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ステージ上の《Attract》

コオリ / 著
伊東七つ生 / イラスト
定価 1,430円(税込)
発売日 2026/09/11

電子配信書店

  • piccoma

内容紹介

「アンタがステージに立ち続ける限り、俺はずっとその隣で踊りたい」Sub性が原因でステージに立つとパニック症状が出てしまう純嶺。ダンサーとしてステージに立てない自分と、周囲との差に惨めな気持ちを抱いていた最中、二次性不問のアイドルオーディションを勧められる。合宿オーディションに参加することになった純嶺は、同じ参加者である染と出会い、ずっと忘れかけていた、ただ純粋に『踊りたい』という気持ちを思い出す……。しかし中間審査前夜、危惧していた発作が出てしまって――諦めかけたその時、染に優しく名前を呼ばれ、抱きしめられて……穏やかなグレアと、控えめなコマンドに、純嶺の本能は満たされていき――本能と優しい支配で染める、純真のDomSubユニバース

立ち読み

   1.ステージに立てないダンサー


 廃(はい)墟(きょ)を模したステージセットを、不気味な深紅の照明が浮かび上がらせている。
 会場全体に鳴り響く甲高い警報音に合わせて、何本もの赤い光の筋がせわしなく動き続けていた。
 ステージ背面にある巨大モニターには、映画さながらのクオリティで作られたオープニング映像が映し出されている。背後からの攻撃を避(よ)けながら、廃墟の中を駆ける七人の青年の映像だ。
 その映像を、芦(あし)谷(や)純嶺(すみれ)は暗い客席から見上げていた。
 睨(にら)むように画面を見つめるその顔は、スミレという可愛らしい名前には全く似つかわしくない悪人ヅラだ。
 派手な格好や行動を好むタイプではなく、むしろ陰キャと呼ばれるほうがしっくりくる内向的な性格の純嶺だが、一八四センチという長身が目立つせいか、深夜に出歩けば警官から職務質問を受けることも少なくなかった。
 これまで一度も染色も脱色もしたことのない黒髪には少し癖がある。左側だけを刈り上げたアシンメトリーなヘアスタイルは特徴的だったが、純嶺がこだわってそうしているわけではなかった。すべて馴染みの美容師に任せた結果だ。
『お前はチンピラっていうか、殺し屋ってツラだよな』
 純嶺をそう言って揶揄(からか)ったのは、十五年来の付き合いになる親友――今、モニターの中に一番大きく映し出されているコウだ。
 映像は今ちょうど、クライマックスに向かっていた。
 モニターに映し出された彼らが何に追われているのか、その正体は最後まで明かされない。
 相手は人なのか、化け物なのか。
 得体の知れない敵への恐怖を煽(あお)るような音楽と効果音が、会場の緊張感を確実に高めていく。
 純嶺はもう何度も見た映像だったが、たとえ何度目であっても手に汗を握らずにはいられなかった。
 映像と会場の空気がシンクロしていく。これから起こることへ期待を抱かせるには充分な演出だ。次第に大きくなっていくBGMに興奮が高まったところで、ドンッと空気を震わす大きな爆発音が鳴り響く。
 その音と同時に、モニターに映し出されていた七人の青年がステージ上へ姿を現した。
 今や十代、二十代の男女から絶大なる人気を誇るダンス&ボーカルグループ〔cry+vo(クライヴォ)〕のメンバーだ。
 通常であればここで割れんばかりの歓声が会場中に響き渡るのだが、今は静かだった。
 満員ともなれば一万五千人を収容できるこの会場に今、観客は一人もいない。この光景を眺めているのは、最高のライブを作り上げるために集められたプロフェッショナルなスタッフと関係者のみだ。
 今はゲネプロと呼ばれる、本番さながらで行われる最終リハーサルの最中だった。
 ――迫(せ)りから飛び出すタイミング、うまく合っていたな。
 迫りというのは、奈落――舞台に開いた穴――からステージに飛び出すための昇降型の舞台装置のことだ。今回はそれを使って、オープニング映像からメンバー七人が飛び出してきたように見せる演出だった。
 ステージ七か所に設置された迫りから飛び出した彼らは一曲目のパフォーマンスを始めている。
 全員がボーカルとしてもダンサーとしても一流と評されるレベルのメンバーで構成された彼らのパフォーマンスに、隙(すき)は一切なかった。
 ――一曲目の出だしもいいな。ダンスもぴったりだ。
 リハーサルとはいえ、会場内はぴりっとした緊張感に包まれている。
 ここで完成度を上げ切ってしまわなければ、本番で観客を満足させることなんてできない――この場にいる全員がそう思って、このゲネプロに挑んでいるからだ。
 振付師(コレオグラファー)として参加している純嶺も、もちろん同じ気持ちだ。
 スタッフたちの厳しいまなざしが向けられる先、ステージ上で本番さながらのパフォーマンスを見せているcry+voのメンバーは、半分以上が純嶺と同じダンススクールの出身だった。
 純嶺にとって、彼らは小さな頃から一緒に切(せっ)磋(さ)琢(たく)磨(ま)してきた仲間だ。
 そんな彼らのライブを成功させるために、純嶺は自分の仕事に集中する。
 ――サトリの動き、癖のせいで少しズレて見えるな。コウの今の動きと表情のシンクロ具合はよかった。
 ステージ上と違い、客席側に明かりはほぼない。
 真っ暗なその場所から、純嶺はまばたきも最低限に光の中で舞うメンバー全員の動きを目で追った。
 手元のメモに雑な字で気になる箇所を書き留めていく。
 ゲネプロ終了後、録画してある映像を確認しながらメンバーに伝えるためだ。
 あまりに酷(ひど)い出来の箇所があれば曲を止めてやり直させることもあるが、彼らに関していえば、そこまで心配する必要はなかった。
 彼らは全員、プロ意識が高すぎることでも知られている。メンバーが、監督やスタッフに厳しい意見をぶつけている場面を見かけることも少なくないほどだ。
 今も何が気に食わなかったのか、リーダーのコウが曲を止めるように指示を出したところだった。
「――今んとこの繋(つな)ぎ、ちょっと気になるんだけど」
 曲の繋ぎが気に入らなかったらしい。
 スタジオで何度リハーサルを行っていても、実際のステージでのゲネプロで新たに気になる箇所が出てくることはよくある。特にコウは妥協を許さないタイプなので、こういうことが日常茶飯事だった。
 ゲネプロに使える時間は限られているのに、それでもぎりぎりまで最高のステージを作り上げる努力を惜しまないのが、コウのスタイルだ。
「純嶺、お前はどう思う? さっきのとこ、なんか気持ち悪くね?」
 監督と話していたコウが、いきなり客席にいる純嶺に話を振ってきた。
 今はアーティストと裏方という関係だが、元は腐れ縁で親友。ダンスを始めた時期もほぼ同じ、これまでずっと一緒に踊ってきたライバルでもある。
 そしてお互いを誰よりも信頼し、リスペクトし合える相手だと思っていた。
 そんな純嶺をcry+voの振付師に起用したのはコウだ。
 だからなのか、こうしてメンバーより先に純嶺に意見を求めてくる。
 他のメンバーもコウがどれほど純嶺の意見を大事にしているか知っているため、誰も口出ししてこなかった。皆、純嶺の意見をリーダーと同列だと言わんばかりに真剣に聞いてくれる。
「気持ち悪いって、具体的には?」
「あー……なんだ。急にガクンとくるっていうか、とにかく気持ち悪いんだよ」
 コウは天才肌なせいか、すぐに感覚だけで話をする。頭を使ってどうこうというよりは、快か不快かで物事を決めるタイプの人間だ。
 それゆえに、いつも監督やスタッフを困らせている。純嶺はその通訳者でもあった。
「曲だけでいえば、フェードアウトさせる時間を半分にしたほうがお前のタイミングに合うんだろうが、移動が間に合わないって話だっただろ」
「でもなんか、すっきりしないんだって」
 コウは不満げに唇を尖(とが)らせている。
 cry+voのリーダーとして、プロのアーティストとして――最近はしっかりしてきていたのに、こういうところは昔と変わらず子供っぽい。
 いつだってコウは絶対に意見を曲げなかった。
 それでいて、自分で解決する気もないのだから厄介だ。
 だが、そんな我がままな親友に頼られることを、純嶺は嫌だと思っていなかった。
「じゃあ、この直前のポジションを全部変えて――振りも変えるか」
 曲を妥協できないのであれば、そうするしかない。
 土壇場での変更は全員の負担にしかならないが、純嶺の発言にメンバーもスタッフも誰一人として否(いな)とは言わなかった。
 コウが言い出したら聞かないということを、この場にいる全員が理解しているからだ。そしてその感覚に従えば、最高の作品が出来上がることも知っている。
「全員の動きが変わるけど、すぐに覚えられるか?」
「誰に向かって言ってんだよ――やるぞ」
 メンバー全員、リーダーの言葉に異論はない様子だった。

 ツアー初日のライブは大成功だった。
 急(きゅう)遽(きょ)変更した部分も本番まで数回しか合わせる時間がなかったとは思えないほど、ぴったりと息の合った仕上がりで、さすがはトップアーティストだ。
 cry+voのパフォーマンスを見ていると、純嶺は興奮が止まらなくなる。
 それと同時に、いつもどうしようもない悔しさを噛(か)みしめていた。
「……おれも、あの場所に立てる人間だったら」
 ぽつりと呟(つぶや)きながら、手元のタブレットに視線を落とす。
 画面には、コウが先ほど送ってきた今日のライブ映像が映し出されていた。ヘッドホンから漏れ聞こえているのも、今日のライブ音源だ。
 cry+voはダンスだけではなく、歌でも評価されている。生歌とは思えないくらい歌唱力が高すぎるせいで、SNSで『口パクや被(かぶ)せではないか』と何度も検証が行われているほどだ。
 それほどまでに評価が高い彼らだが、まだ本人たちの思う完璧には届いていないという。さらなるクオリティアップのためにどうすべきか――コウは常にそう考えている男だった。
 どれだけ観客を感動させるライブを成功させても、彼はすぐに次のステージを見つめている。
 ――昔から、そういうところも変わらないよな。
 そんなコウに振付師として、仲間として、誰より信頼してもらえているのは嬉しい。誇らしくもある。
 だけど、内心に複雑な感情があるのも事実だった。
 純嶺は自ら望んで振付師になったわけではない。
 ダンサーとして舞台に上がることが許されない人間だったから、仕方なく裏方の仕事を選んだだけだ。
 そんな割り切れないままの気持ちが、今も純嶺を苦しめ続けていた。
「この仕事だって、嫌なわけじゃないんだけどな」
 鏡に映る自分に向かって吐き出す。
 ライブの打ち上げ後、純嶺は自宅にまっすぐ帰らず、家からほど近いところにあるダンススタジオに来ていた。
 スタジオにいるのは、純嶺一人。
 このスタジオを運営する経営者も、同じダンススクールに通っていた昔馴染みだった。
 ダンサーには向いていなかった男だが、経営者の才能はあったらしい。純嶺と同じ二十二歳だというのに小さな事務所を立ち上げ、こうして都内にいくつもスタジオを持ち、ダンススクールも運営している。
 純嶺はそのスタジオの一つを、こうして個人的に利用させてもらっていた。
 ダンススクールの講師を引き受ける代わりに、このスタジオであれば二十四時間いつでも好きなときに使っていいことになっているのだ。
「……今日の動きを確認しておくか」
 純嶺は立ち上がると、柔軟と準備運動を念入りに済ませる。手元のタブレットを操作し、タイムラインの駒を一曲目に動かした。
 完全防音とはいえ遅い時間なので、スタジオの音響設備を使うのはやめておく。ヘッドホンから流れる音に合わせて、身体を動かし始めた。
 純嶺が踊るのはコウのパートだ。
 先ほど見たばかりの各メンバーの動きを頭に思い浮かべながら、振りの一つひとつを確認していく。
 本来なら、ただの振付師がわざわざ全部踊って確認する必要はなかったが、純嶺の場合、こうして身体を動かしながら検証するのが一番性に合っていた。
 やはり、自分はダンサーなのだ。
 それなのに、ステージ上で踊ることだけは決して許されない。
 ――Sub(サブ)じゃなければ、よかったのに。
 そう考えたところでどうにもならないことは、嫌というほどわかっていた。

   †

「うわ……純嶺ちゃんったら、こんなところで寝ちゃってるじゃん」
「……やべえな、こいつ」
 近くから二人分の声が聞こえる。
 ぺちぺちと誰かの手が頬(ほお)に触れる感覚に意識が浮上し始めると、その声はよりはっきりと聞こえてきた。
「コウくんも気持ち悪いくらいダンス馬鹿だけど、純嶺ちゃんはそれ以上だよね」
「おい、アキラ。俺のことまでディスってんじゃねーよ」
「ちょ、コウくん。痛い痛い!! 別にディスってないし! 褒めたんだって!」
 賑(にぎ)やかなやり取りを聞きながら、純嶺は重い瞼(まぶた)を持ち上げる。
 上から覗(のぞ)き込むようにこちらを見下ろしていた二人と目が合い、ぐっと眉を顰(ひそ)めた。
「おはよーさん、純嶺。相変わらず寝起きの殺人鬼ヅラはやべえな。つか、こんなところで爆睡して、背中痛くなんねーの?」
「……コウ。第二幕のラスト、暗転時間をもう少し短くしたい」
「寝起きの第一声がそれかよ。まあ、それは俺も同意見だけどよ」
 純嶺の発言ににやにやと笑いながら、こちらに手を差し伸べてきたのはコウだ。
 自分がトップアーティストである自覚は一応あるらしく、黒のロングパーカーのフードを目深にかぶり、顔の下半分を黒のマスクで覆い隠している――が、その目立つ容貌は隠しきれていない。
「やっぱり、二人はダンス馬鹿同士じゃん」
 その隣で呆(あき)れた表情を浮かべているのは、このスタジオのオーナーであり、昔のダンス仲間でもあるアキラだ。
 オレンジ色のメッシュがところどころに入った髪に日焼けした肌。愛(あい)嬌(きょう)のある顔立ちに笑みを浮かべながら、床で寝転がる純嶺をコウの後ろから覗き込んでいた。
「純嶺ちゃん。うちはスタジオであってホテルじゃないよ」
「……悪い。ぶっ通しで踊ってたら、急に落ちた」
「落ちたって……怖いこと言うのやめてよ。嫌だからね? 自分のスタジオで人死にが出るとか。事故物件になっちゃうじゃん」
「わかった――なるべく気をつける」
「本当かなぁ」
 コウの手を借りて、身体を起こす。
 意識が落ちる直前まで全力で踊っていたせいか、冷えて硬くなった筋肉がミシッと嫌な音を立てた。
 純嶺は筋を一つひとつゆっくり伸ばしながら、身体の調子を確認していく。
「通しで踊ったのか?」
「ああ。通しで二回は踊り切った、はず」
「えぇ? あの頭がおかしいくらいハードな振りをフルで二周踊ったって相当やばくない? オレには絶対無理なやつだぁ」
「途中から記憶がないけどな」
 アキラは純嶺の発言に顔を歪(ゆが)めている。
 純嶺も、自分のこの状態が普通でないことは充分わかっていた。
 ダンスに命を削りすぎだと周りから注意されたことは、これまで一度や二度ではない。でも誰になんと言われようと、このスタイルを変えるつもりはなかった。
「なんで二周もやったんだ?」
「小さな違和感があったから、踊って確認しておきたかったんだ」
「で、起きるなりアレか」
「お前の顔を見たら、早く言わなきゃって思ったんだよ」
 これから細かいところにケチをつけられるというのに、コウは嬉しそうに笑いながら純嶺の顔を覗き込んでくる。
「で? 第二幕のラスト以外で、お前が気になるとこは?」
「……今、思い出すから待て」
 途中で落ちたせいか、記憶が曖(あい)昧(まい)だった。
 一周目を踊り切った後に書いたメモは床に転がっていたが、書いた本人でもすぐには解読が難しいくらい文字が乱れている。
 純嶺は記憶と照らし合わせながら、違和感を一つずつ読み解いていった。
「第一幕の衣装チェンジのとこと、その曲ラストのサトリの振りだろ……あと全員のソロパートにも、それぞれ気になるとこがある。コウのとこだと、気になるのはテンポだな。もうちょい上げたほうがいいかもしれない」
「あー……テンポな。それって全体的に上げるより、波みたいにするんじゃだめか? そっちのが断然面白そうなんだけど」
「緩急をつけるということか? それでコウが問題なくいけるなら」
「余裕だろ」
 純嶺が気になる箇所を指摘すれば、コウからは矢継ぎ早に意見が返ってくる。皆まで言わなくとも、純嶺の考えをここまで的確に汲(く)み取れるのはコウくらいだろう。
 ダンス馬鹿同士、やはり話が合う。
「――……ねえ、二人ともお腹減らないの? オレ、腹ペコなんだけど」
 腹の音と二重奏を奏でたアキラの気の抜けた声が、そんな二人の会話に割り込んでくる。
 そのあまりの間抜けさに、コウが大口を開けて笑った。

「あのさ、純嶺ちゃん……オーディションを受けてみる気はない?」
「……オーディション?」
 馴染みの定食屋で食事をし、三人は再びスタジオに戻ってきた。
 スタジオの床に腰を下ろすなり、アキラが前のめり気味に話を切り出す。
 その内容に驚く純嶺をよそに、コウは先に話を聞いていたのか、アキラの隣で腕を組んで大きく頷(うなず)いた。
「これ、なんだけど」
 アキラはそう言いながら、タブレットをおそるおそる純嶺に差し出してくる。〔オーディション開催のお知らせ〕と書かれたそれは、オーディション募集にありがちな派手なチラシではなく、モノクロの文字だけで綴(つづ)られた簡素な書面だった。
 まるで会議資料のようだったが、書かれているのは紛れもなくオーディションの募集要項だ。
「一般公募じゃなくて、事務所推薦って形で募集のかかってるオーディションなんだけど――もし、純嶺ちゃんが興味あるって言うなら、うちの事務所から推薦したいと思ってて」
「…………」
 アキラの説明を聞きながら、純嶺はタブレットの書面を見つめる。しかし目が滑(すべ)ってしまい、内容は頭に入ってこなかった。
 オーディションというものに嫌な記憶が多すぎるせいだ。
「どう、かな?」
「……おれは、お前の事務所に所属しているダンサーじゃないんだが?」
 アキラは小さな事務所を運営しているが、そこに所属した覚えはない。
「ダンサーとしてはそうだけど、講師って形でうちに在籍してもらってるでしょ? それでも大丈夫だって、先方にはちゃんと確認してあって……って、勝手に話を進めててごめん」
「いや……それは別に構わないが」
 勝手に応募されたというわけではないので、それは別に問題ではない。
 そういう意味で『構わない』と言ったのに、アキラはそれをどう受け取ったのか「じゃあ!」と明るい声で言いながら、ぐいっと顔を近づけてくる。
 純嶺の答えを勘違いしているのは明白だった。
「でも、おれにその気は――」
「受けろよ」
 その気はないと伝えようとした純嶺の言葉を強めに遮ってそう言ったのは、ここまでずっとだんまりを貫き通していたコウだ。怖いくらい真剣な表情で、こちらを睨みつけてくる。
 純嶺がこの話を断ると、先に見越していたのだろう。
「お前が気にしてんのは、どうせ二次性(ダイナミクス)のことだろ? それならそこに、でっかく『不問』って書いてあるだろうが」
「こんなのは建前に決まっているだろ。お前だって、そのくらいわかって――」
「挑戦する前から決めつけてんじゃねーよ!」
 コウの怒声に、アキラが目を丸くしている。
 純嶺はこうなるだろうと予想していたので、特に驚かなかった。こうして他人に対し熱血的なところも、コウは昔から変わっていない。
「募集してるプロダクションの名前、見たのかよ」
「……いや」
「返事はちゃんと読んでからにしろ」
 コウは純嶺が床に置いたタブレットを拾い上げると、ぐいっと強めに押しつけてくる。
 純嶺は渋々受け取ると、もう一度募集要項に目を通した。
「……寒(かん)咲(ざき)プロダクション?」
「だよ。あの寒プロが建前だけのオーディションを開くと思うか?」
「…………」
 寒咲プロダクションとは、今どこよりも乗りに乗っている芸能プロダクションだ。
 最初は小さなモデル事務所だったが、たった数年のうちに急速に力をつけ、今では国内でも指折りの芸能プロダクションに登り詰めたことでも有名な会社だった。
「そこが二次性の差別問題に力を入れてるプロダクションなのは有名だ。お前だって知ってるだろ」
「それだって建前かもしれないだろ。『うちはSubを差別しません』って言っておいたほうが、世間的にイメージがいいのは間違いないからな……結局はSubを下に見て、馬鹿にしているくせに」
「純嶺、いい加減にしろよ。それ以上言ったら、いくらお前でもぶん殴るぞ」
 コウに本気で叱られ、純嶺は言葉を呑(の)み込んだ。
 ――別に、おれだってすべてを疑いたいわけじゃない。
 だが、現実は既に嫌というほど突きつけられた後だった。
 どれだけ大きな文字で〔二次性不問〕と書かれているオーディションでも、性別欄にSubと書いただけで落とされる。『空気を読め』と嫌味のように言ってきた芸能関係者は数え切れないほどいた。
 ダンサーとしての実力を見てくれるところなんてどこにもない。
 その現実を知っているのに、今さら純粋な気持ちで信じられるわけがなかった。
「挑戦してみるだけでも、嫌なのか?」
「純嶺ちゃん……だめ?」
 二人が、自分を心配してくれているのはわかる。
 ダンサーとして生きる道を諦めきれない純嶺を、誰よりも気にかけてくれていることだってわかっている。
 ――だから余計、惨(みじ)めになるんだ。
 そんな言葉を二人にぶつけるつもりはなかったが、二人が自分の劣等感を刺激してくるのは間違いなかった。
 アーティストとして、経営者として――二人は成功者だ。
 ずっと底辺で燻(くすぶ)っている自分とは違う。
 それなのに、そんな高みから手を差し伸べられても掴(つか)めるはずがない。
 ――馬鹿げたプライドなんだろうけど。
 そうわかっていても、二人から施しを受ける気にはなれなかった。
「締切は今月末だから……ぎりぎりまで、純嶺ちゃんからの連絡待ってるから!」
 無言で立ち去ろうとした純嶺の背中に向かって、アキラが必死な声で叫ぶ。
 純嶺は一度も振り返らずにスタジオを後にした。

 Subだからと言って、必ずしもステージに立てないわけじゃない。
 Subは他の二次性よりも心身の感覚が鋭く、他人の感情や視線に影響されやすい特性があるが、その特性を抑える薬は存在する。服薬の量とタイミングをうまく調整しながら、表現者として舞台に立つSubは少なからずいたし、純嶺だってその存在は知っていた。
 だが普通ならば抑えられるはずの特性を、純嶺はコントロールできなかった。
 まるでステージから拒まれているかのように、ある時期を境に人前に立つことができなくなってしまったのだ。
 しかし、純嶺もすぐに諦めたわけではない。
 新薬の情報を得るたび試したし、薬以外の方法だって模索した。
 ダンサーでありたいと、誰よりも望んでいるのは純嶺自身だからだ。
 だが、結果はすべてだめだった。
 どれだけ効果があると謳(うた)われる薬を試しても効果は出ず、それどころか酷い副作用に苦しめられてばかり。数年間、必死にもがき続けても解決策は一向に見つからず、最後に残ったのは絶望だけだった。
 心が折れてしまっても、仕方がないと思う。
 プライドだけでも保っておかないともう立ち上がることも難しいくらい、純嶺は崖っぷちまで追い詰められていた。
 それでも、ダンスだけは嫌いになりたくない――今、純嶺が願うのはそれだけだ。
「……返事、どうしようか」
 アキラはぎりぎりまで待つと言っていた。
 その期限は、明日の十時。
 断るにしても連絡はきちんと入れておきたい。
 アキラもコウも、純嶺のことを考えて提案してくれたのだ。それを理解しているから、無視だけはしたくなかった。
『やめておく』
 その文面は数時間前からスマホに入力してあった。それなのに送信ボタンを押せずにいる。
 自力では進むことも、諦めることもできない。
 このまま締切時間を過ぎてしまえば――そんなふうに考えてしまう。
 だめだとわかっていても、楽なほうへ逃げたくなってしまう。
「……あー……くそ。決められるかよ」
 純嶺はベッドに寝転がったまま、天井に向かって吐き出す。
 一人きりの部屋に、声は空しく響いた。

   †

「……い、おい!! 純嶺、聞いてんのか?」
「え、あ……コウ?」
「何、お前寝ぼけてんの?」
 目の前に立っているのは、まだ顔に幼さの残るコウだ。変声期を迎えたばかりの声が懐かしい――それに返事をした自分の声もすごく高かった。
 状況が把握できずにぼんやりとコウの顔を眺めていると、いきなりペチッと額を叩かれる。
「ほら次、俺らの出番だぞ」
 ――あ、これ……あのときの夢か。
 コウのセリフには聞き覚えがあった。
 この夢は――悪夢だ。
 舞台袖(そで)にはコウだけでなく、同じダンススクールに通う仲間たちも集まっている。
 皆でいくつもの審査を勝ち抜き、ようやく立つことが許された舞台――国内外の有名アーティストが集まるフェスの前座として、純嶺の所属するダンスチームはこのステージに立たせてもらえることになったのだ。
 ――でも……おれは、立てなかったんだ。
 この夢の結末はもう知っている。わざわざ何度も見たいものじゃない。
 それなのに、もう何度もこの夢を見せられている。
 まるで『お前はステージに立っていい人間ではない』と、誰かが無理やり言い聞かせようとしているみたいだ。
 ――もう、充分わかっている。
 プライドだけあっても意味はない。
 どれだけあがいても、自分はあの場所に立てない。
 一人でどれだけ踊れたって無駄だ――そんなのはうんざりするほど理解しているのに、それを認めてもなお、悪夢を見せられ続ける。
 少しでも希望を抱いたことを咎(とが)めるかのようだ。
「終わった。ついに俺たちの番だ!」
 振り返ったコウが弾んだ声で言った。
 これから立つステージを見つめるコウの瞳はきらきらと輝いている。あの日の自分も、同じような目でステージを見つめていたはずだ。
 だけどもう、そのときの気持ちを思い出すことはできない。
 ――人前で踊るのは、これが初めてじゃなかったのに。
 これまでも小さなステージでなら、何度もダンスを披露した経験があった。
 純嶺にとって人前で踊ることは緊張よりも高揚が勝るものだ。あの日だって、大きなステージで踊ることを純粋に楽しみにしていた。
 ――それなのに、ここで急に動けなくなったんだ。
 いざステージに向かおうとした瞬間、突然不安に襲われた。
 寒くもないのに身体ががくがく震え始め、立っていられなくなる。
「……純嶺?」
 崩れ落ちるように座り込んだ純嶺を、心配そうな表情でコウが見下ろしていた。
 後ろで見守っていたスクールのコーチが慌てて駆け寄ってくる。
「コウはステージに出て。純嶺はこっちに」
「嫌だ――ッ!」
 コーチに触れられることすら、怖くて仕方なかった。
 自分の身に何が起こっているのかわからず、得体の知れない恐怖に怯(おび)え、震え続けていた。周りにある何もかもが恐ろしくて、苦しくて――ずっと『ごめんなさい、許して』と謝り続けていた気がする。
 その記憶もひどく曖昧だった。
 舞台袖でぎゅっと小さく縮こまって、がたがたと震えながら涙を流して、『このまま死ぬかもしれない』と、あのときは本気でそう感じていた。
 ――この後……おれは、どうなったんだっけ。
 いつもなら、この辺りで飛び起きる羽目になる。
 しかし、今日の悪夢はまだ続くようだった。
 純嶺はこの後に起きたことを全く覚えていなかった。どうなったのかと、誰かに尋ねたこともない。
 あの日の出来事は、これまでずっと触れないようにしてきたからだ。
「……大丈夫だよ。ゆっくり息を吸って」
 そのとき、すぐ傍(そば)から優しい声が聞こえた。


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