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夢見るオメガに白花を

伊達きよ / 著
柳ゆと / イラスト
定価 1,320円(税込)
発売日 2024/10/11

電子配信書店

  • piccoma

内容紹介

「愛してるんだ。もうずっと、長いこと」孤児院育ちのΩ・ティガは、ある時異国出身の大富豪に見初められる。たった一人の運命の相手と舞い上がっていたティガだが、嫁いだ先は自分以外に数十人もの妻がいるハレムで!? Ωであるティガから結婚を白紙にはできないと知り絶望する中、そこに住まう子どもたちに懐かれ、シッターの役目を与えられる。αで跡継ぎの長男・ナウファルだけが、ティガを自分を誘惑するΩだと決めつけ目の敵にしてきて…。そんな折、ナウファルが刺客に襲われ、大怪我を負いながら助けるティガ。目が覚めるとナウファルの献身が始まって…?

人物紹介

ティガ・ガネット

孤児院育ちのΩ。唯一の愛を求めて嫁いだのに、ハレムでシッターをすることになって!?

ナウファル・アリィザーブ

国内有数の資産家の跡取りα。Ωを毛嫌いしていたが、ティガに命を助けられ…?

立ち読み

 そこにいた子どもは、上から長女のラァラ九歳、次男ガハム八歳、次女チャナ八歳、三男ギゥム四歳、三女ペナ三歳、そして四男ヤァキブ一歳……各々個性はあるものの、元気な三男三女だ。たしか七人兄弟と言っていたのでもう一人いるはずだが……と問うてみると、子どもたちが「ナウファル兄さんだよ」と教えてくれた。どうやら上にもう一人、男子がいるようだ。
 ハーニィの第二性は、十三歳になって実施される国の検査でわかるらしい。つまりまだ皆第二性はわからないのだ。
(なんか、αっぽい気がするけど)
 食べているもののせいかもしれないが、皆等しく歳の割に体格が良い。父親であるアーズィムに似ているのかもしれない。
 ハーニィではどのくらい性差別があるかわからないが、優秀なαであるに越したことはないだろう。
(……αなら、「所有物」になることもないんだろうし)
 自分の立場を思い出して、思わず「はは……」と自嘲するような笑いを溢(こぼ)す。と、ガハムが「ティガ、どうしたの?」と聞いてきた。ティガは「なにもない、ガハム、いい子」と彼の名を呼んでから、その頭を優しく撫でた。
 夕飯を食べて、その後は男子たちと一緒に風呂に入った。兄弟とはいえ、風呂はきちんと男女でわかれているらしい。ラァラたちからは「気にしないわ」と言われたが、笑顔で丁重に辞退した。
 元気盛りの男児二人と入る風呂はそりゃあもう戦かと思うくらいの大騒ぎだったが、幸いにして風呂場は大層広く、意外にもゆったりと湯に浸かることができた。そもそも絶えず湯が湧き出てくる風呂になど入ったこともなかったティガはちょっとたじろいでしまったが、子どもたちは当たり前のような顔をしていた。ティガとは、育ってきた環境が違うのだ。
 風呂上がりにはそれぞれの体に汗疹(あせも)防止の天花粉をぽふぽふと叩(はた)いてやり、服を着せて、髪を拭いてやった。子どもたちはくすぐったそうにしていたが、ティガが「これしない、かゆかゆなる」と言うと「かゆかゆ~」と笑いながら受け入れてくれた。
 さらにその後は「ティガ、ティガ、絵本」と本を読んでくれとねだる子どもたちに連れられて、一緒の寝床に入った。途中ヤァキブに乳を飲ませたりしながら、一人一冊ずつ希望の本を読んでやって、わからない文字は教えてもらって……気が付けば夜もいい時間になっていた。

(いや、俺……、何やってんだ?)
 皆が寝ている寝室を抜け出して、食堂で一人茶を飲みながら……ティガは「はぁ」とでかい溜め息を吐(つ)いた。
 本当は、ヤァキブを置いたらすぐに立ち去るはずだったのだ。だが子どもたちがわらわらと足元にしがみついて絡みついて「いかないで」「一緒にいて」なんて泣くものだから……。
(だってさ、「こんな風に絵本読んでもらったのはじめて」なんて一生懸命身振り手振りで伝えてくれてさぁ。……置いていけるかよ)
 どうやらこれまでのシッターたちは皆寝かしつけまではしてくれなかったらしい。一緒に風呂に入ることも、髪を拭いてやることも、「汗疹ができるといけないから」なんて天花粉を叩いてやることも。ただそれでも、金だけはしっかりかけて、玩具でも本でも「欲しい」と言われたものはなんでも買い与えていたようだ。驚くほど高価なもので溢れかえった部屋を見て、ティガはなんだか息が詰まりそうだった。
(俺は別に、ただ必要に迫られて子どもの面倒見てきただけだし、特別子ども好きってわけじゃないし、慈善家ってほどお優しくもないけど……。でもさぁ)
 それでも、子どもは可愛いと思うし、彼らを放っておけないと思ってしまう。
「はぁー……やだやだ」
 はっきり物事を決められない自分が嫌になる。
 ティガは与えられた艶やかな絹の寝巻きをかき寄せて、こて、と机に頭を預ける。
 おそらく、ヤイシュはティガに子どもの面倒を見て欲しがっている。風呂に入れたり、寝かしつけをしたことでより一層その気持ちが強くなったようだ。多分、ティガが「俺がここで『結婚やめた』って言ったら、国に帰ることはできるのか?」と聞いたことも大きく関係しているのだろう。
『契約を破棄することはできませんが、奥の宮でなく、月の宮で暮らしていただいても構いません』
 なんて言われてしまった。奥の宮に嫌悪感を抱いていることは、さすがに察してくれているらしい。
 アーズィムとの結婚をやめにすることはできないが、避難場所として月の宮を提供する、ついでに子らの面倒を見てくれたら万々歳、ということだろう。
「今日は月の宮に泊まらせてもらうけど、明日以降についてはまだ身の振り方を決めていないからな」
 策略に乗っかるのが癪(しゃく)で、とりあえず一晩の約束で月の宮への滞在を宣言すると、ヤイシュは「もちろん結構です」と頷いた後……。
「ティガ様、よければ是非シッターのご検討を。是非に」
 なんて付け加えてきた。やはり、優し気な見た目と雰囲気に反して、中々、いや、癖のある人物のような気がする。
(俺はなんてところに来てしまったんだ)
 ヤイシュも、妻たちも、そして今となってはアーズィムも。はっきり言ってティガの常識をはるかに凌駕(りょうが)している。巨大な肉食獣たちの巣穴に迷い込んだ草食獣のような心地だ。
(いや、食虫植物の甘い匂いに誘われて飛び込んだ昆虫か?)
 何にしても、自分から飛び込んだのだから文句の言いようもない。ティガは「はぁ」と何度目かわからない溜め息を吐いた。
 叶うことなら、肉食獣の巣、ないし食虫植物の口の中に飛び込む前の……つまり昨日までの自分に教えてやりたい。お前はその数刻後には意味もわかっていないまま大事な書類に署名するし、その後自分が大勢の妻の中の一人だと理解するし、何が何やら流されるうちに子どもたちを風呂に入れて寝かしつけることになるぞ、と。多分真実をありのままに話しても「はぁ? 何言ってんだ」と言われるだろうが、それでも伝えてやりたい。思いとどまらせてやりたい。
(明日から、どうしようかな)
 何度も考えてみたが、ティガは好きな人を誰かと共有することを良しとはできない。やはりどうしても、向かい合って一対一で愛し合いたい。
 結婚なんてやめてしまいたい。けど、やめられない。でも、大勢の中の一人にはなれない。
「俺は、たった一人の人に愛し、愛されるのが、夢だったんだよ……アーズィム」
 そう伝えたつもりだったのだが、彼にはちゃんと伝わっていなかったらしい。もしくは伝わっていたけれど、それほど重要な問題ではないと流されたか。
 記憶の中で微笑むアーズィムはティガのよく知る彼なのに、この屋敷の住人が話す彼はまるで別人のようだ。
 アーズィムの、爽やかな笑顔を思い出すと涙が浮かんでしまう。浅黒い肌に美麗な顔、仕立ての良いスーツの上からでもわかる筋骨隆々な体、長い指で髪に触れられた時は、心臓が止まるかと思った。
(そのすべてが、俺だけのものじゃなかったのか?)
 すん、と鼻を鳴らして、ティガは込み上がってくる涙を目の奥に押しやった。どれだけ悩んでも、答えを持つたった一人は今ここにいない。
 もう一杯お茶でも飲んで、気持ちを落ち着けた方がいいかもしれない。
 ティガはゆらりと立ち上がった。
「……と、なんだ……緩いな、この服」
 ヤイシュに与えられた絹の服は、着心地は良いがつるつると滑る。やたらと薄くて下手をすると肌が透けて見えそうなのも嫌だ。今も肩から滑り落ちて、鎖骨のあたりまで肌が出てしまっている。まぁ腰紐は結んでいるので裸になることはないが。
 ついでに、ティガがΩだという配慮からか、首に巻く柔らかなチョーカーも用意されていた。風呂上がりにそれを見て一瞬眉根を寄せてしまったが、ティガは素直にそれを装着した。
(明日からは子どもたちと同じ、しっかり上下に分かれた寝巻きがいいって言おう。……いや、明日もここにいるとは限らないだろ。いやでも)
 ――キィ……
 悶々と悩みながら歩き出した時、不意に、食堂と廊下とを結ぶ扉が開いた。
 子どもが起きてきたのだろうか、とティガは慌ててそちらに視線を向ける。
「え?」
 開いた豪奢な扉の向こう。そこには、明かりを手にした男が一人立っていた。揺れる明かりに照らされたその顔を見て、ティガは「ひゅっ」と息を吸った。
「アー……ズィム?」
 浅黒い肌に美麗な顔、金色の髪に碧(あお)い瞳。きっちりと着こなす仕立ての良いスーツまで同じだが、何かが違う。何かというか、決定的に、こう……。
(なんか……ち、小さくなった?)
 そう、小さい。目の前に立っているアーズィムは、小さいのだ。どう見積もってもアーズィムの肩程の身長しかない。ティガを包み込んでくれていた分厚い体はどこへやら、全体的にほっそりとしていて体も薄い。まさしくアーズィムが縮んだような、そんな姿だ。
 ぽけ、と間抜けにも口を開いたまま小さくなったアーズィム(か、どうかはわからないが)を眺めていると、彼もまた驚いたように大きく見開いた目でティガを見ていた。ころりと丸いその目は、今にも転がり落ちてきそうだ。
(え、か、かわいい……)
 小さいアーズィムは幼さがあって、なんだか愛らしい。しかしアーズィム(仮)はその可愛らしい目をキッと細めると、眼光鋭くティガを睨(にら)みつけた。
「***Ωが。***、僕を**するつもりか?」
「は? なんだって?」
 言葉が聞き取れず、思わず母国語で問い返す。と、小さなアーズィムはますます憎らしげに顔を歪めた。
 これはもしかすると泥棒か何かだと思われているのかもしれない。
「あ、待って、違う。泥棒、ないない、信じる」
 知っている単語で一生懸命に言葉を紡ぐが、小さなアーズィムは不審気に眉根を寄せた。
「***?」
 多分「何を言っているんだ」とでも言っているのだろう。氷のように冷たい目で睨みつけられて、ティガは言葉に詰まる。下手にアーズィムと同じ顔をしているせいで、なんというか……妙に胸が痛む。
「いや、自分でも何言ってんだって感じだけど。でもさ……」
「出ていけ。***!」
 まったく理解が追いつかない。どうにか説明しようとするも、彼の方に話を聞く気がないらしい。ティガは「えっと、あの」と言葉を探して、そして彼をそろそろと指さした。
「アーズィム、違う……?」
 まだアーズィムが縮んだ説を否定しきれずに問いかけてみると、少年はこの上なく不愉快そうな顔をした後「***!」と扉の外に向けて鋭い声をあげた。
 しばらくの後、バラバラと足音がして見るからに屈強な男たちが現れた。
「***」
 少年が何かしらを伝えて顎でティガを指すと、彼らは心得たようにティガを取り囲み、あっという間に腕を捕らえてきた。
「はっ? え、ちょっ……いたたっ、いたたたっ! 痛いって言ってんだろう、このっ!」
 ぐっ! と後ろ手に捻り上げられ、ティガは悲鳴をあげる。が、男たちは知らん顔でティガをずるずると部屋から引きずり出す。
「やめろ! このっ……っ、ふんっ、ぎぎぎぎぎ」
 連れ出されまいと足を踏ん張るが、踵(かかと)が痛むだけでてんで抵抗にならない。踏ん張っては引っ張られ、踏ん張っては引っ張られ、妙なステップを踏む羽目になってしまった。
「ちょ、待っ、待って! 怪しい、違う、泥棒、違う!」
「***」
 懸命に言い募るが、少年は「信じられるか」といったようなことを言って(言葉がわからないので、おそらくだが)、つんっとそっぽを向いてしまった。こうなると、もうどうしようもない。腕を掴(つか)む男たちに「違う」「離して」と何度も言うも、もちろん聞く耳なんて持ってもらえない。
 ずーるずると引っ張られ、最後には「面倒だ」とばかりに持ち上げられてしまった。まるで荷物のように抱えられて、ティガは悔しさのあまり「ぐぎぎ」と歯を食いしばった。
「俺はアーズィムの妻っ……だけど違うような、子どもたちのシッターっ……でもないな」
「***なんだ?」
 少年は腕を組んで、呆れたような顔でティガを睨んでいる。少なくともそんな目をアーズィムに向けられたことはない。やはり彼はアーズィムではないのだろう。声も甲高く、まるきり子どものそれだ。
「いや、だからぁ、俺はぁ……」
 では「俺」は一体なんなのか。結局その先が続かず、ティガはあっさりと月の宮から連れ出された。
 バンッ、と鼻先で閉じられた扉を恨めしく見やりながら、ティガは心の中で唸(うな)る。
(朝の、浮かれた気持ちの俺に言ってやりたいことが増えたぞ……)
 お前はその数刻後には意味もわかっていないまま大事な書類に署名するし、その後自分が大勢の妻の中の一人だと理解するし、何が何やら流されるうちに子どもたちを風呂に入れて寝かしつけることになるぞ、と。
 そして、何故か犯罪者のように腕を掴まれて部屋から引きずり出されるぞ、と。
(なんなんだよ、もー……っ!)


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