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落ちこぼれ子竜の縁談 閣下に溺愛されるのは想定外ですが!?

くるひなた / 著
泉美テイヌ / イラスト
ISBNコード 978-4-86669-266-1
本体価格 本体1,200円+税
発売日 2020/01/27
ジャンル フェアリーキスピュア

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内容紹介

《人間になっても子竜になっても、軍司令官閣下に愛でられまくり!?》
竜の血を引く貴族令嬢パティの悩みは、ふとした弾みに子犬サイズでピンク色、お腹ぽってりの役立たずな子竜になってしまうこと。そんな彼女が縁談のため遠く離れたシャルベリ辺境伯領に向かうことに。ところが相手は既に恋人と同棲中。代わりにその兄であり、同じく縁談相手に逃げられた次期辺境伯シャルロとの縁談に臨むことに!? 部下に厳しく動物嫌いらしい軍司令官の彼の印象は最悪。だが子竜姿で彼と出会った瞬間、二人の関係は変わり始め――

立ち読み

「お待ちください、卿。私の縁談のお相手は確か、マルベリー侯爵家の令嬢でしたよね? 卿の姪御とは、初耳なんですが!?」
「ま、待って、叔父さん! 今回私は閣下ではなく、閣下の弟君――ロイ様との縁談のためにシャルベリに来たのよね!?」
「わあ、息ぴったり! よかった! 二人とも気が合いそうだね!!」
 閣下と私の声がかぶる。それに、叔父はパチパチと両手を打ち鳴らしてはしゃいでから、悪怯れもせずに事の次第を語り始めた。
 そもそも叔父は、まず閣下とマルベリー侯爵令嬢との縁談話を進めていたらしい。
 マルベリー侯爵家は、優れた文官を数多く輩出している名家である。
 ようやく話がまとまり、叔父がシャルベリ辺境伯家に縁談の日取りを通知した矢先のこと。
 肝心のマルベリー侯爵令嬢が「辺境伯領なんて僻地に嫁ぐのは嫌!」と暴れた上、懇意にしていた使用人の一人と駆け落ちしてしまった。
 この時、並行して姉からの依頼で私と閣下の弟君――ロイ・シャルベリの縁談もまとめようとしていたのだが、ここでも問題が発覚する。なんと、ロイ様はすでにシャルベリ辺境伯家を出ており、現在は恋人と一つ屋根の下で商いをしながら夫婦同然の生活を送っているというのだ。
 縁談が二つも御破算になりそうになって焦った叔父は、とんでもないことを思い付く。
「閣下とパティ――溢れ者同士で縁談を組み直しちゃえば、万事解決じゃあないですかっ!!」
 ポンと手を打って、これぞ名案とばかりに言い放たれた叔父の言葉に、溢れ者呼ばわりされた私と閣下は、ただただ啞然とするばかりだった。

「――っ、ぶっ! ふふっ……あはは! はははっ!」
 突然、応接室の扉の前に控えていた若い軍人が腹を抱えて笑い始めた。
 それを、閣下が苦い顔をして窘める。
「……モリス、笑い過ぎだ。私はともかく、こちらの姪御に失礼だぞ」
「も、申し訳ありません、閣下。だってっ、溢れ者って……ぶふっ!」
 モリスと呼ばれた若い軍人は、閣下の直属の部下だという。シャルベリ辺境伯領の名門トロイア家の次男で、若いながらも少佐の位を賜っているという。
 そんなモリス少佐は、上官である閣下に窘められてもしばらくヒーヒー笑っていた。
 さすがの私も少々ムッとして彼を睨もうとしたが、その足もとに鎮座している黒い物体に気付いて、ぴきりと固まる。
 そんな私を他所に、閣下と叔父の会話は続いていた。
「卿、お言葉ですが、何の相談もなしに縁談の相手を変更されては困ります」
「おやおや? 閣下はそもそも、結婚相手としてマルベリー侯爵令嬢にこだわっていらっしゃらなかったようにお見受けしましたが?」
「それは……まあ、そうですが……」
「いよいよ辺境伯の位を継ぐことが決まり、いつまでも独身ではいられないと腹を括って縁談を受け入れようとなさったんじゃありませんか? 僭越ながらこのパトリシア、身内贔屓を差し引いたとて、マルベリー侯爵令嬢と比べても遜色ないと断言させていただきますよ」
 ここから叔父による、怒濤の私の売り込みが始まった。
「メテオリット家は爵位こそ持たないものの、王家の末席に連なる由緒正しき一族でございます。とはいえ、その生活は質素倹約。庶民生活にも精通し、婚家を食い潰す心配もございません」
「は、はあ……」
「特に、このパトリシア! 何を隠そう、メテオリット家の秘蔵っ子でございます! 花嫁修業も一通り済ませ、どこに出しても恥ずかしくない――それこそ、王子殿下の花嫁こそがふさわしいと思うくらい、自慢の姪なんです!! そんなパトリシアが、今なら閣下の花嫁になるかもしれないんですよ!?」
「そ、それはまあ、たいそう光栄に存じますが……」
 私を叩き売りするみたいな勢いで迫る叔父に、閣下はたじたじとなる。
 勝機を得たと判断したのか、叔父は容赦なく畳み掛けた。
「とにかく、閣下には絶対に損をさせないと約束しますから! しばらくこの子を側に置いて、見極めてごらんなさいって!! ねっ!?」
「……卿が、そこまでおっしゃるのでしたら」
 結局、弁が立つ叔父が押し切って閣下に頷かせてしまう。
 これにより私のシャルベリ辺境伯邸滞在が、私自身の意思を完全に無視して決定してしまったのだ。
「じゃあね、パティ。叔父さんはこれから別件で海を渡ってくるからね。じっくりシャルベリ辺境伯領を見せていただきなさい」
「え? お、叔父さん、待って……」
 もちろん、私は叔父の言葉にこれっぽっちも納得なんてしていなかった。最初の縁談が破談になったのなら一刻も早く王都に帰りたかったのだ。
「縁談相手が代わるなんて、絶対お姉ちゃんに言ってないでしょ!? とにかく、一度王都に戻って……」
「ん? んんー? パティ、何だって?」
「トンネルの向こうまで一緒に馬車に乗せて行ってよ! そしたら、一人で汽車に乗って帰れるからっ!!」 
「うーん、叔父さん最近耳が遠くなってきてねぇ。もっと大きい声で言ってもらわないと聞こえないなー」
 閣下の手前、声を潜めて訴える私に、叔父はとぼけるばかりで取り合おうとしない。
 いい加減頭にきた私は、閣下の心証が悪くなるのを覚悟で叔父に摑み掛かろうかと思ったが……
「あ、わんこ。可愛いなぁ。ほらパティ、見てごらん。あの賢そうなわんこが君と遊びたがっていそうだよ」
「ひぇっ……」
 叔父の言う通り、少佐の足もとにある黒い物体――真っ黒い長毛種の大型犬が、黒々とした瞳でじっと自分を見つめているのに気付いた私は、たちまち震え上がる。
 物心ついた頃から、とてつもなく犬が苦手だった。私自身はよく覚えていないのだが、それ以前に犬にひどく嚙まれて大怪我を負ったことがあるらしい。
 記憶はないのに恐怖だけはしっかり身に染み付いてしまっていて、犬の存在が、その視線が恐ろしくてならなかった。
 そんな私に、叔父はにっこりと微笑んだものの、その所業はさながら我が子を千尋の谷に突き落とす獅子のよう。
「いつまでも、強い姉さんの翼の下に隠れていちゃいけないよ。パティだって、ちゃんと一人で飛べるんだってことを証明してごらん」
 叔父は一方的にそう告げると、じゃあねっ、と片手を上げて颯爽と出て行ってしまった。
 時刻は午後四時を回ったところ。
 叔父が馬車ごと去ってしまい、今から別の馬車を手配してシャルベリ辺境伯領を出ても、王都に向かう汽車の最終便には間に合いそうにない。
 叔父の背中を見送って、閣下は大きく一つため息を吐いた。見るからに、面倒を押し付けられて困ったという態度だ。
「想定外の事態にさぞ驚いたことだろう。ここは、王都と違って何もないところだが……まあ、ゆっくりしていきなさい」
「す、すみません……お世話に、なります……」
 ひとまず客人としてシャルベリ辺境伯邸に滞在させてもらうことになったものの、私はひどく居たたまれない気分だった。
 何しろ、閣下との関係は初対面で躓いてしまったのだ。
 私のことを、シャルベリ辺境伯領を僻地と蔑んだマルベリー侯爵令嬢と勘違いしていたせいとはいえ、白々しい態度と棘を含んだ言葉から醸し出された〝招かれざる客〟扱いにはおおいに傷付いた。
 閣下の部下だという少佐もいまだにニヤニヤしていて感じが悪い。
 いつの間にか閣下の側に寄っていたあの黒い犬の存在なんて、一刻も早く視界から消してしまいたい――そう思った時だった。
「……モリス、客人がいる時は、私に動物を近づけるなと言っただろう」
 苦々しい顔をした閣下が、戯れつこうとした黒い犬を軽く手を振って遠ざけるのを見てしまった。
「あーはいはい、すみません。閣下も難儀な性分ですねぇ」
 肩を竦めた少佐が、慣れた様子で黒い犬を閣下の側から引き離す。
 それを不機嫌そうに眺めている閣下の横顔を見て、私は衝撃を受けた。
(閣下は……この人は、動物が嫌いなんだろうか……)
 私には秘密がある。
 夫となる人にはどうあっても打ち明けなければならない秘密だが、もしも本当に閣下が動物嫌いだとしたら、私と相容れることはきっと不可能だろう。
 それに、軍用犬として人間の都合で犬を便役しておきながら、動物嫌いだから近づくなとは随分な話だ。優しげなのは見た目だけで、閣下は本当はひどく冷たい人間なのかもしれない。
(そんな人と結婚なんてできない……きっと一生愛されっこないもの……)
 縁談相手の兄だと思って出会ったのに、いきなり新たな縁談相手に成り代わったシャルロ・シャルベリ。
 彼に対する私の第一印象は、はっきり言って最悪だった。

◇◇◇◇◇

 ガサガサと茂みを搔き分ける音に気付いたのは、それが自分のすぐ側まで迫ってからのことだった。
 ガサッ、と一際大きな音がして、目の前の茂みが揺れる。
 私がひゅっと息を呑んだその瞬間、真正面から飛び出してきたのは……
「――わんっ!」
 真っ黒い犬の真っ黒い顔だった。
 吠えた拍子に見えた口の中、ぞろりと並んでいたのは竜もかくやといった鋭い牙。
 またしても悲鳴を上げることさえできなかった私の胸の奥では、心臓がひっくり返りそうなくらいに大きく跳ね上がる。
 あっ、と思った時にはもう手遅れだった。みるみる視界が低くなって……
「……ぴい……」
「くうん……?」
 結局私は、あれだけ回避しようと必死だった子竜化を成し遂げてしまっていた。
 ここまで身に着けていた衣類一式はすっかり脱げ落ちてしまい、地面の上に広がっている。
 ちんちくりんの子竜は衣類の海の中であっぷあっぷともがくばかり。
 そんな私を、茂みの向こうから現れた黒い犬――シャルロ閣下直属の部下であるモリス・トロイア少佐の愛犬ロイは、しばし右へ左へと首を傾げて眺めていた。
 しかし、やがてゆっくりと近づいてきたかと思ったら、濡れた鼻面を押し付けるようにしてクンクンと匂いを嗅ぎ始める。
 まったくもって、生きた心地がしなかった。
 ぐるぐるぐるぐる、恐怖のあまりに目が回る。
 だって、怖い。とんでもなく怖いのだ。
 シャルベリ辺境伯領の竜神を恐れるのは畏怖からだが、犬に対してはもっと直接的な、それこそ即刻命を脅かされるような恐怖を覚える。
 しかも、どうやら腰が抜けてしまったらしくて立ち上がることもできない。
 私がついにぴいぴいと情けない泣き声を零し始めると、ロイは何を思ったのか、いきなり私の首の後ろを咥えた。
 そして、こともあろうにそのまま茂みから出て行こうとするではないか。
 私は、犬に咥えられる恐怖だけではなく、自分の子竜姿が不特定多数の人間の目に晒されてしまう恐怖にまで戦く羽目になった。
「ぴ、ぴい、ぴいいっ……!!」
 短い両の手足をジタバタさせて、何とか必死にロイの口から逃れようとする。
 けれども、非力な子竜の力では抵抗も虚しく、結局は有無を言わさず茂みの中から連れ出されてしまった。
 もう、だめだ――私が絶望しかけた、その時である。
 思いがけない声が頭上から降ってきた。
「――ロイ?」
「ぴみっ!?」
 私の身体がびくりと跳ね上がる。
 それはこの一週間、朝食と夕食の時にだけ耳にしてきた人の声だった。
 ロイの口元にぶら下げられた私の視界に、よく磨かれた黒い軍靴の先が割り込んできたかと思ったら、ふいに両脇の下に人間の大きな手が添えられる。
 とたんに、ロイはあっさり私の首の後ろを咥えるのをやめた。
 その代わり、両脇の下を掬った手によって持ち上げられた私が、真正面から顔を突き合わせることになったのは……
「――驚いた。君、もしかして竜の子供なのかい?」
 空色の瞳をぱちくりさせる閣下――私が子竜姿を絶対に見られてはいけないと思っていた相手だった。

*******

「――モリス! モリス少佐はいるか!」
「はい、閣下! ここに!!」
 扉を押し開いて颯爽と現れた閣下に、書類の整理をしていたらしいモリス少佐が慌てて姿勢を正した。
 シャルベリ辺境伯邸と軍の施設は、まるでお互いの背中を守るみたいに、それぞれ同じ敷地の表門と裏門に玄関を向けて建っている。シャルベリ辺境伯軍司令官を務めるシャルロ閣下の執務室は、そんな軍の施設の最上階――三階のど真ん中に設けられていた。
 部屋の中央には大きなソファセットがあり、閣下の執務机は奥の壁際にどんと置かれている。
 床には一面に絨毯が敷かれ、つかつかと足早に歩いていく閣下の靴音も、その後を従順に追う犬のロイの足音も全部吸収していた。
「閣下、何ごとですか!? まさか、また王都から何か……?」
「いや、それとはまた別に、緊急を要する案件が発生した」
 固い表情をして駆け寄ってきた腹心に向かい、閣下も難しい顔で首を横に振る。
 彼は執務室の中にモリスしかいないことを確認すると、素早く扉に鍵をかけ、声のトーンを落として告げた。
「――至急、竜の育て方を調べてくれ」
「……は?」
 少佐がぽかんとした顔になる。しかし、閣下は構わず畳み掛けた。
「ケージに……入れるのはかわいそうか? うん、かわいそうだな、やめよう。しかし、躾が済むまでは無闇に外に出さない方がよさそうだ。よし、首輪を着けよう。この子の首に負担のかからない、子猫用の柔らかい首輪がいい。顔付きが柔らかいし骨格が華奢だから、この子はきっと女の子だな」
「え? ちょっ……」
「しかし、竜はそもそも何を食うんだ? 見た目は爬虫類っぽいが、餌も同じようなものでいいんだろうか。鶏肉を与えても平気か……?」
「ちょ、ちょっと……ちょっと待ってください、閣下! 話を整理させてくださいっ!!」
 身を乗り出さんばかりの様子で話を進める閣下に、少佐は果敢にも待ったを掛けた。
 そんな二人の足もとを、こちらも興奮した様子のロイがぐるぐると走り回っている。
 しかし、少佐が「待て」と一言号令をかけたとたん、たちまちその足もとにぴたりと身体を添わせてお座りをした。ロイは単なる少佐の愛犬というだけではなく、主人に従順であるよう軍用犬としての躾もされている。
 私はと言うと、そんな一連の様子を閣下の腕の中からこっそり眺めていた。
 正確には、閣下の腕の中で、閣下の軍装の黒いマントに包まれた状態で、である。
 執務室に到着するまでそうして隠されてきたおかげで、不特定多数の人間に子竜姿を見られることは免れたのだが……
「そもそも、竜って何の話です? まさか閣下、酒でも飲んで酔っぱらっているんですか?」
「失敬な。私は至って素面だぞ。勤務時間中に飲酒などするものか」
「閣下が、気分転換に外の空気を吸ってくると言って出掛けたままなかなか戻って来ないので、ロイに探しに行かせたんですが……」
「そのロイが、この子を見つけてくれたんだ。――さあ、見て驚け!」
 閣下はそう高らかに告げると、マントの中から私を取り出し、少佐の眼前に突き付けた。
「ぴっ!?」
「――っ、え? りゅ、竜? 本当に……!?」
 強制的に顔を突き合わせる羽目になった私と少佐は、揃って両目をまん丸にする。
 しかし、少佐が我に返るのは早かった。
「――いやっ、いやいやいや、だめ! だめですよ! うちでは飼えませんからね! 元いた場所に捨てて来てくださいっ!!」
「おいおい、聞き捨てならないな。こんないたいけな子竜を捨てて来いとは……お前には血も涙もないのか」
 とんだ冷血漢だな、と非難する閣下に心の中で同調しかけたが、そもそも私は自分が置かれた状況がいまだに理解できていない。
 というのも、私はこれまで、閣下は動物が嫌いなのだとばかり思っていた。
 戯れ付こうとしたロイを拒み、動物を近づけるなと少佐に命じていた初対面の時の様子と、子猫が彼の目に入ることを恐れるようなメイド達の会話からそう判断したのだ。
 子竜化してしまう私の秘密が閣下に露見しようものなら、愛されないばかりか命まで危ういかもしれないと戦いたのも記憶に新しい。
 ところが、実際はどうだろう。
「ロイ、あんなひどい男が飼い主でいいのか? いっそ、うちの子になったらいいんじゃないかい?」
「くうーん……」
 閣下は私を片腕に抱えたまま、少佐の足もとにお座りしていたロイをモフモフと撫でて口説き始める。その姿は、とてもじゃないが動物嫌いには見えなかった。
 するとここで、少佐が閣下をキッと睨んで反論を開始する。
「軽率にうちの子口説いてんじゃねーですよ! そもそも閣下、お忘れですか!? あなた、つい先日だって子猫を拾ってきたでしょうが!!」
「忘れるものか。あの子も可愛いかったな。真っ白でふわふわの毛並みの……」
「その真っ白のふわふわの毛に、デッカいハゲを作らせちゃったんでしょうがっ! 閣下が、子猫が嫌がっても懲りずに構い倒すからっ!!」
「ええ……あのハゲ、私のせいか……?」
 嚙み合わない主従の会話は、私とロイを間に挟んだままさらに続いていく。
「幸い、メイド長があの子猫にいい貰い手を見つけてくれて、早々にハゲも改善したからよかったようなもののっ……」
「その点は安心しろ、モリス。そもそも、竜にはハゲようにも毛が無い」
「そういう問題じゃねーんですよ! ハゲる代わりに胃に穴でも開いたらどうするんですかっ! 閣下みたいにやたらと捏ねくりまわしたら、小動物にはストレスがかかるんですってば!!」
「捏ねくりまわすって何だ、人聞きの悪い。可愛がっているだけじゃないか」
 このようなやり取りの間も、閣下の手は私の頭をずっと撫でくり撫でくりしている。
 そういえば、閣下が自分に動物を近づけるなと言い放った時、〝客人の前で〟という注釈が付いていたことを思い出した。きっと、動物相手にデレデレする姿を見られては、シャルベリ辺境伯軍司令官の沽券にかかわるからだろう。
 子猫の話をしていたメイド達は、前回閣下が拾ったという真っ白い子猫が辿った顛末を知っていたに違いない。だから、閣下の重い愛情に晒されてハゲを作ることのないよう、生まれたばかりの子猫を彼の目から隠そうとしていたのだ。
 閣下は動物嫌いなんかではない――むしろ、大の動物好きだということはよく分かった。
 私はというと、子竜とはいえ猫の子なんかに比べれば身体の造りは頑丈だ。
 一言物申すとすれば、メテオリットの竜の体表を覆っているのは爬虫類的な鱗ではなく、ビロード風の短い毛である。場合によっては、ハゲる可能性が無きにしも非ず。
 とはいえ、人間の言葉も心理も理解できるので、今の閣下みたいにやたらと捏ねくりまわされても、それが可愛がられているのか苛められているのかくらいの判断は付く。先に拾われたという子猫のように、ハゲるほどのストレスを抱えることはないだろう。
 つまり、子竜の私にとって、閣下は脅威でも何でもなかったのだ。
 ただそれが分かっても、私の頭の中はひどく混乱していた。
 だって、子竜の状態で相対している今の閣下の姿は、これまで私が目にしていたものとあまりにもかけ離れている。
 私は閣下のことを、旦那様ほどではないにしろ、もう少し寡黙な人だと思っていた。
 それなのに、子竜姿の私を拾って大喜びで執務室に戻ったかと思ったら、そこでずっと年下らしき部下の少佐に窘められる、なんて。
 おまけに、子竜を飼うことを少佐に反対されて子供みたいに唇を尖らせているのだ。そんな閣下を、私は衝撃的な思いで見上げていた。
 こんな――無邪気な少年のような姿が閣下の素なのだとしたら、これまで私が見てきた彼は相当大きな猫を被っていたことになる。
 閣下が、私との間に分厚い心の壁を立てていることを、改めて思い知らされたような気がした。
「とにかくですね! 自制が利かない閣下は、はっきり言って繊細な小動物を飼うのに向いてませんっ!!」
 上官を上官とも思わぬ容赦のなさで、少佐がぴしゃりとそう言い放つ。
 初めて会った時、叔父から溢れ者呼ばわりされた私と閣下のことを腹を抱えて笑っていたため、正直少佐に対していい印象が無かったのだが、今ばかりは全力で彼を応援したい気分だった。
 何しろ私は、このまま閣下に飼われるわけにもいかないし、いつまでも子竜の姿でいるわけにもいかないのだ。どうにかしてこの場から抜け出し、与えられた客室か事情を知る旦那様や奥様のもとに戻らなければならない。
 とにもかくにも、まずは閣下の腕の中から逃れようと身を捩った、その時だった。
「わんっ!」
「ぴみっ!?」
 扉の向こうを通り過ぎる人の気配でも察知したのか。今の今まで行儀よくお座りしていた犬のロイが、いきなり立ち上がって吠えた。
 驚いた私は情けない声を上げ、とっさに閣下の胸元にしがみつく。
 その拍子に、仕立てのよい軍服の襟元に爪の先が引っ掛かってしまい、私はますます慌てた。
 そんな中、思い掛けず頭上から降ってきたのは、万感の思いを詰め込んだみたいな盛大なため息だった。
「はー……可愛い……。猫の毛とはまた違った、この柔らかで滑らかな肌触り……くせになりそう」
 閣下はそう呟き、私をぎゅっと両腕で抱き竦める。
 さらには、私の額に鼻先を埋めてスーハースーハーした。猫吸いならぬ、竜吸いである。
 どういう反応をしていいのか分からず、結局されるがままの私に、閣下はご満悦の様子。
「見ろ、モリス。パティだって、こんなに私に懐いているじゃないか」
「……は?」
「パティと私を引き離そうなんてのは、もはや鬼畜の所業だぞ。おー、よちよち。モリスはこわい人間でちゅねー」
「え? 閣下、ちょっと……!?」
 閣下の口からするりと飛び出した赤ちゃん言葉には、盛大に突っ込みたいところだった。
 私がこの一週間で抱いた彼のイメージからかけ離れ過ぎていて、もはやどんな顔をして対峙すればいいのかも分からなくなってくる。
 だがそれよりも何よりも、一等聞き捨てならなかったのは……
「か、閣下? もしかして、今……その子を〝パティ〟って呼びました!?」
「ああ、呼んだが? 何か問題でもあるか? うちで飼うんだから、私が名前を付けたって構わないだろう?」
「いえ、だって……パティって確か、先日からこちらに滞在中のパトリシア・メテオリット嬢の愛称ですよね? 辺境伯ご夫妻が呼んでいらっしゃるのを何度か耳にしましたが……」
「いかにも、パティの名はパトリシア嬢から拝借した」
 私の言いたいことは、モリス少佐が代弁してくれている。
 それに対し、満面の笑みを浮かべた閣下は、さらに私の心臓を引っくり返すような台詞を続けた。
「だってほら、すごく可愛いじゃないか。この竜の子も、パトリシア嬢も――ずっとだっこしていたいくらい、可愛いね」
 この時、「は?」と叫んだはずの私の声は、残念ながら子竜の口内で変換されて「ぱ」になった。

◇◇◇◇◇

 旦那様に匿われて無事客室に戻ることができた私だったが、これまでとは違って一晩経っても人間の姿には戻らなかった。
 原因はおそらく、昨夜一睡もできなかったせいだろう。鼓動はもうすっかり落ち着いているというのに、胸の奥が、心臓が、心が、とにかく痛くてたまらなかった。
 瞳を閉じると、執務室のソファの上で折り重なるようにしていた閣下とクロエの姿ばかりが浮かんでくる。
 あの場面だけ切り取れば、二人は恋人同士で、執務室でいちゃついていたように見えるだろう。 
 しかしながら、現実はまったく違っていた。
 私の様子から諸々察した旦那様が集めた情報によると、まずクロエが執務室に現れたことからして、閣下の望むところではなかったようだ。
 とにかく閣下の近くに行きたかったクロエは、部外者立ち入り禁止の軍の施設に潜り込むために、扉を守る衛兵を買収することにしたらしい。
 裏口の扉の脇に置かれたベンチでいつもぷかぷか煙管をふかしている、あの年老いた衛兵である。
 何でも、王都でしか手に入らない高価な煙草を融通すると約束したのだとか。
 そうして、老衛兵から閣下の執務室の場所まで教わったクロエは迷わずその扉を叩き、てっきり少佐が戻ってきたものと思い込んだ閣下は誰何もせずに入室を許可してしまったというわけだ。
 当然のことながら、入ってきたのがクロエだと気付いた閣下は驚き、彼女を説得して追い返そうとする。
 ところが、件の老衛兵から余計な情報を仕入れていたクロエは食い下がった。
「パトリシアさんは、この部屋に招き入れられたことがあるそうではないですか! ただの客人のあの子がよくて、婚約者の私がだめだなんて――そんなの、納得いきませんっ!!」
 まだ婚約したわけではない、という閣下の主張は呆気なく無視されたらしい。
 押し問答の末、クロエがソファに倒れ込んだのはたまたまだったかもしれない。
 しかしその際、閣下を道連れにしたのは、はたして偶然か。
 とにかく、二人してソファに倒れ込んだところで、子竜姿の私と犬のロイを連れた少佐が扉を開いた。
「もう少しモリスの戻りが遅かったら、わざと着衣を乱して私に乱暴されたとでも喚きそうな雰囲気だった」
 閣下は青い顔をして、そう旦那様に語ったらしい。クロエは、あわよくば既成事実を……くらいは企んでいたのだろうか。
 私が旦那様の上着に隠されて私室に戻った後、閣下と少佐は力を合わせて、何とかクロエを軍の施設から追い出した。もちろん、いとも簡単に彼女に買収された老衛兵には相応の処分が下され、軍の施設の裏口に彼の姿はもう無い。
 クロエが異様なほど閣下に――あるいは、次期シャルベリ辺境伯の婚約者という立場に固執しているのに対し、閣下自身がそんな彼女の言動に思いっきり引いてしまっているのは傍目に見ても明らかだった。
 それでもクロエは、一度は閣下と縁談の日取りまで決まっていた間柄なのだ。
 仲人の叔父が戻ってこなければ話が進まないので、クロエとしてはそれまでシャルベリ辺境伯邸に滞在するという大義名分が立つ。
 それに対して、叔父の面子を保つために、その場凌ぎで閣下に宛てがわれただけの私はどうだ。
 奥様の車椅子を押す役目からも下ろされて、日がな一日ぼんやりと過ごす自分自身を振り返ると、どっと虚しさが押し寄せてくる。
 一晩経っても人間の姿に戻れず、私室に匿ってくれた旦那様と奥様にはいつも以上に迷惑をかけてしまった。
 とにかく私は、今の自分が歯痒くて仕方がない。
 子竜になった日の夜と、その翌日の朝昼夜。結局、四回続けて食事の席に現れなかった私をさすがに心配して、閣下が訪ねてきた。
 と言っても、子竜の姿のまま応対できるはずもなく、旦那様と奥様が上手く誤魔化してくれているのを扉越しに聞いているしかなかった。
 その際、閣下に纏わり付くクロエの声がして、私は頭からシーツを被って耳を塞ぐ。
 やがてうとうとし始めた頃に聞こえてきたのは、またあの知らない子供の声だった。
『ひ弱なちびのくせに。お前みたいなのが竜を名乗るな』
『何の役にも立たない、出来損ない』
『お前みたいな落ちこぼれの子竜は、――でしか生きていけないだろう』
 相変わらず、私を詰り、嘲笑う。
 いつの間にか目の前に現れた子供は、唯一はっきり見える口でニイと笑ってこう問うた。

『ねえ――お前、一体何のためにここにいるの?』

 私は、ひゅっと息を呑む。今まさに、自問していることだったからだ。
 当初の縁談が破談になったのだから、早々に王都に戻るつもりでいたのだ。
 ところが、ひょんなことから子竜化してしまうことが旦那様と奥様にばれ、それをきっかけに彼らに請われてシャルベリ辺境伯邸に留まることになった。
 最初は閣下に嫌われていると思い込んでいたために居心地はあまりよくなかったが、それが誤解だと判明して彼と打ち解けてからは、王都に戻りたいという気持ちも徐々に薄まり始めていた。
 いや――むしろ、もっとシャルベリ辺境伯邸にいたいと思うようになったのだ。
 私が作ったスパイスクッキーを閣下が手放しで喜んでくれて嬉しかったし、王都からの不審な書状に意見を述べたことを評価してもらえて誇らしかった。
 町を案内してもらった際、会う人会う人が私を恋人か婚約者のように誤解するのを閣下が否定しなかったから、もしかしたら彼もまんざらではないのかと心のどこかで期待した。
 だから、また町を案内すると閣下の方から言ってくれたのが嬉しくて、社交辞令なんかじゃないと思いたかった。
 女性不信気味なのに構ってもらえる自分のことを、閣下にとって特別な存在なのではないか、とどこか自惚れ始めていたのかもしれない。
 けれども――
 本来の閣下の縁談相手であるクロエが現れたことで、叔父の体裁を保つために押し付けられた、その場凌ぎの縁談相手という私の役目は終わったのだ。
 洗練された雰囲気のクロエは、黒い軍服に身を包んだ長身の閣下の隣にいて悔しいほど映えた。
 年齢差を理由に、閣下に結婚対象としては見られないと言われた私では、きっと敵わないだろう。
 卑屈な思いを募らせる私を、夢の中の知らない子供がますます嘲笑う。
 ニイと意地悪そうに歪んだ口が、冷たく言い放った。
『お前がここにいる意味なんてないよ――落ちこぼれの子竜』

*******

 王都の姉から手紙の返事が届いたのは、私が子竜姿になった翌日の夕刻のことだった。
 そのさらに翌朝。ようやく人間の姿に戻れた私は、私物を鞄に詰め込んで、二十日余りを過ごした二階東向きの角部屋を後にする。
 一階テラスに設けられた朝食のテーブルまで行くと、閣下はすでに席に着いていた。
 こちらに気付いて椅子から立ち上がった彼が何か言う前に、私は口を開く。
「今までお世話になりました。私――王都に帰ります」
 当たり前のように閣下の隣に陣取っているクロエの手前、声が震えそうになるのを必死で堪えた。
 私のなけなしのプライドが、彼女に情けない姿を見せるなと叫んでいる。
 閣下は空色の瞳を大きく見開き、何故、と唇を震わせた。
「姉から手紙で、ロイ様との縁談がまとまらなかったのなら、家に戻ってくるように言われたんです」
 昨日の夕刻、私のもとに姉からの手紙が届いたことは閣下も知っている。
 一週間ほど前、私は自分の近況報告とともに、シャルベリ辺境伯から領有権を取り上げんとする書状について、姉とその上司であるアレニウス王国軍参謀長リアム殿下に意見を求める手紙を送っていた。その答えが閣下宛てに封書で届き、私への返事もそこに同封されていたのだ。
 現在メテオリット家の当主は、私の姉マチルダ・メテオリットである。そして、当主の決定は絶対だという風潮は古い家ほど強い。
 だから、旦那様も奥様も、そして閣下も、姉の命によって王都に戻るという私の言葉を拒否することはなかった。
 閣下は、朝一で軍の重要な会議があるとかで、早々に朝食を済ませて席を立った。
 私は、朝食を終えたらシャルベリ辺境伯邸を出るつもりなので、彼とはこれっきりだろう。
「閣下、お世話になりました」
 もう一度そう言った私に、閣下は小さく頷いただけでそのまま食堂を出て行ってしまう。
 実に、あっさりとしていて素っ気無い別れだった。
 ぐっと唇を嚙んで俯く私の頭を、ふいに大きな手が撫でてくれる。旦那様だ。
「こちらの都合で引き留めてしまってすまなかったね。パティと過ごした日々は、我々にとって掛け替えのない時間だった。後で、私の方からも姉君にお礼の手紙を送っておこう。道中気を付けなさい。姉君のお許しがあれば、またいつでもここにおいで」
「……っ、はい。ありがとうございます、旦那様」
 温かい言葉と労るように撫でてくれる無骨な掌に、私は涙腺が緩みそうになるのを必死に堪えた。
 旦那様が優しくしてくれればくれるほど、何も言わずに行ってしまった閣下と比べ、私は今までの想いが自分の独り善がりだったことを痛感する。
 閣下にとって特別な存在になれたのでは、なんて自惚れていた数日前の自分を殴り飛ばしてやりたくなった。
「パティがいないと寂しいわ。何とかして、滞在延長の許可をいただけないかしら? 私から、お姉様にお手紙を書いて……」
 奥様は、両目に涙まで浮かべて私の帰郷を惜しんでくれた。
 何とか姉を説得できまいかと、便箋とペンを用意しようとする。
 そんな彼女に、ぴしゃりと水を差すようなことを言ったのはクロエだった。
「まあ、お義母様、いけませんわ! パトリシアさんにはシャルベリに留まる意味なんてありませんのに、引き留めてしまっては可哀想! 気持ちよく送り出して差し上げないとっ!!」
 私が王都に戻ると告げてから、ずっと一人だけにこにこしていたクロエが、ねえ? と猫撫で声で同意を求めてくる。
 私がそれに何も応えずとも彼女は気にする様子もなく、むしろ晴々とした笑みを浮かべて言った。
「後日、私とシャルロ様の結婚式の招待状を送りますから、是非ともご出席くださいね!」
 私は、自分がどんな顔をしてそれを聞いているのかも分からなかった。

 シャルベリ辺境伯領はこの日も快晴だった。
 陰鬱とした私の心なんて素知らぬ風に、閣下の瞳の色みたいに真っ青な空には雲一つ無い。
 はあ、と吐き出したため息は、誰に拾われることもなく冴え冴えとした空気の中で搔き消えた。
 馬車を出してトンネルの向こうまで送っていこうと言う家令の申し出を断って、私はシャルベリ辺境伯邸の裏門を出た。貯水湖を囲む大通りを一周して、汽車の駅がある北側のトンネルの向こうまで行く乗り合い馬車がそろそろ来るはずだったからだ。
 私物を詰め込んだ鞄を抱えて無言で佇む私に、年若い門番が気遣わしそうにしている気配がする。
 そんな善意の視線さえも今は煩わしくて、私は俯いて足元の石畳ばかり見つめていた。
 やがて、カツカツと馬の蹄が地面を叩く音と、ガラガラと車輪が回転する音が聞こえてくる。
 ついに乗り合い馬車がやってきたのかと思ったところで、私はふと違和感に気付いた。
 音が、大通りがある前方ではなく、後方――シャルベリ辺境伯邸の敷地内から近づいて来ていたからだ。
 はっとして顔を上げたのと、私の隣で馬車が止まったのは同時だった。
「わんっ!」
「ひえっ!?」
 とたんに響いた犬の鳴き声に、私はびくりとしてその場で飛び上がる。
 たちまち跳ね上がろうとする鼓動は、とっさに胸に手を押し当てることによって抑えた。
 恐る恐る顔を横に向ければ、すぐ隣に止まった馬車の御者台の上で、よくよく見知った黒い犬がしっぽをフリフリしているではないか。私は一瞬ぽかんとした。
「ロイ……?」
「わふっ」
 犬は、少佐の相棒ロイだった。もちろん、どれほど賢い軍用犬であっても犬が馬車を御するのは不可能。御者台にはちゃんと彼の飼い主がいて手綱を握っていた。
 少佐はロイの頭をモフモフと撫でながら、何故だかじとりとした目で私を見下ろす。
「おはようございます、パトリシア嬢。私とロイに一言も無く出て行くなんて、随分水臭いじゃないですか?」
「お、おはようございます、少佐……あの……」
 おろおろし始める私に、彼は一転して困ったような笑みを浮かべ「すみません、冗談です」と続けた。
「今更何だと思われそうですが……実は私、あなたに謝らなければならないことがあるんです」
「え? ええっと、何でしょうか……?」
「ほら、パトリシア嬢がシャルベリにいらした日。閣下とあなたを叔父上様が溢れ者同士っておっしゃったのを、私が思いっきり笑いましたでしょう。あれ、後から考えたら相当失礼だったなと反省したんです」
「あ、はあ……」
 少佐の言葉に、私はそんなこともあったなと心の中で呟いた。
 あれからまだ一月も経っていないのに、何だかひどく懐かしく感じる。
 そういえば、子竜の姿で二度目に閣下の執務室に連れて行かれた時だったか。
 初対面で私に対してやらかした、と少佐が後悔を口にしていたのを思い出した。
「閣下はともかく、あなたを軽んずるつもりはなかったんです。その節は、本当に申し訳ありませんでした」
「いえ、平気です。気にしておりませんので……」
「ああいう突発的な縁で繫がった閣下とあなたの関係が、これからどんな風に展開していくのか楽しみにしていたんです。だから、あなたが帰ってしまうのを心底残念に思います」
「……恐れ入ります」
 少佐の言葉が社交辞令には思えず、私も素直に申し訳ない気持ちになる。
 そんな私に苦笑して、少佐は「汽車の駅まで送ります」と言ってくれた。
 とはいえ、少佐も暇ではないだろう――そう思った私が家令の時と同様に彼の申し出も断ろうとしたその刹那、バタン! と、いきなり馬車の扉が開いた。
 かと思ったら、中からにゅっと手が伸びてきて、私の二の腕を摑む。
 そうして、悲鳴を上げる間もなく馬車の中に引っ張り込まれてしまった私は、手の主を知ってぎょっとした。
「――か、閣下!?」
 馬車の中にいたのは、朝食の席で素っ気無く別れたはずの閣下だった。
 しかし……
「え……か、会議だったのでは……?」
「父に頼んできた」
 確か、重要な会議があると聞いたはず。おずおずと尋ねた私に、閣下は何故か怒ったような顔をして答えてから、いささか乱暴に馬車の扉を閉めた。
 バン、と響いたけたたましい音に思わず身を竦める。
 そんな私を、閣下はあろうことかいきなりぎゅっと抱き締めた。
「か、閣下……? あ、あの……?」


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