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愛しい人の幸せのため、悪役だって全力で頑張ります!

鬼頭香月 / 著
八美☆わん / イラスト
ISBNコード 978-4-86669-341-5
定価 1,320円(税込)
発売日 2020/10/27
ジャンル フェアリーキスピュア

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内容紹介

予言を実現させるため、悪役に徹して不慣れな悪巧みに果敢に挑む!? 悪役になりたい侯爵令嬢の魔法学院ラブコメディ!
幼馴染みテオバルトと付き合うことになったエミーリアは、占い師から残酷な未来を告げられる。彼は運命の人と出会い恋に落ち、エミーリアは彼女へ嫌がらせをしまくった挙句に振られるというのだ。彼の幸せを願うエミーリアは悪役に徹する決意をし、予言書通りに慣れない悪巧みに奮闘する。テオバルトはおかしなイタズラを始めた彼女に首を傾げつつ、昔エミーリアが人喰い妖精に襲われた経験から忍び寄る危険を感じて!?
「俺の大好きなエミーリア。どうしてそう、悪さをしようとするのかな?」

立ち読み

  一方廊下に連れ出されたエミーリアは、息も絶え絶えになっていた。
「エミーリア……どうしてそう、悪さをしようとするのかな?」
 とん、と壁に拳を置き、彼女を片腕の檻に閉じ込めたテオバルトは、間近に顔を寄せて尋ねる。
 ローブ越しに彼の体温を感じるほど距離が近く、エミーリアの視線は定まらなかった。授業が始まり、廊下に人気はないとはいえ、これはよくない。
「……テ……テオ兄様……きょ、距離が、距離が近すぎると思います……っ」
 彼女の訴えに、テオバルトはわかってやっていたのか、ふっと笑う。
「素直に答えたら、離れてあげるよ」
「……っ」
 意地悪な提案に、エミーリアは口を噤んだ。答えない意思表示をされたテオバルトは、眉を上げる。
「じゃあもっと近づこうか。……君と俺は恋人同士だし、触れ合っても構わないよね?」
「――っ」
〝恋人同士〟と声に出して言われ、エミーリアは慌てて周りを見渡した。
「……誰もいないよ。いてもいいけど」
 テオバルトはエミーリアの頰に手を添え、そっと顔を寄せる。漆黒の瞳が艶やかに細められ、形よい唇が優しく弧を描いていた。今にも唇が触れそうで、エミーリアはどう呼吸したらいいのかわからず、息をとめて目を閉じる。
 テオバルトは、唇が触れ合う直前で動きをとめた。しばらく待っても何も起きないので、そっと目を開けると、彼は眉尻を下げてエミーリアを見つめていた。
「……自分でしといてアレだけど、嫌な時は嫌って言わないとダメだよ、エミーリア」
 エミーリアはきょとんとして、かあっと頰を真っ赤にする。
 本気ではなかったようだ。テオバルトは脅すつもりでしただけなのに――本当にされると思ってしまった。
「……ご……っごめんなさい……っ。嫌じゃなかったから……」
 驚きや戸惑いはあっても、拒む理由のなかったエミーリアは、つい本心を口にした。
 ずっとテオバルトが好きだったのだ。場所がどこであろうと、彼に触れられて嫌なはずはないし、きっと無理だろうけれど、全てを捧げてもよいくらいに愛している。
 恋人の素直な反応を見下ろし、テオバルトは身を離した。
 エミーリアは、びくっと肩を揺らし、慌てる。
「あ……っ、はしたなくて、ごめんなさい……。き、嫌いになった……?」
 いつか捨てられるのはわかっているのに、嫌われるのはまだ怖かった。
 ブリジットが入学してから僅か数日で別れを切り出されるのかと、エミーリアは涙目になる。
 テオバルトは手で口元を覆い、俯いた。
「いや……可愛いよ、すごく」
 率直な言葉に、エミーリアの鼓動が大きく跳ね、首元まで真っ赤になってしまう。
 ――可愛いって言ってくれた……。よかった……嫌われたのじゃないみたい。
 彼女も俯いて安堵していると、テオバルトは微かな声で呟いた。
「兄様呼びに戻ってるから、俺の方こそ、嫌になったのかと思ってた……」
 手で口を覆っていて聞き取りにくく、エミーリアは赤い顔を上げる。
「あ、聞こえなくて……。もう一度おっしゃって頂ける?」
「独り言だから、いいよ」
 テオバルトはふう、と息を吐き、先程までの妖しげなそれではない、爽やかな笑みを浮かべた。
「それで、どうしてブリジット姫の教科書を隠したの? 本当に、嫌がらせがしたかったのかな?」
 話を元に戻され、エミーリアは我に返る。
 そうだ、今日はどうしたことか、未来ノートの通りにならなかった。エミーリアの演技力のなさが原因だろうか。ブリジットは予定通り動いていたのだから、原因は自分にあるとしか思えない。
 未来ノートでは、終始悪女として二人の前に立ちはだかるキャラクターであるエミーリアは、ひとまずそう振る舞おうと、心持ち顎を上げ、ツンとした顔を作ってみた。
「……そうよ。オスト王国の教育に興味を持って編入したなら、努力してしかるべきでしょ」
「それをわからせるために、教科書を隠したと?」
「ええ。気に入らなかったから、意地悪したの」
 勉強をするしないは当人の自由だ。彼女だって努力しているかもしれないし、そんなの余計なお世話だろうと叱られると思ったのだが、テオバルトは自身の顎を撫で、空を仰ぐ。
「あー……まあ、正直今回の編入はお遊びなところがあるからな……」
 予想外の返答に、エミーリアは目を瞬いた。
「……お勉強をしに来たのじゃなかったの?」
「まあ……あの子は隣国王女だからね。必要な教育は、王宮家庭教師が一から丁寧に教える予定なんだと思うよ。今回の入学も、春学期のみで母国へ戻られる予定だし……」
 テオバルトは、事情をよく知っている顔で答えた。
〝あの子〟呼びが親しげに聞こえたエミーリアは、ぴくっと片目を眇める。
「そうなの。……随分詳しいのね。最近は休み時間になると、必ずお会いして楽しそうに談笑しているみたいだし、仲がいいのね」
 言葉尻に、チクチクと苛立ちが滲んでしまった。
 テオバルトははたと笑みを消し、額に汗を滲ませる。
「いや、違うよ。彼女の事情を知っているのは、クリストフから聞いただけで……」
 公爵家は王家の血筋だ。クリストフと話をするのは自然だし、編入学が実はお遊びだとか、隣国王家の教育事情まで詳細に聞くこともあるだろう。だけど彼は、長年家族ぐるみで付き合いのあるエミーリアには、こちらから聞くまで彼女について話さなかった。なのにクリストフとなら、彼女について話すのか――と眉根を寄せた。
 ブリジットが編入した初日に聞いた噂が、蘇る。
 ――『テオバルト先輩と婚約予定で、わざわざ転校してきたとかだったりして』
 ブリジットがテオバルトの腕に飛びついたのを見て、クラスメイトが小声で話していた。
 あの時は意識していなかったけれど、あれが事実なら、彼の話もわかる。
 テオバルトとブリジットは内々に婚約予定で、王家に関わる話だから、クリストフとも彼女について話していた。今回の編入はあくまで二人の仲を深めるために組まれ、勉学は二の次でよいと考えられている。そして婚約予定のブリジットは、テオバルトとの再会を喜び、好意を隠そうともしない。休み時間毎に足繁く会いに行く彼女を、テオバルトは可愛く思い、甘く接している――。
 これまでの顚末の理由付けがするするとできて、エミーリアは唇を震わせた。
「……そう……それなら、自然ね」
 堪えられず、ため息を吐く。
 未来ノートには、今学期の終わりに、彼はブリジットに婚約を申し込むと書いている。彼の幸福のため、未来ノートの通り動こうとしているが、何もしなくても、結局二人は結ばれるのではないだろうか。
 ――私との交際は、ブリジット姫との結婚前のお遊び――いいえ、最後の贖罪なのだわ。
 テオバルトの性格上、不真面目な気持ちで交際をするとは考えられなかった。恐らく、誰とも結婚できないエミーリアを哀れみ、一時だけでも慰めにと交際に応じたのだ。
 トントン拍子に辻褄が合っていくこれまでの流れに、じわっと涙が滲んだ。
 結局エミーリアは、どうしたって二人を邪魔する存在なのである。
 懺悔だろうと、婚約予定の姫君の前で、別の女性――エミーリアと交際している罪悪感は、いかばかりか。
「……エミーリア?」
 いつもの落ち着きある笑みを浮かべて、テオバルトが顔を覗き込んだ。
 その表情は優しく、エミーリアは心の中で、彼に深く謝罪した。
 本当に大切にしたいのはブリジットだろうに、エミーリアと交際しているから、こちらにもいい顔をしなくてはいけない。
 すぐにも別れを切り出すべきだとわかっているのに、その言葉は喉元でつかえ、声にならなかった。
 十六年――ずっと大好きで、今も恋をしている。
 せめて彼から、ブリジットと婚約すると言ってくれたら、手を離せる。
 エミーリアは顔を背け、震え声で言った。
「……二年前から知り合っていて、編入初日から親密そうに腕を組み、休み時間毎に逢瀬を交わしているだけですもの。テオ兄様とブリジットさんの間に、何かあるわけないわよね」
 ――貴方たちは、こんなにも特別な関係に見えてる。交際相手のエミーリアよりもずっと、恋人同士のようだ。
 エミーリアは遠回しに、だからもう事実を言ってもいいと促し、唇を嚙む。
 テオバルトは目を見開き、焦りを顔に乗せた。
「いや、それは……っ」
 ――『俺もずっと、好きだったよ』
 勇気を振り絞って告白した日の、彼の返事が脳裏を過る。奇跡のように嬉しく、神に深く感謝した。冬休みの間はドキドキし通しで、始業式の前日もよく眠れないくらい心が浮き足立った。
 だけど彼はいつだって冷静で、余裕があり、端からエミーリアとは想いの深さが違ったのだ。
 彼にとってこの交際は、一時の慰め。
 今にも泣きそうになる自分を、心の中で諫める。
 ――しっかりするのよ、エミーリア。初心を忘れちゃダメ。テオバルト様が命をかけて私を妖精から守ってくれた過去に、偽りはないわ……!
 理性がその通りだと応じ、冷静になろうと語りかけるが、感情が涙交じりに訴えた。
 ――だけど、私は心から好きだから、告白したの。偽りの想いを返されても、空しいだけよ。
 残酷な現実を突きつけられ、瞳にはあっという間に涙の膜が張る。
 エミーリアは彼に気づかれたくなくて、くるっと背を向けた。そのまま廊下を歩き出した彼女に、テオバルトは慌てる。
「エミーリア、どこに行くつもりだ!? 授業中だよ……!」
 エミーリアは振り返らずに言い放った。
「悪事を働いたので、自主的に寮へ戻って反省文を書いてまいります。もっと罰を与えたいなら、どうぞご自由になさってください。修学権利を取り上げ、実家へ戻されたって結構です」
 そうだ。これ以上テオバルトとブリジットの恋路を見守るくらいなら、実家に帰った方がマシだ。
 彼に気を遣われて付き合っているなんて、悲しすぎる。
 俯いてそう考えた彼女は、泣きそうなのを悟られないようにほんの少しだけ彼を振り返り、控えめな声で言い添える。
「……『水の庭園』も、ご一緒に行ってくださらなくていいわ」
「……っ」
 追ってこようとしていたテオバルトは目を見開き、足をとめた。エミーリアはすぐに背を向け、寮へと向かう。

 艶めくシルバーブロンドの髪を揺らして、普段ではあり得ない悪さをした恋人が歩み去る。
 美しい彼女の後ろ姿を見つめ、テオバルトは立ち尽くした。
 叱るつもりが、いつの間にか己の不貞を疑われ、挙げ句の果てにデートがキャンセルされたのだ。
「……なぜだ……」
 きい、と教室の扉が開く音がして、顔色をなくしていた彼は振り返る。
 新任の若い教師・アウレールが顔を出し、去りゆくエミーリアの背中とテオバルトを見比べた。
 にっこりと笑って、小首を傾げる。
「おやおや、授業を受けさせないとは、テオバルト君は厳しいのですねえ」
「いえ……俺は」
「まあ、よいでしょう。ではひとまず君だけでも教室へ入って、授業を手伝ってくれますか? ブリジット姫はどうにもついてこれていない様子ですから、横について教えてあげてください。エミーリアさんには、私があとでフォローを入れておきます。今日の授業資料も渡してあげなくてはいけませんしねぇ」
「……」
 こちらの返答は聞かず、ペラペラとしゃべって教室の中へ促される。
 どことなく楽しんでいそうな声音が、癇に障った。テオバルトは、普段なら教師には敬意を払ってきちんと返答するが、この時だけは無愛想に無言で教室内へ戻ったのだった。



 ブリジットの教科書を隠したエミーリアへの罰則は、反省文と月影草のジュースという、生ぬるい結果になった。なんでもブリジットが実家への送還などといった厳罰を望まなかったらしい。
 エミーリアが寮に戻ってから、アウレールが魔法の手紙で、どんな処置になったのか伝えてくれた。
 文末には『貴女はとても勤勉な生徒だと聞き及んでいます。人は過ちを犯しますが、反省し、正すこともできる。また私の授業を受講してくださいね。お会いするのを楽しみにしています』と、気遣う言葉まで添えてくれていた。
 穏やかな、彼の人柄が滲む文章だった。

 昼休みに入り、校舎の至る所にある庭園の一つ、『木漏れ日の庭』で過ごしていたエミーリアは、魔法の糸を編む。
『木漏れ日の庭』は、中央に大きなオークの木があり、生徒たちはその木陰でゆっくり寛げるようになっていた。整えられた芝生に座って一緒にサンドイッチを食べていたヘレナは、首を傾げる。
「わざわざ魔法で作るの? 丁寧ね」
 エミーリアは糸から目は逸らさずに、明るく答えた。
「ええ、証拠が残らないようにしなくちゃね」
 次の悪事は、明日実行する。天候学の授業後、授業補佐に入っていたテオバルトと仲睦まじげに話すブリジットに嫉妬し、彼女の近くにあった棚を倒して授業に使う水晶球を壊すのだ。そこをテオバルトがしっかり彼女を抱き寄せて守り、二人は見つめ合って恋心を盛り上がらせる。
 予定ではエミーリアは自分の手で棚を倒すと書かれていたが、廊下で彼女を転ばせた時同様、上手にできる気がしないので、魔法で棚を動かそうと考えた。
 未来ノートと少し異なるが、結果が同じなら大丈夫だろう。
「できた……っ。ブリジットさんが怪我をしませんように」
 清廉潔白に生きてきた彼女は、神にブリジットの無事を祈り、仕上げた糸を魔法で消した。
 ヘレナはおかしそうに笑う。
「まだするなんて、エミーも頑固ね。昨日は泣いてたくせに」
 エミーリアはびくっと友人を振り返り、口の前に人差し指を立てる。
「昨日のお話はしないで……っ。運命の恋なんだから、私はテオ兄様と逢瀬を交わせなくたっていいの」
 ヘレナの耳元に口を寄せ、小声で言い返すが、傍らに座って糸を作る作業を見ていたクルトが、顔を上げた。クルトには、万が一にもブリジットが怪我をしないように、危なくなったら素早く魔法で風を起こし、水晶球がぶつからないようにしてとお願いをしてある。
 その話をするついでに、一緒に昼食を取っていたのだ。
 緑色の刺繡が入ったローブを纏ったクルトは、新緑色の綺麗な瞳をこちらに向け、眉根を寄せる。
「何、姉上泣いたの? どうして? テオ兄に何かされた?」
「いいえ、お姉様は大丈……っ」
 すぐに首を振ったが、ヘレナはにやっと笑って身を乗り出す。
「クルト君のお姉さんは、慣れない悪さをテオバルト先輩に見咎められて、嫌われちゃったって泣いてたの」
「レーナ……っ」
 エミーリアは頰を真っ赤に染め、ヘレナの口を手で塞いだ。
 昨日、テオバルトとブリジットの関係を察したエミーリアは、寮に戻って反省文を書きつつ、ぽろぽろと泣いた。
 もしかしたら最後の思い出になるかもしれなかった『水の庭園』デートを、勢いで断ってしまったのだ。もう二度とテオバルトと恋人らしい思い出が作れないかもしれない、と絶望していたのである。
 窓辺に置かれた椅子に座って話を聞いてくれていたヘレナは、あっさり「大丈夫よ。エミーから会いに行って、やっぱりデートしたいのって言ったら、頷いてくれるわよ。手紙を書いてもいいと思うわ。速攻色よい返事が来るわよ」と言って、取り合ってくれなかった。
 ヘレナはわかっていない。テオバルトは自身が犯した過ちの贖罪でエミーリアと交際しているだけなのだ。そりゃあ誘えば応じるだろう。だけど彼の気持ちを利用してデートに及ぶのは、申し訳ないではないか。
『妖精の密酒』に関わる話なので、彼がどうしてエミーリアと付き合っているのかまでは彼女に伝えられず、エミーリアは心の中だけで反論した。
 手紙を送ろうとしないでいると、ヘレナは呆れた顔になり「それじゃあとりあえず、休み時間に会いに行ったら? ブリジットはいつも徒歩でテオバルト先輩を探しに行っているから、転移魔法を使えば出し抜けるよ」と言った。
 休み時間毎に彼に会いに行っているブリジットは、四回生に編入したものの、まだ転移魔法が使いこなせないようだ。
 仲違いをしたままのお別れは悲しく、エミーリアは翌日の今日、どこかで彼に会いに行こうと思っていた。これから未来ノート通り嫌がらせをして彼に嫌われるにしても、仲良く過ごした思い出の一つも残したい。
 一晩悲しみに暮れ、気持ちを切り替えて次の悪事の用意をしていた彼女は、心配そうな顔をする弟に笑いかけた。
「お姉様は大丈夫よ。心配しないで」
「本当に? ……姉上が悲しくなるなら、イタズラなんかしなくてもいいよ。僕はいつも余裕綽々のテオ兄が困ってるところを見たいだけだし」
 素直すぎる協力理由に、エミーリアはそれもどうなのかしら、と額に汗を滲ませた。
 ヘレナはクスクスと笑い、クルトの頭を撫でる。
「クルト君はお姉さんと違って、素直でいい子ね」
「でしょ?」
「レーナ、褒めないで。あまりいい子じゃないわ」
 クルトはにやっと笑い、エミーリアは半目になる。
 会話がくだらない雑談に変わり、談笑していると、芝を踏む音が聞こえた。振り返ると、男性が一人、さわさわと揺れるオークの木漏れ日を浴びながら近づいてくる。
 紫色の髪を高く結い上げ、お団子にしていた。孔雀羽根の髪飾りがひらひらと揺れ、ちょっと可愛い。授業開始前に悪さをして迷惑をかけたのに、気遣う手紙を送ってきてくれた新任教師、アウレールだ。
「やあ、こんにちは。エミーリアさんにヘレナさん、クルト君」
 ヘレナとクルトは軽く頭を下げ、エミーリアは笑みを浮かべた。
「ごきげんよう、アウレール先生。昨日はお手紙をありがとうございました。反省しています」
 彼は芝生に座るエミーリアの元まで歩み寄り、にこやかに微笑む。
「いえいえ、お若い少年少女の間には、色々と問題が起こるものです。昨日の手紙と一緒に、学習資料をお渡しするのを忘れていましてね。こちらです」
 ぽんと羊皮紙の巻物を魔法で呼び出し、エミーリアに差し出した。エミーリアはパチッと瞬き、驚いて彼を見上げる。
「まあ、わざわざ先生が届けてくださるなんて、ありがとうございます」
 失礼にならぬよう、両手で受け取ると、彼は彼女の指先の動きを目で追って、銀色の瞳を細めた。
「……いいえ、昨日はテオバルト君と仲違いをしたようだったので、少し心配していたのです。お顔が見れてよかった」
 エミーリアはぎょっとする。あの時エミーリアとテオバルトは顔を寄せ、息も触れそうな距離感で話をしていた。人気はなかったが、まさか見られていたのだろうか。
 慌てて見返すと、彼は小首を傾げ、手元にぽんと小さな花を呼び出した。
「勤勉なご令嬢が不登校になっては大変です。どうぞ毎日、学校へ通ってくださいね。私も貴女に会えるのが楽しみですから」
 どうやら見られていたわけではないらしい。彼の眼差しに含みはなく、授業を受けずに帰った態度から、喧嘩をしたと想像したのだろう。エミーリアはほっと頷いた。
「お気遣いありがとうございます、アウレール先生」
「ええ、それではまたお会いしましょうね、エミーリアさん」
 アウレールは身を屈め、彼女の耳元に紅色のプリムローズの花を挿す。エミーリアは目を瞬かせ、彼は満足そうに頷いた。
「うん。お似合いです」
「……」
 耳元に挿された花に触れ、エミーリアは戸惑う。三人とは少し離れた場所で食事を取っていた他の生徒たちも、アウレールに注目していたが、彼は視線に気づかず背を伸ばした。
「それでは。お昼、楽しんでくださいねえ」
 エミーリアたちに手を振って、再び機嫌よく風が渡る庭園を横切っていった。
 隣でやりとりを見ていたクルトが不満げに眉根を寄せ、ヘレナは可笑しそうに笑う。
「なんだよあれ……っ。教師のくせに、姉上を口説こうっていうの!? 職権乱用だよ!」
「すごい、あの人も堂々としてる」
 オスト王国では、男性が女性の髪に花を挿す行為は、好意を示す意味があるのだ。だからエミーリアもうまく対応できなかったのだが、彼の気持ちを勘ぐって立腹する弟を窘めた。
「そんなわけないでしょう、クルト。アウレール先生は、ヒンテン王国からいらっしゃったから、こちらの国の伝統をご存じじゃないのよ」
 教師が生徒に変な気持ちを持つはずがないと言うも、クルトはアウレールの背中を疑わしげに睨み続けていた。



 午後最初の魔獣学の授業が終わり、次の授業のため、外回廊を渡って研究棟へ向かっていたエミーリアは、斜め前を歩く少女を見た。
 高い位置で結い上げた、黄金を溶かし込んだような金色の髪を揺らして進む、ブリジットだ。澄んだ青い瞳にはいつだって自信が溢れ、近くを通り過ぎると、高級な香水の香りが鼻先を掠める。
 次の授業は選択科目で、彼女の受講科目はエミーリアとは異なるが、開講する場所は同じ研究棟だった。研究棟は主に生物学関連の設備が揃っている。
 テオバルトと仲を深めるために編入した隣国の姫君は、ご機嫌斜めでお付きの青年・フリッツに文句を言っていた。
「魔獣学の先生、本物の魔獣を使う予定だとか言っていてよ……! 魔獣が住む森に行って授業をするなんて、どうかしていなくって……!? あんな危険な授業、開講するべきじゃないわ!」
「実施訓練を積まねば、本物に遭遇した際、何もできずじまいになるやもしれません。上級魔法使いに必要な経験値として、ヒンテン国王陛下も姫の受講を望んでおられます」
 受講したくなければ受けなくてもいい選択科目ではあるが、フリッツは父王の要望だと釘を刺した。
 ブリジットは青い瞳を彼に向け、唇をすぼめる。
「父上に危険だからやめた方がいいだとか進言なさいよ。受講してる女の子なんて、ほとんどいなくってよ!」
 魔獣学は実習で実際に魔獣を扱うため、女子に敬遠される授業だった。
 隣を歩くヘレナが、楽しげに言う。
「次の授業は、深淵の森で実習かあ。危険地帯に入るのは緊張するね」
 実家の家業――魔法薬店で使う薬草を採りに行っている彼女は、年に三度は深淵の森に入っていて、慣れっこだ。言葉とは真逆の表情に、エミーリアは微笑む。
「授業にかこつけて、薬草採集をするつもりでしょ」
「まあね。でもどうしてエミーも魔獣学を受けてるの? うちは実家が薬屋だから、魔獣に遭遇しても生き残れるように勉強してるけど、エミーはいらないんじゃない? 姫様じゃないけど、受講してる女子はほとんどいないわよ」
 ブリジットの話はしっかり聞いていたらしい。侯爵令嬢で、特に将来魔獣に遭遇する予定もないだろうと、ヘレナはなんの気なしに尋ねた。
 エミーリアは、どんな苦境にも対応するため、危険な授業も全て受ける。『妖精の密酒』として生まれた以上、いつ何が起こるかわからないからだ。
 しかし本当の話をするわけにはいかず、まごついた。
「そ、そうね……何かの役に立つかしら、と思って……」
 ごまかすのは居心地が悪く、自分の気持ちを紛らわすため、教科書を抱え直す。その時、庭園から差した光が中指の宝石に反射し、ヘレナは指輪に目を奪われた。
「その指輪、守り石よね? いつもつけてる」
 動揺していたエミーリアは、話題が逸れて肩の力を抜いた。守り石の指輪自体は、『妖精の密酒』でなくとも、妖精避けとして使う人も多く、隠す必要はない。
「え、ええ。テオ兄様に作って頂いたの」
 ブリジットがぴくっと肩を揺らして振り返ったが、焦っていたエミーリアは気づかず、掌を広げてヘレナに指輪を見せる。
「へえ、手作り? 綺麗ねえ。宝飾品のデザインセンスもあるとか、エミーの幼なじみはなんでもできちゃって、怖いくらいね」
 碧い石を支える爪の周りに施された、繊細な文様の金の飾りを見て、ヘレナは感心した。
 派手ではないが、目をこらせばその技巧に見蕩れる意匠は、毎年指輪のサイズを直すたび、彼が一新してくれていた。石の研究もしているようで、新しくする毎に少し色が異なる。
 エミーリアは、仕上がった指輪を手ずからつけてくれる瞬間が、とても好きだ。
 彼はいつも、妖精の力が最も弱まるとされる新月の夜、美しい花園や、人気のない庭園の四阿にエミーリアを誘い、指輪をつけてくれるのである。
 その上左手だから、まるで結婚式のようだといつも心がときめき、恋心は膨らむ一方だった。
 ――だけどもう、今年から必要ないわね……。
 十六歳になったエミーリアの指のサイズは、昨年と変わっていない。成長期が終わったのだろう。
 それに、彼がブリジットと婚約すれば、関わりも薄れ、直してもらうことなど不可能になる。
 彼とエミーリアの人生が分かたれるには、現実はタイミングよく、エミーリアは物憂く俯いた。
 魔獣学を受け終えた他の生徒たちが、脇を通り過ぎていく。
 シルバーブロンドの髪が、歩くたびにさらさらと揺れ、伏せられたエミーリアの睫は、微かに震えていた。
 密やかにため息を吐く様子は、当人は苦悶していても、どこか艶やかだ。
 彼女は元々、いつ話しかけても微笑み、かつ成績もよいところに人気があった。
 しかしこのところ、ふとした瞬間悩ましげな横顔を見せ、果実が如き唇から吐息を零す。
 時には熱っぽく息を吐き、声をかければしっとりとした笑みを返す。
 以前と比べものにならない色香ある風情は、男子生徒たちの視線を意図せず惹きつけていた。
 今も人目を集めていると知らぬエミーリアは、すうっと息を吸って顔を上げる。
 どうせ誰とも結婚できない人生だ。テオバルトとだって結ばれないのは同じ。
 ブリジットには申し訳ないけれど、一度くらい彼と仲良く過ごした記憶が欲しかった。
 ――その思い出を心の支えにして、生涯一人で生きていくのよ。
 弱々しかった瞳に意志のある強い光を取り戻した彼女は、前方を見据える。
 移動教室の時は、ブリジットがテオバルトに会いに行く姿をあまり見ない。彼に会いに行くなら今だろうか。
 考えながら歩いていたエミーリアは、前方の棟から出てきた青年を目にして、どきっと鼓動を跳ねさせた。
 監督生としてどこかの授業の補佐に入っていたのだろう、黄金の刺繡が入るローブをきっちりと纏ったテオバルトが、分厚い書物を片手に出てくるところだった。
 手前を歩いていたブリジットは、まだ彼の存在に気づいていない。エミーリアの視線に気づいたヘレナが、肩で突いてきた。
「行きなよ。エミーは転移魔法使えるんだから、休み時間を全部使ったって、すぐ教室に戻れるでしょ」
 エミーリアは後押ししてくれる友人に感謝して、視線を前に戻す。その時、ブリジットがテオバルトに気づき、ぴょんっと小さく跳ねた。
「あ……っテ……」


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