猫かぶり姫と天上の音楽4 | 株式会社Jパブリッシング

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枯れた薔薇_カバー1

猫かぶり姫と天上の音楽4

もり / 著
由貴海里 / イラスト
ISBNコード 978-4-86669-124-4
本体価格 本体1,200円+税
発売日 2018/06/27
フェアリーキスピュア

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内容紹介

宗教国家サンドルの王太子ディオを迎え入れることになったマグノリア帝国。「ユシュタルの御使い」と言われる花を欲しがるサンドルの思惑に、花は不安を隠せない。そんな花を皇帝ルークは優しく抱き寄せるが、ディオは意味深な笑みを浮かべて二人を挑発してくるのだった。「せっかくだから皆で世界の命運を賭けたゲームでもしようか?」明かされるルークの過去と姿を消した兄の存在。創世神ユシュタルのもと、ルークは花を守るために全力を尽くす!
「ハナ、この指輪と共に私の生涯の愛を誓う。どうか私の妻となり、命ある限り傍にいてほしい」

立ち読み

 それは何の予兆もなかった。
 黄金色に輝いていた空がゆっくりと黒く塗り替えられていき、同時に昇り始めた満月を見た花は、セレナや護衛たちと月光の塔へ向かった。
 そして、祈りの間へと足を踏み入れた途端、全てが闇に閉ざされたのだ。
「……セレナ?」
 真っ暗な闇の中で、花は恐る恐るセレナの名を呼んだ。
 だが返事も気配も何もない。
 そこへ、誰かの気配を感じてはっと身構えた。
「ようこそ、花ちゃん。僕の世界へ」
「……殿下?」
「やだなあ、花ちゃん。ディオって呼んでって言ったのに。まあ、それも本当は僕の名前じゃないからいいんだけどね」
 闇に慣れてきた花の瞳に、ぼんやりと浮かび上がるディオの姿が映る。
「殿下……目が……?」
 うっすらと見えるディオの顔にはあの黒い布はなく、金色に光る双眸があった。
 しかし、その瞳は暗闇のせいか紅く濁って見える。
「ああ、そうだね。――ねえ、花ちゃん、知ってる? 本当の闇っていうのはね、とても深くて黒くて、血のように紅いものなんだよ?」
 ディオの声はとても楽しげに弾んでいるのだが、その纏う気に底知れぬ恐怖を感じて、花はおぼつかない足取りで後ずさった。
「何で逃げるの? 僕は花ちゃんと話がしたいだけなのに。なかなか近づけないから、こうして邪魔が入らない場所を用意したんだよ。もう時間もないしね?」
「では、お話は応接間でいたしましょう。出口はどこですか?」
「出口はないよ。もちろん入り口も。ここは僕の世界――とても深い闇だからね」
「それは……? とにかく、陛下がすぐに迎えに来てくれますから」
「だから無理だって言ってるでしょ?」
 ディオはその鈍い金色の瞳を輝かせて徐々に近づいて来るのに、花の足は竦み、体が震え、どうしてもその場から動くことができなかった。
 心の恐怖に呼応するかのように闇が蠢き、花へと纏わりつき始める。
 それでも花は必死で抗った。
 約束したのだ。ルークを信じると。
(――大丈夫! ルークは必ず来てくれる!)
 その想いを胸に強く抱いて凍りつきそうになる心を奮い立たせ、目の前にいるディオを睨みつけた。
「いいえ! 私はルークと帰ります!」
「だから無駄だって……」
 嘲笑するディオを無視して、花はかすかに輝いた右手小指の指輪を包み込み、強く強く願い、強く強く心を寄せて、その名を呼んだ。
「ルーク!」
 瞬間――花から眩い光が放たれた。
 曇りなき花の澄んだ呼び声は力となり、清らかな光となって、闇に馴染んでいたディオの瞳を貫く。
 そして光は闇の中で一条の道となり絆となって、ルークへと繫がった。
「――ハナ!」
「ルーク!」
 花とルークの信じる心は世界さえも乗り越えて通じ合い、触れ合った。
 光に眩んだ目を何度か瞬かせてそんな二人を見たディオは、忌々しげに顔をしかめる。
「……だからさ、本当にこの国の人間は礼儀を弁えていないよね。いい加減に他人の空間に許可もなく押し入るのはやめてくれないかな?」
「それは失礼した。大切な妃を下種な野郎と二人きりにするのは心配だったもので」
 酷く不満げなディオの非難にも、ルークは花を守るように抱きしめたままさらりと答えた。
「下種ってあんまりじゃない? 僕はただ花ちゃんと二人で話がしたかっただけなのに、やっぱり過保護だねぇ。まあ、せっかくだから皆で世界の命運を賭けたゲームでもしようか? でも、三人じゃつまらないし、もう一人呼んでさ。ねえ?」
 ディオがどことも知れない空間に向かって柔らかく声をかけると、暗闇はかすかに滲み、新たな人物が姿を現した。
 ローブを目深に纏ったその姿は、以前セルショナード王城で見かけた筆頭魔術師だったクラウスであるように花には見える。
 しかし、ゆっくりとローブを下ろしたその人物は、闇の中でもかすかに輝くプラチナブロンドの長い髪をさらりと揺らして穏やかな微笑みを浮かべた。
「久しぶりだな、ルーク」
「――兄上……」
 苦しそうに吐き出されたルークの声は、痛いほどに強く花を抱きしめる腕とは逆に、とても弱々しいものだった。
「久しぶりの再会に涙はいらないのかな? それとも言葉はいらない?」
 楽しそうなディオに応えて、ルークの兄――フランツはさらに笑みを深めた。
 その面差しはルークによく似ているが、ローブの下から覗く首には蔦のような黒い痣が浮かび、紅く光る瞳には狂気が滲んでいる。
「ルーク、あれからずいぶん苦労したのだろう?」
 縋るように強く自分を抱きしめるルークの腕に、花は優しく手を添えた。
 花自身、死んだと聞いていたフランツが現れたことに酷く動揺していたが、それ以上にルークを想う心が花を強くさせていた。
 その温かな手から伝わる花の気持ちに慰められ、ルークはゆっくりと息を吐いて乱れた心を落ち着かせると、穏やかな口調でフランツに答えた。
「兄上、お久しぶりです。しかし、兄上はずいぶんお変わりになられた。涼やかだった気も澄んだ紺碧に輝く瞳も……今は禍々しいほどに紅く燃えておられる」
 ルークの言葉にフランツは小さく笑い出した。
 その笑い声は耳に障るほどに響き、仄かに明るくなっていた世界が再び闇に閉ざされていく。
 胸に広がる不安を花が懸命に抑えてルークの腕を強く握り締めたその時――グラリと世界が傾いた。
「これはお前に対する憎悪、世界に対する厭忌に染まったもの!」
 フランツの怒りをあらわにした重い声が聞こえると同時に、閉じていた瞼の裏に閃光が瞬く。
 どうにか目を開けた花は、世界ではなく自分がルークに抱かれたまま空間を移動していることに気付いた。
「ハナ、大丈夫か?」
「……はい、大丈夫です」
 何もできないのなら、せめてこれ以上足手まといになりたくなくて、怯えて震えそうになる体を必死に抑え微笑んで見せた。
 支えてくれるルークの腕はとても力強く安心できるのだから、不安に思うことなどないのだ。
 ルークは花の返事を聞くとすぐにフランツへと厳しい顔を向け、きつく歯を食いしばった。
 花を庇いながら、何度も繰り出されるフランツからの攻撃をかわすルークは、それでも反撃することなく、ただ防御に徹している。
「娘を庇い、世界を庇い、そして私を庇わねばならぬとは難儀だな、ルーク。お前はいったいどれほどのものを背負う?」
「兄上は……信じたものは最後まで守り抜けとおっしゃった。私はそのお言葉を信じているのです!」
 嘲笑するフランツに、ルークは強い決意を返した。
 しかし、残念ながらフランツの心には届かない。
「ルーク、お前はあれもこれもと欲張り過ぎだ。それでいつも全てを失う。さて、今度は何を迷い、何を間違う?」
「確かに、私は今まで迷い間違ってばかりでした。ですが、もう迷うことはありません。私はハナと、大切な者たちと生きるこの世界を選んだのですから」
 攻撃の手を止め、涼やかに笑んで問うフランツにルークははっきりと答えた。
 同時に、手のひらから輝く光の弾を放つ。
 だが、フランツはそれをあっさりとかわし、光の弾は一閃して闇の中へと消えていった。
 その直後、真っ暗な闇が滲み、ディオの世界はまた新たな訪問者を迎えた。
「――遅いぞ」
「申し訳ございません、陛下。手配していた物がなかなか届かなくて」
 ルークの叱責に謝罪と弁明の言葉を述べる新たな訪問者――ディアンを見たディオは、今まで嬉しそうにほころばせていた顔を酷く嫌そうに歪めた。
「君を招待した覚えはないけどね? まったく、本当にマグノリアの人間は無礼な者ばかりだよ」
「おや、参加者が多いほうがゲームは盛り上がるものでしょう?」
 答えたディアンはフランツへと向き直り、爽やかに微笑んで軽く頭を下げた。
「お久しぶりです、フランツ殿下。最後にお見かけした時には、そのお命も尽きたものかと思いましたが、どうやら私の判断が誤っていたようですね。そのような醜態を晒していらっしゃるとは殿下らしくもない。やはり私が止めを刺すべきでした」
「……相変わらずお前には苛々させられるよ、ディアン。私と同じ――いや、私以上にサンドルの血を受け継いでいながら、のうのうと生き続けているのだからな」
「偶然ですね? 私も殿下の善人面にはずいぶん苛々させられていましたよ」
 薄闇の中で交わされる会話はとても穏やかに聞こえるのだが、その冷たく凍りそうな内容に花はただルークの腕の中で黙っていることしかできなかった。
 ディアンの登場に嬉しさと驚きを感じながらも不安に思う花の気持ちを察したルークは、宥めるように華奢な肩を優しく撫でた。
「ディアン、再会の挨拶はもう十分だ。それで、皇宮の様子は?」
「問題ありません。少々の誤算はありましたが、それでも予てよりの手筈通りに近衛を中心として万全の態勢をとっており、力なき者たちはジャスティンと警備兵の誘導によって安全な場所への避難を進めています。もちろんセレナたちも無事ですよ、ハナ様」
 最後に添えられたディアンの言葉に、花は大きく安堵の吐息を漏らした。
 しかし、ディオは不満そうに唇を尖らせる。
「なんだ、ばれてたのか。つまらないな」
「……ディアンの部下たちは非常に優秀だ。それに……兄上が《虚無》へと注いでいた力を、各国の王たちを操るために移されたお陰で、私にはかなりの余裕が生まれた。気付かれぬように色々と探れるほどには」
 事も無げなルークの話を聞いてディオはぼやいた。
「参ったな。これは一本取られたようだ。じゃあ……国境の守りも万全なんだ?」
「当然リカルドにも協力してもらい、簡単には侵入できぬほどの結界を各国が挙兵したとの報告と同時に張っている」
「……各国の軍兵たちと違って、皇宮を囲む兵たちにはかなりの力を分け与えたのだが……さて、近衛たちだけで守り切れるかな?」
 フランツの問いかけに、花ははっと息を呑んだ。
 セルショナード王城で目の当たりにした、闇に沈んだ兵たちのことを思い出したのだ。
 恐怖に震え動揺する花を、ルークは強く抱き寄せた。
「近衛も警備兵たちも、ハナの紡ぎ出す音色によって、魔力の器を輝かしいほどに満たしています。その者たちが醜い闇に囚われた者に劣るはずがありません」
 ルークは真っ直ぐにフランツの紅い瞳を見据えて答えた。
 だが、なぜかディアンは小さくため息を吐く。
「まあ、お陰でこちらが私の手元に届くのが遅くなったのですけどね」
 そう言ってディアンはずっと手にしていた物を持ち上げて皆に示した。
 ディアンが何かを持っていたことに、今まで花は気付いていなかったが、それはディオもフランツも同様だったのか、訝しげに眉を寄せる。
「やはり今回もケヴィン(仮)の勝ちか……」
 ルークの呟きにディアンは珍しく悔しそうに頷くと、厳重に包んである布を取り去った。
 そこに現れたのは、青銅鏡のような古ぼけた小さな丸い鏡。
 くすんだ鏡面を見た花は首を傾げたが、ディオとフランツは忌々しげに顔をしかめた。
「どうしてそれを?」
 ディオの苛立ちを含んだ問いに、ディアンは再び爽やかに微笑んで答えた。
「陛下もおっしゃったように、私の手の者は非常に優秀ですので。――ああ、そうそう。手の者と言えば、私の部下には転移すらできない者がいるのですが……。その者は逃げ足だけは早く、捕らえてもその場で首でも刎ねない限り、すぐに逃げ出してしまうのですよ。ですから陽動には重宝しています。名前は確か……今はケヴィン・アーテスと名乗っていたでしょうか? 彼のお陰で他の者たちも動きやすく、こうして皆が任務を全うできるのですからありがたいですね」
 以前口にした自分の言葉を真似るディアンに、ディオは歪んだ笑みを浮かべた。
「……やられたね」
 ディアンはさらに笑みを深めて手に在る鏡をルークへと差し出した。
「陛下がご決断してくださったお陰です。こうして貴方がたを誘い出すことができ、神殿からこの鏡を簡単に持ち出せたのですから。しかし、この騒動で逆に皇宮へ入り込むのに苦労したようですよ、陛下」
「……だから、ちゃんと手続きを踏めと言っているだろうが……」
 ルークは鏡をちらりと窺いながらも呆れたように答えたが、すぐにその顔を後悔に曇らせて花へと向けた。
 花を必ず守ると約束したのに、危うく見失うところだったのだ。
「すまない、ハナには怖い思いをさせてしまった」
「いいえ、大丈夫です」
 大きく首を振って微笑んだ花は、ルークの手元に視線を落とした。
 今まで黙って成り行きを見守っていたが、やはり花にはこのくすんだ鏡が何なのかよくわからず気になるのだ。
「ハナ、これはサンドル王家に伝わる宝鏡だ。ヴィシュヌが苦難に面した時、光を放ち神の力を与えた物だと言われている」
「ええ!?」
 ルークの説明を聞いた花は驚きのあまり声を上げた。
 今までの会話から推察すると、この鏡はサンドルの神殿からディアンの部下が盗み出したのだろう。
 だが、ディアンにもルークにも罪悪感はまったく見られないどころか、むしろ堂々としており、ディオもフランツも一瞬動揺を見せはしたが、今は余裕の笑みさえ浮かべている。
 どうにも状況が理解できない花にディオが朗らかに微笑みかけた。
「花ちゃん、別にいいんだよ。それは言い伝えられているような代物じゃないからね。ほら、為政者ってのはどうしても権威の象徴を必要とするからさ。それでちょっと力を加えただけの、ただの紛い物にすぎないんだよ」
「え――」
「では、惜しくもないな」
 ルークは戸惑う花を強く抱きしめて、ディオへ冷ややかに答えると、あっさりと鏡を手放した。
 それから啞然とする花の耳へ、どこか遠くから鏡の砕ける甲高い音が届き、同時に深い闇がかすかに蠢き淡く滲んだのだった。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「君たち人間は愚かにもずっとユシュタルを唯一神として信じ、崇めてたんだよね? だから僕の存在を知るのはほんの一握りの者たちだけ……。僕はね、僕という存在を自覚した瞬間から、同じく神として存在するユシュタルを憎んだんだよ。――創造と破壊、光と闇。相反するものが、僕たち双生神の性だから仕方ないのかな? ……にしても、君まで気付いていたとはね。えーっと、なんだっけ? ルカ……まあ、ルカ君でいいか。でさあ、さっきから君ってずいぶん失礼だよね?」
 つらつらと語るクラウオスの口調は軽いものだったが、纏う気は急激に鋭さを帯び、花にもわかるほどに圧力を増していく。
 ルークは守るように花に回す腕に力を込めると、淡々と答えた。
「王太子と名乗る人物はエヴァーディオではないと、アンジェリーナ殿がお前と面会した時に気付かれた。それで……リカルドから聞いたユシュタルと対をなす神の存在だと想定すれば、今までの忌まわしき全てのことが符合する」
「ああ、そうか……。アンジェリーナといい、クリスタベルといい、これだから勘の鋭い女は嫌いなんだ。僕の遊びをことごとく邪魔してくれるんだよね。――あの時、アンジェリーナが逃げ出さなければ出来損ないの君たちでなく、完璧なサンドルの双子が滅びを招いて世界はさっさと終わるはずだったのになあ」
 残念そうにぼやくクラウオスの言葉が、切れそうなほどに張り詰めた闇の世界に響く。
 そこに、珍しく険を帯びたザックの声が上がった。
「じゃあ……予言者を狂わせ、先王を狂わせたのは? クリスタベル様に呪を施したのは?」
 その問いにフランツがわずかな反応を見せたが、答えたのはやはりクラウオスだった。
「君たちの国――セルショナードにはあの忌々しい剣があったからねえ。ヴィシュヌの七宝なんて馬鹿げた捏造品の中であれだけは本物だった。それでサンドルの王女を何度送り込んでも、生まれる子に僕の血がなかなか浸透しなくて目障りだったからさ。リコ君のお父さん――先王にいたってはユシュタルの血が濃すぎて、僕の力を与えたフランツが直接出向いて闇の力を使わなければ操れないほどだったし。でも、クリスタベルへの呪は僕じゃないよ? あの予言者と呼ばれていた女魔術師さ。彼女は先王のことが好きだったんだよ。だからリカルド君が生まれた時、先王を殺しちゃうなんて噓の予言をしたくらいさ。しかもそれが本当になっちゃうんだから、もう執念だよね。こわー」
 ようやく知った真相に顔をしかめて黙り込んだザックから、クラウオスはルークへと得意げな顔を向けた。
「嫉妬、不安、恐怖。これらの感情はどんなに人が希望を持とうとも、消し去ることのできない闇の部分だからね。そこにちょっと悪意の種を植え付ければ、人はそれをすぐに芽吹かせて大きく育てる。ルカ君のお母さんだってそうさ。君を孕んだ不安、周囲からの妬み、肉親からの期待、それらに耐えられなくなって恐怖の種を大きく育てて狂っちゃった。ああ、でも僕がちょっとばかり、眠っている彼女の耳元で囁いたせいもあるかな」
「ルーク……」
「大丈夫だ」
 悪意の種は今も毒を含んで蒔かれている。
 だが、ルークは心配する花を見下ろして穏やかに微笑んだ。
 それでも高まる緊張に誰もが身構えていたのだが、相変わらず空気を読めないアポルオンがあることを思い出して口を開いた。
「なあ、ザック。お前、あいつからもらったあれ、どうしたんだ?」
「へ? あれ?……あ、ああ! そういや、そうだったな。どこにやったっけ? えーっと……」
 アポルオンに問われていつもの調子に戻ったザックは、ぶつぶつと呟きながら懐を探り始めた。
 それを皆が怪訝そうに見つめる。
「……あれ?」
 状況にまったくそぐわない態度のアポルオンとザックのお陰で、わずかに弛んだその場の空気にほっとして、花は疑問の声を上げた。
「そうそう。ハナ様ってば、聞いてくださいよ~。私ね、マジで死にそうになったんすよ。アポルオンも隣に寝転んで動かないしで、あと少しで死ぬな~って時に、ヴィートってやつが通りがかりましてね? んで、治癒魔法を施してくれたお陰で助かったんですよ。すごいですよね? あいつ人間なのに森に馴染みすぎ」
「……」
 ザックからセインの長男であり、行方不明中のヴィートの名が出た途端、今までとは違った不自然な沈黙が漂い始めた。
 しかし、ザックはおかまいなしに続ける。
「どうにか起き上がれる程度には回復して、礼を言おうとしたら、あいつが『甘い匂いがする』ってんで、そういや娼館でもらった糖菓子を巾着に入れっぱなしだったなあって……お、あったあった」
「……」
 結局、懐ではなく、腰に下げたその巾着からザックが取り出したのは、先ほどルークが割った鏡とよく似た鏡。
「ヴィートって、青い鳥が集めてるって言う、幸せの甘い蜜を求めてずっと森で暮らしているくらいに甘いものが好きらしくて。で、糖菓子をあげたら、お礼にこれをくれたんですよ。俺たちが魔族の鏡を求めて森に入ったって話したから、これじゃないかって。それにしても、ヴィートのやつ、何をどう間違えたのか、青い鳥と勘違いしてこの鏡を捕まえたそうっす。おかしな奴ですよね? あ、今のシャレですよ? という訳で、今回の勝負は引き分けってことにしてくれたら嬉しいんですけど?」
「……」
 ニカッと笑うザックの手元にある碧い鏡を、誰もが黙って見つめた。――アポルオンだけは盛大に笑っていたが。
 そんなザックとアポルオンの底抜けに明るい笑い声の中に、ぽつりと小さな声が紛れて落ちる。
「あいつか……」
 それは、ルークでもディアンでもなく、苦々しい表情のフランツのものだった。



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