書籍詳細

惚れさせたいアルファ王子と恋したくない転生オメガは運命の番
ISBNコード | 978-4-86669-795-6 |
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サイズ | 文庫本 |
ページ数 | 264ページ |
定価 | 836円(税込) |
発売日 | 2025/08/20 |
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内容紹介
人物紹介

セシリオ
バレエダンサーだった前世の記憶がある希少オメガ。居酒屋で舞を披露している。絶対惚れたくない受。

アンドレス
アマネセル王国の第二王子。セシリオを絶対惚れさせたい攻。

人間と黒豹獣人の混血双子のロペとシーロ。
立ち読み
【1】
弦楽器リュートが奏でるアップテンポな曲に合わせて、セシリオは床を蹴ってまっすぐ飛び上がる。その滞空時間に足を打ち合わせるバレエの跳躍技を繰り返し、酒場の余興を盛り上げた。
「いいぞ、セシリオ!」「宙に浮いているみたいだな」
酒場常連たちは、この店の二十二歳になる息子セシリオの舞を楽しみに通ってくれている。
跳躍技を降りると、セシリオはリュート奏者に目配せをし、最後の回転に入る。
不潔に思われない程度に整えた黒髪が、耳元でシャラ、と音を立てる。
(跳躍技アントルシャ・シスから四番のプリエ―ピルエット)
片足を軸足にかけて五回転するピルエットを見せると、演奏のフィニッシュに合わせて膝をつきポーズを決めた。
客たちから一斉に歓声が上がる。次々にセシリオの服や腰紐にチップが差し込まれた。
「ありがとう、どうもどうも」
どさくさに紛れて尻を揉もうとする手はぴしゃりと叩く。
「なんだよ、オメガなんだろお前」
叩かれた客が口をとがらせるので、セシリオは彼の胸を人差し指で突いてにらんだ。
「そうだよ、オメガだから触らせて当然? そんなわけないだろ、出直して来るんだな」
啖呵を切って、セシリオはキッチンからテーブルに酒を運び始めた。
自分の仕事は踊り子ではなく、この酒場の給仕なのだ。ただ、生活の苦しい実家のために客寄せとしてたまに踊っているだけで。
「あれだけ跳び上がって足が上がるんだ、普段から鍛えてるんだろうな……いやあ、しなやかな体つきがそそるぜ」
「顔もきれいだが、踊っているとさらにきれいだもんな。なんでも異国の振り付けだとか」
客の会話を横聞きして、心の中で返事をする。
(異国というか、前世のな……)
このアマネセル王国の国民として生まれる前の記憶を、セシリオは幼い頃から持っていた。
この世界よりはるかに文明の発達した世界の「日本」という国で、バレエダンサーという職業に就いていた、南裕貴という青年の―。
突然、客の青年が手首を掴み、酒を運んでいるセシリオを引き留めた。ブラウスにスラックスというシンプルな服装ながら、質のいい絹が使われていて、一目でいいところの坊ちゃんだと分かる。
「なあ、セシリオ。今度二人で出かけないか……もちろんそういう意味で口説いてるよ」
彼の視線が熱っぽい。体格や服装、そしてマナーの良さを見るにいい暮らしをしているアルファだろう。セシリオを含むオメガを孕ませることのできる希少な性―。
南裕貴のいた世界と違って、アマネセル王国を含むこの世界には男女とは別に第二の性がある。人口の八割はベータといって、男女の性別以外に目立った特徴のない者たちだ。
一割はオメガ。男女問わず子どもを授かる器官を持ち、約九十日に一度は発情期がやってくる。そのオメガのフェロモンに反応し、孕ませることができるのが残り一割―アルファだ。
“優性遺伝子の塊”と異名を持つアルファは、知能も体力も他の性より突出しているため支配階級に多いと言われるが、そうでなくてもいつの間にか名を上げて出世する。セシリオに言わせれば、生まれながらに成功を約束された性だ。
「セシリオと“番”なりたいアルファがたくさんいるのは知ってるんだ、でも僕はどうしても諦めきれなくて。その紫水晶のような瞳に吸い込まれそうになったあの日から、ずっと……」
アルファの青年が耳まで赤くして、そう告白する。
“番”とは、アルファとオメガの魂の契約と言われている。医学的な解明は進んでいないが、オメガは番以外のアルファを生理的に受け入れられなくなる上、婚姻関係のように解消もできないのだ。番に縛られるのはオメガだけで、アルファは番を得ても何の影響もないのだが……。
確かにアルファによく言い寄られるのはセシリオも自覚している。自分の黒髪と紫色の瞳が白肌をより際立たせることも、二十二歳にしては童顔でアルファの庇護欲をかき立てることも―。そうして身体の柔軟性を生かした踊りを披露するのだから、好意を寄せる者が相次いでも不思議なことではない。親だって、セシリオが裕福なアルファの番となって幸せに暮らすことを望んでいる。
当の本人が、それを望んでいないだけで。
セシリオは酒の載ったトレーをテーブルに置くと、両手で青年の手を包み込んだ。
「気持ちは嬉しいよ。でも俺、胸毛が三つ編みできるくらいの毛むくじゃらが好きなんだ……ごめんね」
そう告げてトレーを再び持ち上げた。心の中でこう叫びながら。
(俺はもう恋なんかに溺れない、絶対に)
青年が「三つ編み……」とつぶやきながらうなだれた。こう言えば、分別あるアルファのほとんどは諦めてくれるのだ。
店の奥で客同士が喧嘩を始めた。というより、粗暴な客が一方的に絡んでいるようにも見える。
「てめえ、言いがかりつけてんじゃねえ」
見慣れない民族衣装の男が、フードを目深にかぶった長身の胸ぐらを掴んでいた。
「言いがかりではない、お前が私の懐に手を入れようとしたから払っただけだ。残念ながら私は財布を持っていないがな」
どうも胸ぐらを掴まれた長身の男が、民族衣装の男のスリを指摘したらしい。同じ服装の仲間らしき数人が立ち上がって、腰元の剣を抜こうとしていた。最近増えている移民だ。気の合う連中もいれば、彼らのように荒っぽい者たちもいるので近年はトラブルが増えているのだ。
胸ぐらを掴まれている長身の男は、特にうろたえるでもなく、じっと相手を見据えている。
(乱闘は困るぞ)
セシリオはリュート奏者に声をかけ、また演奏を再開してもらった。
その音で客たちが一斉に顔を上げる。
注目を集めるように右手を高く掲げ、左手を腰に置きポジションを取った。
「さあ、何回転できるか賭けてくれ! 当てたら一杯おごるよ」
セシリオは左足を横九十度に上げたまま連続回転する男性バレエダンサーの大技グランド・ピルエットを披露する。方々から「五回」「十回」と声が上がる。
どんどん回るので、客たちがどよめく。
真横に上がっていた右足先を左膝に向けて曲げて三回転、さらにジャンプして空中で二回転するザンレールを決めて、両手を客に向けて開いた。
客たちから歓声が上がり、フロアは一気に盛り上がった。
その隙に、先ほど絡まれた長身の男と、その連れにセシリオは声をかけた。
「お代はいいから、今のうちに」
男はうなずいた。
「騒ぎを起こしたくなかったのだが……迷惑をかけたな」
低いのによく通る声だった。
突如ふわりと花の蜜の香りがした。
男物の香水にしては甘いな、と思いながら、セシリオは長身の男とその従者らしき者を裏口に案内した。
古びた扉を開けて彼らが出て行く際、長身の男が振り向いてセシリオに小袋を渡し、フードを外した。
金髪で襟足を短めに整えた、碧眼の美男だった。いや、美男という言葉があまりにも陳腐に感じるほどの美貌だった。意志の強そうな眉に、くっきりとしてバランスのいい目鼻立ち、整った薄い唇―。
あまりの美形に驚いたせいか、セシリオは自分の肌がびりびりと痺れるような感覚を覚えた。
「十八回だったな、ありがとう」
美男の指摘する数字が、先ほど見せた回転のことだったと気づいたときには、もう二人の背中は遠くなっていた。
金髪の男が立ち止まって、一度だけこちらを振り返った。
(忘れ物かな)
じっとこちらを見つめているようだ。
なぜかこちらも目が離せない。思わず追いかけてしまいそうな衝動に駆られ、一歩足を踏み出してしまう。
「そなた、名は」
近所に響くほどの大きな声で尋ねられる。
ただ名前を聞かれただけなのに、妙な高揚があった。
「……セシリオだ!」
返答したのと同時に金髪の男が連れに促され、再び駆け出した。
セシリオは、彼らの姿が見えなくなるまで見送っていた。そんな必要もないのに。こんなトラブルよくあることなのに。なぜかその場から動けなかった。
渡された小袋を開くと金貨が八枚―一般的な平民家庭の月収約四カ月分―も入っていて、驚いて床に落としてしまったのだった。
店じまいが終わり、セシリオは先ほど受け取った金貨を、酒場の主である父親に渡した。博打が好きなくせに小心者の父は、本当にもらっていいのか、あとから返済を要求されるのではないか、と怯えていた。
「いいんじゃないかな、たぶん返せなんて言ってこないよ」
なぜかそんな気がしていた。おそらくとんでもない金持ちだったのだろう。
あの体格といい堂々とした雰囲気といい、間違いなくアルファだ。姿勢の良さも際立っていたので貴族階級かもしれない。ならば金貨八枚など彼らの衣装代にもならないのだ。
父親には言わなかったが、金貨の入っていた小袋はセシリオがもらった。
彼の香水の残り香を、もう少し嗅いでいたいと思ったのだ。
「甘くて美味しそうでふわふわして、なんだろうこの気分……」
はっと我に返る。
(違う違う、香水が好きなだけで、あの客が気になるわけじゃない!)
そう自分に言い聞かせて頬をつねった。
「もう絶対、恋に溺れたくないんだ―」
自室のベッドに仰向きで倒れ込みながら、そう独り言を漏らす。
天井のシミを見つめながら、そう誓っている原因でもある、前世の記憶がじわりじわりと浮かぶのだった。
セシリオの前世―南裕貴は二十一歳という若さで他界した。車道の真ん中でトラックという燃料で走る大型車にはねられたのだ。
その主たる原因は、恋愛沙汰だった。
『君にはね、滾るような愛がない。愛を知らない踊りだ』
所属していたニューヨークのバレエ団でそう言われ続けて苦悩し、夢を諦め日本に帰国した。
その後、東京T・ダンスカンパニーという国内でも有数のバレエ団に入ったが、『愛を知らない踊り』という言葉を忘れられず苦しみ続けた。
ヨーロッパでも名をはせたバレエダンサーで、カンパニーの代表・玉尾に相談したところ「愛を教えてあげるよ」と押し倒されたのだ。最初は相手が代表ということもあって断れず、身体の関係に耐える一方だったが、身体を繋いでいる間は惜しみなく愛をささやいてくれるので、裕貴は次第に彼を次第に受け入れるようになり、これが恋だ、と思うようになった。
見える世界が色づき始めた頃、玉尾に婚約者がいることが発覚した。他のバレエ団のプリマドンナだった。
有名人である玉尾のスキャンダルは週刊誌に取り上げられ『バレエダンサー玉尾、美魔女プリマドンナと美青年バレエダンサー、両手に花のただれた性事情』と書かれてしまったのだ。
記事が出たその日、練習中に婚約者が乗り込んできて、罵られた上に暴力を振るわれた。
もちろん女性の力なのでさほどダメージはないが、その際、玉尾が「断ったのに裕貴がしつこく誘ってきた」と言い訳をしたことが大きな傷となった。
バレエ団はもちろん辞めた。こんな醜聞が広がった後では他のバレエ団にも入れてもらえない。行く当てもなくぼんやりと信号を渡っていたとき、暴走したトラックにはねられたのだ。
もっと周りを見て歩いていたら、避けられていたのだろうが―。
前世の最期を思い出しながら、セシリオは唇を噛んだ。
「何が『愛を知らない踊り』だよ、もう永遠に知らなくていい」
それなのに今世では、オメガという希少性であり、子を授かる身体に生まれてしまった。十六歳で初めて発情期を体験し、恐ろしくて震えたのを覚えている。
本能がアルファを欲しがっていたからだ。
これでは恋だなんだと言う前に、欲望に溺れてしまう。前世のように、身体を繋いだことをきっかけに心まで明け渡してしまった、あの過ちをまた繰り返してしまう―。
セシリオは身体を起こして鏡を見た。
黒髪を自分で短めに整えているのは、直毛で滑りが良すぎて紐で結べないからだ。紫色の瞳はくっきりとした二重で、少し幼さを残す。鼻は高くはないが鼻筋が通っているとよく褒められるので、きっと見た目はいいほうなのだろう。
だからこそ、自分に言い寄ってくるアルファが恐ろしいのだ。
身体の関係から始まり、裏切りに終わった前世の恋―おおよそ恋と呼べるものでもないが―を思い、オメガ性を呪って過ごすのだった。
(恋に囚われるのも、性欲に負けるのもごめんだ……南裕貴と同じ間違いは起こしたくない)
アルファとオメガには、数万組に一組の確率で「運命の番」というのが存在するらしい。
神に祝福された番として、そのカップルは特別待遇が受けられるそうだ。その番の誰もが「運命の恋に落ちた」と言うのだという。
言い寄ってくるアルファの中には「僕たちは運命の番かもしれない」などと花束を捧げてくる者もいたが、セシリオは身の毛がよだつ思いだった。
好きでもない相手と恋愛を強いられるような運命など、迷惑極まりない。
セシリオはそのままベッドに寝転び、信仰心が薄いくせに神に願うのだった。
(もし運命の番がいたとしても、一生出会いませんように)
このまま酒場の手伝いとして歩むつもりの人生が一変したのは、その数日後のことだった。
突然、港を牛耳っていたマフィアが、酒場に大勢の手下を連れて乗り込んできたのだ。
開店前の準備中だったので、父母と自分しか店にはいない。
「なんですか突然!」
セシリオの抗議に、マフィアの幹部らしき男が「父親に聞いてみな」と顎をしゃくった。
振り向くと隣で、顔面蒼白の父親がぶつぶつと何かをつぶやいていた。
「こんなはずじゃなかったんだ、一発逆転で大金持ちになれるはずだったんだ……」
父親は大きな事業があると友人に話をもちかけられ、店を抵当に入れて大金を出資していた。その友人が資金を持って逃亡。そのビジネスに一枚噛んでいたマフィアが、友人が借金した分も含め父親に返済を求めたのだった。
「こんなボロ酒場じゃ三分の一も返せねえなあ」
「店を奪われたら、私たちは路頭に迷ってしまいます……!」
父親が分割返済を懇願するが、幹部の男は「知ったこっちゃねえよ」と父親の頭をはたいた。
震える母親を抱き込んでかばっていたセシリオを、幹部の男は見た。
「ん、やけにきれいな男だな―お前オメガか」
セシリオは前髪を掴まれて顔をのぞき込まれる。
「なんだ、親父さん、まだ金になるものがあるじゃないか」
幹部はそう言うと、セシリオを引っ張って立たせた。
「オメガは発情期のアレがいいってのと、男はさらに頑丈で色々楽しめるってんで、高く売れるんだぜ」
幹部はセシリオを寄越せば借金は帳消しにする、と両親に提案した。
両親は必死に抵抗したが、拒否権などないかのように書類が用意される。
手下が幹部に「こいつ踊れるオメガだって有名なんです」と耳打ちすると、幹部はにやりと笑った。
「そりゃあいい、じゃあ借金の帳消しに加えて、店もきれいに改修してやろう」
かなり条件のいい提案だった。
セシリオは、刃物で脅されて涙ながらに書類にサインをする父親を眺めていた。母親はその場にへたり込んで嗚咽を漏らしている。
(俺、売られるんだな)
前世ではくだらない色恋沙汰に翻弄され、事故を避けられず死んでしまった。死の間際に何を思い浮かべていたかというと、やはり親や兄弟のことだった。あんな無駄死にで家族を悲しませてしまった前世を思うと、今世は親の窮地を助けられる人生になるのだから、それもいいかもしれないと思った。それはそれとして、父親の見通しの甘さには腹が立つのだが。
ただ、一つだけ気になることがあった。
「猟奇的な趣味のやつに買われることもあるのか。命の保証は―」
セシリオの問いにマフィアの幹部は肩をすくめる。
「さあどうかな。オメガの男ってなると相当な金持ちしか手が出せない値段になるから、まともな割合が高いといいな。中には気に入られて金持ちの妾に大出世する奴隷もいるくらいだから、せいぜい頑張るんだな」
「妾か……」
くだらない、と心の中で吐き捨てて、セシリオはおとなしく両手を差し出した。手下の男が手首に縄を巻いていく。まるで犯罪者だ。
泣いてこちらを見る両親にセシリオは言った。
「聞いただろ、金持ちに買われて贅沢な暮らしができるかもしれないってさ。父さん、もう儲け話に乗ったらだめだ、全然向いてないんだから」
店内から両親の泣き声が聞こえる。セシリオはそのまま、幹部たちの馬車に乗せられるのだった。
無理やり風呂で肌を磨き上げられ、着飾って連れてこられたのは奴隷競売の会場だった。
ドレスやタキシード姿の貴族や豪商たちがこちらをにやにやと見ている。
先ほど出品された美少女は劇団に、その前の健康そうな美青年は、ふくよかな中年の女性貴族に、そして筋骨隆々の男は傭兵団に買われていった。なんとなく購入意図に想像がつく。
それならば自分にはどんな需要があるのだろうか―。なんでもいいが、健康を損なわない扱いをしてくれる主が現れることを祈るばかりだ。
自分の前に出品された双子の男児は、舞台に登場してもあまり盛り上がっていなかった。理由は、ただの幼児ではないからだ。黒くて丸い耳に長い尻尾―おそらくネコ科の獣人だ。
この世界には、前世とはもう一つ異なる特徴がある。
人間社会に半獣姿の獣人が紛れて生活しているという点だ。
獣人は、身体能力は人間より高いものの身分は低く、奴隷や使用人として生活している者が多い。それ以外は獣人街というエリアで固まって生活しているが、貧民が多く治安も悪いため人間は近寄らないのだ。
身体能力が高いため、大人の獣人は傭兵や護衛として買い手がつくが、子どもとなると需要がないらしい。
五歳くらいだろうか、双子の黒豹獣人の男児は手を繋ぎ、舞台で震えて立っていた。一人はもう泣き出している。
「泣くな、ロペ。おれたちが売れないとお母さんのお薬買えないんだぞ」
「だって、ぼく……こわくておしっこちびりそう」
非常に気になる会話だったが、自分だって両手に枷をはめられた売り物で、何もしてやれない。
司会者が、双子が人間と黒豹獣人の混血だと紹介すると、いっそう客が黙り込んだ。スタッフの誰かが「混血じゃ、大人になっても使えるか分からないしなあ」とため息をつく。人間の血が強く出れば、身体能力に期待ができないということだろうか。
結局双子は買い手がつかないまま、舞台袖に引っ込んだ。落ち込んでいる二人とすれ違う際、セシリオはつい頭を撫でてしまった。
不思議そうに顔を上げる二人に、慰めの言葉をかけたかったが出てこなかった。
母親の薬代ができたとしても、それと引き換えに彼らが地獄を見る可能性だってある。お互い、少しでも安心して過ごせる環境に身を置けることを願って、無言でただ笑いかけることしかできなかった。
「きれいなひと……」
双子のうち、泣いていたほうの子獣人が小さな声で褒めてくれた。
セシリオの順番がやってきた。舞台の真ん中にまっすぐ立って顔を上げる。
フリルタイのついた黒のブラウスに、白のパンツを穿かされていた。上等な革靴まで用意されていたので、なんだかプレゼント用にラッピングされた気分だった。
「それでは本日の目玉です。二十二歳の青年、健康体、そしてなんと……オメガです!」
司会の紹介に客たちがざわついた。オメガの出品は珍しいらしい。
「医師の検診により、発情期も遅れなくやってくるとのお墨付きをいただいております」
その言葉に、またざわめきが起こる。ニタ……と笑う中年の貴族、顔を赤くして真剣に見つめてくる若い青年、頭からつま先までじろじろと検分する紳士―。色々な欲望が、セシリオに集まった。気味の悪さで鳥肌が立つ。
「この者は特技がありまして、美しいダンスができると街で評判の青年だそうです」
司会の紹介に、誰かが「踊ってみせろ」と叫んだ。司会は警備兵に目配せをして、セシリオの手首の拘束を解く。
「何か披露してみなさい」
セシリオはふと気づいた。踊りが認められれば、劇団などショービジネスをしている組織に買ってもらえるかもしれない、と。
幸いここはステージ。薄暗いが、酒場と違って広さは十分にある。
「演奏が欲しいな」
司会にリクエストすると、彼の指示でステージの端にピアノが設置された。そこに座ったホール専用のピアニストに、ゆったりとしたテンポで盛り上がるメロディを八小節ずつ繰り返してくれと頼んで、革靴を脱いだ。
しん、と静まったステージで、ピアノのメロディが聞こえてくる。
前世でバレエ団にいた頃、ピアノの生演奏をBGMに行っていた練習風景を思い出していた。夢中で踊っていたあの頃―。
ポジションを取り、ゆったりと片足を後ろに回して大きく弧を描くランヴェルセを披露する。足が床に着いたら一回転して、再び身体を反らせてランヴェルセ―。
そうして舞台を周回し、舞台の下手に到達すると、跳び上がって空中の後方で足を二度打ち付けるカブリオール・デリエールを、舞台端に至るまで三度やってみせた。
最後に華やかに見せようと、バレリーナがよくするフェッテ―上げたほうの足で勢いをつけ、片足で連続回転する―で締めくくる。
セシリオは自分の立場を忘れて踊っていた。
広いステージで客の視線を浴びながら、誰よりも高く跳び、誰よりもうまく演じたいと願って稽古していた南裕貴の青春を思い出していた。
(やっぱり俺、バレエが好きなんだよな。嫌な思い出がくっついてくるだけで……)
転生して物心ついた頃から、部屋や裏庭でのバレエの練習を欠かしたことはない。
オメガは比較的筋肉がつきにくい体質のため、南裕貴だった頃のようにバレエダンサー特有のがっしりとした体格にはなりにくい。一方でこの性の身体は柔軟性が高く、女性ダンサー特有の振り付けも難なくこなせた。踊りを評価して自分を買ってくれるのなら、こんなよい“もらわれ先”はない―とセシリオは思ったのだ。
フィニッシュで片手を掲げると、歓声が上がった。
すぐに始まった競売は、金貨三十枚から始まり、どんどん値がつり上がっていく。二百五十枚に到達したところで、参戦する客の声が止まった。
父親の借金を帳消しにしてもらえるはずだ、彼が背負っていたのは金貨四十枚なのだから。
決まりかけたところで、黒いタキシード姿の初老男性が手を上げた。
「四百」
その瞬間、セシリオの落札が決まった。この奴隷競売場が始まって以来の、最高額での落札だったという。
荷馬車に放り込まれるかと思いきや、セシリオはタキシード姿の男性の馬車に乗せてもらっていた。
手かせも外してもらった。向かいに座る男性はしばらく黙り込んでいたが、突如口を開いた。
「お前の仕事は、とある高貴な女性やオメガのお住まいでの余興担当だ」
「高貴な女性やオメガのお住まい―ですか」
それを聞いてセシリオは胸を撫で下ろした。変態アルファの貴族に買われたわけではなかったのだ。
「ああ、お世話をする使用人や奴隷も、女とオメガしかいない。そこに常に足を踏み入れられるオメガ以外の男は、その館の主だけだ」
よく分からないが高級娼館のようなところだろうか。
名前を聞かれ答えると、タキシードの男性は白い顎髭に触れながらこう告げた。
「セシリオ、今日私は、お前の踊りを見て確信した。きっと後宮に新しい風を吹き込んでくれると。現在の後宮に漂う、淫猥で陰湿な空気を一掃してくれるに違いないと―」
セシリオは分からないまま「はい、頑張ります」と元気よく答えて、しばらく考え込んだ。
「後宮……?」
「お前が従事するのは、王族の愛妾がたが暮らしている後宮だ」
男性は馬車窓のカーテンを開けた。
窓の向こうには、尖頭アーチが印象的な巨大な城がそびえ立っていた。青いとがった屋根は天空向けて伸び続けているようにも見えた。
「あれは王宮だ。お前が勤める後宮は、王宮に隣接するあの白亜の城だ」
高さはさほどないが、横に広がった豪奢な建物だった。
「あんな立派な建物で、働くんですか……!」
建物が立派とはいえ、どんな下働きが待っているのかは分からない。セシリオは気を引き締めて、顔をぱしぱしと叩くのだった。
後宮に到着すると、着飾った男女がぞろぞろと吹き抜けの二階から顔を出した。
「あの子が金貨四百枚の奴隷ね……!」「本当にオメガ? 美人だけど他のオメガより身体がしっかりしてない?」「珍しい踊りができるそうだよ」
遠目からでも分かるが、誰もが美しかった。王族の愛妾に認められ、後宮で彼らを癒やしている女性やオメガだ。容姿も身分も、選び抜かれた人々なのだろう。
セシリオは使用人頭のもとで、立場や仕事に関する説明を受けていた。
使用人頭のマリエールは、五十代くらいの女性だ。後宮には王族の愛妾が二十二人と、月給で雇われた使用人が五十人ほど、買われた奴隷が四十人ほどいる。
いずれも女性または男性のオメガで、この後宮に足を踏み入れられる男性―オメガをのぞく―は王族か王族に管理を任された者しかいないという。
下級貴族や豪商などの子女が多い使用人たちは愛妾のお付きなどの業務を担い、奴隷たちは洗濯や掃除など水仕事や汚れやすい仕事を任されている。
ふんふん、とうなずくセシリオを、マリエールは指さした。
「聞けばお前、踊りができるそうね? 余興を命じられたらすぐに応じられるよう、夜はいつも準備しておきなさい」
セシリオはうなずいて「質問ですが―」と口を開いた。
その瞬間、パンと頬を平手で叩かれる。さほど力は強くないが、突然のことで頭が真っ白になってしまった。
「奴隷が勝手にしゃべらない。問いに答える以外は手を上げて発言の許可を取りなさい」
自分の立場が、そのとき明確になった。
奴隷というのは、人として扱ってもらえないのだ。今まで当然だと思っていた権利がすべて奪われるものとなる―。
これが、親の借金と引き換えに、自分の置かれた境遇だった。
セシリオは、使用人頭マリエールの指導通り、手を上げて発言許可をもらってから、踊りのためには毎日の練習が必要で、その時間と場所をもらいたいと訴えた。
「そんなに激しい踊りなの?」
「柔軟性と筋力が必要で、筋力などはオメガの身体なので練習をサボるとすぐに衰えます」
夜の裏庭なら誰もいないので使ってよい、との許可をもらってセシリオは安堵した。
また衣料品を一式渡される。シンプルなチュニックとパンツだった。
「奴隷は基本王族の前に出ることはないから正装は不要。お前は余興をするので、衣装は被服係に相談しなさい。それと楽団のところにも顔を出して、挨拶と打ち合わせを」
セシリオは頭を下げて、理解したことを伝える。
「後宮の愛妾は女性七割、残りは男性のオメガのみ。使用人や奴隷も似たような比率よ。ああ、そうだ、発情期は仕事をしなくていいから、周囲に迷惑をかけないよう部屋に籠もりなさい」
発言を許されていないセシリオは、またにっこりと笑ってうなずいた。
マリエールがセシリオの前髪を分けて顔をじっと見る。そうして不機嫌そうに眉根を寄せた。
「見た目は悪くないけど、こんな者に本当に金貨四百枚の価値があるのかしらね」
こっちだって聞きたいよ、と胸中で反論しつつ、奴隷の居住エリアへと向かった。
そこは、じめじめとした不衛生な部屋ですし詰めになっているイメージだったが、清潔な四人部屋だった。同じ部屋の三人は、全員男性のオメガ。セシリオの入室に合わせて、飛び込んで来た。
そのうちの一人で、人なつっこそうな青年が声をかけてきた。
「ようこそ奴隷部屋へ!」
聞いてみるとすごい響きだな、と思った。青年はメリノと名乗った。十九歳というから、まだ少し幼さが残るのもうなずける。
「ねえねえ、すごく高額で買われたんでしょう? やっぱり愛妾候補なの?」
まさか、とセシリオは首を振った。
「踊りができるから、下働き以外にも余興を任されるって聞いてる」
「でもでも王族の前で踊るってことだよね、見初められる機会があるかも」
ぐいぐいと詰め寄ってくるメリノに、そんなわけないよ、と返す。
「そうだよねえ、愛妾とはいえみんな下級貴族か裕福な平民。使用人から愛妾に出世する人も十年に一人くらいらしいから、奴隷が愛妾になるなんて無理だよねえ」
他の同室のオメガたちもうなずいている。
「でも夢くらい見たいよね。奴隷とはいえ、容姿の良さで選ばれているんだからね。セシリオも運がいいよ、奴隷のオメガなんかほぼ慰み者になるんだから、後宮に買われるなんて奴隷の出世頭だよ」
奴隷の出世頭、というフレーズに混乱しつつも、慰み者……というくだりには背中に一筋、汗が流れ落ちるのを感じた。まさに自分は、一歩間違えれば性奴隷だったのだと―。
その二日後、早速セシリオの出番がやってきた。第一王子が後宮を訪れたのだ。宴を希望しているとのことで、セシリオにも声がかかった。
演奏担当のイリナがセシリオに声をかける。
「第一王子のディオニシオ殿下が一番頻繁にいらっしゃるの」
「へえ、他の人は来ないの?」
「国王陛下と三人の王弟殿下はいらっしゃるわね……第二王子は顔を見せたことがないわ。愛妾が一人もいないもの」
後宮にいるのは愛妾だけ。王宮にはそれぞれの正妃が住んでいるというのだから、きっと愛妻家なのだろう、と指摘すると、イリナは「よくぞ聞いてくれた」とセシリオに耳打ちした。
「それが第二王子―アンドレス殿下だけはご結婚もされてないのよ、二十六歳にもなって。絶世の美男と言われ各国の姫君から縁談が来ているというのに……!」
絶世の美男で優秀なアルファなのに、縁談には目もくれず浮いた話もないため、男性、そしてアルファとして不能なのではと噂もあるという。
自分には関係のない話だが、顔も知らない第二王子の不能ぶりに少しだけ好感が持てたのは、第一王子のただれ具合を直視したその夜のことだった。
この続きは「惚れさせたいアルファ王子と恋したくない転生オメガは運命の番」でお楽しみください♪