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拝啓、地獄の王の花嫁候補に選ばれまして2

墨尽 / 著
渋江ヨフネ / イラスト
定価 1,430円(税込)
発売日 2026/09/11

電子配信書店

  • piccoma

内容紹介

地獄の王「獄主」の花嫁として選ばれ、獄母となるための身体の変化や、獄主と周囲の溺愛とも呼べるような過保護な扱いに戸惑いを抱えていた聡一朗は、神の側近リュシオルの導きで天界を訪れる。聡一朗を甘やかしたいリシュオルの計らいで、天界の人達と交流し、自らの出生の秘密について理解を深めていた。同じ頃、聡一朗の外出を家出と誤解させられた獄主は、聡一朗の真意を知りたいと焦燥を募らせ天界へ向かうが……。「お前は私に選ばれた、この世で唯一の存在だ」獄主は愛する聡一朗の身体の負担を考え、第一形態で抱くと言い出して!?最愛の人から史上最強に可愛いと愛される。地獄の王と新婚花嫁の溺愛!!

立ち読み

  序章  愛されているのに、ひとりぼっち


 空に浮いていた大きな雲が形を変え、隠れていた太陽が顔を出す。途端に庭が明るくなり、庭木に降り積もる雪たちがきらきらと輝きだした。
 地獄に来てから数か月が過ぎ、十二月に入った。もう直(す)ぐ年末である。
 今日も今日とて縁側にいた聡(そう)一(いち)朗(ろう)は、その美しい光景にほっと白い息を吐き出す。
(……綺(き)麗(れい)だな……。冬の景色って、こんな表情もあるのか……)
 地獄に来る以前の冬の景色と言えば、自衛官時代に見た雪山ぐらいしか思い出せない。
 冬の山に降る雪は容(よう)赦(しゃ)がなく、訓練をしている身としては弊(へい)害(がい)でしかなかった。昼間に必死で覚えた地形を、雪は一晩のうちに変えてしまうのだ。
 あの時の雪景色はこちらを呑み込まんとするかのような威圧感だったが、こんなに穏やかな一面もあるのだと感(かん)慨(がい)深く思ってしまう。
「……あそこの木、ちょっと切り揃(そろ)えるか……」
 庭木のちょっとした形の変化で、積もる雪も印象を変える。もっと丸く切り揃えれば、まるで木々が白い帽(ぼう)子(し)を被っているかのような、可愛らしい光景になりそうだ。
 決意すれば即実行型の聡一朗は、今すぐにでも腰を浮かせたくてうずうずし始める。しかしそれを咎(とが)める声が、二方向から発せられた。
「聡一朗様。まだですよ」
「そうだぞ。動くな」
 右側からは、聡一朗の脈診をしていたトウゴが。左側からは、この場に控えていたテキロが、三白眼を吊り上げながら聡一朗をけん制する。
 聡一朗はむっと唇を尖(とが)らせて、テキロへ抗議の声を上げた。
「あのな、俺は子供じゃないんだ。さすがにこの状況で動こうなんて思ってないぞ」
「今すぐじゃなくても、今日は庭に出るのは禁止だ。そうですよね、トウゴさん?」
「ええ、もちろんです。本来ならこうして、元気に座っておられるのも疑問なわけですから。脈も少々乱れているようですが……本日も、体調に変化はございませんか? 偽りなく、正直におっしゃって下さいよ」
 トウゴから真剣な目を向けられ、聡一朗は吐きそうになった溜息をぐっと堪(こら)えた。
「……元気、ですよ。偽りなく」
「そうですか……」
 トウゴは薄く笑みを浮かべるも、その表情には憂(うれ)いが浮かんだままだった。どこか納得できない顔をして、彼は小さく首を傾げる。
「聡一朗様の身体は、着実に母体へと変わりつつあります。本来ならば、人間でいう悪阻(つわり)のような症状が起き、寝たきりになるものなのですが……」
「そうは言っても、俺……何ともないんですよね」
 聡一朗は自身の薄い腹を見下ろし、今度こそ大きな溜息を吐いた。
 一度死んだ聡一朗は、肉体を失っている。いまここにある身体は、魂が肉体を模(かたど)った仮のものに過ぎない。この先も地獄で生きていくためには、この身に子を宿すしかないのだという。
 腹に鬼の子が出来ることで、聡一朗自身の肉体が完成し、そして獄(ごく)母(も)となるのだ。
 聡一朗は花嫁候補の時から、その前段階である珠(しゅ)宮(きゅう)と珠(しゅ)が体内に形成され始めた。人間の身体でいう子宮と卵子であり、母体としての身体が造られ始めているという事らしい。
 聡一朗にとっても青天の霹(へき)靂(れき)だったが、花嫁は聡一朗に決定し、半年間の予定だった選抜期間も早く終わりを告げてしまった。
 急転直下の展開すぎて、未だに自分が花嫁に選ばれた事が信じられない時もある。
「現(うつし)世(よ)の肉体が滅び、常(とこ)世(よ)の臓器が出来ているという事は、聡一朗様の肉体が徐々に再形成されているという事に他なりません。……再形成にかかる魂の負荷は大きく、身体に大きな苦痛や倦(けん)怠(たい)感(かん)が伴います。我々鬼は、花嫁に起こるこの身体の経過を『常世成り』と呼び、神聖な期間として、何より大事にして参りました」
 トウゴは穏やかな口調ながらも、少しの寂しさを伴った声色で、聡一朗へと語る。その雰囲気が居たたまれなくて、聡一朗は頭をぽりぽりと掻(か)いた。
 獄母の誕生は地獄のみならず、鬼の国にとっても悲願だ。
 獄主に選ばれた花嫁は、その身に子を宿すために身体を造り変える。
 いわば通過儀礼のような『常世成り』は、鬼たちの間で尊ばれ、その花嫁を支える事は栄誉な事であるとされているようだ。
 花嫁は母体となるために身体を休め、鬼は殊(こと)更(さら)に花嫁を大事にする。傍(はた)から見れば胸が熱くなるような話だが、対象が自分となると話は別だ。
(最近では作業場に行っても、何かと気を遣われるし……。ほんと、調子狂うな……)
 聡一朗は今朝も鬼の作業場へと手伝いに行ったが、ソイたちから過(か)剰(じょう)な気遣いを受けてしまった。
 数分ごとに休憩を強いられ、挙句の果てには重い物を持つなと叱(しか)られる。まるで妊婦扱いだ。
 聡一朗とて、もしも腹に子がいるならば、流石に身体には気を遣う。しかし繰り返すが、まだ子は出来ていない。
 ソイたちには何度も『体調に問題はない』と言ってみたが、扱いは変わらなかった。こちらとしては戸惑うばかりだ。
「聡一朗様。すこしでも体調に変化があれば、仰ってくださいね。些(さ)細(さい)な事でも構いません」
「はい、それはもちろん。……俺としても、この身体がどうなっていくのかは気になりますから」
「そうでしょう。……お心を健やかにするためにも、お身体には特にお気を掛けて下さいませ。このトウゴ、精一杯尽くさせて頂きますので」
 トウゴは力強く頷いて、聡一朗の手をぎゅっと握りしめる。年老いたその手は乾いて硬かったが、じんわりとした温かさがあった。
 トウゴは医師として、この常世成りに携われることを特別誇りに思っているのかもしれない。しかし聡一朗の特異体質のせいで、消化不良のまま心配だけが募っているのだろう。
 往診の頻度が明らかに増えたし、表情も曇ったまま晴れることがない。
 聡一朗は腹に手を当て、ごしごしと左右に擦ってみる。当然のごとく何も反応はなく、摩(ま)擦(さつ)でぼんやり温かくなるだけだ。
(本当に……珠宮は出来てるのか? ってか、機能してる? トウゴさんを疑うわけじゃないけど、誤診とかじゃないよな?)
 確かに珠が出来始めた時期は、起き上がるのも困難なほど体調が悪かった。トウゴたちは心配しつつも、常世成りの始まりに身を引き締めていたように思う。
 しかし予想に反し、聡一朗はすぐに回復した。今では通常の生活が送れるようになっているが、トウゴたちにとっては不完全燃焼この上ないだろう。
 戸惑いを感じているのは聡一朗も同じくで、周囲から感じる燻(くすぶ)った雰囲気に、ただひたすら居た堪(たま)れなくなっている。
 最近では『体調よ、悪くなれ!』なんて不毛な事さえ考えてしまう。いっそ寝込んでしまえば、花嫁としての自覚もしっかりと持てたかもしれない。
 トウゴを見送ったテキロが、聡一朗の隣へと座った。
「……トウゴさんも不安なんだよ。待ちに待った獄母候補の誕生だから、心配が尽きないんだ。……それにさ、聡一朗だって妊娠できなかったら、人間の寿命で死んじゃうんだぞ? 獄主様を一人にするつもりか?」
「……そうなんだよ。あいつが寂しい思いをするのは嫌だ」
「だから聡一朗も、何とも無いかもしれないけど自分を大事にしてくれよ」
「……分かってる、けど……」
 確かに獄主と生きていきたいと思っている。しかし今まで人間として生きて来て、寿命なんてせいぜい七十年ぐらいかと思っていたのだ。
 あと四十年しか生きられないと言われても、聡一朗にとってはそれが普通だ。残りの四十年を獄主に捧げる覚悟は出来ているが、それから先と言われてもまだピンと来ていない。
 正直に言う。自分は未だ混乱のさ中だ。訳が分からないままスケールの大きい事を詰め込まれて、頭がいっぱいになっている。
「……っあぁ、もう……」
 苦し紛れにごろりと横になると、和室にフウトとライトの姿が見えた。二人は並んで寝転び、漫画を読んでいる。
 彼らは実に見事な寛(くつろ)ぎっぷりで、平穏な雰囲気が残酷なほどに漂っていた。彼らが護衛という事も忘れそうだ。
「……暇すぎる……」
 ついに本音が口から零(こぼ)れ落ち、聡一朗は何度目か分からない溜息を吐く。
 こんな時こそ何も考えられないくらい働くか、思考を切り替えるほどの出来事があって欲しいが、どちらも叶いそうもない。
 作業場に行っても仕事はなく、鬼たちからは労りの目を向けられるはめになる。
「ああああぁ……何かしたい~」
 ばたばたと手を動かしながら言えば、隣のテキロから呆れたような視線を向けられる。
 フウトとライトに至っては、聡一朗の声を環境音としか思っていないのだろう。彼らの目は漫画に向けられたまま、何の反応もしてくれない。
 むきになった聡一朗は、天井に向かって愚(ぐ)痴(ち)を吐き続けた。
「こんな生活、俺のモットーに反する! 何か仕事くれよ! 何でもするから!」
「子を成すために健やかに過ごすことが、花嫁様の仕事ですよ~」
 聡一朗の叫びに答えたのは、意外なことにフウトだった。
 依然として視線は漫画に固定されているが、聡一朗の声は一応届いていたようだ。しかしその返答に対して、「はい、わかりました」なんて軽く返せやしない。
 眉根を寄せていると、テキロが顔を覗き込んできた。
「聡一朗、少しは落ち着けよ。婚礼の儀だって、こないだ終わったばっかりだろ?」
「……そうだよ、俺はこないだ花嫁になったばっかなんだ。まだ何も把握してなくて、どうしたらいいか混乱してんの! あれだよ、分かんない事が分かんない新入社員と一緒!」
 言えば、目の前のテキロは困ったように首を傾(かし)げる。
 そりゃそうだとは思う。聡一朗以外は全員把握していて、聡一朗が何に困惑しているのか分からないのだろう。
 人間界においても、新入社員が何を悩んでいるか、先輩たちは分からない。解決するには一緒に物事を進めていくしかないのだ。
 きっと今の聡一朗に必要なのは、この世界で生きていく知識、そして覚悟だ。たかが数日で適応できるほど聡一朗は器用ではない。
「……エンに相談してみるか」
 この場合適任は、やはり伴(はん)侶(りょ)である獄主だ。彼ならきっと聡一朗と共に歩んでくれるだろう。
 地獄や天界の事を学ばせてもらったり、彼の業務を手伝うことで何かを掴める可能性もある。
 この世界をもっと知れば、覚悟も自ずと付いてくる気がした。
 そうと決めたら即実行だ。聡一朗は立ち上がると、テキロの制止も聞かず外履きをつっかけた。
 しかしそこで声が掛かる。
「待て、聡一朗」
「え。…………何で?」
 庭の入り口に現れた獄主を見て、聡一朗は目を瞬(しばたた)かせた。まだ陽は高く、帰って来るには随分早い。
 獄主は長い脚で庭を横切り、あっという間に聡一朗の前まで来た。そして自身の外(がい)套(とう)に付いた雪を払うと、美麗な眉をくっと吊り上げる。
「まったくお前は。薄着で外へ出るなと何度言ったら分かる」
「あ、いや。これから着ようと思ってた、ところで……」
「うそをつけ」
 獄主は外套を脱ぐと聡一朗の肩へと掛ける。次いで頬を両手で包み込んで、眉間に深い皺(しわ)を刻んだ。
「こんなに冷たい。いつから庭にいた? あまり身体を冷やすなとあれほど言ったろう」
「いや、あのさ、エン……」
「言い訳無用。中へ入るぞ」
 いきなりの獄主の登場に、先ほどの決意はどこへやら。聡一朗は大いにペースを狂わされた。
 大きな手で肩を抱かれると、逞(たくま)しい身体にすっぽりと覆われる。少し視線を上げるだけで、超絶美形が視界に入ってしまうのだ。ぶわりと顔へ血が集まってくる。
(……っあ、駄目だこれ。相変わらず顔が良い。うわぁあ、俺の旦那がかっこよすぎる……)
 銀の髪が縁どる顔(かんばせ)は、絶世の美女が嫉妬してしまうほど端麗だ。圧倒的な美の中で、鳶(とび)色(いろ)の瞳は雄々しく強さを主張する。
 獄主の美しさは『性別』という枠さえも取っ払ってしまう。彼を前にしては女性も男性も骨抜きになってしまうのだ。
 そんな男が今や自分の伴侶なのだ。未だに夢を見ているような気さえする。
 真っ赤になってしまったのが恥ずかしくて、聡一朗は慌てて和室にいる護衛らを振り返った。
 しかしそこにいたはずの彼らは、まるで最初からいなかったかのように姿を消している。驚いたことに漫画すらない。
 テキロは既(すで)に居の入り口に立ち、聡一朗たちのために扉を開けていた。
 鬼たちの流れるような立ち回りに、聡一朗はぐぅと喉を鳴らす。この場で混乱しているのは聡一朗だけだ。
 居に入っていく獄主を追いながら、焦りのまま声を掛ける。
「ま、待ってくれ。何でこんなに早く帰ってきた?」
「……帰ってきたら悪いのか? ここは私と聡一朗の家だろう?」
「そ、そうだけど」
「そもそもお前は、先ほど私に会いに行こうとしていただろう。なぜそんなに慌てている?」
「いや、ほら、奇襲するのとされるのじゃ大違いだろ?」
「奇襲だと? こうして会いに来るのが奇襲だと言うのか?」
 獄主は呆れたように言うと、少しだけ微笑んだ。その笑顔が美しすぎて、聡一朗は思わず顔を逸(そ)らす。
 獄主の美貌は時に脅威となる。彼を見つめていると語(ご)彙(い)力(りょく)が低下し、このままでは伝えたいことも忘れてしまいそうだ。
「あっ、あのさ、エン。会いに行こうとしてたのは、頼みがあって。俺さ、こっちの事もっと知りたくて……あんたと仕事したいんだけど……」
「却下に決まっている」
「……あ、……えっと……」
「答えは変わらん。諦めろ」
 思いの外ばっさりと切り捨てられた。少しの思案もしてくれなかった事に、胸の奥がずくりと痛む。
 獄主は聡一朗を卓へと座らせ、佩(は)いていた刀を刀掛けに置く。少しの休憩ならば刀を外さないため、今日は本当に早めの帰宅だったのだろう。
 いつもなら早く会えたことに喜ぶところだが、気持ちが沈んだまま浮上しない。
「……どうしても、駄目か?」
「いいか、聡一朗。珠宮が出来たという事は、身体の造りを変えてしまっているという事だ。どれだけ身体に負担がかかっているか分からん。仕事など言語道断。余計な事を考えるな。……そもそも、執務室にはもう来ない方が良いだろう。咎(きゅう)津(しん)が少なからず漂っているから、聡一朗にとっては毒だ」
「……」
 反論の言葉は出なかった。いつもならすらすら出てくるはずの言葉も、喉に引っかかってしまう。
 獄主の言い分は、これまで散々言われてきた事の総ざらいのようなものだ。きっと、鬼の立場からすると、これが正論なのだろう。
 我(わが)儘(まま)を言っているのは聡一朗で、彼らは冷静にこちらを説得しているに過ぎない。
 テキロが卓に茶を置いて、一礼して出ていく気配がした。侍女たちが戸を閉めはじめ、居の中が少しずつ暗くなっていく。
 陽の光が室内から消え、代わりに行(あん)燈(どん)の暖色の光がぼんやりと灯る。夜の雰囲気に変えられた居の中で、獄主が一つ溜息を吐いた。
「歴代の花嫁たちは、体調不良を理由にここぞとばかりに怠(たい)惰(だ)な生活を送っていた。鬼は母体を何よりも大事にする種族で、花嫁がどんなに傲(ごう)慢(まん)な態度をとっても文句は言わん。……聡一朗も少しは奴らを見習え。でないと鬼らが困惑する」
「……俺……迷惑かけてるのか?」


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