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彼と彼との家族のカタチ

火崎勇 / 著
金ひかる / イラスト
ISBNコード 978-4-86669-461-0
サイズ 文庫本
ページ数 240ページ
定価 836円(税込)
発売日 2022/01/18

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内容紹介

心地よい、自分の居場所。
「一瞬でもいい『特別』でいたい」育ての両親を事故で亡くし、妹と遺された宇垣条は、祖母を頼り日本にやってきた。さっぱりして気持ちいいほどの祖母と、彼女にプロポーズしてくる謎の男性・是永との不思議な生活がはじまる。居場所を与えられて、是永からの「愛しい」と感じる戯れに、求められたいと願うけど、真実を伝えられず、彼が望んでいる「無垢」な相手を演じてしまう条。後悔すると分かっていても、その腕を手離せなくて…。血が繋がらなくても一緒に過ごす、幸せのカタチ。
★初回限定★
特別SSペーパー封入!!

人物紹介

宇垣条(うがき じょう)

育ての両親が事故で亡くなったため、育ての両親の祖母が暮らす日本へくる。20歳。

是永湊(これなが みなと)

条のおばあちゃん勝子へプロポーズしてくる、不思議な男性。32歳。

立ち読み

 宇垣の両親が飛行機事故で亡くなったという知らせを受けたのは、妹のみゆと留守番をしていたロサンゼルスの自宅だった。
 父さんは優秀な弁護士で、顧客の招きでネバダへ向かう途中だった。
 まだ五歳の小さなみゆを抱えて、何をどうしたらいいのか全くわからず呆然としている俺の前に、父さんの同僚であったカトウさんがやってきた。
「条、君がここでみゆちゃんを育てていくのには無理がある。わかるね?」
 率直な言葉に、俺は頷いた。
 日本でいえば成人にあたる二十歳にはなっていたが、勤めをしているわけではなく、お金のこともみゆの学校の進学のことも、何もわからないのだから。
「どうだろう。君さえよければ、宇垣のお母さん、つまりみゆちゃんのお祖母さんの家に行ってみないか?」
「おばあちゃん……? でも彼女は日本で……」
「そう。だから、君とみゆちゃんで、日本に戻らないか、というんだ。君は日本に行ったことがないから不安かもしれないが、日本はアメリカより安全だ。みゆちゃんにはここより暮らしやすいかもしれない」
「でもカトウさん。おばあさんはアメリカにも来ないんでしょう? 俺のことを歓迎していないんじゃ?」
 両親の事故の知らせがあった時、すぐに祖母は飛んで来るだろうと思っていたのだが、彼女は来なかった。
 もう亡くなってしまったのだから、行っても仕方がないと言ったとか言わないとか。
 なので葬儀はこちらで、両親の友人達が執り行ってくれたのだ。
「宇垣さん、宇垣勝子というのがおばあさんの名前だが、勝子さんは肺気胸という病気でね。年齢のせいもあって医者に飛行機に乗るのを止められたらしい」
「身体が弱いんですか?」
「いやいや、とても元気なご婦人だったよ。肺気胸も軽度で、手術の必要もないようだが、やはりアメリカまでの長距離は何が起こるかわからないから大事をとらされたのだろう。君達を引き取る気があるかと尋ねたら、早く息子夫婦と孫達を連れてきてくれと言われた」
「息子夫婦?」
「日本で埋葬するようだ」
「ああ、そうですね。その方がいいかも」
 両親はグリーンカード、アメリカの永住権を持っていた。母が、日系のアメリカ人だったからだ。
 望めばこちらで母方の墓地に埋葬することもできるのだが、祖父母はおらず、残っているのは母の妹夫婦だけ。
 これから先のことを考えると、やはり父の祖母に届けた方がいいだろう。
「日本に行くのは怖いかい?」
 カトウさんの言葉に、俺は首を振った。
「どこへでも行きます。みゆが幸せになれる場所なら。俺はどこへでも生きていけますから」
 俺の言葉に彼が苦笑する。
「確かに、条は優秀だ。君ならきっと上手くやれるだろう。それじゃ、勝子さんのところへ行くと決めていいね?」
「はい。よろしくお願いします」
 どれがよい道かなんて、俺にはわからない。
 俺は決断を下すには無知だから。
 でもカトウさんは信頼に足る大人だ。信頼のおける大人がこれがいいと言ってくれるなら、それを選んだ方がいいのだろう。
 カトウさんはとても優秀で、俺が家の片付けをしている間に家を売り、両親の遺産をまとめ、俺達の渡航手続きをし、荷物を発送した。
 近所への挨拶も済ませ、通ってきていたシッターを中止し、いらないものは地域のバザーに提供することも忘れなかった。
 空港へ俺達を送り届けるまで、完璧な弁護士だったと言っていいだろう。
 問題は日本に到着してからなのだが、そこも彼はぬかりがなかった。
 成田へ到着すると、予約を入れていたタクシーが俺達を待っていて、何も言わなくても宇垣のおばあちゃんの家まで運んでくれたのだ。
 みゆは長い移動に退屈していたが、車が都心部へ入ると、物珍しさから窓に張り付いたままだった。
 不安はある。
 けれど、今までの人生何とかなったのだから、これからもきっと何とかなるだろう。
 何より日本はアメリカとは違って平和な国だ。
 しかも同国人ばかりで、俺達が悪目立ちしたり差別を受ける心配もない。何せ俺達の見た目は日本人そのものなのだから。
 今乗ってるタクシーの運転手も、俺を日本人だと思って話しかけてきている。
「小さい妹さんが一緒だと大変だねぇ」
 年配の運転手は、とても愛想がよかった。
「日本のお金をあまり持っていないので、カードで大丈夫ですか?」
「ああ、まだ両替してないんだね。大丈夫だよ」
 日本はアメリカよりキャッスレス化が遅れていると聞いていたが、何とかなりそうだ。
「アメリカのタクシーとはやっぱり違うかい?」
「ドアが自動で開くのは驚きました」
 タクシーの運転手とそんなやりとりをしながら到着したのは、生け垣に囲まれた古い家だった。隣に立つ家が新しそうなモダンな家なので、古さが目立つ。
 カードで代金を払い、スーツケース一つだけを持って車を降りる。
 他の荷物は既にカトウさんが送ってくれていたので身軽なものだ。
「ここ、どこ?」
 少し眠くなってきていたみゆは、ぼうっとした目で家を見上げた。
「みゆのおばあちゃんの家だよ。今日からここで暮らすんだ」
「ここで?」
「うん」
 そうなんだぞと自分にも言い聞かせて、スーツケースとみゆの手を握り門扉のない入り口を入る。
 玄関へ続くように敷かれている何枚かの敷石を踏んで、玄関の扉の前に。
 変な形の扉だ。
 格子の中にガラスの嵌まった薄い扉は、ノブが無い。ノッカーもない。
 どうしたら来訪を告げられるのかと眺めていると、扉の横に小さなスイッチがあった。
「……これかな?」
 思い切ってそのボタンを押すと、家の中からブザーの音が響く。どうやらこれで合っていたようだ。
 暫く待つと、ガラスの向こうに人影が映る。
 カチャカチャと音がして、扉は横にスライドした。
 なるほど、これはスライドドアだったのか。
 現れたのは、綺麗な灰色の髪をした細身の美しい女性だった。民族衣装の着物がよく似合っている。
 彼女は俺とみゆを上から下まで眺めまわし、冷たい声で言った。
「条とみゆだね。入んなさい」
 歓迎……、されてるのか?
「ミセス宇垣、あの……」
「立ち話はしないよ。入んなさい。ここはアメリカと違うから、家に入る時には靴を脱いでから上がるんだよ」
「はい。みゆ、靴を」
 グズグスしてると叱られそうだ。
 家の中は玄関より一段高くなっている。
 ミセス宇垣は指の割れた白い靴下でそこに立っているから、上の段にはみゆを座らせても大丈夫だろう。
「座って」
 座ることを促し、小さな足から靴を脱がそうとすると、ミセス宇垣の声が飛んだ。
「みゆはもう五歳だろう。自分で脱がせなさい。できるね?」
 最後の一言はみゆに向けてだ。
「できるー」
 言われたみゆは両手を上げて答えた。
「じゃ自分で脱ぎなさい」
「はぁい」
 高い可愛い声に少しほっとする。
 みゆはミセス宇垣を恐れてはいないようだ。
 玄関先にスーツケースを置かせてもらい、俺とみゆはミセス宇垣について奥へ向かった。
 木を多用した建物。
 床もツルツルな古い板。壁は壁紙ではなく、石? 石膏? 部屋の仕切りの扉には紙が貼ってある。
 不思議な建物だ。
 日本は木と紙で出来てると聞いたが、その通りなんだ。
 通された部屋は草を編み込んだ床で、低いテーブルの周囲には平たいクッションが置かれている。
「おザブトンって言うの。あの上に座るの」
 言うなりみゆは小走りにクッションの上にちょこんと座った。
「よく覚えてたね。条、あんたも座りなさい。足は崩していい。今お茶を持ってこよう」
「あ、はい、すみません」
 ミセス宇垣は、俺のことを『条』と呼んだ。
 俺が誰だかちゃんとわかってるのだ。それだけで、少しほっとした。
「これねぇ、タタミって言うの」
 みゆが床を叩いて言った。
「タタミ?」
「そう。この上でゴロンしてもいいの」
「怒られない?」
「お客様の前ではダメだけど、家族だけならいいの」
「へえ」
「何にも用意してなかったから、大したもんはないよ」
 そう言いながら戻ってきたミセス宇垣は、アイスティーとケーキの載った皿を持ってきた。
 この早さからすると、用意して待っていたに違いない。
「ケーキ! 好き! おばあちゃん作った?」
「私が作るわけないだろう。もらいものだよ」
「もらいもの?」
「知り合いがくれたものだ」
「プレゼント?」
「いいからさっさとお食べ。話ながら食べるんじゃないよ」
「はーい!」
 みゆはすぐにフォークを持ってケーキに取り掛かった。
 俺も食べていいのだろうか?
 迷っていると、ミセス宇垣はジロリとこちらを睨んだ。
「毒なんか入ってないから食べなさい」
「そんな、毒なんて……! 俺も食べていいんですか?」
「食べていけないものを目の前に出すほど悪趣味じゃないよ」
 彼女は取っ手の付いていないカップで、俺達とは違うお茶を飲んだ。あれは湯飲みだ。父さんも使っていた日本茶専用のカップだ。
「いいかい。条もみゆも、これからはここで暮らすんだ。私の言うことは聞いてもらうよ。いつまでもおびおびおどおどしてられちゃ気分が悪い。私の孫なら孫らしく、シャキとおし」
「でもミセス宇垣……」
「何だいその呼び方は。孫なら孫らしく『おばあちゃん』と呼びな」
「すみません。でも、俺もそう呼んでいいんですか?」
「他に何て呼ぶつもりだい」
「ミセス宇垣……」
 彼女はジロッとこちらを睨んだ。
「あんたがアメリカ生まれで、日本には初めて来たってことはわかってる。だから他の人をそう呼ぶのはいいだろう。でも私は御免だね。二度とそんな呼び方をするんじゃないよ」
「あ、はい……」
「わかったら、さっさと菓子を食べちまいな。家の中を案内しなきゃいけないし、あんた達を風呂に入れてやらなきゃいけないし、時間が足りないんだから」
「はい」
 怒らせてしまったかな?
 様子を窺いながら口へ運ぶケーキは、アメリカのものよりも優しい味がした。
「お兄ちゃん。おばあちゃんタツミゲーシャだったから口が悪いんだって。でも怒ってないんだって」
「タツミゲーシャ? 芸者?」
「そんな大昔のことはどうでもいいんだよ」
 ミセス宇垣……、おばあちゃんはそう言ってみゆを睨んだ。
 けれどみゆはにこにこ笑って「お写真見た、キレイだった」と笑った。
 綺麗、か。
 確かにシワはあるけれど、おばあちゃんは美人だった。若い頃はきっとモテただろう。
 それを口にするとまた叱られそうだけれど。
「ケーキもっと食べたい」
「夕飯の支度がしてあるんだからダメだよ。食べたらおいで、部屋へ行くから」
 口の悪い女性は何人も知っている。ダイナーのマギーはいつも怒ってるような口ぶりだったけれど悪い人ではなかった。
 おばあちゃんもきっとそういうタイプなのだろう。
 上手くやらなければ。行儀よくして、気に入ってもらわなければ。
 ここを追い出されたらどこにも行くところはないのだ。
 みゆとも離れたくない。
「お部屋、楽しみねぇ」
 笑いかけるみゆに、自分も釣られて笑顔になる。
 けれど次の一言で、その笑顔が固まった。
「はやくパパ達も来るといいのにねえ」
 相槌を打つこともできず固まったままでいると、おばあちゃんは今までとは違う話し方で静かに言った。
「私が話して諭すから安心おし」
 その時の眼差しは、悲しいほど優しかった。



 こうして、俺、宇垣条の日本での新しい生活は始まった。
 言葉遣いや目付きなどから怖い人だと思っていたおばあちゃんだったが、そうではないということは三日も経たずわかった。
 一人住まいには広過ぎて部屋が余ってたからと言いながら、俺達にはそれぞれ個室が与えられた。
 みゆはまだ小さいので、一階のおばあちゃんの隣の部屋。
 何か粗相をされたら困るからだと言ったけれど、どう見ても可愛いからとしか思えない。女の子らしい机やベッド、可愛いタンスまで用意されていたのだから。
 アメリカから送ったのとは別に着替えの服もあったし、ぬいぐるみまで置かれていた。
 待ち遠しくて仕方なかったんだな。
「友人が女の子の部屋を手掛けたがってね。任せたら勝手に用意したんだよ」
 なのにおばあちゃんは俺の視線を受けて、言い訳するように言った。どうやら彼女は照れ屋さんなようだ。
 友人が女の子の部屋を手掛けたかっただけと言ったけれど、男の俺の部屋もちゃんと用意されていた。
「あんたは成人男性だから一人で過ごしたいこともあるだろう。二階の左の部屋だよ。私はもう階段を上るのは面倒だから殆ど使ってないんだ、二階はあんたが自由に使うといい。ただし、二階の掃除や片付けは全部してもらうからね」
 使っていないのなら片付けも掃除もいらないだろうにそう言うのは、俺が気にしないようになのかな。
 俺の部屋にもベッドがあった。ここへ運び入れるのは大変だっただろう。
 なのにおばあちゃんはこう言った。
「昔誰かが運んだんだろ。あんた達はアメリカ暮らしが長いんだから、ベッドがあってよかったじゃないか」
 俺達の生活習慣を考えて、わざわざベッドを買い入れてくれたってことだろう。
 つまり、おばあちゃんは素直じゃないけど優しい人なのだ。
 俺が日本での働き口が決まっていないことを言った時も。
「丁度いいから暫くウチのことをやっておくれ。家政夫だって立派な仕事なんだから」
 と言い。
「日本の料理にあまり詳しくなくて」
 と言うと、翌日には料理の本が何冊も座敷に置かれていた。
 どれも新品だったのに。
「家を捜したら出てきたからあげるよ。それで美味しい料理を作っとくれ」
 と言った。
 買い物に行った時には、俺とみゆを連れて歩き、近所の人に孫が二人も来て面倒臭いと言って回った。
 面倒臭いとは言っても、俺達が孫であることは説明してくれている。
 それにご近所の人は、あれで嬉しいのよ、と見抜いていた。
 一週間もすると、みゆはすっかりおばあちゃんに懐き、俺もこの人の孫と呼ばれることに慣れてきた。
 年齢的に五歳児の相手をするのはなかなか大変なのでは、と思っていたが、おばあちゃんは健康だった。
 肺気胸のことを尋ねると、医者が大袈裟なだけだし飛行機が嫌いなんだと言っていた。
 でもみゆに対する態度を見ている限り、彼女としてはちゃんと渡米したかったのだろうと思えた。
 本当に病気が原因か、これまでの彼女の性格を分析すると人前で泣くのが嫌だったからなのかもしれない。
 持ち帰った両親のお骨を宇垣の墓に納骨する時には涙を流していたが、俺がそれに気づくとさっと涙を隠して『親不孝だ』と悪態をついていたから。
 おばあちゃんは、弱みを見せたくない人なのだろう。
 父さんの話では、おじいちゃんは早くに亡くなり、おばあちゃんは女手一つでお父さんを育てたらしいので、強く生きなければならなかったはずだ。
 なのにそうして育てた息子は大学から留学して外国暮らし。結婚も異国でして、彼女はたった一人日本に残された。
 きっと孤独で寂しい日々だったに違いない。
 だから強い態度に出るのだろう。
 と思っていたのだが、どうやらそうでもなかったようだ。



 玄関のブザーが鳴って来客を知らせる。
「俺が出ます」
 座敷でみゆの相手をしているおばあちゃんに声をかけ、夕飯を作っていた手を止めてキッチンから玄関へ向かう。
 玄関の磨りガラスの格子の向こうには赤い人影が透けて見えた。
 ……赤?
 何かお届け物かな?
「はい。どなた?」
 玄関の段差から一歩下りて身を乗り出し、扉に手を掛けようとした途端、向こうから扉が開いた。
 目の前に差し出される真っ赤なバラの花。
 ……何?
「ただいま。今日こそ結婚してくれ、カチコさん」
 は?
 わけがわからないまま高速で頭を回転させ、何とか状況を把握する。プロボーズの言葉に赤いバラ、けれどこの家にその対象になるような女性はいない。となれば出てくる答えは『この人は家間違いをしてる』だ。
「あの……、この家にカチコさんという方はいらっしゃいません。住所をお間違えでは?」
 恐る恐る言うと、バラの花が退いた。
 花の向こうから現れたのは、きりっとした顔立ちのイケメンだった。まるで俳優のような、日本人にしては珍しい目鼻立ちのはっきりした人だ。
「誰だ、お前は」
 その整った顔が歪み、俺を見て強い口調で咎める。
「この家の者ですが……」
「この家の? カチコさんは?」
「カチコさんとおっしゃる方はこの家にはおりません」
 答えると、彼は即座に否定を被せてきた。
「バカか! ここはカチコさんの家だろう」
「バカはお前さんだよ、湊」
 勢い込んで男の人が近寄ってきた時、背後からおばあちゃんの声が飛んだ。
「カチコさん」
 男の人は満面の笑みになってから改めてバラの花束をおばあちゃんの方へ差し出した。
「結婚してください」
 え?
 カチコさんっておばあちゃんのことなのか?
 でもおばあちゃんの名前はカツコだし、何より目の前のイケメンはどう見たって三十歳前後、おばあちゃんは七十歳ぐらいだと思う。何かおかしくないか?
 おかしいはずなのに、バラの人は花束を差し出しておばあちゃんの前に跪いていた。
「いい加減におし。条が驚いてるだろ」
 そのバラの人の頭を、おばあちゃんが容赦なく叩く。
「くだらないことやってないで、空港から真っすぐ来たのかい? 食事は?」
 叩かれた彼は、口を尖らせ、子供のような顔になり立ち上がる。
「くだらなくないだろう。本気なんだから。花屋には寄ったが真っすぐきた。カチコさんの作る夕飯が楽しみで」
「残念だったね。私の作った夕飯なんてものはないよ」
「俺、腹ペコだぜ?」
「今夜はそっちの条が作った料理しかないからね。食べたかったらその子にお願いしな」
 言われて彼は俺に視線を戻した。
 けれどその目はまた冷たいものだ。
「これ、誰? 俺がいない間に男作ったの?」
「ばか。言ってあっただろう。孫だよ」
「孫? でも……」
「いいから上がるんだか上がらないんだかさっさとお決め」
「そりゃ上がるさ」
 おばあちゃんの言葉に、彼の顔に笑みが浮かぶ。
「初めまして、隣の是永湊です」
「え? あ、はい、初めまして。俺は宇垣条です」
「ヨロシク、条くん」
 是永さんが手を差し出したので、その手を取って握手する。
 握り返された手の力は強く、態度とは裏腹に歓迎されてないのだと教えた。
「俺のご飯も作ってくれる?」
「はい。シチューですから、人数関係ないですし。どうぞ」
「シチュー? 和食がよかったな」
 是永さんが呟くと、すかさずおばあちゃんのお叱りが飛んだ。
「文句言うんじゃないよ。人様の家でごちそうになるのに」
「はい、はい。あ、条くん、花瓶ある?」
「条でいいです。キッチンにあると思います。そのお花飾るんですよね? やります」
「いや、君は料理を作ってるんだろ? 俺がやるよ。活けて座敷に持ってくから行ってていいよ、カチコさん」
「ケンカはするんじゃないよ」
 二人こそ、まるで本当の祖母と孫みたいだ。
 おばあちゃんも驚いた様子を見せなかったのは、プロポーズは彼等の間ではお馴染みのジョークだったに違いない。
 おばあちゃんがみゆの待つ座敷へ消えると、是永さんは俺を追い越してキッチンに入り、勝手に戸棚を開けて花瓶を取り出した。何がどこにあるかわかっている動きだ。
 だったら、俺に『花瓶ある?』なんて訊くことはなかったのに。
 ああ、そうか。俺の様子を窺いたかったのか。
 気づいて意識すると、彼がバラを花瓶に飾りながらチラチラとこちらの様子を窺っているのがわかった。
 別に見られて困ることはないので無視することにしたが。
 無視すると、彼は近づいてきて鍋の中身を覗いた。
「条だっけ? お前ちゃんとカチコさんの手伝いとかしてるか?」
「さっきも気になったんですが、カチコさんって?」
「勝子さんのことだよ。お前のおばあちゃん」
「もちろん手伝ってますが、何故おばあちゃんを『カチコさん』と?」
「秘密だ」
 フフン、と鼻を鳴らすのが子供っぽい。そこに興味を持って欲しいのだろうか? でも今は食事の用意が先だ。
「わかりました。是永さんはおばあちゃんをカチコさんと呼ぶ、と覚えておきます」
 俺が受け入れると、彼は『おや?』という顔をした。
「素直だな」
「俺よりおばあちゃんと付き合いの長い人ですから何か理由があるんでしょう。それにおばあちゃんが止めてと言ってませんでしたから」
 彼の分の新しい皿を出して、四人分のシチューをトレーに載せて奥の座敷へ向かう。
「ふむ。俺とカチコさんは昔からの付き合いでな、初めて彼女の名前の漢字を見た時にそのまま読んだんだ。勝つ子供でカチコって」
 俺が素直に受け入れたからか、説明したかったのか、彼はバラを活けた花瓶を抱えて付いてきながら説明してくれた。
 意地悪な人ではないようだ。


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