月と媚薬 | 株式会社Jパブリッシング

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カ文庫月〜;カバー案1

月と媚薬

高岡ミズミ / 著
立石 涼 / イラスト
ISBNコード 978-4-86669-097-1
サイズ 文庫本
本体価格 本体685円+税
発売日 2018/04/18

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内容紹介

可愛くて可愛くて、めちゃくちゃ昂奮した
彼女にドタキャンされ落ち込む周平の前に現れたのは、胡散臭そうな男・寺岡。探偵と名乗る寺岡に、車の販売営業の周平は彼を警戒しながらも新車売り込みのため共にホテルへと向かった。――しかし、翌朝目覚めると腰に鈍い痛み。おまけに寺岡は「昨夜は激しかったから」と、意味深な言葉を投げかけてくる。彼との事を忘れようとする周平だが、身の回りに突如起きはじめた事件から救ってくれたのは何故か寺岡で? 謎だらけの彼の目的、そして濃厚なセックスに翻弄される周平は――!?
★初回限定★
特別SSペーパー封入!!

人物紹介

月森周平(つきもり しゅうへい)

T自動車の営業 26歳

寺岡と出会ってからというもの、面倒事に巻き込まれてばかりで!?

寺岡辰也(てらおか しんや)

寺岡探偵事務所所長 36歳

月森にからんでくる、バツイチ息子あり!?

立ち読み

 変だなと思い始めたのは結構前からだったというのに、まさかそんなはずはないとか、もし本当だったらどうしようとか、臆病な気持ちから見ないふりをし続けてきたのが間違いだったのだろう。
『ごめんなさいね。どうしても抜けられない用事ができちゃったの』
 今日は、つき合って初めて迎える彼女の誕生日だ。
 早くから予約しておいたレストランは自分的にはかなり張り込んだつもりだし、サプライズでホテルの部屋もとってある。
 プレゼントは以前から彼女が欲しがっていたブランド物のリストウォッチを用意し、味気ないビジネススーツから、わざわざ持参したそれなりにお洒落なスーツに着替えて、あとは彼女と合流するだけの状態で待っていたのだ。
 それを直前になって電話一本で反古にされれば――しかもドタキャンされるのは今月で二度目だ――いくらなんでも疑わずにはいられない。果たして自分たちはまだ恋人同士なのか、と。
「え……あ、そっか。いや、べつにいいよ。いろいろあるもんな。それじゃ、俺との食事は明日にする?」
 だが、それを問い質すと現実を突きつけられてしまうため、ことさら明るい声で応じた。
『たぶん明日も無理』
「じゃあ……明後日は……」
『ごめんなさい。あまり時間がなくて話せないの』
「あ、プレゼント! プレゼントを渡したいんだけど」
『送ってくれたら嬉しいわ』
「わかった。あ、涼子さん……っ」
 それじゃあの一言で一方的に電話を切られ、周平は携帯電話を手にしたまま茫然と立ち尽くす。
 合コンで知り合い意気投合したのは、まだ夏になる前だった。すぐにつき合いだして、かれこれ半年。まだ半年だ。その間ふたりきりで会った回数は、十五回くらいだろうか。
 しかも最初の三カ月で十回会っているので、結局、三カ月で飽きられたということなのかもしれない。
 某大手証券会社勤務で、美人で家庭的なうえ気立てもいいなんて、確かに自分にはもったいないほどできた彼女だった。大事にしてきたつもりだが、努力が足りなかったのか、他にいいひとができたのか。
 いや、自分自身を卑下するつもりはない。
 そこそこの大学を出て、いまの会社に就職してから、けっして人付き合いがうまいとはいえないなりにも頑張っているつもりだ。その成果もちゃんと表われていて、個人成績も上位三位に入るようになってきた。
容姿にしても、美形とまではいかないものの悪いほうではないと思っている。涼しげな奥二重の目が素敵とか、俳優の誰それに似ているとか言われたことも一度や二度ではなかった。
 となれば、原因は他にあるのだろう。
 でも――他にってなんだ?
「おい! なにしてんだよ!」
 クラクションとともに怒声が耳に届いた。我に返ると、いつの間にか信号は赤に変わっていて、慌てて駆け出し交差点を渡り切った。
 が、よほど動揺していたらしい。目の前のひとに飛び込む形でぶつかってしまう。
「あ、すみません」
 謝罪すると同時に、なぜか腰に手を回してきた男の顔を見る。が、反射的に目をそらしていた。
 幼い頃から怖いひととは目を合わせちゃいけませんよと、祖母に言いきかされてきたせいかもしれない。
 男は見るからに胡散くさく、お近づきになりたくないタイプだったのだ。
 おそらく三十代半ばで、身長は百七十五センチの周平よりも十センチ近く高く、洗いっぱなしの髪や眦の上がった細い目、がっしり骨張った鼻梁、肉厚で口角の上がった唇はいかにも肉食系で自分とは正反対だと言っていい。
 丸首の黒いニットの上にカジュアルなジャケットを羽織った男のいかにも自由業っぽい雰囲気も、苦手意識を持つには十分だ。
「それでは、これで……」
 目線を落としたまま腰を退いたが、男は腕を離してくれない。それどころか引き寄せられて、警戒心は一気に上昇する。
 男は周平を見て、にっと唇を左右に引いた。
 条件反射で笑い返してしまったが、それがよくなかった。
「なにか、困ったことになってるんじゃないか」
 いきなり親しげにそう問われる。
「え、なにがですか?」
 身構える周平に、男はなおも無遠慮な言葉を重ねた。
「悩み事があるって顔をしてる」
「そ……それは……」
 困っているといえば困っているし、悩んでいるのかと聞かれれば、悩んでいると答えざるを得ないだろう。けれど、いま一番困っているのは、ふたりぶんの予約をしているレストランについてだ。いまからだとキャンセル料がかかるうえ、店にも迷惑をかけてしまう。
 いっそひとりで出向いて、ふたりぶん食べてやろうか、などと無謀な考えも浮んでくるほど窮地に追い込まれていた。
「見たところ、これからデートだな。けど、その様子じゃ――失礼、振られてしまったようだねえ」
 図星を指され、ぐっと喉が鳴る。
「……ま、まだ振られたわけじゃ、ないですから! 今日は急用で仕方なく……」
 思わずばか正直に答えた自分が格好悪くて、ばつの悪さから唇を噛んだ。通りすがりの男になんで強がってみせるのか。
 いま自分がすべきなのは、レストランに謝罪の電話を入れることだ。
 男の腕を払い、一礼して半身を返す。
「ああ、どうか気を悪くしないで。悪いね。職業病ってやつはどうしようもない」
「職業病?」
 振り返ったのは、単純に興味からだ。こういう男の職業とはなんだろう、と思ってしまった。
「そ。職業病。いや、この場合は関係ないか。美人が困っていたら、誰でも手を差し伸べたくなるもんだろ」
 軽い調子でそう言いながら男は、内ポケットから名刺入れを取り出した。周平は差し出された名刺を両手で受け取り――職業病というなら、これも立派な職業病だ――そこに書かれた名前を口にする。
「寺岡探偵事務所所長――寺岡辰也さん、ですか」
 うわ。やっぱり胡散くさい。
 と、もちろん声には出さず、心中で叫ぶ。失言は厳禁。四年間の営業生活で自然と身についたことのひとつだ。
 それだけではない。こんなところで無関係な男と名刺交換をする必要はない、と気づいたときには自然に自分も名刺を男へ渡していた。今日などわざわざ着替えてきたというのに、ポケットの中身を移してきたことに関しても、職業病なのかもしれないと思いながら。
「月森周平。へえ、T自動車の販売課か。T自動車って輸入車ばかりを扱っている会社だっけ。ああ、これもなにかの縁かな。最近調子が悪くてね。そろそろ買い替えようかと思っていたところなんだよな。いま乗ってるベンツ? みたいなヤツに」
「――ベンツ」
 頭の中にありとあらゆるモデルのベンツが浮かぶ。男の言うとおりこれもなにかの縁だ。高級車を買ってもらえるチャンスを逃す手はない。
「そうなんですか? でしたら、一度うちの店にいらしてください。私も、できるかぎりのことはさせてもらいますので。とりあえずカタログを――」
 しまった。普段ならカタログの入った鞄を常に持ち歩いているのに、今日はデートだからと営業所に置いてきた。
「そう? 本当にできるかぎりのことをしてくれる?」
 男は乗り気の様子だ。せっかく捕まえた客を放してなるものかと、にこやかに対応する。
「ええ、もちろんです。そうだ。寺岡さんさえよければ、いまからカタログをご覧になりますか? すぐ近くですし、少しの間、待っていていただければお持ちします」
 本来なら営業所へ連れていきたいところだ。が、街中で会ったばかりでそれをすれば押しつけがましくなりそうで、まずはカタログを見てもらうところからと考えたのだ。
「うちは正規ディーラですから、安心してください」
 笑顔を絶やさず、はやる気持ちを抑えて返事を待つ。
「そう? なんだか申し訳ないなあ」
「とんでもないです」
 手応えを感じた周平は、胸の中でガッツポーズをした。うまくいけば、今月いまひとつ成績が芳しくなかったぶんを取り返せるかもしれない。
 ガラス張りのショールームにピカピカの外車が並んだ店にいると、まるでそこに勤務している者も高級外車を乗り回して優雅な生活をしていると思われがちだが、当然ちがう。一台売れるか売れないかで一喜一憂するほど、シビアな業界だ。
 T自動車が急成長を遂げているとはいっても、老舗や大手と肩を並べるにはまだ早い。それゆえ一台でも多く売って、会社も自分もスキルアップしなければ、と周平のみならず社員全員頑張っている。
「待っててくださいね。すぐに戻ってきますので」
 念押ししてから、たったいま渡ってきたばかりの交差点を戻り、徒歩五分ほどの距離を走って戻る。カタログを手に取ると、すぐさま寺岡の元へと急いだ。
 同じ場所に寺岡の姿を見つけたときはほっとして、涼子にドタキャンされたのはこのためだったかと、前向きに考えられるまでになっていた。
 いったん足を止め、乱れた呼吸を整えてから寺岡の名前を呼ぶ。
「寺岡さん、持ってきました」
 カタログを差し出すと、寺岡は笑顔で受け取った。
「そんなに急がなくても、ずっと待ってたのに」
「ありがとうございます」
 いえいえ。お客様を逃すわけにはいきませんから。そう心で呟く。
「でも、髪が乱れた姿も美人は絵になるな」
「……美人?」
 どこに美人がと、周囲を見回す。が、どうやら寺岡の言う美人とは自分のことらしい。
「ああ、特に目許がいい。眦の上がった、気の強そうなところ。その目が涙に濡れたらどうなるのか、見てみたいな」
「…………」
 冗談にしても笑えない。周平が女だったら、セクハラで訴えるレベルだ。それ以前に男に対して「美人」はないし、もちろん言われたのも初めてだった。
「あー、ちょっとここでは見づらいかな」
 カタログをぺらぺら捲った寺岡が、困った顔をする。
「どこか、店にでも入らないか。ちょうど夕食の時刻だし。もちろん奢るよ」
 即座に、予約しておいたレストランのことが頭に浮かんだ。当初の目的とは大きくちがうとはいえ、役に立ちそうではないか。あのレストランは雑誌にも紹介されるほど恋人同士に最適な場所だが、接待と考えれば不適切ともいえないだろう。
 なにより無駄にならずにすむ。
「だったら、ロイヤルホテルにご一緒しませんか」
「ロイヤルホテル? きみも意外と大胆なんだな」
 寺岡が小さくかぶりを振る。
 まさか部屋へ誘っていると――部屋をとっているのも事実だが――勘違いされたようで、慌てて訂正した。
「レストランです! そこのレストランを予約してあってですね」
「ああ、レストラン。それは喜んで――と言いたいところだけど、いいのかな。誰かといく予定だったんじゃ……ああ、もしかしてドタキャンされたから、さっき――」
 寺岡の言葉が矢となって胸に突き刺さる。
 寺岡にデリカシーなど求めていない。欲しいのはひとつ、車の購入、それだけだ。
「……ええ、じつはそうなんですよ。キャンセルしなきゃって思っていたところだったので、私としてはかえって助かるくらいでして。あ、寺岡さんさえよろしければ、ですが」
「俺? よろしいに決まってるだろ? むしろドタキャンしてくれた彼女に感謝したいくらいだ」
 どうやら寺岡は少々変わり者らしい。少し苦手なタイプだ、とは思うものの客は客。どういうひとであろうと関係ないので、笑顔で応じた。
 すぐにタクシーを拾い、目的のホテルへ向かう。タクシーの中でも寺岡はおしゃべり、もとい陽気な男で、少々うんざりしたのもご愛敬だ。
 ホテルのアプローチで降りる。正面玄関からホテル内に入ると、その足でエレベーターに乗りレストランヘと向かった。
 最上階、夜景の美しさが評判のホテルだ。今回は幸運にも窓際の席が予約できたというのに、男と来るはめになるなど、浮かれていた一時間前の自分を記憶から消したいほどだ。
「予約した月森ですが」
 照明の落とされた店内には、静かにジャズが流れている。右隅にグランドピアノが置いてあるところを見ると、生演奏もやっているのだろう。
 各テーブルに置かれたキャンドルがいい雰囲気で、予想していたとおり、カップルの客が大半だった。
 いまの自分には目の毒だ。
「うわ、いい席だな。眺めもいいし、恋人同士にはもってこいだ」
 おまけに寺岡がそんなことをしみじみと口にしたせいで、傷口に塩を塗り込まれたような気分になる。
 ――おめでとう、涼子さん。早速だけどこれ、プレゼントだよ。きみのために僕が選んだんだ。
 と、本来は言うはずだったところを、
「あらためましてよろしくお願いします、寺岡さん。ベンツ以外にもいろいろ持ってきたので、お気に召すものがあればいいのですが」
 結局、こうなったが、考えようによってはよかったのかもしれない。半人前の自分に恋愛はまだ早い。いまは仕事に生きろ。そういうことなのだろう。
 ここは絶対に契約をとってやると、周平は内心で息巻いた。
「そうだねえ」
 カタログを一瞥した寺岡だが、捲ってみようとはしない。テーブルの上で手を組み、こちらへ無駄にやわらかなまなざしを向けてくる。
「きみはどんな車が好き?」
なるほど。そういう手法か。こちらの話を聞き、信頼に足る男がどうか確かめているのだろう。
「イギリス車が好きなんですよ。たぶん、祖父が古いベントレーにずっと乗っていたからかもしれません」
 ワインと料理そっちのけで営業するような男ではないと示すために、愉しんでみせる。いや、やっと予約できたレストランだから、愉しまなければやってられない。
「あ、うまいな、これ」
 グラスに口をつけた途端、口中に広がったワインの芳醇な香りと味に舌鼓を打つ。
「一九九三年のブルゴーニュの白は当たり年だって言われているから」
「寺岡さんってワインに詳しいんですね」
「まさか。聞きかじりだよ」
思わぬ収穫もあった。自信家で軽い男という印象だった寺岡だが、話題が豊富で、意外に謙虚な面もあるとわかったのだ。
「ベンツにこだわりがないのでしたら、寺岡さんなら、意外とムスタングとかもお似合いかもしれませんね」
 おかげで食事の終盤になると、ほろ酔いかげんも手伝って愉しんでいるふりではなく、本気で愉しんでしまっていた。
「ムスタングか。でもアメ車って、故障が多そうだよなあ」
「それは以前のイメージで、いまはそれほどでもないんです。万が一のときも我が社で迅速な対応をさせていただきますし、外車は点検や修理にやたら時間がかかるというこれまでの概念を取り払ってみせますよ」
「へえ、それは頼もしいな」
「はい。任せてください。あ、ワイン、もっと飲みませんか?」
 寺岡はいけるクチらしく、ピッチが早い。普段酒はつき合い程度であまり強くない周平も、もう少し飲みたい気分だった。
「そう? 悪いね」
「いえいえ」
 首筋のあたりが急速に熱くなってくるのを感じながらもワインの追加を頼んだ。
「じゃあ、乾杯でもしますか」
「いいですね」
 寺岡の提案にのり、グラスを掲げる。
 普段の自分なら初対面の相手にこれほど打ち解けることなどまずないが、寺岡の陽気な雰囲気がそうさせるのだろう。
「商売柄、いろんな人間と出会うんだけどね。俺が思うに、ひとってのは出会うべくして出会ってるんだよ。意味のない出会いなんてないんじゃないかな」
「そうかもしれないですね」
 口あたりがよく飲みやすいワインは、なんの抵抗もなく喉を滑り落ちていく。三杯までは憶えているが、その先は数えてもいない。
「そう考えれば、俺と月森くんの出会いも必然だということになる。月森くんが彼女に振られたのは、車を買い替えたいと思っている俺と出会うためだったとも言える。そう思わない?」
「あ、それ、さっき俺も……じゃなくて、私も思いました。というか、まだ振られたわけではないですから。今日はたまたま彼女の都合が悪くなっただけですから」
 自分でもなにを言っているんだと、急に恥ずかしくなって笑ってごまかす。が、寺岡は笑わない。
 わずかに身を乗り出し、上目遣いで問いかけてくる。
「本当にそう思ってる?」
「え……」
「このレストラン、安くはないはずだ。予約を入れたくらいだから、なにか特別な日だったんだろう? そんな特別な日に急に用事ができて断わってくるなんて、どう考えてもおかしいと思うけどな」
「そ……それは」
 そこを指摘されては、二の句が継げなくなる。自分でもわかっていながら目をそらそうとしていただけなので、駄目押しをされたような気がして一気に落ち込んだ。
 幸か不幸か、まだ深い関係ではなかった。好きになれそうと思っていたのに、向こうはそうではなかったらしい、と。
「もしかして、これまでも思い当たるふしがあったんじゃない?」
「……あったというか、なんというか」
 あった。しかも、ひとつやふたつではない。となれば、悪いのは気づいていながら知らん顔をしてきた周平自身のような気がしてくる。
「知り合ったことが必然なら、俺が探偵だってのも意味があることだと思うんだが、それについてはどう?」
「……どう、とは?」
 まさか彼女の身辺を探れと、そういう意味だろうか。
「もし依頼ということなら、いいんです。そこまでしても、しょうがないですから。彼女にも知られたくないことはあるでしょうし」
 周平はワインをぐいと呷った。
 グラスをテーブルに置いたタイミングで、寺岡の手が指に触れてくる。
「同感だ。プライバシーは守られなければならない。けど、人間には真実を知る権利だってあるってことを忘れちゃいけない」
「…………」
 飲みすぎたのは失敗だった。寺岡の話に心が揺れるのは、冷静な判断ができないせいだろう。
「そういえばここ、バーもあったな。そっちは俺が奢るから、場所を変えて話そう」
 断るタイミングを逸してしまった。寺岡が席を立ち、周平も腰を上げる。と、足許がふらつき、咄嵯にテーブルに両手をついた。
「調子にのって、ちょっと飲みすぎたみたいです」
 格好悪いところを見せてしまった。苦笑いで取り繕うと、いいよと寺岡がほほ笑む。ほっとしたのもつかの間、困ったことに今度は両手をテーブルから離すことに不安を感じ、周平はしばらくそのままの状態でいるしかなかった。



「うぅ……頭が、痛い……」
 両手で頭を抱え込む。
 枕から持ち上げようとした途端、ずきんと、はっきりとした痛みが右から左に走った。そのあとはまるで、頭の中で銅鑼を鳴らされているような鈍痛に絶え間なく襲われる。
 いったいなにがあったのか。
 というより、いつの間にベッドヘ辿り着いたのか。
 まるで記憶がなく、瞬間移動でもしたような気分だ。
 横になったままで昨夜の事を、順を追って思い出してみる。
「えっと……確か涼子さんに……」
 そうだ。涼子に何度目かのドタキャンを食らって、呆然となっているところでちょうどベンツを買い替えたいという探偵と巡り合った。その後、涼子と行くはずだったレストランへ、その探偵―寺岡と一緒に行って食事をした。ここまでははっきりと憶えている。
 そのあとは……なんだっけ。
 よく思い出せない。こんな失態、大学生のときですら犯したことがないのに、やはりワインを飲みすぎたようだ。 
 と、そのとき周平は重大な事実に気がついた。
「あれ? ここって……」
 帰巣本能が働いて帰ってきたのかと思ったが、そう都合よくはいかなかった。ここは、自分の部屋ではなく、天井、壁紙、テーブル、チェスト、どれをとってもまるでホテルの一室のようだった。
「ようっていうか……」
 ホテルの部屋だ。
 涼子と過ごすはずだった部屋へひとりで泊まったのか。だとすれば、ホテルのスタッフ相手に愚痴をこぼした可能性もあり、洒落たベッドカバーに目をやった周平はがくりと項垂れた。
「最悪」
 このままここにいても仕方がない。
 痛む頭をごまかしつつ身体を起こそうとすると、今度は腹痛に襲われる。寝冷え、それとも度を超えたアルコールのせいか、ごろごろと鳴り始める。
「や、やばい」
 なぜか身体じゅうのあちこちに痛みを感じたが、それどころではなく、ベッドから飛び起きてトイレヘと駆け込んだ。
「………はあ」
 なんとか間に合い、ほっと息を吐き出す。すると次は身体の節々の、特に下半身の痛みが気になり始めてくる。いったい自分はどこでどんなアクロバットを演じてしまったのかと、思わず首を傾げてしまうほどだ。
 そうなるとそちらばかりに意識がいき、腰を上げるのにも苦労する。
 壁に手をつき、ようよう立ち上がってトイレのドアを開けた周平だが、もうひとつ重要なことに気がついた。
「あ、あれ?」
 裸だ。それも一糸纏わぬ真っ裸。
 さらにはところどころ蚊に刺されたような赤い痕がついていて、首を傾げつつもぽりぽりと掻いてみる。
 少しも痒くはない。
 いったい昨夜自分になにが起こったというのだろう。
「まさか………な」
 ふと頭に浮かんだ想像を、ははと笑って打ち消す。
 いくらなんでも有り得ない。気の小さい自分に一夜のアバンチュールなんて、たとえ酔っていたにしても無理に決まっている。
 ぴくぴくと引き攣る頬を無視して、ホテルのバスローブを身につける。ベッドまで戻り、ふたたび横になろうとしたときだった。
 いきなり部屋のドアが開いた。
「うわっ」
 びっくりして飛び上がった周平に、男が話しかけてくる。
「よ、起きられたか」
 我が物顔で入ってきたその男は、馴れ馴れしいことこのうえない。まるで親友みたいに接してくる。
「なんだよ、その面は。まさか、憶えてねえのか」
 周平自身は胡散くさげな男に距離を縮められ、動揺するばかりだ。
「かなり酔ってたからなあ」
 男が、にっと肉厚の唇の口角を上げた。
 その笑い方に既視感を覚え、右手を上げていったん止める。
「ちょ、ちょっと待ってください」
 再度昨夜の記憶回復に努める。涼子に断わられて呆然としているときに、男とぶつかった。そうだ。男は探偵だと言って、車――。
「あ、寺岡さん!」
 ようやく思い出し、周平は男――寺岡を指差した。
 寺岡辰也。探偵。仕事柄、顔と名前を憶えるのは得意だ。酒さえ飲んでいなければ。
 いったん思い出すと、記憶が一気によみがえってくる。
 車を売りたい一心でレストランで一緒に食事をして、それから……そう! 寺岡が場所を変えようと言い出して、同じホテルにあるバーヘ連れ立って行った。
 そこでもカクテルを飲んで、そのあとは――。
「い……いててて」
 ふと身体を動かした弾みで痛みが走り、周平は腰を押さえた。ゆっくりベッドに腰を下ろすと、寺岡がすぐ傍(そば)に歩み寄ってきた。
「大丈夫か」
「いえ、それがぜんぜん。どういうわけか、身体じゅう痛いですし、昨夜いったい俺はどんな無茶をしたのか。こんなになるまで飲むなんて、一生の不覚です。あ、それより寺岡さん。すみませんでした。きっとご迷惑をかけたでしょう」
「迷惑? それどころか、こっちは最高にいい思いをさせてもらったよ。ついでに言えば、その痛みはしょうがねえだろ。見かけによらず、月森くん、激しかったし」
「……ん?」
 意味深な台詞に、目の前に立つ寺岡に上目を向ける。寺岡はにやにやとしていて、厭な予感に眉をひそめた。

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