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悪役令嬢はスローライフをエンジョイしたい!2 ダンジョンは美味しい野菜の宝庫です

雨宮れん / 著
漣ミサ / イラスト
ISBNコード 978-4-86669-323-1
定価 1,320円(税込)
発売日 2020/08/27
ジャンル フェアリーキスピュア

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内容紹介

《エセ側妃として、ちょっと後宮に行ってきます!》
王太子からの婚約破棄を快諾し、無駄に有り余った魔力を駆使してスローライフを楽しむ元悪役令嬢シルヴィ。現在は魔物に襲撃された町を復興させるべく、前世の記憶をもとに新たな特産品やコンセプトカフェの展開を計画中。だがそれを引き金に隣国の陰謀に巻き込まれ、ついにはシルヴィ自身がエセ側妃として後宮に嫁ぎ潜入捜査をすることに! 彼女に想いを寄せつつもしがらみ故に自分を抑える第二王子・エドガーとしてはモヤモヤが止まらない!?

立ち読み

  大鍋とケーキの箱を抱えたシルヴィが農場に戻った時には、ギュニオンは庭でゴーレム達と戯れていた。
「ふぁいやー!」
「ふぎゃっ!」
 なんとも気の抜けた声で、火の玉をぽいぽいとギュニオンに向かって投げつけているのはゴレ太だ。ギュニオンの方は、それを器用に避けている。
 時折くわぁっと口を開いて、ゴレ太に向けて口から炎を吐き出しているが、ゴレ太の火の玉と比較すると、明らかに小さい。
「なんで、火の玉投げ合って遊んでるんだよ!」
 その光景に、シルヴィを出迎えようと出てきたエドガーが突っ込んだ。
 シルヴィは常識の外で生きている人間だし、ジールとテレーズはシルヴィとの付き合いが長いので、完全にスルーである。そんな中でエドガーは、貴重な突っ込み要員であった。
「家が燃えたら困るわよね……」
 シルヴィは顎に手を当てて思案の表情になった。
「そこじゃないだろ問題は!」
「そんなことを言われても」
『大丈夫だよー、私とゴレ之介がしっかり見張ってるから。ギュニオンが避けた分は、こっちで消火してるから安心して』
 ひょいと顔をのぞかせたのは、水の精霊アクアだ。ゴレ之介の頭の上に乗り、足をぷらぷらとさせている。
「ゴレ太、いいぞやっちまいな!」
 キッチンから持ち出したビール片手に、ジールはこの状況を楽しんでいる。
『ギュニオンも、けっこういい動きするようになったよねー。もうちょっとしたら、戦闘させても大丈夫なんじゃない?』
 アクアもまた、ジールと一緒になってこの状況を楽しんでいるようだ。時々ぴゅーっと指の先から水を出しては、ギュニオンが避けた火の玉が地面に落ちる前に消火している。
「ギュニオン、そろそろ終わりにしなさい。夕食にするわよ」
「もきゅっ!」
 シルヴィが呼びかけると、ギュニオンは身体ごとこちらに向き直った。
「スキアリー!」
「隙ありじゃないの。もう終わりなの」
 ギュニオンに向かってゴレ太が打ち込んできた火の玉を、シルヴィは軽々と片手で受け止めた。ぱっと手を振ってそれを消滅させる。
「オワリ?」
「そう、終わり。あなた達は、見回りに戻って!」
「カシコマリマシタ!」
 ゴーレム達は、一列になって畑の方へと戻っていく。シルヴィはぱたぱたと宙を飛んできたギュニオンを抱きとめた。
「ジール、ビールの続きは中に入ってからにしたら?」
「おー!」
 ジールが持ち上げたジョッキは、もう空になっている。いったい、何杯飲んだのやら。そろそろ買い置きが尽きそうだから、ジールに買い出しに行ってもらおう。シルヴィは飲まないのだから、飲む人間が行くべきだ。
「おーい、皿はこれでいいのか?」
 先にキッチンに入ったエドガーが、窓から身を乗り出し、こちらに向かって木製のシチュー皿を振っている。
「それでいいわ。食後にチーズケーキを食べるから、お腹に余裕残しておいてよね」
「もきゅきゅっ!」
 裏口からキッチンに入ったシルヴィは、ギュニオンをテーブルに下ろし、食料保管庫を開けて葉物野菜を取り出す。
「私、テーブルのセッティングしておくわねー」
 テレーズは引き出しを開けて、ランチョンマットやカトラリーを取り出した。もともと農場だったので、キッチンはかなり広い。二人が同時に動いても互いにぶつかるようなことはなかった。
「じゃあ、俺は、ワイン出しておく」
「先に飲まないでよね!」
「当たり前だろ。食事が始まるまで待つ」
 ジールは保管庫からワインを取り出した。
 シルヴィとエドガーは飲まないため、並べたワイングラスは二人分だ。シルヴィとエドガーには、レモンの輪切りを浮かべた炭酸水が用意される。
 四人分のシチュー皿を戸棚から取り出したエドガーは、続いてパンを保管庫から出す。籠に盛り付ける手際がなかなかなのは、この農場でずっと働かされていたからだ。
 シルヴィがぱっと用意したサラダにサリ夫人のシチュー、出来立ての状態で保管庫に保存されていたサーモンのグリルで食卓を囲む。
「今日は、まあまあ大変だったわねぇ」
「でもまあ、いい経験にはなったんじゃないか?」
 昨日飲みすぎて二日酔いになったのに、テレーズもジールもまったく懲りていないようだ。次から次へとグラスを空けている。
「おかげで、サリ夫人のシチューが食べられるし」
「むぎゅっ」
 両手で大きな林檎を抱えたギュニオンは、丸のままの林檎をもっしゃもっしゃとかじっている。
「ギュニオンのご飯もそろそろ採りに行った方がいいかしら」
 そう愚痴りつつもシルヴィはほっと息をつく。
 今のところ、シルヴィのスローライフは順調だ。
 畑の作物は順調に育っているし、ご近所さんとの仲もいい。
 先日は、ご近所さんを招待して、フライドポテトパーティーも開催した。
 フライドポテトパーティーとは、庭に持ち出した大鍋で、シルヴィがひたすらポテトをフライにし続け、カレー風味や青のり、トマトソースにチーズディップ等、各自好きな味付けをして食べるという炭水化物万歳祭りである。
 ジールとテレーズの二人で樽一つ分のビールを空にしてしまったから、追加のビールを買いに行くのだけはちょっと面倒だったが、楽しかった。
 念願のスローライフを満喫中であり、このまま一生ここで暮らしてもいいんじゃないかという気がしてくる。
 それが立場的に無理であることは、シルヴィ自身が一番よくわかっているけれど。

 ――なんて予想が現実のものとなったのは、意外と早かった。早すぎた。
「シルヴィ、すまないね。明日、王宮に行ってくれないか」
 シルヴィは露骨に嫌な顔になった。四人が食事をしているテーブルの横に、いきなり父、メルコリーニ公爵が出現したのだ。
「お父様、いらっしゃるならせめて玄関からにしてほしかったわ」
 転送陣で唐突にテーブルの側に出てくるのは心臓に悪いのでやめてほしい。
 母もしばしば農場に押しかけてくるけれど、庭に転移して、玄関のドアを開けるというワンクッションを挟んでくれる分、気が楽だ。
「……父上がまた何か?」
 ちょうどシルヴィの作ったサーモンのグリルにフォークを突き立てたところだったエドガーは、その姿勢のまま父の方に目をやった。「父上」とは当然、このベルニウム王国の国王陛下である。
「殿下! いい御身分ですな! ここで娘の手料理を堪能するとは!」
 エドガーをじろりと見て、父はふんと鼻を鳴らした。
 クリストファーからの一方的な婚約破棄に加え、先日は王家からエドガーとシルヴィの結婚話を持ちかけられるなど、これまでいろいろ振り回されてきた経緯もあり、父のエドガーに対する心証は必ずしもいいとは言えない。
「――それは、まあ……今日は、ここで研修をさせてもらっていたので」
 父ににらまれて、エドガーは首をすくめた。父は現役の冒険者でも大概は太刀打ちできないほどの強者であるため、まともにやり合ったらエドガーに勝ち目はない。
「もきゅっ、ふきゅっ」
 もっしゃもっしゃと林檎をかじっていたギュニオンが、父に向かって前足を上げる。そのまま首をこてんと傾げた。
 間違いなく、自分の愛らしさをわかってやっている。実にあざとい。
「やー、ギュニオン。君、大きくなったねぇ……」
 久しぶりに会った孫にかけるような甘ったるい声で、父はギュニオンを抱き上げる。ぺろりと頰を舐められて、父はますます目じりを下げた。
(……やるわねギュニオン!)
 シルヴィとギュニオンの目が合った。父の腕の中で、ギュニオンは得意げに少し頭をそらして見せる。
 一瞬にして、父の脳裏からエドガーが勝手にここで夕食を食べていたことへの怒りは消滅したようだ。
「むきゅきゅっ」
「やー、君は可愛いねぇ……本当に可愛い……!」
 ギルドの職員達もそうだし、町の人もそうだ。皆、ギュニオンを見ると、目じりが下がって、蕩けそうな顔になる。
〝魅了〟の魔術でも使っているのではないかと疑ったこともあるけれど、今のところその気配はない。ころころとした小動物は、すべて可愛く見えるというあの法則が発動中なのかもしれない。
「それでお父様、王宮に行ってどうするの? あ、ここで夕食食べる? サーモンのグリルとサラダは私が作ったもので、シチューはサリ夫人からの差し入れ――それとも、デザートだけ食べる? サリ夫人のチーズケーキよ」
 素早く立ち上がったシルヴィは、矢継ぎ早に問いかけながら食器棚の方に向かった。
 立ち上がったついでに、魔石コンロの方に移動して、薬缶を火にかける。父は紅茶派なのだ。
「食事は済ませてきたから、チーズケーキだけいただこうかね。サリ夫人のチーズケーキは最高だからね」
 以前、サリ夫人のチーズケーキを振る舞ったことがあったから、父も味を知っている。
「――たぶん、兄上の件とカティアの件の報告だと思う。お前、当事者だろ?」
「ほー、人の家の娘をお前呼ばわりねぇ……」
 シルヴィが切り分けたチーズケーキの皿を囲うようにしながら、父はエドガーをじろりとにらみつけた。父の方からエドガーに向けて、殺意の冷気が発散されている。室温までが、ひんやりとし始めた。
「いや、公爵。ここでのシルヴィはただのシルヴィだからな? 公爵家の娘であることを表に出さないのは、シルヴィ本人の希望だからな?」
「お父様、その物騒なものはしまってちょうだい。ご飯食べてるんだから」
 父が、持っていたシルヴィ作の〝ナンデモハイール〟から剣を取り出そうとしたのに気づき、シルヴィは父の手をぴしゃりとやった。
「ちっ」
「今、ちって言ったよな、公爵っ! ――って、ジールとテレーズはどこに行ったんだよ!」
 エドガーはここでようやくジールとテレーズの二人が姿を消しているのに気づいたようだった。
 実は二人とも、父がこの場に現れたとたん、一言も発することなく静かに速やかに気配を完全に殺してテーブルを離れていたのである。
 まさか、父が本気で剣を取り出すとは思っていなかっただろうが、これがA級冒険者と一般人の違いだ。
「二人とも、こちらに戻ってきなさい。取って食おうというわけじゃないんだから」
 キッチンの扉のところから、こわごわと中の様子をうかがっているジールとテレーズに向かい、父がひらひらと手を振る。
「失礼します……」
「公爵に切られるかと思った……」
 おそるおそる戻ってきたジールとテレーズは、父から目を離さないようにしながら、そろそろと元の席に着く。
「殿下の言う通り、クリストファー殿下とカティアという娘の件だ」
「クリストファー殿下についても、カティア嬢についても、私……あまり興味ないのよねぇ……」
 あまりといえば、あまりな発言なのだろうが、実際、シルヴィは二人の現状にはさほど興味がない。
 魔族の呪いを受けてクリストファーを〝魅了〟したカティアも、自分の立場を忘れて王族としてやってはならない行動をとったクリストファーも、今ではそれぞれ報いを受けている。王宮がきちんとやるべきことをやればそれでいいとシルヴィは思っている。
「そういうわけにもいかないだろう。あの二人を野放しにしておくのはいろいろとまずいし、お前は当事者だからな」
 と、真面目な顔になった時には、父の皿は空っぽになっていた。
「そういうわけだから、明日、王都の屋敷に寄ってもらえるかね」
「しかたないわね、お父様」
 シルヴィは、肩をすくめた。これもまた、公爵家の娘としての義務だ。ここで好きにやらせてもらっていたとしても、義務は忘れてはいけない。
「シルヴィ、すまないがお代わりをもらえるかね?」
 父は、シルヴィの前に空になった皿を突き出す。結局、ホールケーキの半分は、父の胃の中に収まったのだった。

◇◇◇◇◇

「ア、アメリア・メルコリーニでございます」
 いつもよりいくぶん高めの声を意識しながら、シルヴィは頭を下げたまま名乗る。
 声をわずかに震わせているのは、緊張を装っているためである。できる女は、気を抜かないものなのだ。
「よい。面を上げよ」
 命じられてようやく顔を上げることを許された。
 マヌエル・レタット・ブレンディス――現フライネ国王は、ゆったりとした椅子に座ったまま、シルヴィの全身を上から下まで眺めた。
 つい先ほどエドガーにも同じようにされた記憶がある。本当にシルヴィなのか疑って眺めていたエドガーとは違い、マヌエル王は冷静にシルヴィを観察してきた。
「アメリアとやら、魔術をまとっているな」
「こちらの指輪には、防御の魔術が込められております。先ほど、確認していただきました。わたくし自身には魔術はかけられておりません」
 シルヴィは、右手中指にはめた指輪を外して父に渡した。そうしておいて、両手を胸の前で組み、マヌエル王の視線がもう一度自分を観察するのに任せた。
「そのようだな。防御の指輪は必要か」
「幼い頃、襲撃されたことがございました。再度の襲撃を恐れた父が、私に与えたのです。護衛の者が駆けつけるくらいまでの間は、なんとかしのげるようにと」
 これもまた、噓ではない。本物のアメリアは、幼い頃、盗賊に襲撃されている。
 その頃のことをシルヴィは聞いただけで実際に見たわけではないが、たまたま通りがかった冒険者に助けられたのだとか。
 つまり、メルコリーニ家当主ではなく、生家の父に与えられた品――ということになるが、襲撃されたというのは事実だから、多少調べられたところで出所まで探られることはないだろう。
「そうか。ここでは必要ないと思うが、父君から贈られた品、大切にするがよい」
 シルヴィが持ちこんだ大量の荷物も、今はみっちり検査されているはずだ。
 足を組み替え、顎に手をやったマヌエル王は、頭の先から足の先までもう一度シルヴィをじろじろと眺めた。
(……まったく、いつまで見ているのよ)
 というのは心の叫び。本心が表情に出ないように、シルヴィはうつむいたままだった。
「……美しいな」
「ありがとうございます、陛下」
 容姿を誉められたので、素直に受け取っておくことにした。
 自分がかなりの美人なのは知っているし、いつもと違うメイクはしているけれど、〝アメリア〟もそんなに悪くはないと思っている。後宮入りしようというのだから、このくらいは当然だ。
「そなたには、琥珀の間を与えることにする」
「……感謝いたします、陛下」
 ここで父とは別れることになる。シルヴィはそっと父の手を取った。
「お父様。わたくし、しっかり務めてまいります。近いうちに、お手紙を差し上げますね」
「……お前なら、間違いなくしっかりやると思うよ。気を付けて行ってきなさい。陛下にしっかりお仕えするのだよ」
 はたから聞いている分には、後宮入りする娘とその養父の会話だ。
 だが、シルヴィが言いたいのは、「カティアがいるかどうか、なんらかの陰謀が進行中なのか、しっかり調べてくる。報告はするから待っていて」だし、父が返したのは、「シルヴィなら見つけられると思うよ」という返事である。
 何が起こっているにせよ、シルヴィは見落とすつもりはなかった。
 検査に回されていた荷物を受け取り、テレーズを連れてシルヴィは後宮内に足を踏み入れた。案内役の侍女が二人の前を歩いている。
 フライネ王国はベルニウム王国と比較して暑いからか、侍女が身に着けている服も涼しそうな素材でできている。
 歩きながら壁を見ていると、わずかに魔術の気配があることに気づく。これは、失われた技術であることをシルヴィは知っていた。
(魔力の痕跡が残っているわね。この後宮は昔のダンジョンを利用して作られているんだわ)
「……アメリア様、どうかなさいました?」
 侍女に扮したテレーズが、そっと声をかけてくる。シルヴィは視線で壁を示しながら返した。
「いいえ。この壁、とても珍しいと思って見ていただけよ――今まで、見たことのない素材だわ。どこで産出した石材なのかしら」
 ダンジョンの壁なので、どこの石材なのかよくわからないのは当然なのだが、何もわからないふりをしていれば侍女が何か話してくれるかもしれない。
「後宮は、もともとダンジョンだった部分を利用して作られているのです。非常に堅固に守られているのですよ」
 先を歩いていた侍女が振り返り、そう教えてくれる。シルヴィは身を震わせた。
「元ダンジョン……危なくないのですか?」
「今は、魔物など棲んではおりませんよ。昔、ダンジョンだったというだけのことですから」
 くすくすと笑う侍女は、なんだか嫌な雰囲気だった。シルヴィのことを馬鹿にしている。
 シルヴィは、眉間に皺を寄せた。
(ヴェントスを召喚して、探りを入れたいところだけれど……この侍女の前では避けておいた方がよさそうね)
 先を歩く彼女には気づかれないように密かに観察する。冒険者ギルドに登録している冒険者と比較はできないだろうが、身のこなしから判断すると腕は立ちそうだ。
 B級冒険者レベルと思われるエドガーと正面から打ち合ったら、どちらが勝利を収めるかわからないというところだろうか。
(……ということは、マヌエル王はさらに強いのかも)
 マヌエル王は座ったきりで、実際に動いているところは見られなかったが、ただものではない雰囲気は満載だった。
「それにしたって、恐ろしいものは恐ろしいわ。元ダンジョンだなんて……」
 実際は全然怖くないけれど、シルヴィは両手で自分の身体を抱きしめるようにしてもう一度震えて見せた。
 この世界の貴族の家系ならば、ダンジョンの一つや二つクリアしていてもおかしくはないのだが、中にはさほど強くない者もいる。
 一応、〝アメリア〟はさほど強くはないという設定でやらせてもらう予定だ。念のために確認してもらったら、彼女も聖エイディーネ学園の卒業生だが、成績は平凡そのものだったからその設定で問題ない。
「怖いのでしたら、部屋からは外に出ないことをお勧めしますわ。後宮の中は、危険ではありませんけれど」
「ええ……そうさせてもらうかもしれないわね」
 怯えているシルヴィの様子が、侍女には面白く見えたようだ。またもや、くすくす笑いが彼女から漏れた。
(……侍女の躾はなってないわね、マヌエル王!)
 心の中で毒づく。後宮に多数の女性を集めていても、そこで暮らしている女性達がどんな性格なのかまではあまり気にしていないのかもしれない。
 白い石造りの廊下を通り抜け、さらに奥へと歩みを進める。中は迷路のようにあちらこちら折れ曲がり、道が分かれていて、たしかに迷ってしまいそうだった。
(昔のダンジョンなのは間違いないけれど、自然発生したものではなくて、昔の研究施設とかそんな感じかしらね……?)
 元はダンジョンという割には、清潔感あふれる雰囲気だ。
 壁の白い石はうすぼんやりと発光しているようにも見える。天井にも一定の間隔でランプが埋められているから、窓はなくても足元が見えないということはなかった。古代の遺跡がダンジョン化することもあると聞いているから、ここもそうなのかもしれない。
 侍女に従って歩いていくと、正面に大きな扉が見えた。侍女はその扉の方へとまっすぐに進み、両手で押し広げる。
「……まあ、すごいわ!」
 扉の向こう側に広がる景色に、シルヴィの口からは素直な感嘆の言葉が漏れた。
 廊下を通り抜けた先は、ひらけた空間だった。中庭、と言えばいいのだろうか。
 かなりの広さのある空間を、ぐるりと囲むように弧を描いた壁がある。おそらく上から見たら、ドーナツの穴のように真ん中だけぽかりと空いているのだろう。
 中庭にもまた、南国風の花が咲き乱れていた。葉の緑は艶やかで、花と葉の色の対比が鮮やかだ。
 いくつも噴水があり、噴水と噴水の間は、細い水路で結ばれている。水の流れる音が耳に心地よい。
「お気に召しました?」
「ええ、とっても!」
 後宮に入った女は外に出られないと聞いているが、たしかにこれなら出る必要もないかもしれない。
 実際、向こう側には何人か散歩をしている人も見受けられるし、左手の方にある石造りのプールでは、水着を着て水浴びをしている人もいる。
 ここは、マヌエル王以外の男性の目を気にする必要はないので、ビキニタイプのけっこう大胆な水着だ。
 とはいえ、シルヴィがそこに交じるのは無理だろう。今は厚着をしているから目立たないが、胸にぐるぐると布を巻いた状態で水浴びをするのはやっかいだ。水浴びは室内で済ませようと決める。
「……ステラ。そちらのご令嬢は?」
 シルヴィの目の前に立ち塞がったのは、銀髪に青い瞳が印象的な女性だった。二十代半ばだろうか。マヌエル王より、少し年上に見える。
 ほっそりとした肢体の持ち主で、腕はちょっと力を入れたら折れてしまうのではないかと思うほど細い。顔立ちだけ見れば細面のはかなげな美貌の持ち主なのだが、瞳に宿る光が力強いからか、弱々しさは感じられなかった。
「こちらは、ベルニウム王国からお輿入れなさった、アメリア・メルコリーニ様です」
「……そうなの。また、新たな妃が入るというわけね」
 じろじろと見られて、嫌な雰囲気だ。
 シルヴィは視線を落とし、不機嫌な顔を隠そうとした。テレーズも背後で同じようにしている気配を感じる。
「アメリア・メルコリーニでございます。一生懸命努めますので、どうぞよろしくお願いいたします」
 シルヴィは、目上の相手に対する礼をとった。今、目の前にいる女性は、明らかに身分が高いと思ったのだ。
 後宮に入った段階で身分も何もないのだが――王の寵愛の深さだの生家の権力だので、後宮内の力関係が決まる。今目の前にいるのは、〝アメリア〟にとっては敵に回さない方がいい相手だと瞬時に判断した。
「……そう。わたくしは、エリーシア。第一側妃よ」
 そんな名前、聞いたこともない――それも当然で、この国の後宮の情報は、外にはほとんど漏れてこないのだ。そのため正妃以外の名前は、国外には知られていない。
「よろしくお願いいたします。側妃様」
「いいこと? わたくしが、第一側妃ですからね? 間違えないように」
「はい、第一側妃様」
 なぜ、第一とこんなにも主張するのだろう。エリーシアは、シルヴィの顔をまじまじと見つめた。
「ふぅん、陛下は、最近はこういう娘が好みなのかしら」
「エリーシア様。この者は、ベルニウム王国のメルコリーニ公爵が差し出してきたのです。陛下と縁を繫ぎたいのでしょう」
「……そう。仲良くしましょうね、アメリアさん?」
「は、はい。光栄でございます」
〝シルヴィ〟であれば、目線一つで黙らせるところだが、〝アメリア〟としてはそういうわけにもいかない。シルヴィはあいまいに微笑み、エリーシア妃の前でもう一度深く頭を下げた。
「……あなた、試練は受けたのかしら?」
「試練、でございますか?」
 シルヴィは首を傾げた。
 後宮に入った段階で、その試練とやらは終わっているのではないだろうか。だが、エリーシア妃は、閉じた扇を弄びながら意味ありげに微笑んでいるだけだ。
「この後宮で暮らす者は、全員陛下の護衛を兼ねているの――いざという時、陛下の身代わりになれないようでは、意味がありませんからね」
「は、はぁ……」
 そういうものなのだろうか。
 たしかに、ステラと呼ばれた侍女も、ある程度武芸のたしなみがありそうな雰囲気ではある。
「そうよ。私もそうだし、他の妃達もそう――あなたの戦闘能力、見せてもらえるかしら。聖エイディーネ学園の卒業生ならば、それなりの能力は備えているのよね?」
「か、かしこまりました……」
 ぷるぷると震えて見せながら、シルヴィはやれやれとため息をついた。まさか、ここでこんな要求をされるとは思っていなかった。
(本気でぶっ飛ばすわけにもいかないだろうし……)
 どう対処するのがいいだろう。とりあえず、相手の出方を見てから決めることにしようか。
(だから、潜入捜査ってあんまり得意じゃないのよねぇ……)
 シルヴィは遠い目になった。
 人間、得手不得手というものがある。シルヴィは、潜入捜査は不得意だった。根本的に目立たないようにするのが苦手なのである。
「ワディム、ワディム。出ていらっしゃい」
「エリーシア様、お呼びですか」
 エリーシア妃の命令に応じて姿を見せたのは、四十代と思われる男性だった。おそらく五十代には入っていないだろう。
 黒いローブに茶のベルトを締め、白髪交じりの黒髪をぴっちりと撫でつけている。額にはめたサークレットが、いかにも魔術師という印象だ。
 背筋はすっと伸びていて、足取りは軽く若々しい。若い頃はさぞやモテたであろうと思われる、知的で整った容姿の持ち主だった。
「ワディム、彼女と戦ってほしいの。ここで暮らしていく以上、必要なことですからね」
「やれやれ。よろしいですか、そちらのお嬢様」
「え、ええ……」
 シルヴィはこわごわといった様子でうなずいた。そして、テレーズの方に、少し離れているようにと合図する。
(魔術師に対抗するとなるとけっこう大変よね……ここを壊すわけにはいかないし)
 あいかわらず、自分の身についてはさっぱり心配していないシルヴィ。
 相手の放った魔術を片手で受け止める程度なら余裕だが、ここを壊すなという前提条件付きとなるとちょっと難しい。
 これがベルニウム王国内の出来事なら、壊した後〝修復〟スキルで戻せば済むことだが、そんなスキルまで持っているということを今、この場で見せるわけにもいかない。
(うーん、うーん……地味に、目立たず、でも役立たずだと思われるのも困るわよね、きっと……)
 うんうんと考え込んでいたが、先方はシルヴィを待ってくれるつもりはなさそうだった。
「いでよ、ゴーレム達!」
 ワディムは地面に両手をついて叫んだ。
 まさか、ワディムがゴーレム使いだとは思わなかった。
 ゴーレムをその場で作ろうとすると時間がかかるはずだが、あっという間に全身白い石でできた人形が二体、地面から姿を現す。
(……なるほど。中庭にあらかじめゴーレムを仕込んであるというわけね)
 普通なら驚き慄くところだが、シルヴィは違う。ゴーレムの姿がはっきり見えた途端、密かにつぶやいた。
「噓……すごい……素敵……! カッコいい……!」
 自分が今置かれている状況も、潜入しているということもうっかり忘れ、シルヴィは目の前のゴーレムに目を奪われた。まるで、神の彫像のように神々しい姿だ。
 一般的に、ゴーレム使いが熟練すればするほど、作り上げるゴーレムは精巧な姿形になると言われている。シルヴィのゴーレムがとても簡素な容姿に仕上がっているのは、シルヴィがゴーレムの扱いに慣れていないからだ。
(……さて、どうしようかしら)
 これだけ素晴らしいゴーレムを壊すわけにもいかない。とりあえず一回か二回殴り合って、その後負けたふりをしておこうか。
 シルヴィはふっと身体の力を抜いた。
(とりあえず、痛いふりはしておかないとよね)
 ありとあらゆる能力を極限まで鍛え上げているシルヴィにしてみれば、目の前のゴーレムに殴られたぐらいでは痛みを感じることはないだろう。何せ、馬車に轢かれたくらいでは怪我をしないのである。
「怪我をさせないように気をつけなさい! かかれ!」
 ワディムが命じると、ゴーレムはゆっくりとシルヴィの方に近づいてくる。腕を振り上げたのを見て、シルヴィはどう殴られれば一番効果的かを瞬時に計算した。
(とりあえず、そこそこ戦える――というのを見せておけばいいのよね)
 まったく恐怖など感じていないけれど、シルヴィは怯えているように一歩後退した。
「――きゃあああっ!」
 ゴーレムが近くまで接近したのに合わせ、シルヴィは悲鳴を上げた。あとは二体のゴーレムの腕を順にかわして、適当にやられ――
 けれど、物事はシルヴィの思い通りには進まなかった。
「ゴシュジン! マモル!」
 ぴょーんと勢いよく飛び出してきたゴレ太が、シルヴィの前に立つ。えい、と胸を張り、シルヴィを守ろうとしているかのようだ。
「え、ちょ……待ちなさい!」

◇◇◇◇◇

「……ここが後宮かぁ。中に入るのは初めてだな!」
「楽しそうね、ジール」
 ジールは興味深そうに、あちこちじろじろ眺めている。こんな時に緊張感がないと思っていたら、テレーズがジールの頭をぴしゃりとやった。
 いてぇとつぶやいたジールだったが、目の前に現れた敵をあっさりと切り捨てる。一応、注意を払うことを忘れてはいないらしい。
「エドガーも、興味ある?」
「まあ、ないと言えば噓になる」
「ほほーう」
 ジールはにやにやとし、エドガーはあたふたとした。
「や、そういう意味じゃないぞ? 枯れたと思われていたダンジョンが、復活した理由に興味があるって言ってるんだ!」
 エドガーも、ジール同様女の園に興味があるのかと思っていたら、彼の興味は違う方向に向いていたらしい。
 精霊達が示しているのは、後宮の裏にある山の方向だった。急ぎ足にそちらに向かいながら、エドガーは壁を指さす。
「この壁、兄上が入ってる塔に似てないか?」
「……言われてみれば」
「まあ、考えるにしても、この状況をなんとか乗り越えてからだな。この奥に昔はダンジョンボスがいたんだろ?」
 先日、エドガーからもらったダンジョンだった頃の後宮の見取り図と、現在の後宮の内部との比較はすでに済ませてある。その際、シルヴィが何かあるだろうなと思っていたシャンタル妃の部屋のあたり、あの山の手前にボス部屋があることがわかった。
『主よ、後宮の入り口は塞いだぞ。魔物は外に出られなくなるが、主達も出られなくなる』
 ふっと姿を見せたのはテッラだ。テッラの防御壁を破壊できる魔物はそうそういない。
「必要になったらぶち破るからいいわ」
『王と妃のうち何人かが、壁のすぐ外で待機している。もし、魔物があふれることがあれば、そこで食い止めるつもりらしい』
 テッラの言葉に、シルヴィは感心した。マヌエル王も妃達も、自分達が他の人間を守るべき立ち位置にあるということはよくわかっているらしい。
「なあ、あれ」
 不意にエドガーが前方の壁を指さす。エドガーの指さした方向には、壁画のようなものが見えた。
「あれ、何かの手がかりじゃないか?」
「行ってみましょう」
 どうせ、進行方向だし、見ておくのも悪くない。
 ――けれど。
 側まで近づき、壁画を見たシルヴィは近づいたことを後悔した。ものすごく後悔した。
(うっそぉ……これ、ラスボスルートの〝シルヴィアーナ〟じゃないの?)
 そこに描かれていたのは、どう見ても、前世のネタゲーム『恋して☆ダンジョン』でラスボスとなった〝シルヴィアーナ〟の姿だったのだ。
 背中にばっさばさの黒い羽根を背負い、身に着けているのは、妙なところからごつごつとしたトゲの生えた黒い服だ。手には鞭のようなものを持ち、足では魔物を踏みつけにしている。
「これ、シルヴィそっくりじゃね?」
 空気を読まないジールが、にやにやしながらシルヴィを指さす。
 そっくりも何も、どう見てもシルヴィ本人だ。なぜ、こんなものがここにあるのかはシルヴィにもわからない。
(まさか、また、ラスボスルートに強制的に移動させられたわけじゃない……わよね?)
 以前ウルディのダンジョンで、ボス部屋の魔物によって黒い感情に呑み込まれそうになったことを思い出し、背筋が冷えた。それを隠すように話をそらす。
「他人の空似でしょ。昔の魔族の女王様とか、そんなところじゃない?」
「……そういうものかねぇ」
 ジールは納得していない様子だが、シルヴィにとってあの格好は黒歴史だ。
 いや、今のシルヴィ自身が、ラスボス化したわけではないが。
「似ているのは、たまたまでしょ、たまたま」
 こんなところで、あんな壁画を見るなんてどうかしている。
 もし、シルヴィがラスボス化したとして、この場にいる人達で取り押さえることができるかどうか――かなり難しいだろう。
(……深く、考えないようにしよう)
 首を振り、壁画の前から離れる。なぜこんなところにあんなものがあるのか――ここで深く考えたところで、この奥にいるだろうダンジョンボスを倒す役には立たない。余計なことを考えないようにしなくては。
「――シルヴィ」
 気を引き締めて、再び急ぎ足に歩き始めたら、前を歩いていたエドガーが速度を落とした。シルヴィと並んだ彼はささやく。
「大丈夫か?」
「大丈夫かって?」
「落ち着きがなくなっているみたいだから」
 シルヴィはきょとんとしてしまった。そんなにわかりやすく落ち着きがなくなっていただろうか。
 エドガーは、シルヴィの方に顔を寄せてきた。
「――お前は、大丈夫だよ」
「なんで、そんな風に言えるのよ」
「俺が、信じているから」
 なんてことない口調で言われて、思わずシルヴィは足をとめた。
 エドガーは、今、なんと言ったのだろう。
「S級は人間をやめてるって――そういう風に言われたりもするらしいな。ジールがそう教えてくれた」
「……そうかもしれないわね」
「A級までは、努力で到達できなくもない――けれど、S級はそうじゃないんだってな」
 変な気持ちだ。先ほど、あの壁画を見た時に感じた妙な恐れが消え失せていくみたいだ。
 たしかに、シルヴィは人外とも言うべき力を身につけている。それは、シルヴィの努力と両親の与えてくれた教育のおかげとも言えるけど、普通の人間ではそこまで到達するのは不可能とすら言われている。だからこそ人外と言われれば、否定はできないのだけれど。
「だけど、俺はお前なら大丈夫だと思う」
 エドガーが口角を上げて、微笑んで見せる。
(……敵わないわね)
 胸に重くのしかかるものがふっと軽くなったような気がした。
 エドガーが信じてくれるのなら、大丈夫。
 まったく、エドガーときたら。
 エドガー本人は、自分の立場やらしがらみやらの中でじたばたしているのに、こうしてシルヴィに向かって、シルヴィの一番欲しい言葉をポンと投げかけてくるのだ。
 エドガーは、シルヴィに今のままでもいいのではないかと思わせてくれる貴重な存在だ。
 やがて、目の前に巨大な扉が見えてくる。精霊達の声によれば、この奥にボスのいる部屋があるようだ。
「――この奥ね」


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