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異世界の後宮に間違って召喚されたけど、なぜか溺愛されてます!

伊郷ルウ / 著
明神翼 / イラスト
ISBNコード 978-4-86669-504-4
サイズ 文庫本
ページ数 248ページ
定価 836円(税込)
発売日 2022/06/17

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内容紹介

愛しの花嫁、そなたは生涯の伴侶だ
大学生の遼河は、突然、星読みの力によって異世界に召喚され『皇后様』としてひれ伏される。だが、実は人違いと分かり女官のふりをして過ごすことに。ところが、聖弦皇帝に臆せず発言したせいで「面白い女官だ」と、聖弦皇帝から見初められてしまう。「私自身が選んだ妃はそなただけ」と甘く囁かれるが、夜伽の相手に選ばれるわけにいかないと抵抗するも、激しく貫かれて――。幼い弟皇子たちにも気に入られ、贅沢な皇后(候補)ライフが始まって!?
異世界溺愛ラブ!!
★初回限定★
特別SSペーパー封入!!

人物紹介

設楽遼河(したら りょうが)

中国史の研究者を目指している歴史書好きの大学生。21歳。

聖弦皇帝(せいげんこうてい)

富弦国の五代皇帝。皇后の出現を待ち望んでいる。27歳。

立ち読み

 

第一章


 静寂に包まれた大学の図書館で、設楽遼河は書棚の最上段に目を凝らしている。
 この春に大学四年生となり、順調にいけばあと一年で卒業だ。
 けれど、細身で可愛らしい顔立ちをしているせいか、シンプルな長袖の白いコットンシャツに淡いブルーのデニムパンツを合わせ、帆布のショルダーバッグを肩から斜めがけにした姿からは少年のような雰囲気が漂っている。
「あれだ……」
 ようやく目当ての書籍を見つけ、安堵の笑みを浮かべた。
 遼河が専攻しているのは東洋史学で、中国史の研究者を目指している。
 中国の歴史に興味を持ったのは、三国志がなによりも好きな父親の影響が大きい。
 時間さえあれば三国志の小説を読みふけり、中国の歴史を題材にしたドラマや映画を観ている父親をそばで見ていて、自然と遼河も興味を持つようになったのだ。
 息子がいろいろ訊いてくるのが嬉しかったのか、父親は三国志の漫画を買ってくれた。
 小学三年生のころのことだが、それがきっかけで遼河は中国の歴史にのめり込んでいった。
 父親は単純に三国志のファンだったのだが、遼河は中国の歴史そのものに強く惹かれ、中学生になると独学で中国語を勉強し始めた。
 歴史書を読み漁るうちに、何冊かの書物にひどく感銘を受けた。
 奇しくもそれらの著者は同じで、地方の大学で教鞭を執る教授だった。
 中国史を学べる大学はいくらでもあったけれど、遼河は尊敬する教授がいる一校のみを受験し、幸いなことに現役で合格することができた。
 東京から遠く離れた地方の大学ということもあり、両親の負担を少しでも減らすべくアルバイトをしながら勉学に勤しむ毎日だ。
「届くかな……」
 目当ての書物を見上げたまま片手を伸ばし、思いきりつま先立ちになる。
 ようやく書物の背を掴んだところで、不意に横から手が伸びてきた。
「えっ?」
 人の気配をまったく感じていなかった遼河は、驚きのあまり手を伸ばしたまま固まる。
「ごめんなさい……その本……」
 申し訳なさそうな声をもらした主は、長袖のブラウスに長いフレアスカートを合わせた、見知らぬ小柄な女性だった。
 年齢的には遼河とあまり変わらない感じで、中国史に関する書物を探していたということは、同じ学部の学生だろうか。
「もしかしてこの本を?」
「ええ、でも大丈夫です……」
 書棚から抜き取った書物を見せると、彼女は小さくうなずいたもののすぐ控えめに笑って首を横に振った。
 どうやら彼女も同じ書物を探していたようだ。
 書物に先に触れたのは遼河ではあるけれど、ほぼ同時に彼女も手を伸ばしてきた。
 どうしてもいますぐ読む必要があるわけでもなく、ここは彼女に譲るべきだろうと書物を差し出す。
「僕は急いでいないので、どうぞ」
「いえ、本当に大丈夫です。私も急いでいるわけではないので」
「でも……」
「お先にどうぞ」
 互いに困り顔で、どうぞ、どうぞと譲り合う。
「僕は来週でもべつに……」
 埒があきそうになく、彼女に書物を押しつけようとしたら、手を引っ込められてしまった。
 行き場をなくした書物が派手な音を立てて床に落ちる。
「あっ!」
 大学図書館の蔵書は貴重なものが多い。
 譲り合っていた書物は古いもので、すでに絶版になっている。
 落としてしまったことを悔やみつつすぐさましゃがみ込んだ遼河は、床にあたった拍子に開いてしまった書物に手を伸ばす。
「えっ? なに?」
 突如、得体の知れない力によって、遼河の身体がグイッと引き寄せられる。
「ちょっ……」
 なにごとかと目を瞠った瞬間、暗闇に飲み込まれてしまった。


          *****


「うーん……」
 遼河は背中に感じる冷たさに、ゆっくりと目を開ける。
 横たわっているようだが、自分のベッドでないことは確かだ。
 ベッドがこれほど硬く、ひんやりとしているわけがない。
 疑念を抱きつつ身体を起こし、ぼんやりとしている目を何度か擦る。
「どこ?」
 瞳に映る見たこともない光景に首を傾げた。
 とてつもなく天井が高く、窓ひとつない壁に囲まれた巨大な建物の中にいる。
 あたりは薄暗い。
 豪奢な金色の燭台が幾つかあり、立てられた蝋燭に火が灯されているだけだ。
 それでもあたりを観察することくらいはできた。
 室内を彩る装飾品には見覚えがある。
 中国の歴史ドラマや映画で幾度となく目にしてきた、絢爛豪華な中華風の装飾が至る所に施されているのだ。
「どういうこと……」
 不安を覚えつつも、さらに目線を移してみる。
 すると、中華風の衣裳を纏った五人の男が顔を突き合わせるようにしてなにやら話し込んでいた。
 ときおり聞こえてくる言葉は、あきらかに日本語と異なる。
 中国語のようにも聞こえるが、遼河が知っている中国語とは少し違った。
 煌びやかな装飾品や衣裳から、唐の時代を模したのだろうと察せられる。
 まるで、ドラマか映画の撮影現場にでも迷い込んでしまったかのようだ。
「夢?」
 思わず自分の頬を抓ってみる。
「つっ……」
 頬に感じたのは強い痛み。
 それでも信じられなくて、今度は腿を力任せに抓ってみた。
「っ!」
 後悔するほどの痛みに顔が歪む。
 どうやら夢の中にいるわけではなさそうだ。
「夢じゃないなら……ここは……」
 とにかく自分がいる場所を把握したいという思いから、遼河は勇気を振り絞って立ち上がり、男たちに向けて声を放つ。
「すみません、ここはどこですか?」
 その声にハッとしたように男たちが視線を向けてくる。
「おぉ……楓花さま、目覚められたか」
 ひとりが大袈裟な声をあげたかと思うと、男たちが駆け寄ってきた。
「ふうか?」
 自分を取り囲んだ男たちを、解せない顔つきで見つめる。
 声をあげたのは年配の男で、残る四人は二十歳くらいの青年だ。
 年配の男は黒ずくめで、腰まで伸びた長い髪を垂らしたままにしている。
 青年たちは濃い鼠色の衣を纏い、髪を後ろでひとつに束ねていた。
 襟を前で重ね合わせた丈の長い衣の形は、日本の着物によく似ている。
 けれど、緩く巻いた帯は装飾品でしかなく、裾はゆったりとしていて、着物の袂と異なり袖口がラッパ状に大きく広がっていた。
「聖弦皇帝の皇后であらせられる楓花さま」
 年配の男が声を響かせたのを合図に、いっせいに男たちが遼河にひれ伏した。
 あまりにも突然のことに、遼河は思わず息を呑む。
 と同時に疑念が脳裏を過る。
 なにも考えず日本語で話しかけたのに、彼らに通じた。
 そして、遼河は男が発した言葉が理解できた。
 いったい彼らは何者で、ここはどこで、なにが起きているというのだろうか。
「楓花さま、よくぞご無事で……」
「ちょっと待ってくれませんか? 僕はシタラ・リョウガという名前で、ふうかじゃありません」
 頭をもたげた年配の男を遮るように言い放ち、遼河は神妙な面持ちで見つめた。
 彼は自分を誰かと間違えているようだ。
(ふうかって女の人の名前っぽいけど……皇帝とか皇后とか……)
 わからないことばかりで、不安が募ってくる。
 自分の身になにが起きているのかさっぱりわからない。
 いったい、どうやってここに来たのだろうか。
 まったく記憶にない。
 大学の図書館で、女性と書物の譲り合いをしたことは覚えている。
 けれど、そのあたりで記憶が飛んでしまっているのだ。
 そういえば、肩に掛けていたはずのショルダーバッグがない。
 男たちの誰かが奪ったのだろうか。
「楓花さまではない?」
 年配の男が眉根を寄せる。
 次々に頭をもたげた青年たちは、困惑も露わに顔を見合わせた。
「そう、僕はシタラ・リョウガ。それで、ここはどこなんですか? 皇帝とか皇后とか意味不明なんですけど」
 落ち着くよう自らに言い聞かせつつ訊ねた遼河は、大袈裟に肩をすくめてみせる。
 不安を感じてしまうのは、現状が理解できないでいるからだ。
「リョウガさま……実は……」
 意を決したようにようやく口を開いた年配の男が、大きくひとつ息を吐き出す。
 部屋の造りも、纏っている衣裳も、発する言葉も、あまりにも芝居がかっている。
 けれど、ドラマなどの撮影現場にしてはスタッフの姿もないし、なにより漂う雰囲気が重々しい。
 さまざまな疑問を解決するには、彼の話に耳を傾けるしかなさそうだった。
「我々は運命の女性である楓花さまを、富弦国の五代皇帝、聖弦さまの皇后にすべく召喚したのですが、なぜか貴方がこちらの世界に来てしまったようで……」
「ふげん国? 五代皇帝? 召喚?」
 遼河はぽかんと口を開けて瞬きを繰り返す。
 彼が口にした国と皇帝の名前は、遼河の知る限り中国の歴史上に登場しない。
 なによりの驚きは「召喚」という言葉だ。
「楓花さまは我々が長いときをかけて、ようやく見つけ出した聖弦皇帝陛下の運命の皇后でして……それなのに、どこで間違ってしまったのか、リョウガさまが……」
 言葉を紡ぐ年配の男性の顔には、あきらかな焦りの色が見て取れる。
 彼の言ったことが事実だとしたら、自分は異世界に呼ばれてしまったということになる。
 中国に関連しているものはどんなものでも興味があるので、異世界を舞台にした中華風のライトノベルも読むし、アニメも観る。
 とはいえ、それらは創作物と割りきって楽しんできただけで、本当に異世界があるなんて考えたこともない。
 女性と間違って異世界に召喚されてしまったと言われたところで、現実にはあり得ないことだけににわかには信じがたく、混乱していくばかりだ。
「いったい、どうしてこんなことに……」
 年配の男は困り果てたように首を左右に振る。
 彼が迫真の演技をしているようには見えないし、冗談を言って自分をからかっているようにも見えない。
 まさか、本当に人違いで異世界に召喚されてしまったのだろうか。
 そんなことはあり得ないと、頭では思っている。
 けれど、彼と言葉を交わしているのは現実に起きていることだから混乱するのだ。
 それも、あきらかに異なる言語でありながら、互いに理解し合えているという事実に、現状を否定できなくなってきている。
(あっ……)
 大学の図書館での出来事が、ふと脳裏に蘇ってきた。
 落とした書物に手を伸ばしたとき、急に見えない力で身体が引っ張られた。
 まるで書物の中へと吸い込まれるような感覚。
 本来、召喚されるべきは同じ書物に手を伸ばしたあの女性だったのではないだろうか。
「ま……間違えたなら僕を元の世界に戻して、そのふうかさんとやらを改めて召喚すればいいじゃないですか」
 遼河は思いつきで提案してみた。
 そもそも間違ってここに来てしまったのであれば、帰ればよいだけのこと。
 彼らの目的はあの女性なのだろうから、改めて召喚なりなんなりすればいいのだ。
「召喚の術を使えるのは、特別な星が現れる日に限られるのです」
「召喚の術?」
「私は富弦国の皇帝のために、さまざまなことを占う星読みの北斗と申します」
 年配の男が自ら名乗って軽く頭を下げる。
(星読み……)
 古代中国の皇帝の多くは、あらゆることにおいて占い師を頼った。
 星を正確に読み解ける占い師は少なく、皇帝からも特別な扱いを受けていた。
 占い師が行うさまざまな術を、まことしやかに紹介している書物もあるし、映画、ドラマ、アニメなどではよく題材として扱われている。
 フィクションだと思っていたし、北斗と名乗った星読みが本当に術を行える占い師かどうかも疑わしい。
 とはいえ、あの書物を通じて大学の図書館から、この場所へと移動したことは事実のようだから、否定できないところがあるのも確かだ。
 これらの出来事が事実ならば、遼河は突如、大学の図書館から姿を消したことになる。
 学生が行方不明になったのだから、大学も大騒ぎになっているかもしれない。
 さっさと元の世界に戻してもらうよう断固、交渉すべきだ。
(あっ……でも……)
 素朴な疑問が脳裏に浮かぶ。
「召喚の術って言ったけど、僕を元の世界に戻す術もあるってことだよね?」
「は、はい……それはもちろん」
 遼河の問いかけに、北斗は静かにうなずいた。
 とりあえず、戻る方法があるようだとわかって安堵する。
「で、次に特別な星が現れるのっていつなの?」
「占ってみなければなんとも……」
「それじゃあ困るよ」
 遼河はむすっと頬を膨らませる。
 最初は見知らぬ男に対して丁寧だった口調も、次第に砕けたものに変わっていった。
 迷惑を被った身としては、言葉に気を遣っていられるかといったところだ。
「申し訳ありませんが、次に星が現れるまでのあいだ、女官の振りをして過ごしてもらえないでしょうか?」
「なんで女官なわけ?」
 突飛な提案をしてきた北斗を、遼河は訝しげに見返す。
「城内には宦官しかおらず、みな顔を知られていますから、若い男がうろうろしていたらすぐに捕まってしまいます。女官は出入りが多く、顔も名も知れぬ者も多くおりますので、ひとり増えたところで誰にも怪しまれません」
「えっ? ここって皇帝が暮らしてるお城の中なの?」
 いまさらながらに驚いてしまう。
 けれど、少し考えればわかることだった。
 皇帝お抱えの占い師は城内に宮を与えられ、そこで日々、占いに勤しんでいるのだから。
「はい、聖弦皇帝が御座す〈黄龍城〉でございます」
「だからって、女性の振りをするのは……」
 なんだか、とんでもないことになってきている。
 北斗の言うことはもっともだと理解できるから、反論の余地がない。
 皇帝が暮らす城の中でときを待つには、女性の姿をしているほうが安全なのは確かだろうが、そう長くは誤魔化せない気がした。
「本当に特別な星の日じゃないとダメなの?」
「はい」
 しっかりとした口調で北斗にうなずかれ、遼河は胸の内で大きなため息をつく。
 ここで頼れるのは彼しかいない。
 一刻も早く元の世界に戻りたい気持ちはあるけれど、とにかくいまは彼の言うことに従うしかなさそうだ。
「わかった」
 渋々ながら返事をした遼河は、あらためて大きなため息をもらしていた。


          *****


 北斗の弟子だと名乗る青年たちの手を借り、遼河は女官の衣裳を身に纏った。
 衣裳は薄い生地で仕立てられているけれど、露出がきわめて少なく、足下まですっぽりと覆われている。
 襦袢のような形の衣を重ね着し、腰に細い帯を巻き、最後に長いベストのような袖なしの上着を羽織った。
 生地がたっぷり使われていて、歩くだけで裾がひらひらと揺れるものの、一番下にズボンと同じ形状の薄い下着を穿いているから、仮に捲れ上がったとしても不安はなさそうだ。
 それにしても、あまりにも衣裳が軽くて、なんとも心許ない。
「もう……」
 女官に化けたものの行く当てのない遼河は、さりげなくあたりを見回す。
 しかたなくではあるけれど、女官の衣裳を纏い、北斗の宮から出て外を目の当たりにしたことで、異世界にいるのだと実感した。
 元の世界に戻るには、北斗の言う特別な星の日が巡ってくるのを、女官として過ごしながら待つしかないということだ。
 とはいえ、北斗はどこでなにをすればいいか、それすら教えてくれなかったのだから途方に暮れる。
 いきなり女性の衣裳を着せられて城内に放り出され、右も左もわからないから泣きたい気分だった。
「ちょっと、あなた新入り?」
 呆然としていた遼河は、背後からかけられた声にハッと我に返る。
「は、はい……」
 恐る恐る振り返ってみると、同じ衣裳を身に纏った若くて小柄な女官がすぐ後ろに立っていた。
 携えた籠にはたくさんの野菜が入っていて、かなりの重さがありそうだ。
「手が足りないのよ、手伝ってくれない?」
 親しげに話しかけてきた女官が、額にうっすらと滲む汗を片手で拭う。
 結い上げた黒髪に、小花をあしらった髪飾りを挿している。
 遼河は一瞬、躊躇ったものの、愛想のいい顔立ちに親近感を覚え、素直にうなずき返す。
「はい」
 返事をすると同時に彼女の手から籠を取り上げると、驚いたように見上げてきた。
「ありがとう。私はメイメイよ、リン・メイメイ」
 にこやかに名乗った彼女は、遼河とさほど年齢が違わないように見受けられる。
 気さくに声をかけてきた彼女とは仲良くなれそうだ。
「ぼ……わ、私はリョウガ、設・リョウガ。今日から働くことになってわからないことばかりなので、よろしくお願いします」
 疑念を抱かれないよう、咄嗟に名字を中国風に変えて名乗った。
 遼河はそのままでも大丈夫そうだと思ったのだが、気になってメイメイの表情をさりげなく窺う。
「リョウガね。さあ、昼餉に間に合わなくなってしまうから急ぎましょう」
 腰に軽く手を添えてきたメイメイに急かされ、遼河は籠を提げたまま一緒に歩き出す。
 男が女官に化けているとは思いもしないのか、彼女はまったく疑っていないようだ。
 華奢な自分の体型に悩むこともあった。
 もう少し逞しくなりたいと、運動をしてみたこともあったが効果はなかった。
 けれど、いまとなっては華奢な身体に救われた気分だった。
「その野菜を、あそこで洗うのよ」
 メイメイが指差す先に目を向けると、大きな石に囲われた井戸があった。
 井戸の周りには大小さまざまな桶が置かれている。
 数名の若い女官がその場にしゃがみ込み、せっせと野菜を洗っていた。
 女官たちの衣裳は形と色がみな同じだが、結い上げた髪にはそれぞれ異なる髪飾りをあしらっている。
(髪の形が……)
 女官たちを目にして、遼河は一抹の不安を覚えた。
 遼河の髪はようやく肩に届くくらいの長さで、身支度を手伝ってくれた北斗の弟子たちは結い上げることを諦めてしまったのだ。
 もしかすると、長い黒髪を結い上げるのが女官の決まりになっている可能性もある。
 衣裳が他の女官たちと同じであっても、髪型が異なっていてはまずいのではないだろうか。
(でも、どうしようもないし……)
 最初に出会ったメイメイがとくに指摘をしてこなかったこともあり、とりあえず様子を見ることにした。
(あそこはなんだろう?)
 井戸の向こうに、間口の大きな建物がある。
 城内にありながらも質素な造りで、入り口には〈六膳房〉と記された木札が下がっていた。
 目を凝らすと幾つもの竈が見える。
 どうやら厨房のようだ。
 皇帝のための料理を用意する厨房としてはあまりにも粗末な造りであることから、女官たちの食事を作る場所と思われた。
「リョウガ、そこの桶に野菜を入れて」
 早くも井戸の水をくみ上げたメイメイから指示を出され、遼河は手近の桶に籠いっぱいの野菜を移す。
「今日から一緒にお仕えすることになったリョウガよ」
 メイメイの声に、井戸を囲んでいる女官たちが顔を上げる。
「ソウ・リンレイよ、よろしくね」
「私はワン・リーリー」
「サイ・ウーメイよ」
 矢継ぎ早に自己紹介され、遼河は戸惑いつつも笑みを浮かべる。
 一度に全員の名前を覚えるのはとても無理そうだが、一緒に過ごしていくうちにどうにかなるだろう。
「セツ・リョウガです。よろしくお願いいたします」
 新入りらしい振る舞いとはどんなものだろうかと考えつつ、丁寧に頭を下げた。
「早く野菜を持ってきてちょうだい」
 膳房から大きな声が聞こえ、野菜を洗い終えた女官たちが慌ただしく井戸から離れていく。
「ここで作ってる料理って女官が食べるんですよね?」
「ええ、そうよ」
「女官って後宮に何人くらいいるんですか?」
 桶に移した野菜をせっせと洗いながら訊ねると、メイメイが肩をすくめて笑った。
「私も先月、入ったばかりでよくわからないの。でも膳房はここだけじゃなくて他にも幾つかあるらしいわ」
「そうだったんですね」
 遼河は内心、安堵する。
 仕えて長い女官より、新人のほうが話をしやすい気がしたからだ。
「そんな堅苦しい喋り方しないでいいわよ。私のほうが年下だと思うし」
「えっ? ぼ……私は二十一歳だけど……」
 思わず「僕」と口にしそうになり、慌てて言い直した。
 幸いなことに、メイメイは気にした様子がない。
「やっぱり、私は十八よ」
「そうなん……そうなのね」
 言葉遣いに気をつけなければならないから、どうしてもぎこちなくなってしまう。
 女装をするのも初めてならば、女性の言葉を使うのも初めてなのだからしかたない。
 とはいえ、正体がばれないようにするためにも、言葉と振る舞いには極力、気をつけなければと自らに言い聞かせた。
「私たちみたいな下っ端は、一日中、野菜を運んで洗うのが仕事」
「それだけ?」
「それだけって言うけど、けっこうな量があるから大変なのよ」
「朝、昼、晩ってことでいいの?」
「そうよ」
 メイメイは屈託のない笑みを浮かべ、いろいろ教えてくれる。
 騙しているから申し訳ない気持ちもあるが、ここでは彼女に頼るしかないだろう。
「ちょっと、いつまで洗ってるの! 早く運んでくれないと困るんだよ」
 またしても膳房から大きな声が飛んできた。
 声の主は見えないけれど、少し年齢が高そうに感じられる。
 膳房を取り仕切っている女官かもしれない。
「はーい、すみません」
 膳房を振り返って返事をしたメイメイが、遼河に向き直る。
「急ぎましょ」
「ごめん、私のせいで怒られちゃって」
 遼河は素直に詫びた。
 自分があれこれ質問をしたから、無駄に時間を使ってしまったのだ。
「チュウさんはいつも怒鳴ってるの。だから気にしちゃダメよ」
 メイメイが可愛らしい笑みを浮かべる。
 叱られてしゅんとした様子もないから、本当に日常茶飯事なのかもしれない。
「わかった」
「さっ、中に運びましょう」
 メイメイに促され、洗い終えた野菜を乾いた桶に入れて持ち上げる。
「ひとりで大丈夫?」
「平気、平気、メイメイはその籠を持ってきて」
「わかったわ」
 それぞれに荷物を持ち、急ぎ足で膳房に向かう。
 会って間もないとは思えないくらい、メイメイとの距離が近くなっている。
 女官の姿で放り出されたときは、ただならない不安を抱えていたけれど、彼女と知り合ったことでずいぶん気が楽になっていた。
 どう足掻いたところで、自分で元の世界に戻ることはできない。
 ならば、うだうだ考えずに異世界での暮らしを楽しんだほうがいいにきまっている。
 時代がいつなのか、どんな皇帝なのか、現時点ではまったく不明だ。
 それでも、ここが大昔の中国のような世界であることは間違いなさそうであり、皇帝が暮らす城の中にいるのだと思うと、心なしかわくわくしてきた。
 中国の歴史が大好きで、中国史の研究者を目指す自分にとって、これ以上、素晴らしい経験はない。
 一週間、もしくは一ヶ月……特別な星が現れる日がいつになるのか定かではないけれど、それまでのあいだは存分に楽しもうと、メイメイと並んで歩く遼河は前向きな気持ちになっていた。








第二章


 異世界で五日目の朝を迎えた遼河は、すっかり打ち解けたメイメイと食後の散歩を楽しんでいた。
 突然、女官がひとり増えたというのに、周りは誰も変に思う様子がなく、畳一畳ほどのスペースと寝具を与えられた。
 膳房で働いている者は食事係と呼ばれ、調理、配膳、下拵えといった担当があり、野菜を運んだりする雑用担当は最下層になるとのことだ。
 雑用担当の女官はもっとも人数が多く、ひとり、ふたりの増減は珍しくないらしい。
 注目を浴びないにこしたことはないから、遼河はメイメイと同じ雑用担当として働くことにした。
 とにかく、正体を知られないように、メイメイをはじめ他の女官たちの振る舞いを窺いながら、ひたすら真似をすることで身につけていった。
 最下層の女官であっても、きちんと仕事をしていれば無下に扱われることもなく、膳房は和気藹々としていて楽しい。
 食事はとても質素で、主食は粥か饅頭、副菜に野菜炒めや少しの肉が出るくらいだ。
 ただ、味は本格的で、さすが本場の中華料理は深みが違うと、遼河はひとり、それを味わえる喜びを感じていた。
 あまり交友関係を広げないほうがいいだろうと判断し、仕事以外の時間はもっぱらメイメイと過ごしている。
 彼女と城内を散歩しながら後宮のことなどを教わるのが、いまでは日課になっていた。
「そうそう、昨日、チュウさんに女官は何人いるんですかって訊いてみたの」
 花と木々に囲まれた庭園を歩いている途中で、メイメイがふと思い出したようにそう言って笑った。
「それで?」
「女官にも位があって膳房もそれぞれ別にあるんだから、そんなこと知るわけないだろうって怒られちゃった」
「そっかぁ……」
 興味津々だった遼河は、答えが得られず肩を落とす。
 中国の歴史書によると、後宮に仕える女官や宦官は数千とも言われている。
 実際に長く働いていても、巨大な城内のすべてを知ることなど無理なのかもしれない。
 いまの遼河が目にすることができるのは、膳房という狭い一画の中だけだ。
 城内の散歩は許されているが、それも限られた範囲内であり、ほとんどなにも知らない状態に近い。
 せっかく異世界の後宮にいるのだから、もっといろいろなことを知りたいという欲が湧いてくる。
「あー、トンボー」
 のんびり歩いている遼河の耳に、どこからともなく甲高い声が聞こえてきた。
「えっ? 子供の声?」
 思わずメイメイと顔を見合わせる。
「わ―っ!」
 今度は悲鳴のような叫び声が響いた。
 バタバタとけたたましい音が続く。
 なにごとかと振り返ると、木々のあいだに設けられた石段から、艶やかな青い衣を纏った幼い男の子が駆け下りてきた。
「誰か―っ、とめて―っ」
 子供の足がどんどん加速する。
 勢いがつきすぎて止まれなくなっているのだ。
「危ない!」
 遼河は咄嗟に駆け出したけれど、助けるには少し距離があった。
 子供は最後の一段を下りたところで、勢い余って転んでしまう。
「大丈夫?」
「わーん、わーん……痛いよぉ……」
 すぐさま駆け寄って泣いている子供を抱き起こし、衣についた土を軽く払ってやる。
 それにしても贅沢な衣だ。
 大きな袖の袍と袴の組み合わせで、綺麗に頭頂部に作った団子状の髪に金色の小さな冠をつけている。
 かなり位の高い人物の子供であると察せられた。
「どこか怪我したの? どこが痛いの?」
 子供はしっかり自分の足で立っている。
 足を痛めたわけではなさそうだ。
「わーん……」
 子供が小さな手を、目の前で跪いている遼河に見せてくる。
 掌についている土を払うと、少し赤くなっていた。
 転んだ拍子に強く手をついてしまったのだろう。
「ちょっと赤くなってるだけだよ」
「痛いのー」
 目を真っ赤にした子供が、不機嫌そうに頬を膨らませる。
 訴えを聞いてもらえないのが不満のようだ。
 とはいえ、掌には血が滲んでいるわけでもない。
 捻挫を疑って手首をクイクイと動かしてみても、ことさら痛がる様子もない。
「びっくりしちゃったんだね。大丈夫だよ」
 安心させるように微笑み、涙に濡れた子供の頬を指先で拭う。
「まだ痛い?」
「うん」
 子供がこくんとうなずく。
「じゃあ、おまじないしてあげる。痛いの痛いのお空に飛んでけー」
 上に向けた子供の掌に指先を軽くあてがう。
 不思議そうに目を瞠っている子供を見つつ、痛みを掴んで投げ捨てるように遼河は自分の手を空に向けて高く挙げる。
 子供は遼河が放り投げたなにかが、まるではっきり見えるかのように空を仰ぐ。
「ね、もう痛くないでしょ?」
 遼河が小さな掌を優しくさすると、子供がパッと顔を明るくした。
「ほんとだー、すごーい」


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