書籍詳細
異世界の神子は若き堅物陛下に寵愛される
ISBNコード | 978-4-86669-710-9 |
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サイズ | 文庫本 |
定価 | 836円(税込) |
発売日 | 2024/10/18 |
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内容紹介
人物紹介
垣内聖悟(かきうちしょうご)
18歳の神子。5年前異世界転移した。純粋なので、「自慰」や「キス」すら知らない。
ドミニクス・アウフスタイン・バームスロット
25歳の王様。5年前突然落ちてきたショーゴを保護し、自分の庇護下に置く。
立ち読み
◇1
開け放した窓から入り込んだ穏やかな風が、僕の髪を撫でるように通り過ぎていく。
「もうっ、窓を開けっぱなしにしたのは誰なの? おかげでショーゴさまの御髪が乱れてしまったじゃない」
女官長が厳しい口調で後輩女官たちに注意をする。
「そんなに怒らないで。乱れたって言ってもほんの少しだし。それに朝から正装しているせいで、暑くてたまらなかったんだ」
だから涼しい風に当たれて気持ちいいよ……そう言ったのだけれど、女官長からは、
「ショーゴさまはそうやって、すぐ女官たちを甘やかすんですから」
なんてお小言を喰らってしまった。
彼女曰く、僕は女官たちを甘やかしすぎなのだとか。
ほかの王族や貴族のように、もっと偉ぶってもいいのですよ? と言われたこともあった。
『ショーゴさまは神の御遣い―我が国の尊き神子さまなのですから』
と。
五年前。
日本で生まれ育った平凡な中学生だった僕―垣内聖悟は、異世界であるバームスロット王国に突然転移した。
十三歳の、暑い夏の日だった。
日本では、平々凡々な中学生でしかなかった僕は、異世界では神の御遣いであると認定され、神子と呼ばれるように。神さまに次いで偉く、国王と同等の身分だ。
内気で苛められっ子だった僕が、今では人々から敬われる存在となっているなんて。
人生は本当にわからないものだ。
「ショーゴ」
名前を呼ばれて振り向くと、そこに彼の姿があった。
この世界に突然落ちてきた僕を救い、庇護し、慈しんでくれた人。
そして。
―僕が恋い焦がれる、愛しい愛しい人。
五年前、もしもあんな行動を取らなければ。もしも異世界に転移しなければ。
僕は彼と出会うことはなかった。
彼と出会えた奇跡を、心の中で感謝する。
差し伸べられた手を取ると、指先から彼の熱が伝わってきた。胸がトクトクと高鳴っていく。
チラリと彼を見上げると、柔和な笑みを向けられた。
初めて出会ったときと変わらない笑顔。
それを見た瞬間、僕の脳裏に彼と出会うキッカケとなった五年前の出来事が、色鮮やかに蘇ったのだった―。
*****
「待てっ!!」
背後から聞こえる怒鳴り声を振り切るように、僕は懸命に足を動かし逃げ続けた。
僕を追いかけてくるのは同じクラスの男子五人。
彼らはいわゆる苛めっ子で、対する僕は苛められっ子。クラスの隅っこで一人大人しく本を読んでいるような陰キャな僕は、中学に入学すると同時に彼らのターゲットになってしまった。
私立の進学校にもかかわらず、苛めなんてする生徒がいるとは思わなくて、初めて嫌がらせを受けたときは凄く驚いた。最初は言葉での攻撃だけだったのが、暴力が含まれるようになるまであまり時間はかからなくて。
普段から「無表情だよね」と言われることの多い僕が、暴力を受けてもあまり表情を変えなかったことが、苛めっ子たちの行為に拍車をかけたようだ。誰が一番最初に僕の顔色を変えさせるか競争しようとか言って、さらに暴力を振るってくる。
けれど憂鬱な毎日は、夏休みに入ることで終わりを迎えた。苛めっ子たちに会わずに済むようになったからだ。
久しぶりにやってきた、暴言も暴力もない日常。
家と塾を往復するだけの、特に代わり映えのない毎日だったけれど、身も心も穏やかに過ごせることが何より嬉しかった。
こんな毎日がこれからも続けばいいのに、なんて思っていたのだけれど。
僕の願いも虚しく、塾からの帰り道に苛めっ子たちとバッタリ遭遇してしまったのだ。
彼らは僕を見かけるとすぐに、ニヤついた顔で近寄って来た。いつも僕を殴るときに浮かべる表情。これまで受けてきた痛みを思い出して、震えが走る。
殴られたくない一心の僕は、全速力でその場から逃げ出した。
だけど苛めっ子たちが逃がしてくれるはずもなく、当然のように追いかけられて。
体育が苦手で、運動なんて大嫌いな僕だけれど、痛いのは嫌だから必死になって走り続けた。
これが、僕の運命を大きく変えることになるなんて、思いもせずに。
大通りから狭い路地に逃げ込んで、闇雲に走り回る。息は絶え絶え、肺が激しく痛みだし、足はもう限界。
でもこの先を進めばたしか、交番のある通りに出るはず。そこまで頑張れば……。
そう思いながら角を曲がった先にあったのは、さらに先へと続く道……の前に立ちはだかる、高さ二メートルほどのフェンスだった。
まさかの行き止まり。道を間違えた。最悪だ。
振り返ると、苛めっ子たちがすぐそこまで迫っている。このままでは捕まってしまう。
―こうなったら。
僕は目の前のフェンスを両手で摑み、無我夢中で登り始めた。その先に続く道に出てしまえば、逃げきれる可能性は高い。疲れ切ってガクガクする足を何度も滑らせ、落ちかけながらも、とにかく必死で上を目指す。
二メートルとはいえ、高所恐怖症の僕には充分怯む高さ。着地に失敗すれば、怪我をするかもしれない。だけどあいつらに捕まったら、それ以上に怪我をさせられる。
意を決した僕は、反対側に向かって一気に飛び降りた。
その瞬間。
周囲の景色がグニャリと歪んだ。
「えっ……?」
歪んだ景色が霞がかったみたいに、白一色に塗り潰される。何かに引っ張られるように、スピードを上げながらどんどん落下していく。まるで、雲の中でスカイダイビングをしているようだった。
理解不能な現象と、ひたすら続く落下感。いくら二メートルが結構な高さっていっても、こんなに長い時間落ち続けるなんてあり得ない。
沸き上がる恐怖心に体の奥がゾワゾワして、一瞬でパニックに陥った。
「わあああああああっ!?」
悲鳴を上げる以外に何もできず、落ちるに身を任せるだけの僕。
絶叫しながら白一色の世界をひたすら落ち続けていると、遠くのほうに光が見えた。
それに吸い寄せられるように、僕の体はさらに速度を増していく。初めは小さな点のように見えたそれは、淡い黄金色に輝く巨大な光の球だった。
あっという間に目の前に迫る球。避けるなんて絶対無理だ。
―ぶつかるっ!!
あまりの眩しさと、ぶつかったときの衝撃を予想して、咄嗟にギュッと目を瞑った。
けれど、思っていたような衝撃や痛みに襲われることはなく。
むしろスライムみたいな粘膜状の物の中に、ズボッと入り込んだ感覚がした。あれほど続いていた落下も、同時に終了。思わず本日二度目の「えっ?」が漏れる。
まさかのことにビックリしてソッと目を開けると、周囲の景色がユラユラと揺れて見えた。
まるで水の中を見ているみたいだった。
―何、これ。
呆然としていると、下のほうが騒がしいことに気づいた。どうやら人の声のようだ。
「?」
不思議に思って足下に目線を落とすと、そこには体育館くらい広い部屋が見えた。
その中央に設置された、円形の大きな台を取り囲むように立つ、大勢の人々。その場にいた全員が、驚いた顔でこちらを見上げて何か叫んでいる。
―何? あの人たち……。
目をこらしてよく見ようとしたとき。
粘膜状の物が突然パァンと弾け、足下が崩れる感覚がした。ガクンと落ちる体。再びの急降下である。
「あああああああああああああっ!!」
―何これ、一体どういうこと!?
なんて思ったところで、答えが出るはずもなく。
その間も落下は全く止まらない。石の床がグングン近づいてくる。
―ぶつかる!!
今度こそ激しい痛みを覚悟して、目を瞑った僕だったけれど……思っていたような衝撃を受けることはなかった。床に激突する寸前で、逞しい腕が僕の体を受け止めてくれたのだ。
驚いて目を開けると、光を放ちながら宙を舞う無数の花びらが見えた。
ひらり、ひらり。
さっき見た粘膜状の物に似た黄金色の光が、僕の周囲を踊るように漂っている。
恐怖や驚きを一瞬で吹き飛ばすほどの幻想的な光景を、呆然と見詰めた。
「大丈夫か」
そう声をかけられてハッとする。
視線を移すと、そこにいたのは金髪に白い肌の、端整な顔立ちをした外国人男性だった。彫りの深い顔はちょっと厳つい感じもするけれど、ハリウッドスターも二度見するくらいの超絶イケメンであることは間違いない。
男性は僕を横抱きに抱えながら、心配そうに見つめている。
助けてもらったお礼を言わなきゃいけないけれど、体の震えが止まらないし、言葉が上手く出てこない。フェンスを越えてから起こった不可解な出来事に、僕の精神はもはや限界を迎えていたんだと思う。
彼はそんな僕の状態に気づいてくれたようで、「無理に答えなくていい」と言って髪を撫でてくれた。小さな子どもをあやしているような仕草だけれど、頰をかすめるイケメンさんの手の温かさが心地よくて、なんだか不思議と安心する。
「いつまでもここにいるわけにはいかないな。少し移動するぞ」
そう言うとイケメンさんは僕を抱いたまま、スタスタと歩き始めた。チラリと周りを窺うと、僕たちがいるのは部屋の中央に置かれた、ステージのような場所だということがわかった。ほかより一段高くなっており、大勢の人たちが僕とイケメンさんを凝視している。
足下にはグシャグシャになった白い布と、高価そうな飾り(?)みたいな物、それから沢山の花が所狭しと散らばっていた。
ほとんどが花托から離れて花びらだけの状態になっているけれど、その全てが仄かに光っている。目を開けたときに見えたのは、この花だったようだ。
―それにしても、光る花なんて初めて見た……。
そんなもの、今まで見たことも聞いたこともない。だけど光るキノコや苔があるっていうくらいだし、俺が知らないだけでそういう花が存在していてもおかしくないのかも?
そんなことを考えていると。
「お待ちくださいっ!!」
という叫び声と共に進み出てきたのは、頭頂部がつるりと禿げ上がった中年男性だった。
大きな襟のついた白いワンピースを着て、ゲームに出てくる魔法使いが使うような大きな杖を持っている。
……コスプレ?
見慣れない服装に、そんな考えが頭に浮かぶ。
だって、うちの父より遙かに年上と思われる大人が、こんな服装なんて……コスプレ以外にあり得ない。
―あれ?
そういえばここにいる全員が、なんだか不思議な服装をしていることに気づいた。
男の人は膝丈くらいあるチュニックのような物の下に、レギンスみたいなピッチリしたパンツを穿いて、マントを羽織っている。
女の人は顎ひもつきの四角い帽子を被っていて、ストンとしたワンピースドレススタイル。
よく見ればイケメンさんも、赤い毛皮のコートに王冠みたいなのを被っているし。
僕のように、Tシャツとハーフパンツというラフな服装をしている人は、誰もいない。
ふと、教科書に載っていた中世ヨーロッパ人の服装を思い出す。
……なんだか凄く、嫌な予感がする。
見たこともないような風景。
中世ヨーロッパを思わせる衣服を纏った人々。
どう見ても欧米や北欧系の人にしか見えないのに、普通に言葉が通じてしまう。
これらの全てが、マンガやアニメでよく見たパターンに酷似している。
―これって、まさかの……。
僕の脳裏を荒唐無稽な発想がよぎり、こめかみを冷たい汗が流れ落ちた。
そんな僕の様子に中年男性は気づいてないようで、
「不届き者を、即刻お引き渡しください!」
なんて興奮している。血走った目と、鬼のような形相が怖い。
その声に呼応するように、剣を持って武装した屈強な男たちが僕たちを取り囲む。
彼らの殺気に中てられた僕は、思わずヒュッと息を呑んだ。無意識にイケメンさんの服を握りしめてしまう。
そんな僕をキュッと抱きしめたイケメンさんは、ゆっくりと僕の背中をさすってくれた。
彼からは周囲の人々のような敵意が感じられない。むしろ、優しさが伝わってくる。
そのことに安心した瞬間、張り詰めていたものが、一気に決壊した。
ジワジワと涙が浮かんでくる。もう限界だったのだ。
だけど人前で泣くことなんてできない。全身に力を籠めて涙をグッと堪えると、代わりに鼻水が垂れてきた。
流れないようにグスングスンとすすっていると、
「剣を収めよ」
凜とした声で、イケメンさんが男たちに命令した。周囲に漂っていた殺気が、一瞬にして戸惑いに変わる。さらに中年男性に向かって「この子をどうする気だ」と問いかける。
中年男性は「それは当然」と言い、スゥッと大きく息を吸い込んでから、仰々しく口を開いた。
「神の生け贄に」
生け贄―という言葉に体が硬直する。
だってそれって、殺されるってことだよね? 僕、死ぬの? なんで? どうして死ななきゃいけないの?
頭の奥がグワングワンと激しい音を立てて、血の気が引いていく。
イケメンさんは中年男性の言葉を鼻で笑うと、
「神は生け贄など望んでおらん」
と言って、そのままズンズン進んでいく。
だけど中年男性は、唾を飛ばさんばかりの勢いで、なおも言葉を続ける。
「その者は神事の流れを止めたばかりか、神の教えに背いてこの場を荒らしたのですぞ!」
周囲から「そうだそうだ」といったような声が沸き上がる。
僕は場を荒らす気なんてなかったし、不可抗力だ! なんて言葉は通用しそうにない。
「それにその者は、人間でない可能性もあります」
人間の皮を被ったバケモノかもしれない……と中年男性は断言する始末。
「なぜ、そう考える」
「ただの人間であれば、あのような高い所まで登れるはずがありません!」
中年男性は上に向かって指さした。そこにあったのはツルリとしたドーム型の天井。高さは多分、五階建てのビルくらいありそうだ。
え、僕あそこから落ちてきたの?
もしもイケメンさんが助けてくれなかったらと思った瞬間、全身から冷や汗が吹き出した。
次第に大きくなっていく人々の声。ただただ怯えることしかできない僕だったけれど、イケメンさんだけは落ち着き払った態度を崩さなかった。
「ゆえに、贄にする……と?」
「当然です。重要な神事でこのような騒動を起こした者を、神はお赦しにならないでしょう。災厄がこの国に降りかかるやもしれません。そうなる前に一刻も早く、この者を八つ裂きにして血肉を捧げる必要が」
「ならん!!」
中年男性の言葉を遮り、イケメンさんが一喝した。
あまりの大声に体をビクリと震わせた僕に気づいたイケメンさんは、「驚かせてすまない」と謝罪した後、中年男性に向き直り「その必要はない」と断言した。
「この子をお赦しにならないと、神自身がおっしゃったのか?」
「それは……ですが、これだけのことをしたのです。神はきっと、お怒りのはず」
「もしも本当に神の怒りに触れたのならば、この子はここに落ちてきた瞬間、神罰が下ったことだろうよ。そなたも覚えておろう? 先王の最期を」
その言葉に中年男性はギクリと体を震わせた。けれどなんとしてでも僕を生け贄にしたいようで、
「これだけの騒ぎを起こしておきながら平然と振る舞うなど、普通の人間にはできません!」
なんてことを猛然と言う。
多分、僕が無表情でいるから、平然としていると中年男性は受け取ったんだと思う。僕は昔から、感情があまり表に出ないタイプなんだ。それで、怒ってるとかつまらなそうとか、たびたび誤解を受けてきたのだけれど、それを今この人に言っても信じてくれなそう。
表情筋が全く活躍しない自分の体質に、絶望するしかない。
彼の発言にはイケメンさんも呆れたようで、
「何を馬鹿なことを」
と言い捨てたけれど、中年男性の勢いは止まらない。
「これは魔物の可能性が充分考えられるのですぞ! わざわざ神事を狙って妨害したことが、確たる証拠。そ、それにその格好!」
中年男性はやや顔を赤らめながら、僕を指さした。別におかしな格好はしていない。
だけど中年男性からすれば、僕の服装は大問題だったようで。
「そのように肌を晒すなど、魔物以外にあり得ません! 即刻処分しなければ!!」
肌? どういうこと?
ううん、それよりも。
魔物。中年男性は、たしかにそう言った。
―あぁ、それじゃここはやっぱり……。
さっきの憶測が正しかったことを察する。
フェンスを跳び越えた瞬間、僕は多分、異世界に転移してしまったんだ。
ここはきっと、日本では想像のイキモノとされてきたものが、現実にいる世界。
地球のようで、地球ではない場所。
そんなこと、創作の世界だけの話であって、現実に起こるわけがないと思っていたのに……。
まさかの事態に胃がギュウッとなって、一気に気持ち悪くなってしまった。
イケメンさんと中年男性の言い合いは、なおも続いている。
「神事の前に、神官たちによって新たな結界が張り巡らされたと報告を受けているが」
「左様にございます。万が一にも魔物が入り込めぬよう、今回は特に厳重に施しております」
「それなのにそなたは、この子を魔物だという。それはつまり、魔物が易々と侵入できるほど脆弱な結界だということに、なりはしないか?」
「い、いえ。それは……ですが」
「そのような場所で重要な神事を行うなど、それこそ神への冒凟と言えよう。その辺りはどう考える、神官長よ」
神官長と呼ばれた中年男性は、イケメンさんに反論できないようで、グヌヌと唸るばかり。
「とはいえ、そなたの心配も理解しないわけではない。天から人が降ってくるなど、珍事中の珍事だからな」
「そ、そ、そうなのです!」
イケメンさんの言葉に、勢いを取り戻す神官長。
「ですからこれは、結界をも破壊するほど強い力を持った高位の魔物に違いありません!」
ビシィッと僕を指さして、大声で言い切る神官長。だけどイケメンさんは「そうか?」と戯けるように首を傾げた。
「この子からは強い魔の波動は感じられないし、むしろ清々しい気持ちになる」
僕の髪に頰ずりしながら、堂々言い切る。少し硬いけれど艶のある髪が、擽ったい。
「それにここを見ろ。フルックの花びらだ」
周囲に散らばっている光る花は、フルックというらしい。どうやら僕の髪にも花びらがくっついていたみたいで、イケメンさんはそれを指さしているようだった。
「ま、まさか……フルックが光を失わないだなんて……」
神官長がワナワナと体を震わせている。何かに驚いているようだけれど、一体どういうことなのかわからなくて、首を傾げるしかない。
「で、ではこの者は一体……」
「俺にもわからん」
神官長の問いに、イケメンさんは胸を張ってキッパリと言い切った。
「見たところ人間のように思えるが、精霊という可能性も考えられる。もしくは神の御遣いか化身やもしれんしな」
精霊やら神の御遣いなんて言葉に、内心ヒェェッとなる。
僕は正真正銘、普通の人間ですっ!
そう言いたかったけれど、すんなり信じてもらえるような雰囲気じゃない(二回目)。
なかには不安でいっぱいといった顔で、僕を見ている人もいる。魔物だって疑念は、払拭されていないような気しかしない。
どうしたら人間だってわかってもらえるのかな……開きかけた口を何度も閉じながら、考えを巡らせていたとき、神官長がイケメンさんにこわごわと問いかけた。
「本当に、神の御遣いなのでしょうか……」
「まずはその辺りからハッキリさせるべきではないか。この子の正体がわからん以上、皆も安心できないだろう」
「わかりました。ではこちらで正体を探りますので、その者をお引き渡しください」
さっきよりは随分と柔らかい口調。僕に危害を加える気はなさそうな感じがするけれど、生け贄だの八つ裂きだのと聞いた後では、素直に行く気はしない。
イケメンさんの首にギュッとしがみついて抵抗の意思を示すと、イケメンさんは僕の背をポンポンと軽く叩きながら、
「その必要はない。この子の正体がわかるまで、俺の手元に置いておこう」
と言った。その瞬間、周囲から一斉に蜂の巣をつついたような声が上がった。
「なりませんっ!! このような者を御身のお側に置くなど、危険極まりない行為は容認できません! どうか、お考え直しを! 国王陛下っ!!」
「え」
国王って……国で一番偉い人っていう、あの……。
「王さま?」
恐る恐る尋ねた僕に、イケメンさんはニカッと笑顔を浮かべて
「ああ、俺はこのバームスロット王国の王、ドミニクス・アウフスタイン・バームスロットだ」
と名乗った。
「えぇっ!?」
驚いた僕は、思わず大声を上げてしまった。あまりにもビックリして、混乱や恐怖が一気に吹き飛んだ。見た感じ、二十代前半くらいのこの人が、まさかそんな偉い立場の人だとは思わなかったんだもの。
「あの、降ろしてください……」
慌てて王さまから離れようとした僕だったけれど、王さまは「こら」と言って、却って腕に力を入れた。これじゃ身動きが取れない。
「暴れたら危ないじゃないか。落ちたら怪我をするぞ」
「でも、これって無礼じゃ……」
偉い人に抱っこさせるとか、きっと無礼なことだよね?
前にマンガで読んだことがあるんだ。王さまを怒らせた異世界転移者が、罰を受けそうになるってシーンを。
怒った王さまは「無礼者!」と言って、転移者である主人公を捕らえさせようとしていた。
今の状況って、まさにあのシーンにそっくりじゃない!?
あの小説の主人公はチート能力を使って逃げ出したけど、僕はそんなもの持ってないし……。
と、なれば。
「鞭打ち? 国外追放? それとも縛り首……?」
生け贄になるくらい悲惨な末路を想像し、顔を青くした僕を見て、王さまはプッと吹き出した。
「真面目な顔をして、何を言い出すかと思ったら!」
ハハハと豪快に笑う王さまに、僕だけじゃなく周囲の人たちもポカンとしたようだ。呆気に取られたような雰囲気がヒシヒシと伝わってくる。
「これしきのこと、無礼のうちに入るものか。第一、俺がやりたくてやっているんだ。誰にも文句は言わせんよ」
それに、と言って王さまは神官長に向き直ると、
「こんなか弱い子の、どこが危険だというのだ。第一、俺の腕が立つことは、そなたも知っておろう。万が一襲われそうになっても、返り討ちにすることくらい朝飯前だ」
と言ってのける。
それにギョッとしたのは僕のほうだ。言われてみれば、僕を包み込んでいる両腕や胸筋から凄く凄く逞しい感触が伝わってくる。ボディビルダーかな? ってくらい鍛え上げられた肉体を持つ王さまにかかれば、僕なんて一撃であの世に逝くこと間違いなし。
嫌な想像をしてカタカタと震える僕に気づいた王さまは、慌てて「怖がらせてすまない!」と謝罪してくれた。
「それくらい、俺が危害を加えられる心配はないと言いたかったんだ。乱暴なことはしないと誓うから、安心してくれ」
凜々しい眉をヘニャリと下げる王さまの顔が、しょぼくれた大型犬を連想させる。かっこいいくせに、なんだかかわいくて、胸がキューンとした。
僕、犬が好きなんだよね。特に大型犬。ギュッて抱っこして、モフモフの毛並みをワシャワシャしてみたい。住んでいるマンションがペット不可だから飼えないんだけれど、それが却って犬に対する憧れを大きくしている気がする。
だからこの顔は反則だよ。うんって言うしかないじゃないか……!
頷いた僕に王さまは安心したみたいで、ヘニャリと笑った。
この国で一番偉い人が、ただの中学生でしかない僕の言葉で一喜一憂するのって、なんか凄い不思議な感じがする。
神官長に向き直った王さまは、キリッとした表情で
「それに俺には神の加護もある。そなたらが危惧するようなことは、何も起こらないだろう」
と断言した。
それでも神官長は、まだ反対したいという顔で口を開いたけれど、すぐにガクリと肩を落としてフーッとため息をついた。
「たしかに陛下は、神から直接加護を授けられた、唯一のお方。神のご加護は絶大です。万が一何か起こっても、陛下を悪しきものからお守りくださるでしょう」
「ああ。俺が神の忠実な僕である以上、神が俺を見放すことはないだろうよ」
「陛下と神を信じます。ですがその者の正体を探る件に関しては、わたくし共も関わることをお許しください」
神官長曰く、僕が人間以外だった場合は、それ相応の対応が必要になるらしい。
魔物だったら討伐を。
精霊や神の御遣いだったら丁重な保護を。
それには王さまも同意して、僕みたいに空から降ってきた人がいないか、古文書を片っ端から調べるよう命じていた。僕以前にそういった例があれば、僕が降ってきた理由や種族の特定が早く済むだろう、と。
「頼んだぞ」
王さまはそう言い残して、僕を抱いたまま出口に向かって歩みを進めた。
「あの……ごめんなさい」
「何がだ?」
「僕、大変なことをしちゃったみたいで」
何が行われていたのかはわからないけれど、神官長があれほど怒っていたのだ。重要なことをしていたのは、なんとなく予想できる。
ショボンとする僕に王さまは「たしかに、大事になってしまったな」と言いながら笑った。笑い事では済まされない感じだったけど?
「だが、わざとではないんだろう?」
「はい」
「ところでなぜあんな高い所から落ちてきたのだ?」
「わかりません……」
なぜ異世界転移したかなんて、僕のほうが逆に聞きたいくらいだ。
僕の返答に「そうか」と答えた王さまは、
「まあ、その辺りも後でゆっくり解明することにしよう。まずはゆっくり休んだほうがいいな。随分と、酷い顔をしている」
イケメンに比べたら、僕の顔はたしかに酷いよね……と納得すると、王さまはまたもや大笑いした。案外笑い上戸っぽい。
「違う、違う。疲れきった表情だと思っただけだ。お前はとてもかわいい顔をしているぞ」
にこやかに微笑まれて、ドキッとする。
そんなこと言われたのは生まれて初めてだ。親にだって、かわいいなんて言葉、一度もかけてもらったことがないんだもの。
初めて言われた言葉に戸惑い、心臓が妙にザワザワして、落ち着かない気持ちになる。
「あ、ありがとう、ございます……?」
口ごもりながらお礼をいうと、「なぜ疑問形なんだ」と笑われた。笑い上戸、確定。
しばらく他愛もない話を続けていると、兵士らしい二人の男性が見えた。扉の前に立って、侵入者を寄せつけない門番みたいだ。
その扉の前で足を止める王さま。区民センター大ホールの客席扉より重厚って感じのする、大きくて立派な扉を兵士たちが開けてくれた。
「うわぁ……」
そこには今まで見たこともないような豪華な部屋が広がっていた。
正面に、天井まで届く大きな窓。天井は白い漆喰が塗られ、床は色鮮やかなタイルで綺麗な模様が描かれている。モザイク画っていうんだっけ? 美術の教科書で見た覚えがある。
左壁には美術館にあるみたいな彫刻とか壺なんかが置かれていて、右壁には宗教画を思わせる色鮮やかで大きな絵……だと思ったら、見るとなんとカーペットだった。これだけ緻密なカーペット、初めて見たよ……。
「寛いでくれ」って言われたけれど、あまりに凄い部屋すぎて全然落ち着かない。
王さまは長椅子に僕を座らせると、その隣に腰を下ろした。
「ところで名前を聞いてもいいか?」
そういえばまだ、名乗ってすらいなかった。
「垣内聖悟です」
「カキウチショーゴ? 随分と不思議な名だな」
「あっ、名前は聖悟です。垣内は名字で」
「ふむ。ならばショーゴと呼んでもいいか?」
「はい」
「俺のことも名前で呼んでくれ」
「えっ」
王さまのこと、名前で呼ぶとか無理。無礼って言われるよね?
素直にそう言ったのだけれど、王さまは「かまわん」と言って聞かない。
「王位に就いてから、皆俺のことを王だの陛下だの、敬称でしか呼ばなくなってな。俺だって、たまには誰かに名前で呼ばれたい。そう思うのは、俺の我が儘なのだろうか」
もの悲しそうな顔で、僕を見つめる王さま。
だから、しょぼくれた大型犬みたいな顔は反則だってば。
「な、名前で呼びます」
って言っちゃったじゃないか。
だけどここで、ひとつ問題が起きた。
「ドミ……ドミ…………?」
さっき教えてもらった名前が長すぎて、一度聞いただけじゃ覚えきれなかった。
ドミニクだっけ? いや、ドミニカだったかも。多分ドミトリーとかではなかったはず……。
思い出せなくてアワアワしていると、王さまは、
「ドミニクス・アウフスタイン・バームスロットだ」
と、もう一度教えてくれた。
「覚えきれなかったら、ドミでいい。そちらのほうが、呼びやすいだろう」
王さまが優しすぎる件。
だけど、いいのかな。それってだいぶ……と考えていると王さまが先手を打って「無礼ではないからな」と言った。
「ショーゴ。俺をドミと呼んでくれないか?」
懇願するような目で訴えてくる王さま。これを拒否できるほど、僕の意思は強くなかった。
「ド、ドミ……」
遠慮がちに呟くと、ドミは「偉いぞ!」と手放しで褒めてくれた。笑顔が眩しいっ!
「それから、言葉遣いも畏まらなくていい」
国王になってから、ざっくばらんに話してくれる人はほとんどいなくなったとかで、寂しい思いをしていたとドミは語った。
「気楽に話してくれていいから」
「が、頑張ります」
年上の人には敬語で話すよう教わってきた僕だから、すぐには無理だと思うけれど……というと、ドミは「頑張れ」と言って目を細めて笑った。
その顔に、またもや頰が熱くなる。心臓がうるさい。
恥ずかしさのあまりソッと俯いたとき、コンコンと扉をノックする音が聞こえた。数人の女性がやって来て、テーブルの上に飲み物や果物を置いていく。
「喉が渇いたろう。遠慮なく飲むがいい」
そう言って手渡してくれたのは、金属製の脚つきグラス。中には茶色みがかった液体が入っている。なんだろう……と少し怖い気もしたけれど、「甘くて美味いぞ」と勧められたので、思い切って飲んでみると、それはリンゴジュースだった。
日本で売っている物より味が濃くて、香りも鮮烈だ。
「美味しい!」
「だろう? 王宮直轄のリンゴ農園で採れた、新鮮なリンゴを搾ったものだからな」
でもなんで、こんなに茶色いの? 異世界のリンゴだから、日本の物とはいろいろ違っているとか?
「あ、わかった。酸化だ」
リンゴを切った後しばらく放置すると、表面が茶色に変わる。あれは酸素に触れたことで起こる現象なんだって、小学校の廊下に貼ってあった子ども新聞で読んだ覚えがある。
市販のリンゴジュースは、酸化防止にビタミンCを入れるから綺麗な色を保っているけれど、これには入っていないんだろう。だから茶色く変色したんだな。
一人で納得していると、ドミが不思議そうな顔で「サンカ?」と呟いた。
あれ? もしかしてこの世界には、酸化の概念がないとか?
僕がリンゴジュースの色について説明すると、彼は「ほぉぉ」と感心したように唸った。
「ショーゴは物知りなのだな。その知識は一体どこで得た物なんだ? それにカキウチショーゴという名も、あまりに珍しい。今まで聞いたこともないような響きをしている。ショーゴは一体、どこから来たのだ?」
ドミの目が、突然真剣なものに変わった。全てを従え、喰らい尽くすような王者の眼差しに、背筋がゾクリとした。
ここにいるのは、僕の危機を救ってくれた優しいお兄さんではなく、一国を支える為政者なのだと、本能が悟る。
「僕は……」
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