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運命の恋人らしいですが、全力でご遠慮致します

鬼頭香月 / 著
椎名咲月 / イラスト
ISBNコード 978-4-86669-267-8
定価 1,320円(税込)
発売日 2020/01/27
ジャンル フェアリーキスピュア

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内容紹介

王太子殿下と《運命の恋人》となる、さだめ認定されてしまった!?
いえいえ、やっかいなだけなんですけど!
運命を全力で拒否ろうとする侯爵令嬢と、一途な想いで追いかける王太子。魔法の国で巻き起こる王宮ラブコメディ!
聖印伝説のために王太子ハーラルトと「運命の恋人」認定されてしまった侯爵令嬢のリリー。彼と深い愛の絆で結ばれていると言われ大混乱するものの、聖印のやっかいな副作用のせいで窮地に追い込まれて逃げるのもままならない。その上ハーラルトは何故か昔からリリーを知っているようで……「私は貴女との約束を守るつもりでいるんだよ」と意味深に優しく微笑まれ心乱れてしまう。しかし、リリーには聖印にまつわる人に言えない秘密があって!?
「お願いだ。どうか、運命の恋人となる契約を結び、俺の妻になって欲しい」

立ち読み

「突然訪ねてしまい申し訳ない、ノイナー侯爵夫人、リリー嬢。また連日の王家からの問い合わせも、迷惑をかけてすまなく思っている」
 いきなりの王太子登場に、母も使用人たちも驚きを顔に乗せた。
 女主人である母はすぐに我に返り、スカートを摘んで挨拶をする。
「お目にかかれ、光栄でございます、ハーラルト王太子殿下。こちらこそ、連日のご来訪にもかかわらず、御使者様には同じ答えばかりをお返しすることとなり、申し訳なく存じます」
 母の動きにはっとして、使用人たちも一様に頭を垂れた。彼は、ちらっとリリーに視線を戻す。
「……悪いのだが、少しリリー嬢と話をする時間をもらえないだろうか。簡単な確認を取りたくてね」
「……ご確認とおっしゃいますと……?」
 母が訝しそうに尋ね、ハーラルトは胸の前で腕を組んだ。軽く片手で口元を押さえ、視線を足下に落とす。彼は考え込んだだけのようだったが、その仕草は品ある洗練されたもので、メイドたちが熱っぽいため息を零した。一国の王太子だ。間近で見られる機会は少なく、彼女たちの興奮も多少なり理解できる。
 でもハーラルトは熱い眼差しなど慣れっこなのか、全く気にしていない顔つきで母と使用人たちを見やり、掌に杖を呼び出した。何か魔法を行使してから、首を傾げる。
「いや、何。どう考えても私の運命の恋人は彼女なのだが、何度確認しても当人が認めてくれないようなので、直接会って確かめようと思ったんだ」
 リリーは目を点にし、母はぽかんとした。
 彼の声は、水中で話されているような反響音を伴っていた。これは、己の言葉を対象者以外に聞こえないようにする、『秘密のお話』という魔法だ。彼の声が聞こえているのは、リリーと母だけのようである。
 ――王太子殿下の、運命の恋人……?
 リリーは頭が混乱して、彼の言う意味がわからず、首を振った。
「……何かの、間違いでは」
 母も額に汗を滲ませ、首を傾げる。
「わ……私どもの娘が、殿下の運命の恋人だなんて、そのようなおこがましいことは……」
 ハーラルトはふっと息を吐き、艶ある笑みを浮かべた。
「……なぜだろう? まあ、聖印を宿すなど奇跡だ。運命の恋人だと考えるのは、一般的ではないかな。けれどリリー嬢は外務大臣を任じられたノイナー侯爵の娘だ。私の妻として迎え入れるに、何の支障もないと思うが?」
「リリーを、殿下の妻に……」
 母は何を思ったのか、黙り込む。リリーは話についていけず、茫然自失だ。
 ハーラルトはこの場にいる全員の理解を待たず、リリーに向き直った。リリーが肩を揺らし、一歩退くと、ハーラルトはにこっと、煌びやかな笑みを浮かべる。
 彼女が退いた分、一歩距離を詰めて、優しく言った。
「そう怯えないでくれないか、リリー嬢。何も怖いことなど起きないよ。今日はただ、聖印の出現を確認したいだけだから。……貴女も聖印特有の、副作用に悩んでいるだろう?」
「聖印特有の、副作用……?」
 リリーの声は震えていた。
 ハーラルトが現れた時点で、身の内では、形容しがたい気持ちが溢れ返っていた。胸が切なく締めつけられ、再び彼の顔を見られた喜びに満ちている。合わせてリリーの日常を乱している数々の症状が増幅して、全身を襲っていた。
 リリーと視線を重ねたハーラルトは、一度目を逸らし、ため息を吐く。
「……ああ、やはり。これはキツい……」
 苦しそうな声で呟くと、大きく息を吸い、顔を上げた。また杖を振り、何か魔法を行使する。
「すまないが、ここからは貴女と私だけの内緒話だ」
 リリーは会話に加わっていた母に目を向けた。母は『秘密のお話』の魔法から抜けてしまったらしい。
 ハーラルトは母の様子を確認してから、リリーに甘く微笑みかける。
「聖印の副作用を説明しよう。その症状は『餓え』と言ってね、まず一番顕著なのは、動悸」
 リリーは彼の笑みにドキッと鼓動を跳ねさせ、返答はせずに一歩下がった。
 聞き覚えのない症状の話を始めた彼は、杖を消し、穏やかな表情でまた一歩近づく。
「次いで脈拍の増加による、息切れ」
 リリーは更に一歩下がり、心の中でその症状もある、と頷いた。彼はまた一歩詰め、困り笑顔で続ける。
「これは私にとって割と大きな問題なのだけれど、集中力の欠如に、不眠も伴うね。思考はまとまらず、気がつけば一人の人間について考え続け、使い物にならない」
 リリーはいつの間にか、エントランスホールの壁際まで後退していた。これ以上下がれない彼女に、ハーラルトは靴音を鳴らしてゆっくりと近づいていく。彼との距離が近づく毎に、リリーの顔は真っ赤になっていった。
 瞳は彼一人しか映し込まず、鼓動はうるさく騒ぐ。
 ハーラルトはどう見ても、素敵な青年だった。
 背は高く、均整の取れた肢体。銀糸の髪はさらさらで、瞳は切れ長。高い鼻に形良い唇。苦しそうに胸を押さえたその動作さえ、恰好いい。
 リリーはこみ上げる感情に抗えず、瞳を潤ませて、うっとりと彼に見入った。
 ハーラルトもまた、平静とは言いがたい表情で彼女に見入る。
 熱くリリーだけを見つめ、切なげに瞳を眇めた。そして両腕を伸ばし、壁際に追い詰めたリリーを、自身の腕で囲ってしまう。
 フェアトラーク王国では現在、政略結婚と恋愛結婚の割合は半々だ。恋愛結婚は幸福なことだと考えられているが、貞操観念は、政略結婚が主流だった時代から変わっていなかった。
 未婚の男女は二人きりになるべきではなく、たまたまでも、二人だけの場面を他者に見られれば、男性は責任を取らねばならないのが慣例だ。
 リリーは、頭の片隅でこれはよくないと思う。屋内とはいえ、母や使用人、そして王家の臣下らが見ているのだ。衆目の中で堂々と迫られている恰好になり、これではリリーは、王太子のお手つきだと、ありもしない噂が流れかねない状況だった。
 視界の端に、震える指先で唇を押さえる母の姿が見える。しかし王家の臣下らは、平然と主人の動向を見守り、注意する気配もなかった。
 その主人の方も、己の行動に全く疑問を抱いていない顔つきで、腕の中のリリーに静かに問いかける。
「……リリー嬢。なぜ貴女が認めないのか、私には理由を想像できないのだけれど、それは横に置いておこう。とにかく私たちは、一刻も早く契約をするべきだと思う。――お互いの、平穏な日常生活を取り戻すためにも」
 リリーは、浅くなった呼吸を楽にするために、薄く唇を開いた。ぷっくりとして艶やかなそれに、ハーラルトの視線が注がれる。彼は眉根を寄せ、苦しげに尋ねた。
「……聖印を授かっているのだろう、リリー嬢……?」
 刹那、リリーの頰が強ばった。
 ――聖印。
 破廉恥な願望のある自分を、この世の誰にも知られたくない。
 恋愛経験のない、恋に憧れのあった少女だからこそ、彼女の羞恥心は人一倍だった。
 リリーは失望される未来を想像して、唇を震わせる。認めてしまいたい衝動を堪え、彼女は一生懸命に首を振った。
「……い、いいえ、殿下……、私は、聖印など授かっておりません……」
「――」
 ここまで、甘ったるくも優しい笑みと声音でリリーに質問していたハーラルトは、表情を失った。数秒黙り込んだのち、やや低い声で問う。
「――なぜ認めてくれないのだろうか」
 彼の声から反響が消えた。集中力が切れたのか、急に彼の魔法が解除されていた。二人の声が聞こえだし、周囲が聞き耳を立て始めたのを感じる。
 リリーは必死に、自身の欲求に抗った。今にも彼の胸に飛び込んでしまいたい、説明不可能な衝動に襲われていたのだ。小刻みに震えながら、たどたどしく答える。
「さ、授かって、いないからで……っ」
 返答の途中で、ハーラルトはカッと目を見開き、幾分声を荒らげた。
「どう見ても授かっているだろう……っ。そんな顔をして、偽りが通じるとでも……!」
 そんな顔……――?
 ハーラルトの勢いに押され、言葉をなくした彼女は、瞳にじわりと涙を滲ませた。両手で頰を覆い、今にも泣きそうな顔になる。
 ただでさえあんなはしたない場所に聖印を授かったのだ。この上、顔までおかしなことになっていたら、立ち直れなかった。
 どんな返答をしたらよいのかわからず、唇を震わせるしかない。
 二人を離れた場所から見守っていた近侍・オリヴァーが咳払いをした。
「殿下。紳士の面が剝がれています。リリー嬢が泣きそうですよ」
 ハーラルトはリリーの瞳に視線を注ぎ、ぎくっとした。さっと顔を背けて、不自然に深呼吸をする。
「……すまない。泣かせるつもりは……。このところ動悸が収まらず、睡眠不足で平生通りにいかなくて……」
 元の優しい声音に戻り、リリーはほっとした。
 ハーラルトも自分と同じく、毎日落ち着かず、動悸や不眠に苦しんでいるらしい。
 どうして――? と考えた彼女は、やっと、彼も自分と同じ聖印を授かっているのだと思い至った。彼の出現でまともに思考ができず、自身と対になる相手が王太子だとは、気づかなかったのだ。
 リリーは眉尻を下げ、ハーラルトの頰に手を伸ばす。
「大丈夫ですか……? 症状が治まるお薬などはないのでしょうか……」
 この症状は辛い。治したい気持ちは理解できると、彼女は心から心配そうに確認した。
 ハーラルトはリリーを見下ろす。王都に出回っている肖像画では、美しいばかりだった藍色の瞳の奥に、抑えようのない炎が灯った。
「……治める方法はある。口づけの契約さえできれば、万事解決だ」
 言いたくても言えない場所に聖印を授かったリリーは、びくっとハーラルトの頰から手を離す。震える手で己の口元を押さえ、俯いた。
 ――あんな場所に、出会って二度しか顔を合わせていない王太子殿下が、キスをするだなんて!
 動揺のあまり目が泳ぎ、彼女は頰を赤く染めてまごつく。
 それはいかにも、初心な少女が不安に瞳を揺らし惑う、大変可愛らしい仕草だった。
 彼女の動作を無言で眺めていたハーラルトは、壁についていた掌を拳に変える。堪えきれないような微かな呻きを漏らし、ぼそっと言った。
「……好きだ」
「――」
 リリーの鼓動が、今日一番に大きく跳ね上がり、周囲がざわめく。
「まあ、お嬢様ったら、王太子殿下までお射止めに……!?」
「こんな人前で、口説かれるとは……」
「殿下は、お嬢様を娶るおつもりか……!?」
 厳しい貞操観念のあるこの国では、人前で直接的に女性を口説く行為は、実質結婚の申し入れに近かった。王族である彼がそれを知らぬはずもなく、事前になんの情報も報されていなかった使用人たちは、落ち着きを失う。
 だが周りの声は、リリーの耳に届いていなかった。彼女は俯いたまま目を見開き、胸を押さえる。
 ――好き……?
 ハーラルトと出会って以来、リリーの胸は騒ぎ、気を抜くと彼のことばかり考えてしまっていた。顔を合わせればその姿に鼓動が乱れ、瞳は潤み、熱いため息が零れる。
 ずっと、わけがわからないと感じていた全てが、今、ストンと理解できた。
 リリーは、ハーラルトに恋をしているのだ。出会った瞬間、恋に落ちてしまった。そして彼も、リリーを好きだと言う。
 経験したことのない速さで鼓動が乱れ、リリーは再び頭が真っ白になりかけた。なんとか冷静になろうと考えを巡らせ、拳を握る。
 ――私が、ハーラルト殿下を好き……!? でも、突然恋に落ちるなんて、それじゃまるで一目惚れだわ……っ。
 一目惚れだけは避けようと考えていた彼女は、己の恋心に納得がいかず、そして我に返った。
 ――違うわ。これは、聖印のせい。
 聖印を授かったから、ハーラルトに惹かれているのだ。本当の恋とは言いがたい。それに彼は恐らく、隣国姫と政略結婚をするはず。
 リリーは動揺しきった顔を上げ、使用人たちに首を振った。
「何かの、間違いよ……っ。ハーラルト殿下は、エレオノーラ姫とご婚約されるはずだもの……っ」
 けれど切なげな彼の告白が記憶に鮮明で、首元まで真っ赤になってしまう。心は恋情に染まり、その気になれば触れてしまえる距離にあったハーラルトの顔に、息を震わせた。
 彼は、目を見開いてリリーを見つめている。
 ――恋人でもないのに、こんなに近くにいるなんて、間違えている。
 僅かに残った理性の声に従い、リリーは渾身の力で彼の胸を押した。
「……っリリー嬢……!」
「わ、私は聖印なんて授かっておりません! どうぞ他を当たってくださいませ……!」
 彼女は駆け出し、呼びとめる声に振り返りもせず、王太子の元から逃げ去ったのだった。

 柔らかな栗色の髪と、レースも愛らしいスカートを揺らして、リリーはエントランスホールから二階へと続く大階段を上る。ハーラルトは、彼女が屋敷の奥に消えるまで見送り、ため息を吐いた。
 そして先ほどまでの情熱的な態度が噓のように、いつもの涼しげな貴公子の顔に戻って、リリーの母・エリーザに声をかける。
「申し訳ない、ノイナー侯爵夫人。どうやら彼女を驚かせてしまったようだ」
「え……ええ。あ、い、いいえ、滅相もございません」
 エリーザはその通りだと答えかけて、言い直した。
 ハーラルトは彼女の戸惑いなど一切気づいていません、という顔で、穏やかに尋ねる。
「ところで先ほど、使用人の何名かが、リリー嬢が王太子まで射止めたというようなことを言っていたと思うのだが……リリー嬢には、すでに他家より申し込みがあるのだろうか?」
 結婚の申し込みの有無を確認すると、エリーザは一度間を置いてから頷いた。
「はい。お恥ずかしながら、十八歳になるこれまで、娘には一切そのようなお話はございませんでしたが、先日お招き頂いた園遊会より、目にとめてくださったお家がいくつか……」
「そうか」
 ハーラルトは短く頷くと、前髪を搔き上げる。冷えた表情であらぬ方向を見つめ、しばらく考えたあと、気を取り直した顔でエリーザに微笑みかけた。
「……驚かせてすまなかった。後日改めて、王家より説明をしよう。それまで今日の出来事は、他言無用にできるだろうか?」
 ハーラルトの瞳は、エリーザから背後に控える使用人たちに向けられた。
 王太子から暗に黙っていろ、と命じられた使用人たちは、全員びくっと肩を揺らす。蛇に睨まれたカエルがごとく、一斉に頷き返し、ハーラルトは笑みを深めて頷いた。
「ありがとう。それではノイナー侯爵夫人、またお会いできるのを楽しみにしている」
 彼はエリーザに歩み寄り、手の甲に軽く口づけて挨拶をすると、ノイナー家の人々に背を向けた。
 エントランスホールの扉口付近にいた近侍と近衛兵は、自分たちの元へ戻ってくる主人の顔つきを見て、緊張を走らせる。
「……そんな顔、一般の人に見せちゃダメですからね……殿下」
 唯一、気圧されなかった近衛兵の一人・コンラートが忠告するも、ハーラルトは返答しなかった。掌に杖を呼び出し、前置きなく転移魔法を行使する。近侍たちもそれに続いて、次々に姿を消していった。
 消え去る瞬間――王太子は瞳を剣呑な色に染め、誰にも聞こえない声で呟いた。
「彼女は俺のものだ。――誰にも譲らない」



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