動いて語り出す。
『――我はな、もともとは長く生きただけの、ただのケダモノだった』
 奇しくも大きな雲が頭上に掛かって、その顔が翳って見えた。
『ただのケダモノが、人間とそれ以外の動物を区別するわけがない。最初に生贄の人間を食べたのは、単に腹が減っていたから。そこに食う物があったから食った、それだけのことだ。人間を食らったことによって雨を降らせる力を得たのは、まったくの偶然だった』
 けれどもこれにより、〝竜に生贄を食わせたら雨が降った〟という実例を作ってしまった。
 竜神の望むと望まざるとにかかわらず、である。
 これが、その後も日照りの度に生贄が差し出される事態に繫がってしまったのだ。
「つまり、生贄を差し出したのは竜神様に求められたからではなく、あくまで人間が勝手に始めたことだった、ということか……」
 何人もの娘を犠牲にしてこの地を守ってきた領主の末裔である閣下が、ため息まじりに呟く。
 その声は、ひどく虚しそうに聞こえた。

「――そういえば先日、子竜になったパティが衆人の目に晒されぬようエドに助言をいただいたそうで。ありがとうございました」
『いやなに、パトリシアとエドワード――幼子達が困っているのを見て見ぬふりはできまい』
 閣下の謝辞に、キリリとして答えたのは小竜神。
 といっても、それが憑依した首長竜のぬいぐるみアーシャの口の回りは、チョコレートでベタベタになっていた。
 大通りから少し外れた路地裏に、知る人ぞ知る老舗のチョコレート店がある。
 こぢんまりとした店内にどっしりと構える恰幅のいいおかみさんは、閣下のお姉様達とは同い年の幼馴染だそうで、カミラ様の長男であるエド君の来訪をそれはそれは喜んだ。
 閣下の婚約者だと紹介された私もたいそう歓迎された。
 ぎゅっと抱き寄せられれば、彼女の身に染み付いた甘くて芳醇なチョコレートの香りに包まれて幸せな気分になる。ただ、おかみさんが閣下のことを親しげに「シャルロちゃん」と呼ぶのは、聞かなかったことにした。
 丸めたガナッシュにココアパウダーをまぶしたトリュフ、オレンジの皮にチョコレートを纏わせた爽やかな風味のオランジェット。コロンとした大きなヘーゼルナッツが丸ごと入ったものから、いろんなフィリングをチョコレートで包み込んだプラリネの数々。
 ガラス張りのショーケースに整然と並べられたチョコレート達は、一粒一粒がまるで宝石のようで、眺めているだけでもわくわくしてしまう。チョコレートに目がない小竜神なんて、憑依したアーシャのボタンの瞳をキラキラと輝かせていた。
 とはいえ……
「小竜神様、幼子だなんて……」
 確かに竜になった時の姿はちんちくりんだが、人間としての私は十七歳――つまり成人の年齢に近づいている。
 それなのに、五歳のエド君と一緒くたにされてしまっては、複雑な表情にならざるを得なかった。
『おや、パトリシア。不服かい? けれど、悠久を生きる我からすれば、パトリシアもエドワードも卵から孵ったばかりのヒナも同然だよ』
 小竜神は飄々とした様子でそう答えると、丸いボンボンショコラを一つ口に放り込む。
 そうして、円らなボタンの瞳でどこか遠くを眺めるような素振りをしながら感慨深そうに続けた。
『それにな――エドワードを見ていると、ひどく懐かしくなる』
「懐かしい、ですか?」
『エドワードは、我の最初の眷属となった人間の幼い頃によく似ている』
「竜神様の、最初の眷属……」
 たちまち脳裏に浮かんだのは、最初に竜神の力の一端を持って生まれたという赤子の話だった。
 七人目の生贄が竜神に連れ去られて百年が経った頃のこと。
 再び大干ばつに見舞われたシャルベリの領主は、自分の身重の娘を泣く泣く八人目の生贄として捧げようとした。
 ところが、夢枕に立った七人目の生贄と思しき娘のお告げに従い、翌朝枕元に落ちていた虹色の鱗を煎じて娘に飲ませたところ、たちまち産気付いて虹色の瞳を持つ赤子を産んだ――これが、シャルベリ辺境伯家が竜神の眷属となった始まりである。
 この赤子が産声を上げたとたんに雨が降り出し、以降その子が泣く度にシャルベリの大地は潤ったという話だ。
 エド君を映す小竜神の眼差しがこんなに温かいのだから、彼によく似ていたというその最初の眷属に対しても好意的であったに違いない。
「アーシャ、お口のまわり、すっごいよ? ゴシゴシする?」
『うむ、エドワードが拭いておくれ』
「ねんねの前に、歯みがきもしなきゃだめだよ?」
『うむ、エドワードがやっておくれ』
 甲斐甲斐しく世話を焼くエド君と、それにご満悦な小竜神のやり取りに、私と閣下はホットチョコレートのカップに口を付けつつそっと顔を見合わせる。
 エド君にとって、かつて竜神が生贄の乙女を食べたという事実はそれなりに衝撃だったようだ。
 しかし、だからといって竜神を――その石像の化身である小竜神を恐れる様子はない。
 小竜神が、父親からもらったぬいぐるみに憑依したことで、畏怖よりも親近感が勝ったのかもしれない。エド君の態度が変わらなかったことに、小竜神も心無しか嬉しそうだ。
『贄の子達は、我の子も同然。この手が届く限りは力を貸そう』
 アーシャの形をした小竜神は、エド君と閣下、そして私のことまで慈しむような眼差しで見つめると、そう力強く宣言する。
「アーシャ、ゴシゴシするから、お口とじて」
『んむ』
 口の回りをチョコレートでベタベタにしたままだったので、いまいち決まらなかったが。
 ところで……
「小竜神様が食べたチョコレートって……いったい、アーシャの中でどうなって……」
「パティ、しっ――!」
 私の口を慌てて掌で塞いだ閣下が、世の中には知らなくていいことがあるんだよ、と神妙な顔をして呟いた。

◇◇◇◇◇

 馬車の中は、殺気立っていた。
 エド君を馬車に押し込んだ二人と、御者台にいる一人――合計三人の男は、どうやら後がないらしい。 
「お前のひいひい祖父さん、随分と強欲なじじいだったらしいじゃないか」
「しらない」
「世の中、知らないじゃ済まないんだよ。罪の代償は子孫のお前達が払うんだ。まあ、お前達もその強欲じじいが築いた財でいい暮らしをしていたんだから、同罪だよな」
「ぼくは何もしらない」
 男達が腹いせみたいに幼いエド君に語った話によると、エド君のひいひいおじいさん――三代前のオルコット家当主が巨額の脱税を行っており、この度の政権交代に際してそれが明るみになろうとしているというのだ。
 とはいえ、その事実はまだ公には知られていない。というのも、エド君を攫った三人の男こそがオルコット家の脱税容疑を捜査していた役人であり、オルコット家の所有する琥珀に目が眩んだ彼らは、一家の罪を摘発するよりも隠蔽に手を貸すことで長く甘い汁を吸おうと企んだからだ。
 とんだ、悪徳役人である。
 男達――役人達は、三代前の悪事を晒されたくなければ、琥珀なり金なりを融通するよう、エド君の父親である現当主セオドア・オルコットを脅していたらしい。
「それなのに、お前の父親と来たら、帳簿を持って姿をくらましやがった!」
「息子のお前を捨てて一人で逃げたんだよ! まったく、ひどい父親がいたもんだ!」
 エド君の父親は、結局役人達に金を払うことも琥珀を譲ることもなく、現在行方知れず。
 そうこうしているうちに、別の件を捜査していた役人がオルコット家の捜査にも介入する事態になって、この悪徳役人達が不正を働いていたことの方が先に明るみになってしまったというのだ。
 前政権の腐敗に対する新国王陛下の厳しい姿勢を目の当たりにしていた彼らは、自分達も粛清の対象になるのを恐れて国外への逃亡を決意。その資金を手に入れようと目を付けたのが、オルコット家の琥珀――それも、特別な琥珀の存在だった。
「オルコット家の跡継ぎには、代々お守りとして大粒の琥珀――通称〝竜の心臓〟が贈られるそうじゃないか。それを売れば、相当な金になるはずだ」
「なあ、お前。持ってるんだろ? 大人しくそれを渡せば、命までは取らないさ」
 役人達の言葉に、私ははっとした。おそらくは、エド君もだろう。
 リュックを抱き締める彼の手が、ビクリと小さく震えた。
 役人達の言う〝竜の心臓〟とは、おそらく首長竜のぬいぐるみアーシャのお腹のポケットに入っていた琥珀の塊のことだろう。
 エド君はアーシャを宝物だと言っていたが、父親が本当に彼に与えたかったのは、琥珀の方だったに違いない。 
「しらない。ぼくは、何もしらない」
 エド君が固い声でそう答える。リュックごと私を抱き締める小さな手は可哀想なほど震えていて、胸が痛かった。
 そんな健気な五歳児に対し、ちっ、と役人の一人が舌打ちする。
 かと思ったら、いきなり外側からリュック越しに尻尾の辺りを鷲摑みにされて、私は悲鳴を上げそうになった。
「リュックの中に何か入っているじゃないか! ここに、〝竜の心臓〟を隠してるんだろう!」
「ちがう! ただのぬいぐるみだよ! さわらないでっ!!」
「生意気なガキだな! いいから寄越せって!」
「やめて! やめてやめて! この子にさわらないでっ!!」
 エド君が、私の入ったリュックを奪われまいと必死に抵抗する。
 けれども、五歳児の腕力が大人のそれに敵うはずもなく、私はリュックごと役人の手に渡ってしまった。
 やめてやめて! と叫んで暴れるエド君を、もう一人が押さえているようだ。
 役人達が彼に乱暴なことをしまいか、私は不安で不安でたまらなくなった。
 そんな中、ふいにリュックの口が開く気配がする。
「さあ、出てこい! 金のタネ!!」
 そう言って、嬉々として突っ込んできた役人の手に、私は迷わずガブッと嚙み付いていた。
 ぎゃあっ! という悲鳴とともに手が引っ込む。その瞬間、私は勢いよくリュックから飛び出して、役人の前頭部に思いっきり頭突きをお見舞いした。
「な、何だ? 何ごとだ? え、ピ、ピンク――!?」
 リュックを抱えていた一人が昏倒すると、ぎょっとしたもう一人――エド君を押さえていた役人が私を認識する前に、同じく強烈な頭突きを撃ち込む。
 目を回した役人達は、折り重なるようにして座席の上に倒れ込んだ。
 私とエド君は、その向かいの座席で身を寄せ合う。
「パティちゃん、だいじょうぶ?」
『く、くらくらする……』
 馬車は、まだ走り続けている。幸いというべきか否か、御者を務めるあと一人は、仲間二人が昏倒したことに気付いていない様子だった。
「どうしよう、どうしよう……アーシャ、おとしてきちゃった。ロイも、だいじょうぶかな……」
『泣かないで、エド君。どうにかしてこの馬車を降りて、一緒に探しに行こう。ロイもきっと大丈夫だよ。あの子、強くて賢いもの』 
 子竜になった私をとっさにリュックに詰め込んだところで攫われたエド君は、その拍子にアーシャを手放してしまっていた。
 別れ際に、キャンという悲鳴のような鳴き声を聞いていただけに、ロイのことも心配だ。
 虹色の瞳に涙を滲ませるエド君を励ましつつ、私は走り続ける馬車からどうやって逃げ出そうかと考えを巡らせていた。
 その時である。
「わあっ!?」
『ひえっ!?』
 鋭く馬が嘶いたと思ったら、馬車が急停車した。
 その衝撃によって、私もエド君も前に吹っ飛ばされる。
 向かいの座席に折り重なっていた役人達の身体がクッションになったおかげで、大事には至らなかったのは幸いだった。
 そのまま役人達を踏み台にして、私とエド君は馬車の前方に取り付けられた窓からそっと御者台を覗く。
 すると、戦慄く御者役の背中越しに、道いっぱいに立ち並ぶ騎兵隊の一団が見えた。
『あの灰色の軍服……王国軍だ』
「ぼくらを、助けにきてくれたの……?」
 私とエド君が顔を見合わせていると、一団の先頭でただ一人白い軍服を纏っていた人物が、馬から下りてつかつかと馬車の方に歩み寄ってくる。
 その顔に見覚えがあった私は、慌てて窓から顔を引っ込めた。
『あわ、あわわ……』
「ねえ、パティちゃん。あの白い服のひとって、たしか……」
 てっきり御者台の悪徳役人を拘束するつもりなのだと思ったが、件の人物はどうやらブルブル震える彼の横を素通りしたようだ。
 そしてあろうことか、いきなり馬車の扉を開いた。
 ぎょっとする私達をじろりと眺めると、その人はにこりともせずに口を開く。
「エドワード・オルコットに間違いないな。身柄を確保する」
「えっ……」
「ぴっ!?」
 ――王国軍がエド君の身柄を確保する。
 よりにもよって、目の前の人物から告げられた言葉に、私は愕然とする。
 とたん、さっき役人達が言っていた言葉が頭を過った。
 三代前のオルコット家当主の罪の代償を、子孫のエド君達が払わねばならない。
 悪事で築いた財でいい暮らしをしていたのだから、エド君達も同罪だ――と。
 このままエド君は王国軍に拘束されて、顔も知らない高祖父の罪を償わされるというのだろうか。まだたった五歳の彼を、そんな理不尽な目に遭わせていいのだろうか。
 ――答えは否だ。
「ぴいっ!!」
「――っ、いって!」
 気付けば、私はこの日三発目の頭突きを発動していた。
 馬車の中に半身乗り込んでいた白い軍服の人物の額に、ゴチンッ! と一際強烈なのをお見舞いする。
 おかげでこちらも盛大に星が飛んだが、なにくそ。
 白い軍服の人物が開いたのと反対の扉からエド君の手を引いて外に飛び出そうとした。
 ところが――
「こンの、ちびっこめ! やってくれる!!」
「きゃん!」
「やめてっ! パティちゃんをいじめないでっ!!」
 首の後ろを大きな手で摑まれたと思ったら、たちまち馬車の中へ引き戻される。
 そのまま片手で座席へ俯せに押さえ込まれ、私は思わず子犬のような悲鳴を上げた。
 真っ青になったエド君が、私を助けようと白い軍服の腕にしがみつく。
 それに慌てた私がジタバタと暴れ、押さえつけようとする白い軍服の人物の手には力が入り、その腕にしがみついたエド君も必死になる。
 悪循環の繰り返しで収拾が付かない――そう思われた時だった。

「――妻をお放しください」

 ふいに聞こえたその声に、私も白い軍服の人物もエド君も、ピタリと動きを止める。
 見上げた馬車の窓の向こうには、王国軍の灰色とは違う黒い軍服――閣下の姿があった。


この続きは「落ちこぼれ子竜の縁談2 閣下に溺愛されるのは想定外ですが!?」でお楽しみください♪