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転生悪役令息ですが、王太子殿下からの溺愛ルートに入りました

清白 妙 / 著
明神 翼 / イラスト
ISBNコード 978-4-86669-564-8
サイズ 文庫本
ページ数 272ページ
定価 836円(税込)
発売日 2023/04/18

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内容紹介

俺の最愛。もう二度と離すものか
ある日前世を思い出したデリックはここがBLゲームの世界で、愛してやまない弟が、これから“悪役令息”としての道を歩むことに気づく。弟を救うため、彼と入れ替わって王太子アーサーの婚約者候補となるが、弟が悪役令息になる原因であるアーサーの軽薄な行動には、何か理由があるようで……!? そんな彼を弟(仮)として可愛がっていたつもりだったが「……お前のような男は初めてだ」逞しい胸に熱く抱き寄せられて——。
年下イケメン王太子殿下と気高き悪役令息の異世界溺愛生活?
★初回限定★
特別SSペーパー封入!!

人物紹介

デリック

田舎の男爵家・長男。前世の記憶がある。訳あって弟のジュリアンと入れ替わり、アーサーの婚約者候補になる。

アーサー

オルムテッド王国の王太子。性に奔放に生きていたが……。

立ち読み

   ◇プロローグ

 自宅に帰り着いたのは、とっくに日付を跨いだ後だった。
「今日も結局、午前様だったな……」
 俺の呟きが、シンと静まりかえった部屋に響く。
 ここのところ帰宅はいつも終電で、下手をすればタクシーを利用することもある。悲しき社畜人生よ。
 実のところ、俺に与えられた仕事をこなすだけなら、日付が変わる前に帰宅できる。それが残業続きの毎日なのは、仕事でミスをした後輩のサポートをしてしまったせいだ。
 彼は今年の四月に入社したばかり。取引先から大クレームが来るほどの失態を犯してしまい、社内が上を下への大騒ぎになった。
 入社半年に満たない新人に、大型案件を任せるなと思ったりもするが、それをやるのがブラック企業である我が社。上司はもちろん社長からも叱責を受け、今にも倒れそうな顔をしている後輩を見て、俺はつい過去の自分を思い出してしまい……。
 俺だってこれまで何度も失敗をしてきた。彼の気持ちは痛いほどよくわかる。落ち込む後輩を見捨てることができなかった俺は、気づいたらサポートを申し出ていたというわけだ。
 こういうところがお人好しと評される所以だろうな……と頭の片隅で思ったりもしたが、生まれ持った性分なのだから仕方ない。これが俺という人間なのだ。
 やると言ったからには手を抜くこともできず、後輩と共に奔走する日々が続いたのだが、ミスをした当の本人が突然会社に来なくなり、そのまま退職。
 この件を処理するのが、俺一人になってしまったのだ。
 正直、俺も辞めたかった……しかし骨の随まで染み込んだ社畜精神と、無駄に突出した責任感が邪魔をして、辞めることができないまま今に至る。
 思えばこの一ヶ月半は地獄のような日々だった。始発出勤、終電退勤は当たり前。土日も当然のように仕事が入っていて、休日ナニソレ美味しいの状態。
 同僚たちは誰一人として俺を手伝ってはくれず、上司や取引先から叱責され続け、米つきバッタのようにペコペコ頭を下げ続ける毎日に、心身は疲労困憊、寝不足でダルさが常につきまとう。胃がギリギリと痛んで食欲は減衰、ゼリー飲料とドリンク剤で栄養補給しながら、なんとか踏ん張っている状態だ。
 そんな俺にもたった一つの楽しみがあった。これがあるからこそ、辛い毎日も乗り越えてこられたのだ。
 スーツからスエットに着替えるとさっそくPCを起動させて、王冠が描かれたゲームのアイコンをクリック。モニタに流れるオープニングムービーを眺めながら、カフェイン配合ドリンクのキャップを開ける。ややムーディーな音楽と共に、イケメンキャラのイラストがモニタに大きく映し出された。
「よしっ、明日は超久々の休みだからな。全スチル集めるまでは絶対に寝ないぞ!」
 ドリンクを一気飲みして、気合いを入れる。
 モニタ画面に映る豪華な王宮や庭園をバックに、件のイケメンと愛らしい男の子たちのイラストが次々登場。最後に大きく表示された、『Love Battleroyal』というタイトル。
 通称“ラブバト”。これこそ俺が今一番ハマりまくり、心の支えにしているゲームだ。
 オープニングムービーは中盤に差しかかり、肌色成分極まりないシーンが次々と映し出されていく。
 白い肌が赤く染まり、薄い胸の上を汗が流れる。攻略対象者に後ろの孔を穿たれて、快楽によがり狂うキャラクターたち。
 そう……実はラブバトは、R指定のつくBLゲームなのだ。
 俺は別に腐男子というわけではない。ただ、このゲームのキャラデザを担当した神絵師の大ファンということで、手に取ったのがプレイのキッカケだ。
 正直、内容には全く期待していなかった。
 だってBLだろ? そういう趣味ないんだよな。
 でも先生の神絵は是が非でも見てみたい。しょうがない、とりあえず一回はやってみるか……なんて、軽い気持ちで始めたのだが。
 これが意外と、いやかなり面白かった。
 いわゆる乙女系のストーリー展開を踏襲したBLゲームと思いきや、並み居るライバルを押しのけて唯一の攻略対象者である王太子のハートを掴み取り、未来の伴侶を目指すというバトル・ロイヤルBLゲームなのだ。
 説明書を読んだ時点では「結構、単純なゲームっぽいな」なんて思ったりもしたが、実際にプレイしてみると当初の所感は一気に吹き飛ぶこととなる。
 まずこの手のゲームにしては、世界観や人物設定などがかなり細かく作り込まれていることに驚いた。
 ゲームの舞台であるオルムステッド王国の地理や歴史など、さまざまなことがゲーム内にたびたび登場。こんな複雑な設定、わざわざ必要か? と思ったりもしたが、設定の細かさは後に〝試験〟という名目のミニゲームで活用されることとなる。
 試験は全て、王国の情報に関する内容。ストーリーの中でさりげなく語られるので、スキップ機能を使わずしっかり覚えていれば難なく答えられるのだが、ランダムに出題されるうえに問題数が多すぎて、正直全部は覚えきれない。
 また、正解数がそのまま好感度アップに繋がっていくのだけれど、難易度はだんだん高くなるうえ、特に最後のほうは一問でも落とすと好感度が駄々下がり。トゥルーエンドに辿り着けないどころか、下手をすればバッドエンドまっしぐらという鬼仕様なのだ。
 しかもそれだけではない。
 ライバルを蹴散らして王太子のハートを射止めるため、積極的にアタックする必要があるのだが、始めは好感度が本気で上がらない。軽薄でチャラ男な王太子はビックリするくらい、なかなか心を開いてくれないのだ。そのため地道な育成作業を延々と続けるはめに。
 SNSでは、育成作業に心が折れてプレイを断念したという書き込みも多く見かけたほど、ラブバトの育成と試験が厄介であることは間違いない。
 だが根っからのゲーオタな俺には、むしろそれがよかった。難しければ難しいほど激しく燃え上がり、全スチルを集めるために幾度となくプレイを重ねても、全く苦にならずに済んでいる。ブラック企業で培われた社畜精神と無駄に鍛えられた根性が、一役買っているとは思いたくない。
 ようやく好感度が上がると、今度は色仕掛けと言わんばかりの展開が開始される。
 初めはラッキースケベ程度。それがどんどん過激になっていき、ついには肌色成分たっぷりのスチルがババーンと登場する。
 このスチルがまたエロい。普通にエロすぎて、腐属性のない俺のジュニアすら唸りを上げたほど。
 さらに選択次第では、王太子の側近や侍従らを交えての乱交パーティーを行うという、けしからん事態に発展しながら、ゲームはエンディングに向かって突き進んでいく。
 ラスト近くになるともはや、ラブバトがBLゲームであることも忘れ、夢中になってプレイする始末。しかも、なんとお気に入りキャラまでできてしまったのだ。
 その名はジュリアン・ボーモント。
 小柄でほっそりとした、庇護欲そそられる系の見た目をした儚げ男子である。
 腐属性など微塵もない俺が、まさか男性キャラにハマりまくる日が来ようとは……。
 だけど仕方ない。ジュリアンは、俺をいとも簡単に腐属性に変えてしまうほどの、魔性のキャラだったのだ。
 何しろまず、顔がいい。
 胸まである淡い金髪のウェービーヘア。白磁のような肌に映える、サファイヤ色した美しい瞳。艶めいた唇はプルンと瑞々しく、まるで果実のよう。
 王太子より二歳年上でありながら、大きくて少し垂れた目が、彼を実年齢より幼く見せている。そのくせ左目尻の下にある泣きぼくろのおかげで妙な色気が醸し出されていて、そのアンバランスさが最高に堪らない。
 全身から漂う色気が画面越しに伝わってくるほどの、艶かしい美形キャラ。さすが神絵師、本当に尊い。
 そんな白皙の美青年ジュリアンの役どころは、まさかの悪党。非道なことを繰り返しながら、何度も主人公の邪魔をする悪役令息、それがジュリアンなのだ。
 プレイヤーの分身である主人公や、ほかの婚約者候補たちに対する嫌がらせは、もはやデフォルト。常に冷たい表情でツンケンした態度を取り、インク壺を投げつけて服を台無しにするわ、持ち物をめちゃくちゃに破壊するわ、もうやりたい放題。
 彼のこうした行動は全て、愛しい王太子を射止めて伴侶の座に上り詰めるため。
 だから彼は、どんな悪事だって平気で行ってしまうのだ。
 もちろんジュリアンにも、どぎついエロシーンが用意されている。
 城内で迷子になった主人公―デフォルト名はリオンというのだが、庭園で何やらしている二人の姿を目撃するシーンがあるのだ。何やらとはずばり口淫で、二人というのが王太子とジュリアンなのだが。
 ベンチに腰掛けた王太子の前に跪き、小さな頭を激しく振りながら股間にむしゃぶりつくジュリアン。
 リオンがいることに気づいたものの、しかしそれを気にする様子もなく、ジュリアンは一心不乱に王太子の官能を高ぶらせていく。
 飲み込めなかった唾液が口の端から流れ落ちるのを気にする様子もなく、苦しげに眉を寄せながら、サファイヤの瞳を涙で潤ませるジュリアンのスチルは、神々しいほどに輝いていた。
 そして最後は王太子が吐き出した白濁を、顔中にかけられてフィニッシュ。
 さらにはリオンより一歩リードすべく、王太子や彼の側近たちとの乱交にも及ぶのだ。
 絶倫な男たちと繰り広げる淫らな宴のせいで、艶めく髪も白い柔肌も精液にまみれてドロドロ。
 こんなスチルを余すところなく見せられて、興奮するなというほうがおかしいだろう。俺の中で新しい扉が開いてしまったことは言うまでもない。
 とにもかくにも、エロいことをするジュリアンの表情と痴態が最高すぎて、マジでだいぶヤバかった。さすがは絵師さま。俺の神。
 けれどプレイを進めるうちに、本当のところジュリアンはエロいことをしたくないのでは……という疑念が生じ始めた。
 だって王太子に抱かれるジュリアンは、美しい顔をずっと苦痛で歪ませて、涙を止めどなく溢れさせているのだ。これは決して、淫蕩に耽って楽しんでいる者の顔ではない。
 考えてみれば、たしかにそうか。小さな尻孔に大きなイチモツを入れるのだ。その苦痛はいかばかりか。しかも王太子に気に入られるために、ハードなプレイもどんどん受け入れている。気持ちよさよりも苦痛のほうが勝るんだろう。
 それでもジュリアンは、爛れた行為をやめようとはしなかった。
 なぜならその現場を、いつもリオンが目撃していたから。
 王太子と深い仲になった自分をリオンに見せつけて、ジュリアンは悦に入ったのである。
 これがリオンを追い落とす一手になると信じて。
 愛しい男の心が離れるなんて、微塵も思わないままに。
 けれども王太子の心はリオンに向いていく。好感度がある一定まで達し、二人の仲が急速に近づく直前、王太子はリオンに向かってこんなセリフを口にする。
『ほかの候補者たちは、俺の言うことを唯々諾々と受け入れるのに、お前は違うのだな』
 ジュリアンらとは違い、時に反発し、時に激しく拒絶するリオン。臆さずに自分の意見を素直に述べる彼の存在は、王太子にとってさぞ物珍しかったのだろう。
 周囲にイエスマンしかいない王太子の前に初めて現れた、一筋縄ではいかない相手。
 王太子の心はリオンに向かって加速度的に近づいていく。
『お前のような男は初めてだ』
 破顔する王太子。溺愛モードの始まりである。
 しかしそれは、ほかの婚約者候補たちの心に、恐怖を植えつける結果となった。
 次に脱落するのは自分なのでは―という恐怖を。
 ジュリアンに至っては、王太子への一途な愛をいっそう拗らせる結果となり、行動も次第にエスカレートしていく。
 嫉妬に狂ったジュリアンは、小動物の死骸をリオンの部屋の前に置くなど、残酷な行動を取るようになるのだ。
 嫌がらせに怯えるリオンを慰める王太子。ジュリアンの行動により、二人の心はよりいっそう離れられないものへと変わっていく。
 プレイヤー的にはハピエンまっしぐらの良展開。
 けれどジュリアンにとっては、まるで坂を転げ落ちるような勢いで事態は悪い方向へと進んでいき、最終的には断罪されてしまう。
 ラスト直前。断罪されたジュリアンは、両の目から滂沱の涙を流して魂の叫びを上げる。
『なぜ!? ボクはあなたを愛しただけなのに!』
『俺が愛するのはリオンだけ。なのにお前は俺たちの仲を引き裂こうとして、リオンを害そうとしたではないか』
『ボクのことを、愛してくれていたのではないんですか?』
『好感を抱いていた時期もあった。だが、あのように残虐なことを平気で行える人間を、受け入れられるわけがない』
『……っ!!』
『自らの手で全てを壊したお前が悪い。今すぐ失せろ、痴れ者が』
 ジュリアンに冷たく言い放ちながら、リオンの肩を抱く王太子。
『いやあああぁぁぁぁぁっ!!』
 両脇を兵士に抱えられたジュリアンは、王太子の名を叫び続けながら退場するのである。
 あああああっ、なんて可哀想なジュリアン!
 この無情な展開に、すでにジュリアン推しとなっていた俺は、激しく憤りながら号泣してしまった。
 男と見れば片っ端から抱きまくる、最低最悪な下半身無節操エロ王子を愛してしまったばかりに、こんな悲しい目に遭わされるなんて……シナリオライターは一体何を考えているんだ!
 悲劇の令息ジュリアンの末路を心から嘆き悲しんだ俺だったが、神はそんな俺とジュリアンを見捨てなかった。
 ジュリアンが幸せそうに微笑んでいる、素敵スチルが一枚だけあるらしいという噂を、ネットで見かけたのだ。
 どういう展開かはわからないが、真のジュリアン推しならば見るべきだろう。いや、絶対に見なければならない!
 そう決意した俺は、少ない睡眠時間を削ってまで、ラブバトをプレイしているというわけだ。
 ただでさえストレスと過労で体はボロボロ。これ以上己に鞭打つような真似はやめるべきだ、少しでも眠ったほうがいい……とわかってはいるものの、ジュリアンのために明け方近くまでラブバトをプレイする日々が続いていた。
 だが何をやっても、目当てのスチルは出てくれない。焦りと苛立ちが次第に募っていく。
 しかし! 俺はようやく! 最後の一枚を出す方法を! ネットで発見したのだ!!
 あああ、くじけなくてよかった。デマじゃなくてよかった。今さら「本当はそんなスチル存在しませーん」とか言われても、泣くに泣けない。
 件のスチルを見る方法とは、まずは王太子の好感度を決して上げることなく、ある一定のルートでゲームを進めていく。そのうえで試験に全問正解すること。
 たったそれだけ。
 これまでは全スチル集めのため、好感度を上げる作業ばかりやっていたから、ジュリアンの不幸しか見られなかったというわけか。
 OK。じゃあネットの情報を試してみようじゃないかと、鼻息荒くプレイした俺だったが、これが地獄への入り口だと、思ってもみなかったわけで……。
 なぜなら断罪直前に行われる最終試験の難易度は半端なく、スチル集めのために何度もプレイし続けた俺ですら全問正解したことは一度もない。
 そこで俺は、ゲーム内に出てきた情報を片っ端からノートに書き写しながら、試験に挑むことにした。
 作業を続けること数日。貴重な睡眠時間を削り、時に激しい眠気に耐えながら、ジュリアンの幸せそうな微笑みを見るために、俺は必死で頑張った。
 そして今日。ようやく辿り着いた最終試験。これをクリアすれば最後のスチルがゲットできる。
 だが間違えればまたリセットだ。何日も行った同じ作業。もうこれ以上は繰り返したくない。
 そろそろ限界を感じていた俺は、どうしても今日決めてしまいたかった。
 いつも以上の慎重さをもって、答えを選んでいく。
 一問答えるごとに心臓がドキドキと高鳴って、緊張のためか手の震えが止まらない。しかも画面を凝視しすぎたせいか、視界がチラついて見えるような。
 そしてついに最終問題。大きく震える指で、答えを選ぶ。
 ピンポーンピンポーン!
 甲高い電子音が鳴り、画面に表示された『クリア』の文字。
「やった!!」
 思わず大声を出してしまい、慌てて口を塞ぐ。もうすぐ明け方だが、寝ている人がほとんどのはず。あまり騒いで近所迷惑になったらまずい。
 それでも喜びを抑えきれず、拳を握りしめて何度も天に突き上げた。
 ネット情報によると、俺がまだ見ていないスチルは、試験終了直後に登場するらしい。ジュリアンの意外な姿が見られるらしいのだが、ネタバレになるとのことで詳細を載せている人はいなかった。
 Now Loadingの画面を、ワクワクしながら見つめ続ける。読み込みがこんなに遅く感じられたことはない。早く終われーと心の中で叫んだそのとき。
 心臓が、ひときわ大きく、ドクンと鳴った。
「えっ―」
 激しい目眩。キーンと耳鳴りがして、顔から血の気がザッと引いていく。体中の力が抜けて、俺はその場に倒れてしまった。バクバクとやかましい音を立てていた心臓が、ギューッと激しい痛みを伴い始める。
 ―もしかして、これってヤバい?
 突然の異変に焦りを感じる。
 ビクンビクンと激しく痙攣する体。次第に目の前が真っ暗になっていく。焦る俺の耳に、突然ムーディーなメロディが聞こえてきた。読み込みが終わったのだ。
 ―スチル……最後の一枚……見ないといけないのに……。
 けれど指先一本動かすことができず、ついには呼吸すらままならない状況に陥った。
 ―頼む、俺の体……動いて……ジュリアンの、スチル……。
 そんな思いも虚しく、真っ暗な闇に飲まれるように、俺は意識を失ったのだった。

     *****

 ―という記憶が一気に蘇ってきたのは、父の口から出た彼の名前を聞いた瞬間だった。
「そういうわけで、アーサー殿下の…………んっ? デリック、どうしたんだい?」
 一家団欒のティータイム。甲斐甲斐しく弟のお世話をしている最中、突然ピタリと動きを止めた僕に、両親の視線が集まった。
 アーサー・オルムステッド。
 オルムステッド王国の王太子であり、ラブバトの攻略対象者。
 ジュリアン・ボーモントを断罪して、酷い目に遭わせる張本人……。
 そんな情報が、頭の中に一気に流れ込んできた。
「にーちゃ?」
 天使のように愛くるしい子どもが、心配そうに僕を覗き込む。淡い金髪のクルクル巻き毛が、動きに合わせてフワリと揺れた。
 とある人物の面影を充分に宿すその顔に、僕はヒュッと息を呑んだ。
 雪のように真っ白な肌と、薄紅に染まるぽちゃっと膨らんだ頬。プルンと瑞々しい小さな唇と、少し垂れた大きな目。そして左目尻の下にある泣きぼくろ。
 もしかして、この子は。
「ジュリアン……ボーモント……?」
「はいっ!」
 僕が名を呟くと、天使はピッと手を上げて元気に返事をした。
 ―あぁ、間違いない。この子は……僕の弟のジュリアンは、ラブバトに出てきた悪役令息のジュリアン・ボーモントだ!
 ということは、ここはラブバトの世界? じゃあ〝俺〟は、あのとき死んだってわけ? たしかにあの苦しみは尋常じゃなかったから、あのまま事切れたとしても不思議じゃない。それで死んじゃった後、〝僕〟として転生したってこと?
 何そのラノベ展開。異世界が舞台のファンタジー作品ではよく見るテンプレだけど、こんなことが本当に自分の身に起きるだなんて……。
 理解しがたい出来事に、言葉を失う。
 だけどこれは紛れもない現実であり、僕がジュリアンの兄であることは、れっきとした事実。
 デリック・ボーモント、四歳。
 ボーモント男爵家の嫡男であり、ジュリアン・ボーモントの兄。それが今の僕なのだ。
「にーちゃぁ……」
 突然のことに混乱し、一言も発しない僕を心配したらしいジュリアンの、サファイヤ色した美しい瞳がうるうると潤み出す。
 齢二歳だというにもかかわらず、この色気。さすがは美貌の悪役令息に成長するだけのことはある……と、妙に納得する自分がいた。
 天使のような見た目と同じくらい、中身もキュートなジュリアン。僕も綺麗な顔をしているとよく言われるけれど、ジュリアンの足下にも及ばない。
 彼は生まれた瞬間から家族全員を虜にし、特に僕はこの二つ年下の弟を舐めるほどに溺愛している。
 だけどマイスイートエンジェル・ジュリアンは、変わってしまうのだ。
 ラブバトの攻略対象者であるアーサーに、本気の恋をしたことによって。
 それがゲームの設定である以上、そうなることが正しい展開なのだと言われれば、それまでなんだけれど……でも僕にとっては到底納得できる話ではない。
 だってジュリアンが非道な行いを平気でやってのけたのは、全てアーサーの愛を一身に受けたいがため。そのせいで彼はラブバトの悪役令息となったのだから。
 要するに悪いのはアーサーなのだ。間違いない。
 結婚相手として選ぶ気がないのなら、最初から気を持たせるようなことはせずに、候補者から外してしまえばよかったのに。それをしなかったせいで、躍起になったジュリアンは破滅の道を辿ったんじゃないか!
 ちなみにその後ジュリアンがどうなったのか、ゲーム内では一切語られていない。だけど少し頭を働かせれば、その後のことは容易に想像がつく。
 王太子に断罪された挙げ句、城を追われるのだ。まともな貴族であれば、外聞を考えて放逐することだろう。王家に嫌われた者を受け入れれば、その後どんな災禍が降りかかるかわからないし、貴族社会で村八分にされることは必至だ。
 つまりジュリアンは、平民に落とされた可能性が高いというわけで……。
 それまで王子の婚約者候補として蝶よ花よで過ごしてきた子が、いきなり平民になったところで、生活はきっと成り立たないだろう。あっという間に行き倒れることは目に見えている。
 僕のジュリアンが……地上に降り立った天使が、まさかの行き倒れ?
 アーサーめ、薄汚い欲望を散々ぶつけておいて、責任の一つも取らずにポイ捨てするなんて。そんなの絶対に許されることじゃない!
 怒りがどんどん湧き上がってくる。もはや前世だとか転生なんて非常事態すら、些末なことに感じられてしまうほど、僕は怒り狂った。
「デリック。どうしたの? 気分でも悪い?」
 ジュリアンを見つめたまま、微動だにしない僕に、母が心配そうに声をかけてきた。
 気分が悪いかだって? それはもう最悪だ。ジュリアンの末路を想像し、戦慄していたのだから。
 いいや、これは不幸中の幸いか。
 前世の記憶を思い出した僕は、ジュリアンが婚約者候補になるのを阻止することが可能。ジュリアンは穢れない天使のまま、幸せになるべきなのだ。
 今ならばまだ間に合う。僕の行動一つで、未来は変えられるはず。
 僕のかわいいジュリアンを、不幸な目になど遭わせて堪るかっ!!
「お母さま。アーサー殿下のお話って、もしかして婚約者のことですか?」
「あら、聞こえていたのね。そうなの。それでジュリアンを候補者にしようって、お父さまが」
「断ってください! ジュリアンがいなくなるなんて、僕は絶対に嫌ですっ!」
「デリックは本当にジュリアンが好きなのね。でも駄目なのよ。男の子が二人以上いる家は、婚約者候補を必ず出すようにと、王家から言われているの」
 王家の命令は絶対だ。従わなければこんな田舎の弱小男爵家なんて、すぐにお取り潰しに遭ってしまう。
 だったら。
「じゃあ、婚約者を僕に代えてくださいっ!!」
「えっ」
 ラブバトの内容を熟知していて、さらにはアーサーに対する恋心を全く持ち合わせないどころか、むしろ大大大嫌いな僕が候補者になれば、ジュリアンが悲惨な目に遭うことはない。悪夢の断罪は回避できる!
「お父さま! お願いですから……って、あれ? お父さまは?」
 さっきまでソファに座っていたはずの父がいない。なんだか嫌な予感がした。
「執務室に行かれたわよ。すぐにお返事をしなければって……ちょっとデリック? どこへ行くの!」
 僕は弾かれたようにソファから飛び下りると、矢のような速さで父の書斎へ向かった。
「にいちゃぁぁっ!」
 背後からジュリアンが僕を呼ぶ声が聞こえたけれど、今はそれどころじゃない。
「お父さまっ!!」
 ドアをバァンと勢いよく開けた僕に、父は目を丸くした。
「どうしたんだ、デリック」
「アーサー殿下の婚約者候補を、ジュリアンから僕に代えてください。どうしても僕がなりたいんです。これからはピーマンもセロリも残さず食べるいい子になりますから、お願いしますっ!」
 土下座の勢いで頼み込んだ僕に、父は一瞬たじろいだ様子を見せながらも「駄目だ」と言った。
「なんで! 候補者なんて誰がなったっていいでしょう!?」
「それがな、ジュリアンを婚約者候補に出すって、ついさっき返事を出してしまったんだよ」
「えええっ!?」
 僕が前世の記憶を反芻している最中に、父はメッセンジャーに返事を持たせて、さきほど送り出したばかりだという。
 慌てて窓の外を見ると、馬に乗って去っていくメッセンジャーの姿が。
「待ってぇぇぇ!!」
 僕の叫びも虚しく、その姿はどんどん小さくなっていった。
 な、なんてこと……。
 じゃあジュリアンはもう、破滅の歯車に組み込まれてしまったというの?
 もう手遅れだっていうの!?
 いいや、そんなことはない。今ならまだ間に合うはずだ。
「僕、メッセンジャーを追いかけて、手紙を取り戻してきます!」
「諦めなさい。子どもの足で追いつけるわけがないだろう」
「そんなの、やってみなきゃわかりません。それにすぐ追いつけなくても、王宮に着くまでに手紙を取り返せれば」
「デリック、それは絶対にできない。お前たち兄弟はまだ、この領地から出てはいけないことになっているんだから」
「え、なんで?」
 父の語るところによると、オルムステッド王国の貴族は基本、十歳になるまで領地から決して出ず、他家へのお披露目も行わないことになっているらしい。
「昔むかし王都を中心に、大変な病が流行したことがあってね」
 感染力の高かったその病に大勢の人間が苦しみ、特に抵抗力と体力のない子どもが多く天に召されたらしい。
 当主や跡取りを亡くした貴族も数知れず。没落の憂き目に遭う家も多く、病が流行して以降の数十年間は、国の屋台骨がガタガタになってしまったほど。
 生き残った者たちが必死になったおかげで、なんとか国を建て直すことができたのだが、未知の病が再び蔓延する恐怖は拭い去れなかった。そのため子どもが十歳を迎えるまでは領地から出さず、他家との交流もなるべく控えて感染を未然に防ぐよう布令を出したのである。
「だからね、デリック。お前もジュリアンも、十歳になるまでは領地から離れられないのだよ」
「そんな……じゃあ、メッセンジャーを追いかけることは?」
「駿馬に乗っていったから、絶対に不可能だ」
 父に素気なくそう言われ、もう本当に諦めるしかなく―なんて考えると思ったら大間違いだ。
 ジュリアンの一大事を前に、簡単に諦めるなんて絶対できない。
 この状況で僕が唯一できること。それは。
「だったら僕がジュリアンになります!」
「は?」
「だって僕たちの顔は、領地の者以外は誰にも知られていないってことですよね。だったら僕がジュリアンですって言っても、お城の人は絶対信じます!」
 しかも僕とジュリアンは、髪色が同じだからね。これだけでも入れ替わりを疑われる心配はかなり低いと思われる。
 僕の瞳は残念ながら、アクアマリンのように明るい色だけれど、同じ青系統だから無問題。万が一、誰かにつっ込まれたとしても誤魔化せる。多分。
 あとは僕が兄のデリックだと疑われないよう、細心の注意を払えばOK。
 なんて完璧な計画!
「婚約者候補には、僕がなりたいんですぅぅぅっ!!」
 床に寝転んで足をバタバタさせ、激しく駄々を捏ねる。前世の記憶を取り戻したせいか、少しばかり気恥ずかしい。でも僕、四歳。子どもじみた我が儘も許される年齢だし、これで父を説得できるなら馬鹿な真似をすることも厭わない。
「デリック、落ち着きなさい」
 落ち着いてなんかいられるものか。僕にはもうこれしか手がないんだから。かわいい弟のためならば、僕は悪役としての道を歩むこともやぶさかではない。
 もちろん僕だって、破滅は怖い。
 けれどこれから起こる未来を知っている僕は、ラブバトのジュリアンよりも上手く立ち回れるはず。そう悲観することはないだろう。
 選定途中で脱落なんてしたら僕の評判は一気に落ちて、他者から侮られることもあるだろうけれど、ラブバトのジュリアンが置かれた境遇を考えれば、一億倍も一兆倍もマシというもの。
 僕は断罪なんてされることなく、大手を振って領地に帰るのだ。ゲームの知識が備わっている僕ならば、それを可能にできるだろう。最後は円満に候補者から脱落して、生涯ジュリアンをサポートしながら、生きていく。
 誕生からずっと見守り慈しんできた、血を分けた愛おしいジュリアンが、平穏無事な一生を過ごしてくれるなら、敢えての道も苦にならない。

 これが兄として僕がジュリアンにできる、最上最大の愛なのだ!!








   ◇1.悪役令息は塩対応

 前世を思い出してから十三年の歳月が流れ、僕は十七歳になった。
 あれからどうなったかというと、僕はジュリアンに成り代わることを、無事に認めてもらえたのだ。
 もちろん事はスムーズに運んだわけではない。
「婚約者候補になるぅぅぅっ!!」と駄々を捏ねた僕を、父は当然一蹴した。
 だって僕、ボーモント男爵家の嫡男。将来はこの領地を背負って立つ身。そのため父は僕でなく、ジュリアンを婚約者候補とすることに決めたのだ。
 王室を謀るわけにはいかないと、厳しくはねつけられてばかりだったが、それでも僕は身代わりになることを認めてもらえるまで、激しい抗議活動を続けた。
 僕の行動が両親やボーモント領の民たちを危険に曝す可能性があることは、重々理解している。発覚した際のことを考え、不安に襲われたことも一度や二度ではない。
 けれどジュリアンの将来がかかっている。両親には本当に申し訳ないけれど、僕はどうしてもジュリアンを救いたかったのだ。
 そんな無茶ばかりの日々に、最初に音を上げたのはジュリアンだった。
 いつものように両親から怒られる僕の姿を見たジュリアンが「にーちゃをおこらないでぇ!」と大泣きしたのだ。
「にーちゃ、ボクになってもいいのぉ!」
 顔を真っ赤にして、両の目から大粒の涙をポロポロと零す天使。
 あぁ、僕はジュリアンにこんな顔させたいわけじゃなかったのに。ジュリアンを守るための行動が、却って天使を傷つけてしまった。
 そう自覚した瞬間、つられて僕も大号泣。二人で抱き合って泣き続ける姿を見た両親は何か思うところがあったようで、改めて話し合いが行われたのである。
 僕がどれほどジュリアンの身を案じて身代わりを申し出たのか、今度はできるだけ冷静に伝えてみた。もちろんゲームの内容は伏せて。
 代わりに、
「甘えん坊で寂しがりやのジュリアンが、誰も知らない場所でやっていけるとは思えない。独りぼっちで毎日泣き暮らして、下手をしたらひっそりと儚くなってしまうのでは。それを考えただけで胸が潰れそうになり、いても立ってもいられない。だけど僕なら平気だよ。だってお兄ちゃんだもん!」
 といった趣旨のことを猛アピール。
 必死の説得の甲斐あって、両親は僕の望みをようやく叶えてくれたのだ。
 つまりは僕がジュリアンの代わりに、婚約者候補として王宮に行くことになったのである。
 同時にジュリアンがデリック・ボーモントとして生きることも決定した。
「王室を謀ることは大罪なんだ。この事実が発覚したら我が家は終わりだから、入れ替わるなら死ぬまで貫きとおす覚悟が必要だよ」
 と念を押されたけれど、僕の決意は固かった。
 こうして僕はジュリアンとして、ジュリアンがデリックとして、それぞれの道を歩むことになったのだ。
 入れ替わりの秘密は徹底的に守り抜くことにし、事実を知るのは家族と一部の上級使用人だけ。本来であれば家族以外には知られないほうがいいのだろうけれど、執事や乳母は我が家に代々忠誠を誓っている者たちなので、僕らの入れ替わりを軽々しく外部に漏らすことはないだろうと、父が判断したのだ。
 そして僕たちは伝染性の疑いがある病に罹ったと偽り、療養と称して屋敷の奥にある別館で生活することとなった。
 そして〝デリック〟の十歳誕生記念でお披露目会を開いたのを機に、僕たちは皆の前に登場。
 最後に大勢の前に姿を現してから六年も経っていたので、僕たちの容姿を克明に覚えている者はおらず、ジュリアンが「デリックです」と名乗ったときも疑惑の声は上がらなかった。
 ただ僕とジュリアンの体格差を隠しきることだけはできなくて、僕を見て、
「弟のジュリアンくんのほうが、体が大きいのですね」
 と言われて一瞬ヒヤリとしたけれど、父が、
「デリックは後から成長するタイプなんでしょう。私がそうでしたから」
 と誤魔化してくれたおかげで、事なきを得た。
 こうして見事に入れ替わることに成功した僕たち。それからの七年間を平穏無事に過ごし、そして明日、僕は婚約者候補として、王都の王宮へと向かう。
 ついにゲームが始まるのだ。
 これから先のことを考えると、さすがに不安と緊張が走る。
 ―だけど臆しちゃいられない。
 全てはジュリアンのために……僕は、僕の大事な弟を守るんだ。


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