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傷心旅行は奇跡のはじまり 内緒で子どもを産んだのに溺愛御曹司に見つかりました

沢渡奈々子 / 著
木ノ下きの / イラスト
定価 1,320円(税込)
発売日 2023/10/27

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内容紹介

あぁ、やっと君の中に入れる。
不妊と診断され、婚約破棄されてしまった菅原泉。そんな彼女は傷心旅行先のサンディエゴで極上の美貌を持つ九条蒼佑と出会う。言葉の通じない異国。ムードたっぷりのバー。非日常の雰囲気で何もかも忘れた奔放なセックス。けれど翌朝まどろむ彼の口から漏れたのは他の女性の名で——。ショックのあまり身元も明かさず立ち去るも、何と妊娠が判明!? それから五年。シングルマザーとして可愛い息子と暮らす泉は偶然蒼佑と再会。ずっと泉が忘れられなかったという彼は、逸るあまり失言癖を発揮し泉を怒らせるのだけど、子どものため、そして泉のためにいくつかの提案をしてきて——?

立ち読み

   プロローグ


 抜けるような青空は果てしなく爽やかだ。吸い込まれそうなほど澄んでいる。
 空を背負った海はどこまでも続く。青く染めた絞りのような細波(さざなみ)が、無限に広がっている。
 目の前では、多数のヨットが停泊するハーバーが景色に活気を添えていて、カモメが上空を飛んだり、マストで羽根を休めたりしている。
「いい天気〜! これはもう、ホエールウォッチング日和じゃない?」
 泉(いずみ)はクフフ、と少しばかり気味の悪い笑いを漏らしながら、非日常的な空気を全身に浴びていた。
 周囲には乗船を待つ人々が列を成す——その大半は日本人ではない。白人、黒人、ヒスパニック、アジア人……様々な人種が、あと少しでやって来るイベントを今か今かと待ちかまえていた。
 これから大型のヨットに乗り込み、沖へ出てクジラやイルカを探すセイリング——ホエールウォッチングだ。
 いつかは体験してみたいと思っていた。それがようやく叶うのだ。楽しみで仕方がない。
 泉は今、アメリカ・サンディエゴにいた。
 姉の梢(こずえ)がアメリカ人実業家と結婚してサンディエゴで暮らしており、遊びに来ないかと誘われたのだ。初めは躊躇したものの、姉に「旅費は負担するから是非に」と説得され、一人太平洋を横断してやって来た。
 航空券の手配などもすべて梢がしてくれた。しかも、座席はなんとビジネスクラス。さすがはセレブ……やることが違うと、ありがたく贅沢をさせてもらった。
 搭乗チケットに印刷された『C』の文字を見て「なんでビジネスクラスはBじゃなくてCなんだろう……」と思ったけれど、エコノミーだって『E』ではなく『Y』なのだから、何か事情があるのだろう。そんなことはどうでもいい。
 優先的に搭乗させてもらい広々とした座席に着くなり、CAが恭しく跪(ひざまず)いたのには仰天した。
『菅原(すがわら)様、本日はご搭乗、まことにありがとうございます。本日、菅原様を担当させていただく、鈴(すず)原(はら)と申します。何かございましたら、ご遠慮なくお申しつけくださいませ。——まずはお飲みものはいかがでしょうか?』
 エコノミーでは聞いたことのない口上に、泉はひたすら恐縮するばかりだった。
 倒せばフルフラットになるシート、スリッパ、化粧品ブランドのアメニティ、クロスを敷いたテーブルの上に一品ずつサーブされるコース料理、タッチパネルで注文すればいつでも提供される軽食やワインなど。見るもの食べるものをことごとく写真に収めているあたり、我ながら庶民だなぁ……と思いつつ、一生に一度あるかないかのセレブ気分を堪能した。
 姉によれば、ファーストクラスになるとパジャマまで用意されているというのだから、まさに『空の旅』と言うに相応(ふさわ)しいと、泉は感心したのだ。
『今この時が、旅の一番の盛り上がりポイントかもしれない……』
 徹頭徹尾、興奮を抑えきれないまま、行きの旅を終えたのだった。
 姉夫婦に空港まで迎えに来てもらい、そのまま彼らの自宅へ行くと、あまりの大豪邸にクラクラした。バックヤードにはプールがあるし、おまけに広々とした芝生には時折シカやウッドチャックなどがやって来る。
 そんな広大な敷地内で繰り広げられるバーベキューの豪快さと美味(おい)しさときたらもう!
「イズミのために、コウベビーフを取り寄せたよ!」
 巨漢の義兄・スティーブが何キロもある神戸牛を担いで現れ、ビールを片手にバーベキューソースを肉塊に塗りたくりながら、どんどんグリルしていく。
 セレブなはずなのに、そうは思えないワイルドで陽気な調理の光景を見て、
(あー、もったいない、塩コショウとわさびで食べたいぞー)
 なんて思ったことは内緒だ。
 梢は初め、泉を観光に連れて行くつもりだったらしいが、何せ姉は現在妊娠中。連れ回すのも心配だし、この家付近だけでも珍しいものが多くて飽きないし、何より、姉にじっくり話を聞いてもらいたかったので、数日間、この大邸宅でのんびりさせてもらったり、夕食には高級なレストランでのフルコース料理を堪能させてもらったりもした。
 そして帰国直前は、一人でサンディエゴ観光を楽しむことにしたのだった。
 ラホヤビーチ、サンディエゴ動物園、ミッドウェイ博物館など、有名どころを一通り回り、最後に選んだのがホエールウォッチングだった。
 これが終われば明日は帰国の途につく。現実逃避も終了だ。就職活動もしなければならないが、そんなことは帰ってから考えればいい。
 今はとにかく、クジラとイルカ! なのだ。
 ヨットが到着し、乗り込むと、クルーからの説明があった。
 船は木造の中型帆船で、乗客は五十人弱だろうか。家族連れやカップルが多い。泉は一人旅なので、ひとまず適当な場所に滑り込んで座る。
 出港して三十分も経(た)つと、周りは空と海だけになってしまった。
 青い空、青い海——この広大な景色を見ていると、人間ってちっぽけな存在だなぁ……なんて思う。
『イルカがいるわよ!』
 誰かが英語で叫んだので、思わず人垣の間から顔を出すようにして海を見ると、何頭ものイルカが船と併走するように泳いでいる。
(わぁ……イルカだぁ。水族館以外で初めて見たぁ……)
 調教しているわけではないのに、船と並んで泳いでくれるとは、なんていい子たちなんだろうと、泉はひたすら感動しながらスマートフォンで動画を撮っていた。
 すると——
「ねぇねぇ、調教してるわけじゃないのに、どうしてイルカって船と併走するの?」
(え、日本語……?)
 たった今、泉が考えていたことを、しかも日本語で口にした女性がいる。思わず弾かれたように隣を見た。
 大学生風の女性が、隣に立っている男性に尋ねていた。
「あぁ……あれは、船が起こす波に乗って泳いでるんだよ。そうすればイルカは泳ぐエネルギーを節約できるんだ。人間に愛想を振りまいてるわけじゃない。ただずる賢いだけだ」
 長身の男性が、笑って言っている。
(ちょっとぉ……興醒(きょうざ)め……ロマンも何もあったものじゃないわ……)
 そんな豆知識、聞きたくなかった。「海の住人が陸の住人に挨拶してくれてるんだよ」くらい言ってほしかったのに。
 はぁ、と大きくため息をつくと、その音が聞こえてしまったのか、男性がこちらを見て、そして目を大きく見開いた。
「君は……」
 切れ長の鋭い目つきで捉えられ、泉はたじろぐ。しかし、彼の顔をよくよく見てみれば——
「……あ」
 確かに、見覚えのある顔だったのだ。
?

 
 
   第一章 悲しい別れ
 
 
「泉、結婚前にブライダルチェックを受けてみないか?」
 婚約者の言葉に、菅原泉はぱちくりと瞬きを繰り返した。
「ブライダルチェック……?」
 それがどういうものかは知っていた。結婚を控えた男女が、将来的に妊娠・出産に影響する病気の有無を調べる検査のことだ。
 女性はいわゆる婦人科検診、男性は精子検査や性病検査が主な項目となる。
「やっぱり子ども欲しいしさ、問題が早めに分かれば、早期治療もできるし」
「そっか……うん、そうよね。受けてみようか」
 泉は神奈川(かながわ)県桜(さくら)浜(はま)市内の高梨(たかなし)歯科医院で、歯科助手を担当している。そして、婚約者の小川(おがわ)悠希(ゆうき)は、同じ職場で働く歯科医だ。一ヶ月前にプロポーズをされ、準備を始めていたところである。
「去年結婚した友達がブライダルチェック受けた病院、評判いいらしくて。そこで受けようか?」
「うん、そうしよ」
 二人揃(そろ)って受診できたのは、それから十日後のことだ。
「結果が来たら、一緒に見ような」
 帰り際、悠希と約束した。
「きっと二人とも異常なしだよ。大丈夫」
 この時の泉は、自分の身体(からだ)について何一つ不安なんて抱いていなかった。

 短大に通っている頃から、泉は高梨歯科医院で受付のアルバイトをしていた。患者さんにも丁寧に接し、明るく真面目に働く泉は院長に気に入られ、短大卒業後はそのまま歯科助手として正式登用される。
 医院のスタッフは、院長をはじめとする歯科医師が大学病院からの派遣や訪問歯科医も含めて五名、歯科衛生士が七名、歯科助手が三名。三階建てのビルは自前で、設備や治療技術も常にアップデートし、評判もなかなかいい。個人医院としては規模が大きい方だろう。
 泉はこれまで特に大きな揉め事もなく、上手(うま)くやってきた。院長からの覚えもめでたい。職場になんの不満もなかった。
 歯科助手になって一年後に、悠希が新米歯科医師として高梨歯科に入って来た。彼は明るく礼儀正しい好青年で、すぐにスタッフに溶け込んだ。
 悠希とつきあうようになったのは、泉が二十三歳になってすぐのことだ。
『泉ちゃんのことが好きなんだ』
 そう言って照れた顔がとても可愛(かわい)い、と思った。
 元々悠希に好意を持っていたので、一も二もなくOKした。しかし職場恋愛は何かと面倒だ。二人の交際は周囲には秘密で、でも順調に進んだ。
 約一年後の九月十二日——二十四歳の誕生日にプロポーズされた。
『俺と結婚してほしい』
 悠希の部屋でそう言われた時、天にも昇る気持ちだった。ようやく職場の人たちに二人の関係を公にできるし、姉にも報告できるのだと安心もした。
 泉には両親がいない。高校生の頃に母が亡くなり、父も短大生の頃に死んでしまった。二人とも病死だった。
 それからは姉の梢が母代わりとなってくれた。梢は外資系金融機関でバリバリと働くキャリアウーマンだったので、学生時代は泉の生活費や学費を出してくれた。
 夫のスティーブとは取引先で知り合い、彼からの猛烈なアプローチの末、結婚し渡米したのだ。
 アメリカにいてもいつも泉のことを思い、連絡も頻繁にしてくれる。心の支えとなってくれる梢には感謝しかない。
 婚約の報告をした時も、自分のことのように喜んでくれた。
 悠希と一緒に幸せになって、これからいっぱいいっぱい姉孝行しようと思っていたのに。

「え……どういう……」
 一枚の紙を両手で握った泉は、声を震わせた。
「どうした? 泉」
「悠希……」
 泉は縋(すが)るような眼差しで、悠希を見上げた。黙って紙を渡す。
「——妊娠困難の所見が認められるため、要精密検査……。これって……」
「妊娠しづらいって、こと……?」
 検査から一週間、結果が郵送されてきた。悠希の部屋で一緒に開封した泉を待っていたのは、想像もしていなかった事実だ。
 そんな馬鹿な。私に限って不妊だなんて。
 目の前が白くなる。
 悠希の方は異常がなかったようで、ホッとしたけれど。
 どうしたらいいのか。私の身体に何が起きているの?
「とにかく、精密検査してみよう。俺もつき添うから」
 悠希が肩を抱いて励ましてくれたので、泉はなんとか平静を保てた。
 ブライダルチェックをしてくれた医院を訪れ、改めて検査を受けた。その間、悠希がそばにいて励ましてくれて。彼がいなかったら、きっと耐えられなかった。
(きっと大丈夫、ちゃんと検査したら異常なんてない)
 恐怖で震える自分に心で言い聞かせながら、結果を待った。


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