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コワモテ軍人侯爵の甘いスキャンダル

八巻にのは / 著
SHABON / イラスト
定価 1,320円(税込)
発売日 2020/07/31

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内容紹介

君のことは、大事に抱くつもりだ
私生活はまるで謎、国で一番恐ろしいと噂の軍人デレクが、実は可愛いもの好きだったことを偶然知ってしまった新聞記者のアメリア。黙っている代わりに取材をさせてほしいと迫る。ケーキ屋巡りも兼ねた取材の日々は、思いのほか逢瀬のように甘く…。距離感がおかしいデレクに振り回される中、不器用ながら仲間思いで優しい彼を次々に知っていき、本当の姿を記事にしようと決意するアメリア。ところが取材手帳がなくなって…? 「君のことは、大事に抱くつもりだ」。堅物軍人の無上の愛に蕩かされていく、甘党ロマンス!

立ち読み

■プロローグ


「二人とも俺の家(うち)に来まちゅか?」
 ぬいぐるみを抱きながらそんなことを呟く変態とアメリアが出会ってしまったのは、ある深夜のことだった。
 帝都の片隅にある兄のスティーブのおもちゃ屋で、大人気のぬいぐるみが並ぶ棚の前に、その男は立っていた。
 明かりがついていない上に、今夜は月が雲で隠れているため店内は暗い。故に変態が大柄な男であることしかわからない。
 でももう長いこと棚の前に立ち、ぬいぐるみをよしよししたり、だっこしたり、時折赤ちゃん言葉を喋(しゃべ)っている姿はあまりに異様だ。それも、今は深夜である。
 その場にうっかり居合わせてしまったアメリアは、しばらくの間驚き固まっていた。だがこのままではいけないと、側に置いてあったモップを掴む。
(きっとあの変態、スティーブが作ったぬいぐるみを盗むつもりなんだ……!)
 兄と、兄の工房の弟子たちが一生懸命作ったぬいぐるみを変態に盗ませるわけにはいかない。
 新聞記者として働き、人並み以上の正義感があるアメリアは、目の前にいる盗人を見すごせなかった。
 モップをぎゅっと握り締め、アメリアは変態泥棒がぬいぐるみに頬をスリスリしている一瞬の隙を突き、背後に飛び出す。
「変態、覚悟!」
 そう言って振り下ろしたモップは、男の頭に直撃するはずだった。
 だが聞こえてきたのはパシッという乾いた音である。
「変態はひどすぎないか」
 そして響いたのはやけに凜々(りり)しい声だった。その声にうっかりドキッとしたところで、アメリアはモップを軽々受け止められてしまったことに気づく。
「じゃ、じゃあ変態泥棒!」
「いや、変わらないだろうそれは」
 呆れた声と共に、モップごとぐっと身体を押される。
 まさか変態にこれほど腕力があると思っていなかったアメリアは体勢を崩し、そのまま後ろに倒れかけた。
「お、おいっ!」
 慌てたのは何故か男の方だった。
 モップをぐっと引き寄せ、彼は倒れるアメリアに腕を伸ばす。そのままポスッと変態の腕の中に倒れたアメリアは、恐ろしいほど硬い胸板に困惑した。
(まずい、この変態……滅(め)茶(ちゃ)苦(く)茶(ちゃ)鍛えてる)
 本気になれば自分など一ひねりだと気づき青ざめたが、彼がアメリアに乱暴するそぶりはなかった。
「無事か?」
 ぬいぐるみに語りかけていたときとはまるで違う、低い美声が耳元で響く。
 アメリアが驚いて視線を上げるのと、雲に隠れていた月が顔を出すのは同時だった。
「うそ……」
 窓から差し込んできた光りに照らされた変態の姿に、アメリアは思わず息を呑む。
 月明かりに光る銀糸の髪にも、悩ましげな表情を浮かべる凜々しい顔立ちにも覚えがあった。
 彼女の前に立っている男の名はデレク=アーヴィング。
 イルト帝国軍の次期元帥候補とも言われている、この国で最も恐ろしい軍人である。
 七年前に起きた帝国の内乱をきっかけにベイル大陸全土へと戦火が拡大してしまった第三次世界大戦。その終結の立役者である彼は戦争の英雄である一方、この国ではとても恐れられている。
 勝利を勝ち取るためには手段を選ばず、奇抜な作戦と犠牲をいとわぬ果敢な進軍により彼の部隊は数多(あまた)の敵を屠(ほふ)った。
 イルト帝国の守護神軍神ホルトによく似た鋭い眼差しは、どんな惨状を目の前にしても揺らぐことはなく、表情ひとつ変わらない。軍師でありながら時に自らも戦場で銃を取る彼は、人を殺すときでさえ冷たい相貌が崩れることはなかったと言われている。
 第三次世界大戦で最も過酷な戦いだった『ホルス島上陸作戦』では、二年近く膠(こう)着(ちゃく)していた前線を彼の部隊が押し進め、それが帝国を勝利に導くきっかけになった。
 その功績を足がかりに大佐にまで上り詰めた彼は、多くの作戦の指揮を執り帝国の勝利に多大な貢献をしたのだ。
 戦争終結から四年が経ち、以前より活躍の機会は減ったものの、今も時折ラジオのニュースから名前が聞こえてくる。
 それほどの男が目の前にいることを、アメリアは正直信じられなかった。
「な、なんであなたが……」
 思わず声が震えてしまったのは、彼の恐ろしい噂を思い出してしまったからだ。
 アメリアは新聞社で記者として働いているため、普通の人よりも軍とデレクに関する噂を見聞きする。
 取材に押しかけた記者を恫喝(どうかつ)したとか、自分が殺した兵士の遺族を罵倒したとかいう話はよく聞くし、平和な世の中が物足りないからと新しい戦の火種を蒔(ま)こうとしているなんて話も最近では出始めている。
 それを裏づけるように、アメリアを見つめる彼の目つきは鋭い。眉間には深い皺(しわ)が刻まれているため、もの凄く怒っているようにも見える。
 さっきまでの威勢を失い、声どころか僅(わず)かに身体も震わせていると、デレクは眉間の皺を更に深く刻みながらアメリアから離れた。
「言っておくが店主の許可は取ってある。だから泥棒でもないし、変態でもない」
 そう言いながらアメリアに背を向けたデレクは、しゃがみ込み、床に落ちてしまったぬいぐるみを拾い上げる。
 その背中が、何故だかほんの少しだけ寂しそうに見えて、アメリアの恐怖が僅かに薄れた。
「本当……ですか?」
「ああ。それに俺はここの出資者で、ぬいぐるみの愛好家でもある」
「大佐がぬいぐるみの……?」
「信じられないなら、この店の売り上げトップスリーを言おうか?」
「じゃあ言ってください」
 デレクは冗談のつもりだったのかもしれないが、アメリアは記者だ。証拠があるなら知りたいと思ってしまうタイプである。
「下から『よしよし子リスのチャーリー』『もふもふウサモフ四世』『フワフワベアーのトッフィ』だ!」
 その三体を抱きかかえながら、アメリアの方を振り返ったデレクの顔は相変わらず険しい。
(でもなんか、得意げにも見える気がする……)
 抱いているぬいぐるみのせいで絵面は滑稽(こっけい)だが、彼は妙にキリッとしている。そして彼の答えは正解だった。
「じゃあ本当に、兄とは知り合いなんですね」
「兄……? じゃあ君はまさか、スティーブの……」
「妹のアメリアです」
 答えた瞬間、デレクが何かをこらえるように歯をぐっと食いしばる。そのせいで余計に恐ろしい顔になり、アメリアは悲鳴を上げかけた。
 それを何とか呑み込むと、デレクがゆっくりと立ち上がった。
 見下ろされる形になり更に恐ろしさは増すが、目を逸らすのも怖くて必死に彼を見つめ続ける。
「……黙っていて、くれないか……」
「だ、黙る?」
「君は記者だと聞いた。だからその、今見たことは……忘れてほしいのだが……」
 言われてようやく、アメリアはデレクの懸念を察した。
 目の前の男は、帝都中の新聞記者が追い回す相手なのだ。
 戦争の英雄であり軍神とさえ言われているデレクのプライベートには謎が多く、三十五という年齢以外は恋人の有無はもちろん、家族構成さえ明かされていないのだ。
 戦争が終わり、すっかり平和ぼけした人々にとってミステリアスな彼の生活は噂の種で、ゴシップ誌を中心に誰も彼もがデレクを取材しようと躍起になっている。
 そんな彼にとって、新聞記者は最も敬遠する存在だろう。
「頼む、黙っていてくれるなら何でもする」
「何でも……ですか?」
「ああ。俺にできることなら何でもしよう」
 必死な声で紡がれた言葉に、アメリアは嫌なことを思い出す。
『お願いです! どんなことでもしますから、私からコラムを取り上げないでください!』
 奇しくもアメリアは、昼間彼と同じような台詞(せりふ)を職場で口にした。
 そのときの苦い思いが込み上げてきて、アメリアはぎゅっと拳を握る。
「……具合でも悪いのか?」
 アメリアの苦しげな顔に、デレクが驚いた様子で彼女の肩に手を置く。
 恐ろしいと思っていたはずなのに、心配そうに見つめられると、何だかひどくソワソワする。
(この人、こんな顔もするんだ……)
 同時に、初めて見る表情に不思議な興味を惹かれた。
 彼を知りたいと、そんな考えまで浮かんでしまう。
(それにもし誰も知らない大佐のプライベートを記事にできたら、今度こそあの人たちを見返して、ちゃんとした記事を書かせてもらえるかも……)
 打算と好奇心に突き動かされ、アメリアはおずおずと口を開いた。
「あの、さっき何でもするって仰いましたよね?」
 尋ねると、デレクが頷(うなず)く。
「ここで見たことを、黙ってくれるならそうしよう」
「なら、取材をさせてください!」
 アメリアの言葉に、デレクの顔が見る間に険しくなる。
 あまりの恐ろしさに身体は震えたが、彼女は逃げ出したくなるのを必死にこらえた。
(怖い……でも私、このチャンスを逃したくない……)
 そんな思いで、アメリアはぎゅっと拳を握り締めた。
「今、どうしてもスクープが必要なんです。それに私、あなたのことが知りたいんです!」
 勇気を振り絞り、アメリアはデレクの目を見たまま一歩踏み出す。
「だからどうか、あなたを取材させてください!」
 帝国一恐ろしいと言われる男に、アメリアは力強く言い切った。 


■第一章


 戦争の終結と共に訪れた近代化の波に押され、イルト帝国の首都クリスタリアでは毎日のように新しい建物と道が建造されている。
 鋼鉄でできた建物はどれもが立派で、物々しく、ビルに至ってはもはや身体を反らさねば天(てっ)辺(ぺん)を見ることが叶わぬほどの高さだ。
 国力を象徴するように日々増殖していくビル群に比例して人口や流通も増え、クリスタリアは大陸一の都市となった。
 そこには毎日、沢山の人が新しい仕事と夢を求めてやってくる。
 しかし全員が期待通りの人生を歩けるわけもなく、少女アメリア=ウィンスローもその一人だった。
 アメリアはイルト帝国の辺境、山脈にはさまれた北の領地ノエルトの出身だった。辺境伯の家に生まれ、九人兄弟の七番目の子供として育った。
 規律を重んじる家柄ではあったが、ウィンスロー家は長男と長女がとにかく優秀だったため、四女として生まれたアメリアに両親はさほど期待をかけることもなかったのだ。
 奔放すぎると言っても過言ではない幼少期を過ごしたのは、彼女が誰より懐いていたスティーブの影響だろう。ウィンスロー家の三男として生まれたスティーブは、帝都の大学を出るほどの秀才でありながらとにかく変わり者だった。
 十才年上の兄は幼い頃から可愛いものが大好きで、仕草も口調もどことなく女性的だ。そのせいで、スティーブは父を筆頭に家族から煙たがられていた。
 だがアメリアだけは、兄の性別にとらわれない奔放さと感性に惹かれ、小さい頃から何かと懐いていた。
「いいことアメリア、これからは女が活躍する時代になるわよ」
 そんなことを言い、アメリアにこっそり本を買い与え、親に隠れて勉強を教えてくれたのも彼だ。
 特にスティーブが買ってくれた戦場記者の自伝をアメリアはいたく気に入り、新聞記者になりたいという夢を抱いたのもその本がきっかけだった。
 アメリアにとってスティーブは憧れであり、目標だった。
 だがスティーブの型にはまらない性格と広い視野は、辺境の地では受け入れられなかった。
 故に兄は戦争が終わった後、自分の趣味と能力で生きていきたいと帝都クリスタリアに旅立ち、長年の夢だったおもちゃ屋を営み始めた。
 店を軌道に乗せるまでの道のりは険しかったようだが、努力の甲斐(かい)もあり彼は帝都一のぬいぐるみ職人と呼ばれるほどになった。
 同じ夢を持つ職人たちを雇い、大きな工房を構え、彼のぬいぐるみは帝都最大のデパートでも取り扱われている。
 半年後には南の辺境『オーリンズ』という街に二号店もオープンする予定で、そこが成功すれば彼の店は帝国全土に展開していくだろう。
 今や押しも押されぬ青年実業家とまで言われるスティーブに憧れ、自身も記者になる夢を叶えたいとアメリアが兄を追って帝都に出てきたのは二年前だ。
 とはいえ、残念ながらスティーブのように成功を掴むにはまだ至っていない。むしろアメリアの日常は、挫折の連続だった。


 ――そして『デレク』という幸運の鍵を掴むことになる日も、アメリアは新しい問題を抱え込んでいた。
(ああもうっ!! ああああっもう!! 今度こそ辞めてやろうかしら!!)
 そんな言葉を心の中で叫びながら、早足で歩くアメリアの長い三つ編みが大きく揺れた。赤いくせっ毛を無理矢理まとめているため、彼女の髪は夕方には乱れて膨らんでしまう。その有様を同僚たちが馬鹿にするのはいつものことだが、今日怒っているのは容姿を貶(けな)されたからではない。
(『コラムなんて三流記者の仕事だ』とか言ってたのはどこの誰よ!)
 往来なのですまし顔で歩いているが、アメリアの心の中は荒れに荒れていた。
 こんなに荒れているのは、ようやく認めてもらえた仕事を、あろうことか同僚に奪われてしまったからである。それも奪ったのは、アメリアを馬鹿にしていた同僚のチャールズだった。
 帝都新聞に記者として採用されたアメリアは、二年の雑用期間を経てようやく記事を書かせてもらえるようになったばかりだ。
 元々アメリアは、帝国政府の打ち出した働き方改革と女性登用制度の波に乗り、三十人ほどの女性たちと共に帝都新聞で働き始めた。
 小さな頃から文章を書くのが好きで、兄から貰った本をきっかけに記者を目指すようになったアメリアは、帝都最大の新聞社で働けると決まり、天にも昇る気持ちだった。
 だが残念ながら、新聞社は女性にとってあまりにも過酷な職場だった。
 女だというだけでまともな仕事を与えられず、馬鹿にされ、上司から無遠慮に体を触られることも多い。
 アメリアはお世辞にも美人とは言えず、背も低いためぱっと見は子供にしか見えない。ただ胸だけは非常に大きく、そのせいで子供の頃から卑しい目で見られることが多かった彼女は、仕事中はさらしを巻き、豊かな胸を完全に隠していた。
 お陰で身体を触られるような嫌がらせはなかったが、同期の女性のほとんどは男性たちの無遠慮な言葉や行動に耐えきれず、辞めてしまった。
 特に記者を目指していた女性に対する当たりは厳しく、人を人とも思わぬ罵(ば)詈(り)雑(ぞう)言(ごん)をかけられ、心を折られてしまったのだ。
 だがアメリアは、昔からその手の言葉には慣れている。
 帝国領の辺境、さほど裕福ではない伯爵家の淑女として生まれたアメリアは幼い頃から活発で「淑女らしくしなさい」と周りからは苦言を呈されてきた。そしてそれを受け流し、淑女の作法より兄との読書や勉強に明け暮れるような少女だったのだ。
 四女故に普段はさほど躾(しつけ)は厳しくなかったが、それでもスティーブに感化されるようになるとさすがに目に余ったのか、故郷で暮らした最後の数年は親兄弟からかなり冷たくされた。女らしくないと、時には手を上げられたこともある。
 それでも腐ることなく、勘当同然で帝都まで出てきたアメリアは、子供っぽい外見とは裏腹に他の女性たちより逞(たくま)しかった。
 それに彼女は、悪意をやり過ごす方法を兄から教わっていた。
『いいことアメリア。この世には言葉が通じない馬鹿が少なからずいるの。そういう馬鹿は相手にする価値もないわ! だから可能な限り無視して、自分の言葉がしっかりと届く相手を大事にしなさい』
 そんな助言に従い、アメリアは子供のような外見に合わせた無邪気で素直な女性を装い、自分を馬鹿にする者には必要以上に食ってかからず、仕事を手伝うふりをして技術を盗んだ。
 そしてその裏で、自分の力を買ってくれる人を見極め、少しずつ自分を売り込んだのだ。
 お陰で新聞の片隅に、何とかコラムを書かせてもらえるようになったのは三ヶ月ほど前のこと。
 彼女が担当するコラムは、『戦後の復興』をテーマに日々移り変わる帝都の様子を文章と写真で紹介するというものだ。
 戦火を免(まぬが)れた過去の写真や資料を必死に探し、街で聞き込みをし、今だからこそ見える景色や人の営みの移り変わりをコラムとしてまとめたのである。
 帝都にはマフィアが牛耳(ぎゅうじ)る危ない地域もあり、足を使った取材は時に危険を伴うが、コラムのことを話せば大抵の人は協力してくれる。
 あるときなんて、焼け落ちたキャバレーの写真を探していたら暗黒街のドンに偶然出会い、彼から直々に貴重な写真や話を得ることもできた。
 見た目が子供っぽいアメリアは、どうやら年上の男性から警戒心を抱かれにくいようで、ドンとは今も交流がある。
 ドンから得た情報で書かれた記事は特に好評で、以来コラムにはファンがつき新聞社の出版部からは本にしないかという打診まできたのだ。
 だがその手柄を、編集部はあろうことかアメリアから取り上げたのだ。
 コラムに彼女の名前が書かれていないのをいいことに、同僚の記者であるチャールズが担当者だったということにしたのである。
「女のお前が、名前の出る仕事をするなんて百年早い」
 などと言い放つチャールズが来週からのコラムも担当するとアメリアが聞かされたのは、つい一時間ほど前のことだ。
 さすがにひどいと抗議をしてくれた同僚もいるが、編集長の決定には逆らえない。その上アメリアから仕事を奪ったチャールズは、帝都新聞社長の息子だ。
 彼を罵倒した者は男女関係なく倉庫係か地方支社に飛ばされるという噂もあり、アメリアのためにと抗議してくれた記者たちにも、彼は「俺にたてついていいのか」と不気味に笑っていた。
 自分はともかく他の記者たちに迷惑がかかるのは忍びなく、結局アメリアは「また新しいコラムの企画を考えますね」とそのときは笑顔を貼りつけたのだ。
 だが仕事を終え、会社を一歩出た瞬間我慢は限界に達し、罵倒は止まらなくなってしまった。
 表面上はすまし顔をしつつ、年頃の女性が決して口にできないような罵詈雑言を心の中で喚(わめ)き散らしながら、アメリアが向かったのは兄スティーブの店だ。
 女性物の宝飾店が立ち並ぶウェイヴァーズ通りの西、『熊の隠れ家』という可愛らしい看板が下がる店がスティーブの営むおもちゃ屋である。
「ねえスティーブ、今日こそは私とデートしてよ」
「ダメよ、先に誘ったのは私の方なんだから!」
 しかし店に入ったところで、アメリアは早く帰ってきたことを後悔した。
 なぜならぬいぐるみを棚に並べる兄の周りを、五人ほどの女性が取り囲んでいたからだ。
 女性らしい振る舞いと口調が印象的で、時には女性物のドレスを着ることもあるスティーブだが、元々の容姿が精悍(せいかん)なため女性に大人気なのだ。
 彼は交際相手を性別で選ばないタイプなので、時には男性までもが輪に加わることもある。
 そういうとき、妹のアメリアは周りの勢いに負けてスティーブに近づけない。
 アメリアにとって愚痴(ぐち)をこぼせる相手は兄だけなので今夜は酒に付き合ってもらいたかったが、この分だと無理そうだ。
 仕方なく店の奥にある居住スペースに帰ろうと思っていた矢先、「アメリア」と声をかけられた。
 顔を上げた途端、兄は手にしていたぬいぐるみを彼女に押しつけた。
「私この子たちとお茶してきたいから、しばらく店番してくれない?」
「は?」
 思わずポカンとしてしまったが、スティーブは気にする風もない。
「してくれるなら、後でお店から好きなだけぬいぐるみ持っていっていいから」
 だからお願いと甘えた声を出すスティーブに、アメリアは顔をしかめる。
「店主が仕事をサボっていいの? 工房にも、そろそろ顔出さなきゃいけないんでしょ?」
 嫌みが口からこぼれるが、スティーブは全く気にしていない。
「可愛いミツバチちゃんたちが来てくれたのに、無視するなんてできないでしょ? それに可愛い子たちの会話は私にとってインスピレーションの源なの! つまり、創作に必要なの!」
 独特な持論を捲(まく)し立てるスティーブに、アメリアが敵うわけもない。
 結局行くなら早く行けと手を振り、アメリアは店番をすることになってしまった。
(……とはいえ、さすがに帰ってくるの遅すぎじゃない!?)
 他の店員と共に閉店作業を終えた後、店の奥にある居住スペースに戻ったアメリアは、未だ帰ってくる気配のない兄に苛立っていた。
 可愛い子には手の早い兄である、もしや今夜は帰ってこないのではと、そんな不安さえよぎる。
(愚痴……聞いてもらいたかったのになぁ……)
 がっかりしつつ、アメリアは一度閉めた店の鍵をじっと見つめる。
(スティーブがダメなら、ぬいぐるみに相手してもらおうかな……)
 好きなだけ持っていけと言われたし、新作のぬいぐるみを抱えて眠れば少しくらい気が紛れるかもしれない。
 そう思ったアメリアは寝る前に、一人店に戻ろうと決めた。
 そんな彼女がぬいぐるみを抱いた軍師に出会うのは、これより数時間ほど後のことである。


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