完璧な淑女のふしだらな契約 | 株式会社Jパブリッシング

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枯れた薔薇_カバー1

完璧な淑女のふしだらな契約

六つ花えいこ / 著
三浦ひらく / イラスト
ISBNコード 978-4-86669-122-0
本体価格 本体1,200円+税
発売日 2018/06/27
フェアリーキスピュア

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内容紹介

優等生淑女が交わした秘密の取り引き!?
「名門シュトラール学院で《白百合の君》と呼ばれる伯爵家令嬢のフリーダが抱える、誰にも言えない恥ずべき秘密。それを庶民出身の成り上がり貿易商の息子、アイゼンに知られてしまう。青ざめるフリーダに彼は囁く。「取り引きする気はあるか?」《悪魔の商人》の異名を持つ彼からお互い欲しいものだけを手に入れる偽りの恋人契約を持ちかけられて!? 「あんたの望みはなんでも叶えてやる」勘違いしそうになる甘い言葉にフリーダの心は大きく揺れるが……
成り上がり《悪魔の商人》×品行方正な天然伯爵令嬢、正反対の二人が恋心を募らせる、両片思いのじれじれ胸キュンキュンラブストーリー!

立ち読み

「やあいらっしゃい! レディ・クレヴィング。うちのボンクラ息子が世話になってるようで」
「抱きつくな。馴れ馴れしい」
「いいじゃないか。いくつか季節が過ぎれば家族になる仲だ」
「年寄りの先走りはみっともないぞ」
「こんな具合に、親を親とも思わない不遜な息子ですが、どうか見捨てずにいてやってくださいね」
 軽快な挨拶と共にウインクしたのは、アイゼンの父だ。
「ええ、勿論です」
 笑いを堪えきれずに、口元に指先を当ててフリーダがくすくすと笑う。
 バーレ家の屋敷は、王都の中でも高級住宅が建ち並ぶ一角にあった。これも、いくつもある邸宅の一つだろう。豪華な門構えなど、歴史だけはあるがそれだけのクレヴィング家よりも、よほど立派だった。
 アイゼンに導かれて入った玄関先で、彼の父親の姿を見たフリーダは驚いた。多忙を極める毎日だと聞いていただけに、わざわざ自分の顔を見るために在宅しているとは思ってもいなかったのだ。
「このたびは何から何までお力添えいただきまして、ありがとうございます」
「レディの美しさを引き出すお手伝いができる光栄に、こちらこそ感謝しきりです。数刻後にこの扉が開くのを、今か今かと待たせていただきますよ」
「気はすんだな? 行くぞフリーダ」
 アイゼンは呆れた顔で父を見ていたが、その言葉を終いの挨拶と受け取ると、フリーダの手を取って屋敷の奥へと案内する。
「使用人は下がらせておくから、好きにいちゃいちゃしてきなさーい」
 父の言葉を無視したアイゼンは、ずんずんと足を進める。
「あまり似ていないのね」
「そんなことはない。外面の良さとかな」
 ということは、あれほど人の好さそうな笑顔の内側は、やはり商人気質なのだろうか。フリーダは一度振り返る。
 玄関でまだ手を振ってくれていたアイゼンの父に、二階の廊下からもう一度手を振って別れた。
「でもアイゼンは外面も内面も同じじゃない。強くて格好いいわ」
「あんたには外面しか見せてないさ」
 進めていた足が一瞬、止まった。
 しかし行き交う使用人たちに指示を出しながら歩いていたアイゼンは、気づいていないようだった。
「悪いな。相手させて。主に金を出したのは親父だから、機嫌は損ねたくなかった」
「……いいえ、素敵なお父様だったわ。それにとても感謝してます。お父様に出資してよかったと思っていただけるよう、身を整えなきゃね。着飾ったあとに、きちんとまたご挨拶に伺うわ」
 慌てて言ったフリーダを、アイゼンが振り返る。勢い余って彼の背にぽふんと突っ込んでしまった。
「なんだ。もう褒美が欲しくなったのか? 屋敷の中はどこもかしこも親父の目だ。あんまり抱いてはやれねえぞ」
 そう言って一歩離れたアイゼンは、けれどぽんぽんとフリーダの頭を叩いてくれた。
 フリーダはアイゼンに叩かれた頭にそっと手をやると、小さく頷いた。心の奥底に刺さった棘を悟られぬよう。
 ――あんたには外面しか見せてないさ。
 馬鹿なことを言ってしまった。本物の恋人同士でもないのだから、内面を見せる必要なんて全くないというのに。
 フリーダにはもう、アイゼンに隠していることは何もない。
 だからきっと、彼もフリーダに隠し事なんかしていないと、本心で接してくれていると勝手に思い込んでしまっていたのだ。
 とんでもない自惚れに、恥ずかしくなる。
 アイゼンとフリーダは取り引き相手だ。
 取り引きに不要なものは、二人の間に存在しない。
 まがい物の恋人に感情は必要ない。
 わかっていたはずなのに、何故かチクリと、胸が痛んだ。

 使用人に手伝われ、入浴をすます。
 頰を火照らせたフリーダが出てきても、顔色一つ変えない男の後ろには一台のトルソーがあった。
 それはまるで、曙のようなドレスだった。
 抜けるような空とは違う。明け方の、まだ誰も起きていないひっそりとした静かな空だ。
 引きずるほどに長い裾にボリュームはない。しかし、何枚も重なった色違いのオーガンジーが繊細で、透き通るような空を見事に表している。
 青と薄紅が混じり合い、青色とも、薄紅色とも、また紫色ともいえない絶妙な色合いに仕立てられていた。
 胸元は明けきらない夜を思わせるような、深い深い闇色。夜の空から置き去りにされた星が、こぼれてきたようにクリスタルが散らばる。窓から入る陽に照らされ、見る角度によって目が眩まんばかりの輝きを放っていた。
 人知れぬ奥地でひっそりと咲く、朝露を宿したままの純粋な白百合。
 それはまるで、以前アイゼンが冗談交じりに言った、フリーダそのものだった。
「綺麗だろ。明け方の空――そこに咲く白百合は、フリーダ。あんただ」
 奪われていた視線をドレスから外して、アイゼンを見た。
「あんたが、四年間の間に築き上げた鎧だ。そして、家族の誰も知らない、あんたの努力の結晶」
 己の醜さを隠すためであっても、この四年間フリーダは血を吐くような努力を怠らなかった。常に笑顔を浮かべ、信頼を裏切る真似をせず、人の悪意にくじけず臍を曲げず、人の弱音を懸命に励まし、誰よりも理想の女子生徒であろうと振る舞った。
 完璧な淑女――〝白百合の君〟。
 それが、フリーダが自らの手で築き上げた鎧だ。
「怖じ気づくな。今のあんたが怯えることなんてなにもない。このドレスを着て、俺を身につけたあんたは……家族の誰も知らない、淑女だ。あんたは、あんたが望む通りに笑えるはずだ」
 気づけば抱きついていた。
 ガウンを羽織っただけのフリーダを、アイゼンが受け止める。
 喜びに胸が震えて、うまく言葉にできなかった。
「アイゼン、こんなっ、素晴らしい……」
「あとで針子にそう言ってやれ。このザトゥルン絹は生地が柔らかすぎて、随分と針を入れにくかったと言ってたからな。寝ずの夜を幾つも過ごしたらしい」
「ええ、勿論。勿論っ」
 ドアが開く音がした。使用人が気を利かせて廊下に出たのだろうが、フリーダは視線をやることさえできなかった。
「アイゼン、あなたは本当に最高よ」
 ありがとう、ありがとうと抱きついたまま声を詰まらせるフリーダを、アイゼンはひょいと抱き上げた。
 ソファに腰かけ、膝に横抱きにしたフリーダの頰を撫でる。アイゼンの手が、フリーダのこぼした涙で濡れた。
「男に雫を啜られたことは?」
 熱のこもった視線に、動悸が高鳴る。
 ――男はあんたの雫を啜る最初の男になれる日を、毎晩寝台の上で夢想する。
「涙を? そんなこと、あるはず……」
 一度にやりと笑ったアイゼンが何をするのか、フリーダはきっともうわかっていた。身を硬くするよりも先に、アイゼンは唇を寄せる。目尻に当てられた柔らかいそれは、小さな音を立ててフリーダの涙を啜った。
「ひっ……んん」
 触れる柔らかな唇と、肌を掠めた湿った舌の感触に、フリーダはあられもない声を上げた。快楽が背を這い、いつものように腰を抜かす。
「今はまだ、これで我慢するか」
 何がまだで、なにが我慢だというのか。
「……アイゼン。加減してちょうだい」
 窘めながら彼の肩に額をすりっと擦りつければ、髪が流れる。白いうなじが露わになる。
「褒美がすぎるわ……あなたなしで生きられないようにでもする気なの?」
「望むところだ」
「んもう」
 ぺしんと指先でアイゼンの胸を叩く。
 次から次へと心の許容量を超えることが起こって、フリーダは半ば放心状態気味のまま、トルソーを見る。
「……あんなに大人っぽいドレス、似合うかしら」
 素敵なドレスに気恥ずかしさを感じ、ちらりと盗み見ると、すぐにアイゼンの肩に顔を埋めた。
「あんたのためのドレスだ。似合うに決まってる」
「……この髪の色だし、今までドレスは淡い色しか持っていなくて」
 まだ若い娘だからと、明るい色を着せたがるのは何処の母親も同じ。特に、ミセスのような深みのある黒に近いシンプルラインのドレスを着せたがる親は、そうそういない。
 それに、昨今クリノリンを着けるようなドレスは花嫁くらいしか着なくなっているとはいえ、若い女性はもう少しペチコートで幅を広げたドレスを着ることが通例だ。
 デビューしたばかりの年若い娘が着こなせるのか、フリーダが不安になるのも仕方ない。
「このドレスの名前は、黎明というらしい」
「黎明?」
「頭の固い学者が使う言葉だ。通常は夜明けのことを指すが、もう一つ意味があると聞いた」
「教えてくださる?」
「なにかが、新しく動き始めることをいうらしい」
 しなだれていたフリーダが顔を上げて、アイゼンと視線を合わせる。
「兄貴を好きだったあんたが、変わるんだ。夜明けと共に」
 フリーダは唇をぐっと嚙み締め、不器用な笑みを浮かべた。
「……変われると思う?」
「変われるさ。現にあんたはこうして俺と取り引きをして、恋人になってる。体の隅々まで触らせるような」
「それは、採寸だったから」
 小さくかぶりを振ると、フリーダは再びアイゼンに身を寄せて顔を伏せた。首筋に頭を埋められた男は、片眉を上げてフリーダを見下ろす。
「それ以外では?」
「ほんのちょっとだけ……」
「へえ?」
 アイゼンはまるで好機を得たかのように、目前に晒されていたフリーダの白いうなじに唇を寄せる。
「アイゼンッ!」
「これも採寸のうちなんだろ?」
「ご褒美よ、それは」
 どこかチグハグな怒り方をするフリーダに、喉を鳴らしてアイゼンは笑う。
「着ろよ。似合うから」
 頰を真っ赤に染めてアイゼンの首元を睨んでいたフリーダが、ぐぐぐと歯を食いしばる。
 アイゼンが体を揺らして笑ったのが、気配でわかった。少ししてフリーダの頤を指で掬って、目線を合わせるために顔を上げさせる。
「それに、男は女を、自分の色に染めたいもんだ」
 ドレスの胸元を飾る黒と同じ色の瞳にそう言われ、フリーダは視線だけを横に向けた。
「それは、恋人契約の……つまりその、アピール的に、よね?」
「あんたの好きに取ればいい」
「もう! またからかって!」
「あんたがからかい甲斐があるってことは、否定しない」
 つり上がるアイゼンの口角を見て、フリーダは往生際よく白旗を揚げた。
 何から何まで、降参だった。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 落ち着かない。
 二本の棒を手際よく扱い、糸を引いて、掬い、抜いて、どんどんと面積を広げてゆく。
 ビリジアンの毛糸は、「フリーダの瞳の色に似ているから」と、実家から送られてきたものだ。
 何かを編もうと思っても、すでにクローゼットはアイゼンから贈られたもので溢れている。そこでいつものお礼にと、アイゼンにマフラーをプレゼントしようと思いたったのだ。
 素人の手習いだと伝えて提案したのに、アイゼンは大げさに喜んでくれた。「せっかくなら隣で編めよ」と言われたのは、仲良しアピールに繫がるからだろう。
 せっせと、冬のテラスで棒針を動かす。
 フリーダのガウンの上からは、アイゼンによってぐるぐるにショールが巻きつけられ、膝の上にもブランケットをかけられている。
 そして背中には――何故かアイゼンが防寒具のような顔をして、のしかかっていた。
 背中から包み込んでいるアイゼンが、フリーダの肩に顎を置いて手元を覗き込んでいる。その至近距離に――至近距離にあることがこちら側の契約条件のくせに――フリーダは耐えきれなくなっていた。
「……そんなに見つめられると、編み目を落としちゃうわ」
「ご謙遜を、〝白百合の君〟。シュトラール一の腕前との噂ではありませんか」
「やめてちょうだい。本当に落としちゃうじゃない」
 強張っていた顔をさらに強張らせて、フリーダは手元を凝視した。
 耳にかかる吐息を感じるたびに、棒がぶつかる。背中に広がるぬくもりを意識するだけで、何目まで編んだのかもわからなくなる。日頃は会話をしながらでもすいすいと動いていた手が、全く思うように動かない。
 いったい今までどうやってアイゼンと接していたのか、フリーダにはさっぱり思い出せなかった。
 手が触れれば火に触れたかのように払いのけそうになってしまうし、耳元で囁かれればしゃがみ込みそうになるし、腰に手を回されれば固まって立ちすくんでしまう。
 その全てを隠すために、いつも以上に強力な淑女の仮面を被った。
 恋心を隠すことには――残念なことに、長年親しんでいた。
「あったかいな」
「これだけくっついていれば」
「知ってるか。子供は体温が高いって」
「まあ。じゃあ、二人で寄り添っていれば真冬も怖くないわね」
「俺もかよ」
「これだけ甘えん坊しておいて、子供じゃないと言い張るつもりだったの?」
 がちがちに緊張した体に、どうか気づかないで欲しい。冬でよかったと、緊張を覆い隠してくれている防寒具たちに感謝した。
 少し離れて、と言うと不審に思われないだろうか。
 今までどう対応していたかさえ思い出せない。なんて言い訳を吐けばいいのだろう。
 ばれていないのは大変ありがたかったが、心臓への負担はすごかった。今すぐオーバーワークで、心臓が過労死を伝えてきそうだ。
「子供ならこんな風に、あんたを抱き締められないだろ」
 契約だからとわかっているのに嬉しい。
 なんてことなかったのに。男に触れる――それ以外の意味なんて今まではなかった。
 彼が私に触れるのは、私を欲してくれているからじゃない。
 私と同じ恋しい気持ちから、彼は私に触れているわけじゃない。
 これは取り引きなのだと、厳しく自分に言い聞かせなければならなくなるなんて。
「……アイゼン」
「どうした」
 彼が動くたびに、首筋の髪が擦れてくすぐったい。今まで与えられていた快楽とは違う、胸を締めつけられるような切なさが広がる。
「お願い……加減して」
 堪えきれない熱のこもった声が、空気を震わせた。
 耳が熱い。顔を見られていないとはいえ、後ろにいるアイゼンには赤い耳が丸見えだろう。
 フリーダの耳を見たらしいアイゼンが、息をのむ。
 数秒後、ぐしゃぐしゃとフリーダの背後で髪を搔きむしると、大きなため息をフリーダのうなじに吐きかけた。
「――アイゼンッ! 加減して!」
「あんたもな!」
 珍しくやけっぱちなアイゼンの声。疑問は残ったがそれ以上何も言うことができない。
「……はぁ」
「……はぁ」
 二人の深いため息が重なる。アイゼンはフリーダの肩に顔を埋めていて、ぴくりとも動かない。
 フリーダは前を向いて、黙々と編み物を続けた。

◇ ◇ ◇

 ――カラン
 寝る前に一度、小瓶を眺めるのが癖になっている。
 分厚いガラスの中に、磨き上げられた飴色の樹液が入っていた。以前、アイゼンにプレゼントされたものだ。触りすぎると壊れるかもしれないと思い、彼からの贈り物の中に紛れていた小瓶に詰めたのだ。
「フリーダ、明かり消してもいい?」
「ええ、お願い」
 ブランケットを肩にかけたまま、寝台へと腰かける。
 長年ひんやりとしたシーツの冷たさに身を縮こまらせていたのに、アイゼンが寄越した「ゆたんぽ」のおかげでずっと冬の夜が快適になった。
「んんん、あったかーい。私すっごい冷え性だから靴下ぐらいじゃてんで駄目で」
 向かいのベッドに眠るナタリエのベッドにも、ゆたんぽは収まっている。
 日々アイゼンに惹かれてゆくフリーダ。彼の役に立ちたいという気持ちは次第に強くなり、すでに見過ごせなくなっていた。
 しかし、契約を結んだ時に言ったように、友人を巻き込みたくはない――そう思っていたのだが、フリーダが初めてゆたんぽを使った時のナタリエの反応を見て決意した。
 意固地になっても、義理立てても、ナタリエの冷え性は治らない。
 アイゼンにもう一つ見立ててもらったゆたんぽは今、上機嫌なナタリエに抱き締められている。
「本当めっちゃ愛してる……ゆたんぽと結婚したい……」
「よしてちょうだい。私、あなたとゆたんぽの結婚式で仲人を引き受けたくないわよ」
「えっ、出てくれるの?」
 心底驚いた声色でナタリエが問い返してきた。
 卒業してしまえば、フリーダとナタリエを繫ぐ友情よりも身分差がものをいう。
 貴族の娘と、弁護士の娘。
 シュトラール学院が、騎士や聖職者、弁護士や商人といった中流階級の子女を受け入れ始めてすでに十数年――社交界でも、彼らの活躍が目立ち始めているが、未だ歴然とした格差は消えない。
 今のように気安い関係を続けるのは難しいことだろうが、フリーダはナタリエの結婚式に出席したいと思っていた。
「お呼ばれするつもりでいたわ」
「呼ぶ呼ぶ! 呼んじゃう! じゃあ絶対、フリーダに認めてもらえるような旦那捕まえる!」
 それはなんだか少し、違うのではないだろうか。
 フリーダはそう思いつつもベッドを抜け出すと、乱れたナタリエの掛け布団をかけ直してやる。
「……フリーダはさ」
 ナタリエが掛け布団を口元まで覆って、上目遣いで見てくる。
「なあに」
「……ちゃんとバーレが好きだよね」
 問いかけではなく、確認だった。
 月明かりが差し込むだけの薄暗い室内で、フリーダは曖昧な笑みを一つ浮かべる。
「将来とか、どうするの?」
「心配しないで」
 思っていたよりもずっと、冷たい声音だったことにフリーダ自身が驚いた。冷えた空気に留まることもなく、言葉は沈黙に沈んでいく。
 将来などないのだ。フリーダとアイゼンには。
 ――当然。卒業までの契約だ。
 貴族と商人を隔てる身分差よりも、大きな障害がある。
 そう、二人には身分差を乗り越えるための「愛」がないのだ。
 学院での恋は、卒業するまで。
 あまりにも自然に受け入れていた以前の自分は、無知だからこそ強かったのだ。あれほど真っ直ぐに、大人の強いた世界で生きていけるほど。
 摑んでいたブランケットが視界の隅に入り、心に隙間風が吹く。
 契約を望んでいるくせに、契約が辛くも感じる。
 手にしているこのブランケットも全て、契約の証。彼がフリーダの身を思って贈ったものではない。
「私、最初はさ。フリーダが選んだってわかってても、バーレのことあんまり信頼できなかったけど……最近は、けっこう好きだな。フリーダのこと大切にしてくれてるの、よくわかる」
「そうね。アイゼンは、優しい人よ」
 契約だから。
 恋人の真似をする、フリーダに触れる、そういう契約だから。
 彼の優しさがそれだけだったら、きっと……フリーダはこんなに彼を好きになることはなかった。
 アイゼンは一度たりともフリーダを見下さなかった。女のくせにと、こんな悪癖を持っているくせにと、蔑むこともなかった。
 彼はフリーダの精一杯を認め、そして――契約という縁を大事にして、フリーダを見守り、支えてくれた。
 どうして、好きにならずにいられただろう。
 体は心よりもずっと素直に触れ合いを受け入れる――もうずっと、最初から。
「フリーダ」
「なあに」
「綺麗になったね」
 フリーダは笑みを深くした。
「だいすき」
 せっかく温めていた布団から抜け出して、ナタリエがフリーダを抱き締めた。堪えきれずに、フリーダの体が震える。
 そして親友の前で初めて、フリーダは涙に濡れた吐息をこぼした。



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