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婚約した理想の王子が呪われていました

ナツ / 著
八千代ハル / イラスト
ISBNコード 978-4-86669-211-1
定価 1,320円(税込)
発売日 2019/06/27
ジャンル フェアリーキスピュア

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内容紹介

《理想の王子様は、昼間はキュートな美少年に変身する呪い持ち!?》
鳥獣に変身するという困った能力を持つ王女フローライト。その力のせいで嫁き遅れ寸前だった彼女が嫁ぐのは、とても素敵な王子様——と思いきや、現れた相手は何と七歳ほどのお子様!? 実は彼——ジェイド王子(21)は昼間子供になる呪いをかけられており、それを解く鍵はフローライトの能力にあるらしく……。昼間は可愛い少年、夜は大人の魅力あふれる理想の王子。両方の彼にドキドキ! ……しつつも呪いを解くべく頑張ります!

立ち読み

「陛下。そろそろ、本題に入りませんと」
 声変わりの済んでいない声は柔らかく澄んでいる。
 フローライトは生真面目な表情を浮かべた少年を見遣り、頰を緩ませた。
 歓談室へ足を踏み入れた瞬間から、実は彼のことが気になっていたのだ。
 肩までの黒髪を左耳の後ろで一つに束ねたその少年は、とびきりの美少年だった。アーモンド形の澄んだ瞳に、形の良い鼻、そして利発そうな口元。整った造作はもちろん、幼さに似合わない大人びた態度が絶妙な魅力を醸し出している。
(こんな弟が欲しかったのよね……)
 フローライトには、十も離れた兄しかいない。そして、公務に明け暮れる兄との接点は殆どなかった。彼が公爵家の姫を妻に迎えてからは更に疎遠になっている。
 両親に幾度も「可愛い妹か弟が欲しい」とねだってはみたのだが、肝心の母に「もう産みたくない」の一言で却下されてしまったことまで思い出す。
(近くで見ても、どこにも粗のない愛らしさだわ。彼みたいな子に『お姉様』と呼ばれてみたかったのよね!)
 心の中で高評価をつけ、にこにこと眺める。
 フローライトの視線に気づいた小姓は、微妙な面持ちで俯いた。
「そうだな。待たせてすまない。あまりに話しやすい姫だから、つい」
 国王は恥ずかしそうに頭をかくと、こほん、と一つ咳払いをして少年を紹介した。
「姫。どうか驚かず聞いて欲しい。こちらが我が子息、ジェイドだ」
「はい……。はい!?」
(この可愛い少年が、ジェイド様!?)
 予想外すぎる展開にフローライトは啞然とした。
 ポカンと開きそうになる唇を懸命に閉じ、改めて少年を見つめる。
 歳の頃は、七つほどだろうか。彼の背丈はフローライトの腰あたりまでしかない。
 だが言われてみれば確かに、髪と瞳の色は影武者であるベリルと同じだ。
 ジェイド王太子が直接迎えに来なかった――いや来られなかった理由は、イボでも失声でもなかった。
「……予言の『災難』とは、このことですか?」
 驚愕から覚めたフローライトの口から真っ先に出てきたのは、現実的な確認の言葉だった。
 国王夫妻は、何故かあっけに取られた顔でこちらを凝視してくる。
「……信じて下さるのか?」
 震える声で、国王は尋ねてきた。
「是非にと請うて貰い受ける他国の王女に、陛下が噓をつく理由がありません。噓が露呈した時のリスクが高すぎます。それより、出迎えに影武者を立てたのは、ジェイド様の姿が元とは大きく違ってしまったから。そう考える方がしっくりきます」
 フローライトは自分の考えを素直に述べた。
(人が鳥獣に変身するんだし、若返りくらいあってもおかしくないわよね)
 王女の判断基準は自分のギフトになっている。
「そうか……。さすがは予言の姫だ。肝の据わり方からして違う」
 国王は感嘆の声を漏らし、王妃は感激に瞳を潤ませている。
 自分への評価があっという間に高まったのを悟り、フローライトは居心地が悪くなった。滅多なことで動じないのは、彼女自身の性質ではない。あの傍迷惑なギフトのせいで得た後天的な特質なのだ。王女は曖昧な笑みで称賛を受け流し、話を戻した。
「でも、どうしてこんなことに? ジェイド様は二十一歳だと伺っていましたが……」
「実際の歳は変わっていません。その件については、実際に見て頂いたほうが早いかと」
 国王の脇に立った少年が、静かに答える。
「まずは、部屋までお送り致します」
 少年はフローライトの背後に回ると、洗練された仕草で立つよう促した。
「詳しい話はジェイドから直接聞いて下さい。また明日、お目にかかれると嬉しい」
 万感の思いが籠った口調で、国王が言う。
 フローライトは丁寧に膝を折り、両陛下との謁見を終えた。
 そして歓談室を出ると、こっそり少年を盗み見た。
 長い睫毛に縁どられた瞳は僅かに伏せられ、口元は気難し気に引き結ばれている。
 憂いを帯びたその生真面目な表情は、肖像画から想像していた王太子の反応そのものだ。少し、いやかなり若すぎるという欠点はあるものの、ベリルに対して抱いたような『これじゃない』感は全くない。
(初めは驚いたけれど、確かに実直で真面目そう。ジェイド様の幼い頃を見ていると思えばいいのかしら。本当のお姿は凜々しくて男らしい感じだけど、昔はこんなに可愛らしい方だったのね)
 このままでは一回り以上年下の少年と結婚しなくてはいけないという事実は、王女の頭から綺麗に消えていた。
 いつ、そして何故この姿になったのか。ずっとこの姿で、元には戻らないのか。
 沢山の疑問が湧き出てくるものの、最後は「それにしても物凄く可愛い」に落ち着くのだからまともな思考ができていない。
 思考停止したフローライトとひたすら前だけを見据えた少年は、廊下を曲がったところでベリルと鉢合わせした。どうやら彼も国王夫妻に呼ばれて来たようだ。
 ベリルは、少年と並んだフローライトを見てにっこり笑った。
「その様子だと、紹介は無事終わったのですね」
 少年が押し黙っているので、フローライトが代わりに頷く。ベリルはジェイドの態度を気にした風もなく、柔らかく笑って続けた。
「これから姫の部屋へ戻られるんですよね? 食堂や浴場の案内は――」
「僕がします」
「そうですか。……いやだなぁ。そんなに警戒しなくても、横取りしたりしませんよ」
 ベリルはジェイドに向かって小声で付け足した。少年の幼い頰が赤く染まる。
「後で覚えてろよ」
 ジェイドは精一杯凄んだようだが、赤い頰と澄んだ声のせいで怖さは全くない。
 むしろ余計に可愛らしさが増し、フローライトは吐血しそうになった。
「わ~、怖い。では、姫。明日からどうぞよろしくお願いします」
 ベリルも彼女と同じことを思ったのだろう。ちっともこたえた様子はなく、フローライトに軽く片目をつぶってみせる。ジェイドは低く唸ってベリルを追い払った。
「――随分仲がよろしいのですね。もしかしてベリル様も王族でいらっしゃるんですか?」
 二人きりになったのを見計らい、フローライトは疑問に思ったことを早速尋ねてみた。
 ベリルは王太子付きの近衛騎士だと名乗っていたが、それにしては主人であるジェイド王子との距離が近い。
「敬語は結構です。この姿の時は使用人ということになっていますので、あなたが丁寧に接していたら変に思われる」
 少年はまっすぐ前を向いたまま注意すると、小さく息を吐いてフローライトの質問に答えた。
「ベリルは、幼馴染みです。兄弟同然に育ってきたもので、どうしてもお互いに遠慮がなくなってしまう。驚かせてしまったのなら申し訳ありません」
(この姿の時、ってことは、別の姿があるということ? 兄弟同然とはどういう意味?)
 新たな疑問がまた追加されたが、どうやらジェイドはあまり話をしたくないようだ。先ほどから一度もこちらを見ない。フローライトは仕方なく口を噤むことにした。
 少年は至極事務的な態度で、主だった城内の施設を案内していく。
 歩調が速い為、フローライトも時々小走りになる。それに気づいたジェイドは、バツが悪そうに顔を顰めた。
「失礼。速かったようですね」
「ううん、大丈夫よ。これでも足には自信があるの」
 フローライトは敬語を使わないよう気をつけながら明るく答えた。だがそうすると今度は、無意識のうちに年上口調になってしまう。
「僕のペースで歩くと、遅いかと思って」
 少年は僅かに俯き、言い訳した。
(だから速めに歩いていたのね!)
 健気な少年の告白に、フローライトの胸はきゅんと疼いた。
 ときめくのと同時に、庇護欲がむくむくと湧いてくる。
「そんなの気にしないで? 遅くても私が合わせればいいんだもの」
「……っ!」
 フローライトが良かれと思って放った一言を、どうやらジェイドは曲解したようだ。
 すべらかな頰を強張らせ、毅然とした口調で言い放つ。
「女性をエスコートするのは、男の役目です」
「男の……ふふっ」
 少年の口から出た勇ましい台詞に、フローライトは思わず笑ってしまう。
 なんて可愛らしいんだろう、という笑いだったのだが、少年の頰は真っ赤に紅潮した。その後はきつく唇を引き結び、再びまっすぐ前だけ向いて歩いていってしまう。
 遅ればせながら失言したらしいと気づいたフローライトは、慌てて少年の後を追った。
「ごめんなさい。お気持ちを傷つけるつもりはなかったんです」
 あんまり可愛くて、と続けたいが、これ以上怒らせまいと胸の内に封印する。
「あなたは悪くありません。こんななりで、何を偉そうにと思われるのは当然でしょう。それと敬語は結構だと言ったはずです」
「そんなこと……! 本当にそんなこと思ってないわ。ただあまりに可愛くて。ごめんなさい、次から気をつけるわ」
 ショックのあまり、つるりと本音が出てしまう。肩を落とした王女を見て、少年は瞳を瞬かせた。
「……可愛い?」
 ようやく二人の視線が合う。ジェイドの顔は純粋な驚きをたたえていた。そこに怒りがないことを確認し、フローライトは思い切って打ち明けた。
「ええ。愛らしいだけでなく、とても凜々しくいらっしゃって。……私、本当に馬鹿になんてしていません」
 誤解されて嫌われるのは悲しすぎる。フローライトは最後の言葉を絞り出すように付け加えた。
 少年は泣きそうになった王女を見て、うろうろと視線を彷徨わせた。そして観念したように口を開く。
「すみません、先ほどの発言は完全に八つ当たりでした。我が身の不甲斐なさを姫のせいにするなど、あってはならないことだ。どうか許して下さい」
「いえ、笑った私がいけなかったんです」
 互いに自分が悪いと言い合う彼らの脇を、メイドが通り過ぎる。二人は慌てて口を閉じ、再び歩き始めた。しばらく進んだところで、少年がぽつりと零す。
「もう謝らないで下さい。怒っているわけではありませんから」
「……本当に?」
 ジェイドは懸命に言葉を探しているようだった。グレーの瞳に焦りが浮かんでいる。
 フローライトが辛抱強く待っていると、ようやく少年は口を開いた。
「本当です。この姿の時は人と関わらないようにしているので、どう振る舞っていいか分からないだけです。きつい口調になったとしても、それは自分に対する苛立ちであって、あなたを厭ってのことではありません」
 己の心境を誠実に説明しようとするジェイドに、フローライトは好感を抱いた。
 真面目でまっすぐで、やはり想像していた通りの人だ。これで年齢が釣り書き通りなら言うことはなかったのだけど、と胸の中で独り言ちる。彼が悪いわけではないが、自分の婚約者としてはやはり圧倒的に若すぎるのだ。はっきり言って犯罪臭すらする。
「周りと関わらないようにしてるのは、その、……正体が知られないように?」
 最後の言葉は声量を絞って投げかける。少年は力なく頷いた。
「それもあります。自分の役を上手く演じられない。僕の力不足です」
 小姓の振りをしろと言われて、すんなり演じられる成人男性がいるだろうか。ベリルが王太子の振りをするのとはわけが違う。フローライトは小声でジェイドを擁護した。
「上手く演じられる者がいるのなら、それは本職の役者くらいだわ。本当は王太子でいらっしゃるんですもの、そう簡単に割り切れるものでもないでしょう。本当にお気の毒に思います」
 まだ出会ったばかりだというのに、自分でも驚くほどの同情心が湧いてくる。
 ジェイドはあっけに取られた顔でフローライトを見上げた。丸められたグレーの瞳に凝視され、フローライトは次第に恥ずかしくなる。
「すみません。事情を知らない部外者が、偉そうに」
「――敬語」
「え?」
「また敬語になってます」
「あ、ほんとだ。すみません……、じゃなくて、ごめんなさい」
 慌てて言い直すフローライトを見て、とうとうジェイドは笑い出した。口元に拳を押し当て、笑いを嚙み殺そうとしているが上手くいっていない。
 子どもらしい無邪気な笑顔に、またしてもフローライトの胸はきゅんと音を立てた。
 本当に自分はどうしてしまったのだろう。混乱しながらフローライトは歩き続け、ようやく自室へと辿りついた。
 辺りはすっかり夕暮れ色に染まっている。
 城付きの魔法使い達が城内のランプを灯していく時間なのだろう、夕日に照らされた廊下に明るいランプの光が新たな色を重ね始めた。
「僕も中へ入っていいでしょうか。説明が終われば、すぐに出ます」
 部屋の前まで送ってくれたジェイドに許可を求められ、フローライトは返事を躊躇った。
 もうじき陽が落ちる。日没後すぐに変身する訳ではないが、説明が長引けば夜がくる。
「それは……」
「侍女殿に同席していただいて構いません。どうかお願いします」
 少年はきっちり腰を折って、深々と頭を下げる。
「やめて下さい! あの、入っていい、から」
「よかった」
 彼はホッと頰を緩め、それから小声で「心配だな」と付け加えた。
「心配? どうして?」
「あなたがあまりに素直だから。悪い人にもあっさり騙されるんじゃないかと心配です」
「それはないわ。私、これでも人を見る目はあるのよ?」
 何の根拠もない主張を展開させるフローライトを見て、少年はまた笑った。
 真面目な表情も凜々しくて良かったが、あどけない笑みはとんでもなく愛らしい。
 感嘆しながら王女が扉を開けると、待ち構えていたようにカルネが出てくる。
「姫様! 大丈夫ですか? 部屋で待つように言われたので先に戻ったのですが、お帰りが遅いので心配しておりました。……ってあら?」
 カルネはフローライトに続いて部屋に入ってきたジェイドに目を留め、首を傾げた。
「この子はどうしたんです? 可愛いからって、勝手に連れてきちゃだめですよ」
「ち、違うの」
 まるで誘拐みたいな扱いだ。カルネがこれ以上失言を重ねないよう、フローライトは慌てて両手を振る。
「この方が、ジェイド殿下なの!」
 さすがのカルネもあっけに取られ、大きく目を見開いてジェイドを見つめた。
 ちょうどその時、太陽が地平線へと消えた。窓から差し込んでいた最後の光が消え、部屋にはランプの灯りだけが満ちる。日没を合図に、フローライトとカルネの目前に立っていた少年の姿がみるみるうちに変わり始めた。
 啞然として彼を見つめるフローライトの視線が自然と上がっていく。見下ろしていたジェイドの背がぐんぐん伸びていくせいだ。
 少年は、十も数えないうちに立派な青年になっていた。
 引き締まった長身に纏うのは、群青色の軍服。ベリルが扮していたジェイド王子そのままの姿だ。少年の時はお仕着せの上着と半ズボン姿だったのに、服装まで変わっている。
 フローライトは確信した。これは確かに魔法による呪いだ。
 本当に体が伸び縮みしているのならば、服が破れていないとおかしい。天然か養殖かで言えばフローライトの変身こそが天然ものだというのに、養殖の方が便利なことを今初めて知った。赤裸々に言えば、悔しさすら覚える。
「お初にお目にかかる。私の名はジェイド。フローライト王女の婚約者だ」

◇◇◇◇◇

「このベンチ、二人掛けみたいです。ジェイド様も座って下さい」
「いや、私はいい」
「ずっと立っていると疲れませんか?」
「いい訓練になるし、それに――」
 ジェイドは前髪をくしゃりとかき上げ、溜息を吐く。
「座ればあなたと目線が合わなくなる」
「そうでしょうか。殿下が隣に座っても、目を見てお話しできますよ?」
 意味が分からず首を傾げたフローライトに、ジェイドは耳を赤くした。
「それでは、あなたが身を屈めなくていけなくなるだろう。私が立っていれば同じ高さだ」
 ジェイドはよほど今の姿が気に入らないらしい。
(こんなに可愛いのに……。膝に乗せてぎゅっと抱きしめたいくらいだわ)
 フローライトは残念に思いながら、「分かりました」と引き下がった。
「それで? 何か話があったのではないのか?」
 ジェイドに問われ、そうだった! と当初の目的を思い出す。
 美少年を呑気に観賞している場合ではなかった。フローライトは勇気を振り絞り、話を切り出した。
「私の力のことです」
 ジェイドは無言でフローライトを見つめ、話の続きを促してくる。王女は慎重に言葉を選んで説明しようと試みた。
「ジェイド様の推測通り、フォストナの王女には代々特別な力が発現します。一応、王家の秘密ってことになっているので、他言無用でお願いします」
「やはりそうか……! ありがとう、話してくれて。もちろん他言はしない。約束する」
 ジェイドの顔に安堵と歓喜が浮かぶ。
 嬉しそうなその顔を正視できず、フローライトは膝に乗せた手に視線を落とした。
 手放しで喜ばないで欲しい。喜びが大きいほど、落胆は深くなる。
 フローライトは拳を握り込み、再び口を開く。
「ギフトと呼ばれる王女の力は、これと決まってはいません。王女によって様々に異なるんです。私の力は、その……無駄というか迷惑というか……殿下の呪いを解けるような類のものではありません」
 フローライトはそこで一旦言葉を切り、きつく目を閉じた。
「本当に残念です」
 これは噓ではない。自分のギフトが他のものなら、と夢想したことは何度もあるが、今日ほどそれを強く願ったことはない。
 ジェイドは納得がいかないようで、更に問いかけてくる。
「無駄で迷惑? すまないが、さっぱり想像がつかない。具体的に教えてくれないか」
 フローライトはジェイドの当然の疑問に首を振った。
「今は言えません。殿下に嫌われたくないんです」
 ――もっとお互いを知って、信頼関係を築いてから。
 そう続けるつもりだったフローライトに、ジェイドは即答した。
「私があなたを嫌うことはない」
 フローライトは勢いよく顔を上げ、信じられない思いで彼を凝視した。
(どうして断言できるの? この力がどんなものかも知らないくせに)
 あまりにあっさり答えたジェイドに深い失望を覚える。
 出会ったばかりのジェイドに、フローライトの不安が分からないのは当然だ。それでも、即答はない。ジェイドにとって何より大切なのは呪いを解くことであって、フローライト自身ではない。真実を伝えて嫌われたらどうしようと怯えるフローライトの気持ちはどうでもいい――そう突きつけられたも同然だった。
 フローライトはジェイドを強く睨みつけた。
「私の婚約者だった人は、病気になったのではありません。私の力を怖がって、逃げ出したんです」
 家族以外に激情をぶつけたことは今まで一度もない。そもそも、これほど感情を揺さぶられたことすらなかった。かつての婚約者に恐怖と嫌悪の視線を向けられた時でさえ、仕方ないとしか思わなかった。どうしてこんなに腹が立つのか、どうしてこんなに悲しいのか。フローライトにも分からない。
「その後ずっと縁談がこなかったのも、私の力を知ってなお私を娶ろうと思って下さる方がいなかったからです。ジェイド様だってそうかもしれませんよね? それなのに、どうして簡単に言えるんですか? 心の中で嫌っても、態度に出さなければいいと思っていらっしゃるからですか!?」
「いや、それは……」
 ジェイドは口籠り、困り切った様子で王女を見つめ返してくる。
 公爵子息が王女から逃げ出すほどの力とは、何だ?
 王女がここまで言うほどの力とは、一体何なんだ?
 彼の瞳には、そんな疑問がありありと浮かんでいた。
 ジェイドが困惑するのは当たり前だと頭では理解できるのに、感情がついてこない。これ以上留まれば、もっと酷い言葉をぶつけてしまいそうで怖かった。
 フローライトはすっくと立ち上がり、ジェイドを見下ろした。
「私の力が何か、今のあなたに打ち明けることはできません!」
 王女は厳しい口調で宣言すると、脱兎のごとく走り去った。

◇◇◇◇◇

 翌日、フローライトは強い決意を胸に秘め、塔の階段を駆け上がった。
 とてもゆっくり歩いてはいられない。この後ジェイドと話す内容を考えると、いてもたってもいられなかった。
 ジェイドはフローライトの予想通り、最上階の小部屋にいた。
 窓辺のベンチに腰掛け、物憂げに外を眺めている。いつもの木刀は少し離れた石壁に立てかけられていた。ジェイドはフローライトがやってくると予想していたらしく、王女が声をかける前に振り向いた。
「来て下さると思っていた」
 ジェイドは穏やかな笑みを浮かべ、フローライトを見上げた。
 目の下にはうっすらとくまができている。充分な睡眠が取れていないからだろう。ジェイドの愛らしい瞳は、少年の姿に似つかわしくない昏い色をたたえていた。
 彼が抱えている苦悩の大きさを改めて突きつけられ、フローライトは激しい胸の痛みに襲われた。
 実際にジェイドを見てしまえば、彼の苦悩に寄り添わずにはいられない。いずれ消えると分かっている呪いにかかった時、どれほど絶望したことだろう。僅かな希望として残された自分に、「解呪はできない」と拒まれた時は、どれほど落胆したことだろう。
 だがジェイドはそんな負の感情をおくびにも出さず、フローライトを優しく労り続けてきた。彼への想いがますます深まっていく。
 強い感情に襲われ、立ち尽くした王女を見て、ジェイドは小さな溜息を吐いた。それから、思い切るように立ち上がり、まっすぐこちらを見つめてくる。
「誰かに聞きましたか?」
 唐突な質問だが、フローライトは動じなかった。
 彼女が全てを知ったことに、ジェイドも気づいたのだ。
「カルネの師匠にあたる魔法使いが、教えてくれました。ジェイド様に掛けられた呪いは、進行性のものだろう、と」
 思ったよりも冷静な声を出すことができて、ホッとする。ここで取り乱せば、ジェイドは自分を責めるだろう。彼はそういう人だ。
 ジェイドは軽く頷き、背筋を伸ばしてからきっちり腰を折った。
「申し訳ありません。もっと早く打ち明けるべきでした」

 フローライトが息を呑む音に、ジェイドの決心は強く揺さぶられた。
 真実を打ち明けた後、それでも傍にいて欲しいと懇願したい。優しいフローライトのことだ。哀れな末路を辿る男に同情し、彼の望みを叶えてくれるかもしれない。
 そうして得た猶予期間内にこの呪いを解くことさえできれば、ジェイドはその先の人生をかけて愛しい人を幸せにする為、努力することが許される。
 だが、もし呪いが解けなければ? 不幸になるのは、王女の全てを手に入れ、最期の一瞬まで傍にいてもらえる自分ではない。一人残されるフローライトだ。
 純真な王女を甘い希望で騙すことはできない。それだけは、できない。
(嫌だ、言いたくない。彼女を失いたくない!)
 もう一人のジェイドが獰猛に吼える。
 フローライトの顔を見てしまえば、きっと最後まで言えない。悲痛な本音を胸の中で押し潰し、ジェイドは頭を下げたまま続けた。
「姫の予言の力は、私の呪いとは無関係だった。私は、おそらくもって二年というところだろう。早々に別れが来ると分かっているのに、あなたをこの国に縛り付けることはできない。……婚約は解消して欲しい」
 心を殺す思いで言い切ったジェイドに、冷ややかな声が降ってくる。
「そう。ジェイド様は、役立たずの私を追い払ってしまおうと言うのですね」
「ちがう……!」
 ジェイドはとっさに顔を上げ、きつい口調で否定した。
「あなたは役立たずなどではない! 私の力不足だ、あなたには何の咎も――……」
 声を荒らげたジェイドは、フローライトが柔らかな笑みを浮かべていることに気づき、言葉を失った。何故そんな顔をしているのか分からない。何もかも承知していると言わんばかりの優しい表情に、ジェイドは混乱した。
「どうか、本当のことを仰って。ジェイド様は、私との婚約を解消したいのですか?」
 澄んだ碧色の瞳を涙の膜が覆っている。
 彼女も動揺していないわけではない。それでも懸命に涙を堪え、まっすぐにジェイドを見つめている。王女の凜とした眼差しは、雄弁に彼女の気持ちを物語っていた。
 フローライトは全てを知ってなお、ジェイドに寄り添おうとしているのだ。
 そのことに気づいた瞬間、愛しさが激しい衝動となって胸を突き上げてきた。
 寡婦となっても構わないと、フローライトは言っている。先のない男に自分を捧げると言ったも同然なのだ。ジェイドは痛いほど締め付けられる胸を押さえ、ゆるく首を振った。
「……すまない。私は噓をついた。……本音を言ってもいいのなら、あなたを離したくない。どこにも行かせたくない。あなたのいない日々を、私はもう想像できない」
 途切れ途切れに、だが確かな力強さを伴って振り絞られたジェイドの告白に、フローライトはくしゃりと顔を歪めた。
 塔へ来る前から張り詰めていた神経が、彼の言葉で緩んでしまう。
「わ、私もです。私だって、ジェイド様と一緒にいたい。離れたくないんです」
 フローライトは抑え切れない歓喜と、拭い切れない不安に震え、涙を零した。
 両思いになれたと、まだ手放しでは喜べない。ジェイドにもう秘密はないがフローライトには残っている。一世一代の告白だ。せめてまっすぐ背筋を伸ばし、綺麗な笑みを浮かべて済ませようと思っていたのに、どうしても涙が止められない。
(お願い。私を拒絶しないで。あなたの言葉を、噓にしないで)
 しゃくり上げたフローライトは、次の瞬間、柔らかなぬくもりを腹部に感じた。
 ジェイドが両手をめいっぱい広げて、フローライトを抱き締めてきたのだ。
 己の置かれた状態を正しく認識したフローライトは、更に感極まった。
 小さなつむじを見下ろし、フローライトもジェイドを抱き締め返した。
 立派な大人の体軀ではないし、守られるような安心感もない。だが、薄い身体の頼りない温もりは、フローライトにとって何にも代えがたい宝物だった。
「――どうか、もう泣かないでくれ。今の私ではこれが精一杯だ」
 悔しそうなくぐもった声が下から聞こえ、フローライトは泣きながら微笑んだ。
 逆に抱き締められている今の状態が不本意なのだろう。少年の姿をあれほど嫌っているのに、こうして自分を慰めようとしてくれたジェイドが愛おしくてならない。
「ジェイド様。私のギフトの正体を、知って下さいますか?」
 フローライトはジェイドを腕の中に閉じこめたまま、囁きかけた。
 ジェイドが弾かれたように顔を上げ、まじまじとフローライトを見つめてくる。
「それはもちろんだが、大丈夫なのか? あなたは話すのを怖がっていた。私が打ち明けたからといって、無理をする必要はない」
 ジェイドはフローライトの負担を心から案じていた。心配でたまらないと言わんばかりの顔を見て、フローライトは急に目の前が開けた気持ちになった。
 自分は何を怖がっていたのだろう。この方なら大丈夫だ。きっとありのままのフローライトを受け入れてくれる。
 そんな根拠のない自信が、みるみるうちに溢れてくる。
「いいえ。ジェイド様には知って欲しいの。私のギフトは、二十歳の誕生日には消えてしまう一時的なものです。それでも確かに、私の一部だから」
 フローライトの揺るぎない口調に、ジェイドも表情を引き締めた。
「分かった。では、改めて言わせてくれ。……あなたの力がどんなものでも、私があなたを嫌うことはない」
 ジェイドはきっぱり断言した後、念の為、ひと言付け加える。
「ただ、驚きはするかもしれないが、それは許して欲しい」
 フローライトは思わず噴き出した。どこまでも誠実であろうとするジェイドに、もう幾度感じたか分からない愛しさが込み上げてくる。
「それは仕方ないと思うわ」
 フローライトはにっこり笑うと、背中に手を回しドレスのボタンを外し始めた。
 これには覚悟を決めたジェイドもぎょっとしたようだが、ギフトに関わることだと察したのだろう、素早く後ろを向こうとする。
 フローライトはやんわり彼を止めた。
「ダメです、ジェイド様。私を見ていて下さい」
「だ、だが――」
「全部は脱ぎません。ゆるめるだけです」
 変身する瞬間を見てもらいたい。
 フローライトはもう、疑いの余地を一欠片すら残したくなかった。
 ジェイドは深呼吸を繰り返した後、おもむろにフローライトの方を振り向く。彼の表情に浮かぶ信頼に胸が温かくなった。
 フローライトは窓辺に近づき、胸の前で両手を組んで一心に念じ始めた。
(ホシムクドリがいいわ。あの夜のホシムクドリに、もう一度なりたい!)


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